Fate/relation   作:パープルハット

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大変ながらくお待たせしました。


信奏編6『都信華Ⅲ』

開発都市第五区、アヘル教団セントラル支部。

七人のヴェノムサーヴァントがこの地区を管理、運営する。象徴たる災害のアサシンの言の葉を世に伝えるのも彼らの仕事である。

誰もが目指すべき華やかな世界であると認識されるが、その実、汚れ仕事を任されることも多い。

己の部下を率いて、聖遺物を秘密裏に奪取する仕事。

教団の意に背く物を粛清する仕事。

血が流れる瞬間を目の当たりにすることは、決して少なくない。

今宵も、一人の青年が教祖に楯突く不届者を抹殺する。

壁紙が白一色の空間で、全身を拘束された中年男性がいた。

目の前にはフランス人形のような容姿の人物が立つ。

『彼』の刃物を持つ手は小刻みに震えていた。

 

「モゴイ君は人を殺すのは初めてなのね?」

 

ヴェノムアサシン『モゴイ』こと板垣充にとって、セントラル支部に配属され、初めての仕事がコレだ。

アヘルにとっての邪魔者を掃除する単純業務。

だがその一線を越えることに対し、彼は酷く恐怖している。

彼の初仕事の監督役となった沼御前は、背後から優しく抱き締め、彼の震えを止めた。

 

「大丈夫、すぐ終わるわ。心臓を突く必要もない。首にそっと当てるだけ。傷口に毒が染み込んで、即死する。」

「即死…………」

「苦しむ間もないということ。だからモゴイ君が憂う必要はないの。これはこの人間にとっても救いなのだから。」

「そう、なんでしょうか?」

「教祖様に見放された人間がオアシスで生きていくのは、余りにも過酷だもの。生きることこそが苦痛、地獄。だから、わらわ達が助けなきゃ。」

「助ける…………」

「そう、早く彼を楽にしてあげて?」

 

充は涙を堪え、歯を食いしばる。

これは救いだ。彼は今から善なる行いをするのだ。

言い聞かせる、言い聞かせる、言い聞かせる

板垣家の誇りであった愛する兄のように、自らも一人前の大人になるのだ。

沼御前の命令は絶対。

もし目の前の男をちゃんと殺せなければ、どんな『罰』が待っているか分からない。

だから、殺さなければ。

 

「命だけはどうか…………お願いします…………」

 

中年男性は目鼻から汁を滴らせながら命乞いをする。

それがこの場においてどれだけ無意味なことかを理解しつつ。

 

「すみません」

 

充は、否、ヴェノムアサシン『モゴイ』は、目を瞑りながら、男性の首にナイフを当てがった。

刃先が肌をプツリと裂き、滲み出た赤黒い血液が一筋垂れる。

鶏肉を捌く際と変わらぬ感触。

だが料理ではなく、これは歴とした殺人。

モゴイは唇を振るわせ、刃を徐々に押し込んでいく。

中年男性の断末魔がこだました。

同時に、後方に立つ沼御前のクスクスとした笑い声も聞こえてくる。

モゴイが目を開いた時には、男性は絶命していた。

目は灰色に濁り、口元から赤色の泡を噴出している。

その無惨な様に、無垢なる少年は恐怖し、手に持つ刃物を落としてしまった。

白い指にべっとりと染み込んだ赤は、タブーを犯したことの証拠そのもの。

一線を超えてしまった。

もう後戻りは出来ない。

 

「は…………はぁ………………あ………………」

 

呼吸が乱れる。

涙と汗が止まらない。

胃から込み上げるものを必死に飲み込んだ。

 

「お疲れ様。偉いわ、モゴイ君。とても立派よ。」

 

低身長の少年を高身長のバケモノが優しく包み込んだ。

豊満な胸に抱き寄せられ、微かな母性に安堵する。

だが本能で理解している。委ねれば、その先は文字通りの泥沼だ。

狂ってはならない。

保たねばならない。

板垣の名の下に、青年は志す。

かつての親友、船坂優樹にキレイなままで会いに行けるように。

また友達に戻れるように。

 

「じゃあ『次』行きましょうか?」

 

モゴイは沼御前の言葉により覚醒する。

また、殺す?

誰を殺す?

 

「沼御前様…………」

「なぁに?わらわの可愛い後輩、モゴイ君?」

 

モゴイは顔を埋めていた乳房から離れると、そこで初めて知るのだ。

沼御前の顔は、美女などではない。

この世で最も醜悪な顔。

例えるならばまさしく『悪魔』なのだと。

 

そして自分がもはや手遅れであると悟った。

 

 

【信奏編⑥『都信華Ⅲ』】

 

人権活動家『アングイス』が自ら命を絶ち、一ヶ月。

開発都市第五区はかつてない程に混沌を極めていた。

非適正者により構成された団体がクーデターを起こし、セントラルのヴェノムサーヴァントがこれを鎮圧。

既に小競り合いは二度も勃発している。

やがて格差による溝は最大級の争いを齎すだろう。

アヘル教団は大きな転換期を迎えている。

 

「第三区から密輸された聖遺物から召喚された英霊五騎と暴徒たちがマージナル支部を襲撃。セントラルのヴェノムライダー『フショウ』とヴェノムアサシン『サルムス』が応戦し、鎮圧化させました。」

 

ウラルンは右大臣と左大臣の前で、報告書を淡々と読み上げる。

マージナルは、やがてセントラルへと至る若者たちを育成する為の教団支部。

非適正者団体も馬鹿ではない。的確に、教団の弱点とも言える箇所に狙いを澄ましていた。

 

「それで、フショウとサルムスは?」

「…………」

 

沼御前の問いかけに、ウラルンは首を横に振る。

それが意味するところを、この場にいる者たちは理解した。

アーチャー、ライダー、アサシンと、立て続けに戦力を失う教団側。

反アヘルの旗印の元、団結を増す非適正者団体。

戦局は次第に傾き始めている。

 

「アーチャーの席はウラルンに任命した。でもライダーやアサシンをまた早々に用意するなんて無理ですわ。」

 

頭を抱えるムブニル。彼女自身が事の発端であることを無視し、第五区の未来を憂いている。

彼女からすれば、非適正者を救う義理などない。圧政を敷き、搾り取る。残りカスは虐殺すべきという過激思想の持ち主だ。

保守鷹派閥の極地である左大臣は新たなる非適正者差別法案を通すべく奮闘しているが、『災害』へのお伺いだてが、最近は上手くいっていない。

この状況下で存在感を露わにしているのが、右大臣の妖怪風情だ。

普段はのらりくらりと愉悦のままに生きる彼女は、有事の際に一際輝きを放つ。

 

「アサシンの席には『モゴイ』を立てるわ。わらわが直々に育て上げた暗殺兵士。まだ実践経験が浅いけれど、既に二種類のアンプルに覚醒している才能の持ち主よ。」

「随分用意が良いこと。いつの間に後継者の育成に着手していたのかしら?」

「災害のアサシンを守る盾は、いくつあっても足らないでしょう?わらわのマスターは、これからも頂点に立ち続けなければいけないのよ。」

 

沼御前は、蛇王ザッハークによって直々に召喚された唯一の英霊。

ならばこそ、彼女が災害を守護すべく奔走するのは道理である。

だが、どうにもきな臭いのは何故だろう?とムブニル、ウラルンは同時に思った。

 

「提案なのですけれど、ヴィボラドの下には最年少の『シュランツァ』を付けるのはいかがかしら。マージナルだけど、セントラル入りを期待されている彼女であれば現場仕事をある程度任せて問題ないでしょう。」

「いいえ、残念だけれど、それは却下よ、ムブニル。」

「何故?」

「わらわのマスターが敷いたルールを忘れたかしら。セントラル支部のヴェノムはエクストラクラスを除き必ず七騎で無ければならない。シュランツァの実力をわらわも知っているけれど、ヴィボラドの役目を分け与えてはならない。」

「……勿論存じていますわ。でも後継者の育成が出来ていないのも事実…………」

 

ムブニルの意見は最もであり、ウラルンもこれには頷いた。

セントラルは確かにアヘルの意思決定機関であるものの、七騎で縛りつける必要性は無いはずだ。要は意見が割れない奇数であれば問題ない。

だが沼御前は教祖の意向としてこれを拒絶する。

左大臣の席が知り得ぬ裏事情を、右大臣は手に入れていた。

 

「『七』という数字に拘りがあるのよ、我らが救世主様はね。」

 

ムブニルは唇を噛む。

愛してやまぬお方の意思であれば致し方のない話。

だが第五区の創造主により近い存在が、嫌悪すべき妖怪なのが実に腹立たしい。

ここ数日間、教祖は部屋に篭り、何者にも姿を見せていない。今アヘルを正しく導くのは、最高幹部である二人のみなのだ。

非適正者を完全に従属させる為には、まず右大臣を丸め込まなければならない。

愛する娘、雪匣ことウラルンの為に、泥に塗れる覚悟すらあった。

━━━━自身の、ここ数日の空回りっぷりには辟易する。

 

「そしてヴェノムライダーが空席だけれど、マージナル支部には有望な若手はいるの?」

「今は、特に………………あ」

 

沼御前の問いに、ムブニルは思い当たる。

身体障碍者の施設内に、ウラルン同様『アキレウス』のアンプルに適合した少女がいた筈だ。

確か名前は『雷前巴』。

交通事故で両足を切断した、元中学陸上のエースである。

その特質上、未だ訓練を行なっていないけれども、才能溢れる人材であることは確か。

 

「雷前巴、英霊アキレウスと適合した稀有な才能がいましてよ。」

 

ムブニルの発言に、ウラルンはぴくりと反応した。

鉄心が幽霊部員となる前の話、高校一年生の時に外部指導で訪れた中学に、彼女はいた。

彼がとても気にかけていたのが巴だ。

雪匣は鉄心と交際する以前から、巴という若きエースの話を聞かされていたのだった。

やがて痛ましい事故によって、巴は将来を絶たれることになる。

鶯谷本舗の仕事が忙しい鉄心に変わり、雪匣は施設へ赴き、巴との交流を何度か図った。

故に、巴の名前が出てきたことに肩を震わせたのだ。

あの明るく前向きな良い子が、よりにもよってアキレウスアンプルと適合した?

その事実がウラルンの心を奈落へと突き落とす。

強力強固な大英雄のアンプルは、使用者に絶大な力を齎す。

だが同時に、強烈な副作用も…………

セントラルへ招かれれば、戦いの日々が始まる。

心優しい巴が、危険と隣り合わせの人生に身を置いてしまう。

 

「あの…………巴は………………」

 

ウラルンは二人の恐怖を前に声を絞り出した。

アキレウスを背負うのは、自分だけでいい。その覚悟を示すために。

 

「あら、どうしたの?ウラルン」

 

ムブニルは自身の娘に優しく微笑みかける。

それは母としての愛情が滲み出る笑顔。

だがそれは、雪匣ではなく、ヴェノムアーチャー『ウラルン』へと向けられたものだ。

それが理解できるからこそ、ウラルンの呼吸は荒くなる。

この場に立つのは、入谷雪匣ではない。ヴェノムアーチャーだ。

鶯谷鉄心が恋心を抱いた少女ではない。

巴をセントラルへと招きたくないという気持ちは、只の私情だ。

アヘルを統括する二人の前で、お気持ちを表明することだけは行えない。行なってはならない。

 

「なんでも、ありません。すみませんでした。」

 

ウラルンは頭を下げる。

娘の心の内を紐解けない母と、全てを理解した上で気味の悪い笑顔を浮かべる沼御前。

ウラルンはこの場で決意する。

雷前巴がこれ以上の悪夢に晒されないために、彼女を守り続ける。

これを未だ目覚めない鉄心への誓いとして。

今の彼女には、それが精一杯だった。

 

 

イーター実験は暗礁に乗り上げ、研究者として満期を迎えた都信華。

再募集が掛かることは無く、仮に研究者が世に必要であったとしても、信華にはもはや居場所が無かった。

人の命を奪ってしまった罪は、どこまでも重くのしかかる。

表向きには裁かれなかったとしても、彼女の精神は既に八つ裂きにされていた。

今は松岱道場で子ども達の面倒を見ている。

彼女をひたむきに支えてくれる恋人、連也と、その両親たち。彼らがそばにいるから、信華は前を向けた。

道場で、未来ある若者に『強さ』と『心』を教える仕事。

研究者と同じ、第五区のためになる誇りある仕事に従事できる。

信華は自分自身を納得させ、今日も師範としての責務を全うしている。

 

「みやこせんせー!見てみて!ネイル付けてみた!可愛いでしょ!」

「あら、華やかですね。」

「キョーコちゃんのママがネイリストで、お願いしたらやってくれたの!ねーキョーコちゃん!」

「ジェルじゃなくてスカルプだから素人は無理なんだよ。成長期は良くないって言うけど、今でしか出来ないオシャレもあるし〜」

「…………?」

「せんせーもオシャレしなきゃだし!美人なんだから!」

「いえ、私は…………そもそも道場でその爪は………」

「え〜でもユーコさんもすっかりキョーコちゃんの店の常連さんだよ?」

「お、おかあさん!?」

 

子ども達の会話に付いていけないばかりか、御歳七十の義母、松岱夕子にお洒落を越されてしまう事実。

そういえば数ヶ月前からも、両手がゴージャスな芸術作品になっていたのを思い出した。

世の女性は当たり前のように美しさを磨いている。

 

「(そういえば、そういうことには無頓着だったな、私)」

 

牛乳瓶の底のような丸眼鏡を着用する、髪がボサボサの研究者。

不健康的な痩せ姿、微かに浮き出たあばら、ムブニルや災害のアサシンのような豊満な胸もなく、化粧道具も格安のドラッグストアで揃えた道具一色のみ。

思えば杏寿は幼いながら、自身のコーディネートに余念が無かった。

それは男性(?)であるショーンことセバスチャンも同じ。そもそも教祖が女の子の活躍を後押ししている第五区で、信華は時代の波に逆行していると言えよう。

災害のアサシンも、同様のことを言っていた気がする。

飾り気のない自分自身、これを機に、新しく生まれ変わるのも良いかもしれない。

そうすれば連也はきっと…………

 

「信華」

 

信華は後方からの呼びかけに驚き、肩をピクリと震わせた。

声の主は連也だった。ちょうど彼のことを妄想していたなど、口が裂けても言えない。

 

「重要なお客様だよ。すぐに来て。」

「私に…………?」

 

道場の外が何やら騒がしい。

信華は頭に疑問符を浮かべつつ、連也のいる方へ向かった。

 

松岱道場の門前に立っていたのは、身長百九十を超える大男。

着用しているのはアヘルの軍服。

周りにいた非適正者たちは彼の前で跪き、首を垂れている。

異様な雰囲気の漂うこの場所で、信華は久々に友と再会した。

 

「お久しぶり、信華ちゃん。」

「ショーン様…………」

「やだ、様だなんて、そんな…………ごめんね、急に。」

 

ヴェノムキャスター『ショーン』

彼に会うのは実に一ヶ月ぶりだ。

その強面な姿から想像もしない弱々しい声音。

それでも彼は信華のために、精一杯の笑顔を作り上げる。

 

「少しだけ、お話しできるかしら?」

「ええ。」

 

信華はショーンに連れられ、近くの喫茶店へと向かった。

 

 

アンヘル研究所の元同僚、同じ研究者。

だが信華はその職を失った。

対面して座る二人は、もはや同じ志を有さない。

だが、ショーンはそれでもと、口を開いた。

 

「今ね、研究職の募集再開が出来るように動いているの。」

「そう…………ですか。」

「今のアヘルは、適正者、非適正者の垣根を超えて、優秀な人材が必要だわ。だからわたくしは信華ちゃんを…………」

「ショーン様。私はもうあの場所へは戻れません。」

 

アヘルを救う研究。

だがその研究で人の命を奪った罪。

その代償を払わされた、無辜なるアングイス。

これが現実だ。

信華にはもう、席は残されてない。

そのことをショーンも深く理解している。

 

「私は、私を受け入れてくれる家族がいました。これからは『松岱信華』として生きていきます。申し訳ございません。」

「そう…………ね」

「これまで、多くのことを教えてくださり、ありがとうございました。ショーン様は私が最も尊敬する上司です。」

 

ショーンの目元から雫がこぼれ落ちる。

彼はサングラスを取り、慌ててそれを拭い去った。

女の子の誇らしい門出に、別れの涙は不要。

ショーンにできることは、頼れるオカマキャラとして、友の背中を押すことだった。

 

「ふふ、女の子に1番似合う服はウエディングドレスって言うものね!信華ちゃんはきっと凄く綺麗な花嫁さんになるんだろうなぁ!あ、絶対にわたくしと杏寿ちゃんは呼ぶこと!絶対だからね!」

 

ショーンは信華の手を取った。

適正者と非適正者の間に出来た蟠り。これから先、第五区は大きく分断されていくだろう。

だからこそ、彼は彼女に告げる。

それは彼女への誓いであり、彼自身への約束だった。

 

「信華ちゃん、何があっても、わたくしはあなたの味方よ。」

「ショーン様…………」

「約束よ!」

「……………………ありがとうございます」

 

きっとこのアヘルにも、信仰だけじゃなく、変わらないものがある。

ショーンはそれを信じている。

同じ白衣に袖を通すことが無くなっても、そんなことは些事だと笑い飛ばせるくらいに。

 

「あら?信華ちゃん、腕どうしたの?」

「腕?」

「赤色に腫れているわよ、痣かしら。道場での練習の所為?」

「えっと…………」

 

信華は自身の右腕を確認する。

そこには幾何学的な文様が微かに浮かび上がっているように見えた。

マキリの提供する令呪のようにも見えるが、あれは手の甲に施されるものである。

ではこれは、何なのだろう?

 

信華はまだ、その答えを知らない。

 

 

一ヶ月前

 

「で、わざわざこのアンジュ様を呼び出した理由はなんなのサ?」

 

クマのできた目を擦りながら、遠坂杏寿ことヴェノムランサー『ニョッカ』はそう悪態をつく。

第五区内某所、ブルーシートと立ち入り禁止のイエローテープに覆われたとある一軒家にて、彼女は知り合いの亡骸と対面した。

だが年齢の割に達観している彼女は眉の一つも動かさない。

ヴェノムアーチャー『アングイス』が自宅で首を吊り自殺した。

己が印を押した実験で多くの犠牲者を出し、そして息子をも巻き込んでしまった。その罪は非常に重い。

だが承認を出したのは彼女だけではない。ニョッカ、そしてショーンもまた、ヴェノムイーター実験にゴーサインを出していた筈だ。

何らかの力が働き、杏寿の大罪は揉み消された。

想像するに、おおかたイーター実験をこのまま中途半端に終わらせない為だろう。

大幅な軍事強化を図れる人体実験、ヒト一人の命と天秤に掛ければ、前者に重きが置かれたのは国家として正常であろう。

心底くだらないと、杏寿は思った。

彼女はご遺体と対面する。

その場で跪くと、手を合わせて祈りを捧げた。

彼女が至って平静さを保てるのは理由がある。

このような事例は初めてではないから。

第五区の闇に葬られたものは、これまでにも存在した。

幼いながら、多くの仲間の失踪と死を体験し、流すべき涙はとうの昔に枯れてしまったのだ。

龍寿ならば心を痛め、悲しみに暮れていただろう。

『遠坂』であることを捨てた杏寿には、もはやどうでも良いことではあるが。

 

「ニョッカ様、こちらを確認してください。」

 

杏寿は鑑識の女性に手招きされ、遺体の首元を注視する。

絞死痕、首の損傷、鬱血具合、室内の状況、どれを取ってみても自死と思われたが━━━━

 

「いや……?」

 

杏寿の中に生まれる疑念。

それを確かめるべく、アングイスの首元に手を沿わせる。

僅かばかりの出血痕、それは括りつけた縄が擦れたことが原因の怪我では無い。

 

「どこだ?」

 

杏寿は傷口を探し、目視で確認していく。

そして長い髪の隙間、僅かな傷跡を確認した。

 

「ニョッカ様?」

「見つけた。注射針を直接後頭部に突き刺した跡がある。ビンゴ!」

「注射…………?」

「下手くそな犯人だナ。検死で分かるお粗末な仕事ぶりだヨ。」

「犯人…………やはりアングイス様は…………」

 

「あぁ。これは『他殺』だヨ。アングイスは何者かに直接ヴェノムアンプルを打ち込まれて殺されたんだ。」

 

非適合アンプルによる中毒死、であれば、犯人はセントラル側の人間。

その罪が暴かれるとき、アヘルに変革の時が来るだろう。

この事件が、先のイーター実験と重ならない筈がない。

これが、都信華を、アヘルの研究者たちを救う物的証拠になるかもしれない。

 

「アングイス様がお亡くなりになった当日、この家の前を彷徨く不審な男を見たと区民から通報がありました。もしやと思いニョッカ様にお声がけしましたが、まさか本当に…………」

「男?」

「あ、えっと身長がそれなりに高かったため、男だと思ったと目撃者の老夫婦が。実際はフードを被っており視認できなかったと。」

「なるほどネ、ありがとう。」

 

何者かがアングイスを殺害した?

何のために?

その謎は、この第五区の、アヘルを揺るがす秘密であるに違いない、そう杏寿は期待に胸を膨らませる。

 

「さぁて、名探偵アンジュ様の出番かナ?」

 

のちに、アングイスの死は、他殺と認められることとなる。

彼女を殺したヴェノムアンプルは、イーター実験の際に混入した妖怪アンプル『八岐大蛇』であったことが判明したのだった。

 

【信奏編⑥『都信華Ⅲ』 おわり】

 

 

 

 

【教祖様の秘密】

 

ヴェノムバーサーカー『ムブニル』は焦っている。

筋書き通りに事が進まないどころか、沼御前がアヘルの実権を握ろうと動き始めている事実。

だからこそ、彼女は動いた。

特別な寵愛を受けるため、姿を見せない災害の部屋へと夜這いを仕掛ける。

だが生憎と災害は不在であった。

否、生憎、ではなく、好都合、であったかもしれない。

第五区の現状は、先のイーター実験の失敗から派生したもの。

ムブニルのアクションはいずれ偉大なる教祖の耳にも届いてしまうかもしれないのだ。

そうなる前に、手を打たなければ。

彼女は災害の間へと忍び込む。

この場所には、アヘルを揺るがす大いなる『秘密』が隠されていると聞く。

その秘密は、災害のアサシン本人と、沼御前しか知り得ない。

情報アドバンテージで大きく遅れをとっている彼女は、蛇王に見捨てられることを恐れていた。

知ることそのものが禁忌であるならば、墓まで持っていけばいい。

もし秘密を共有することがのちに功を奏したならば、ムブニルの名誉は守られる。

そしてウラルンにセントラルを託し、引退することが出来るはずだ。

災害のアサシンの愛玩人形として命尽きるまで奉仕する。

彼女は政から早く手を引きたかった。自らの無能さが露呈してしまう前に。

 

だが部屋に忍び込んで数分、彼女は膠着する。

そもそも秘密とは、何を指している言葉なのか。

具体的なモノなのか、それとも災害自身にまつわる事柄なのか。

何も考えずの突発的な行動であり、己の愚かさに頭を抱えることとなった。

くだらない好奇心に振り回されてしまった。

今の彼女自身、酷く無様だと思う。

愛するヒトの隠していることを必死で暴こうなど、パパラッチでもあるまいし。

 

「馬鹿馬鹿しい。戻ろう。」

 

ムブニルは扉の外へ戻ろうとする。

その時、夜の物静かな室内から、小さな声が聞こえた。

それは少女の声である。

何を発しているかは分からない。

ベッドの中から聞こえた気がした。

ムブニルは恐怖に襲われながらも、災害のベッドの中を確認する。

布団の中には当然誰もいない。

気のせいだろうか?

だが、やはり物音は聞こえてくる。

ムブニルが立つ場所のすぐそこ。

彼女は耳を澄まして、音の出処を探ってみた。

 

「ベッド…………の下?」

 

彼女は恐る恐る、来客者を招くためのベッドを動かしてみる。

大きな物音を立ててしまいヒヤリとするものの、深夜にこの場所を訪れるものはいない。

彼女は大きく息を吐き、呼吸を整えると、再度ベッドを移動させた。

すると、絨毯の下に、人一人がやっと入れそうな小さな扉が存在した。

 

「これ…………もしかして」

 

ムブニルはその扉をゆっくりと開く。

彼女の想像通り、それは地下室への扉だった。

部屋の豪華絢爛たる様とは異なり、酷く無骨で冷たい空間。

一寸先は闇。足を踏み入れれば、もう戻っては来れないだろう雰囲気を感じ取る。

そして今ならはっきりと分かる。

この地下室の下に、声の主はいる。

少女の声で、『ママ』と発せられる。

母を呼ぶ声は、哀愁というより、悲痛そのもの。

一児の母親であるムブニルが、向かわない筈はなかった。

吸い込まれるように、彼女は地下への階段を駆け降りていく。

 

「誰…………誰かいるの?」

 

ムブニルは最下層へ辿り着いた。

真っ暗闇の中で、何かが蠢く音を聞く。

彼女はデバイスのライトをつけ、ついにそれを目の当たりにした。

 

「な…………………」

 

地下空間にあったのは、あまりにも異様な風景だった。

 

無数の少年、少女が生まれたままの姿で『飼われていた』。

 

文字通りの意味である。少年少女はムブニルのいる方へ手を伸ばし、乞うていた。

これはアヘルの適正者、それとも非適正者なのだろうか。

元気に外を走り回る歳の子が、閉じ込められていい場所ではない。

食事は与えられているのか?

睡眠は取れているのか?

陽の光を浴びているのか?

ムブニルは絶句し、その場に崩れ落ちてしまう。

無理もない。彼女は災害のアサシンのことを何一つ、理解していないのだから。

 

「ど………どうしよう…………どうすれば……………」

 

見なかったことにして去る。そして墓までこのビジョンを持っていく?

無理だろう。

この異質さを、彼女は一人で許容できそうもない。

災害の寵愛を受けた子どもたち、そう聞けば誰もが羨む光景であるが、現実は恐らく異なる。

直感的に察していた。

これは、許容すべきことではないと。

 

「とりあえず、この部屋を離れて…………」

 

ムブニルは急ぎ、振り向いた。

だが、彼女はそこで驚愕し、絶望する。

今最も会いたくない影がそこにいた。

ムブニルは目を見開き、ガタガタと震え出す。

 

「教祖様…………」

「どうした?ムブニル。『こんなところで』」

 

殺される。

獰猛な獣を前にした草食動物のように、彼女は命の危機を悟った。

何か言葉を紡がなければ。

災害にとって耳障りのいい言葉を。

だが『これ』を見て、何を話せばいい?

ムブニルには圧倒的に器用さが足りていなかった。

 

「すみませ…………もう二度と…………あの…………」

 

災害のアサシンはゆっくりと腰を抜かしたムブニルへ近付いていく。

ついに左大臣が空席となる、その時が来たのだと誰もが確信するような場面だった。

だが、あろうことか災害のアサシンはムブニルをゆっくりと抱きしめる。

これには彼女も困惑を隠せない。

普段と変わらない。神からの温かき愛。

災害はゆったりとした口調で話しかける。まるで恋人へ愛を囁くように。

 

「驚かせたよね、ごめんね、ムブニル。」

「え……………あ…………あの………………」

「今日見たものは、秘密にしてくれると助かる。きっとヴェノムのみんなが見たらびっくりすると思うから。」

 

災害のアサシンではなく、一人の少女『ナナ』として、ムブニルを安心させた。

だが同時に、ムブニルの中に渦巻く疑念。

この無数の子どもたちは、一体誰なのか。

第五区の出生は、当然他区と同じように災害がコントロールしている。

天還の儀にて選ばれる絶対数は、圧倒的に第五区が少ない。

ケッソンが考慮されている所以であるが。

 

「この…………子どもたちは…………」

「あぁ、紹介するわね。」

 

災害のアサシンが手招きすると、少年一人と少女一人がトテトテと歩いてくる。

そして彼女を取り囲み、幸せそうな笑みを浮かべた。

 

「この子は『間桐ジョウキ』、そしてこの子は『間桐ユラン』、あっちにいる子は『間桐コロウ』、あっちは…………まぁ沢山いるけれど、共通して言えることがあるわ。」

 

 

 

「みんな、私のお腹から生まれた子なの」

 

 

 

ムブニルは固まる。

災害は、サーヴァント。

人間ではない。

すなわち、子は成せない。

だが、災害は自ら『お腹から』という言葉を使った。

 

「それは………………どういう…………」

 

「ほら、挨拶をして、ジョウキ。この人は入谷春風さん。ムブニルというコードネームなの。そして貴方にとっては『父親』よ。あ、でも女性だから父親というのは不適切かな?」

 

ジョウキと呼ばれた少年は、言葉を発さず、ムブニルにお辞儀をする。

彼女はもう、何が何だか分からなかった。

 

「父親…………」

「そう、ジョウキはね、私と貴方の間から生まれた子どもなの。ほら、手を握ってみて。」

 

ムブニルは災害の言うがままに、ジョウキへと手を伸ばした。

そしてその手を取った瞬間。彼女の視界が揺らぐ。

古のテレビジョンに映し出される砂嵐のようだ。

そして、彼女はジョウキの『本質』を捉える。

人間の手、人間の温もり、間違いない、間違いないはず。

だがそこに写っていたのは、一匹の、小さな、小さな『蟲』だった。

 

「いやああああああああああああああ」

 

ムブニルは絶叫する。

訳もわからず、気持ち悪さだけが津波のように押し寄せた。

災害はそんな彼女を見て、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

ナナの白い肌を隠す布の下、その秘匿されし恥部には、数百の米粒ほどの『命』が今も蠢き続けている。

 

 

 

【次回へ続く】

 

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