今回はナナのお話です。
感想、誤字等ありましたら連絡お願いします!
【深層編⑤『ナナ』】
退屈。
私は何度目か分からない溜息を零す。
ここは煌びやかさと悍ましさが同居する、ヨーロッパの街並みでは無い。
ただ、一面に広がる砂世界。
厳しい環境を生き抜くために、他者が他者の手を取る国。
賊の類はあれど、金品目当ての低俗な悪。
社会を飲み込む巨悪も、それを挫く正義も存在しない。
生きるという行為に、余りにも必死な人々。
ヒトがヒトを喰らうような刺激とは無縁だ。
物語の登場人物にとっては、平凡すぎる日常であった。
「はぁ…………」
私だけが、ヒトを使い潰す。
今もこうして、快楽を満たす為だけに、一つの命を食い潰した。
ベッドのとなりに横たわる、大柄な男。
私を飼い慣らそうと息巻いていたが、こうもあっさりと死んでしまうとは。
植物人間、ならばまだ使い道はあるが、多分彼の魂は天に召し上げられている。
ならば腐肉に興味はない。
テルジットの現地住民に死体の処理をさせる。
その辺りの砂山に放置すればいい。三日も経てば土に溶けて消え去るだろう。
どうも、英霊というのは奇怪な存在だ。
初日、私は誤って人間の首をへし折ってしまった。
力は加えていない筈、でも、発泡スチロールのようにいとも容易く砕けたのだ。
生前の私は非力そのものだった。男に襲われても、抵抗など出来なかった。
だが今はどうだ。
人間との性交渉では、私に魅了された者全てが、肉壺に溺れ、命を使い果たした。
殺したくてそうしている訳じゃない。
ヒトが、私の為に、命を粗末に扱うのだ。
一秒先の極上の快楽を求め、一生を棒に振る。
ナナには、そういうスキルがあるらしい。
まるでこれでは床上手のアサシンだ。
私は今日も、明日も、明後日も、一夜限りの恋を続けていく。
「ルーラー」
テントの外から私を呼ぶ声が聞こえた。
この戦争の立役者、テスタクバルの使い魔人形。
老紳士の見た目だが、私の肌に動じる様子も無いので、人間では無いのだろう。
「ワダンにて、『王』がお待ちです。」
私はその正体を知っている。
聖杯戦争にて暗殺者のクラスで呼び出された絶対君主、暴虐のザッハーク。
別に謁見の道理はないが、敢えて逆らう意味も無いだろう。
尊大な王は、好みの外。
私のタイプは心優しい男性。一般女子のような下らない指向だ。
私は私の最期を知っている。醜さを許容しろとは言わないが、それでも、手を握ってくれる貴人を求めるのは間違っているだろうか。
「ではこちらへ。」
私は渋々、テルジット外のキャンピングカーへ乗り込んだ。
今のナナは憂鬱そのものだ。
英霊は暑さで汗もかかないし、体力も無尽蔵。
でも、今は少し下腹部がじんじんと痛む、気がする。
生前にもあった不快な感覚だ。
暴虐の王、屈強な男、老人、子ども、そこに何の違いがあるだろうか。
私にとって男は等しく『猿』だ。
肉欲を満たす為だけに存在する動物。
だから、平等にナナを与えるだけなのに。
どうして私は、選り好みしてしまうのだろうか。
テルジットとワダンは、幾ばくか距離がある筈、なのに、ものの数十分で到着してしまった。
私が知識として有していたワダンの地と余りにも乖離している。
そこは新たなるオアシスだった。
テルジットより遥かに、植物が実っている。
そして何より視界の多くを占めるのは、築かれた巨大神殿。
こんなもの、数日前には無かった。
現地住民はさぞ驚愕していることだろう。
戦争は秘匿事項である筈なのに、この体たらく。
私は頭を抱える。
モーリタニアの情報ネットワークは先進国に比べ劣っている。
イギリスまで風の噂が届かなければいいけれど…………。
「ルーラーが到着しました。」
神殿内部にある巨大な扉が音を立てて開かれる。
私は使い魔の導くままに、玉座へと歩みを進めた。
偉そうなオールバックの成金男が足を組み、ふんぞり返る。
彼が蛇王ザッハークなのは、言うまでもない。
かつて宮廷で舞い踊ったことを思い出し、私は覚悟を決めた。
彼は私を気に入り、愛人とするだろう。
ナナにはそれだけの魅力がある。これは自負すら通り抜けて、摂理なのだ。
ほら、私を見るや否や、表情筋が緩んでいるじゃない。
「貴様が、裁定者。」
「はい。」
「名は?」
当然、明かす義務はない。
でも彼は少しでも逆らえば、私を殺すだろう。
第二の生をこんなところで終わらせる訳にはいかない。
「ナナ、と申します。ゾラが、私という女に彩りを与えました。」
「エミール・ゾラか。余は当然知らんが、貴様がファムファタールであることは判るぞ。男を食い潰し、弄んできたのだろう?」
「失礼ながら、男、だけでは無く。」
「ははは!女も狂わせる美貌と来たか!それは良い!」
アサシンは豪快に笑う。
彼の傍に立っているのは、彼のマスター。
どうにも頼りなさそうだが、戦争の立役者というのは本当だろうか。
「余は退屈している。戦の渦中であるが、ワダンの地を攻め込む勇者はまだ訪れておらん。変わらぬ景色、変わらぬ風模様、暇を持て余し続けたのだ。故に、貴様の到来は余を滾らせる。」
「私は裁定者です。貴方様に対する戦意はございません。」
「知っておるわ。貴様の戦場は砂漠でも、野原でも、海でも無かろうが。」
そう言い、彼は指し示す。
小さな扉の向こう側、きっとその場所は寝室だ。
────余を楽しませてみよ。
彼はそう伝えている。
ザッハークの両肩から生え出た二匹の蛇が舌なめずりした。
異形との性行為。思えば、初めての経験かもしれない。
全くもって、心は踊らない。
でも、彼の期待に応えなければ、私は死ぬだろう。
それは嫌だ。
何の為に再度命を灯したのか、未だ理由は分からない。
でもきっと、その答えは何処かに転がっている。
私は私の戦場で、今日を生き延びなければならないのだ。
意を決して、彼の指し示す部屋に赴いた。
※
ザッハークと出会い、そして、一日を神殿で過ごした。
無尽蔵の体力を以て、彼は欲の限りを尽くした。
たぶん、十数時間は抱かれていたと思う。
流石の私も、経験したことの無いコトだ。
多人数はあっても、一人からこれほど求められたことは無い。
気付けば、窓の外は暗くなっていた。
当然、砂漠の中に外套は無い。星の光だけが頼りだ。
でも英霊の目は冴えている。私に覆い被さる彼は、何回戦目かも分からぬ行為に耽り始めた。
あぁ、痛い。
サーヴァントは疲れないのではないのか?
下腹部が私の脳に訴えている。
もう男を受け入れるのが辛い、と。
子を成すことが出来ないこの身体、だからこそ、責任も無い。
王にとって私は欲を満たすための道具だ。
今も無邪気に手に入れた玩具で遊んでいる。
私は彼の口を啄んだ。
どうやらナナは、口づけした相手の心を、記憶を読み解く力があるらしい。
生前の彼の武勇から葛藤まで、私は追体験し続ける。
愛おしさなど生まれない。蛇王は間違いなく、この世界の基準で言えば『邪悪』そのものだ。
私は無関心であるべきだ。ザッハークを許容すれば、自由なるナナは何処までも縛られる。
だからこそ、虚無。
ただエンドロールが流れるのを待つ。
「ナナッ!」
彼は私の名を呼んだ。
もうじき、果てるのだろう。
でも彼は人間のように朽ちない。
むしろ、若さを取り戻していくようだ。
これで終わるだろうか。
終わればいいのに。
私はゆっくりと瞼を閉じた。
「っ!?」
その刹那。
私は自身の首に強烈な痛みを覚えた。
柔肌に食い込む、鋭い牙。
目を開き、何が起きたのかを必死に理解する。
ザッハークの蛇に、噛まれたのだ。
微かに流れ出る血液以上に、首元から侵食する何かに強烈な違和感を覚える。
なに、これ。
肌を蠢く、小指ほどの小さな物体。
蛇にも、蜥蜴にも見えた。
「何を!?」
「いま貴様に、余の力の一端を授けた。貴様はザッハークの権能を振るうことが出来る。」
「なんで……」
「余は貴様を妻に迎える決定をした。故に、貴様は余と同じ存在になる。余の孤独を洗い流す女へと進化するのだ。」
私は目を白黒させる。
分からない、でも、吐き気を催す程の何かが起こったことは理解できた。
立ち上がり、彼から距離を取る。
そして自分の汗ばんだ手をじっくりと眺めた。
大丈夫、指は五本ずつあるな。
焦り過ぎて、そんな当たり前の確認すらしてしまう。
私は何度も指を折り曲げ、私が私であることの認識を続けた。
ナナは正常。
ナナは確かに顕在する。
だが、ふと、目に映ったのは……
背後から、蛇の頭が顏を覗かせていた。
「え……」
私は恐る恐る、蛇の尾を追ってみた。
ざらざらとした表面に手を滑らせながら、その全体像を把握する。
そして、知る。
この蛇は、私の背から『生えている』。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が荒くなる。
私の身体から、気味の悪い生き物が生え出てきた。
その事実に、震えが止まらない。
「なに……これ……?」
「蛇だ。」
ザッハークを蝕む呪い。
私はキスを通して、彼の身体と彼の歴史を知り得ている。
ならばこそ、その意味は理解できた。
孤独だから、お前もバケモノになれ。
それは違う。
彼は私の心を、深く理解していた。
十数時間に及ぶ行為の果てに、私が義務で、彼の愛を受け入れていることを。
暴虐の王の器を、愚かにも、見切った気でいたことを。
だから、これは彼なりの『嫌がらせ』だ。
ナナの最期を知ってか、それとも知らずか、彼は私の存在価値が美にしかないことを理解した。
だから、醜悪な種を植え付けた。
王の独占欲、王の支配欲、彼のモノであるという烙印。
私の背から生え出た蛇が、ケラケラと嗤っているように思えた。
ナナは、自由に生きる生物だ。
富を、人間を、世界を使い潰し、優雅に踊り続ける。
誰のものでもあり、誰のものでもない、それがナナなのだ。
蛇王ザッハークはそれを絶対に許さない。
彼は私の生き様を、完膚なきまでに否定した。
身体から蛇が無数に生えだすこの肉体に、誰が溺れてくれようか。
ザッハークが存在する限り、私はこの蛇を自由意思で操ることが出来ない。
まさしく手駒に、否、彼の娼婦に成り果てたのだ。
「馴染むか?余の蛇は。」
「っ…………」
彼が指を鳴らすと、私の背から三匹の蛇が出現した。
二匹が両手を縛り上げ、そして最後の一匹は────
「んく…………っ」
ここから先は言うまい。
何者も受け入れた私は、ついには異種生物も受け入れてしまったのだ。
悪王は私が悶え苦しむさまを見、手を叩いて笑っている。
あぁ、痛い。
これがナナの罪だというのか。
私は富も、人間も、世界も、必要なかった。
私が欲しかったのはもっと小さなものだ。
もっと、もっと、もっと、小さな────
「貴様は余のモノだ、ルーラー。」
あぁ、私はまた、肉塊へと戻るのか。
一人病室に取り残され、誰にも迎えられず、誰からも忘れられ。
悪臭漂う汚物になってしまう。
私は快楽か、それとも哀しみか、嗚咽の混じった喘ぎ声を漏らす。
あぁ、醜い。
私だけは、ナナを好きでいなければならないのに。
でなければ、誰からも…………
※
暗闇の砂漠を、一人彷徨っている。
テルジットまでまだ距離はあるだろう。
星の光だけが頼りだ。
風に乗った砂が鼻や口から入り込み、何故か咳き込んでしまう。
私は本当に英霊なのだろうか。
ザッハークは私に、テルジットへの帰還命令を出した。
常に私がいる環境は好ましくないようだ。
魅了スキルを有する私の存在が邪魔になることもあるだろう。
だから、必要な時に呼び出して、夜の相手をする。
そういう取り決めになった。
当然応じなければ、取りつく蛇の呪いが、私を殺すだろう。
他の英霊に救いを求めても無駄。
そもそも、ナナを救う力は彼らには無い。
絶対服従、そうすれば私は第二の生をまだ諦めずにいられる。
でも何のために?
そうまでして生きて、何を手に入れたいのか。
分からない。
もう、考えるのも億劫だ。
「あ」
私は何かに足を打ち付け、転びそうになる。
この砂漠に、得体の知れないものが転がっていた。
それはどうやら人間のようだった。
死体が転がっているなんて良くある話だ。気にすることでもない。
いずれ私もこうなるだろう。
あの時のように。
「ん…………?」
私はある違和感を抱き、死体の様子を確認してみる。
その顔に、見覚えがあるような気がした。
上体を起こしてみると、整った顔の青年だった。
確か、テルジットに訪れていたのを見た気がする。
話をしたわけでは無いから、印象が薄いのかもしれない。
そして私は彼がまだ息をしているのに気付いた。
この砂漠の真ん中で、生存者が発見されたのだ。
酷く面倒だが、もし聖杯戦争の参加者であるならば、監督役はこれを見過ごすわけにはいかない。
一応建前ではあるが、脱落者の保護をするのが監督役の責務である。
私は彼を背負い、テルジットのテントへと向かった。
流石は英霊の肉体、人間を一人持ち上げるくらい訳ないらしい。
星の導きを頼りに、ようやく自宅ともいえる場所に辿り着いた。
テントの中でランプを灯し、青年をベッドに寝かせる。
彼は意識を失っているようだ。砂風にあおられ、肺に異常が無いか心配である。
「えっと」
誰、だったかな。
私の元を訪れたアジア系の顔は、あまり心当たりがない。
男をただの肉食動物と捉えていた弊害だろうか。
どうにも今はあのアサシンの薄気味悪い表情が頭を離れなかった。
私は彼の顔を暫く観察していた。
ザッハークの蛇たちは彼を脅威と判定していない。私の体内で眠りこけているようだった。
そして途中で、彼の身元を判明させる為に、自らのスキルを使用した。
乾燥した唇に、私はそっと口づけをする。
「ん」
流れ込んでくる、記憶。
彼が生まれる瞬間、暗くて、強烈な異臭が漂う地下室の映像が想起される。
彼はキチキチと産声を上げていた。母と思われる女は絶望し、傍にいた老人は嗤っている。
彼は室内を元気に走り回り、己の存在を誇示し続けた。
だが、誰も彼の声に耳を傾けない。
悪臭に塗れた『虫』は、ただひたすらに孤独だったのだ。
「この、気持ち悪い虫が、この人間だというの?」
そしてそれから、彼は自らの『縫合魔術』でヒトの身体を形成し、人間として生きた。
ザッハークのように、自身がバケモノであると認識して、それでも、溶け込もうと足掻いていた。
だが、彼の行動はお世辞にも、人間『らしさ』があったと言えず。
彼は恋を知る為に、ヒトでは無く、虫でそれを成就させようとした。
彼が創り上げた恋人は数知れず。印象深いのは、最後に作成した『亜弥』という少女。
彼女は機能不全により、他者の血肉を啜る怪物へと成り果てた。
そして無情にも、彼は彼女を処分した。
その行動を見た彼の母は、人間として、彼を否定した。
生まれてこなければよかった。
彼は精神的苦痛の末に、サハラの地へと赴き、人間になる為の戦争を始めたのだ。
劇的で、悲哀に満ちた人生。
物語の登場人物のような彼が、過酷な地で息を引き取る寸前だった。
私がこの些細な願いを、救ったのだ。
そう思うと、どこか自分が誇らしく感じられた。
「んぐ」
随分と長時間、唇を合わせていたようだ。
彼は息が苦しくなり、激しく咳き込んだ。
それと同時に覚醒し、飛び起きる。状況が把握できないのか、頭に疑問符を浮かべている。
「こ、ここは?あんたは?」
「ここは私、ルーラーの住まうテントよ。倒れていた貴方を私がここまで運んだの。」
「ルーラー、あ、ありがとう!すまない、ありがとう!」
彼はまた激しく咳き込み始めたので、ペットボトルに入った水を手渡す。
その際、私の下着同然の胸に彼の手が当たったのか、彼は激しく狼狽えた。
そしてこちら側を見ないように、水分を口に含む。
初々しい反応だ。テルジットにも似たような反応をする人間たちがいた。
でも彼らは既に私が消費した。彼と同じように、この砂世界に埋もれ死んだのだ。
「はぁ……美味い。」
「夜は涼しいけれど、やっぱり砂漠の国は乾燥していて辛いわよね。」
「あぁ。日本が恋しくなってきた頃だ。」
「巧一朗の住んでいた国は、衛生的にも素晴らしいと聞くわね。」
「あぁ、蛇口をひねればきれいな水が出てくるからな……って、どうして俺の名前を?」
彼の名は『間桐巧一朗』。
セイバーのマスターで、冬木の地からはるばるモーリタニアまでやって来た。
人間の姿をしているが、実際は『虚行虫』と呼ばれる生物だ。
私はそれを知っているが、彼はそれが不思議でならないようだ。
「監督役は何でも知っているの。」
「そうなのか、凄いな。」
私は適当な嘘を付いたが、彼は単純で、まんまと騙されてしまった。
この様子で戦争の勝者になれるのだろうか。
まず間違いなく、蛇王ザッハークには殺されるだろう。
「ねぇ、貴方はどうしてあそこで倒れていたの?セイバーはまだ消滅していないわよね?」
「あぁ。俺が彼女の期待に沿えなくて、関係性が解消されたというかなんというか。」
巧一朗はシムーンとの邂逅を詳細に語った。
私からしてみれば、サーヴァントがマスターを守るのは当然だ。巧一朗に命の危険が迫っていたならば、令呪を切る判断をしたのも納得できる。セイバーは巧一朗の技量を信頼していたのだろうけど、その心の声には耳を傾けなかった。
「俺が悪い、俺が弱かったのさ。セイバーの信頼を裏切ってしまった。彼女の気持ちに、気付いていた筈なのに。」
巧一朗はそう俯いた。
だからこそ、彼はセイバーに謝罪する為に、一人で砂漠を歩き続けていた。
そして道中で疲労により意識を失い、今に至る。
確かに彼は命の危険にさらされ、一度は逃げる選択をした。
でもそれを恥じ、信頼を取り戻す為、戦場を駆けずり回っている。
非効率的だし、危険だし、大して意味もない行動だと思う。
でも誠意は感じられた。巧一朗は人間と違い、とてつもなく愚直なのだ。
「ありがとう、ルーラー。本当に感謝する。じゃあ、俺はこれで。」
彼はそう言い、立ち上がった。
この真夜中に、サーヴァントを探す旅を続けようとする。
私は自分でもよく分からないままに彼を引き止めた。
「今日はもう遅いわ。ここに泊まっていったら?」
「いや、そこまで世話になる義理は無い。見ず知らずの男と夜を共にするのは、その、あまり良くないだろう。」
「そうかしら?私はサーヴァントで、貴方は人間。力量の差は歴然でしょう?まさか襲われるなんてこちらは思っていないわ。」
「いや、まぁ、俺にそんな度胸は無いけれど、そうだな、今のあんたの姿は非情に蠱惑的だ。その、俺が落ち着かない。」
彼は赤面したまま、テントの外へと向かって行く。
私は彼の腕を掴み、そしてそのまま床に押し倒した。
何故このような行動に出たのか、私はおかしな感情に支配されていた。
ザッハークに隷属したことによる精神の淀みを、この『虫』で晴らそうとしているのだろうか?
私は彼に覆い被さり、そしてその綺麗な目を見つめ続ける。
彼の頬は茹蛸のように紅潮していた。
かすかに、魅了され始めていることに気付く。ヒトの数倍は遅い反応だけれど、この感覚は悪くない。
「ルーラー、すまない、どいてくれ。」
彼は私の肢体に、目を向けないようにしている。
その反応は可愛らしく思えるが、彼の要求に応えるつもりは無かった。
いつものことだ。私は男を前にし、襲うか、襲われるかの二択。
私は鬱憤を晴らすかのように、彼を肉欲のまま捕食する。
それがナナ。私は自由気ままに、その時にしたいことをするだけだ。
誰にも、支配されない。
誰にも言いなりにならない。
私が行動の指針であり、私が世界の中心なのだ。
「巧一朗、『こういうこと』は経験済みかしら?」
「えっと、いや、無い。」
「じゃあ私が貴方の『最初』になってもいい?」
潤んだ眼、火照る頬、汗ばむ身体。
一夜限りの恋物語、そのページは開かれる。
彼は私に魅了されている。
故に、ナナにより極上の快楽を与えられ、そして消費されるのだ。
「ねぇ、巧一朗、私を受け入れて。」
「えっと、いや、その。」
ふと、彼の視線を追った。
通常、男たちは私の目か、唇か、胸に釘付けになっている。
だが彼は違う。どこか遠くを見ているようだった。
私では無く、私の後ろ。
私は振り返り、そして、酷く狼狽した。
背中から生え出た蛇が、こちらを凝視している。
ナナを監視し、心と身体を束縛する邪悪。私は彼から飛び退き、必死に背中を隠そうとする。
見られてしまった。
見られたくなかった。
まるで、天然痘を患った時のよう。
私は美しいから価値ある存在なのだ。
ナナは圧倒的な美女であるから、自由を手に出来たのだ。
だから、顔面が気泡だらけで、全身から悪臭の漂うあの私は、ナナであって、ナナでは無い。
この蛇もそう。ナナを殺す存在。ナナから自由を奪う悪意だ。
一夜の恋はいとも容易く奪われる。
ナナは巧一朗によって否定される。
それは耐えられない。
私は愛されなければならないのだ。誰も私を否定してはならない。
汚らわしいと思われる前に、彼を処分しなければ。
殺さなきゃ、気味悪がられる前に、殺さなきゃ。
「よくも、見たな!」
彼からすれば、意味の分からない女だろう。
突然襲われたかと思えば、突然嫌悪され、それどころか殺意を向けられる。
我ながら彼に同情した。
可笑しな行動をしているのは分かっている。
それでも、ナナを否定される訳にはいかない。
「ルーラー…………?」
感情が高ぶると同時に、新たに二匹の蛇が姿を見せた。
そして巧一朗めがけて三匹は突進する。
その毒の牙は彼の肉体を容易く千切り取るだろう。
虫が蛇の捕食から逃げられる道理はないのだ。
「ルーラー、あんた……」
巧一朗は逃げる体制を取らない。
それどころか、私の顔を見つめ続けている。
今にも死ぬのに、何故、戦闘態勢に移行しない?
令呪を用いてセイバーを呼ぶような場面である筈なのに。
「泣いているのか……?」
巧一朗はそう呟いた。
彼にとってみれば、絶対的存在であるサーヴァントが激しい感情を見せたことが驚きそのものだったようだ。
私の目尻に浮かぶ小さな水滴に、彼は気付いた。
自分がこれから死ぬというのに、そんな些細なことを疑問視したのだ。
蛇の侵攻は止まる。
私の感情と連動しているみたいだ。
あぁ、何故私は泣いている。
自分で自分自身が分からない。
蛇王ザッハークは私を思うがままに貪っただけ。
そして王の独占欲で、私は管理されただけ。
生前も、そんなことはあったじゃないか。
私は『あの男』に毎日のように殴られていた。それと同じ。
ただの日常だ。私はそれをいつものように許容しただけ。
泣いて媚びるのはベッドの上だけ、気高さを失ってはいけないと誓った筈。
なら、どうして。
「ルーラー、ごめん、助けてくれた恩人に、俺は何か不義理なことをしてしまったようだ。俺に出来ることがあれば、何でも言ってほしい。出来れば、夜の営み以外で……」
「巧一朗…………」
「折角だから、もし可能なら今晩泊めてもらっても良いだろうか。正直に言うと、行く宛もない。」
彼は頭を掻きながら、笑った。
ザッハークのような嘲り嗤う笑みでは無い。こちらを最大限気遣う様な、優しい微笑み。
私は彼から更に距離を取る。
彼の優しさに触れてはいけない。
でも女の本能は真逆に働く。
矛盾した感情に踊らされ、私は俯くしか無かった。
どうすればいい。
何をすれば、私はナナを保っていられる?
頭がぐるぐると回り、その場で固まってしまう。
巧一朗は頬を掻き、そして、私へ向けて手を差し伸べた。
「大丈夫か?」
私は彼の手を取らない。
だが私の背から這い出た蛇の一匹は、彼の掌にその頭を乗せ、幸せそうに笑った。
巧一朗は戸惑うが、直ぐに懐く動物に愛おしい目を向ける。彼はゆっくりともう片方の手で蛇の頭を撫でまわした。
凄く変な感覚だが、私の頭が撫でられているように錯覚する。
異性から頭を優しく触れられるのは、いつ以来だろうか。
「おお、可愛いな、この子。名前は何て言うんだ?」
「名前?」
「あ、名前とか無い感じ?」
撫でられる一匹を羨ましく思ったのか、残りの二匹も巧一朗の腕に絡みついた。
彼は困惑しながら、一匹ずつ丁寧に撫でていく。
くすぐったさが三倍になった気がした。
彼は俯き、言葉を発しない私を気遣い、隣に腰を下ろした。
そして私の背から生えた三匹と戯れ、遊んでいる。
奇妙な光景だが、彼はこの状態の私を突き放すことはしなかった。
だから、次第にこの距離が心地よくなっていく。
私はようやく声を絞り出した。彼の求めていた言葉では無いのかもしれない。
「巧一朗、何でも良いから、話をして欲しい。貴方の話を。」
「俺の話、でいいの?分かった。」
彼は嫌な顔一つ浮かべず、自分のことを話し始めた。
それは私が口づけした際に見た記憶や感情と同じ。
彼の正体、そして縫合魔術、亜弥という少女のこと、そして、セイバーに対する思い。
彼は己の人生を空虚と自虐した。でも、そんなことは無い。
天然痘を患い、誰からも見放され、強烈な悪臭漂う肉塊となった私。
同じように、饐えた匂いの地下室で『虫』の身体を以て生まれ、それでも這い上がり、足掻き続ける彼。
私たちは同じで、でも、少し違う。
否定された後、それでも、立ち上がる勇気が私にはあっただろうか。
彼のように願いを叶える為に、命を賭して戦えただろうか。
彼が私を肉欲のままに抱かなかった最大の理由。
それは『虫』である彼との行為が、私の心を傷つけてしまうと、そう思ったから。
「愛する人と、とか、そんなことは思わない。きっと世間の男女は様々な理由をつけて、互いを確かめ合っているんだと思う。恋も愛も、そこら中に散らばっているものだろう。」
「うん。」
「でも、俺にはまだその資格がない。俺はエゴイズムで、亜弥を突き放してしまったのだから。今は傷つけることに臆病なのかもしれない。これもまた、俺のエゴだろうね。」
それでも。
彼は感情のままにその言葉を吐露した。
「それでも、ルーラー、貴方はとても綺麗だと思う。俺には手が届かない。」
彼はそう言って、笑っていた。
私はいつの間にか、彼の肩に自らの頭を乗せていた。
あぁ、ナナはきっと、このような弱さは見せないのだろうけど。
今だけは、せめて、この一夜だけは。
私だけの、時間。
「えっと、ルーラー、眠いのか?」
「ううん、サーヴァントは眠らないの。」
「そうか。俺は少しばかり眠いかも。」
「なら、一緒に寝て欲しいわ。大丈夫、この夜は貴方をどんな外敵からも守るから。」
「それは心強いな。」
巧一朗は眠った。
ベッドの上で、私の膝を枕にして、ゆっくりと瞼を閉じた。
相当疲れていただろう。初心な彼なら、膝枕さえ恥ずかしい行為の筈だ。
私は彼の頭をゆっくりと撫でる。
本当に美しい顔だ。作られたものと知っていながら、まじまじと見つめてしまう。
本当の彼はもっと小型で、もっと悍ましい。
でも恋する肉塊には、そのような事実は気にもならない。
恋する?
自分で言って、自分で納得する。
これまでも、毎晩私はいろんな人間に恋をしてきた。
今日はたまたま彼にその感情を向けただけ。
明日は別の誰かを好きになっているかもしれない。
ナナは自由気ままな生き物なのだ。
でも。
もし、明日も巧一朗に恋していたならば。
私はこれからどうして生きようか。
どんな第二の生を送っていこうか。
今の私は鼻歌交じりに、そんなことを考えていた。
※
そして翌朝。
旅立つ直前の彼に、私は令呪を授けた。
戸惑う彼に、シムーン討伐の話で無理矢理に納得してもらう。
加えて、私は少し背伸びして、彼と唇を合わせた。
これも、ナナの力。
ナナとの恋は、誰もが平等に一夜限り。故に、彼はこれより、昨夜の出来事を全て忘れ去る。
私との出会いや、語らいも、全て。
彼は暫く茫然とし、そして、傍に立つ私に驚愕した。
もう私のことを覚えていないようだ。
「え、えぇえ!?」
彼は私を一目見て、驚きながらも赤面する。
初々しさは変わらないのね。良かった。
「助けて、くれたのか?」
「ええ。テルジットの付近で倒れていた貴方を運んできたの。」
「えっと、有難う、ございます。」
たどたどしい雰囲気。
目を覚ました時の彼そのものだ。
私は思わず笑ってしまいそうになる。
そして案の定、令呪の話になり、私は再度シムーンの話をする。
彼は納得し、そして私に感謝した。
「有難う、色々と、助かったよ。」
彼は踵を返し、テントの外へと向かう。
私は条件反射的に、彼の袖を摘まんでいた。
不思議そうな巧一朗。
無理もない、彼にとって私は初対面みたいなものだから。
私は彼から手を離し、目を伏せる。
お別れの時間だ。
「いえ、ごめんなさい。昔の知り合いによく似ていたものですから。」
「あ、あぁ。」
「セイバーを探すのね。彼女はシンゲッティの方面にいるみたい。」
「え、あぁ、有難う。向かってみるよ。」
巧一朗は手を挙げ、感謝を口にする。
私は彼に手を振った。
これでいい。
彼の足音が遠ざかっていく。
これでいいの。
私は今日また、アサシンの宮殿へと向かう。
「私はナナ、富を、人間を、世界を消費するファムファタール。」
私はここに誓う。
この第二の生の使い方。
ナナの物語の続編が、始まったのだ。
「蛇王ザッハークを殺害する。」
巧一朗の旅を終わらせる存在、暴虐の王を殺す。
そして彼の力を手にした私が、その力で新たな世界を築き上げる。
虫である巧一朗が、幸せを手にする世界。
彼を決して孤独にはしない。
彼の為の『楽園』を創る。
そして、いつかの日に、彼と再会し、彼を全力で墜とす。
ナナの虜にしてみせる。
数多の女性を出し抜き、ナナが、彼と愛し合う。
彼の為の桃源郷、彼の為の『オアシス』。
私がその創造主となる。
こうして私は、一夜の恋を続け、千年の時を超えた。
歪んでいく精神、壊れていく世界。
でもその物語は、いつまでも、どこまでも、破綻しなかった。
巧一朗、貴方が好きよ。
さぁ、『世界を滅ぼす恋』を始めましょう?
【深層編⑤『ナナ』 おわり】