ぜひプロローグからご一読ください。
【観測者編③】
『破綻者(コラプスエゴ)』とは即ち、その存在そのものが凌辱されたサーヴァントである。剣を極めた者、狂気に満ちた者、歴史に名を残す英雄奇人たちは世界の記憶に登録され、今を生きる民全てが彼らの名を、武勇を、語り継ぐ。その人間の一側面を削ぎ落し、現代に蘇らせるのが英霊召喚。オアシスにおいては、それがオートマタを媒介に行われる。
だが、もしも、個として内なる綻びを有した者が召喚された場合、どうなるか。例えば、悪魔憑きを英霊として呼び出した場合、それは悪魔憑き本人が呼ばれるのか、それとも悪魔が呼ばれるのか。悪魔憑きは何を以て人類の記憶に登録されたのか、人が主体なのか、悪魔が主体なのか…。通常の聖杯戦争である場合、それは総じてキャスターかバーサーカーに当てはめられ呼び出されるであろう。だが、オアシスは原型を留めることの出来ないエクストラを容認する。それは災害のサーヴァントによる認可では無く、開発都市オアシスが誕生するきっかけとも言える「始まりの聖杯」の力であった。存在の曖昧さ、歪さを肯定し、他者の個を吸収することで自らの存在を立証する、そんなコラプスエゴがこの地に生まれ落ちてしまったのだ。
コラプスエゴのクラスで召喚されたサーヴァントの名を解明することは何の意味も持たない。歴戦の強者で無く、彼らは偏に歴史上において弱者である。現代に蘇りし弱者が、現代において自己を確立する。歴史が彼らを物語るのではない、今を生きる者達が彼らの存在をその瞬間に決定してゆくのだ。
廃病院に使い魔をよこしたマキリコーポレーションCEO、マキリ・エラルドヴォールは、成長過程のコラプスエゴを鑑賞し、賛美した。淡い緑の髪をくるくると手遊びで弄りながら、モニター越しに破綻者の戦いを傍観している。既にコルクを抜いたワインボトルは三本目、今日の彼女は誰が見ても上機嫌である。彼女の豪華絢爛な部屋の片隅で立つ付き人の青年は、彼女のはだけた部屋着から覗かせる滑らかな白い肌に心臓の鼓動が数コンマ早くなっていた。
「あの、エラル様、そろそろお酒は控えて頂かないと…」
「えぇーバーサーカー、貴方も一緒に飲みましょう?」
「いえ、僕は…うわっ」
エラルは酔った勢いで青年を抱き寄せると、その白い髪をクシャクシャと撫でまわした。一方青年はスタイルの良いエラルの胸元に顔を埋め、幸福の呼吸困難に陥っている。早く彼女から離れなければと思いつつも、その感触を堪能する男としての本能に抗うことは出来なかった。
「アインツベルンが秘密裏に行っていた『英霊統合計画』は失敗に終わったけれど、コラプスエゴの霊基を媒介すれば…マキリはまだ進化の可能性を秘めている。」
「エ…エラル様。コラプスエゴとは即ち…?」
「本来であれば影にすらなれなかったはずの微小霊基が、他のサーヴァントや魔術師を取り込むことで存在を確立した姿。人間も英霊も、肉体があろうが無かろうが、その身にたった一つの魂を宿している。でも破綻者は例外として、他の魂と共存する。自己と他者の境界線が曖昧なのよ。こうして現界していることが奇跡、自己があまりにも強い英霊同士は通常反発するものだからね。」
「…他者を取り込み血肉にする、それは果たして強いのでしょうか?」
「それはマスター次第よ。これは言わばサーヴァントの育成ゲーム。いまこうしている間にも、コラプスエゴは進化し続ける。その進化の先が崩壊で無ければ、破綻者は災害すら飲み込むでしょう。」
モニターでは身長三メートルを超える怪物コラプスエゴと、二人の男の戦いが続いている。二刀流の剣士と後方から支援する狙撃手、良いチームワークだ。だが怪物の腕の一振りであらゆる攻撃ははじき返される。エラルの見立てでは、破綻者は既に七騎のサーヴァントを取り込んでいる。だがそれでもなお、暴食は止まる気配を知らない。二人の男とそのサーヴァント達もまた、怪物に殺される未来が待っているだろう。エラルは被害者になる男たちには何の興味も抱かなかった。
エラルは画面に噛り付くように見入っていたが、映写している使い魔がコラプスエゴの放った光弾により溶け落ち、強制的にシャットアウトする。画面に砂嵐が吹くと、彼女はがっかりと項垂れた。
「良いところだったのにぃ…バーサーカー!」
「何でしょうか?!」
「もう寝る!明日は早いし!だから、寝る前に、ね?」
エラルはうっとりとした表情で彼女の従者を見つめた。彼はやれやれと言った表情で、部屋の隅に陣取るグランドピアノへ向かった。エラルは就寝前に彼の演奏を聴くのが日課だった。バーサーカーの演奏はとても儚く、それでいて心安らぐものだ。部下たちは非戦闘要員のサーヴァントの召喚に断固として反対したが、彼女はそれでも彼を呼んだ。オアシスにおいて力比べの強さなど災害を前にすれば何の意味も成さない。ならば彼のような芸術家を招き入れる方が専属従者サービスを正しく活用していると言えよう。エラルはいつも演奏を聴きながら眠りにつくが、今日は静かに音を紡ぐ青年が堪らなく愛おしくなって、ベッドから立ち上がった。目を瞑り、音を奏でる彼の背後から優しく抱き締めると、時が止まったように静かな時間が流れ始めた。
「エラル様、そう抱き締められては、鍵盤を叩けません。…エラル様?」
「好きよ、バーサーカー。」
「…」
青年はエラルの手に自らの手を重ねる。人の温かさが、彼の中に染み入る。それはたとえ狂っていようが正しく理解できる。マスターであるエラルの想いは、青年の胸をじんわりとさせた。
「僕も貴方を愛しています。」
エラルは彼の隣に座ると、その肩に頭を乗せた。普段の彼女は冷徹無慈悲と恐れられているが、バーサーカーの前だけは安らかな表情を見せる。いつも気を張った彼女が唯一素でいられる場所、それが彼の隣なのだ。
彼女が眠りにつくまで、彼は静かな演奏を続ける。どうかこの時だけは、幸せであるように、そう願って。
エラルの使い魔が地面に転げ落ちたことなど露も知らない二人の男たちは、絶体絶命の危機に瀕していた。巧一朗が招霊転化で呼び出したディルムッドは流石の戦いっぷりであるが、相手が悪いと言わざるを得ない。鉄心のサーヴァントであるアーチャーもまた、自らの無力さを嘆いていた。膨張と収縮を繰り返す異形、コラプスエゴを前に、取り得る手段は全て試したが、どれも有効打にはならない。その霊核を剥き出しに出来ればアーチャーの矢は必ず届くが、未だその弱点を見つけ出すことも出来ずにいた。そしてじきにディルムッドは約束の一分を迎える。彼が消失した場合、巧一朗達の勝利の可能性はゼロになるだろう。
「どうするよ巧一朗。これだけ切り刻んでも簡単に再生されたんじゃ歯が立たないぜ。」
「鶯谷、俺のセイバーとお前のアーチャー、同時に宝具発動できれば勝機はある。」
「…となりゃ、俺も覚悟を決めないとな。」
「タイミングを合わせろ。行くぞ。」
コラプスエゴが病院の天井を破壊し、大きく飛び上がったタイミングに合わせて、ディルムッドもまた跳躍した。怪物は夜空に浮かぶ星々を眺めながら、自らの胸に向けて飛び込んでくる流星を受け入れるかのように抱き込んだ。だがそれこそ悪魔を刈り取る刃。ディルムッドはその手に持つ赤き魔剣でコラプスエゴの肉を幾層にも切り刻む。
『憤怒の波濤(モラ・ルタ)』
再生能力の追い付かない超高速の裁断。一振りで複雑に切り込むことで、肉体を蘇らせる工程をパズルゲームのように難解にさせる。霊核にはあと一歩届かないが、コラプスエゴの主たる魂の露出を、矢を番えるアーチャーが見逃すはずも無かった。
「令呪を以て命ずる。アーチャー、奴の魂を射抜け!」
鉄心の左肩に宿るマキリ製の令呪が淡く光を放つ。彼は二画の願いを昇華し、アーチャーの矢に光を届けた。
アーチャーの矢は必ず、その対象を射抜く。後はそこに魔力を乗算するのみだ。
「いけ、アーチャー!」
『我が恋、永久に飛翔せし(レルアバドゥ・サハム)』
狙撃手の放つ赤の閃光は怪物の心臓に風穴を開ける。サーヴァントとの戦いの経験が浅い鉄心にも分かる、対象の明確な死。叫び声を上げながら崩壊するコラプスエゴを確認し、彼の緊張の糸は途切れた。
「鶯谷、まだ終わっていない。」
巧一朗とディルムッドはコラプスエゴの後ろに隠れていたマスターと思しき人物目がけて走り出した。コラプスエゴは見間違えるはずも無く、オアシスのオートマタシステムに依らない、聖杯戦争と同じ方式で生まれたサーヴァントである。スイッチを切れば命を絶てる生易しいものでは無い。怪物は魔力の塊で、そしてそれを従えるマスターは巧一朗と同じ魔術師である。その事実を、この場で彼だけが知っていた。
コラプスエゴのマスターは巧一朗の殺気にいち早く気付く。コラプスエゴが敗北することは想定外だったが、その戦闘データを入手できたことは怪我の功名であった。彼は災害のアサシンの信仰集団『アヘル』の教団服のローブで顔を隠しつつ、確保していた逃走経路で脱出を試みた。自らの命さえ保証されれば、怪物は不死鳥の如く何度でも蘇る。それを計算したうえでの素早い行動である。
巧一朗は自らより先にディルムッドを走らせた。名だたる騎士の脚力を以てすれば、ある程度距離があろうとも確保することは容易い。実際にディルムッドは一秒も経たぬ間に、黒ローブのマスターの懐に入った。
だが、無情にも戦闘開始から約束の一分が経過する。
「すみません、マス……」
ディルムッドは光と共に消滅し、空のオートマタに再び白銀の少女の魂が舞い戻る。
「おぉ、クライマックス半ばに招霊転化のタイムオーバーって所かな、巧一朗。」
「くそっ、セイバーの次はキャスタークラスのサーヴァントか!」
黒ローブのマスターは突然の美少女の登場に狼狽するが、直ぐに切り替えると、再び逃走を図った。
「キャスター、頼む!奴を捕まえてくれ!」
「怪物の成長を見届けたかったが、仕方ないか…」
少女は黒ローブの足を引っかけ、派手に転ばせる。そして離さぬようにとその片足を抱え込んだ。黒ローブは魔術による拘束を受けると踏んでいたが、意外にも少女が力技でこちらを捕らえたことに驚く。そして彼女はサーヴァントにしてはあまりにも、あまりにも非力であった。掴まれた足で暴れ、少女に蹴りを入れると、彼女は呆気なく地に転げ落ちた。巧一朗が追い付く頃には、黒ローブのマスターは既に廃病院を抜け出した後だった。
「巧一朗、すまない。私はか弱き少女だから…ヨヨヨ」
「わざとらしく泣くフリをするな。…これは俺のミスだ。サーヴァントの制圧に四十秒もかかってしまった。」
キャスターは服に付着した汚れを手で払いながら、巧一朗の方をまじまじと見つめる。
「何だよ、キャスター。」
「どうだい、コラプスエゴは災害を殺せそう?」
「…現状は無理だろうな。完成には程遠い。」
巧一朗は頭を掻くと、キャスターと共に鉄心たちが待機しているであろう場所に戻ることにした。
「第四区連続殺人事件、あと少しで全体が掴めそうだ。次の犠牲者が出る前に何としてでも止める。キャスター…お前の思い通りにはいかない。」
「それは楽しみだ。」
巧一朗は白銀の少女の思惑に気付いている。彼女はわざとコラプスエゴを延命させた。彼の知らないところで、彼女は暗躍しているだろう。
その理由は考え得る限り複数あるが、最たるものとして、災害のサーヴァントを超える力の存在をオアシスに誕生させることだ。
彼女が巧一朗と共に戦うのは、最終目標が同じである為。
災害を殺すこと。
彼と彼女は、手段は違えど、オアシスを滅ぼすために戦っているのだ。
※
廃病院での戦いから一夜明け、巧一朗は第四区博物館で備品の整理に明け暮れていた。充幸の指示通り、鉄心と美頼は休日を謳歌している。巧一朗にとって、物静かな充幸と二人で仕事をするのは居心地の良い時間であった。
巧一朗は聖遺物の保管リストや出退勤のデータをファイリングしながら、棚の取りやすい位置に並べていく。ネームカードは洋菓子の入っていた缶ケースに纏め、文具はそれぞれの用途に合わせて引き出しに仕舞い込んだ。普段から整理整頓の苦手な美頼や鉄心に対し、巧一朗はこまめな雑用を好んでいる。だから、言われずとも彼らのデスクもある程度綺麗に掃除しておいた。特に美頼は、大切な入館証まで机に置いて帰る為、誰かが代わりに開けてあげなければならない。巧一朗はやれやれと思いつつ、大切なものは彼女のデスク引き出しに戻しておいた。
「整理お疲れ様です、コーヒーを淹れました。」
「どうも。鬼頭教官も少し休んでください。」
二人はソファーに並んで腰かけると、コーヒーを口に含んだ。巧一朗は頂き物のクッキー缶を開封すると、イチゴジャムの乗ったそれを充幸に手渡した。自らはメイプル風味のものを口に運ぶ。
「巧一朗さんはメイプルがお好きですね。」
「昔は苦手だったんですけどね。そういう鬼頭教官も甘いものには目が無いのでは?」
「私も同じく、甘いものは好きじゃありませんでしたが、そうですね、友人が余りにも美味しそうに食べている所を見て、私も好きになりました。」
「あー、ありますよね。人が食べていると美味しそうに見える現象。何でなんだろうなぁ。」
巧一朗と充幸は互いにスイーツを愛する者として、その話題で盛り上がる。二人とも四区内にある洋菓子店は網羅しており、どこが美味しいかの議論に花を咲かせた。
そして話題はただの雑談から打って変わり、巧一朗の調査している殺人事件の話となる。
「報告で上げた通り、コラプスエゴはまだ完全に消滅していないと俺は判断しています。鶯谷が聞いたところによると、破綻者は災害を超えると発言していました。俺たちの宝具で易々と殺されてしまうサーヴァントが災害のクラスを標的にするとも思えません。加えて、コラプスエゴは特殊な能力を持っていたと鶯谷も発言しています。」
「特殊な能力?」
「ええ、アーチャーと鶯谷が病院から脱出した瞬間、彼らは病院に巻き戻されたそうです。何らかの吸収攻撃であれば、彼らは戻されたということを知覚できる、が、実際は病院から出たと同時に、同じ場所に戻ってきていた。」
「時間干渉、もしくは因果干渉の能力?」
「どちらにしても非常に強力な力ではありますが、それにしては我々の宝具を受けあっさりと殺されるというのは納得がいきません。回数制限のある能力なら、切り札として温存するのが正しい戦い方だ。」
充幸はコーヒーに角砂糖を一つ追加すると、スプーンでからからとかき混ぜた。残ったコーヒーの量を鑑みても、彼女はかなりの甘党である。
彼女がただでさえ甘くコーティングしているコーヒーに更なる手を加える、それはこれから、やりたくないことをやる時の合図だ。
「それはもしかすると外部干渉かもしれません。巧一朗さんが持ち帰った、廃病院に落ちていた謎の物体…使い魔の類でしょうが、それがコラプスエゴに何らかの力を与えていた可能性があります。いえ、きっとそうです。」
「と言うと?」
「この後時間もありますし、一緒に外出しましょうか。丁度彼女から会いたいと連絡を受けていましたし。」
充幸は時計型のデバイスに映し出されたメールを巧一朗の携帯に転送した。送り主はマキリ・エラルドヴォール、何を隠そうマキリコーポレーションCEOである。
「鬼頭教官…なぜマキリと繋がりが?」
「色々ありまして、ね。彼女が四区の殺人事件に関与しているのは間違いないと思います。私の嫌な勘がそう告げているのです。」
充幸はエラルを激しく嫌っている。それはエラルが過去に出会った高慢な性悪女に酷く似ていたから。彼女からのメールはお友達を食事に誘う文面だが、実際は充幸を弄ばんとする罠に違いない。巧一朗は顔の引きつった充幸に困惑しつつも、共に第二区のマキリコーポレーション本社へ向かうことを決意した。
開発都市第二区の中央に位置する、卵の形を模したビルディングこそ、オアシス三大企業の一角、マキリコーポレーションである。アインツベルンや遠坂に比べ規模は小さいものの、知名度は群を抜いている。第二区は災害のアーチャー管理下であるが、アーチャーは都市を治めることに一切の興味を抱かない。その為、基本的にはこの地に住まう人間が統治している。その特性からか、他の都市よりも自由度が高く、歓楽都市としての機能を有している。
だが生を謳歌する自由もあれば、当然人の死もまた満ちているのが歓楽都市の真実であった。
巧一朗と充幸は鉄道から下車すると、最短ルートでマキリ本社へ足を運んだ。仕事以外で来るには、この都市は余りにも性と暴力に飢えている。巧一朗は博物館の任務で慣れたものだが、オペレーターの充幸は滅多に来ることは無い。巧一朗は手早くエラルに会うことを推奨する。
「鬼頭教官は美人だから、夜の街では引っ張りだこでしょうね。」
「出来れば、仕事は選びたいものですね。」
二人は自動ドアを通り、受付の女性にアポイントの旨を伝える。まさか当日に連絡して約束が取れるなど巧一朗は思わなかったが、充幸の持つコネクションの広さが成せる業であるようだ。彼らは早速エラルのいる最上階の部屋に通される。
巧一朗は部屋へ向かう間も、マキリ本社の構造を隅々まで観察していた。警護用のシステムが一面に張り巡らされており、厳重なセキュリティに守られていることが窺い知れる。だがここに来てから一度も英霊には遭遇していない。偶然か、それとも。
「巧一朗さん、もしかしてサーヴァントが一人もいないことに疑問を抱いているんじゃないですか?」
「その通りです、鬼頭教官。アインツベルン製のオートマタが無いことが引っかかりますね。」
「答えは、エラルに会えば分かります。」
エレベーターが彼らを最上階へと誘う。マキリ・エラルドヴォールのみが住まうことを許された最上フロアは、煌びやかな装飾の宛らグランドホテルの体裁であった。成程、充幸は好まぬ趣味である、巧一朗は直ぐにそのことを察したのだった。
巨大なシャンデリアの下、部屋の中央に存在感を放つ噴水があり、そこに淡い緑髪の女が待ち人の到着を心待ちにしていた。
「エラル、久しぶり、ですね。」
充幸がおずおずと挨拶すると、エラルは花が咲いたように笑うと、彼女の細い体を英国流のスキンシップで抱き締めた。戸惑う充幸だが、エラルは中々解放してくれない。巧一朗は居心地の悪さを感じつつも二人の再開を観察していた。
「充幸、会えて嬉しいわ。全然連絡をくれないから心配していたわよ。」
「すみませんエラル。とりあえず落ち着いて下さい。」
「落ち着けるわけがないわよ。久々にお友達に会えたんですもの。相変わらず本当に綺麗。色の異なる左右の目も、綺麗な黒髪も、桃色の毛先も、宝石のような美しさ。あぁ、妬ましいぐらいに羨ましい。」
エラルは充幸の腰まで伸びた髪に触れ、手櫛でそっと撫でた。一方の充幸はハードなスキンシップに顔を真っ赤にしている。そろそろ止めるべきだろう、と巧一朗が思ったところで。
「エラル様、お客様が困惑されております、程々に、ね。」
巧一朗の隣にいつの間にか立っていた白髪の少年が窘めた。
「(サーヴァント?!)」
巧一朗はその存在に全く気付いていなかった。警戒を怠っていた訳では無い筈だが、魔力の波動を感じ取ることが出来なかったのだ。仕事モードで思わず距離を取るが、白髪の青年は無垢な笑顔を巧一朗に向ける。一切の敵意は感じられない。
「すみません、驚かせてしまったようですね。僕はエラル様の専属従者であり、秘書も務めております。バーサーカーのクラスです。」
「そう、バーサーカー、真名は『ロイプケ』。私はクラス名で呼んでいるけれど、皆さんはロイプケと気軽に呼んでいただいて構わないわ。」
「僕はこの通り、しがないピアニストですので、戦闘能力はありません。ただの秘書です。ヒトのように接していただけると幸いです。」
巧一朗は脳内のデータベースでロイプケの名を検索する。
十九世紀に生誕したドイツの作曲家。天才として謳われたが、若くして病に伏す。彼が残したオルガンソナタ「詩篇九十四番」は儚くも激情的に復讐の神へ祈りを捧げるメロディーであり、今なお彼の楽曲は後世に語り継がれている。
巧一朗は意外だな、と感じた。マキリのトップが従えているのが芸術肌のサーヴァントであったとは。無論、彼が未知の能力を有している可能性もあるが、こと戦闘面において正統派とは言い難い従者であるのは間違いない。
「こほん、すみません。こちらも名乗るべきですね。私は第四区博物館の鑑識官を務めております、鬼頭充幸と申します。こちらは展示アドバイザーの…」
「山下良助と申します。」
巧一朗は名刺を手渡す。受け取ったのはロイプケであり、彼は巧一朗の名刺をぼんやりと見つめていた。
「充幸に後輩がいたなんて。良助さん、とおっしゃるのね。私はマキリ・エラルドヴォール。自己紹介はするまでも無いわよね。」
マキリ・エラルドヴォールの名を知らぬ者はオアシスに存在しない。彼女自身そう確信して他者とコミュニケーションを図る。巧一朗がこの地で生きて行く中で決して関わることが無い筈の大富豪が、目の前にいることに不思議な感覚を覚える。
「立ち話もなんだし、ゆっくりお茶しましょ。充幸は私に何か話したいことがあるみたいだし。」
エラルに付いて行く形で、彼らは豪華なテーブル席へ案内された。ロイプケはすぐさまアフタヌーンティーの準備に取り掛かる。用意する全ての物が高価、注ぐ紅茶ですら一杯数万円はする代物だ。
巧一朗は隣に座った充幸を観察する。彼女はこういった場には慣れているのか、意外にも焦っている様子は無かった。それどころか気品に満ちたその様はまるで王族。巧一朗は目の前で出来る上司像を叩き付けられ、思わず姿勢を正した。
「ふふ、固くならなくても良いわよ、良助さん。充幸の後輩なら歓迎するのが当たり前ですもの。」
ロイプケにより卓の上が豪華に彩られてゆく。紅茶にスコーン、一口サイズのケーキ、どれもこれも高級の一言である。英国式のものばかりだが、端の方に日本の和菓子が添えられていた。
「ごめんなさい、私が好きなの、和菓子。」
エラルもまた、充幸や巧一朗と同じく大の甘いもの好きである。特に練り物の和菓子に目が無く、客に振舞うときは必ず最高級のモノを用意することに決めていた。彼女曰く、和菓子友達を増やしたいのだとか。
「じゃあ早速頂きましょう。充幸に良助さんも遠慮なく食べていって。勿論食べられる分だけで構わないわ。」
「では、頂きます。」
充幸が紅茶に口を付けたのと同時に、巧一朗はスコーンに手を伸ばす。狙うは当然メイプルスコーン。彼がこのテーブルで虎視眈々と標的にしていた得物である。
だが彼は隣から圧を放つ少女の眼差しに気付いてしまった。
「(巧一朗さん、がっつくのは止めましょうね。)」
「(でも遠慮なく食べて、と。)」
「(マナーというものをご存じですか?博物館スタッフたるもの下品な振る舞いは許されません。)」
「(いや、でも、メイプル、メイプル)」
「(お下品ですよ、や・め・な・さ・い?)」
彼らは目と目でコミュニケーションをとる。巧一朗は充幸の怒りに触れ、仕方なく紅茶を啜った。
「エラル、早速ですが、今日私がここへ来た理由は一つです。第四区で起こっている連続殺人事件はお存じですね?」
「あら、優雅なティータイムに物騒な話ね。勿論認識しているわ。先日の三社会食も、厳戒態勢が敷かれる中で行われたものね。」
「単刀直入に、この事件に何処までマキリが関わっているんですか?」
正面から切り込む充幸に、巧一朗は思わず紅茶を噴き出した。ロイプケがすぐさま布を用意する、流石執事。
「(鬼頭教官、それはいくらなんでも…)」
巧一朗は充幸に目配せするが、充幸は真っ直ぐエラルを捉えていた。
「(野暮…か。ここは鬼頭教官にお願いしよう。)」
「あら、充幸のそんな顔久しぶりに見たわ。怒っているの?」
「…そうですね。こちらはある程度証拠を押さえています。嘘で塗り固めても無駄ですよ。」
鬼と呼ばれる充幸のオーラは凄まじいもので、エラルの傍に立つロイプケが額に汗を浮かばせるほどである。だがエラルは充幸の迫力に物怖じすることは無い。彼女もまた、修羅場を潜り抜けてきた強き女である。
「博物館こそ、この事件に何処まで関与しているのかしらね。貴方達は別に治安警察でも無いでしょう?災害のキャスターに全てを託せばいいのに、独自で事件を調査しているのかしら?一体何の目的で?」
「私が先に質問しています。それに答えて下さい。」
「もう、怖いわね。良いわよ、ただし、これから行うのは情報の交換、そして共有。当然貴方達も話してもらうわよ。そちらの良助さん、いや、巧一朗さんの事もね。ちゃんとこの場では、マナーを守って、ね?」
充幸は目を丸くする、対して巧一朗は冷静にエラルを見ていた。
「あら、意外と場慣れしているのね。」
「成程、このビルに入った者は思考をスキャンされる訳か。エラルドヴォール、あんた、やけに察しが良いなと思っていたんだよ。どういう原理かは理解しかねるが、あんたがそういう姿勢ならこちらとしてもやりやすい。」
「巧一朗さん…」
エラルは改めて二人の思考の読み取りを開始する、が、巧一朗からは一切の情報が抜き取れなくなる。何らかの特殊な訓練を受けているのは明白だ。一方充幸も、同じく殆どの情報が本筋と関係ないものに置き換えられ、重要な情報の選択が難しくなる。巧一朗はシャットアウト、充幸は情報の過剰供給で、互いにエラルの妨害に努める。
「ふふ、ははははは!博物館って軍隊か何かなのかしら?ただのスタッフが私のマインドリーディングを回避できる訳がない。本当、充幸は面白い!良いわ、情報の交換を始めましょう?私も素直に話してあげるわ。」
こうして彼らの情報交換はスタートする。連続殺人の犯人がコラプスエゴのサーヴァントである点、廃病院を根城に育成されていた点、充幸は時折嘘も交えながら、エラルとの話を進めていく。
「成程、廃病院で博物館のスタッフ二名が偶々巻き込まれた、と。」
「エラル、私が怒りを感じているのは、貴方がコラプスエゴを援護した事実です。具体的には貴方の『波蝕の魔眼』を用いて。勿論、使い魔から複製された魔眼は摘出済み。この援護の所為で、私の部下たちは殺されていたかもしれなかった。」
「それは申し訳ないことをしてしまったわ。もし充幸の可愛い後輩だと知っていたら、魔眼を使うことはしなかったでしょう。本当よ?」
「……何故、コラプスエゴ、連続殺人犯を庇う様な行為を?」
「それは貴方にも分かる筈よ。破綻者を私が庇った理由。」
充幸は考え込む。代わりに、既にその回答を知っていた巧一朗が答えた。
「災害のサーヴァントを超える為、か。」
「流石、あの状況で生還しただけあるわね、巧一朗さん。ザッツライト!マキリは災害の支配からオアシスを解放しようと考えている。」
エラルは巨大なタブレットを用意し、二人にある映像を見せた。これは世の中に出回っていない極秘情報である。
「マキリだけじゃない、アインツベルンもそう。今から見せる映像は半年前、アインツベルンが一区と六区の中間地点に存在する離島で行った実験の記録よ。『英霊統合計画』と呼ばれているわ。」
映像にはアインツベルン製オートマタと、それを調整する研究員たちが映し出されている。巧一朗が判断する限り、このオートマタは最新ブランドより器が大きく構成されている。研究員たちに交じり、アインツベルン家の開発部長、榎田のネームプレートをかけた男が魔法陣の準備に取り掛かっていた。
「榎田さん…ニュースで行方不明になったと報道されていた…」
「そうよ充幸。表向きにはなっていないけど、彼はこの計画の中心人物だった。」
映像は進み、アインツベルンは二つの触媒を用いて、一つのオートマタに二重の召喚術式をかける。本来であればこんなことが成立するはずも無いが、映し出されたアインツベルンの研究者たちは、それが出来ると信じて疑わなかった。
そして彼らはその計画に成功する。召喚されたのは大英雄アキレウスと、同じくその名を知らぬ者はいない、ヘラクレスの統合体。アーチャーのクラスで現界を果たした、被験体名『ヘラレウス』。その圧倒的なまでの巨大なフォルムと威圧感は、災害にも引けを取らない、否、それを超えるものである。だが、映像は彼の召喚に成功した部分で途切れた。
「っ…エラル、この後どうなったんですか?」
「コラプスエゴの事を既に知っている貴方達なら大体予想できるでしょう。ヘラクレスとアキレウスの魂を一つの人形に押し込める訳がない。映像の後すぐに大爆発を起こして消滅したわ。マキリも百の令呪を貸し与えていたけど、制御できるはずも無いわね。魔力でどうこう出来る問題なら簡単だったのだけれど。」
「研究者は、榎田は死んだのか?」
「そりゃあ、まぁ、ね。私からすれば、危機管理能力が無さすぎるわ。」
巧一朗から見て、エラルはどこか楽しそうな顔つきである。彼女がコラプスエゴを観測した理由は、統合計画を真の意味で完成させること、そう彼は結論付けた。
「エラル、貴方は、破綻者のクラスならば、英霊の統合が出来ると考えているのですね。」
「えぇそう。微小霊基とはいえ、既に七人ものサーヴァントを喰らい尽くしたサンプルケースが四区にいるとなれば、それを観察するのは当たり前。幸い、災害のキャスターはこの事件の解決に時間がかかっている。だからあんな所で、名も知らない英霊に倒される訳にはいかなかったの。」
「残念だったな、エラルドヴォール、コラプスエゴは俺たちが倒した。アンタが思っている程、破綻者は強くなかったよ。」
巧一朗はコラプスエゴを倒し切っていない事実を伏せた。彼女にこれ以上、この事件に関わらせる訳にはいかない。
「確かに、良い性能だったけど、見た目がイマイチだったから、別にいいや。恐らくコラプスエゴのマスターも、育成ゲームを楽しんでいる訳じゃなさそうだしね。」
「どういうことだ?」
「事件の被害者は皆、元犯罪者だったそうじゃない?前科が付くと、出所した後も仕事や家などある程度の制限を受ける。勿論、専属従者も例外じゃない。違法触媒を用いていたら話は別だけれど、基本的に前科持ちは一般人より召喚できるサーヴァントに制約が施される。つまり一般人が召喚するサーヴァントよりスキルやパラメータが弱いってこと。コラプスエゴをただ強くしたいだけなら、殺す相手は一般人の使役する従者の方が何倍もいいでしょう?でも敢えて殺害対象を前科持ちに絞っているのは、そのサーヴァントが目的では無いのよ。」
「犯罪者を殺すのは、世直しのつもりでしょうか…」
「さぁてね。人はふとした理由で人を殺す。答えを求めたって理解できる筈は無いのよ。」
エラルは少し寂しそうな表情でそう締めくくった。
マキリ側と博物館は、互いに一部、情報を隠蔽しつつも、大部分を共有した。エラルは充幸の事を友と認識しているようで、今回の事件には不干渉の制約を結んだ。と言っても只の口約束な為、全てにおいて信用した訳では無い。
彼女らが話し終える頃にはすっかり日も沈んでおり、エラルは会社の入り口まで二人を見送ることにした。
だが、充幸とエラルが別れる直前に事件は起こる。マキリコーポレーションの入り口を、目出し帽を被った武装集団が覆っていた。その数およそ二十人。人間と、その従者たるサーヴァントが半分ずつ、エラルにその刃を向け、行く道を塞いでいる。
「何だ、こいつらは…?」
巧一朗は充幸の前に立ち、戦闘態勢をとる。しかし今日は敢えてキャスターをこの場に呼んでいない。エラルを除いて、二人はサーヴァントが傍にいない状態である。そのエラルに付き従うのも芸術家サーヴァント。敵のクラスはその得物を見れば三騎士、圧倒的に不利な状況だ。
「ごめんなさいね充幸、巧一朗さん。偶にこうして直接ビルに突撃してくる集団がいるのよ。運が悪いわね。」
ロイプケは二人をビルの中へ誘導し、代わりにエラルが武装集団の前に躍り出た。
「マキリ・エラルドヴォール、お前が災害どもとつるんでいるのは知っているぞ!天還でヘヴンズゲートへと召された我が子を返してもらおうか!」
「さて、何の事かしら。」
「恍けるな!俺たちは知っている!ヘヴンズゲートなんてもんは存在しない!天還で選ばれた人達はなぁ、災害のサーヴァントに皆殺されちまうんだ!」
「……」
「次の天還祭は明後日に開催される。まだウチの子は生きている。直ちに中止して、返してもらおう!」
「嫌ね、その訴えは災害のアーチャーに言いなさいよ。私にどうこう出来る問題じゃないわ。」
武装した集団はエラルの一言に押し黙る。誰も災害に楯突く勇気は無い。だからこうして、災害に比較的近い存在のエラルに訴えようとしている。エラルはそのことを認識し、深く溜息をついた。
「お前を人質にすれば、災害のアーチャーも考えを改めるかもしれない!大人しく俺たちと来い。交渉が済めばお前も、ビルの中の二人も、大人しく解放してやる。」
武装した男たちとそのサーヴァントはじりじりとエラルに近付いて行く。エラルは改めて溜息をつくと、ゆっくりと右手を上げた。
「令呪を以て命ずる。自害しろ。」
彼女がそう告げた刹那、武装した男たちのサーヴァントは皆、自らの武器で自らを貫いた。その場にいたサーヴァント全員が、血しぶきを上げ絶命したのである。
「は……え……?」
男たちは言葉を失い立ち尽くす。そして如何に自らが愚かであったかに気付き始めた。エラルは敢えて自らのサーヴァントに下がらせ、自らが矢面に立ったのだ。それは自らの力に対する絶対的な自信の表れに他ならない。
「愚かねぇ。貴方達の身体に宿っているそれ、誰が生み出したものだと思っているのよ。」
「令呪…は俺たちの…」
「私の物に決まっているでしょう?マキリの令呪は全て私個人の管轄下にある。そんなことも認識できていないなんて。分かったらさっさと帰りなさい。これ以上攻撃するなら貴方達の命は保証できないわ。」
エラルは充幸と巧一朗の為、道を開けようとする。が、半ば狂乱した男の一人が、ナイフを片手にエラルへ襲い掛かる。その刃はエラルの腹部を貫いた。
「エラルドヴォール!」
ビルの中から様子を見守っていた巧一朗は思わず声を上げた。対し、充幸は冷静に見守る。それはロイプケも同じである。
エラルは血が止めどなく流れる腹部を見ることも無く、自らの右目に手を当てた。彼女は刺されたにも関わらず、楽しげに笑っている。
これから起こる逆転劇に、心を踊らせるかのように。
エラルの右目が青く光を放った。男たちはその光に魅入られるかのように吸い寄せられ、
そして、死んだ。
その場にいた武装集団全員が一秒も経たぬうちに死亡した。
全員が、その腹部をナイフで貫かれる。寸分違わず、エラルが刺された箇所と同じ部分を。
「波蝕の魔眼…」
充幸も、巧一朗もまた絶句する。二人はエラルの実力を嫌と言う程に見せつけられた。
「波蝕の魔眼というのは、波の満ち引きを観測し、波に介入し、その大きさを変動できる目。勿論実生活で使うことなんて無い、私にとっては弱い力だったけれど、令呪に宿る魔力をこの目に集中させることでね、色々なことが出来るようになった。因果に介入し、その起こりと結末を変動させる。今のは因果干渉で主体を客体に変換したの。それも一対一で無く、一対全にしてね。」
エラルは淡々と説明するが、そんなことが当たり前に出来る訳がない。それは人の身を超えた、神の所業である。
「令呪は、何画使用したのですか?」
「うーん、そうね、今回は一人一人に割り振る分、大体二千画程かしら。あぁ、でも安心して。このマキリコーポレーションで稼働している垓令呪システムから自動で使用、生成がされるから。」
「垓令呪?」
「そう、垓って分かる?億、兆、京、の次の単位なのだけれど、私が保有している令呪の総数。それを思うと二千なんて数は使ったうちにも入らないわね。」
「…」
巧一朗は言葉を失う。エラルはたとえサーヴァントが敵であろうとも互角に渡り合える、否、それを圧倒する。オアシスという地で、災害に次ぐ実力の持ち主であると、否応にも認識せざるを得なかった。
マキリコーポレーションの前に転がっている遺体と、スイッチの切れたオートマタは二区の掃除業者が何も言わずに撤去する。改めて、開発都市第二区の闇を、二人は目にすることとなった。彼らも裏社会の人間であるが、四区はここまでの闇を許容していない。これは死に満ちている二区ならばこその光景である。
エラルと別れると、二人はスピードライナーに乗って四区へと帰還する。その車内で、互いに言葉を交わすことはしなかった。戦闘意思は無いが、もしマキリが博物館の敵に回ったら、巧一朗はそのことで頭が埋め尽くされていた。
終着駅は四区の中央街。時間は既に十一時をまわっている。充幸の家は博物館の近くにあると言うので、巧一朗はそこまで送ることにした。充幸は遠慮したが、巧一朗なりの矜持があった。
道中、充幸が不意に巧一朗へ話しかける。
「エラルは強い、でも、災害のサーヴァントはそれを優に超える。ならば、巧一朗さんはもっと強くならなければなりません。エラルに負けないくらい、エラルを圧倒するぐらいに。」
「そうですね。」
「でもそれは、もっと後の話。今はコラプスエゴを殺すことにのみ専念してください。災害のキャスターが真実に辿り着く前に。」
充幸の声には力が籠っていた。巧一朗は彼女の中に渦巻く感情を、誰よりも一番に理解していた。
それは、巧一朗も同じだったから。
「任せて下さい、鬼頭教官。俺が必ず決着を付けます。これは博物館の仕事ですから。」
充幸を家に送り届けると、巧一朗は家路とは逆方向へ歩き出す。
彼は何かに突き動かされるように、目的の場所を目指した。
彼の後ろには、影のように現れ出た、白銀の少女がいる。彼女は巧一朗の顔を眺め、クツクツと笑った。
「どこへ向かうんだい、巧一朗。」
「博物館だ。調べたいことがある。事件の手掛かりが見つかるかもしれない。」
「ふふふ、そう言いつつ、もう犯人の正体に気付いているって顔じゃないか。」
「…まぁな。」
二人は事件の決着を付けるべく動き出したのであった。
※
マキリコーポレーション最上フロア、マキリ・エラルドヴォール自室にて。
博物館所属の二人と別れた後、エラルは一人、タブレットを眺めていた。ロイプケは彼女の様子が気になって、その後ろから彼女へ問いかける。
「エラル様が見ておられるのは、先程ご友人に見せた映像ですか?」
「そうよ。『英霊統合計画』の一部始終。実は彼女らに見せたものには続きがあってね。」
エラルの隣に座り、ロイプケも鑑賞する。被験体のヘラレウスが誕生した後、研究員や榎田はこれの制御に努めた。エラルは彼らに、被験体が大爆発を起こしたと説明したが、実際はそのコントロールに成功している。
「ヘラレウスの歩行、武器の召喚、仮想敵の制圧、全てが上手くいっている…?」
ロイプケは驚きを隠せない。エラルはそんな自らの従者を眺め、面白がっていた。
映像はいよいよクライマックス。カメラ映像は突如、空から飛来する何かを捉えた。それは炎の弾であり、榎田たちの実験施設へ衝突する。これはヘラレウスが放ったものでは無い。研究者たちは半壊する施設の中でパニック状態に陥っている。
その中で、榎田だけは飛来した何かをしっかりと観察していた。榎田が握り締めたビデオカメラに、先程の火球が映し出される。
ヘラレウスを前に、火球は二つに割れ、中から余りにも美しい女が現れた。髪は真っ赤に燃え盛り、その手に持つ巨大な槍は逆に酷く凍り付いていた。
その身に矛盾を抱えた女は、ヘラレウスに目標を定め、ゆっくりと歩き出す。
「災害の…ランサー…?」
榎田は女の正体を知っていた。だが女がこの地に現れた理由を見つけることが出来なかった。
「熱い(さむい)、寒い(あつい)、熱い(さむい)、寒い(あつい)、熱い(さむい)、寒い(あつい)、熱い(さむい)、寒い(あつい)」
女の槍は凍り付き、それでいて、炎を放つ。榎田は圧倒的なまでのオーラを感じ取り、ヘラレウスを捨て逃げる準備をする。だが、彼は、いや、研究者たちも、既に遅かった。この日、この離島に来なければ、命を落とすことは無かったというのに。
『されど災禍は愛故に(インフェルノ・ロマンシア)』
ビデオカメラが映し出した最期の瞬間である。この機械が絶えずその映像をデータとして送っていた為、消滅するまでの一部始終を捉えていたのだ。
「この離島にいた研究者や、元々住んでいた人間、ヘラレウス、全てが彼女に焼き尽くされた。そして今もなお、その炎は呪いのように、禁止区域に指定された離島を燃やし続けている。私も一度空からヘリで観察したけど、凄いわよ?地面が凍っているのに、絶えず燃えているんですもの。しかも、恐らく災害のランサーは力の半分も解放していない。」
「…何者ですか、彼女は。」
エラルは彼女の名を知っていた。愛を知る者、愛に飢えた者、愛を呪う者、彼女ほど愛という言葉を体現した者はいない。
その真名を『焔毒のブリュンヒルデ』。愛を欲し、愛を殺す災害である。
【観測者編③ 終わり】