革命聖杯戦争が起こる、ずっと前の話。
革命軍ハンドスペード領地内に、家を失った物乞いのような貧民がいた。
出歩く人々は彼の存在など気にも留めない。関わるだけ、時間の無駄である。
そして貧しい男もまた、静かに地面の蟻を眺めながら座っている。
「太郎」
往来する人々はぎょっとした。ハンドスペード三大臣の一人、組織の武力を担うジェネラルサーヴァント『李存義』が老体の男に声をかけたのだ。
もしかすると公共の場からの立ち退きを要求されるのかもしれない。先程まで意識の範囲外だった老人を気にかける者もあらわれる。
だが人々の心配は杞憂。李存義は、この老人『浦島太郎』に会いに来たのだ。
「李存義か。何の用だ。」
「また貴方を勧誘しに来たぞ、太郎。俺たちの仲間になってはくれないか?」
「断る。あと、俺は『麦造』だ。」
「全く、釣れない男だ。少なくとも今よりは豊かな暮らしを提供できるぞ。」
李存義の伸ばした手を、麦蔵は叩き落した。
明確な拒絶。だが、李存義は不敵な笑みを浮かべている。
「もし我らの側につかなければ、この領地からは出て言って貰う事になるぞ。」
「構わねぇよ。幸い昨日、仮宿を見つけたばかりだ。シェイクハンズ高架下の優良物件だ。」
「悪夢の大橋か。物好きだな。亡霊がわんさか出てくるぞ。」
「俺たちサーヴァントも似たようなものじゃねぇか……ったく。」
麦蔵はその場で立ち上がり、砂埃を払う。
そしてだらしなく伸びた白髪を簡易的なゴムで取りまとめると、大きく溜息をついた。
「で、本当の用件は?」
これまでの会話は、彼と李存義の、言わばアイスブレイク。互いの思惑を隠したままに、簡単な探り合いをする。
だが麦蔵にはこの前振りが茶番に思えていた。初対面でも無ければ、敵でさえ無い相手だ。
李存義は右手で顎髭を弄びながら、軽く唸ってみせる。どこかもったいぶるような素振りだ。
「雑談がしてぇだけなら、俺はもう行くぞ。」
「おい、待て。分かった。こちらの要求を伝えたい。」
李存義は苦々しい顔を浮かべる。恐らく本人も納得していないといった表情だった。
麦蔵は彼の顔で、要求とやらの内容は容易に想像出来た。
「『玉手箱』が欲しい。」
「あ?」
「持っているんだろう、それを。」
麦蔵は肩をすくめる。どうせそんなことだろうとは思っていたけれど。
「知っているだろ、俺はアレを開けた。だから今老いている。見て分からねぇか?ボンクラ。」
「嘘では無いだろう。だが、話には続きがあるんじゃないか?『玉手箱』とは即ち、時間を保管する箱だ。対象を、現在の時間軸から切り離し、ゆるやかな時の流れに押し込める。万能のパンドラボックス。」
「んな、夢の代物じゃねぇよ馬鹿。時を押し込めたならば、いつかは誰かが開かなきゃいけねぇ。物語の理であり、世界の理なんだ。」
「お前は、ハンドスペードやグローブ、革命軍の傷病者に寄り添い、その箱の力を使っているそうだな。最期の時を、少しでも長く、与える為に。既に俺たちは情報を掴んでいるぞ。」
「…………それがどうした。」
「そいつは、『竜宮』にあるからこそ、意味のある箱だ。ハンドスペードの更なる発展には、多大な時間を要する。ラックランドジョンが、それを渡せと要求している、分かるな?」
「てめぇらは俺から竜宮を奪ったじゃねぇか。まだ、奪い取るのか?」
「あぁ、利用できるものならな。」
李存義は一歩、踏み出した。
麦造をその拳一つで殺せる距離に接近する。
だが麦蔵は怯まない。己の命など惜しくは無いからだ。
「李存義、てめぇが分からないはずがねぇ。玉手箱は、また争いを起こすぞ。」
「…………」
「もういいだろ、いつまで仲間同士で小競り合いやってるんだ。いつまでたっても革命なんざ起こせねぇぞ。」
「グローブも、ダイヤモンドダストも、排除すべき敵だ。」
「違う、仲間だ。仲間なんだよ、李存義。」
李存義は揺れている。
欠地王ジョンの手腕により、ハンドスペードは確実に成長している。
だがこのままでいいのだろうか。
彼は組織の未来と共に、城主である細川ガラシャの身を案じていた。
過激派組織の象徴、女神。だが、もし彼らが負ければ、真っ先に処刑されるのは彼女だ。
「太郎、何故お前は誰も恨まない、憎まない、手を取り合えると信じられる?」
「俺も別に信じちゃいねぇさ。でも、第三区の頭、あのデカい産業大橋は『シェイクハンズ』って名前だろ。」
「……?あぁ。」
「なら、手を取り合う未来へ進む方が、物語としちゃ美しいじゃねぇか。」
「くだらないな。現実と仮想を区別するべきだ。」
李存義は目を伏せる。
麦蔵の考えを一蹴しつつも、ハンドスペードの未来の為に、飲み込む努力をしてみた。
矛盾していると、そう思う。だが理想社会への構想は、彼に留まらず誰もが一度は胸に抱くものだ。
「太郎、お前はそのパンドラボックスをいつ、開くつもりだ?」
「さぁてね。俺にも分からねぇさ。開くのはきっと俺じゃない。」
「?」
「誰かが、世界を守る為に、開くのさ。」
麦蔵は踵を返す。
李存義が拳を振り上げることはもう無いだろう。
李存義は呆然と立ち尽くしている。武人の彼には見えざる何かが、麦蔵の無邪気な眼差しに宿っているように思えた。
「そうだ、李存義。俺は竜宮を明け渡す際、恨み辛みを込めて、城内にある仕掛けを施した。」
「何だと?」
「俺の中にあった、大昔のことのようで、昨日のことのような、断片的なメモリー。愉快なヤツの面白い魔術だ。」
麦蔵は袖口から小さな液瓶を取り出した。
「まさか、毒か?」
「あぁ。革命軍にいた弱小魔術師に、再現させたものだ。こいつを城内の壁に塗りたくってから、城を後にした。ハンドスペードに呪いあれ、ってな。」
「貴様!」
李存義は麦蔵に掴みかかる。
麦蔵は不敵な笑みを浮かべていたままだ。
「死に至るものか?」
「いや?逆さ。この毒は『対象の時間を遅らせる』ものだ。俺たちが調合したものはそれの劣化版、死ぬまでの時間を、ほんの少し引き延ばすことが出来る。メッセージを残したり、最期の力を振り絞って反逆したり、有効に使ってくれや。玉手箱と似たようなものだろう?」
「お前、なんで、そんなものを。」
「言っただろう、恨みを込めてってな。つまり、痛み喘ぐ時間も引き延ばされているということだ。まぁ、英霊にはそんなもの無いだろうがな。ハンドスペードの連中が残された最期の時間をどう過ごすのか。それはきっとお前達次第さ。」
「太郎…………」
李存義の両腕を払い除け、麦蔵は去っていく。
彼はこの毒を所持していた人間を、明確に記憶していない。
だが、性根の腐った女だったことは、何となく分かる。
〈あら、手を引いて下さるの?有難う、ムッシュー。〉
あぁ、そうだ。
心底くだらない、落ちぶれた女だが、その声がとても乙姫に似ていたんだった。
麦蔵は白髪を掻き毟りながら、静かに笑みを浮かべたのだった。
【キングビー編⑫『エピソード:メアリー』】
革命聖杯戦争初日。
革命軍グローブ領地に、一人の女が訪れた。
彼女は戦争参加者であるドン・フゴウとの謁見を希望する。
当然、敵襲を警戒すべき場面であるが、フゴウはこれを許した。
白衣の女は、己を第四区博物館館長と名乗った。クロノへ懐疑的な目を向けていたフゴウにとっても、彼女、『間桐桜』は話を聞くべき相手であったのだ。
そして彼女に会ったフゴウは、信じ難い事実を告げられる。
否、理解していた、が、脳がそれを拒んでいるように思えた。
「クロノの連れているサーヴァントは、シェイクハンズの悪夢の黒幕…………」
「そうです。そして、彼はこの革命聖杯戦争で、他の六騎の英霊の命を以て、覚醒させようとしている。このままでは、第三区どころか桃源郷そのものが滅亡します。」
「……あのアイドルが只者ではないことは、我も、坂田金時も、麦蔵も察してはいた。だが、こうして言われると……」
「麦造?」
「あ、あぁ、我の友……では無いか、知人の男だ。すまない、関係のない名であったな。で、館長、貴殿はこれを止める気でいるのか?」
「はい。求めるのは、革命聖杯戦争の中止です。このままでは大変なことになる。」
「我の一存ではどうにも……過激派のハンドスペードはこの戦争に意欲を示している。説得は……これまでもしてきたつもりだが、厳しいだろうな。」
「そうですか…………」
フゴウは桜に対し、革命聖杯戦争の概要を説明した。
一日ごとに有力候補へ令呪が配当されるシステム、そして各組織の兵器。
桜は頷き、熟考する。クロノの暗躍を止める方法は無いだろうか、と。
シェイクハンズの悪夢のデータから察するに、抑止力はダイダロス同様、天空を自在に駆け巡る。即ち、メアリー・セレスト号の宝具とは相性が悪い。アイドルを仕留めるのは難しいと判断した。
かと言って、クロノを暗殺したところで、事態は変わらない、と思われる。知略に長けた男が、そこを見誤る筈は無い。たとえ死んだとしても、桃源郷の破壊は止まらないだろう。
配当令呪はマキリ製の改造、ならば、可能な命令は限られても、使用対象の変更は叶うだろう。桜はエラルを通じて、マキリ社のものに造詣が深くなった。
ならば、答えは見えたも同然だ。
「トリックを、仕掛けましょう。」
「トリック?」
「ええ。我が真名は、明かしたその時点で効力の半分を失うもの。でもそれを敢えて貴方に明かすことで、私のことを信用して頂きたいのです。そして、私の作戦に協力して欲しい。」
「何だ、言ってみろ。」
「この第三区の大地そのものに、私こと『メアリー・セレスト号』を潜水させます。」
桜はメアリー・セレストの権能を説明した。
船上で起きた惨劇、乗組員たちの失踪事件。未解決であるが故に、謎は、美しくも成立している。
彼女は宝具により、自身に乗船した全てのものを大いなる謎として昇華させることが出来る。
これこそが、災害のサーヴァントへの解答札であった。
「成程、それでクロノのサーヴァントを……」
「違います。空を飛ぶものに対し、私の力は通用しない。さらに言えば、これから先、災害のサーヴァント達には通じないでしょう。何故ならば、災害のキャスターこと『ダイダロス』にこれを攻略されています。既に他の災害もこのことを知っていると考えた上で、行動すべきです。」
「では、災害たちには通じない、と?」
「そう。ある意味、それを逆手に取った策略と言えます。確かにこれまでメアリー・セレスト号の未解決事件は終焉を迎えませんでした、でも、このオアシスは千年のときを経て、新たな歴史を歩み、過去の事件に対しても、新たな知見を獲得できています。それは博物館のデータベースを見れば明らかです。そして私の傍には、優秀な探偵がいた。彼女が私という謎を解き明かした資料は、私の手元にあります。この未解決事件は、私がこの資料に目を通したその時、解決されるのです。」
「つ、つまり、どういうことだ……?」
「つまりはクロノと、抑止力を騙し、出し抜く『トリック』です。それは────」
フゴウは息を飲んだ。
そして桜の口から出た言葉に、驚愕し、全身を震わせる。
「革命聖杯戦争参加者の、敗北、消滅を、『偽装』します。」
革命聖杯ROADを満たす六人の灯を元よりゼロにしてしまえば、覚醒させたとしても意味を有さない、と告げた。
桜館長は概要を説明する。
まず、最有力候補たるフゴウが、毎日の配当令呪を獲得する。
その間に、桜館長は第三区のある地点で、宝具を起動。メアリー・セレスト号を地中深くに潜伏させる。
そして獲得した令呪は都度、彼女へと転移させる。元がマキリ製ならば、垓令呪同様、人間であろうが英霊であろうが移植にそう時間は要さない。戦争の犠牲者が出るその時、令呪を用いて、船上へと移動、そして大いなる謎として、この世界から追放する。
これを六騎繰り返し、最期には、桜館長自身が、己の未解決事件を解き明かす。
謎が紐解かれたその時、消滅した者たちはオアシスへ帰還を果たす、というものだ。
「いくつか、疑問点がる。まず、第三区で争い、消滅するその瞬間をどう把握する?」
「メアリー・セレスト号が埋まる半径数キロ圏内であれば、自動探知できます。それ以外は、そうですね、メディアを使いましょうか。」
「メディア……というと、監視用ドローンか!?」
「そうです。クロノがグローブに勝利を促すならば、マンサ・ムーサ王、貴方の要求には応じる可能性が高い。ハンドスペードやダイヤモンドダストの動向を確認したい、と言って、第三区全域にメディアのドローンを飛ばし、私がデバイスで逐一チェックします。」
「成程、理解した。ならば次だ。未解決事件の犠牲者は、たとえ真相が紐解かれたとて、息を吹き返さないだろう。館長の謎が明らかになり、彼らが帰還するという保証が無い。」
「……皆様は、これよりメアリー・セレスト号に乗船した後、旅を始めます。もし紐解かれる謎が、バミューダ海域の魔物であるならば、桃源郷にて存在証明がされていた彼らに自然災害は起こり得ないでしょう。海賊の台頭も同様です。ですが、もし、乗組員の暴動が事件の真相であるならば、革命軍同士争う顛末は好ましくありませんね。もしかすると、皆が死骸となって帰還するかもしれません、私の宝具により謎そのものとなり、それが解決されたそのとき、無事に航海を終えられるならば、それは皆様次第でしょうね。謎を解くとは即ち、当時の乗組員たちの死因を特定する、ということであり、そうなれば革命軍の皆様の身に起きる現象として『有り得ない』と定義することが可能なのです。」
「成程な。ふむ、では最後の質問だ。それを遂行した後、『間桐桜館長』はどうなる?」
フゴウは鋭い視線を向けた。彼は、きっとその答えに辿り着いている。
だから、問わねばならない。彼女にその『覚悟』があるのか。
「どうでしょうね。役割を終えれば、消滅する。それが英霊の性ですので。もし生き残れたとしても、私はもうメアリー・セレスト号では無い、何かに成り果てている。これまでのようには生きていけないでしょう。」
「それは、儚い結末だ。受け入れるというのか?」
「はい。博物館は災害を殺す機関です。でも、決して、世界を滅ぼす組織では無い。私の召喚者が命じた、ただ一つの願い、それは彼女のたった一人の家族を、幸せにすることですから。」
フゴウには理解できない感情だ。だが桜館長の目には揺るぎない信念が宿っていた。
彼は彼女に応じるしかない。
革命軍が手を取り合う未来は、彼の望む理想そのものだ。
桃源郷を奪わせる訳にはいかない。
「分かった。だが、作戦はなるべく急いだほうが良いだろう。恐らく館長は宝具を維持したまま、それを悟らせずに数日間過ごすことになる。ならば、必要な令呪は六画では無く、四画だ。」
「四画?」
「あぁ。革命軍ハンドスペードで二人、革命軍ダイヤモンドダストで二人だ。」
「でも、それだと意味が……」
「あぁ。まずは革命聖杯戦争で勝者となるのは、黄金街道こと坂田金時だ。彼女が敗北するビジョンは浮かばない。そして、彼女は必ず、最後には、ROADを否定する。災害を殺すための願いよりも、流れた血に涙する女だ。」
「でも、それでも、五画……」
「そして我は、良いんだ。蘇る気は無い。我は死んでいたままの方が、皆の結束も強まるだろう。貴殿が己の全てを曝け出した今、我のことも話しておくべきだ。」
そしてフゴウは告げた。
自分自身が、革命軍の分断の元凶その人であると。
アヘルに魂を売った彼が、内乱を招き、そして現在までのうのうと生き永らえてきた。
革命軍を一つにするべく奔走したが、未来の情景に己は存在できないことも当然、知っていたのだ。
桜の計らいで、革命軍が手を取り合うその時が来るかもしれない。
だがそこに、彼はいてはならない。
「すまない。我の最悪の我儘だ。もし六画を手に出来たならば、我のことも救って貰えると嬉しい。だが、それは難しいだろうな。ははは。」
乾いた笑みを浮かべる。
そして後の話とはなるが、彼は、四日目のその日、黄金街道のピンチに、貴重な令呪を行使した。
桜の想いとは裏腹に、彼自身は助けられる気など毛頭なかったのだった。
フゴウの思いと、桜館長の策略は合致し、前代未聞の、消滅偽装トリックが開始した。
クロノと、彼のサーヴァント『ファフロツキーズ』を止める為、ついに動き出す。
※
上空一万五千フィートにて君臨するファフロツキーズ。
彼女は焔毒のブリュンヒルデによって負わされた傷跡を抑えつつ、苦虫を食い潰したような表情を浮かべていた。
カナンにより神縛りを発動され、その権能の多くに鎖が施された彼女。
今なお毒に犯され燃え広がろうとする焔に激しい痛みを覚えながら、地上を見下した。
サンコレアマル付近に到達した災害のランサーへ向けて、刀剣の射出は意味を為さない。
第三区民の守り神になったような彼女に、きっとあらゆる攻撃は通用しないだろう。
ならば、災害のライダーを先に始末するか。
幸いにも、ブリュンヒルデの炎が届く範囲にはいない。彼へ集中攻撃すれば、少なくとも今も状態からは脱することだ出来るだろう。
否、彼女は首を横に振る。
今も、こちらへと矢の先端を向ける愚か者がいた。ダイヤモンドダストの兵器、雷上動を有する間桐巧一朗だ。
もし今、災害のライダーへ意識を集中させれば、その隙を突いて彼は矢を放つだろう。
いつもなら簡単に迎撃できたツキも、今の状態では一歩遅れる。矢に貫かれれば、致命傷となりかねない。
あらゆる攻撃に対しても『無』である筈のツキは、ライダーの所為で、一介の英霊の如く、己の命に気遣わなければならない。
なんと歯がゆいことか。
感情というものに理解が無かった彼女が、まるで人間のように憤る。
アイドルというクラスに引っ張られ過ぎている。
「ならば」
ツキは何度でも、光の輪を出現させる。
今回のものは、これまでの倍以上だ。
この輪の中から、ありとあらゆるものが落下する。たとえ銃であれ、爆弾であれ、聖剣であれ。
彼女が雨のように降らせたのは、かつてシェイクハンズを悪夢へと誘った、失墜の剣『バルムンク』。
当時同様に、対象を明確化しない、無差別攻撃へ打って出た。
彼女は攻撃を開始すると同時に、過去のことを不意に思い出す。
それはクロノとの出会いだ。
「私の力を求めるか?」
「ええ。世界を救う為に。」
「救う?」
「災害を根絶やしにする為に、貴方が必要なのです。」
「人間風情が、私をコントロールできるとでも?」
「いえ。主従では無く、共闘、であるならば。私は貴方が万全に戦える舞台を整えます。貴方はそのとき、好きに暴れていい。暴れ回るその時期だけを、私に選ばせて欲しいのですよ。」
「世界を救う為に?」
「ええ、世界を救う為に。」
ツキがクロノの手を取ったその時、彼女は彼に疑問をぶつけたのだ。
「それで、世界をどう救済する?私の権能はただ『滅ぼす』のみにあるが。」
「あぁ、それはですね────」
クロノはあっけらかんと、プランを言い放った。
それはツキには到底、理解できるものでは無かった。
「つまり、ファフロツキーズ、貴方の役割は──────です。」
「は?」
ツキは災害を殺す抑止力。世界の終末装置だ。
だがただ一瞬だけ、ほんの少しだけ、只の人間風情に『恐怖』した。
彼という存在、その信念は異常だ。明らかに狂っている。崩壊していると言っていい。
だが、それはまごうことなき『救済』だ。彼は間違いなく、世界を救おうとしている。
そしてそれも、非の打ち所の無い完璧なプランだ。予期せぬエラーが発生しない限り、完遂されるだろう。
ツキは自らの回想を止め、溜息をつく。
主従ではない彼の為に、彼女は桃源郷を滅亡させる。彼は己の野望の為に、抑止力すらも味方に付けたのだ。
ファフロツキーズによる無差別攻撃が始まる。
災害のランサーは彼女の手の届く距離で、これを霧散させていく。
だがサンコレアマルから遠く離れている者たちは、彼女の力を以てしても守ることは出来ない。
災害のライダーはどこかへと姿を晦ませた。
巧一朗は黄金街道の元へと戻り、天下五剣をその手に、防衛戦を開始する。
シェイクハンズにいた麦蔵は、三人の子どもを匿い、橋の下へと隠れた。
だがその途中、落下した刃からチビを守る為に、麦蔵が盾となる。
「爺ちゃん!?」
子ども達の目前で、多量の血を流す麦造。
だが痛みに何とか耐え、彼らに笑いかけた。
彼自身、懐に忍ばせた液瓶の毒を己に付与している。
たとえ出血が止まらなくても、まだもう少し、生きていられるはずだ。
そして先を急ぐダストもまた、空からの狙撃に見舞われる。
バルムンクの内、二本が彼女の肌を焼いた。
ぎりぎりで回避が間に合い、命に別状はないものの、その白い肌は焼け爛れていく。
「く……う……」
ダストはシュランツァの言葉を追想した。
『枡花女、てめぇも今日死ぬとしたら、残された時間、どう生きてみる?』
もし今日が彼女の命日であるならば───
生きる意味を求める旅は、それだけで価値のあるものだった。
僅か一週間、誰からも不要とされた彼女が、巧一朗と出会い、ほんの少しの日常を取り戻した。
そして皆の前で舞い踊ることにもなった。
そういう意味では、空の支配者たるツキにも感謝している。
でももしドラマティックな最期を迎えることが出来るならば、それは巧一朗の為にこそ、あって欲しい。
枡花女の逸話。夢世界で途方も無い時を彷徨い、そして、頼光に雷上動を託した伝説。
それこそが、彼女に残された、最初にして最後の対人宝具。
「巧一朗様…………吾は……」
ダストは地面に転がりながら、空を仰いだ。
彼女を輝かしいステージに立たせた張本人は、いま、空の上という最高の舞台で踊り狂う。
だが見る者全てに与えているのは、夢では無く、悪夢だ。
そして再度、新たなる砲撃が繰り出される。
酸性雨よりも凶悪な、大地すらも抉り取る邪剣の豪雨。
ダストは逃げることも出来ず、死を受け入れるかのように、己と世界の終わりを眺めていた。
※
弱り果てたその身体で、桜館長はようやく目的の場所に辿り着く。
それは第三区の中心部の空き地である。かつては開拓され、舗装されていた道も、雑草が生い茂り、荒廃した雰囲気を醸し出していた。
彼女は屈み、その両手を大地につけた。
そして祈る。きっと、上手くいくと。消滅したサーヴァント達は無事に帰還すると。
フゴウに取り入った時は自信満々であったが、実際は怯えていた。第四区博物館館長として歩んだ日々、その全てが無くなってしまう事への恐怖だ。
でも、止まってはいられない。
巧一朗の幸せのために、今は進まなければならない。
意を決し、彼女は詠唱を開始する。
魔法陣が広範囲に築かれ、彼女を中心に時計のように回り始める。
これはダイダロス戦で使用した宝具へのアンサー。キャスターがかつて用意したその答えに、彼女はついに手を伸ばした。
『漂流船は如何にして航海を終えるのか(ファントムシップ・コンクルージョン)』
そして彼女は目を見開く。
空を往く者は、大地の輝きに目を奪われた。
誰かを救うべく走る者も、逃げ惑うものも、同様に、目を輝かせる。
開発都市第三区の地上から、幻影の沈没船が浮上した。
「あ、あぁ」
桜館長は淡い光に包まれる。
そしてその身から、何かが消えていくのを感じた。
「ふふ、思えば長い道のりだったかも。」
音もたてずに、身体から白いシャボン玉が抜け落ちていく。
ふるりと空に跳び上がり、弾けて消えて行った。
だが桜はとても満足そうな顔をしていた。どうしてなのかは、彼女自身理解できない。
一つだけ分かることは、大いなる謎となり消えた『四人』は、まだ生きている、ということ。
「託しますよ、巧一朗。我が愛しき子。」
誰もが桜のその後を知らない。
低空飛行するドローンにも、その姿は映されなかった。
巧一朗は、何かを感じ取り、振り返る。
そこに誰かがいる訳でも無い筈なのに。
空に消えていくシャボン玉に、少しの思いを馳せて。
そして彼に、ダストに、再び血肉を食らう隕石が降り注ぐ。
ダストが見つめる空の上で、刃が次々と消え去って行った。
驚く彼女は、その原因を突き止める。
頭上に落ちてくるはずの聖剣は、右手より流れてきた『折り鶴』の濁流に揉まれて飛ばされた。
七色の折り鶴が成す河は、まるで虹彩のよう。
ダストの元へひたひらと落ちてくる紙は、その一つ一つが式神で、小型のコンピュータが仕込まれていた。
「あ」
ダストは、起き上がり、その一つを手に取る。
彼女は『彼』と深く関わっていた訳では無い。だが、とても、とても、懐かしいような気持ちになる。
敵であった筈の存在である。それでも、この高揚は何だろう?
それはきっと、彼女は、彼らと、いつか手を取り合えると信じていたから。
『絡繰幻法・千羽鶴』
第三区の民は、麦造たちは、巧一朗は、ダストは、黄金街道は、それを目撃し、その声を聞いた。
第三区を包む天の川は、ファフロツキーズの無差別破壊を一時的に食い止める。
飛び交う折り紙を見たリンベルは、サンコレアマル会場で、再びマイクを手にした。
〈芸達者だ!ハンドスペードの芸達者が、帰って来たぞぉぉぉおおおおお!!〉
人々は、この瞬間、希望を見た。
芸達者、その真名は『果心居士』。
死んだと思われた彼が、第三区を守る為に、帰って来た。
ダストは背後に立つ男へ振り返る。
そして思わず、涙を零した。
「いつの間にか知らない船の上にいたもので、やっとここへ戻って来れました。初めまして、お久しぶり、どちらがこの場では好ましいでしょうなぁ。」
男は装着していた仮面を取り、にっこりと笑う。
己の消滅の未来を受け入れながら、それでも、彼はこうしてこの大地に立っていた。
「芸達者、さま……」
「ドン・フゴウから船上で話を伺いました。もうすぐ、みな帰ってまいります。昨日の敵は今日の友、この時ばかりは手を取り合いましょう。革命軍ハンドスペード『果心居士』、第三区を守る為、この身全てを燃やし尽くす所存ですぞ。」
そして、彼だけに留まらない。
千羽鶴の幻が消えた後、何者かがこの空を割り、飛んできた。
金色の髪を靡かせ、彼女はシェイクハンズへと降り立つ。
「フゴウから話は聞いているわ。子ども達は私に任せて。今はサンコレアマルの方が安全だから。」
麦蔵の前に現れた女はそう言い放つ。
子ども達は警戒心を露わにするが、麦蔵は彼女を信じることにした。
そして彼女は三人もの子らを抱え、再び空を舞う。
「私の他に、翼を持つもの…………撃墜する。」
ファフロツキーズは空を駆け巡る女の存在を看過できなかった。
皆が言葉を失う中、彼女に向けて槍の集中豪雨が解き放たれる。
巧一朗の存在を無視した暴挙だ。だがそれ程までに、空の支配者たるツキには許されざる存在であった。
誰もが目を覆い、惨劇を目の当たりにしないようにする。が、女には傷一つ付いていない。
〈敵性自動認識プログラム起動。敵はシェイクハンズの悪夢の際、発生した桃源郷の抑止力『ファフロツキーズ』。彼女の攻撃パターンは全て解析済みだ。僕の翼は天空からのどのような攻撃も通さない。いけ、ペルディクス。〉
「あぁ、凄いのは分かったから、ちょっと黙ってなさい!ダイダロス!」
ダイダロスの遺した翼は、ファフロツキーズのあらゆる攻撃を想定し、その全てに対応する。
災害のキャスターは過去の事件を糧とし、抑止力の完全攻略を成し遂げた。
そしてそれを卓越した頭脳と技術で操るペルディクス。彼女が抱きかかえる子ども達に、傷一つ負わせることは出来ない!
〈なんということだ!ダイヤモンドダストのリケジョまでもが、第三区に舞い戻ったぞぉぉぉぉおおおおお!〉
リンベルのマイクを握る手は汗に塗れている。だがそんなことは彼も、そして誰も気にしない。
「くっ……!くそ!くそ!」
サンコレアマルに子ども達を届けたあとも、ペルディクスは煽る様にファフロツキーズの目前を飛び回る。
天空の支配者にとって屈辱そのものだ。どのように叩き落そうにも、あらゆる攻撃がこの女には効かないのだから。
そしてペルディクスはついに、ファフロツキーズより高位に飛び上がった。そして彼女は空の上から、己のコンパスで円を描き、自身の拳をツキに叩きつける。
「宝具起動!『其れ聖域と呼ぶ勿れ(オルギ・アクロポリス)』!」
ファフロツキーズに対して、まさかの対人墜落宝具を発動する。
通常ならば蚊に刺された程度の打撃も、ライダーの宝具を受けたツキには、真っ当な絶技として突き刺さる。
翼を有する筈の彼女が、ペルディクスの宝具により、大地へ向けて落下していく。
だが、当然、この程度で怯む神では無い。
「効かぬわ!」
ツキは何とか態勢を整え、宝具により形成された光の円柱から抜け出ようとする。
果心居士が攻略したように、この結界を壊せば、墜落による死は免れる。
だがそのとき、空の上にいるペルディクスが何かを叫んだ。
「今よ!ロンリーガール!」
瞬間、ファフロツキーズの頭上から何か得体の知れないものが覆い被さった。
これは対人宝具の影響を受けない、浮遊する亡霊だ。
愛を乞う悪意そのものが、ツキの肉体から生気を奪い取っていく。
彼女の身体からするりとその力が抜けて行った。
「たまには役に立て!というものですわね!行きますわよ、旦那様!」
ツキはそのスキルを発動した張本人を探し当てる。
彼女は、『細川ガラシャ』は、その身体から光の粒子を漏らしながらも、不敵な笑みを浮かべていた。
自死宝具によってタイプキメラと共に心中した筈の女だ。何故彼女が生きている?
ツキは理解できぬままに、忠興の怨念に力と思考を奪われていく。
ガラシャは確かに、死ぬことが確定した。
だが太郎がかつて竜宮に仕掛けた『毒』が作用し、まるで走馬灯を駆け巡る様にゆったりとした時間を生きている。
この戦いが終わるそのときまで、彼女は扇子を仰ぎ、女王を気取り続けるだろう。
だがその悠々とした様に、第三区民は失った希望を取り戻す。
〈ロンリーガールも登場だ!革命軍再結集だぜ!ヒャッハーーーーーー!!〉
リンベルの雄叫びに、第三区民は歓喜した。
ハンドスペードやダイヤモンドダストを忌み嫌っていた人々も、反省し、応援を開始する。
このときばかりは、自らを救ってくれる英雄の到来を祝福すべきだと。
ファフロツキーズは二騎のサーヴァントによる攻撃を受けつつも、まだ、余裕があった。
確かに忠興の怨念に身体をもっていかれている感覚はあったが、只の三流英霊に抑止力の侵攻が阻まれて良い筈が無い。
落下する中で、円柱結界に爪を伸ばし、不格好にもしがみついた。そして猫のように何度も、執拗に引き裂き、外へ出る空間を作り出す。
この間、僅か数秒。彼女は己の力に溺れ、慢心することは無い。ただ生き、ただ殺す。生存の為なら生き恥を晒す覚悟でもあった。
指先から徐々に、外部へと肉体をねじ込んでいく。僅かな隙間に身体を通しながら、結界を打ち破った。
だがそこまでは、ペルディクスと細川ガラシャの想定内だった。
元より、墜落宝具が真っ当に成立するなど思っていない。これはあくまで、敵の行動に制約を持たせ、注意力を散らすための策だ。
本命は別にある。結界に穴を開け、脱出を図るならば、当然、その穴に狙いを定めた一撃を、避けることは出来ない。
ファフロツキーズの身体が穴を通り抜けたその時、彼女はようやく気付いた。
失念していた。彼女をずっと狙い続けていた矢の存在を。
「あとは託しましたわよ!ダイヤモンドダストの兵器さん!」
そう。巧一朗は限界まで兵破を引き絞っている。
この矢を撃墜するには、余りにも準備が足りない。この瞬間、雷上動による一撃は必中の宝具となる。
『これより放つは、妖を屠る一閃なり。大聖文殊菩薩よ御覧じろ。今ここに天下無双の名を顕す』
巧一朗、そして頼光の思いが、声が、力が重なり合う。
招霊継承、最期のありったけが、この弓と矢に乗せられた。
『雷上動・兵破(らいしょうどうひょうは)』
そして放たれる必殺の対魔妖宝具。
光線は天高く伸び、対象の胸を的確に貫いた。
円形の穴が開き、ツキは洪水のような血を吐き出した。
焔毒のブリュンヒルデの燃え広がる傷、カナンの神縛りの呪い、ペルディクスの宝具、ガラシャに取りつく細川忠興の怨念。
全てが重なり、この一撃へと繋がった。
故にその威力は絶大である。ファフロツキーズは肉体の三分の一を失い、宙で苦しみ嘆く。
だが、まだ終わりでは無い。勝利の盃を交わすには、まだ倒し切っていない、彼らは気を引き締める。
空を割る一撃を目撃した黄金街道、そして、彼女の元に駆け付けたダストと芸達者。
彼らは巧一朗に希望を見出した。
ダストは急ぎ、黄金街道の手当てをする。坂田金時という女は、闘争心を失ってはいなかった。
果心居士は、彼女からグローブの兵器、大具足のことを伝えられる。
もし彼が生きていたら、より強大な力を有していた筈の決戦兵器だ。
「大丈夫、儂が何とかしてみせましょう。果心礼装を大具足に組み込めば、決戦兵器は蘇る筈だ。」
「出来るのか?」
「ええ、十数分もあれば。」
芸達者と黄金街道は拳を合わせる。
ようやく彼らは、手を取り合う未来を選択出来たのだ。
そして矢を放った巧一朗は、自らの手から雷上動が消え去るのを確認した。
もう、魔法の解ける時間がやってきたようだ。
頼光は、二つの矢を放ったその時、別れる約束である。
たとえ彼ら二人が祈っても、もうどうにもならない。
隣人から派生したダイモニオンは、定めを乗り越えたその時、繋がった糸を解く。
招霊継承、奇跡の体現は終わり、巧一朗は元の姿へと戻っていった。
「巧一朗、なんて顔だ。」
「…………慣れないんだ。どうしてもな。」
「こんな薄汚い古狸にも愛着を持ってくれるとはな。あぁ、お前さんとの一週間は、かなり劇的で、刺激に満ち溢れていたぜ。」
「あぁ、俺だってそうさ。」
頼光は光の中で、巧一朗に背を向ける。
もう二度と、彼に会うことは無い。だから、巧一朗はたまらず叫んだ。
「ありがとう!大英雄!ありがとう!」
人類の記録から消えたとしても、源頼光は、こうやって、誰かの記憶に刻まれる。
鮮烈に、豪快に。
今はただ感謝したい。巧一朗は、翼と勇気の持ち主であるイカロスと、力と不屈の精神の持ち主である頼光へ最大の敬意を込めた。
別れとは寂しくも、尊いものである。
感傷に浸りながら、自身の胸を強く叩いた。
ここから先は、彼だけの戦いだ。彼を救ってくれた英霊に最大限の敬意を込めて、戦い抜くことを誓う。
開発都市第三区は、后羿の存在を他所に、暗黒へと包まれていく。
暗い雲が空の眩しさを隠したためか。
それは区民たちにとって、不吉な予兆と感じられた。
穴の開いた胸部をその巨大な手で覆いながら、
ファフロツキーズは嗤っていた。
心なき抑止力の、怒りが、喜びが、世界を混沌へと陥れる。
【キングビー編⑫『エピソード:メアリー』 終わり】