Fate/relation   作:パープルハット

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皆様、大変お待たせしました。
『深層編』開幕です!
まずは巧一朗の物語から、お楽しみください。
感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


深層編1『巧一朗Ⅰ』

固有結界『輪廻曼荼羅』内部。

二人がこの空間に閉じ込められてから既に十日が経過した。

 

「っ……ぐ…………」

 

巧一朗の腹部を貫く拳。

飛び散った赤の液体が女の黒髪から胸部にかけて飛び散った。

彼は既に何十、否、何百と彼女に殺されている。

だが彼はこの空間に用意された全てを用いて、彼自身を『縫合』し続けた。

彼の心臓部位である、虚行虫の核は、隣人の絶対的な魔力で保護され続けている。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

超常的なまでの再生能力、死に至る寸前を何度も繰り返し、女の技能の完全把握に努めた。

しかしながら、高度な情報戦のその先で辿り着いた結論は、絶望そのものだった。

女はどこまでも、際限なく進化し続ける。もはやヒトの範疇に収まっているとは言えぬほどに。

 

「信華……」

 

巧一朗は女の名を呼んだ。

女は顔色一つ変えず、再生する巧一朗を眺めていた。

これまで親も、友人も、恋人さえも手にかけてきた彼女は、世界の貧弱さと、ヒトの虚弱さに、何もかもを諦めていた。

だから、初めてだ。壊しても、何度砕いても、この玩具は元通りになる。

 

「巧一朗、貴方はとても」

「あぁ。互いに、諦めが悪いな。」

「そうですね。実にその通りです。」

 

都信華はモード『叛喜』『焦怒』『博哀』を経て、最終形態の『崩楽』へと至った。

際限なく身体的強化が行われるこの型は、やがてヒトの臨界を超え、己の器に留まらなくなってしまう。

人間の肉体という枷から解き放たれ、花火のように昇天したのちに、朽ちる。

災害のアサシンへの愛が投与されなければ、彼女に待つのは『死』だ。

そして輪廻の策略に嵌った時点で、彼女の運命は既に決している。

それを理解し、それでも、彼女は拳を握り締める。

これまで手放してきた感情、唯一残された、戦いへの愉悦と興奮。

今はただ、それを愛し、抱擁し続けるのみ。

 

「巧一朗」

 

彼女は艶やかな黒髪から一転、白く染まったぼさぼさの髪を乱雑に纏めると、ゆっくり天を仰いだ。

そしてここにきて、掌を合わせ、祈り始める。

彼女の『神』がどこかで見守っているならば、否、たとえ見放されていたとしても。

ただ信じ、己の全てで華開く。

 

「私が死ぬ前に、貴方の話を聞かせてくれますか?」

「俺の話を?」

 

信華は温かな笑みで、巧一朗の右腕を取る。

それは友好的なものでは決してない。

彼はそれを振り解こうとするが、途端にミシミシと筋肉が引き延ばされる音がした。

そして信華は勢いに任せ、彼の右腕を千切り取る。

巧一朗は痛みに絶叫するが、彼女は首を傾げている。

信華は命尽きる前に、目の前の好敵手の物語に耳を傾けたくなっただけだ。

腰を落として話し合いする訳ではない。彼が一瞬でも油断すれば当然殺害するつもりでいる。

 

「……言っていることと行動が乖離しているぞ?」

「どうせ、貴方は潰れないでしょう?」

 

巧一朗の右腕を乱雑に放り投げ、彼女は穏やかな笑顔を浮かべている。

彼女自身、人と会話するのは好きだ。心理学の講師をしている手前、生徒のフレッシュな意見や、年相応の経験、心理状態は研究材料として学びを与えてくれる。

彼は激痛に顔を歪ませつつ、信華の真っ直ぐな目に感化され、彼の人生を語り始めた。

これは先日、第一区博物館で、輪廻とクロノに話した内容と同じもの。

 

サハラの聖杯戦争の、回顧録である。

 

【深層編①『巧一朗Ⅰ』】

 

「間桐君、ほら、起きてよ。間桐君!」

 

何者かの小さな手が、俺の肩を揺さぶる。

机に伏して寝ていた所為で、肩や首が少し痛い。

椅子が、ぎいと引かれる音が鳴る。

鞄に付けられたアクセサリーがじゃらじゃらと揺れる。

覚醒を促す合図が、そこかしこから鳴り響いた。

 

もう、終わりか。

 

「間桐君ってば、もう。」

「起きているぞ」

 

俺は赤くなり跡のついた額に手をやりながら、渋々と起き上がった。

ぼやけた眼を擦りながら、大きな欠伸で起床を知らせる。

すると、『亜弥(あや)』は手を腰に当て、眉間に皺を寄せた。

 

「授業、終わったからね。」

「あぁ、そうらしいな。」

「そうらしいって、明日はレポート提出期限日なんだよ?どうせ間桐君は手つかずなんでしょう?」

「あー、そうか、そういえば、そうだったな。」

 

俺はその場で二つ折りの携帯電話を開き、教授からのメールを確認する。

通常、教授から直接メールが送られてくることは珍しいが、俺の属する小規模ゼミでは、個人宛に送付されるのが通例だ。

ご丁寧に『間桐巧一朗くん』と、フルネームで記載されている。

教授(ジジイ)は性格が悪いことで有名だった。

 

「前回はちゃんと出したの?」

「いや、間に合わなかったよ。」

「なら、今回出さなければ落単ね。お疲れ様お疲れ様。」

「はぁ、ったく」

 

俺は頭を掻きながら、カバンの中を漁り、書類を取り出した。

環境対策がどうだとか、自然の保護だとか、どうでもいい内容で一万文字埋めなければならない。

とりあえず、カンペかな。

俺は亜弥の方を見る。出来る限り目を潤ませながら、救いの手を求めるように。

だが、亜弥は蜘蛛の糸を垂らすことはしなかった。

 

「無理。」

「どうして?」

「私はもう提出済みよ。正直自分が書いた内容だけど、一ページも覚えていないわ。」

「そうか、残念だ。」

 

俺は立ち上がり、教室を後にする。

この後も別室で講義はあるのだが、そんなものを受けている暇はない。

食堂に籠るか、家に帰るか。

いや、家には桜がいるか。帰る選択はしばらく無しだな。

顔を合わせるつもりは無い。

 

「間桐君」

 

俺は亜弥に呼び止められる。

亜弥は俺の服の袖を引いていた。

彼女の組んだカリキュラムでは、今日の講義はこれで終了の筈だ。

 

「写すのは無理だけど、手伝おうか?」

 

そこにはどうやら天使がいた。

分かりやすく溜息をついた俺に気遣ってくれたのだと思うと、申し訳なさが溢れてくる。

 

「…………いいの?」

「いいよ、仕方ない。この亜弥様は心優しき美少女なのです。救いを乞うものを見捨てたりはしない。」

「さっき無理って言われた気がするけど、まぁいいや、助かる。」

 

どうやら今日は中学受験?の家庭教師のバイトは休みのようだ。

これは幸運だ、と考えたのも束の間。

彼女によって残酷な真実が告げられる。

 

「そうだ、今日は食堂で外部講師の面接対策講演会があるらしいよ。食堂は使えないわね。」

「そんな場所でやるなよな。じゃあどこか空いた講義室で……」

「今日はどこもこれから授業よ。」

「そうか。」

 

四回生は当然のこと、三回生の意識高いヤツが参加する下らないフォーラムだ。

俺はまだ、あまり先の人生のことを考えたくはない。

 

「間桐君の家、行っていい?」

「やだ。」

「即答ね。」

「行きたい場所がある。この前言っていた場所だ。」

「あ、あそこね、りょーかい。」

 

答えは既に決まっていた。

新都に新しく出来た喫茶店、二人で今度一緒に行きたいと言っていた場所だ。

中でも看板メニューのメイプルサンドは、一度食べてみたいと思っていた。

亜弥も同じく、甘いものに目がない。

暇さえあれば、飴玉を口の中で転がしている女の子だ。

 

「それじゃあ、行こう。間桐君。」

 

亜弥は俺に手を差し出した。

俺はその意味を理解できず、暫く固まっていた。

 

「何?その手?」

「何って、恋人同士はデートに行く際に手を繋ぐものでしょう?」

「恋人?」

「うん?違うのかな?」

「いや、多分、違わない。」

 

恋人。

聞き慣れないワードだ。でも、心当たりはある。

俺と亜弥が、そうなのか?

何故だろう。そういうつもりは無かったのだが。

俺はおずおずと、亜弥の方に手を伸ばす。

すると彼女は半ば強引に、俺の手を掴み、引いた。

ひんやりと冷たい手をしている。だが、確かな温もりはあった。

 

「多分って、酷くない?」

「あぁ、いや、すまない。眠気にやられているみたいだ。」

「そうかいそうかい。では目覚ましに甘いものを摂取しにまいりましょう!」

 

亜弥は俺の手を引き、ずんずんと突き進む。

彼女の明るく社交的なリーダー気質に何度も助けられていた。

だから「やれやれ」と呟いてはみるものの、その実、こうして手を引かれるのは嬉しい。

 

新都にある大型ショッピングモール『ヴェルデ』は、我らが大学から徒歩十数分の位置である。

俺自身はあまり利用することは無いが、よく学生連中はここで半日遊んでいるようだ。

……大学に友達はいないので、正直この場所は居心地が悪い。

 

「間桐君?」

「なんか、キラキラした場所だな。」

「間桐君は苦手そうだね。」

「あぁ、いつもの喫茶店と違って、このテナントは利用し辛いかも。」

「あー、アーネン……」

「あそこは景観も踏まえ、落ち着いているからな。お、着いたぞ。」

 

俺と亜弥は『ユウガオ』と看板に書かれた店の戸を開けた。

小ぢんまりとした店内は、老若男女で賑わっている。

どの席を見渡しても、何らかのスイーツが頼まれている。珈琲のほろ苦さより、果実やクリームの甘味を求める客が多いらしい。

俺からすればこれは『アタリ』だ。大衆が好む味は、大体俺からしても美味である。

マイボトル(メイプル)を懐に忍ばせてはいるが、はてさて、俺の合格ラインを越えてくる逸品は出てくるだろうか。

俺たちは唯一空いた座席に腰かけると、ウェイターの用意した水で口を潤し、メニューを開いた。

 

「メイプルサンド?」

「俺はそうする。亜弥は?」

「同じのにしても、ね。私はリッチチョコレートケーキにするよ。一口頂戴ね。」

「応、勿論。」

 

亜弥がチョコレート系を食べるのは珍しい。

どんな心境の変化があったのだろうか。

俺はなんとなく亜弥を見つめていると、彼女と目が合った。

茶褐色の髪に、どこまでも澄んだ青い瞳。

彼女は誰が見ても美人にカテゴライズされる女の子、だが本人は自分自身に無頓着だ。

亜弥が、俺と、恋人。

俄かには信じ難い。否定材料は無いが、肯定するのも時間は掛かる。

 

「間桐君。」

 

ふと、亜弥は俺の頬に手を伸ばした。

そして指で輪郭をなぞり、満足そうな表情を浮かべる。

 

「何だよ。」

「別に。」

 

亜弥が何を考えているかは、俺には分からない。

楽しいのか、嬉しいのか、怒っているのか、悲しいのか。

所謂ポーカーフェイスとかいう。単に俺が察しの悪い男なのかもしれない。

でも俺にとって唯一ともいえる、一緒にいて楽しい存在。

 

「間桐君は、私のどこか好き?」

 

唐突な質問。

俺は顎に手を当て、熟考する。

 

「どこがって、うーん。」

「即答して欲しいかにゃー?」

「優しい、ところ、とか?」

「いやいや、それ目立つ長所が無いときに出てくるワードよ。もっとあるでしょう?面白い、とか。」

「面白くありたいのか?」

「いや、まぁ、別に。」

「スタイルが良いところ?」

「最低ね。」

 

亜弥はジトリとした目で俺を睨む。

仕方が無いのではないか?こういうのは理屈じゃないところもあるだろうに。

暫しの沈黙が俺に冷や汗をかかせたが、店員が注文の品を運んできたことで救われた。

目の前に置かれるメイプルサンドに心が躍る。

彼女も、早速フォークを握り締めていた。

 

「いただきます。」

 

俺たちは同時に発し、同時にお菓子を口に運んだ。

そして口内を広がる圧倒的な甘さ。お世辞にも上品とは言えない味だ。

あれ?と俺は顔を顰めるが、どうやら亜弥も同じらしい。

リッチ、とは何なのか。亜弥がそう目で訴えかけてくる。

俺たちは同時に飲み込み、茫然とする。

最初に口を開いたのは亜弥だった。

 

「まぁ、こんなものよね。」

 

それは半ば諦めに近い言葉。

彼女はどうやら新店に期待していなかったようだ。

確かに、ショッピングモールのテナントで入る喫茶チェーンなど、大体味の底は知れている。

俺は甘ければ何でも構わないが、亜弥はお気に召さなかったようだ。

そして俺は、というと、一口目はそうでもなかったものの、二口目には美味と感じていた。

メイプルが濃ければ濃い程に舌が喜ぶ男。多分、俗にいう馬鹿舌なのだろう。

そんな風に考えていると、俺の心を見透かしたように亜弥はツッコミを入れる。

 

「間桐君の舌は、馬鹿舌というより、サイコ舌。」

「サイコ?」

「常人とはかけ離れている、ということ。」

「亜弥も大概だろう。自分のことを棚に上げるな。」

 

亜弥は可愛らしく舌を見せた。

普段のクールなイメージから一転、お茶目な表情も愛らしい。

これは俺にだけ見せる顔だ。

だからこそ、特別感がある。

俺は見惚れていることを悟られないように、彼女から視線を外した。

ふと、喫茶店に備え付けられた巨大なモニターに流れるニュースに目が留まる。

地方番組に大きく取り上げられたのは、俺たちの住む冬木市で起きた怪事件だ。

 

〈昨夜、冬木市深山町で、男女三名の遺体が発見され───警察は事件と事故の両方で捜査を開始し────〉

 

「深山で、男女三名の変死体が発見された……」

 

深山は俺たちの暮らす町。

そこで何らかの事件が起こってしまうなんて。

亜弥もそのニュースに釘付けになっている。

 

「怖いね、殺人なんて。」

「あぁ。物騒な世の中になったものだな。」

 

亜弥は少し怯えているようにも見えた。

今日はなるべく早く帰宅した方が良いかもな。

俺はそう思いつつメイプルサンドを頬張った。

 

「間桐君、一口頂戴。」

「あぁ。」

 

俺は彼女に皿ごと受け渡すと、不満そうな顔を浮かべた。

どうやら、俺のフォークで直接食べさせてほしい、そうだ。

恥ずかしい行為に、俺は躊躇する。

周りはきっと誰も気にしたりはしないだろうけど、それでも。

 

「自分で切り分けて食べてくれ。」

「はーい。」

 

亜弥はメイプルが特に多くかかった部分を切り取り、口に運ぶ。

そして先程のケーキと同じ反応を見せた。

やはりお気に召さなかったようだ。

彼女はフランス産マカロンと表現したが、俺にはさっぱり理解できなかった。

そもそもパン生地とメレンゲを同じと評するのも可笑しな話ではあるが。

そして二人で互いのノルマを達成し、同時に腹を擦る。

意外と、量が多かったな。

俺はある程度味に満足していた為、本来の目的をすっかり忘れていた。

 

「てか、間桐君。レポートは?」

「あ、そうだ。すっかり忘れていた。」

 

亜弥は大きく溜息をつく。

先程のニュースから、帰宅を急いだ方が良いのは確かである。

成程、俺がいかに早く課題を仕上げられるかにかかっているらしい。

俺は鞄から皺のついたプリント紙を取り出し、ボールペンを握った。

亜弥はどこかだらしない俺を見て、微笑ましい顔を浮かべている。

愛玩動物を見るかのような目線だ。犬や猫のようにでも思っているのだろうか。

兎に角、今はレポートに集中しなければ。

 

「間桐君、ファイトだぞー!」

「応さ。」

 

正直筆は進まないが、やるしかないか……

 

 

そして帰宅を促す十七時のチャイムが鳴る頃。

俺はついにレポートを書き終えた。

大きく伸びをし、凝り固まった肩をほぐす。

亜弥が参考文献の数々を紹介してくれなければ、ここまで手際よく進まなかっただろう。

 

「お疲れ」

「ありがとう、亜弥。凄く助かったよ。」

「どういたしまして。それじゃ帰ろうか。」

 

亜弥はゆっくりと立ち上がり、改めて、俺の手を握った。

彼女は手を握ることが好きである。

他人にべたべたと引っ付く性格では無いが、俺に対しては、繋がりを求める。

男としてはそれが嬉しかったりする。

恋人?になる前からそうだった。

 

お会計を済ませ、喫茶店を後にした。

屋号の書かれた名刺を取り、俺はそれを鞄に仕舞った。

亜弥は「それ、いる?」と呆れている。

もう二度とは来ないかもしれない。そういう味、居心地、雰囲気。

だが俺は、亜弥となら、もう一度来たいと思う。

 

「真っ直ぐ帰宅した方がいいよね。」

「あぁ。送るよ。」

「えー、大丈夫だって。まだ明るいし。」

「いや、あんなニュースが流れた後だからな。」

 

どうせ深山町までは一緒だ。

それに、亜弥の住む所は俺の家よりそう遠くは無い筈。

山奥の方だからな。

一人にするのは気が引ける。

 

俺たちは談笑しながら帰路に着く。

いつの間にか、辺りは暗くなっていた。

時間が経つのは早いものだ。

先に、俺の家に到着してしまった。

薄暗い洋館。住んでいる俺でさえ不気味だと思う場所だ。

 

「じゃあね、間桐君。」

「いや、送るって。」

「いいよ、大丈夫だから、またね!」

 

亜弥は俺の手を振り解き、駆けて行く。

彼女は心の底から、俺に付いてこられるのを嫌がっている素振りだった。

俺にはどうしてもそれが引っかかる。

亜弥の住む場所まではまだ距離がある筈。

俺は彼女のことが気になって、追いかけた。

この冬木ではたまに、不思議な事件や事故が起こる。

胸騒ぎがした。

 

「はぁ……はぁ……」

 

俺は全速力で彼女の背を追いかけたが、その余りの速度に、見失ってしまう。

陸上選手並みの速さで亜弥は消えて行った。

急ぎの用事でもあったのだろうか。

俺は彼女の向かったであろう道を同じように進むしかない。

分からないが、『虫の知らせ』という奴だろう。

嫌な予感、こういうのは大抵悪い方向で当たるから質が悪い。

 

「何を……そんなに急いでいるんだ?」

 

俺は家々を通り過ぎた先、雑木林に差し掛かる。

外套の一つもない、暗闇。

不意に、そこで彼女が鞄に付けていたストラップが落ちているのを発見した。

所謂カプセルトイの一種で、それが亜弥の所有していたそのものとは限らない。

だが、何故か俺の中では確信があった。

これは亜弥のモノだ。

俺はそれを拾い上げ、ポケットに仕舞う。

 

暗闇の先、何かがかさかさと動く音がする。

この先に、亜弥はいるのだろうか?

 

「まじかよ……」

 

額に汗が滲む。

この暗闇の先、とてつもない圧力(プレッシャー)を感じる。

亜弥は、何かに巻き込まれているのだろうか?

くそ!

俺は己に喝を入れ、その一歩を踏み出した。

 

獣道を、落ち葉を鳴らし進んでいく。

携帯電話の光を頼りに、草木を掻き分けた。

どうして亜弥はこのような場所に?

俺は無自覚に歯ぎしりしながら、ゆっくりと歩く。

亜弥の帰る場所は、ここでは無い。

だから、焦る。

 

────枯れ木を踏みつける足音。

 

俺は、何やら人の気配を感じ、すぐさまそこでしゃがみ込んだ。

周囲を見渡し、音の出所を探る。

いた。

亜弥とは異なる、身長が百九十を超える大男。

夜闇に紛れている所為か、異邦の怪物のようにしか見えない。

俺の中の恐怖の感情は最高潮に達した。

ホラービデオならば、彼はフランケンか、ジェイソンだ。

黒いコートを羽織り、闇に溶け込んでいる。

 

「貴様が、悪なる殺し屋。」

 

大男はそう呟いた。

俺に対して、では無い。彼のすぐ傍に立つ、少女に対して、だ。

そして少女の顔を見て、俺は驚愕する。

彼女は、亜弥だ。亜弥が呆然と立ち尽くしていた。

俺は彼女の存在に気付くのに遅れてしまった。

男の言葉など耳には届かない。

助けなければ、一刻も早く、助けなければ。

 

「亜弥!」

 

俺は勇気を振り絞り、立ち上がる。

そして彼女を庇うように、前に出た。

亜弥と、大男は、俺の登場に驚いている。

俺はここで初めて、彼が怪人のマスクなど被らない、人間の表情を持つことに気付いた。

でも、恐怖心が減少することは無い。

 

「間桐君っ……!?」

「逃げろ、亜弥!」

 

俺はこのとき、この大男に亜弥が襲われているのだと信じ、疑わなかった。

彼は「ほう」と呟き、戦闘の構えを取る。

この巨体に殴られれば、骨の一本や二本は容易に砕かれそうだ。

俺はファイティングポーズを取るものの、足はがくがくと震えていた。

大男がその道の『プロ』ならば、俺は確実に殺される。

そしてその遺体を桜が見ることも、きっと無いだろう。

 

「何者だ!お前!」

「私、私はこの町の浄化作用だ。」

「は?」

「癌を切除する外科医のようなものだ。『エクスキューター』、そう呼ばれることもある。」

 

大男は意外なほどあっさりと、己が身分を詳らかにした。

『代行者(エクスキューター)』。

桜にその存在を聞いたことがある。

ある宗教組織から遣わされた、武装集団。なんとなく、そのような説明を受けた。

細かいことは覚えていないが、魔を刈り取る専門機関だとか、なんとか。

『間桐』が生涯関わらないような連中では決して無い。

ていうか、代行者って奴は、ヤバい魔術師や吸血手種なんかを暗殺する連中じゃなかったか?

亜弥は、どうして……?

 

「ただ道に迷った外国人って感じでも無さそうだな。」

「あぁ。だが私にとってこれはサイドクエストだ。未来(ムスタクバル)を名乗る愚か者がこんな辺境にいるとは俄かに信じ難いが、そちらがメインディッシュでな。あぁ、今は『テスタクバル』と名乗っているんだったか?」

「何の、話だ?」

「間桐巧一朗、貴様は関係ない。用事があるのはその『汚物』だ。」

 

何故、俺の名を知っている?

桜なら兎も角、俺を……

そしてこの男は亜弥を指差し、『汚物』と評した。

彼女は涙目になりながら、酷く怯えている。

俺の中にある恐怖心は、やがて怒りの感情へと切り替わった。

 

「そこをどけ、間桐巧一朗。貴様の飯事に付き合うのも一興だが、汚染された臓器そのものを摘出するのが先決だ。」

「意味が分からないが、彼女は俺の学友だ。手出しはさせねぇよ。」

 

俺は代行者に先手を取るべく、走り出していた。

少なくとも『間桐』以外は平穏だった俺の人生において、他者との戦闘経験は全くと言っていい程に無い。

だから距離の詰め方も、手札を切るタイミングも、理解不足。

今は亜弥を逃がすことだけに躍起だった。

 

「おらぁああ!」

 

ふくらはぎからつま先まで、葉脈のように回路が広がる。

両足に灯る緑の輝き、それが俺の運動能力を底上げした。

目にも留まらぬ速さ、と評して良いか悩むが、少なくとも陸上系サークルが見れば、即戦力としてスカウトするだろう。そんなスピード。

俺が駆け出した方向は、大男では無く、亜弥の立つ場所。

彼女を抱きかかえると、急ぎ、その場を離脱した。

 

「ちょ、間桐君!?」

「舌を噛むから喋るな!」

「うんっ!」

 

俗にいうお姫様抱っこという奴だろう。

亜弥は赤面しているが、それは俺も同じ。

こんなところ、誰にも見られたくは無いな。

俺は右も左も分からぬままに、林の中を走り続ける。

追手は…………

 

「まじかよ」

 

真後ろにいた。

俺を風よけに、尋常ならざる速度で追いかけてくる。

当たり前だが、一般人が出せるスピードでは無い。

あと十秒もすれば、男の手は俺の肩に届くだろう。

何とか距離を取らなければ!

 

「くそ!」

 

代行者と言ったか。

テスタクバル、という人?動物?何かを探しているようだが、俺にはさっぱり分からない。

何故いま亜弥を狙うのかも。

癌の切除……亜弥がこの町の大病と言っている。

 

「間桐君」

 

亜弥は口を開いた。

舌を噛むぞと忠告したにも関わらず。

こういう状況で、彼女が言葉を紡ぐとしたら、その内容は大いに想像がついた。

 

「もういいの、間桐君。目を付けられたら終わりなの。」

「っ……何が!?」

「間桐君が巻き込まれてしまう。だからもう、いい。」

 

俺が不意に彼女の顔を見つめた時。

彼女の目には涙が浮かんでいた。

そして俺は地面に右足を取られ、バランスを崩す。

亜弥をその場に残し、俺だけが、その場で転げ落ちた。

あと少しで、この木々の外側へ行けたというのに。

俺は…………

 

俺は勢いのままに、少し湿った落ち葉の山に身体ごと突っ込んでいく。

巨大な木に頭を打ち付け、数秒間意識を失った。

そして気付いた頃には、亜弥と大男は消えていた。

影も形も、見当たらない。

 

「お、おい、亜弥……亜弥?…………」

 

腕に突き刺さった枝を抜くと、そこから血液が溢れ出た。

それを手で必死に抑えながら、俺は彼女の跡を探す。

さっきまでそこにいた筈の彼女がいない。

その事実に、俺は激しい焦りを覚えた。

 

「一刻も早く、探さないと…………」

 

俺はそこから半時間、林の中を駆けずり回った。

亜弥は兎も角、大男は、あの身長だと大いに目立つはずだ。

どうして、という疑念は消えない。

だが今は探すことしか出来ない。

 

「亜弥っ……どこだ!亜弥!」

 

俺はついに林の外に出た。

車道を行き交う車を茫然と眺め、唇を噛み締める。

あの男の素早さは、例えるならば自動車と同じだった。

三十分あれば、どこまで遠くに行けるだろう。

この周辺をくまなく探したところで、徒労に終わるかもしれない。

俺は悔しさを地面に吐き捨てた。

 

「でも、諦める訳にはいかない。」

 

俺は自らの頬を叩く。

そして前屈みとなり、太腿を擦った。

正直癪ではあるが、桜のお陰で、俺は冬木を知り尽くしている。

言うなれば庭だ。

『影に潜む者』がどういう場所を好むかなんて、分かりきっていた。

なら順番に潰していくだけだ。

俺は自分自身に喝を入れ、捜索に乗り出す────

 

筈だったのだが。

 

不意に現れた存在に、俺は足を止める。

いや、全身が氷のように固まったとも言える。

抑えていた嫌悪感が噴水のように湧き出てきた。

いま最も会いたくない人がいる。

 

「巧一朗。何時だと思っているの?」

 

小学生の子どもを叱るような口調で、彼女はそう言った。

だがその目が慈愛に満ちたもので無いことは確かだった。

 

「大学生に門限があるのかよ。」

「ええ。貴方の場合は特にね。」

 

間桐桜。

俺の生みの親。

血の繋がった肉親と言えば、そう。

でも実際は、その種族さえ異なる。

彼女はヒトで、俺は虫。

だから、表情も、声色も、一切熱が無い。

酷く冷たい。極寒の中にいるような、冷たさだ。

 

「さぁ、帰りましょう。」

 

桜は俺の手を取った。

当然の如く、俺はそれを振り払う。

仲良く手を繋いで帰る間柄でも無いだろうに。

 

「悪いけど、まだ帰れない。代行者?とかいう奴が襲ってきて、亜弥が……」

「そう。」

「そう、って」

 

カラカラに乾いた口から出る状況説明は、自分でも思うくらい要領を得ない内容だった。

でも彼女は、一切興味ないように、突き放す。

桜だって、亜弥のことを知っている。なのに。

 

「……深山町で奇妙な事件が起こっていることを知っているかしら?」

「な、なんだよ、藪から棒に。」

「変死体が次々と発見された事件。こんな夜遅くに出歩いて、変な事件に巻き込まれでもしたら。親が子を心配するのは当然でしょう?」

 

そうだ、その通りだ。

親はいつだって、子どもの元気と安全を願うもの。

でも、アンタがそれを言うな。

俺を憎んでいる筈の、アンタが。

 

「さ、お屋敷に帰りましょう。」

「っ…………待てよ!亜弥は…………」

 

次の言葉が、出なかった。

桜の目は、血塗られた赤色だ。

俺はこの眼差しを知っている。

そして彼女に逆らえないことも。

これ以上は、無理だと悟る。

大人しく従うしかない。

 

冬木市の『正義の味方』。

それこそが間桐桜。

臓硯の歪んだ正義を受け継いだ、仕事人としての桜。

俺は何も発せぬまま、間桐邸へと帰宅した。

薄暗い廊下をただ、俯いたまま、歩く。

そして二人暮らしには不釣り合いなダイニングテーブルに、冷めた料理だけがぽつんと置かれたままだった。

 

翌日。

いつものだだっ広い教室には、亜弥の姿は無かった。

そして噂の怪事件は新たな展開を迎える。

四人目の身元不明の変死体が発見された。

事件の現場に居合わせたという学生の撮影した携帯写真を盗み見る。

映し出されていたのは、昨日俺が出会った『代行者』の男。

全裸となり、身体のあらゆる箇所が何者かによって食い破られていた。

 

「亜弥…………」

 

俺は彼女と、そして桜の酷く冷めた赤い目を思い出す。

提出するレポートのことなど忘れ、俺は講義室を飛び出していた。

 

思えば、これが、全ての始まりだったのかもしれない。

俺が、桜と決別し、サハラの地へと赴いたきっかけの事件だった。

 

 

 

【深層編①『巧一朗Ⅰ』 終わり】

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