ついにキングビー編、開幕です!
プロローグはサハラの聖杯戦争の物語。
次回章は現代に戻ってきます。
感想、誤字等ありましたら、ご連絡ください!
【キングビー編 プロローグ『エピソード:サハラ』】
「『解き放たれし者(パンバ)』たちは神と共にあった。ヒトはヒトの臨界へと至った。我らは幸福に満ちていたのだ。『白き巨人』が現れるまでは。」
「嗚呼、テスタクバル、貴殿の祈りは一族の祈り。鍵を託そう、鍵を託そう、理想郷はここに蘇る。」
「幸福の満ちた世界へと、進化する為に。」
テスタクバル=インヴェルディアこそは、アトランティス文明の末裔、孤独なる開拓者。
彼はその目で嘆きを見た、悲しみを見た、滅びを目の当たりにした。
愛の神々がひび割れ、崩れ去る。黄金の線が張り巡らされ、大地を、海を、空を、殺し尽くした。
止まらない蹂躙、止まらない滅亡。彼の緑の眼は、その場に立っているかのように、地獄のビジョンを映し続ける。
「ヒトの創りし『凍結機体』を起動させよ。コードネーム『ディートリヒ・フォン・ベルン』。神の加護を受けた彼女ならば、巨人を葬る聖剣を手に出来る。」
誰かがそう叫ぶ。だが、混沌とした状況で、その声は誰の耳にも届かない。
テスタクバルは知っていた。白き巨人の滅びと、それに付随したもう一つの物語を。
白き巨人は、星の祈りを一身に込めた一振りの聖剣に敗れ去り、サハラに埋没する。
だが、ヒトの臨界へと至る者達は、妖精の剣とは異なる所で、一つの可能性を造り上げていた。
ヒトの手により生まれし兵器にして、世界を救済すべく誕生したデウス・エクス・マキナ。その名は『ディートリヒ』。あらゆる神造兵器を使いこなし、星の成長を促す存在を受け入れ、外敵となる要因を根こそぎ排除する、地球そのもののファイアウォール。
母なる神々が万が一にでも、敗れ去った時の為の、『ネクストプラン』であった。
———だが、白き巨人を前にして、彼女が解凍されることは無かった。
白き巨人が死したことで、彼女という兵器は表舞台に立つことなく、その生涯を終えた。
それを不憫に思ったのか、大陸の生き残り達は、彼女を主役とした物語を後世に語り継ぐ。
『シドレクス・サガ』は、彼女への餞として誕生したストーリー。巨人が有し、巨人を殺す魔剣『エッケザックス』は、白き巨人をモチーフに書かれたものだ。
即ち、ディートリヒ・フォン・ベルンは虚構の物語。彼女という存在はフィクションでしかない。
凍結機体は、一度も目を開くことなく、その役目を降りたのだから。
テスタクバルは静かに目を閉じる。
これ以上の干渉は、彼自身を滅ぼす。彼がいまここで死に絶える訳にはいかない。
彼はワダンにて建立された『王』の城の中で、椅子に腰かけ、呼吸を整える。ユネスコ世界遺産のこの土地に堂々と己の我欲に任せて城塞を築いたのだから、何とも自由気ままな王である。
彼の王にして、アサシンのサーヴァントは『蛇王ザッハーク』。ペルシアの叙事詩『シャー・ナーメ』に登場する、悪逆の王だ。悪霊の呪いで両肩に巨大な蛇を宿してしまった彼は、国の青少年の脳髄を食らいながら、勇者フェリドゥーンが現れるまで恐怖政治を続けたのである。
アラビアの過酷な土地で生まれ育った彼は、知名度補正こそ得られないものの、こと戦いにおいては土地勘を生かした戦術を組み込める、軍略に長けた将校だった。テスタクバルは彼というカードを引き当てたことに、勝利を確信した程である。
だが、今のテスタクバルの彼に対する期待、評価は、少しばかり異なっている。
テスタクバルは王の間へと足を運び、その戸に耳を押し当てた。
中から聞こえてくるのは、女の喘ぐ声、男女の営みが、毎日のように繰り返されている。
蛇王ザッハークと身体を貪り合っているのは、此度の戦争の監督役、ルーラーである。
男を惑わす色気を放つファムファタールは、ザッハークのお眼鏡に適い、第二の生にて妻として迎えられた。
邪悪と威厳に満ちた一国の王は、汚れた女の肢体に骨抜きにされたのである。
戦争などそっちのけ。城の外へ目を向けることもなく、彼女の乳房に溺れている。
テスタクバルは英雄を敬うことなど無かったが、この件で心底嫌悪した。アジダハーカと呼ばれる毒龍に生まれ変わると言い伝えられる反英雄も、女を前にこの体たらく。理想に準ずるテスタクバルには到底理解できない。
「英霊なんてものは、どいつもこいつも」
理想郷にて、世界の全ての民を解き放つ。ヒトは、必ずアトランティスへと帰って来る。
サハラの目は既に開かれている。テスタクバルの祈りは、必ず届く筈なのに。
「男と女、互いが互いを求めるのは、動物的本能に依るものだ。英雄であろうと変わらないし、むしろ、英雄色を好む、だろう?」
テスタクバルの背後に突如現れた男は、ズボンのポケットに両手を隠しながら、不敵な笑みを浮かべている。
水夫のような、海賊船の船長のような、不思議な見た目の青年は、その軽い口調とは裏腹に、れっきとしたサーヴァントである。
当然本陣に敵サーヴァントが乗り込んでこようものなら、即座に臨戦態勢を取るべきだが、幸い、彼らは共闘関係にあった。
「ライダーか。君に用事は無い。」
「ツレないことを言わないでくれ。オレはアンタを買っているんだぜ。」
テスタクバルが日本から連れ去り『改造』した少女、『遠坂輪廻』。彼女が召喚したサーヴァントこそ、このライダーである。
輪廻という聖杯が呼び出したのは、史上最悪の『呪い』であった。その真名をテスタクバルが知った時、その運命を悔やんだものである。
だがライダーは不思議にも、『呪い』らしからぬ好青年であった。海をこよなく愛し、船旅こそ望む冒険家。過去に捕われることなく、常に己の明日の為に生きている。
「知っての通り、オレは情欲に塗れている。男も女も、オレの愛する者は全て、一夜を共にしたいと思っているよ。勿論、テスタクバル、アンタも例外じゃないさ。」
「辞めてくれ、気持ちの悪い。」
「愛とは自由そのものだ。元来、『死』の逆は『生』でなく『性』であるとオレは説いているけどもね。愛を語り、紡ぎ、子孫を反映させることこそ戦争の対義語になる。ヒトが争いを止めることは無い。なら、全滅しないように増やしていくことこそ生物としては正しいのさ。まー残念ながら、オレの舟には定員という概念があってね、数には決まりがあるのだけど。」
「ライダー、輪廻を抱いたのか?」
「あぁ。四六時中抱いたさ。オレが最も愛する女だからこそ、無限に物語を語ることが出来る。」
テスタクバルは爪を噛んだ。
輪廻という純粋なる聖杯に、呪いの染みが付くことはいただけない。
聖杯としての機能に支障をきたすならば、ライダーを殺してでも止めなければならない。
無論、テスタクバルにライダーを殺す術は無いのだが。
「アサシンは、王であることを捨ててしまったようだな。オレはあの男のことも嫌いじゃないが、アンタに見向きもしないのは、サーヴァントとしてどうかと思うぜ。」
「……必要とあらば、令呪を使用するつもりだ。立場を分からせる為に、な。」
テスタクバルの手の甲に浮かび上がる三つの痣。左右対称の紋様は、彼の生き様をよく表せている。
ライダーが輪廻の手を握り締めた時、彼女の令呪は悍ましい形をしていた。左右バランスの崩れた、まるで獣のような印。遠坂輪廻という少女の歪さを示す。
テスタクバルに従事する輪廻、だが二人の願いは決して相容れない。いつかは、互いに敵同士として立ち塞がるのだろう。
「ライダー、油を売っていないで、使命を果たせ。聖杯戦争は始まったばかりだ。この広大なサハラの地で、幾日もかけて殺し合う訳にはいかないだろう。長期戦で消耗するのは誰もが同じだ。」
「そうだな。オレは名もなきオアシスへ戻るとするよ。リンネもそこで待っている。」
ライダーはそう言い残し、踵を返した。
冷ややかな城の外は、焼けるような砂世界。サーヴァントならば暑さも感じないが、視界に飛び込む全ての情報が、彼の肌に汗を滲ませるよう。
ワダン要塞遺跡、そして旧市街の外へと歩き進むと、目元以外を布で隠した武装集団が彼の前に姿を現す。
サブマシンガンの銃口を彼に向けると、両手を挙げるように指示を下した。
余りにも突然の、現代人との邂逅に、ライダーは驚きつつも口角を上げている。
この武装集団は紛争地帯からサハラを車で渡って来た。ワダンに築かれた堅牢な城についての情報を独自で入手し、偵察、挙句は占領を目的に出撃したようだ。
彼らの母語は特殊なものではあるが、聖杯から与えられる知識により解読は可能であった。
民族衣装を纏わない水夫を不審に思っているようで、殺害も止む無しと報告を行っている。
ライダーは困った様子で、頬を掻いていた。
「お前は、どこの国の者だ。」
武装集団の一人がそう問うた。彼らはとある宗教組織に属する者達。集団としての意識が強く、所属を明かせない者には手厳しく当たるのだろう。ライダーは少し考えた後、『海の中』とはぐらかす。
無論、彼らが嘘ですらない煽りを許す筈も無く、合図と共に一斉射撃に転じた。
近代兵器などではライダーを傷つけることは叶わない。何よりライダーがそのことを知っている。
だから彼は敢えてそれを避けることをしない。飛んでくる鉛玉を指でキャッチしては、それをかなぐり捨てていく。
目にも留まらぬ速さで百の弾丸をはじき落した。
「お前は、何者だ」
武装集団はライダーの超人的な様に怖気づく。自分たちがいま殺そうとしていたのは、彼らの信じる大きな者に近い人物であるかもしれない。ならば彼らの聖戦に意味など無く、尻尾を巻いて逃げるのが最善手である。
そしてライダーもまた、戦闘の意思を見せていない。彼にとって敵も味方も、等しく彼の舟の船員だ。現代を生きる若者たちというのは、それだけで価値ある存在である。ライダーの身勝手で殺すのは、余りに快楽的かつ短絡的だ。
「アンタらは、神様って奴を信じているのか?」
ライダーは問いかける。彼らは一大宗教組織の過激派集団であるとみた。己が、家族が、親友が、生き残るために聖戦を繰り返す。神の前で生きる為に血を流すことを誉とする。そして、死にゆくこともまた、誇りである。
ライダーは今を生きる者たちへ、聞かなければならない。
神とは、彼らにとってどれ程の存在であるかを。
「俺たちは…………」
武装集団の一人が銃を捨てた。
そしてライダーの真剣な瞳に吸い寄せられるように、顔に纏う布を引き剥がし、口を開いた。
仲間たちもまた続く。彼らには、ライダーが大いなる者の様に見えたのだろう。
止まぬ銃声、壊れ続ける街、彼らは命を賭して戦いつつも、どこかで生き残る道を探していたのだろう。
ライダーは一人一人の顔を見つめた。そしてニッコリと微笑みかける。感情を見せぬ為に口元から額を覆った布切れが取り払われると、これほどまでに溢れてくるものがあるのかと。
充分だ、彼らの神は実在し、彼らを守っている。故に今、彼らは生きているのだ。
「俺たちは、ズエラットから…………うぐぇああああ!」
それは刹那の出来事であった。
ライダーの目の前で、武装集団のうちの二人の青年が、空から現れた二頭の巨大な黒蛇に噛みつかれたのだ。
空へと引かれるように宙へ浮かび上がりながら、青年たちの脳髄は蛇に啜られる。
後のメンバーたちも同様、巨大な怪物の手にかかり、瞬く間に殺害された。
ものの数秒の出来事だ。今を生きる若人の命が、いとも容易く刈り取られたのだ。
「…………蛇」
「ワダンの地は、余の領土となった。ならばこそ、侵略者は排除する。」
ライダーは威厳ある男の声に振り向いた。
建立された城塞の頂上、一人の巨漢の両肩から、人体をゆうに超える巨蛇が生え、うねうねと動き回っている。
先程まで、聖杯戦争のことなど忘れ、女の肢体に虜になっていた男だ。ライダーにとっては、共闘関係にあるサーヴァント。
黒い髪をオールバックにし、上半身が裸のまま、二頭を意のままに操っている。そのフォルムを見れば、誰であろうが真名の察しはつくだろう。
蛇王ザッハーク、その人が、自ら侵入者を排除した。
「彼らは確かにアンタの城に無断で立ち入ろうとした。だがオレがそれを止め、触れないように説得するところだった。……只の人間を殺す必要は無かったように思えるが?」
「ライダー、余にとって今の行いは只の『食事』だ。蛇は常に腹を空かせている。若い男の脳を求めている。」
「ああ。それこそがザッハークだったな。だが、今のアンタはその呪われた運命の外側にいる筈だ。『補給』をせずとも、死ぬことは無い。」
「そうさな。サーヴァントにとって食事は不要だ。ならば貴様は余の行いをどう捉える?」
「軽蔑すべき快楽殺人だ。偉大なる王が手ずからするものじゃない。」
「偉大なる王ときたか。心にも無いことを!」
アサシン、ザッハークは神殿から跳躍すると、ライダーの元まで瞬く間に舞い降りた。
そして目と鼻の先で彼らは睨み合う。アサシンの肩から伸びた蛇が、ライダーの頭上に涎を零した。
「ライダー、余は貴様を知っている。テスタクバルは貴様を災厄のごとく扱うが、余は異なる。貴様は哀れな被害者だ。それも、不届き者の類さ。ザッハークこそが虐げてきた臣民どもと何ら変わらん。貴様は勇者では無い。」
「それはそうさ。オレは一般人だからな。」
「余と共闘などと、笑わせる。そも、貴様がいなければ、ペイヴァルアスプと呼ばれた余こそがライダーの霊基を以て召喚される筈だったのだ。乗る馬も、戦車も、舟も持たぬ貴様が、余の顔に泥を塗っているのだと未だ気付けぬか?」
「あぁ、全くその通りだ。かの邪知暴虐の王様が、暗殺者の位とは、思わず吹き出してしまう。」
アサシンはライダーの態度に、怒りを爆発させる。
共闘関係にある二人のサーヴァントはこの瞬間、ワダンにて戦闘を始めた。
ライダーは輪廻とテスタクバルの反応が無いことを気がかりに思いつつ、目の前の強力な英霊への対抗札を思案する。
アサシンは両肩の蛇を軸に、バネのように伸縮、後方へと飛び去ると、何らかの詠唱を始めた。
蛇王ザッハークは、間違いなく、このサハラにおいて最強の名を冠している。
『苦痛とは熱より来りて(アジ・タルウィ)』
ザッハークの詠唱と共に、ワダンの枯れた大地に緑豊かな植物が生い茂る。それは水を与えずとも、ものの数秒で開花し、毒牙持つ食虫植物へと進化する。ライダーの足元にもツタが伸び、彼の肉を解体すべく、美しい花園に投げ入れた。
この植物の花弁一つ一つに、霊基を溶かす毒牙がびっしりと備え付けられている。その一本にでも触れれば、徐々に霊基を蝕み、霊核をも溶かし切るだろう。
「っ!」
ライダーは空中で足を掬うツタを振り解き、大きく回転しながら着地する。まだ苗が成長過程の範囲に足をつけ、そして再び大きく後退した。彼の着用していた雲の色をしたジャケットも、回転した際に脱げ落ち、植物の肥やしとなってしまった。
ザッハークの恐ろしき対軍宝具に、ライダーも冷や汗をかく。無論、これはアサシンにとって挨拶程度のものだろう。序の口も序の口、彼の真価はこれだけで留まらない。
「やがてワダンの地、全てを余の宝具が埋め尽くすぞ。足の踏み場も無かろう。」
「アンタのお気に入りの女も巻き込んで、か?」
「くく、ナナには余の力の一部を譲渡した。余の発する毒がその体内に流れておる。あの女は死なんよ。」
「そうかい。じゃあテスタクバルを巻き込まないよう気を付けるんだな。」
ライダーの足元から毒花が繁殖する。
彼は急ぎ、隣の岩場に飛び移るが、その場所も既に芽が出始めていた。
彼は両手をズボンのポケットに仕舞い込み、思案する。
大地ある所に花は芽吹く。取れる選択肢は三つ。
空に浮かぶか、焼き払うか、アサシンを殺すか。
ライダーはこの聖杯戦争で最も弱いサーヴァントだと自負している。未だ出会ったことの無い強者たちを前に、彼が出来ることは少ない。
名もなき英霊であろうとも、ライダーは容易く敗北するだろう。
現に、ザッハークの肩慣らし程度のお遊びに、涼しい顔をしているが、内心慌てふためいている。
愛すべきマスターを、輪廻を、守ることが果たして出来るだろうか。
「…………」
「何を固まっている。余は次の遊戯を始めているぞ?」
ハッとしたライダーが声の主の方へ顔を上げると、アサシンは新たなる魔法陣を築いていた。
アジダハーカにやがて生まれ変わるとされた王は、キャスターさながら、次々と強力な術式を展開する。
ワダンの大地に生い茂る緑が、徐々に赤黒く変質する。そして数百のツタは蛇へと生まれ変わり、うねり、動き始めた。
『苦痛とは渇きより来りて(アジ・ザリチュ)』
タルウィとザリチュ、二柱の怪魔が揃いし時、失楽の箱庭が完成する。
ザッハークはワダンそのものを固有結界の如く、己の魔術で塗り替えた。毒草と毒花、毒蛇が狂い咲く、赤一色の世界。
もはやライダーに逃げ場は無い。ワダンにいる者は、ザッハークの認める者を除き、全てが加齢と老衰で死に絶える。
酷く、楽に、安らかに、死んでいく。ライダーの肉体から生気が吸い取られ、大地に飲み込まれていくのだ。
こうなると宙に浮かぼうが関係ない。ワダンそのものから脱出しなければ、ものの数分で霊基は消滅する。
無論、これは結界では無い。土着した魔術であるからこそ、サハラ砂漠という出口がある。
だが、アサシンは愚かでは無かった。逃走するライダーの道を阻むように、草木の壁を築き上げる。
飛び去ろうとも、壁を走ろうとも、抜け出ることは叶わない。一人の水夫を殺すために、アサシンはいとも容易く大魔術を行使した。
これこそがザッハーク。サハラの地で、彼を殺す者は誰もいない。
「ライダー、貴様の負けだ。」
アサシンにはまだ、第六までの悪魔降臨術式がある。
そしてそれらもまた、余興。己の限界を超えるその時、終末術式は花開く。
毒が世界を満たし、三つ首の邪竜が顕現する。アトランティスのマナがそれすらも可能にした。
この地に勇者はいない。蛇王の天下であるが故に。
「何だ?」
ライダーは植物の壁にぶら下がり、毒牙に苛まれながら、あるものを取り出した。
それはザッハークの思考の外にあるものだ。何故、今ライダーが『ソレ』を有しているのか理解が出来ない。
歴史上、彼がそれを所持したという記録は無い。それどころか、全くもって関係の無いものだ。中国神話に十字軍が登場するようなもの、整合性が取れず、物語は破綻する。
「ライダー、貴様…………まさか」
嗚呼、間違えていた。
蛇王ザッハークは認識不足であった。
ライダーの霊基を以て召喚されたサーヴァント。
彼の名は〇〇〇、物語の被害者にして、読者を笑わせる道化師に過ぎない。
だから履き違えていた。
『呪い』の意味を、理解していなかった。
有り得るのか、と自問する。アトランティスに通じたからこそ、サハラに奇跡が宿り締めたのか?
否、否、否
必然だ。〇〇〇の呪いは、この現代にも残り続けている。
彼を、彼たらしめるのは、全ての人間が心の内に有するもの。
『信仰』なのだ。
『信仰』あるところに、〇〇〇は蘇る。
「アサシン、オレの宝具を、見て行けよ。」
ライダーが取り出したのは『箱』だ。
それこそは契約宝具。その中身はモーセの十戒が刻まれた石板である。
これをワダンの大地に落としたことで、その効果を発揮する。
『契約の箱(アーク)』
箱が開かれることはない。
ただそこに在るだけで、宝具は起動する。
二柱の悪魔宿りし失楽園は、瞬く間に消滅する。
この箱は、『魔力そのものを焼き尽くす』。
ザッハークの異常な魔力は、この箱にとって格好の標的だ。
アサシン自らも、意識を強く保たなければ、箱に肉体諸共吸い寄せられてしまう。
触れれば即死、極めて小さなレンジに入れば、肉体の半分は砕け散るだろう。
「貴様の正体は…………!」
「オレの名は〇〇〇だ。何度だって教えてやる。只の一般人だよ。」
ザッハークは六の悪魔を武器にするのは辞め、直ちに終末の刻へと至るカウントダウンを開始する。
邪竜アジダハーカの毒を以て、ライダーの呪いを制する。
やらねばならない。気を抜けば、ザッハークは喰われる。
無論、ザッハークは易々と邪竜転身術式を発動できない。これは真に最終手段なのだ。これを行使する時、彼の自我は消滅する。それでも、そうだとしても、王ならば、立ち上がる必要がある。
「余が、この世界を救う。」
悪逆の王にそう言わせてしまう程の緊急事態、彼は最終進化を遂げる覚悟を見せた。
ライダーには世界をどうこうするつもりは全くない。彼のただ一つの望みは、仲間たちと、輪廻と共に、船旅に出ることだ。だがもしアジダハーカが目覚めるならば、英霊として、これを止めなければならない。
「アサシン、アンタ……」
「ライダー、勝負だ。余が貴様という呪いを払ってやろう。」
二人は睨み合う。その覇気が、ワダンの地を震い上がらせる。
あと数秒後、サハラは悲鳴を上げる。そのときだった。
「…………………………は」
アサシン、蛇王ザッハークは肩の蛇で、自らの心臓を貫いた。
飛び散る血液と、砕け散る霊核。
彼は己の手で、己の心臓をもぎ取った。
「アサシン!?」
「…………これは」
それは絶対命令権、三つの赤い痣を重ねて放たれた、マスターからの祈りであった。
ザッハークの自害命令。アサシンは、テスタクバルの願いを聞き届けてしまった。
「な…………テスタ…………クバル…………な……ぜ?」
アサシンがその場に崩れ落ちるその瞬間、彼の下敷きとなった人物がいた。
何を隠そう、アサシンのマスター、聖杯戦争の立役者となったテスタクバルである。
ザッハークは薄れた視界で、テスタクバルを捉えた。
彼もまた、自分同様に胸から血を流している。
令呪を用いた命令を下した後に、彼もまた命を絶とうとしたのだ。
アジダハーカを使わせない為か?
テスタクバルの意図が見えない。
既に彼は息絶えている。ザッハークを大地に着かせない為に、己が下敷きになって、息を引き取った。
テスタクバルは悪態をつきつつも、この王を信頼していた。だからこその配慮と言える。
で、あれば、何故?
その答えを知らぬまま、ザッハークは消滅した。
サハラの聖杯戦争、最初の脱落者はあろうことか優勝候補の二人。
ライダーは呆気にとられつつも、彼らの背後から現れた影を見逃さなかった。
「ルーラー、アンタがやったのか?」
赤髪の踊り子は血に塗れながら笑顔で頷いた。
ザッハークがライダーと戦闘する最中、テスタクバルもまた、彼女の寝室に誘われた。
そして、堕ちてしまった。
テスタクバルに令呪を使わせたのは彼女だ。そして、ザッハークの死を確定させたのちに、彼を殺害した。
「裁定者が聖杯戦争を搔き乱すことは、許されているのか?」
「うーん、私はただ彼に、令呪を使うようにお願いしただけだし、実際に使用した後、魅了が解けちゃったから、彼は私を殺そうとしたの。だから自分の身を守る為に、ナイフを突き刺した。正当防衛なの。」
ルーラー、ナナはライダーの元へスキップで駆け寄った。
そして笑顔のまま、彼の前でくるくるとターンしてみせる。
「ねぇ、見て。肩と背中から蛇が生えてくるの!凄いでしょ?」
「ザッハークの力、か」
「うん、そうなの。私が蛇王ザッハークを名乗っても良いのかしら。ふふふ、私ってのも変よね、余、って一人称に変えるべきかしら。」
「アンタの目的は何だ?」
ライダーはナナの顎に指を這わせる。すると彼女は撫でられた猫のようにくすぐったそうに照れていた。
「私、貴方が好きなの。」
「オレが?」
「うん、でも私には力が無い。貴方の隣に立つ資格も、無いから。だからアサシンに力を借りた。きっと貴方の役に立つわ。」
ナナはライダーの胸元に飛び込み、彼の温もりに体を預けた。
ファムファタール故のスキル、宝具の使用は認められない。嘘か真か、それはライダーの判断に委ねられる。
無論、彼は信じないが、それでも、拒む気にはならなかった。
輪廻という牙城さえ崩れなければ、ライダーがナナに心を奪われることは無い。
「オレから言えることは一つだ。もしオレを愛するというなら、オレの為すことを見ていてくれ。船旅に出ることが叶うならば、アンタは船員としてオレの舟に乗ることになるだろう。」
「そう。」
ナナはライダーの胸から離れ、儚い笑みを零す。
ライダーは不意に、こういう顔も出来るのだ、とナナへの認識を改めた。
「ところで、ライダー。ザッハークの宝具だけれど、一度消し去ったからと言っても、全てを抹消したことにはならないわ。彼の悪魔はひとたび顕現したなら、何度でも芽吹く。ワダンという領地は、やがて滅び去るでしょう。」
ナナの立つ大地に、再び草木が生え始める。大地そのものを蝕む毒は、アサシン死すれども止まらない。ワダン一帯を侵食し、そしてやっと役目を終える。この場所に留まり続けるのは危険であると諭した。
ナナはザッハークの力の一端を譲り受けている。が、ライダーは違う。
彼女は彼の背を押し、ワダンの外へと出るよう促した。
「ルーラー……っ!」
「絶対生きてまた会えるって、信じてる。ライダー、今度はテルジットで会いましょう。」
ナナはライダーをワダンの外へ追い出した。そして植物の壁はどこまでも空へと伸びていく。
彼は彼女を置いたまま、サハラ砂漠へと一人歩いて行った。
そしてナナは、『自分が発動したザッハークの宝具』を解除した。
アサシンが死んだその時、彼の悪魔もまた消滅していた。ライダーに嘘を付き、彼をワダンの地から追い出したのだ。
彼女の目的はただ一つ、先の戦いでライダーが使用した宝具である。
この箱に近付けば、ナナはひとたまりも無い。ならば、彼女が魅了した数十の現地民を呼び寄せ、魔力を持たぬ人間たちの手で、箱の置かれた土地ごとくり抜き、運び出した。
この箱はライダーが生きている限り存在し続ける。ナナが彼を生かし、ザッハークを消滅に追いやったのは、この箱の為。
「ふふふ、ダビデ王の有した『魔力ごと焼き尽くす箱』かぁ。凄く、凄く、面白そうね。」
彼女は大型トラックの荷台に乗せられる箱を見つめながら、不敵な笑みを浮かべていたのであった。
※
薄汚れたローブに身を包んだ青年、間桐巧一朗が、一人砂漠を歩いている。
視界の先、どこまでも続く砂の世界に溜息を貰いつつ、それでも、安息の地を求め進む。
ある日、冬木の自宅に届いた、聖杯戦争への招待状。
それは彼の母、間桐桜に当てられたものだった。遠坂輪廻の身柄を拘束している旨が記載された手紙と、一枚の航空チケット、モーリタニアへ向かう便のみで、帰りのものは用意されていない。
見え見えの罠に、桜は一切動こうとはしなかった。祖父が死に、親族が死に、ようやく手に入れた幸福を手放す気にはなれなかったのだ。
だが、彼女とは対称に、巧一朗はチケットを喜んで手にした。蟲蔵の饐えた匂いから、ようやく脱出することが出来るのだ。
正義のために魔術を行使する、臓硯や桜のようには生きたくない。
彼の一世一代の家出は、彼の願いを叶える為のもの。
桜の、本当の息子となる為に。生まれてきて良かったと、言って貰う為に。
彼は『人間になること』を望んでいた。
彼は桜の胎内で培養された虚行虫。桜の虚数魔術をその小さな身体に宿した、最優秀個体。
臓硯の生み出した数百の個体のうち、生存したのはたった一匹であった。
死んでいった虫たちに、兄弟や家族の認識は無い。桜をモデルケースに、ヒトを学んだのは生まれて数か月のことである。
後にダイダロスの迷宮でオリハルコンを取り込むまで、ヒトモデルの人形と数十の虫を吐き出した糸で繋ぎ止め、仮初の肉体としていた。
だが小さな身体であろうとも、彼は間違いなく魔術師である。
虚数魔術、縫合魔術、その特異性は冬木の魔術師でも群を抜いている。無論、彼が他の魔術師と交流を持つことなど無かったが。
不可視の糸で、あらゆる存在、あらゆる概念を無理矢理に結びつける。開発都市オアシスに至る前は、己で製作した不出来な人形に英霊の記憶を当てはめ、マリオネットの如く行使していた。到底、他の魔術師に及ぶ才能では無かったが、叶えたい望みの為に、出来ることをするしか無かったのだ。
三日前、モーリタニアの地で、彼は初めての英霊召喚を試みた。
触媒は間桐の家に保管されていた一本の剣の折れた先端。セイバークラスが呼び出されるかもしれない。その可能性に賭けてみた。
「召喚に応じ参上した。我が名はセイバー『ディートリヒ・フォン・ベルン』!貴殿が私のマスターか?」
結果は成功、の筈だ。
確かに彼は歴史に名を残す、最高のカードを引き当てた。が、しかし、冒険者で勇者の彼女はヒトの手本となる快活さを有している。
強者との勝負に拘り、第二の生を気ままに生きていた。
巧一朗がコントロール出来ぬほどに、自由だ。
いま彼が砂漠の中を一人歩き続けているのは、どこかへ旅立ち、他サーヴァントと小競り合いするセイバーを探してのものだった。
圧倒的なまでの魔力消費に、巧一朗の身体は限界を迎えている。彼の抱える器は他の魔術師に比べ明らかに小さい、そのことも拍車をかけていた。
「くそ……セイバー……」
このサハラは余りにも広い。
自分がいまどこにいるのかさえも理解できない。
水を、蜂蜜を、求め彷徨う。
陽の光に身体を焼かれながら、一歩一歩、前へと進み続けた。
「あ」
ぼやけた視界に映り込んだのは、太陽光から身を護る安地、小さな暗がりの洞窟である。
休憩するには丁度いい。猛獣の住処であろうとも、気にしている余裕は無い。
彼は洞窟へ向け駆け出した。酷く近く、それでいて遠くに感じられる距離であった。
懐中電灯が無ければ何も見えないような暗闇だが、徐々に彼の目も慣らされていく。
そして奥へ進めば進むほど、空間は開かれていく。
誰かが、ここに住んでいるのだろうか。
警戒しつつ、巧一朗は歩いて行った。
そして、彼は人の気配を察知した。
洞窟内にまさかの溜池が存在し、何者かがそこで水浴びをしている。
それも只の人間では無い。恐らくはサーヴァントだ。
神々しいまでのフォルム、そして透き通るような白き肌。
ヒトの二分の一程度の生殖本能を持つ彼も、瞬く間に恋に落ちてしまう程だ。
だが、神話とは決まって、女神の肌を覗いた者に神罰が下る。
彼は恐る恐る後退し、外の世界へ出ようと試みた。
が、時すでに遅し。艶めかしい身体を露わにした美少女は、通りすがった巧一朗の影を捉えていた。
「誰?」
優しい声色で問われる。
巧一朗は足を震わせた。己の令呪の使用も検討に入れる。ディートリヒであれば、この状況を打破できるだろう。
「(元はと言えば、セイバーの所為、なんだけどな)」
巧一朗は声を絞り出せずにいた。英雄への憧れと、畏怖、両方が彼を緊張させる。
「シグルド、なのかしら?」
英雄シグルドの名を、彼女は口にした。
無論大英雄はここにいない。在るのは一匹の虫。穢れた虫風情。
だが否定することすら、今の巧一朗には出来なかった。
そして遂に、少女は一枚の布を纏い、彼の前に姿を見せる。
その手には、ヒトの背を超える長槍が握られていた。
ランサーのクラスで現界したサーヴァントだ。巧一朗の腰は抜ける。
ディートリヒを呼ばなければ、待っているのは『死』。
だが身体の震えが止まらない。どうしていいかも分からない。
子ネズミのように震え固まる巧一朗に、ランサーは一歩一歩近付いて来る。
「貴方は……」
「え…………っと、あの…………」
ランサーは紫の眼で彼を見つめ、そして、腰の抜けた彼に飛びついた。
そして抱き締める。
巧一朗は状況を理解できぬまま、数十秒固まった。
「やっと会えました、私の、私のマスター」
「へ…………?」
一体どういう因果か。
巧一朗が思わず一目惚れしてしまった少女は、彼をマスターと認め、抱き留めた。
彼女の召喚者は、何処かに消えてしまった。
サハラの地で孤独だった彼女は、ようやく、己の主人に迎えられたのだ。
そして、彼女にとって彼はこの瞬間、唯一無二の愛すべき男に代わる。
彼女へ一度も振り向くことなく、迎えに来ることも無かった、シグルドとは真逆の存在であると。
「えっと」
「すみません。嬉しくて、つい。」
この出会いから、物語は始まったのだ。
彼女こそ、巧一朗と世界そのものを狂わせる張本人。
「私はランサーの霊基を以て、貴方の召喚に応じたサーヴァント、その名を『グズルーン』。」
———きっとこれは、世界を滅ぼす『恋』なのだ、と。
閑話休題
物語は、再び現代へと巻き戻る。
【キングビー編 プロローグ『エピソード:サハラ』 終わり】