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初めて読まれる方は是非プロローグから!
【観測者編④】
深夜一時を過ぎる頃、巧一朗は博物館の資料室でひたすらに情報の取捨選択を行っていた。この第四区博物館に貯蔵されているのは聖遺物のみに非ず、オアシスに関する歴史書籍も本棚一面に保管されている。普段学生の研究以外の目的で資料室が解放されることは無いが、スタッフの権限を利用し、彼は事件の謎を紐解こうとしていた。
「これは、天還祭の資料?」
傍にいたキャスターが巧一朗に問いかける。彼が今高く積み上げているのは天還に関する書籍。彼自身その催しを知識として持ってはいたが、深く追い求めたことは無かった。
天還とは各地区の災害のサーヴァントが半年に一度のペースで、その地区から無差別に選んだ人間をオアシスとはまた別の世界へと誘うという祭である。別の世界の入り口は、人間たちによってヘヴンズゲートと命名され、自らがいつか選ばれることを心待ちにしている。
「巧一朗は信じるか?」
「ある訳ないだろ。これじゃ第五区の宗教組織と変わらない。あまり気にしたことは無かったが、人が災害を信仰していることは改めて理解できたよ。」
「ふむ。オアシスの人間のうち殆どがその度合いは違えど災害信仰を持っている。だが君が昨日出会ったマキリ襲撃の武装集団は天還を悪と認識していた。一部の人間は巧一朗のように災害を敵視しているんだろうね。」
「…俺の場合は他の人達よりちょっとばっかし災害の奴らと長い付き合いなんだ。あいつらがロクでも無いことは俺が一番理解しているよ。」
巧一朗は続いて、今まで行われた天還祭の情報をアーカイブで閲覧する。オアシスにおけるありとあらゆるデータを管理するのは、この博物館の館長の力だ。だが充幸以外、その存在を知る者はいない。
天還祭で選ばれる人間の数はその年、地区ごとによって変化する。だがオアシス全体で見れば、毎度、総数がおよそ五十人になるように調整されている。一年で約百人の人間がオアシスを旅立っている。
「オアシスの総人口は英霊を除き七千万人、そう思うと選ばれるという認識が人々の間で強くなるな。」
「だが巧一朗、必ず五十と決まった訳では無い。ほら、半年前は選ばれた人数が二十人程だ。大きく数を減らしている。」
巧一朗はキャスターの指さすグラフを確認する。確かに、年ごとに何らかのタイミングで大きく数が減少することがある。グラフの形は少しばかり歪だ。巧一朗はインスタントのコーヒーを口に含みながら、画面との睨めっこを続ける。
「巧一朗、我が平凡極まる助手。一つだけアドバイスだ。君は観察することを止め、観測をしろ。」
「観察じゃなくて、観測?」
「観察は不確定の動態に対する監視、観測は自ら設けた基礎を尺度に、監視の上で更に測定という過程が加わるものだ。ただ見つめるだけでは答えは得られない。お前が築き上げてきた知識、人間に対する認識を踏まえ、何故物事は流動するのか、自らで計算するんだ。それは古来よりヒトが作り上げてきた思考、叡智に他ならない。ヒトはそうやって『自然災害』を乗り越えてきたんだろう?」
巧一朗はキャスターの忠告を受け止めた上で、再びグラフと対面する。
「何故、災害は天還なんて始めた?本当にヘヴンズゲートなんてものが存在するのか?でなければ、この行為自体が非効率だ。災害は何をメリットにそんな事を…」
巧一朗は半年前のデータを、区域ごとに分類する。すると今まで見えてこなかったものが浮かび上がってくる。天還によって排出された人間の数に大きな開きがあった。具体的には第一区が大きくその数を減らしている。
「一区、災害のライダーの管理する土地、そして、アインツベルンカンパニー…まさか…」
巧一朗はすぐさま別のプログラムを立ち上げ、検索する。それはオアシス各地区における出生率調査のデータ。館長は全ての病院へのアクセスコードを所持しており、巧一朗はそれを用いて一つのグラフに統合する。
「どうだ巧一朗、これは面白いだろう?」
「一年に約百人の新生児が誕生している…」
半年前に起こった事件といえば、エラルから与えられた情報、『英霊統合計画』である。計画の主体となったのはアインツベルンカンパニーであり、同時に、災害のランサーによって殺害された多くの命が一区在住の者たちだ。
「つまり人数調整…多少の誤差は生まれても、総人口七千万人を維持しているのか!天還とは即ち…」
「箱庭を管理するために、キリ良く区民を殺しているんだな。老若男女問わず、平等に。」
巧一朗はコーヒーカップをデスクに置き、大きく溜息をついた。キャスターは彼の姿から、その感情を読み取ることが出来なかった。
「なんだ巧一朗、もっと驚くと思っていたが。」
「いや、まぁ、神が如き傲慢さを持つ災害たちなら納得するさ。俺も人を殺したことがあるし、彼らを糾弾する権利はないよ。」
巧一朗はすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した。やはりインスタントは不味い。充幸が淹れるものの方が明らかに何倍も風味があって美味しいと感じる。
「だがキャスター、それにしたって非効率だろう。祭なんて囃し立てる理由は無い筈だ。権力の誇示なんてするタマじゃないだろう?」
「誇示では無いが、ある種のアピールだろうな。神を信じる者は神を疑わない。神の施しは全て自らにとって善であると認識する。宗教とはそういうものだ。災害信仰をする者にとって、天還は救いに他ならない。救済と考えた方が、人間にとっても都合が良く、安心して思考放棄が出来るからな。単純に管理、運営するには丁度良かったのだろう。」
信じることは直ぐ出来て、疑うには時間がかかる。
真実を見極める行為そのものには多大な労力と時間を要する、ならば、真実を自ら設定し、脳を誤認させる方が単純かつ負担も少なくて済む。
だからこそ古来より人間は、人智を超えた全ての物を神と呼称し、責任転嫁し続けた。自然災害もその一つだ。
「都合のいい夢は、心地良いものなんだよ、巧一朗。」
「……そうだな。」
そして巧一朗は第四区連続殺人事件の犯人に辿り着いた。
正体に気付いたのはもっと前、だが、その動機を理解したのは今しがた。巧一朗が動かずとも、災害のキャスターが事件の真相に辿り着き、その存在を抹消するだろう。だがそれではいけない。犯人は博物館の裏を知っている。だから巧一朗が先に殺さねばならない。
「行こうか、キャスター。」
殺すことには慣れている。
彼は震える手を隠すように、ポケットへ突っ込んだ。
巧一朗は犯人の居住地を既に知り得ていた。だがそこへ向かう前に、偶然にも彼は見知った人間に接触した。皆が寝静まったこの時間に、博物館の庭園でぼんやりと花を眺めていた。
「あれ、巧一朗君じゃないか。どうしたの?こんな時間に。」
「……そちらこそ、どうして深夜に博物館にいるのでしょうか。」
「ふと目が覚めたんだよ。そして花を見に来たんだ。鬼頭さんはプロだからね、この庭園だけで入園料が取れるレベルだと思わないかい?」
巧一朗は黒のローブを身に纏う犯人の男をその目で捉える。探す手間が省けたと思うべきか、罠に誘い込まれたと思うべきか。
「隠す気は無いようですね。吉岡さん。」
第四区博物館、展示解説員の吉岡。彼こそが連続殺人事件の犯人にして、コラプスエゴのマスターである。
「勿論分かっているとは思うが、僕は巧一朗君の後を追ってここに来た。当然、君を殺すためにね。君はもう真実に辿り着いたんだろう?」
吉岡は庭園のベンチから動く気配がない。だが巧一朗が動けば、霊体化したコラプスエゴが刹那の内に彼の心臓を抉るだろう。傍にはキャスターがいるものの、招霊転化には詠唱を必要とする為、数秒のラグが生まれる。彼は額に汗を滲ませつつも、会話を続けることにした。
「コラプスエゴを育てる為ならば、わざわざ犯罪者を殺す必要は無い。目的はサーヴァントの強化では無く、人を殺すことにあった。理由は恐らく明後日に控えた天還祭でしょう?毎回五十人ほど選ばれる行事だから、各地区から選出されるのは平均して八人から九人です。この天還祭がオアシス区民の人数調整の目的で行われている行事であれば、つまり、今の時点で八、九人、四区で人を殺せば、再び調整される。四区からの選出は取り下げられる可能性があるってことですよね。」
「見事だな。」
「だが、必ずしもそうとは限らない筈でしょう?人数調整が目的かどうかも…」
巧一朗がそう言いかけた時点で、彼は吉岡の顔を見て、自らの認識を改めた。
「違うな。貴方は既に…」
「あぁ。半年前の天還祭で僕は既に立証した。二人殺した、すると二人減った。僕はこの博物館の膨大なネットワークでその証明を行えたんだ。そして、あのとき僕は、一人の子どもを救うことが出来たんだ。」
博物館の表スタッフである吉岡にアクセス権限は無いが、恐らく美頼のパスを使用したのであろう。実際、美頼は整理整頓が苦手で、大事な入館証を置きっぱなしにしていた。まさか同じ勤め先に犯人がいる等、到底思わなかっただろう。
「災害が天還で選出する人間はランダム、時にはか弱き、罪のない命が選ばれることもある。僕は子どもが好きだ。未来を担っていくはずの若き息吹こそ重視されるべき命だ。世の犯罪者、社会の荷物を減らし、尊き命を守る。それが、真の魔術師たる僕が成すべきことだと理解したんだ。」
「半年前は偶然救えたが、今回はあのミナト君という博物館好きな少年を救うために、確実となる人数を殺害したんですね。」
「そうさ。だがまだ終わってないよ。忘れたかい?僕が殺したのは無能警官も含めまだ八人。最後の九人目が残っていることにね。」
巧一朗は背後からの殺意に対し、反射的に身を逸らした。地面から生え出たのは植物の蔓であるが、その先端は鋭利な刃物の如く、人体を割くには十分な凶器である。彼は躱すために身体を大きく逸らした結果、バランスを崩してその場で転倒する。
だが攻撃は終わらない。第二、第三の蔓が硬いアスファルトを突き破り、巧一朗の心臓目がけて襲い来る。触手のようにうねり、転げながら体勢を整えようとする彼を追尾する。コラプスエゴの本体を特定できない為、何処から新たな追撃の手が伸びるか判断できない。
「まるで鼠だ。」
ベンチに座ったまま、哀れむような眼差しを向ける吉岡に、巧一朗は狂犬のような目で応える。
「何だその目は。巧一朗君、君もまたこのオアシスにおいてはゴミ同然の存在だろう?君達博物館は聖遺物の為なら人殺しも厭わないテロリスト集団だ。正義の味方の皮を被って、僕を断罪するつもりなら反吐が出るね。」
吉岡はベンチから立ち上がり、巧一朗を糾弾する。彼らが互いに意識を向けている間、キャスターは博物館の正面入口までひっそりと移動していた。所持していた緊急連絡用端末で、美頼か鉄心を呼ぼうとする。
「させる訳が無いだろう!」
吉岡が手を翳すと、博物館の上部、ビックベン風の大時計に張り付いていた怪物が彼らのいる庭園へ飛来する。巨大な蛙を思わせる肉体の先に、半分以上溶けた女のサーヴァントが取り込まれるように埋まっている。蛙の背から伸びた六本の触手は、博物館全体に張り巡らされ、巧一朗達を常に射程圏内に入れていた。その正体こそ、廃病院で相まみえたコラプスエゴ。前回の戦いでは身長の高さこそあるものの、まだ人としての原型は保たれていた、が、既にそれは宗教世界における悪魔の如く醜い有様である。キャスターは触手の一本に身体の自由を奪われ、肉体を蔓で縛られたままに、地面に向けて急降下で叩き付けられた。
「キャスター!」
白銀の少女の腹部に鋭利なアスファルトの破片が突き刺さる。悶え苦しむが、巧一朗には彼女の元へ駆け寄る余裕が無かった。
「巧一朗君、どうだい?また進化したんだ。コラプスエゴのクラス、その真名は『アグネス・サンプソン』。愚者により魔女に祭り上げられた、悲劇の女だ。彼女自身は只の助産婦に過ぎないが、今の彼女は正しく、魔女であると皆が認めよう。」
「魔女狩りの被害者…ですか。趣味が悪いですね。」
「悪魔を呼び起こし、嵐を巻き起こした。そんな有り得ぬ妄想によって残虐に殺害された女だからこそ、破綻者と成り得たのだ。誰もが疑うことをせず、盲目的になった結果が彼女だ。魔女信仰が彼女を魔女にしたんだよ。これはオアシスへのアンチテーゼ、僕が生み出した、新たな災害のサーヴァントだ!」
「AAAAaaaaaAAAAAAAAAAAaaaaAAAA」
アグネスは怒る、アグネスは嘆く、アグネスは嗤う。
取り込んだ他のサーヴァント達と混ざり合いながら、自らの内に生まれた「魔女」を容認する。
魔女では無い彼女が、魔女にされた彼女が、自ら魔女へと進化する。蛙の背中から美しき蝶の翼が生え、より禍々しい風貌へ変わった。
「災害のコラプスエゴ、今こそ虚構の嵐で犯罪者へ裁きの鉄槌を!はは、ははは!」
アグネスは翼をはためかせ、体内に魔力を集中させた。この宝具はアグネスが持たざる力だが、破綻を容認したからこそ、その空想を現実に昇華できる。巧一朗一人を殺すには余りある対軍宝具、吉岡もまた脳のねじが外れてしまっていた。
「させねぇよ。」
巧一朗は宝具発動までの数秒間で、怪物を倒すプランニングをシュミレートする。現状、この宝具をたった一人で受け止められる英雄を呼び起こすことは出来ない。ならば瞬時のうちに、嵐を起こす翼を切り落とす剣こそがいま必要である。それが出来るのは。
「キャスター、電源を落とすぞ。」
巧一朗は足に魔力を集中させてキャスターの元へ移動した。
思い浮かべるのはアーサー王と円卓の騎士たちの本。彼らのデータである。今まで一度も召喚したことは無いが、彼らなら、この絶体絶命の危機を乗り越えることが出来る。その確信が巧一朗の中にはあった。
「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」
「終わりだ!巧一朗!」
膨大な魔力が解き放たれるその瞬間、黒い霧がアグネスの羽根を切断した。忽ち、溜めた力の渦は血液のように流れ落ち、その宝具は強制的にキャンセルされる。霧は翼を落とすのみならず、蛙の背から伸びた六の蔓をも消滅させた。その間、僅か一秒である。
巧一朗は呼び出す瞬間まで、その剣士をイメージすることは出来なかった。彼の焦りや肉体に走る痛みが、彼の魔術に影響を及ぼしたのだ。だが、それでもこの黒い霧は召喚に応じ呼び出された。彼にも、その理由が分からないままに。
そして突如、巧一朗の肉体に圧倒的なまでの負荷がかかる。全ての内組織が暴れ出す様な壮絶なる痛み、強力な英霊を呼び出したことへの
デメリットか。はたまた呼び出したサーヴァントが狂っていたからか。
招霊転化で現れたのはバーサーカーのサーヴァント、その真名を『ランスロット』。円卓最強の騎士である。
鼻や口から血を吐き出しながら、巧一朗は痛みに悶え、転げ回った。ランスロットは剣を振るわず、ただそこで立っているのみである。今、アグネスの霊核を砕けば、今度こそ勝利できるはずだった。だが、騎士は初撃を除いて、決して動かない。巧一朗も彼に指示を下すことが叶わなかった。
一方、コラプスエゴもまた羽根や触手を捥がれ、苦しみに喘いでいた。吉岡は舌打ちしながら、その右手に宿った本物の令呪を二画消費して怪物を再起させる。前回の戦いで敗れる際、一画を消費し彼女を守った為、吉岡はこれで全ての令呪を使ってしまった。
「立て、僕のサーヴァント。今なら奴のサーヴァントごと殺すことが出来る!殺せ!」
アグネスは赤い眼を光らせ再起動する。蛙の指先から伸びた猛禽類のような爪で、ランスロットへ切り掛かった。
「aaaaaaa」
だがその攻撃は宙を裂く。アグネスは瞬時に背後へ回った騎士に反応することが出来なかった。
もしランスロットがこの瞬間に剣を振るっていたならば、アグネスはそのまま息絶えていただろう。だが黒の影は攻撃に転じない。あくまでも戦いへの傍観を貫く。彼が召喚と同時に剣を振るったのは、彼自身の防衛本能に依るものだ。
アグネスは体勢を立て直し、自らの肉体を瞬く間に改造した。彼女の中に宿る英霊の一人、ガンナークラスのアウトローを基礎とし、その能力を最大限引き出すためのフォルムへ変貌する。西部劇のピストルと言うには余りにも巨大なバレルを腹部から生やし、重さを支える為に、足の本数を八に増やした。一見大砲にも見えるそれは、あくまで早撃ちに特化したハンドガンの類である。鉛玉を込めるラグが発生せず、彼女の殺意がトリガーとなり、目前の敵へ射出されるメカニズム。身体の異形さとは打って変わり、その動きは繊細であり、かつ英霊らしく豪胆である。動く気配のない騎士に照準を合わせるには、そう時間は掛からなかった。
アグネスはランスロットの脳天を砕く六発の弾丸を射出する。その早撃ちの速度に追い付けるものは、武の境地を極めし者のみである。影は自らの身を守る為に、三つの弾をねじ伏せた、が、彼が対処できたのはあくまで半分のみ。後の三発は見事彼の装甲に多大なダメージを与える。
「う…っ」
そしてそのダメージは、オートマタと繋がる巧一朗にも及ぶ。その痛みはフィルターを通したように弱くなっているものの、脳が激しく揺さぶられるような感覚に陥った。鼻と口から更なる血液が漏れ出し、アスファルトを赤く染める。
だがランスロットの強固な鎧はコラプスエゴの高出力を以てしても砕けない。煙が空へ立ち昇る中、彼の赤の眼光はアグネスのバレルを捉えていた。次なる装填が一秒とかからぬうちに行われるが、騎士はようやく重い腰を上げるように、対象へ向け歩き出した。
その光景は異様であった。黒の騎士は不気味にも、無防備かつ大胆に、正面から攻め込んでくる。アグネスの後ろへ回り込んだ時のような素早さは無く、ゆっくりとした足取りで、まるで自身の勝利を確信しているかのように。彼女は構わず、再び込められた六の殺意を、捉えどころのない黒い霧に向け発射する。だがその攻撃が二度と当たることは無かったのだ。
吉岡も、巧一朗も、この騎士がバーサーカーであると理解していた。しかしこと戦闘面においてランスロットはセイバークラスを凌駕する程の戦闘センスを見せつける。常人には知覚できぬ速度で弾の悉くを避け、手にした黒光りする剣を投擲すると、アグネスの翳した銃口内部に突き刺さり、内側からその組織を分解する。戦闘を見守るマスターたる彼らはこの瞬間、ランスロットが狂化されていると忘れてしまっていた。
騎士の放った剣がアグネスの中に眠る六の霊核を砕いて走る。彼女の歪な下半身は細切れになり、彼女を破綻者たらしめていた力の源を根こそぎ刈り取られた。虚空へ吠える少女を、この場にいる誰もが救えない。
黒い霧を纏った騎士はその手に持つ剣でアグネスの本体部分を二つに切り落とす。
彼女の断末魔が街中に轟いた。
「馬鹿な…」
吉岡はその場で崩れ落ちる。純粋な魔術師である自らが丹精に作り上げた希望が、名も知らぬ剣士に殺された。彼は巧一朗に嘗めてかかった訳では無かったが、招霊転化の力がここまでのものとは到底思わなかったのである。
アグネスの霊核は今度こそ消滅し、その肉体は霧散する。こうして、吉岡の作り上げた人工災害は、その命を終えたのである。
そしてランスロットもまた、約束の一分が経過する前にその役目を終えた。巧一朗は苦しみから解き放たれ、息も絶え絶えながら、何とか自らのオートマタの方へ這って行った。
オートマタは光に包まれ、また白銀の美少女がその姿を見せる。巧一朗は安心したのか、その場で仰向けになって空を見つめた。
吉岡は光の粒子になって消えるアグネスを見つめ、過去を思い出していた。
彼には昔、年上の妻がいた。身体が弱く、子を産むことは出来なかったが、二人は愛し合っていた。彼らの夢は養子を迎え入れること。その為に、厳しい条件をクリアしなければならず、二人はより理想的な夫婦になろうと努めた。
だがそんなとき、突然の別れがやって来た。吉岡の妻は天還に選ばれたのである。
吉岡も、妻も、その事を大いに喜んだが、同時に、その離別を悲しんだ。だがこれは仕方の無いことだ。災害が、それを決めたのだ。そして災害に選ばれたのだ。それは誇らしいことであり、悲しむことは選ばれなかった者達に失礼だと、そう考えた。そう思う方が、二人にとって楽だったから。
そして吉岡の妻はヘヴンズゲートへと旅立った。吉岡は涙を流さなかった。選ばれた妻への誇らしさと、いつか自分も同じ場所へ行こうという決心と、彼の心は幸福に満ちていた。
だが、ある日のこと、彼は災害のアサシンの宮殿で働いていた時に、アサシンの言葉を耳にした。
天還の真実。妻が選ばれた後に、どういう末路を辿ったのか。
吉岡は崩れ落ちるしかなかった。これが絶望だと、彼は知ったのだ。災害への憎しみと共に、何も疑わず、神のお告げを聞くように災害を信仰していた自らの愚かさを呪う。何故当たり前だと受け入れていたのか、何故幸せだと容認していたのか。
…何故、別れが寂しいと言えなかったのか。
吉岡はその後、仕事を変えながら様々な地区を転々とし、四区へ辿り着いた。彼は何度も首を吊ろうとしたが、その度に、恐怖に支配され出来なかった。…ならば惨めにも生きて行くしかないと、そう考えたのだ。
そんなとき、彼は偶然にもサーヴァントの召喚に成功する。それこそがアグネス・サンプソンであり、西洋人であるものの、その雰囲気は彼の亡き妻に似ていた。彼は優しい瞳をした彼女の胸で、大粒の涙を流した。吉岡は赤の他人に、その寂しさを告白したのである。
アグネスは吉岡の役に立つことを約束した。彼女自身が破綻者のクラスであること。そして、魔女になれば災害を超えることが出来るかもしれないこと、吉岡が守ろうとした唯一の宝物、博物館の子どもらを救えるかもしれないこと。
吉岡は反対する。大切な妻に似た彼女に、余りにも凄惨な過去を辿った彼女に、その枷は重すぎると。だがアグネスはただ微笑んだ。彼女は吉岡を助けたかったし、同時に、吉岡が守りたい子ども達も救いたかったから。助産婦アグネス・サンプソンが聖杯にかける望みこそ、自らの冤罪を晴らすことでは無く、子ども達の健やかな未来を守ることであったから。
吉岡はアグネスと共に多くの命を奪い、命を喰らい続けた。そして自らが気付かない程に醜く歪んでしまった。
彼は消滅したアグネスの光を手のひらで掴むと、巧一朗と同じく空を仰いだ。
「巧一朗君、僕の負けだ。」
「はい、俺の勝ちです。」
巧一朗はキャスターの肩を借りて立ち上がる。既に吉岡から戦意が消失していることは分かっていた。
「僕は…どうすれば良かったんだろうか。」
「分かりません。俺には貴方の気持ちは理解できない。」
「ははは、それもそうだね。」
吉岡は半分壊れてしまったベンチに腰掛けた。巧一朗はそんな彼をただ見つめている。
「そうだ、聞きたかったんだ。巧一朗君、君はいつ僕が犯人だと気付いたんだい?細心の注意は払っていたつもりだったが。」
「廃病院で対峙した時です。貴方は俺の能力が解けて現れたキャスターに対して『セイバーの次はキャスタークラスのサーヴァントか!』と口走っていましたよね。こいつがキャスターと呼ばれているのを知っているのは鬼頭教官、美頼、鶯谷、そして吉岡さんだけだったんですよ。」
「いや、でも犯人が、キャスタークラスと見極めた可能性もある訳だよね。」
「それは有り得ないんです。何故ならこいつはキャスタークラスじゃないから。」
吉岡はキョトンとした。巧一朗は周りに聞き耳を立てている者がいないのを確認して、吉岡に告げる。
「キャスターと呼んでいるだけなんです。本当のクラスは、貴方のアグネスと同じですよ。」
「…まさか…そんな…」
「私こそが全ての破綻者のプロトタイプだ。だからこそ私は吉岡、貴様の犯罪にいち早く気付けたぞ?実に簡単な事件だった。だが礼を言わせてもらう、お前のお陰で色々と新しく情報を仕入れることが出来たからな。」
白銀の少女はクツクツと笑った。それに釣られるように、吉岡もまた笑い出す。
「そうか、成程、君の招霊転化の秘密はそこに在ったのか。ははは、これならば災害を殺すことも、君達なら出来るかもしれないな。うん、安心して、僕は死ねる訳だ。」
「吉岡さん……」
巧一朗は数秒間目を瞑る。自分の中にある迷いを捨て去るようにして。次に目を開いた時、彼は吉岡に手をかける。博物館の為に、そして、他ならぬ吉岡の為に。
「吉岡さん。俺は貴方のことが好きでしたよ。」
「何だよ急に。僕もまぁ、少しだけしか一緒にいれなかったけど、君のことはそれなりに気に入っていたよ。さぁ、これで約束の九人目だ。これでミナト君は助かる。僕のスーツの胸ポケットに手紙を入れているから、機会があれば渡して貰えると助かる。」
「……善処します。」
巧一朗は魔力を集中させた親指を吉岡の額に当てた。死にゆく男の顔は、何とも清々しい。その手は小刻みに震えているが、彼は既に覚悟を決めていた。
巧一朗は心の中でトリガーを引いた。彼の親指に光が灯り、静かに燃え上がる。魔術で編んだ光弾が、吉岡の脳を貫いた。吉岡の身体はベンチごと後方に倒れそうになるが、キャスターがそれを留めた。巧一朗はわざと彼の返り血を浴びる。その血の匂いを絶対に忘れない為に。
「…痛いか、巧一朗。」
「痛くないよ。俺は撃たれた側じゃないからな。」
派手に戦闘したこともあり、博物館の一部が倒壊している。災害のキャスターに通達が入る前に、吉岡の遺体を処理せねばならない。巧一朗は彼と庭園で出会う前に、充幸へ連絡を入れてあった。彼女は眠たい目を擦りながら、じきに現れるだろう。到着時刻までも計算済みである。
彼は吉岡の身体を人目に付かない庭園の中に隠すと、隣へ腰かけ、自らが召喚したランスロットのことを考えていた。彼にとって招霊転化で自らの身が滅ぼされる感覚に陥ったのは今回が初めてである。バーサーカーのクラスのサーヴァントは過去に召喚したことがあった。狂化のランクが低かった為意思疎通が図れたが、今回の場合は意識が完全にシャットアウトされていた。攻撃の指示も届かず、ランスロットが剣を振るう度、全身の筋肉が細切れにされるような深い痛みが走る。この経験は今までになかった。
「円卓の騎士の召喚にはリスクが伴うということか。」
彼らは間違いなく強い。が、巧一朗に必ずしも協力してくれる訳ではないのかもしれない。
博物館入口前の階段を登る音が聞こえた。かつかつと軽快な音を鳴らしながら、ゆっくりとした足取りで現場に向かって来る。巧一朗は充幸の到着を予見するが、それと同時にある違和感を抱いた。それは、充幸が常に履いている靴が運動用のものであるということである。この足音はヒールのような構造のものでしか鳴らされない。まさか充幸が薄汚れた裏稼業にお洒落して来る場違いな性格でもあるまい。
「美頼か…?」
巧一朗は物陰から様子を窺う。彼の目前に姿を見せたのは、彼が今最も出会いを恐れていた人物であった。
異様な仮面を身に着け、近未来的な衣服でその男は現れる。男の正体は巧一朗も、キャスターも、否、全てのオアシス区民が知っていた。メディアに取り上げられる彼を、国を治める王の彼を、知らぬ者などいよう筈もない。
彼こそが災害のキャスター、開発都市オアシス第四区を管理する神にも等しい存在である。
「僕はお前達が隠れているのを知っている。対話に応じなければ直ぐ殺す。」
災害のキャスターは巧一朗の隠れる庭園を向き、そう告げた。彼らは観念して、王の前に現れ出る。災害を前にして、逃げることは即ち死を意味しているのだ。
「災害のキャスター様、ご無礼をお許しください、わたくしは…」
巧一朗は頭を垂れ、災害の前に跪く。彼の服にべっとりと付着した血に関して、言い訳をするつもりもない。見苦しさはかえって災害の怒りを買うと判断した為だ。
「別に僕への形だけの礼は必要ないさ。漏れ出ているぞ、僕への殺意。そんな物騒な感情を向けられたまま言葉だけ取り繕う意味はあるか?」
災害の圧倒的なまでのプレッシャーに、巧一朗の汗は止まらなくなる。目の前に立つ化け物が如何に規格外であるか、嫌が応にも思い知らされるのだ。一つのミスで、巧一朗だけでなく、近くまで来るだろう充幸も抹殺されてしまう。慎重に言葉を選ばなければならない。
「殺人事件の解決ご苦労様。僕を出し抜いて犯人を追い詰めるとは、優れたネットワークを持っているようだ。いや、優れたブレインかな?第四区の代表として礼を言わせてもらう。」
「……」
「自ら犯人を名乗る者が現れる等、色々と邪魔が入ったのでな。コラプスエゴという特殊なクラスについても僕は初めて認知した。第四区博物館のお前達は僕の知らない何かを抱えているようだ。災害への反逆で無ければ良しとするが、まぁ胸の内に隠した野望など僕には興味ない。」
巧一朗は災害のキャスターを前に、金縛りに遭ったように身動きが取れなくなっていた。彼自身、その理由を知っている。これは暴力的なまでの威圧感に対する屈服だ。災害と相まみえるのは初めてではないが、それでもこの感覚に慣れることはない。
巧一朗は自問自答する。招霊転化を使用してしまった以上、彼に戦える武器は殆ど存在しない。また、傍に立つ白銀の少女もまた、災害の前には無力である。充幸が事態を察知して、何らかの応援を連れてくることは…期待するだけ無駄である。
「私は犯人である男の命を奪いました。真相に偶然辿り着き、彼の説得を試みましたが失敗し、自らの身を守る為に戦闘を行い、結果殺してしまった。災害のキャスター様の敷くルールに基づき、罪を認め、罰せられる覚悟でいます。」
巧一朗は今とるべき最も安全な手段で仮面の男に訴えかける。人殺しの現場を見つけられてしまった以上、大人しく捕まるのが吉である。後は情状酌量の余地を、博物館の面々と彼自身で用意する外ない。災害のキャスター次第ではあるが、上手くいけば三、四年で監獄から出ることも叶うだろう。戦闘した場所が悪かったと、巧一朗は反省した。
「お前は面白いことを言うな。僕がお前を捕まえる為にわざわざ出向く筈も無いだろう。ただ確保する為であれば、下の連中に走らせているさ。僕は事件の顛末に興味があった訳では無い。そもそもお前などどうでもいいのだ。」
「え…?」
災害のキャスターはカツカツと靴底を鳴らしながら、白銀の少女に近付いた。彼女は頭を垂れることも無く、ただ真っ直ぐ災害の仮面を睨んでいる。彼は少女の肌に触れる距離まで近づき、その顔を仮面越しに見つめた。
「成程、セイバーとは別人だな。マスターの趣味か?」
「ふっ、違うな災害。これは私の趣味だ。オアシスの召喚式ならではのジョークさ。」
災害のキャスターはカメラで彼女を見つけた時から、その存在に興味を持っていた。それは彼がかつて戦ったセイバーのサーヴァントに酷似していた為。全くの別人であることを確認し、どこか満足そうな表情を浮かべる。
「お前は僕を恐れないのだな。白銀の探偵。」
「巧一朗や私を殺しに来た訳では無さそうだから。貴方が巧一朗の正体を知りながらも、第四区で生かしたままにしていることを考えると、少なくとも敵意は無い。いや、君はもっと先の次元で…」
二人が会話を進める中に巧一朗が割って入る。彼にとって聞き捨てならぬ言葉があった。
災害のキャスターが、巧一朗のことを知っている、その事実である。
「災害のキャスター、お前は俺を知っているのか?」
「無論だ。あの戦争で出会った、セイバーのマスター。他の災害がかつてを忘れようとも僕だけは覚えている。何故お前がオアシスに辿り着き、今もこうして生き永らえているのかは不明だが。」
「…っ、知っていて、俺を殺さなかったのか…!」
「セイバーのいないお前に何が出来る?」
災害のキャスターの問いかけに、巧一朗は答えることが出来なかった。彼の招霊転化では、たった一分の奇跡では、超えられぬ大きな壁。彼はあのとき戦ったキャスターではない。オアシスと言う地において災害と信仰された神にも等しいサーヴァント。あの戦争でさえ、セイバーと巧一朗は彼を殺すことが出来なかった。セイバーを失った今は尚のこと。虚勢を張るのが精一杯である。
「お前は今回の事件で僕を出し抜いたつもりかもしれない。僕が来るより先に犯人を殺すことが出来たんだからな。僕であれば残虐な殺害方法を採用していたかもしれないが、お前は苦しまずに犯人を殺す選択をしたのだろう?良かったな、お前の守り通したい秘密が守れて。」
災害のキャスターは巧一朗を煽った。全てお見通しだと言わんばかりに。いや、本当に全てが筒抜けなのかもしれない。
だが巧一朗にとって誇りや尊厳が踏みにじられることなどどうでもいい。この場を凌ぎ、次災害と相対する時には完膚なきまでに殺せるように。今彼の胸に渦巻くのは災害への明確な殺意のみだ。
「お前が、お前達が望むなら、今からでも僕が相手してやってもいい。もっとも加減するつもりは無い。どちらかが死ぬまでだ。」
「…それは…」
「無理だよ。今の巧一朗と私では数秒生きていられたら幸運、そんなレベル。恐らく今私たちは見逃してもらえるチャンスを与えられている。なら無理せずそれを受取ろう。とりあえず生きていこうじゃないか。災害の謎を解き明かすその時まで。」
白銀の少女の言葉に、災害のキャスターは冷たく笑う。それが何を意味しているかは、今の彼らには理解できない。
そして巧一朗が口を開こうとする際には、既にこの場から消失していた。どうやら災害は本当に、ただ少女の正体を確かめに来ただけであったようだ。彼は唇を噛み、虚空を見つめることしか出来なかった。またしても、あの時のように、彼は敗北を味わわされたのだ。
充幸から連絡が入り、彼女はあと五分もすれば到着するようだ。意外にも、真夜中に用事があってメッセージに気付くのが遅れたよう。だが災害のキャスターがいるときに来なかったのは不幸中の幸いである。
巧一朗は到着を待つ間、花壇の花を愛でるキャスターに声をかけた。
「キャスター、ジャック・ザ・リッパ―の触媒をすり替えただろう。ちゃんと鬼頭教官に返しておけよ。」
「何のことかなー?」
「博物館に監視カメラがあることはお前も知っているだろう。主電源を切ったつもりだろうが、別電源で稼働する物が隠しているだけで三つはあるんだ。お前の泥棒行為は既に把握済みだぞ。」
「ちっ、ミサチのやつめ…」
キャスターは不貞腐れた表情を浮かべる。巧一朗は彼女の行動意図を全て把握している訳では無い、当然、未登録触媒を盗みだした理由も、巧一朗たち博物館側への助力以上の意味が含まれているだろう。
否、行動意図に留まらず、巧一朗はキャスターの真名すら知り得ていない。
知っているのは三つだけ、キャスターにとって彼は六人目のマスターであるということ。巧一朗がかつて愛した白銀の少女と同じ容姿をしているということ。そして、彼女が探偵であるということ。
「なぁ巧一朗。私が殺人鬼ジャックを呼び出した時、老紳士の姿で召喚されたんだ。君が見た幼女とは全くの別人だ。ロンドンの殺人鬼とは一体何なんだろうね。」
「未解決事件だからな。犯人が分かっていりゃ迷宮入りはしていない。」
「そう。ジャックを形作るのは、彼ないし彼女を知らない人物たちによる妄想だ。各々がジャック・ザ・リッパ―に抱く恐怖、或いは尊敬の念が姿かたちとなって表れる。でもそれはロンドンの殺人鬼に囚われない。我々英霊は皆そういう存在だ。では君の愛する女の姿をした私は、君にとってどういう存在だろうね?」
「……さぁな。」
巧一朗は彼女との出会いを思い出す。彼の物語が動き出した雨の日の夜。
彼女は雨に打たれる巧一朗に傘を差し出した。
「傘を忘れたのか、センチメンタルな自分に酔いたいのか、君はどっちだい?前者なら傘をあげるし、後者なら放っておくよ。」
「……」
「成程、どちらでも無いな。君は『傘の差し方を忘れた』タイプだ。ならば私が代わりに君を雨から守ってやろう。」
白銀の少女は巧一朗の肩程の背丈しかない。が、腕を高く伸ばして自らの傘に彼を匿う。いま彼を濡らす雨粒ひとつひとつが彼の肉体を蝕む毒であるから。生きる意味など百年前に置いてきた、彼はそんな表情で虚空を見つめている。
「死なないのかい?」
白銀の少女は彼に問う。
「…理由は思い出せないけど、生きなきゃいけないんだ。」
「それは大変だ。今の君にとって死ぬより生きる方が何百倍も大変だろうからね。誰かと約束したのかい?」
「約束、あぁ、約束した。貴方と同じ顔をした女の子と。」
「ふふ、君には私の顔がその女の子と同じように映っているんだね。これは重傷だ。」
二人は誰もいない路地裏で出会い、その場から動くことも無く雨が止むのを待ち続ける。
「ところで貴方は誰だ?サーヴァント、だろう?マスターは?」
「私はコラプスエゴ。聞いたことが無いならキャスターとでも呼んでくれ。マスターはたった今から君だ。」
「…?」
「私はしがない探偵さ。この世界の謎を解き明かし、そして滅ぼすための存在。オアシス、桃源郷の反逆者だ。どうだい、君のお眼鏡に適うサーヴァントであれば嬉しいな。」
「…オアシスを滅ぼす?」
「あぁ。探偵が人を殺さないのは先史時代の掟さ。謎を解くために人を殺す。謎を解くために国を滅ぼす。それが探偵であり破綻者(コラプスエゴ)である私の使命だ。私は災害を殺す。今日からは君のサーヴァントとして、ね。」
雨があがる。
陽の光が路地裏に届く頃には、巧一朗の目に微かな燃え上がる炎が宿っていた。
「さぁ行こうか。君の名を教えてくれ。助手であり、相棒であり、我がマスターである君の名を。」
「俺は、間桐 巧一朗だ。」
「そうか、よろしく、巧一朗。」
彼らは光の差す方へ向かって歩き出した。全ての始まりである聖杯戦争
に勝利する為に。
【観測者編 完】