淡路抗争後、開発都市第五区にて
人造災害『氷解のヴァルトラウテ』を打ち砕かれ、全ての民と仲間を殺された『欠地王』ことジョンは、鎖に繋がれ、痛めつけられていた。
彼の着飾った国王らしき衣装は破かれ、ふくよかな身体に、フードの男たちが拳を叩きつける。中には電流の走るバッドを振り被る者もいた。
「ぐ…………うぅ…………」
「愚かな男ね。生きていた頃と何も変わっちゃいないじゃない。」
彼が傷つき血を流す横で、着物の女は愉悦の表情を浮かべ、一人酒を呷る。
彼女こそはアヘル教団の頂点に君臨する災害の側近、右大臣の位に任命された魔妖の反英雄『沼御前』。
彼女の好みを言うならば、細身の体型の男だが、今日はこのジョンで我慢し、酒の肴にしている。
だらしない身体つきのジョンを眺めては、血が漏れ出る傷口に酒を打ち撒けた。ジョンはその痛みに震えるが、その際、脂肪がふるふると揺れ動くのが沼御前には笑いの種らしい。
ジョンを地下に連れて来てはや三時間。命乞いし、全てを詳らかにしたジョンへの制裁はまだ続く。拷問とは、秘匿された情報を喋らせるために行われるが、ジョンは既に余すところなく革命軍の素性や弱点を伝えている。己が助かる為に、他者を平気で差し出す男だ。
だがそれでは沼御前が面白くない。この男にはアヘルへの恐怖心を植え付ける必要がある。殺してしまっても構わないが、それは蛇王ザッハークの意思に反する。あくまで痛めつけるのみだ。
「ねぇ、開発都市第七区構想なんて、本当に罷り通ると思っていた訳?わらわには荒唐無稽の絵空事に聞こえてならないのだけれど。」
「吾輩の政治力と、新鋭たち、そして人造災害があれば出来ると……愚かにもそう思っておりましたな……」
「アハハ!切り札は左大臣ちゃんに壊されて、部下も皆殺し!確か統合英霊もヴェノム二人にやられたんだってね。国王としては見通しが甘すぎたんじゃないかしら?アヘルを、小さく見過ぎたわね!」
男たちはジョンの顔面に、腹部に、蹴りを入れる。
ジョンは吐血し、苦しみに悶えた。
この地獄はあとどれだけ続くのだろう。
だが、決して命を絶ちたいなどとは思わない。刻まれた傷の数だけ、闘争心を燃やしている。
ジョンは愚かな王と語り継がれているが、彼の諦めの悪さと意地汚さは、その愚かさに拍車をかけたと言える。ザッハークはジョンを『行動力のある馬鹿』と呼称した。
沼御前もジョンの眼に宿る静かなる炎に気付いていた。この道化は、何をしようとも心を折らない。ナルシスト、自信家、ポジティブシンキング、無能なだけに腹が立つ。
死に至ること以外、ジョンには何も効かないだろう。プライドを捨てて生き残り、再び己が王政を敷こうと躍起になる。それが欠地王ジョンなのだ。
「不快な目をしている。あぁ、面倒、殺そうかしら。」
「待ってください、沼御前様、それだけはお許しくださいませ、このジョン、アヘル教団の為ならば、どんなことでも致しましょうぞ!」
「じゃ、かつての仲間である『細川ガラシャ』含めたハンドスペード残党を抹殺してきて。」
「はい!畏まりましたぁ!」
ジョンが勢いよく返事すると共に、その肉体に電流が流された。
裸の王様となった彼の身体からは、焼け焦げた匂いが充満する。
沼御前は鼻を掴みながら、ケタケタと嘲笑った。
「じゃあジョン、貴方にわらわの兵隊を与えてあげるわ。今貴方と遊んでいる子たちは、わらわの忠実なる僕。五つの怪火に、わらわがヒト型を与えたもの。妖怪の名は『龍燈(りゅうとう)』。オアシスでは珍しい、精霊種よ。」
「龍燈……ですか」
男たちが一斉にフードを取ると、彼らには人間の首が存在しなかった。
代わりに、硝子のアルコールランプが顔面の役割を果たしており、赤や青と五種の炎を宿している。
スーツ姿をした灯篭人間、とても桃源郷にいていい見た目では無い。
その異様さに、ジョンは思わず声を上げた。
「ば……バケモノ!?」
「アハハ!わらわとお喋りしてきて、今更?本当、ヒトというのは見た目でしか物事を分別できないのね、面白!」
「吾輩に、この男たちを貸し付ける、と申しておられるか?」
「そう。欠地王ジョンの監視役としてもね。彼らは只の焔、ヒトの感情は有さない。お得意の人心掌握術は効かないわ。ジョン、貴方が裏切れば、龍燈は貴方の無駄な脂肪ごと焼き殺すでしょう。豚の丸焼きね。」
「吾輩の、監視役…………っ」
「愚かな王は、火刑に処され、火に炙られる。どう?わらわからのプレゼント、気に入って貰えたかしら?」
ジョンは苦笑いを浮かべる他なかった。
同時に、沼御前の恐ろしさを嫌という程に味わった。
もし彼が裏切れば、いや、只の一つのミスをするだけで、今度は完全に抹殺されるだろう。
ジョンを構成する部品一つも残さずに、葬り去る。
「ジョン、精々頑張りなさい。教団の為に身を粉にして働くの。貴方は『王』では無く、『奴隷』なのだから。」
ジョンは沼御前の深淵に飲まれ、恐怖により支配された。そして、いま、彼は生き延びるために開発都市第三区へ派遣されたのだった。
【キングビー編⑦『エピソード:キングシップ』】
革命聖杯戦争開始から六日後。
災害のアーチャーという悪魔に魂を売り渡した少女『細川ガラシャ』は、召喚されて初めて、竜宮城塞の外へ出た。
大地には巨大な穴が開き、点在する家屋は火災で燃え尽きた。過激派組織ハンドスペードの数少ない組員たちは皆、災害の憤怒に焼き切られた。もうこの領域には、ガラシャの他に人間はいない。
全てはこの領主、細川ガラシャの失態だ。
アヘル教団との戦いの末、絶望した少女は、悪魔に魂を売り渡した。
教団はおろか、グローブにも劣る過激派組織、その汚名を返上したかった。
災害に求められ、穢され、奪われてなお気付かなかった。
彼女の自責の念は、大切な民と、そして、大切な相棒の喪失。すぐ傍にいて、支え続けた家族のような彼を、蔑ろにしていたこと。
第三区最大の愚者は、空の先を見つめながら、ゆっくりと歩き出す。
「どなたか、いませんか」
か細い声で唱え続ける。
荒野を往くものは独り。涙を堪えて進んでいく。
途中、焼け焦げた古民家に立ち寄っては、生存者の有無を確かめた。
ある家屋において、背を向ける婦人がいた。ガラシャがそれに触れると、忽ち黒炭は崩れ落ち、六畳一間に転がるのだった。
「あぁ」
漏れ出たのは、溜息だ。
己の愚かさに対するものだ。額や腕を擦りながら、声にならない声で叫ぶ。
ガラシャはどうすればいいのだろう。
これから、何をすればいいのだろう。
きっと、ただ死ぬことは許されない。その身を以て、罪を償わなければならない。
だがその方法が分からない。
今の彼女では、アヘル教団も、災害のアーチャーも超えられない。
俯き涙を零す彼女に、更なる絶望が降り注ぐ。
『オマエハオレノモノダ』
彼女は背中を震わせた。
竜宮に取りついた魔物が、あろうことか、ガラシャの背後に佇んでいる。
英霊でも、幻霊でもない。ただの呪いだ。ガラシャが召喚されるに際して、自動的に付属したものだ。
細川忠興という英雄の枠を離れた只の思念体。説得は無意味。ガラシャの心の在り方に深く結びつき、彼女の前に立ち塞がるもの。
ぼんやりと白く濁る影が、背後からガラシャを抱き留める。
『コレデヨウヤクフタリキリダ』
愛し合う夫婦の抱擁ならばどれ程良かっただろう。だが、いまガラシャを抱き締めているのは忠興であって忠興ではない。
ガラシャの柔肌に食い込む爪と牙。もはや獣そのものがガラシャを捕食している。
美しい白い皮膚から赤い液体が数本と流れ落ちる。
「旦那様、わたくしはどうすれば良いでしょうか?」
このままいっそ愛する男の胸で死ぬことが出来たなら、とまで思う。
彼女の絶技は『煉獄純花(グレース・レイリリィ)』。石田三成により人質になる筈だったガラシャは、侍女たちを逃がし、家老の小笠原秀清にその心臓を突かせた。そして屋敷そのものを燃やし尽くしたのだ。この宝具は彼女の非業の最期を再現するもの。火薬と共に、彼女と周囲一帯は爆発四散する。
だが、この絶技には発動に際する条件がある。それは、キリスト教信徒である彼女は『自死』の選択が出来ないのだ。
彼女の意思であっても、彼女の命を奪う者は、他人でなければならない。彼女がその霊核に自ら刃を突き立てようと、権能は振るえないのである。
先の戦闘では、命を奪おうとする災害諸共に消し炭になるつもりだった。だが、果心居士により、『生き残る』という呪いを課せられた。
青空であろうとも、その手で掴めると、彼は笑って死んでいった。
これはきっと、美しい呪いだ。罪を償う為に、自らを受け入れ、歩き出さなければならない。
「散りぬべき、時知りてこそ、世の中の」
彼女は辞世の句を口にする。それは今の己を鼓舞する言の葉。
散るべき時に、花は散る。ならばこそ美しい。
キリシタンとしてのタブーを侵してまで、己の散り際を見極めたのは、きっと───
ガラシャは家の外に出た。
気付けば、その背に取り憑く忠興はどこかへと消え失せていた。
廃屋を離れたその先の景色を見やる。果てなき荒野が垣間見えるかと思いきや、前方数十メートル先より、六つの影が迫って来ている。
中心にいる人物はいち英霊、だが周りの五人はどう捉えても異形である。その首から上はデュラハンのように失われており、代わりに火煙が立ち昇っていた。
「ジョン…………」
彼女のよく知る人物が、炎人間を引き連れていた。彼らはあろうことか、その腕に果心礼装を有している。
かつての彼の快進撃を考えれば、随分と軍は縮小化したものである。並び立つものが李存義でも、ハンドスペード組員でも無いことに、彼女は不安を覚えた。
いまここで、こうして、ガラシャの元に足を運ぶ理由。きっとそんなものは考えなくても分かる。
ガラシャの救世主では無く、むしろ彼らは『粛清』のためにこそ足を運んだ。
彼女がジョンという英霊を知り尽くしているからこそだ。
「ジョン…………ですわね。」
「いかにも、吾輩はガラシャ様の側近、ジョンでございますぞ。」
ガラシャは数歩後ずさるが、ジョンと五体の龍燈は彼女を取り囲むように回り込んだ。
感情の一切見えぬ炎に、彼女はただ恐怖する。
ジョンは身体を震わせるガラシャを見て、舌なめずりをした。
かつての仲間、今はアヘル教団の敵。彼女はジョンを救う者だ。その清廉さを以て、では無く、その死を以て。
ジョンにとって弱い者虐めは嫌いじゃない。己の力を手軽に証明できる気がする。
「ジョン、彼らは?」
「龍燈と申しまして、吾輩の新たな近衛兵でありますぞ。笑顔も仏頂面も視認できませんが、まぁ、アインツベルンのオートマタ兵士と変わりませんな。命令通りに事を成す点においては、ハンドスペードの兵士たちより優秀と言えるでしょう。くふふ」
「かつての、ハンドスペードの仲間たちより?」
「ええ。李存義を含め、彼らは使えない駒でした。アヘル教団に手も足も出ないとは、形意拳とは軟弱な流派なのでしょうねぇ?」
「彼らを馬鹿にするのは止めなさい。」
「くふふふふ、失敬失敬!」
ジョンはガラシャの感情を逆撫でする。
傲慢で腐敗した精神の持ち主である彼だが、ガラシャを弄ぶ彼には真意があった。
彼が久々に竜宮へと舞い戻った時のガラシャの温かみのある表情を思い出したのだ。
ジョンは悔しいながらも、その時、その瞬間、ガラシャを美しいと感じてしまった。
聖母のような微笑みを汚しては、屈辱的だと思う。
もし殺すならば、醜く歪んだ顔でなければならない。
—————であれば、罪悪感も幾分か消え去るだろう。
「さてと、ガラシャ様、単刀直入に申し上げますと、吾輩は既に、アヘル教団の一員となりました。その意味がお分かりですね?」
「元の貴方も、ハンドスペードに入る前は、第五区にいましたものね。」
「ええ、はい。吾輩の王道を示すために第三区へと至りましたが、どうやらこのオアシスにおいては吾輩の理解者足り得るものはいなかったようです。イングランドの恥さらしと揶揄する馬鹿どもも現れましたが、悉く殺し尽くしました。さて、ここからは吾輩からの提案です。」
「提案?」
「吾輩にとってガラシャ様は、もしかすると、もぉぉぉぉおおしかすると、唯一の理解者となる存在かもしれません。吾輩と共にこの第三区を離れ、災害のアサシンの元へ行き、反旗を翻すその時を待ちましょうぞ。再び、ハンドスペードとして立ち上がり、開発都市第七区を造り上げるのです。」
「第五区へ?」
それは細川ガラシャにとって有り得ぬ提案だ。
彼女の仲間は、家族は、アヘルに全て奪われたのだ。
ならばこそ、彼女はその魂を災害に売り渡した。
亡命という選択肢は、有り得ない。それどころか、最大の侮辱であると言える。
ガラシャが怒りを口にするその直前、彼女はジョンの真剣な眼差しを捉えた。
ジョンは、ガラシャを不快にさせる為に言ったのではない。
「ジョン…………」
「欠地王、という言葉を知っていますかな?吾輩のことです。吾輩は、世界で最も愚かな王と評価されているのです。」
「…………」
「でも、こうして生きています。今も。生き恥を晒して、それでも、存在しています。日ノ本生まれの女子には分からないでしょうな。」
根本的な部分で、二人の考えは一致していない。
ガラシャは、誇りの為に命を投げうった。
ジョンは、全てを失っても生き延びる選択をした。
価値観の乖離がある。
「ガラシャ様、ヒトは生きてこそなのです。死に美しさはありません。生きているから、泣いて、怒って、笑うのです。死んでしまっては、何も残らないではありませんか。吾輩は、貴方を出来れば殺したくはない。かつての仲間だからではない。美しい花を枯らすのは王道ではないと、吾輩は認識しているのですぞ。」
「わたくしは、そうは思いません。命は限りがあって、それを知るからこそ、花は美しく咲き誇ります。」
「辞世の句ですか。吾輩にいま殺されても構わないと。それは果たして、果心居士が望む結末なのでしょうか。」
「爺が……?」
「果心居士が何のために、貴方様を生存させたのか、まるで理解していない。愚かな女だ。」
ジョンは溜息をつき、次の瞬間、殺意の籠った眼差しを向ける。
包囲していた龍燈がじりじりとガラシャに迫っていく。
絶体絶命、だが、ガラシャは不敵な笑みを浮かべていた。
「何故、笑っているのです?」
「いまわたくしは生きていますから、貴方の言う通り、笑いもします。……ジョン、一つだけ、窺いたいことがあります。」
「何でしょう?」
「どうして、爺が死んだことを知っているのです?つい先ほど、空へと旅立ったばかりだというのに。」
ジョンは『あっ』と情けない声を上げた。
彼は災害のアーチャーが暴れ出す一部始終を観測していた。
アヘル教団の都信華の介入があったその瞬間も、陰に隠れてこそこそと見守っていたのだ。
そして災害のアーチャーが宝具による一撃を放って、辺り一帯が灰になる瞬間も見届けていた。
「ジョン、貴方の狡猾さは知っています。恐らく貴方が隠れ見守っていたのは、竜宮のすぐ傍でしょう。領主であるわたくしが瓦礫の傍にいるそのとき、泥棒の如く押し入り、果心礼装の基盤を盗みだしたのでは?」
「な、何のことです?」
「龍燈の腕に取りついた装備、どこで入手したものなのですか?まさか貴方のことを嫌っていた爺が、貴方に渡すわけ無いでしょうし。」
「くっ」
「全く。その抜かりなさだけは評価に値しますね。王というより、奇術師の類ですが。」
ガラシャもまた、彼同様に溜息をつく。
そして汗をかく彼に、今度は彼女から提案を持ち掛けた。
「ジョン、災害のアーチャーがどこに逃亡したか、知っているのでしょう?」
「へ?」
「自らの生存を何より考える貴方が、不安材料となる災害の所在を確認しない訳がないものね。」
「ほほ、流石は、ガラシャ様ですなぁ。お見通しで。はは。」
「なら、今すぐ彼の元へわたくしを連れて行きなさい。これがわたくしの最期の戦いとなるでしょう。爺に貰ったこの命、無駄には終わらせません。」
細川ガラシャはかつての部下へ命じる。
彼女の遺された命は、彼女の罪を償うべく使用される。
せめてもの贖罪とは、自らが招いた厄災を、自らの手で葬り去ること。
一介の、武士ですらない女には、千年かかっても成し得ぬ奇跡。彼女はハンドスペードの領主として、それを成そうとしている。
ジョンはガラシャの背に、革命の狼煙を垣間見た。
「吾輩は、アヘル教団でありますぞ。吾輩が貴方様の我儘を聞くなどと……」
「いいえ、ジョン、貴方は聞いてくれます。———長い付き合いですものね。」
ジョンはガラシャの透き通った眼を捉えた。
真っ直ぐな目だ。ハンドスペードの姫君、象徴、その域を超えた、王としての器。王としての決断の眼差し。
彼は王であるが故に、彼女の王道を否定できない。
「全く。」
ジョンは俯き、そして笑った。
ハンドスペードとして残された者たちの、最後の戦いが始まろうとしている。
※
果心居士を葬り去った災害のアーチャーは、亀のような歩みで、第三区南東部へ向けて進んでいた。
誰にもその存在を悟られぬよう、ヒトのいる場所を避けながら。
酷く屈辱的ではあるが、仕方の無いことだ。
彼の鋼の肉体は、今にも朽ちる寸前である。
抑止力に空を奪われ、アヘルの強化人間に霊核を砕かれた。
災害であるが故に、彼は生き永らえている。だがそれも、あと数日保てば奇跡であろう。
「クソが……あぁ、畜生!それだけじゃねぇ、それだけじゃねぇんだ!」
彼は日に日に衰弱している。
他の災害とは異なり、彼はその絶対性を担保できない。
『人間』であることに自由を見出した彼は、ある意味で、その英雄神話を置き去りにしてしまった。
自らその格を、価値を、捨ててしまったのだ。
彼がいまシグベルトであることを証明するのは、手に持つバルムンクと、災具起動に必要なグラムだけ。
この剣を失ったが最期、彼はオアシスからの退去を余儀なくされるだろう。
無論、それ以前に、刻まれた傷が彼の生存を許すまいが。
「災具を使用できるのは、次でラストか。だが宝具すらままならねぇ。」
自身を顧みる男は、その愚かさに苦悩する。
こんなことならば、神であれば良かった。
災害という枠組みに窮屈さを覚え、その仕事を放棄した。
言わば、彼は残りカスだ。誰も彼には期待しない。
災害のライダーも、今のシグベルトは見捨てるだろう。
「マナ…………」
マナ・ガリアスタ
今は遠き、彼の女マスター。
特別な感情を抱いたことは無い。だが、主従関係として、彼女に尽くしてきたことは覚えている。
シグベルトはただ彼女の名だけを口ずさんだ。
もう顔も思い出せぬ少女の、せめて名前だけは忘却してはならない。
人間であるならば、故人に思いを馳せるのが筋であろう。
彼が細川ガラシャに力を貸した理由は、きっとそこにある。
きっと、そう、顔か、声か、何か分からぬが、とても似ていた。
大いなる者に奪われ、穢され、そして狂い果てたその様が、愚かなその様こそが。
「マナ…………だったのだろうか。」
シグベルトは女を愛する。
キルペリクのように生を全うすると決めたその時、高潔な精神は捨て、雄ライオンのように力を誇示し始めた。
他の男に奪われたくない。どれだけの英雄であろうが、それが例え同じ災害であろうが、彼は無視した。
そして蛇王のごとく、女を食らい続けた。ナナに歪められた本能はどこまでも変わらぬままに。
そんな彼はどこかで、マナのような女を探し求めていたのかもしれない。
細川ガラシャは、きっとマナ・ガリアスタそのものだ。
桃源郷一の愚か者。だから、彼が穢し、愛し、殺さねばならなかった。
「クソ……なぜ俺はあの女の前から逃げたのだ……」
これではあの時と、同じでは無いか。
殺してでも、救うべきだった。
エゴに塗れた正義は、今なお彼の中に渦巻いている。
惨たらしく生きるのと、高潔なまま死を迎えるのでは、天と地ほどの差がある。
シグベルトは正義に埋もれたままに死にたかった。でも、もうそれは不可能だ。
千年の時を生きた。とうの昔に狂っている。災害のままならまだしも、人間を目指した彼には重い。
死にたくない。惨めでも、生きていたい。
シグベルトは足を止め、空を見上げる。
災害のキャスターが造る空だ。偽物の空間に、美しい太陽と雲が浮かんでいる。
開発都市第六区では、災害のバーサーカーが人類と最期の戦闘を行っている。
我々はとうの昔に限界なのだ。
「ライダー、てめぇはどうして」
———どうして、救いの手を差し伸べ続ける?
愚かな人間、愚かな治世、人間と神はどちらも愚者だ。
それを一番に理解している筈だ。なのに、何故。
曲がりなりにも傍にいて、只の一度も理解できなかった。
ヒトの形をした呪いそのもの。ライダーの望みが虐殺であれば、理解に苦しむことは無かった。
少しはヒトを、神を、恨んでくれても良い筈だ。それが道理だ。
「ライダー、お前たちは、どれだけの苦しみを味わったのだ?」
災害のアーチャーは実に数百年ぶりに、仲間ですらない男に思いを馳せた。
そして彼の背後に人影を感じ、思考するのを停止した。
「ここまで、追いかけてくるとはな。」
シグベルトは振り返る。
やはり、マナとは違う。彼女は細川ガラシャ。激動の時代を生き抜いた、強き女である。
傍に立つのは欠地王ジョンと、その配下と思われる焔宿し人形たち。
まず災害が後れを取ることの無い、三流英霊たちだ。
「災害のアーチャー、わたくしの最期の命は、貴方と共に散る為のものですわ。」
「ジジイがくたばったことで恨んでいるのか?馬鹿言え、俺が殺そうとしたのはてめぇだよガラシャ。ジジイが邪魔だてしただけだ。俺がせっかく見逃してやった命、大事に使いやがれ。」
「見逃した?逃げたのは貴方の方でしょう?」
「俺が、てめぇ如き三流から逃げた、だと?笑わせる!」
アーチャーは聖剣バルムンクをガラシャへ振り下ろす。
だが、彼女はそれを避けようとはしない。ジョンが持ち出した果心礼装をその右腕に展開し、剣戟を止めてみせた。
決戦兵器はもうどこにも存在しない。だが、ガラシャにはまだ、果心居士が遺した神髄がある。
独りでは戦えなくとも、傍に『芸達者』がいるならば。
「果心礼装起動!」
ガラシャの右腕に装着された礼装から、三本の爪がせり出した。
細かく振動し、高速回転する。まるで肉を二分割するチェーンソーは、生前の彼が加藤段蔵に与えたものだ。
彼女にとっての刀が、シグベルトの聖剣に対抗する。
シグベルトは不快感に顔を歪ませた。
「舐めてんじゃねぇぞクソアマ!」
シグベルトは聖剣を握るその腕に力を籠める。
ガラシャの首を叩き落すまで、この場を離れることは無い。
バルムンクが徐々に青く光を輝かせ始める。彼の遺された魔力が、怒りに共鳴したのだ。
「く……う」
ガラシャの果心礼装、鍵爪の一本がへし折られた。
シグベルトの圧に対し、一歩、また一歩と後退を強いられる。
当然のことながら、圧倒的な力量の差がガラシャを追い詰めていく。
本来ならば、大英雄シグベルトと鍔迫り合いが出来ているだけで奇跡だ。いまの彼が死に体であるからこそ成り立つ戦闘である。
そしてスカイブルーの空に見合う色に剣が染まった時、彼女の果心礼装、その爪全てが砕かれた。
怪音と共に、ガラシャの肉体にバルムンクの一閃が下される。
彼女の胸部から腹部が切り裂かれ、夥しい量の血液が吹き上げた。
「ガラシャ様!」
思わずジョンは叫ぶ。叫んでしまう。
今はアヘルに身を置く彼は、ハンドスペードも、ガラシャも、己が生きる為の贄に過ぎない。
だが彼はどうやら嘘つきのようだ。己自身を縛る嘘で塗り固めている。
過激派組織を抜群の政治力でまとめ上げていた懐かしき日々が想起され、歯を食いしばった。
ガラシャは、果心居士は、李存義は、皆は、彼の道具でしかない。
夢の開発都市第七区、彼が災害と同様並び立つ為の土台、組体操のピラミッドで、頂点に立つのは彼の筈だ。
「ガラシャ様をお守りしろ!」
ジョンは無我夢中で、龍燈たちへ命ずる。
だが彼らは動かない。
それもその筈、龍燈はジョンの配下では無く、あくまで沼御前の従者たちだ。
沼御前はその焔を通じて、焦るジョンを見守っていた。
生前も、第二の生も、全てを失った彼に、珍妙な部下たちを貸し付ける。
その意図はただ一つ、最前席で、裸の王様の絶望を眺める為。
龍燈は機能停止したかのように、その場でモニュメントと化した。
「どうして……」
シグベルトの目の前で、膝から崩れ落ちるガラシャ。
彼女の肩から、淡い光の粒子が漏れ出した。
「あ…………」
ジョンはその光を知っている。
李存義、ヴァルトラウテ、そしてハンドスペードの仲間たち、皆、光と共に空へと旅立っていった。
同じようにガラシャも、このオアシスから消えようとしている。
儚げな輝きは、彼女が象徴として皆と共に生きた証だ。
白いシャボン玉が割れたその時、ガラシャは無意味に、無価値に死ぬ。
ジョンが最も恐れたことだ。彼は無価値に死ぬことを何よりも嫌っている。
だからその足は竦んだ。龍燈に動けと命じようとも、彼自身は動き出さない。
第五区よりその呆れた様を肴にして酒を飲む沼御前。安全圏からの観察、そして愉悦。
世界で最も愚かな王は、その場で立ち尽くした。
「ガラシャ、死ね。てめぇの役割は終わりだ。いや、てめぇのロールは元より無えか。」
「シグベルト…………」
シグベルトはガラシャの腕を、果心礼装諸共切り落とす。
痛みに喘ぐことは無く、ただ茫然と、その死の瞬間を待つ。
そして彼女が死を迎えるその時、彼女の宝具は花開く。
彼と共に果てるならば本望だ。
きっと細川ガラシャの一抹の輝きでは、何も変えられないだろう。
でも、もう、充分だった。
不意に思い出したのは、李存義が遺した言葉。
『太郎を仲間に———』
それは竜宮の建設者『浦島太郎』のことなのか、はたまた、グローブの黄金街道こと『金太郎』のことなのか。
今となっては分からない。
どちらにせよ、革命軍が手を取り合う様な未来を、彼は望んでいたのだろう。
いつかシェイクハンズの名のもとに、手を取り合える日が来るだろうか。
その未来に自分自身はいないことが、ガラシャには少し残念に思えた。
『散りぬべき、時知りてこそ、世の中の、花も花なれ、人も人なれ』
シグベルトが聖剣を再び振り上げた、その時。
彼女は辞世の句、もとい、宝具の発動詠唱を唱える。
彼女の足元に次々と白百合が咲き誇り、荒廃した空間を美しく染め上げる。
この花々は、ガラシャへの献花そのもの。彼女のお陰で生き延びた者たちの、感謝の印である。
彼女はそれを棺桶に閉じ込め、墓場へと持っていく。
シグベルトに逃亡の選択肢など、与えない。彼女の死を以て行われる、強力無比なカウンター宝具。
ガラシャは涙を零しながら、主への祈りを始めた。彼女の死は希望的自殺では無い。
シグベルトはその大剣を振り下ろした。そして、ガラシャの首が地に落ち、転がっていく。
その筈だった。
「え……」
祈るガラシャが見たのは、ふくよかな胸元、そして腹部である。
彼女を優しく抱き締め、守る様に立ち回っていた。
そしてガラシャの顔面に、自らとは別の、温かい血液が降り注ぐ。
彼女の代わりに、何者かが斬られたのだ。
ガラシャがその存在に気付くのに、一秒とかからなかった。
「ジョン……………………………………………………?」
シグベルトもまた、驚いた。
己の身可愛さに、あらゆる危険を避け、部下たちを顎で使い続けた悪王が
ただ一人の愚かな女を庇い、血を流したのだ。
つい先ほどまで、ガラシャの背後にいて、震えていた男だ。
シグベルトと同じ、惨めでも生きていくことを選んだはずの男なのだ。
「てめぇ……」
シグベルトは剣を地に突き刺し、ジョンの背を眺めた。
しっかりとついた脂肪は半分に千切られ、止めどない血だまりを生み出している。
ジョンはガラシャを心配させまいと、彼らしい高笑いをした。
無論、それが痛みを誤魔化すやせ我慢だと誰もが気付いている。
「ジョン…………なぜ……………わかるでしょう?わたくしはもう…………」
手遅れだ。もう、細川ガラシャは死ぬ。助からない。
彼女はそう伝えようとした、が。
ジョンにとってはその全てが些事だ。
単純な答えだった。気付くまでに長い時間がかかってしまった。
彼は数多の裏切りをした。彼を許す者も、彼を愛する者も、世界には存在しないのだ。
そう思っていた。
『貴方が生きていて、良かった。』
ガラシャとジョンが再会した時、彼女はそう言った。
どんな罵詈雑言が飛んできてもおかしくない状況で、彼女はただそう言い放った。
聖母のような微笑みで、彼の帰還を喜んだ。
開発都市第七区は、彼の為の国であり、そして、ハンドスペードの国だ。
彼がその王を名乗るならば、その妃となる女を守るのは、当然のことだった。
「吾輩には、十分すぎたのかもしれませんなぁ。」
ジョンは立ち上がり、シグベルトと相対した。
いまこの災害の目前には、大切な女を見捨てなかった王がいる。
ここにも、死を誉とする愚者がいた。
だが、ジョンはそれを否定する。
「吾輩は死にたくありませんな。あぁ、死ぬのは本当に怖いのですから。でも…………どうせ死ぬなら、格好つけたいのが男の性だろう?シグベルト。」
「…………三流英霊が、くだらねぇマネしやがって。」
「命を賭して、我が国を守る。多くを間違えてきた吾輩ですが、それだけは、間違えたことがない。さぁ、勝負だ。」
欠地王ジョンは、血塗られた王冠とマントを羽織り、胸ポケットからあるものを取り出した。
ガラシャも、シグベルトも、それが何を表すものか分からない。が、この場にいない、龍燈を通して戦いを監視する沼御前だけが、そのものの正体を知っていた。
「あ、あれは!まさか!わらわの!」
沼御前が所有する七つのヴェノムアンプル、日ノ本の妖の力を宿すそれには、ただ一つだけ、桃源郷を滅ぼしかねない危険な聖遺物がある。
それは、大妖怪『空亡(くうぼう)』のアンプルだ。
空亡とは、百鬼夜行の最後に登場する、巨大な暗黒太陽である。全ての魑魅魍魎、全ての人間を滅ぼす災害と民間伝承で伝えられていた。
これは人類歴の観点からすると、遠くない過去のファンタジーとも言われているが、オアシス歴千年の歴史を経て、ここ桃源郷においては確固たる神話性を担保された存在である。無論、太陽とも同一視されし空亡そのものの聖遺物など、この世のどこを探しても存在し得ない。
が、しかし、ショーンが有する災害アンプルと同じ、同系統神話からの輸入、かつ改造であれば調合は可能となった。
そう、スネラクを通じ、ヴェノムたちは災害のバーサーカー『后羿』の残留成分を回収していたのである。
Sクラス級のアンプルで、それが『大妖変化』を行使する沼御前により使用されていた場合、災害以上の脅威となった筈だった。現に、沼御前は己が桃源郷を滅ぼすための切り札として、ザッハークにも知られぬまま、隠し持っていた。
だが、先の果心礼装と同様、ジョンによってこっそりと持ち出されていたのだ。
「欠地王ジョン!きさまぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
これには、常に余裕綽々かつ、非道を貫く沼御前も、驚愕し、怒り狂う。
ジョンは今頃悔しさで暴れ回っているだろう沼御前に対し、心の中でざまあみろと舌を出した。
妖怪アンプルは英霊である沼御前専用に調整されたものであり、人間用のものよりはサーヴァントに適合しているが、それでも、ジョンのような力なき英霊が服用すれば、十秒と持たずに死に絶える。
それが太陽そのものでさえある『空亡』であれば、なおのこと。
だがジョンは、一切の躊躇いなく、自らの腕にアンプルを注射した。
専用のコネクタを介さない、血中ダイレクトに暗黒太陽を流し込む。戦闘続行のスキルがあろうとも、即死が必至だ。
「ジョン…………!?」
「てめぇ、まさか!?」
ここで、ジョンの行動と、彼の覚悟に、二人は気付いた。
ただでさえ豊満な肉体が瞬く間に膨張し、そして筋肉繊維を黒い炎で燃やし尽くしている。
輝けし逸話の一つもないジョンは、第二の生においても、なにも成し得ず、ただ灰となる。
彼は精神力で堪えてみせるが、無駄な足掻きであった。ガラシャ同様、彼の肉体から無数の粒子が零れだす。
沼御前の切り札『空亡』のアンプルは、世界を滅ぼすことなく、ただ三流の英霊に無為に消費され、オアシスから消滅した。
そしてジョンは、自らが生きている内に、龍燈へ命令を下す。
百鬼夜行の最後を任される、ある種、妖怪の王ともいえる空亡の炎には、鬼火に過ぎない龍燈たちは従わざるを得ない。
沼御前の支配すら超え、真にジョンの配下となった龍燈は、腕に取りついた果心礼装で、呆気にとられるシグベルトへの攻撃を開始する。
「無駄な足掻きを!」
シグベルトは聖剣を以て、これに対応するが、刹那、彼の身体から魔力が急激に減少した。
ひび割れた霊核の異常では無い。外部からのプレッシャーが彼の肉体そのものを捕縛する。
ここで災害のアーチャーは、その真相に勘付いた。
いま、彼に向かって手を翳し、宝具を起動した相手がいる。
「吾輩の宝具を発動する。きわめて不本意だがな、竜殺しの英雄ならば効かぬが、貴様がシグベルトであるならば、吾輩は貴様に対する特効薬となり得よう。これが吾輩の『尊ぶべくも無き大憲章(マグナ・カルタ)』だ!」
絶対的な王権を挫く、法の洗礼。
イングランド史上最悪の王と名高きジョンの、ただ一つの功績とも謳われる、彼からしてみれば余りにも情けない絶技。
大憲章マグナ・カルタに署名したことで、彼は立憲君主制の礎を築いた。絶対王権を制限し、王の力そのものを簒奪する。
シグベルトは国王である。故に、彼の宝具は災害でさえ、従わざるを得ない。
災害は龍燈の同時攻撃により、多大なダメージを負った。
「クソ……ありえねぇ、俺が、俺が、俺がぁぁぁぁあああああああ!」
シグベルトはたまらず災具の起動に取り掛かる。
だがもはや間に合わない。彼の目の前に急速に近付いたのは、今も脂肪や臓器をまるごと燃やし続けるジョンである。
欠地王はシグベルトを抱擁した。その瞬間、シグベルトの肉体にも、空亡の絶望が降り注ぐ。
言わば、これはミニマムであるが后羿の災具そのものである。
既に霊核が砕かれ、無敵でなくなった災害にはひとたまりも無い。
そして、僅か数秒間でも、この悪夢のような時間に耐え抜き、あまつさえ己の宝具まで使用してみせたジョンに、疑問を抱かざるを得なかった。
「てめぇ、なんで、そこまで」
シグベルトはあの日、蛇王ザッハークの元から逃げた。
マナを見捨て、全てを忘れ、本能のまま外道へと堕ちて行った。
人々から大英雄と尊敬され、二人の竜殺しの英雄へと生まれ変わりを果たした彼でさえ、サハラの悪夢には、桃源郷の闇には、屈したのだ。
何故、ジョンはくだらないただ一人の愚かな女の為に、永遠の苦しみを味わえるのだろう。
死にたくないのは同じだ。惨めでも、生きていたいはずだ。当たり前だ。
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
「なんで?簡単なことです。吾輩は生前から、これでもかという程に、己の無力さを知っていた。」
悪王ジョン、愚王ジョン、災王ジョン。
彼の名を語り継ぎ、そして、王たちは己の子に『ジョン』の名を継がせない。
第二の生において、彼は絶望を味わった。
それでも、ハンドスペードにて、再び指揮を執ることを選んだ。
もっとも王に向いていないと、自らが一番理解していて、それでもなお。
「吾輩は他の生き方を知らない。なら、恥ずかしげもなく、王冠を被るしかないではありませんか。」
「逃げても、良かった筈だ。」
「違います。吾輩はこれまで、何度も何度も何度も何度も逃げてきた。いつか勝つ為に、逃げてきた。」
「なら、何故?」
「ほぅら、分かってない。いま吾輩は、災害とも呼ばれた、かの大英雄(シグベルト)に勝ったではありませんか。なはははははははははははははは!」
—————王は孤独ではなれません。愚かでも、王と心中する民が、必要なのです。
「災害のアーチャーよ。これが革命軍『ハンドスペード』だ。」
そしてジョン諸共、大爆発を起こす。
ガラシャは爆風によって数メートル先まで飛ばされた。
二人の生死は確認できない。
ガラシャは飛びそうになる意識を必死で保ちながら、立ち昇る煙が消え去るのを只一人、待ち焦がれた。
※
辺りは既に夜闇に飲まれている。
外套一つとない、果てなき干ばつを歩く。
眠っていたガラシャは、誰かに背負われていることに気付いた。
「あれ…………?」
体格のいい、固い背中にしがみついている。
己がまだ生きていることに驚きつつ、じんわりと温かい肩に顔を押し付けた。
こうしている間にも、彼女の身体からは光の粒子が、蛍のように飛び去って行く。
もう彼女は長くはない。
「目が覚めましたな、ガラシャ様。」
彼女を背負っている男が声をかけた。
静かに笑いながら、ガラシャをしっかりと背負い直す。
「ジョン、あの爆発で、生き残ったのですね。」
「太めな体格が功を奏したようで。弾け飛んだ際に、吾輩の脂肪の半分は燃焼されましたが。」
「物理的に、ですね。」
二人は笑い合う。
まだガラシャには、その元気があった。
「災害のアーチャーは、死んだのですか?」
「ふはは、我が威光を示し、見事災害に勝利しました!痛快至極!…………と、言いたい所ですが」
「しぶといですね、彼は。」
「ええ。伊達に千年は生きておりません。最後の最後で取り逃がしました。」
「でも、ハンドスペードは、災害に一矢報いることが出来たのですね。」
「吾輩の大活躍、いかかでしたか?革命軍の王として、相応しいとは思いませんか?」
「そうですね。わたくしが推薦状を書きましょう。」
星の光だけでない。彼女らは、温かな光に包まれている。だからこそ、歩むべき道が分かる。
「…………どこへ、向かっているのでしょうか?」
「革命軍グローブの領地です。ガラシャ様の今の状態を、何とか治療して貰えるかもしれません。」
「もう遅いですよ。」
「いいえ、まだ元気ですよ。あぁ、アヘル教団にはオアシスきっての凄腕医師がいるのですが、治療しては貰えませんかね。まぁ、いつも一定の場所には留まらない、変わった女ですが。」
「第三区には、いないでしょう。こんな状態ですから。」
「ははは、そうですな。でも、そろそろグローブの領地に着きますよ。何やら、明日は催しがあるようで。準備段階から、楽しげな雰囲気が伝わって来るではありませんか。宴は良いものです。」
「ハンドスペードの皆で、パーティーを催したかったですね。」
「ああ、そうですな。きっとそれは楽しいでしょう。」
彼女らはサンコレアマルのすぐ傍に到着する。
そして、ガラシャはその場に転がり落ちた。
「ジョン…………?」
ガラシャが声の主を見やると、それは彼女の知る欠地王ジョンでは無かった。
彼女を背負っていたのは、ジョンの配下として戦った龍燈の一人。
アルコールランプの顔からは、既に炎が消え去っており、役目を終えたとばかりに、その場に崩れ去った。
思えば、ジョンは彼らのようにスマートな体型では無かったし、何よりシグベルトの剣で、背中に深い傷を負っていた。ガラシャが小柄であると言えど、背負うことは不可能だった。
ガラシャは現世と冥界の狭間で、鬼火をジョンと思い込み、話しかけていたのだ。
欠地王ジョンは、あの場で、死んだ。
何よりも死を恐れる王は、彼女の為に、命を絶ったのだ。
龍燈たちも消え、細川ガラシャはついに、独りとなった。
「お疲れ様、ジョン。」
ガラシャは最後の力を振り絞り、立ち上がる。
災害のアーチャーは、一日と経たぬうちに、死に絶える。
ハンドスペードは、革命軍として、災害のサーヴァントの討伐を成し遂げたのだ。
だが、結果として、ハンドスペードは細川ガラシャただ一人となった。
「爺、李存義、ジョン、みんな、———わたくしも、すぐにそちらへ向かいます。少しだけ、待っていてください。」
ガラシャはサンコレアマルを目指し、一歩踏み出した。
—————革命軍ハンドスペードよ、永遠であれ。
【キングビー編⑦『エピソード:キングシップ』 おわり】