キングビー編は次回で最終回!
感想、誤字等ありましたらご連絡ください!
『メアリー・セレストに関する考察』
開発都市第三区。
ドロドロに溶けた残骸、または肉片。
桃色の髪を二つに束ねたかつての栄光(アイドル)は、矢を受けた衝撃により全身ねじ切れた。
『幽霊船と呼称されたこの船にて、突如消失した十名の乗組員たち。デッキは浸水状態、食料は残されたまま、乗組員のものと思われる血痕が残されていたが、船体には目立った損傷はなし、だが、説明が不能の損傷は発見された。そして重要な点が二つ』
奇跡とも呼べる可憐な顔は、地の底より這い出た捕食者により飲み込まれていく。
男を虜にする瞳も、豊満な胸も、艶やかな足も、こうなれば只の肉塊に過ぎない。
『生』の触感を味わい尽くしながら、捕食者は桃源郷の抑止力を食べ続けた。
『船室に取り付けられた掛け時計は機能しておらず、羅針盤が何者かによって故意に破壊されていた、ということ』
そしてひとしきり食い散らかした後に、己の頭を抱え、暴れ回った。
それはファフロツキーズという現象そのものを咀嚼したことによる副作用である。
捕食者は複数の『足』をせわしく地面に叩き付けながら、抑止力を身体の内側に吸収した。
口元に付着した液体を舌で舐め取り、両手の爪を立て、頬を掻き毟る。
『私が推察するに、状況証拠から見て、彼らは何らかの超常現象に巻き込まれた可能性が高い。メアリー・セレスト号が漂流していた海域から捉えると───』
捕食者はか細い声をあげ、目を擦った。
零れ落ちたのは、涙か、それとも、潮水か。
彼女の哀しみは、己の召喚者と、己の『息子』と呼べる存在に向けてのもの。
あまりにも長い人生を経て、彼女はついに、彼女自身を知る。
『以上が、メアリー・セレスト号の未解決事件の真相だ。故に、君という存在の意義はここで潰える。だが、もしも、ここからはもしもの話だが、君が難破船では無く、難破船を難破船たらしめた、そのもの、であったならば、話は大きく変わるだろう。私は君が未解決ミステリー以上の何かでは無いかと思っているよ』
虚数の海に沈んだ、彼女のマスター『間桐桜』。
その現実の肉体に宿る形で召喚された彼女は、メアリー・セレスト号として戦い続けてきた。
だがその偽装真名は、言わば安全装置(セーフティー)だ。主人がつけた首輪であり、博物館を守る為に生み出した仮の姿そのもの。
千年を生きる災害を殺し尽くすうえで、漂流船の結末だけでは足りない。
故の二段構え、と捕食者はにやけるが、誰も彼女の覚醒は望んでいない。
彼女がメアリー・セレストとして生きることが、どれ程求められていたか。
キャスターの推理力により紐解かれるパンドラの箱。
災害を殺すための『災害』が、生まれようとしている。
『君のこれまでの話、そして巧一朗の存在、そして虚数魔術と、虚数海に漂う【隣人】。これらから導き出される答えだ。間桐臓硯ないし桜、正義を志す間桐が辿り着いた答えこそが君だ。対ヴェルバー戦闘兵器とも呼べるだろう。無論、星舟そのものを想定して、では無い。外世界及び降臨者全てに対するアンチシステムだ。』
「私の名は」
『この星そのものに寄生し、かつてよりその特殊海域に迷い込んだあらゆる生命体を取り込み、虚数へと変換した。そしてそれは廃棄情報媒体【隣人】として縫合された。即ち、君は【隣人】の生みの親であり、まぁ、ある意味、巧一朗の母親、とも言えるだろう。第四区博物館は災害を暗殺する為の機関、では無く、人類創世の為の研究施設だ。君はそれをもう、知っている筈だ。』
捕食者はゆっくりと立ち上がる。
彼女は自らの首にかかった、第四区博物館館長としてのネームカードを握り締めた。
夥しい血液で赤黒く変色した白衣を翻し、亀の歩みで動き始める。
彼女の目標は一つ、この母体が産み落とした愛しき息子の元へ。
捕食者、間桐桜の名を語る英霊、否、怪物。
彼女の名は───
『君の真名は』
「『三角海域の魔物(ルスカ)』」
【キングビー編⑮『エピソード:アンサー』】
災害のみが立ち入ることを許された天空城塞。
サンコレアマルと同規模の空間、白色で統一された不可思議の場所で、二人の男が対峙する。
第四区博物館裏戦闘スタッフ、間桐巧一朗。
第四区博物館副館長、神父業を営む、言峰クロノ。
巧一朗は衝撃の事実を聞かされ、それでもなお、浅葱色の目で彼の敵を睨み続けた。
外側からクロノを観察し、分析する。
元は災害のアーチャー『シグベルト』であった男だが、今のクロノは人間そのもの。
あろうことか魔力すら有さない、搾りかすのような状態だ。
その戦闘能力は未知数だが、戦略の幅は巧一朗に比べ、狭い。
故に、ペルディクスをこの場から消し去った。今のクロノでは彼女に叶わないという判断だろう。
もし、計画をただ遂行する為ならば、巧一朗自身も追放してしまえば良かったが、クロノは敢えてそうしなかった。
慢心によるものか、はたまた。
どちらにせよ、巧一朗にとっては好機だ。
彼はクロノの『天還の儀』を阻止するべく、走り出した。
「言峰クロノ、俺が、あんたを止める!」
「巧一朗、君にはその権利はない。桃源郷の、否、この惑星そのものの害虫、それが君だ。」
「五月蠅い!」
巧一朗は全速力で駆け、クロノの顔面に殴り掛かる。
博物館でトレーニングしてきた日々、数々の任務をこなした経験、そして、招霊転化で繋がった二人の流霊の知識、戦闘センス。
全てが今の巧一朗を形作っている。
クロノは巧一朗の渾身の右ストレートを軽く往なし、空いた腹部に強烈なアッパーを叩き込んだ。
巧一朗はその反動で数メートル吹き飛ばされる。
「私は今、セミの抜け殻だ。だが、元は英雄シグベルトだ。舐めてもらっては困るな。」
「くそ!」
巧一朗はすぐさま立ち上がると、再度クロノに向け走り出した。
クロノは構えたまま、彼の攻撃を待つ。
どの位置から踏み込まれても対応できるよう、パターンを細分化し、想定する。
シグベルトはかつての偉大な王であり、また騎士でもある。
知略に長けた側面に加え、こと戦闘では他者の追随を許さぬ圧倒的な能力を発揮する。
巧一朗に対し、それは遺憾なく披露された。
一歩、レンジに到達した巧一朗は、両手による殴打に加え、足技を加えていく。
その一挙手一投足に着目し、クロノは着実に裁いていく。
どこか格闘技、とりわけ合気道にも似たスタイルだが、クロノのそれは我流によるもの。
受け止めるのではなく、受け流す。まるで先を読んでいるかのように、巧一朗の攻撃は悉く跳ね除けられる。
左拳、右拳、どれも空を切り、対象へは届かない。
一手に込められた魔力が分散する感覚。攻勢に出ているのは巧一朗の筈なのに、防御に徹するクロノに勝機がある様に見えた。
「脇が甘いぞ、巧一朗。博物館で積み上げてきたものはその程度か?」
「くっ!?」
クロノは巧一朗の足技をギリギリのところで躱し、バランスを崩させる。
そして彼の顔面ごと、地面に叩きつけた。
鼻の骨が砕けるような衝撃に、巧一朗は苦悶の表情を浮かべる。
クロノは一瞬ダウンした巧一朗に更なる追撃を与えようとするが、すんでのところでその拳を仕舞った。
そしてあろうことか戦闘中の相手を放置し、踵を返す。
ROADは満たされたのだろうか。もし天還の儀が成立したならば、巧一朗は、このオアシスはゲームオーバーだ。
無防備な背中に、巧一朗は飛び掛かろうとする。だが、クロノの発した言葉に、彼は足を止めた。
「巧一朗、君は何の為に戦う?」
クロノは振り返る。
その声色は、巧一朗を惑わせようとする巧みな話術から来るものでは無い。
純粋な疑問、子どもがあらゆることに興味を持つかのような、知的好奇心そのもの。
だから、巧一朗は動けなくなる。
何故、彼はいま、拳を振り上げているのだろうか。
「愛するセイバーを殺されたことへの復讐。それが君の価値そのものだ。だが、セイバーは君のコラプスエゴの中で生き続けている。そして放置すれば、やがてオアシスと世界そのものを殺し尽くすだろう。博物館で出会った仲間諸共ね。なら、君の復讐とは即ち、世界を滅ぼすことへの肯定、犯罪教唆だ。」
「俺は…………ただ彼女に会いたくて…………彼女は世界を滅ぼしたりなんか……」
「彼女は『ヴェルバー』だ。サハラに、アトランティスに眠る残骸を糸で結びつけ、再生させてしまった。我々も君らにとってみれば悪夢そのものかもしれないが、セイバーは真に『災害』だ。そこにヒトの意思は宿らない。とってつけた恋心で、ヒトの真似をして楽しんでいるに過ぎないのだ。」
「…………」
「気付いているのだろう、君は。何故なら、あのサハラの地で、君は見た筈だ。」
巧一朗はフラッシュバックする。
巧一朗と二人の楽園を築くために殺戮を繰り返すディートリヒ・ヴェルバー。
現地の人間は原型が残らぬレベルで解体され、砂漠は血の海と化していた。
災害のバーサーカーが命懸けでこれを止めたが、彼のマスターである少女は、命を燃やし尽くしてしまった。
ああ、知っている。
彼は見て見ぬふりをした。
『虫』である己を愛してくれる存在が、大罪人であろうと、災害そのものであろうと。
彼をただ肯定し、『生まれて来てくれてありがとう』と抱き締めてくれるなら。
どんな悪意であろうとも、彼には救いそのものだから。
「人類を滅ぼしても、災害(ヴェルバー)を抱く未来を選び取るか?」
「……っ、それは……」
「もしそうならば、朗報だ。君の所属する第四区博物館の目的と合致する。君は名誉テロリストとして称えられるだろう。」
「博物館の……目的?」
第四区博物館は、このオアシスの財産として、指定文化財である聖遺物を管理する組織。
だがその実態は、間桐家が創り上げた、災害を葬り去るテロ組織だ。偽りの歴史を否定し、正義の名目でオアシスを正すべく戦っている。
天還の仕組みにいち早く気付き、ついに災害のキャスターへと実質的な勝利をもぎ取った。ある種、革命軍のような働きである。
だが、クロノはこれを否定する。
第四区博物館副館長であった男が、ここを離れた理由でもあった。
「そもそも、この日本という国を滅ぼし、生まれた社会が『開発都市オアシス』というのは可笑しな話では無いか?」
「何が?」
「実質的に災害により千年は運営されている社会だ。これは国と銘打っても差し支えないだろう。だが、ここはあくまで『開発都市』だ。まだ発展途上であることが示唆されている。そして、オアシスという名。地獄の砂漠の中で現れる桃源郷だ。」
「この繭の外の世界から、時間軸だけが切り離されている。災害のライダー『カナン』の仕業、だと推測される、けど。」
「あぁ。ダイダロスが生み出した『舟』こそが、この開発都市だ。そして、カナンが持つ災具でもある。彼と、我々はこれを『カナンの箱舟(カナンズ・アーク)』と呼称している。」
「『カナンの箱舟(カナンズ・アーク)』……」
クロノは一呼吸置き、真実を告げる。
巧一朗には、それを知る権利があると、そう認識した。
「ノアの箱舟は知っているな?原理は同じさ。我々災害の目的は、この桃源郷をこの惑星そのものから切り離し、数千年先の未来へと旅立とうとしている。地球が積み上げてきた英霊の歴史を足蹴にし、新たなる地球へと帰還する船旅、それが『カナンの箱舟(カナンズ・アーク)』だ。」
「地球から、旅立つ?」
「結論から言えば、我々は『ヴェルバー』を放置する。桃源郷を除く世界を全て放置し、我らの民だけを救うのだ。」
クロノは告げる。
災害のライダーの立てた計画は、この惑星そのものが砂に帰すそのとき、この桃源郷だけは守り切るという事。
この惑星が築き上げた歴史から開発都市を切り離し、独自の世界、箱庭として存続させる。
ならばこそ、始まりの聖杯『リンネ』の故郷、日本が選ばれた。
島国であるからこそ、外界の干渉に遅れが生じるこの土地は、カナンにとって都合の良いものであったのだ。
来たるディートリヒ復活の日。箱舟はセイバーのみを世界に取り残し、途方も無い年月の旅に出る。
「そんなことが…………出来るのか……」
「カナンという現代まで残り続ける醜悪な呪いだからこそ、叶う。約束の地に土着したヒトの願いであるが故に、あの男はあの土地に関する全ての所有権を得る。かのダビデ王や、ソロモン王に至るまで、カナンは己の四肢のように力を引き出すことが出来る。もっとも、今のあの男には遠い話だがな。」
災害のライダーは彼すら所持しない奇跡の箱舟の維持に、己の全てを捧げた。
彼はいま、災害のサーヴァントの中で最弱と言って差し支えない程に消耗している。
抑止力ファフロツキーズに対抗するには、災害のランサーの存在は必要不可欠だった。
「そしてここからが本題。第四区博物館は、災害を排除する組織、そう君も認識しているだろう。」
「勿論、そうだ。」
「だが、それだけに留まらない。博物館の、というより、臓硯の意思、そして桜の意思があり、相反する目的のままに動いている。最終的に、ヴェルバーをどうするのか、という点だ。」
間桐臓硯は、既にこの世を去った。
だがデータベースにて、彼の絶対正義は遺されている。
魂の物質化を目指した男が、最後に辿り着いた結論は、巧一朗には到底許容できるものでは無かった。
「後者はヴェルバーの使役、いや、ここでは管理という言葉が相応しいか。巧一朗、君の恋の感情と共に、二人の為の楽園を創造しようとしている。そして前者は、ヴェルバーとの共生だ。」
「何が違う?」
「後者は人々も世界も保護する。そもそもディートリヒ・ヴェルバーは巧一朗の『縫合魔術』によって生かされている存在だ。この肉体を繋ぐ糸を管理できれば、マリオネットのように檻に閉じ込めて置ける、という思考。だが前者は違う。ヴェルバーにより世界をリセットし、新たなる人類を構築しようとしている。」
「新たなる……?」
「ディートリヒに身体を与え、巧一朗と番にさせる。そうして生み出される新たな人類、新たな秩序。更地と化した惑星に新人類が誕生する。博物館のデータベースには、こんなものも用意されていたぞ?」
クロノは自らのデバイスを放り投げた。
受け取った巧一朗は、その画面に表示されたモノに絶句する。
それは心臓部位がエネルギー結晶として露出した、蝶の翼を有する新人類のケースモデルだ。
巧一朗は画面に映るヒトを見て、思わず言葉を漏らした。
「蝶の羽を持つ異形」
彼は自らも虫でありながら、異形という言葉を敢えて用いた。
それほどまでにおぞましく思われたのだ。
きっと桜が彼を産み落とした時、同じような感情を抱いたのだろう。
やはり何故彼はいま生きているのか、彼自身分からなくなってしまう。
クロノの話術に、乗せられている、そんなことには気付いている。
でも、彼は嘘を付いていない。これは災害が死に、巧一朗が幸せを得た未来なのだ。
「この開発都市は、航海を始める為にこれまで存続されてきた。災害は勿論のこと、輪廻の子孫たち、遠坂は都市開発に貢献し、マキリとアインツベルンは英霊の格を落としつつ、人々に寄り添わせる形で、区民を育て上げてきた。そしてアヘル教団はいま、旅の終わり、この惑星へ帰還したそのとき、異聞環境に身を置く際に適応できるよう、ヴェノム技術で適正者を進化させている。だからこそ、博物館はやはりテロ組織なのだ。君がこれまで救い、救われてきたものを犠牲にし、君だけの楽園を築こうとしている。間桐桜は真の意味で、君の味方だ。」
唖然とする巧一朗に、クロノは再び近付き、彼の頬に拳を突き入れた。
クロノ渾身の右ストレートに、巧一朗は倒れる。
まるで喝を入れたかのような一撃に、巧一朗は戸惑った。
「やはり、君など生まれてくるべきでは無かったのだ、巧一朗。私が過去へと至り、サハラの地で、君を『無かったこと』にしてやろう。」
巧一朗は立ち上がれない。
クロノの方が正しいと、認めてしまっている。
災害が壮大な計画を実行に移すのも、博物館が彼だけの為に世界をどうにかしようとしているのも、英雄の歴史が搔き乱されたのも、数々の人々の未来が失われようとしているのも。
全て、彼がいるからだ。
ならば、クロノが巧一朗を殺害すれば、全てが丸く収まるのでは無いか?
開発都市オアシスも消え、日本という国も復権し、サハラの物語は、あの地獄のような砂漠で完結する。
それでいい、それで。
向日葵のような彼女は、今も心の中に。
「準備は整った。さぁ、さらばだ巧一朗。この桃源郷と共に、沈め。」
何かが動き出す音がする。
歯車が回っているかのような音だ。
白い部屋に、何か得体の知れないものが現れた。
視界の中で、えらくそれは目立っている。
きっとそこにROADはあるのだ。
クロノの身体が光り始め、数センチ、地面から浮かび上がる。
巧一朗は不貞腐れたような表情でクロノの様を捉えていた。
何もかもがどうでもいいと、そう思った時、ふいに彼の脳にある言葉がよぎる。
ファフロツキーズとの戦いで、ダストはただ一画の令呪に祈りを込めた。
『令呪を以て、間桐巧一朗に命ずる。』
ダイヤモンドダストは、汚名だった。
ただそこに属するというだけで非難され、想いを踏みにじられた。
自らが生まれた意味を失う程に、追い詰められていた。
そんな彼女が最後に伝えた言葉は、彼を気遣うものだった。
だからこそ、彼は雷上動を放つことが出来た。
「『生きていて良かったと、心の底から言えるその日まで、貴方の旅を続けること』」
巧一朗は呟く。
ダストはきっと気付いていた。
ダストが生きる意味を探す手伝いに名乗りを上げた彼が、今なお迷い続けていることを。
彼女の言葉が、巧一朗の頭を駆け巡り、紡いでいく。
「コーイチローは、好きな人いる?」
「いる。」
「いるんだ、じゃあ私は失恋だ。」
倉谷美頼。
酷く危なっかしい博物館のおてんば娘。
巧一朗に恋し、彼の手を引いてくれる存在。
虚行蟲である真実を告げることは出来なかった。嫌われたくないと、そう思ってしまっていた。
「俺の役目はこれで終わりだよ。……信じているぜ、必ずミノタウロスを倒して、無事に帰って来い!」
鶯谷鉄心。
博物館のお調子者で、ムードメーカー。
巧一朗と馬鹿な話で笑い合う、心優しき友達。
「巧一朗さんはもっと強くならなければなりません。エラルに負けないくらい、エラルを圧倒するぐらいに。」
鬼頭充幸。
皆を取りまとめる冷静沈着な姉御肌。
巧一朗のことを信頼し、導いてくれる。
「君の名を教えてくれ。助手であり、相棒であり、我がマスターである君の名を。」
そして、キャスター。
彼を欺き、嘲笑い、時に助け、並び立って歩いてくれる少女。
契約関係に無い筈の彼女は、ずっと、ずっと彼の傍にいた。
糸が伸びて、繋がり、広がる。
災害の計画は、彼の愛する少女を捨て置くもの。それは許容できない。
博物館の考えは、たとえ恋が叶っても、大切な仲間は救えない。
クロノの旅立ちもまた同じ。
────全部、許容しない。
世界を救う正義も、ヒトを救う正義も、違う。
巧一朗はどこまでも害虫だ。幸せに巣食い、絶望をまき散らす。
だが、ずっと昔からそうだった。
間桐の想いは継がない。彼はどこまでも我儘に、自分勝手に、旅を続ける。
「巧一朗?」
クロノはゆっくりと立ち上がる巧一朗を眺めた。
先程までとは何かが異なる。
彼の肉体に纏いつくオーラに、彼は冷や汗を浮かべた。
「セイバーを愛している。それは本当だ。でも、もし道を踏み外したなら、容赦はしない。キャスターは性格の終わっている変人だけど、でも、己を抑え込んで、これまで生きてきた。」
「ヴェルバー復活は必ず起こる事象だ。」
「復活して、皆を脅かす存在になるなら、俺が全力で止める。俺は、キャスターと、美頼と、鶯谷と、倉谷教官と、みんなと、このオアシスで生きていく。俺が守りたいものは全部守り、彼らに仇為す存在は俺が根こそぎ蹴散らす。これは俺のエゴだ。」
「無茶苦茶だな。」
「あぁ。そうだ。でも生きていくってことはそういうことだろ。」
巧一朗の手の甲に宿る、最後の令呪が光り輝いた。
イカロスの翼、頼光の雷上動、それぞれの形を模した痣は消え去り、丸い形のものだけが残されている。
これは然るに、虫の卵だ。ひび割れ、ついに幼虫が現れる。
最後の一画は形状変化し、彼の腕まで広がる一つの紋様となった。
「令呪が……変化した?」
「これはまだ使用しない。使う必要が無いからな。あんたを止めるには、俺の力だけで十分だ。」
巧一朗はダイダロスとの決戦より前、虚数海で母と再会した時のことを思い出す。
「隣人を呼び起こす際にコード変更をする必要は無い。ただ巧一朗自身が、彼の力を身体の一部だと定義する。もし隣人にこれまで通り名を与えると言うならば、その名はずばり「巧一朗」。オートマタを媒介にするのではなく、貴方そのものを媒介に隣人を召喚する。一分しか保てないのも、再召喚が出来ないのも、結局は何度も手を加えてバランスが乱れた結果なの。人間の記憶も、想像力も、万能では無い。想像ならば何でもできると人は言うけれど、想像は常に知識を前提に行われることなのよ。」
招霊転化から、招霊継承へ。
オートマタを媒介とした召喚術式から、その身に英霊を宿す魔術へと発展させた。
だが、まだ足りない。
ダイモニオンとの同調よりその先、廃棄情報媒体『隣人』へのダイレクトアクセス。
間桐が指し示す到達点、巧一朗はそこへ一歩踏み込んだ。
『我の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・スム)』
虚数海潜航型淫蟲、通称『虚行虫』。
彼は虚数の海へとダイブし、0と1で示されたモノクロの巨人へ手を伸ばす。
五本の指から放たれた糸は引き千切られた。
純粋な魔力の奔流に、肉体の一部を破損しながら、それでも、と足掻いてみせる。
死ぬ方が楽で、生きることがこの上なく辛いのに。
それでも生きていたいと思ってしまう。
生物としての本能だ。
「なぁ、セイバー」
巧一朗は意識の深層で語り掛ける。
当然、誰にも届かない呟きだ。だが囁かずにはいられない。
己の耳を通しての、最終確認とも取れる。
「俺のこと、好きだったか?」
誰も答えない。
サハラで出会った日のことを懐かしみながら、巧一朗は言葉を紡ぎ続ける。
「俺は愛していたさ。でも過去は過去だ。いい加減、前を向かなきゃな。」
〈大切な仲間がいるから〉
巧一朗は胸を何度も叩いた。
己を鼓舞するかのように、胸のつかえを取るように。
そして再度、手を伸ばした。
彼の戦いを支え続けた、魔力の渦を、今、掴み取る。
『讃歌を伝う。我が我であるが為に。』
クロノは、何が起きているのか理解できなかった。
突如、巧一朗の肉体は赤い閃光に包まれた。
呼応するように彼の手の令呪はおぞましく形状を変える。
彼は独り言を呟いているように思える。否、それは次なるステージへ進むための詠唱なのかもしれない。
クロノは、ROADの覚醒を急ぐことはしなかった。
巧一朗へと真正面から向き合い、彼の進化を見届ける。
そして巧一朗は叫んだ。
彼の新たなる力、新たなる可能性。
彼のエゴイズムが生み出した、新たなるヒトのかたち。
『隣人召喚』
巧一朗の肉体に、虚数海の怪物が流れ込む。
実数界に存在する超巨大空洞、バミューダトライアングルから、虚数の海へと流れ込んだもの。
そして英霊であった筈の記録の全てが分解され、隣人を構成した。
その過多廃棄エネルギーを変換することなく、巧一朗そのものと同期させる。
これより隣人は巧一朗であり、巧一朗は隣人と一つとなった。
覚醒し、彼の髪は赤く染まる。
そしてその背には、巨大な蝶の翼のオーラが宿った。
「隣人…………?」
「虚数の海へ、お前達が不法投棄したものだ。ゴミに害虫は集るもの、当たり前だろ。」
「私たちが?」
巧一朗は先程とは比べ物にならない速度でクロノへと接近し、彼の腹部に強力な蹴りを突き入れる。
油断していた彼はその衝撃で後方の壁まで弾き飛ばされ、轟音と共に巨大なクレーターが生成された。
瓦礫と塵を全身に浴びながら、クロノは腹部を抑え、立ち上がる。
咳をすると、口元から血液が噴き出した。
「このパワーは、そうか……」
クロノは隣人を理解する。
あれは実数界で不要と打ち捨てられたものだ。オアシスが船旅を決行する時に、重量オーバーとなってしまう概念だ。
海の底に捨てたものが、浮上し、彼らの航海の邪魔だてをしようとしている。
何もかもを無かったことにする。それがクロノの企みであるが、きっとそれは不可能なのだ。
生まれてしまった全てに意味がある。ゼロに戻しても、必ずどこかで破綻する。
だがクロノはそれを認めない。認めてしまっては、あの戦争で失われた全てが無為に帰す。
彼もまた、生きる意味を求めていた一人だからこそ、絶対に巧一朗に負けるわけにはいかない。
「私は、必ず歴史を修正する。巧一朗、ヴェルバー、災害、オアシス、全てを否定し、マナを救う。」
「そうはさせない。キャスターも、美頼も、鶯谷も、俺自身も、無かったことになんかさせてたまるかよ。」
クロノはファイティングポーズで応戦する。
二人は一歩、また一歩と互いに近付いていき、戦いの土俵に上がった。
「第四区博物館スタッフ、間桐巧一朗。」
「災害のアーチャー、シグベルト改め、言峰クロノ。」
互いに再び名乗り合い、そして、拳をぶつけ合った。
いざ尋常に、勝負。
再度開幕した戦いは、まず、互いの頬骨を抉ることから始まった。
全力の右拳が交差し、顔面に突き刺さる。
二人は鼻と口から血を放出しながら、距離を取る。
そして野獣のような咆哮をあげ、またもやぶつかり合った。
互いに防御の姿勢は取らない。クロノも、もう攻撃を避けることはしなかった。
巧一朗の能力は未発達だ。将来的には英霊にさえ引けを取らない開花を遂げるが、今はクロノと互角である。
頭髪や首を掴む容赦ない喧嘩に二人は興じている。
災害が見れば、人間同士の小競り合い、ままごとの感覚だろう。
だが今を生きる二人は、全力だ。
相手を殺すための一撃を、何度も、何度も、打ち続ける。
目元も胴体も痣だらけで血塗れだ。でも、決して折れない。拳を仕舞うことを知らない。
手足による暴力すらもままならなくなり、ついには頭突きでぶつかり合った。
「巧一朗、お前を殺す。」
「クロノ、あんたを殺す。」
全身全霊の殺意。
互いに血と汗と涙を垂らしながら、それでも、睨み合った。
もはや憎しみという段階はゆうに超えている。
痛みを伴っても、己の価値を証明したいだけ。
生の実感に酔いしれたいだけ。
全てを救う為に、己を犠牲にするもの。全てを害してでも、己と己の世界を救うもの。
エゴとエゴが殴り合い、もはや誰にも止められない。
もうとっくに天還の儀の準備は出来ている。
だが、クロノは旅立たない。不毛な戦闘に興じ続ける。
「俺は、災害を止める。適正者のみを救うアヘルも止める。そしてクロノ、あんたも止めてみせる。俺の居場所を、俺の巣穴を守り通す。」
「おれが君の戦う理由か!」
「そうだ!セイバーが人類の敵になるならば、俺が、この手で止めてみせる!」
不可能だ、と笑うことはしない。
クロノも、巧一朗の可能性に気付いている。
気付いていたから、こうして戦っている。
彼をこの城塞に一人残したのは、クロノの願いでもあった。
「巧一朗、君は……ヒトではない……だが!」
───パンバの進化の到達点、オウバから解き放たれしパンバのその先を、見てみたい!
クロノは渾身の一撃を彼の心臓に叩き込んだ。
これが本当に最後の握り拳だ。もう、一滴の力も搾り取れない。
死ぬ覚悟で戦った。もはや、死ぬつもりで戦った。
だが、その拳は、巧一朗に摑まれていた。
「くっ……あぁ。」
クロノは全身から力が抜け、倒れ込む。
最後まで立っていたのは、巧一朗だった。
ガッツポーズを取るような真似はしない。
だが、巧一朗は勝利を確信した。
掴んだクロノの手は、熱がこもっていないように感じられた。
彼同様、全力を出し尽くしたのだ。
「クロノ……」
「…………ROADを壊せ。それで全てが終わる。」
「あんた…………なんで……」
巧一朗からして、クロノの行動は不可解だった。
全てが一枚上手の計略家、もしもツキを止められていなければ、計画は障害なく為されていた。
だが、まるで止めて欲しいと言わんばかりに、人間味のある一面を晒した。
クロノは自身で、敗因を理解している。
即ち、彼は非情にはなれなかった。
言峰神父や、博物館、ガラシャ、ツキ、桃源郷での出会いに、彼は名残惜しさを感じていた。
全てを無に帰す、その覚悟があと少し、足りなかった。
思えば、巧一朗がこの場所に辿り着いた時点で、答えは決まっていたのかもしれない。
「私の敗北だ。私はもう、災害では無いが、二人目の災害討伐おめでとう、と言っておこう。」
「クロノ……」
「真の愚かな王(キングビー)は、私自身だった、ということだな。ははは!」
巧一朗とクロノの戦いは終わり、各区を巻き込んだ同時多発テロ事件は幕を閉じた。
かと、思われた。
刹那、クロノの第六感が働いた。
この天空城塞に、何者かが立ち入る。
災害ではない、何か強大な力を持つ存在。
もしクロノが想定する敵であれば、事態は最悪である。
桃源郷を司る、精霊の如き存在。
その実態を把握できていないが、それでも、場合によっては災害より遥かに凶悪であると言える。
「巧一朗、この部屋の奥に扉があり、そこに私が使用した観測艇がある。それに乗って、急ぎ天空城塞を離れろ。」
「…っえ?」
「緊急事態だ。敵が来る。ここは私に任せて、行け。」
「ま……待てよ、まだ話は……」
「第四区博物館副館長命令だ。任務を果たせ、間桐巧一朗!」
「っ!?」
クロノは叫んだ。
巧一朗を生存させる為、彼に逃げろと命じたのだ。
だが、彼の言う『敵』は待たずして現れる。
巧一朗が侵入した扉から、その姿を見せた。
「な…………」
巧一朗は絶句する。
白髪の少女は、初めて出会う相手だが、衝撃なことに、衣服を身に着けていない。
生まれたままの姿で、この天空城塞に現れた。
災害しか立ち入れぬこの場所に、素足で。
「言峰クロノ、いや、アーチャー、お久しぶり。私のことは覚えているかしらね。」
「あぁ、忘れる訳も無かろうさ。」
少女は無垢な笑みを浮かべた。
対するクロノは、金縛りに遭ったかのように、動けなくなっている。
もはや戦う力の残されていないクロノには、残虐無慈悲に殺される未来しか無かった。
「クロノ……!」
「巧一朗、逃げろ。急げ。」
巧一朗は一歩一歩後ずさる。
その音を聞き、クロノは安堵の表情を浮かべた。
ここで死ぬのは一人で良い。
彼まで犠牲になる必要はないのだから。
「何か、申し開きはあるかしら?アーチャー。」
「特にない。」
「そ。」
少女は、『遠坂輪廻』は、怪しい笑みを浮かべる。
この同時多発テロ事件は、意外な形で、幕を下ろそうとしていた。
【キングビー編⑮『エピソード:アンサー』 おわり】