Fate/relation   作:パープルハット

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信奏編7『沼御前』

【信奏編⑦『沼御前』】

 

「ねぇ、禮士、あのね。」

 

自らの命が尽きる瞬間を悟る。

私の相棒は傍で泣いていた。

亡き娘と私を重ね合わせているのだろう。

相変わらず、不器用なヒト。

…………彼のために、私は何が言えるだろうか。

気の利いた一言なんて、すぐには思いつかない。

ああ、ダメだ。瞼が重い。

この聖杯戦争で、貴方に出会えて良かった……?なんて気休めな言葉だろう。

薄情、とも言える。

だから私は、最後に飛び込んできた視覚情報から、ありのままの気持ちを口にした。

ボロ雑巾のような、薄汚れたコート。彼を象徴するかのような形見の品。

 

「マーシャ?」

「そのコート、本当はね。━━━━凄く、禮士に似合ってる」

 

あーあ、大したこと言えなかった。

ごめんね、事情も知らずに、馬鹿にするようなことを言って。

私はどこまでも、子どもだった。

大人を着飾って、背伸びして、でも貴方は気づかないふりをしてくれた。

だから私は相棒のままでいられた。

ありがとう禮士。

そして、さようなら、禮士。

もし生まれ変わって、また貴方に出会えたら…………

私は、貴方のヒーローになれているといいな。

 

そう願い、私は死ぬ。

そして目覚める。

 

「不快」

 

この世に生を受けた女が、最初に発した言葉だった。

彼女は木々の隙間から溢れる陽の光で覚醒する。

酷く気分を害する夢であった。

誰とも分からない少女の儚き願い。

それは女の身体に、根深く刻み込まれている。

ゆっくりと起き上がった彼女が最初に目にしたのは、己の左腕だった。

幾何学的な文様が浮かび上がり、淡い光を放つ。

肉体に刻まれた特殊回路。記憶上、女の『生前』には存在しなかった代物だ。

ならばこれこそが、マーシャの忘れ形見。

彼女は舌打ちをすると、自らの爪でガリガリと皮膚を引っ掻き、こそげ落とす。

だが零れ落ちるのは血液のみ。肝心の『線』は洗っても落とせない仕様だ。

彼女はそれに気づき、無駄な行動を辞めた。

そして改めて、与えられた情報を整理する。

 

ここは『開発都市オアシス』。彼女が英霊として昇華される以前の国とは別世界であった。

護国、または災害と呼ばれる六騎の英霊が管理者となり、桃源郷を運営する。

土地そのものは日の本由来であるが、完全なる異国と言って差し支えない。

珍妙な場所に呼び出されたものだ。

続いて、女は自らの名を改める。

沼御前。人ならざる異形。毒蛇であり、邪竜であり、美しい女である。

現在は世にも美しい女の肌をしていた。顔の造形や艶、己のボディーラインは鏡を見ずとも理解できる。

纏う着物にはどこか見覚えがある。着娘に化けていた頃のものだ。

そして傍には二メートルを超える槍が置かれている。

自身は『槍兵(ランサー)』のクラスで召喚されたサーヴァント。

聖杯戦争とは別に、何らかの意図を持って現世に甦りし命。

あくなき理想の探求者こそが、彼女の召喚者(マスター)である。

でなければ、彼女のような汚物を呼び起こす道理がない。

好奇心の成すまま、沼に、足を漬けるようなものだ。

 

「こんにちは」

 

沼御前の背後から、一人の少年が声をかけた。

彼女は少年の存在に気づいていたが、見て見ぬふりをしていた。

人間には興味がない。そして彼は彼女のマスターではない。

だが挨拶をされた以上、無視を決め込むことを止める。

 

「だぁれ?」

「僕は『マクベル=インヴェルディア』、この箱庭の管理者です。」

「箱庭?」

「ええ。ここは部外者立ち入り禁止。この場において貴方はその部外者です。」

「そ」

 

沼御前は少年の態度に苛立ちを見せつつ、立ち上がり、砂埃を払った。

少年の身長は百四十ほど、幼い顔立ちから、年齢は十五歳より下だと窺い知れる。

逆に彼女は百七十を超える背丈、加えてどこの馬の骨とも知れぬ逸れ英霊。

今この瞬間、命を刈り取られてもおかしくない場面。

物怖じしないのだな、と彼女は思った。

 

「箱庭って、オアシスのこと?」

「いえ、あくまでこの空間のみを指す言葉です。『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』と呼ばれています。インヴェルディア第四の血族が管理する土地です。」

「『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』…………ねぇ」

「緑豊かな場所です。ここは開発都市、では無いですから。誰にも開発、いや、開拓されていないのです。無法地帯であると言えます。」

「確かに、わらわと同種のケダモノ臭さが拭えない土地ね。ここには誰がいるの?」

「誰がいる、ではなく、何がある、が正しい。ヒトの歴史そのものから爪弾きにされた無法者(アウトロー)たちの遺産が眠っています。貴方は偶然にも屍の山で目を覚ましたのです。」

 

少年は悉く言葉足らずであった。

そして沼御前も質問を重ねない。

そういうものだと解釈して、彼女なりの身の振り方を思考する。

ヒト風情から聞き齧った情報に信憑性などある筈もない。

故に彼女は自らの五感、知識、経験を元に、世界の調査へと乗り出した。

自らが召喚された意味を知るために。

 

「じゃあ、わらわはもう行くわね。さようなら、旅の案内人さん。」

「ちょ…………、待ちなさい!行かせるわけにはいかない!」

 

マクベルは即座に懐から複数の宝石を取り出し、沼御前の足元へ向けて放り投げた。

石同士がひとりでに配置され、彼女を取り囲むサークルとなる。

眩い光が沼御前を覆い、鮮やかな半透明の円柱を生み出した。

これは結界魔術。

彼女を押さえつけるための壁。

沼御前はへぇ、と声を漏らした。

マクベルと名乗る少年は魔術師だったようだ。

そう名乗るにはあまりにも微弱、あまりにも薄い血液。

幻想として生きた日の本の妖怪には、マクベルという魔術師はただの人間と判別がつかない。

深い溜息。

 

「はぁ…………」

 

沼御前は指先一つで結界を粉々に砕いた。

唖然とする少年。

あぁ、この世界は『この程度』なのかと落胆する。

沼御前の主人も、同様であるならば、その姿は酷く滑稽であろう。

人間という種族には何ら期待を抱くことはないか。心底くだらないと思う。

 

「あのねぇ。わらわはこれでも英霊なのよ。」

「と、当然知っています。」

「なら、身の程を知りなさい。」

「……違います。これは警告です。これ以上先には進んではならない。部外者である貴方には『荷が重い』と、そう言いたいのです。」

「言うじゃない。この森の先には触れられたくない何かがあるのね?」

 

沼御前はマクベルの発言に関心しつつ、静止を振り切った。

どこまでも広がっている森の中へと足を踏み入れる。

少年は焦った表情で、沼御前の後を追った。

 

 

オアシスを形作る『始まりの聖杯』こと、リンネ=インヴェルディア。

彼女は桃源郷の未来を託すため、四人の子を産み落とした。

うち三人は、のちに遠坂、マキリ、アインツベルンを名乗る者たちの先祖である。

そして最期の子は、六の開発都市ならざる領域を管理する役目を担った。

日本国において瀬戸内海と呼ばれていた水底に生まれた歪み。

サハラとオアシスを繋ぐ『アリジゴク』は、新たなる未開領域へと接続していた。

それこそが『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』。

インヴェルディアと災害を除く、あらゆるものが立ち入れぬ禁足地だ。

オアシス生誕百年を迎える今日、マクベルはただ一人、管理者としての職務を全うしていた。

来るものを阻み、生まれるものの命を絶やす。

彼は言わば神主であり、自然の怒りを鎮める役目に奔走する。

今日、この場に珍しい命が生まれた。

何者かの意思が介在し、彼女は呼び出された。

人間の魔術回路を持つ、人ならざる反英霊。

その名が『沼御前』であることをマクベルは知った。

鎌倉の世に現れた大蛇、佐原十郎義連により首を落とされ退治された妖怪。

猛毒を操る邪竜だが、観音菩薩の加護に屈し、消滅した。

乙姫のような美貌を有すると伝承にあるが、事実その通りであると少年は思う。

何人もの男を、または女を、美しさで油断させ、喰ってきたのだろう。

人と英霊が共に生きるこの桃源郷で、彼女は不要の産物。

誰が生きる意味を持たない怪物を、わざわざこの地に呼び出したのだろう。

疑問は尽きない。

だが、マクベルは同時に思う、沼御前は『可哀想』だと。

せめて開発都市にて召喚されれば、短い生を謳歌できたかも知れない。

だがザ・ガーデンは異なる。

この特別区は、人間の意思ではなく、世界の意思として彼女を排除する。

彼には、この箱庭の防人として、沼御前を弔う役目があった。

 

「乙女の背後をつけ回さないでよ。熱烈なストーカーさん?」

「僕はインヴェルディアとしての責務を全うしているだけです。」

「つーか、インヴェルディアってなに?」

「この桃源郷を守る偉大な一族の名です。外の三人とは違い、僕はこの名を誇りに思っている。」

「ふーん、大層なことね。」

 

マクベルは幼い身でありながら、現実を理解していた。

末弟である彼の一族は、言わばはみ出し者であり、正統後継者にはなり得ない。

開発都市という表舞台へ立てない日陰者。

マクベルの仕事は、誰に褒められることもない、孤独そのものである。

だから、インヴェルディアを忌むべき名とは認識せず。

始まりの聖杯、並びに桃源郷オアシスを禁止区域の脅威から守護する。

そのたった一つの理想に準ずることが、幸福であると。

 

「貴方はその桃源郷を、どんな外敵から守っているのかしら?」

「例えば、ソレです。」

 

マクベルが指差す方角。

動物の骨と思しきものが転がっていた。

沼御前は手を伸ばし、その破片を掴み取る。

 

「これは…………」

「分かりますか?」

「ええ。人間でも動物でも無いわね。わらわと同じ。」

「それは妖怪『化(ばけ)鯨(くじら)』の骨です。今も貴方の掌でカタカタと揺れている。」

「物怪の、聖遺物。貴方たちが言うところの『触媒』ね。」

「この箱庭には、ヒトの『幻想』がごまんとあります。それを狙う悪名高き組織や思惑から保護しているのです。これらは開発都市に流通してはならない。災害の敷く法ですから。」

 

『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』は、幻想と現実の境界線。

存在が認められぬもの、存在してはならないものが、芽吹く場所である。

それらは独立した脅威ではない。人間の悪性により、光を得るものである。

沼御前も然り。

彼女の触媒は、現世には無い。だが煉獄(げんそう)に通ずる箱庭には、あり得た。

それを何者かが触媒として利用し、英霊として召喚したのだ。

日の本の妖怪、その絶大なる力を手にしたい者がいる。

━━━━聖杯戦争が無い、この理想郷で。

 

「じゃあ、わらわは貴方が言うところの『部外者』では無いわね。この土地から排斥したら、それこそ貴方の職務放棄じゃ無いかしら?」

「僕の勤めは、来訪者を閉め出し、生まれる前の卵を叩き割ることです。既に芽吹いた命への裁定権はありません。貴方と貴方のマスターを裁くのは、外の世界にて鎮座する災害です。」

「他力本願ねぇ。わらわがここに居座ったらどうする気?」

「それはやめた方がいい。災害に殺される方が幾ばくかマシ、ですから。『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』でヤツに喰われるよりは、上等な死です。」

「ヤツ?」

「このマクベルが管理者であるならば、ヤツはこの世界の『運営者』だ。」

 

彼がそう言い放つその時、得体の知れぬ何かが咆哮した。

木々生い茂る道の先、絶大なる脅威が目を覚ます。

沼御前の肌がヒリヒリと痛み出す。妖怪の本能、この場にいてはならないという虫の知らせ。

だが生存本能に反し、彼女の口角は釣り上がり、瞳には光が灯る。

好奇心。

力への渇望が足を動かした。

 

「進むのですか……っ!?」

 

マクベルには一生かかっても理解できない思考。

己の死と、欲望、天秤にかけて後者が勝つことは無い。

誰しもが己の命こそ極上の価値であると認識する。

だから彼は、ここで踏み止まるべきだった。

たかが死にゆく妖一匹。彼が看取る価値の無い生命。

十数分前の出会いがドラマティックなものである訳でもない。

もし、彼が沼御前と共に森を抜けるならば、その理由は『孤独』であるからだろう。

己の使命を全うする彼にとって、持ち合わせるべきでない感情。

だが彼が己の誇りに全てを捧げるには、幼過ぎた。

何せ久々に会話したのだ。その相手が人間であるか無いかなどどうでもいい。

沼御前という女は、彼にとって美しく見えた。

 

「待ってください……!」

「あら、付いてくるの?」

「『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』の管理者として、見過ごすわけには……!」

「身分とか、建前とか、今はどうでもいいんじゃない?ふふ、付いてくるといいわ。」

 

沼御前はマクベルへと振り返り、怪しく微笑む。

 

「見たいでしょう?わらわが化け物に殺されるトコ。」

 

 

森を抜けた先、二人が辿り着いたのは、巨大な湖であった。

その余りにも美しい景色に見惚れることもなく、沼御前は『運営者』の登場を待つ。

だが、待てど暮らせど呻き声の主は姿を現さない。

 

「なに?誰もいないじゃない。」

「そんなハズは…………ヤツは言わばこの箱庭のファイヤーウォールなのに…………」

「で、誰なの?それは」

「災害のサーヴァントたちはヤツを『三角海域の魔物(ルスカ)』と呼んでいます。最大級の警戒対象なのですが、彼らはヤツを殺すことが出来ない。虚数の海に漂う未確認生命体ですが、その触手となる足を現実世界、この桃源郷にも伸ばしており、稀に各区域に甚大な被害を齎します。」

「ルスカ……ねぇ。聞いたことがないけれど。強いの?」

「強弱の尺度では測れないでしょう。まず戦闘が成立することはありません。どのようなサーヴァントであっても、ヤツを前にしたら『解体』されます。現実世界(ノンフィクション)を虚構(フィクション)へと変換する怪物です。それこそがヤツにとっての食事そのもの。」

「へぇ。そんなものが暴れ出したら、手が付けられないじゃない?」

「そうですね。食が細いのと、害をなす意思がないのが救いでしょう。今のところは災害のおかげでなんとかなっていますね。このザ・ガーデンはヤツの足を留めておくためにのみ、生み出された場所なのです。」

「ふーん。」

 

沼御前はすぐそばに落ちていた聖遺物を拾い上げる。

名も知れぬ妖怪の生きた証。

ルスカが現れるにあたり、虚構から現実へと持ち込まれたもの、移管されたもの。

この禁止区域には、これらが当たり前に存在しているのだろう。

 

「で、ルスカはお眠りの時間なのかしら?」

「━━━━そうですね。でも貴方に安息の時間はあるのでしょうか?」

 

沼御前は上空より唯ならぬ殺気を感じとる。

彼女の動物的本能が警鐘を鳴らした。

傍に立つマクベルの首根っこを掴み、後方の木々へと飛び移る。

刹那、彼女らが数秒前まで立っていたその場所は爆発とともに崩壊した。

 

「な」

 

マクベルは声を失う。

もし沼御前が彼を助けていなければ、消し炭になっていたかもしれない。

その事実を認識した途端に、身体の震えが止まらなくなる。

 

「挨拶代わりにしては、物騒じゃない?」

「私はこの世界の『不純物』を消しにきただけです。」

「こいつも一緒に死ぬところだったけれど?」

「安心してください。優しいヒトを殺めるつもりは毛頭ない。」

 

空から舞い降りた美しい女は、その背丈に似合わぬ巨大な槍を有していた。

沼御前と同じ、ランサークラスのサーヴァント。それも只者にあらず。

 

「さ…………災害の…………ランサー…………?」

 

マクベルは開いた口が塞がらない。

災害のランサー『ブリュンヒルデ』が直々に、この箱庭へとやって来た。

その目的は恐らく一つ。

違法触媒から生まれし命を刈り取る為。

 

「こいつがウワサの災害、ねぇ。」

 

沼御前の目は血走り、自然と口角は吊り上がっていく。

同じ槍兵(ランサー)。だが力の差は歴然。一秒後には自らの霊核が砕け散るだろう危機的状況。

『鬼』を前にした時と同じだ。

これには決して敵わない。だが、これを殺せば、百鬼の上へと君臨する。

絶対的支配欲が全てを凌駕する。

 

「ねぇ、名前は何て言うの?殺す前に覚えておきたい。」

「『ブリュンヒルデ』」

「北欧の戦乙女ね。相手にとって不足はないかしら。」

 

沼御前はマクベルを放置し、災害へと飛びかかった。

超高速の一突き。これは彼女にとってただの『挨拶』だ。

災害はそれを軽くいなした。地面に落ちる沼御前に容赦なく蹴りを入れる。

湖まで吹き飛ばされる沼御前。

休む暇なく、災害は次の攻撃に移った。

ブリュンヒルデは己の槍を、転がる沼御前に向けて振り下ろす。

回避が間に合わず、腹部に叩きつけられる長槍。骨は砕け散り、内臓が破裂、損壊。

通常の英霊であれば、これが決定打となり得るだろう。

ジャブも、様子見も無い。渾身の右ストレートが秒速で飛んでくる。

一瞬でも気を抜けば死ぬ。これはそういう類の戦闘。

沼御前は着物を水と血液で濡らしながら、何とか立ち上がった。

ブリュンヒルデは沼御前の首に手をかけ、骨を折るべく力を込める。

 

「容赦…………ないわね…………」

 

会話は生まれない。生まれる隙も与えない。

ただ沼御前は殺される。それだけだ。

だが、それに抗うのが妖怪。

この場所が桃源郷であるならば、楽園の名を冠するならば。

与えられた命、自由を謳歌する前に尽きるのは勿体無い。

沼御前はブリュンヒルデの手を振り解き、決死の思いで距離を取る。

そして吐血するままに、宝具の詠唱を開始した。

 

「鎮守の沼にも蛇は棲む、

現世は奈落と相変わらじ」

 

口から溢れる血液はヘドロに変わり、ブリュンヒルデの足元を穢す。

虚数の海との境界線、湖の中までも彼女に汚染されていく。

押し寄せる津波は濁流へ。透き通る空気は消え、異臭が漂い始めた。

 

「わらわは嘆く、即ち是『叫喚地獄(きょうかんじごく)』」

 

沼御前による『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』を巻き込んだ対界宝具が炸裂する。

どこまでも広がり続ける底なし沼に、接触した全てが飲み込まれていく。

沼に落ちたものは、徐々に毒蛇の糧として、魔力や精力、活力を吸収される。

枯れ果てるまで抜け出すことは出来ない、まさに無間地獄。

目と鼻の先にいるブリュンヒルデも当然、つま先から徐々に侵され、大地に吸い込まれるように落ちていく。

だが災害はそのような事態に陥っても、表情を変えない。

むしろ、彼女はここで初めて微かな笑みを溢したのだ。

ブリュンヒルデは所持していた槍の先端を底なし沼へと落とす。

ずぶりと音をたて、飲まれる姿に沼御前は愉悦する。

だがそれも束の間の出来事。

大地に突如刻まれるルーン文字と、幾何学的文様、淡い緑の光が辺り一面に広がった。

神々しさすら感じる光に沼御前は溶かされるような感覚を抱く。

浄化の光、とでも言うべきだろうか。

目鼻から、口から、乳房から、股下から、零れ落ちる己の濁水が凝固する。

世界の汚染は留められ、あらゆるものが瞬く間に凍っていく。

そして沼御前もまた。

自らの宝具、泥沼により災害を抑え込むつもりが、仇となり、己を捕縛する鎖となった。

元々存在しない情熱そのものが失われていく感覚。

絶対的な死への一本道。

全てを封じられ、なす術なく、敗北する。

沼御前の未来が決する一撃。

英霊が持つ絶対奥義が、いとも容易く封じられた。

格の違いを知り、沼御前は諦めの表情を見せる。

 

「は…………全く、気に食わないわね。」

 

彼女は足先から腹部まで凍りつき、一歩も前へ踏み出せぬ状況。

ブリュンヒルデはその手に持つ槍を振りかぶる。

 

勝負の決する時。

 

その瞬間、大木の上に避難した少年、マクベルが動いた。

彼は何故か未だ手に握りしめていた『化鯨』の骨を災害へと投げつける。

その浅はかな行動の意味を、己が理解せぬままに。

災害への小さな反逆は、命を無駄にすると同義。

インヴェルディアの辞書に、革命の二文字が載るはずもない。

ならば、どうして。

マクベルはのちに、自身の行動の意味を知る。

災害への憎しみではない。

現状への不満の吐露でもない。

ただ、意味もなく助けてくれた沼御前に、恩を返したかっただけ。

一時的な孤独を洗い流し、災害の攻撃から守ってくれた反英雄へ。

骨を災害に投げつけて、もしそれでほんのひと時でも気を逸らすことができたならば……

沼御前はどこかに逃げられるかも知れない。

状況が理解できないからこその無謀かつ無駄な行動。

投げつけられた骨はブリュンヒルデの後頭部に当たり、何事もなく地面へ落ちていく。

彼女はゆっくりとマクベルの方を向いた。

酷く冷めた、氷のような眼。

感情の見つからない光を失った視線。

彼はその目を見た途端に失禁する。

なぜ、自分はこれほどまでに愚かな行いをしたのだろうと。

幼さ故の罪と、赦しを得られるものでもない。

災害を絶対的存在と崇めるインヴェルディアにおいて、彼は教義に反する行動をした。

胸は引き千切れる程に痛み、全身の震えは最高潮に達する。

死ぬ、殺される。

生命の危機を自覚、だが、凍てつく氷河は彼の逃亡を決して許さないだろう。

だが、マクベルの、側から見れば自暴自棄とも取れるような勇気は、

彼自身の、否、オアシスそのものの運命を大きく変えることとなった。

沼御前の伸ばした手のひらに落ちる化鯨の骨。

生命の危機に瀕しての、聖遺物への接触。

魔術回路との調和、全てを飲み込み、あらゆる物を許容し、己と同化する彼女の性質。

故に生まれる、奇跡の変身。

 

「な…………」

 

溶ける。混ざる。結びつく。

大妖怪の力の一端を借り受ける。これはマーシャの無限の魔力と、沼御前に備わった『縫合』の力。

ブリュンヒルデの氷を叩き割り、その新たなる姿を披露する。

足先は鯨の尾となり、肉体に骨の装甲が纏う。

生前ではあり得ない、新たなる能力の発現。彼女は高らかに叫ぶ。

 

『大妖変化(たいようへんげ)』

 

ブリュンヒルデは呆気に取られていた。

か弱い人間の、理解し難い行動。

そして己の氷が砕かれた衝撃。

勝利への慢心が招いた一瞬の判断の遅れ。

妖怪一匹、その生まれた隙を見逃さない。

化鯨と融合したことにより生まれた第二宝具。

 

『骨鎧銛(こつがいせん)』

 

沼御前の右腕そのものが鋭利な骨の槍と化し、その切先がブリュンヒルデの腹部に突き刺さる。

ドリルさながらの回転が、彼女の絶対防御を貫通し、生身の肉を抉った。

桃源郷成立より初めて、災害へ攻撃を通したのが、この沼御前だ。

だが所詮は擦り傷。穴の空いた腹部も、瞬く間に修復され、元通りになる。

無駄な抵抗と一蹴されるだろうが、この一撃が雌雄を決した。

ブリュンヒルデの背後から現れた第三勢力。

その影が、ぽっかりと空いた腹部の穴に、光り輝く『何か』を埋め込んだ。

 

「な」

 

ブリュンヒルデは振り返ると同時に、全てを理解する。

『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』にて召喚された妖怪、沼御前。

何故、彼女がこの地に呼び出されたのか。

誰の手によって仕組まれたことだったのか。

全てはこの瞬間の為━━━━

 

「災害の……………………アサシン……………」

「ふふ、大成功♪」

 

ブリュンヒルデの体内で魔力を燃やし、膨張するもの。

それは、箱だ。

蓋が開かれることもなく、ただそこに存在することで『宝具』は起動する。

 

「これは…………ライダーの…………」

「そう。『契約の箱(アーク)』は存在するだけで、周囲の魔力を焼き尽くす。それが体内にあれば貴方はどうなるか。」

「何故…………アサシン…………貴方がそれを………………」

「サハラの置き土産。凍結させるのに百年もかかっちゃった。でももう、また凍らせる必要はないかしらね?」

 

災害のアサシンはすぐさま距離を取る。

沼御前も、虫の知らせか、マクベルのいる大樹へと飛び移り、その場を退いた。

 

「なによ……これ…………」

 

マクベルだけで無く、日の本の妖怪である沼御前も唖然とした。

災害のランサーは何とか肉体の維持を試みるが、その白い肌はマグマのように溶け落ち、崩壊していく。

魔力そのものを喰らい続ける呪いの箱。

永遠に続くかに思われた地獄は、その実、ものの数秒の出来事であった。

物静かなブリュンヒルデの絶叫、断末魔が箱庭にこだました。

 

「死んだの…………?」

「いや、災害は一度は死なないわ。そういう風に作り変えられている。やがてランサーは復元されるでしょう。」

「でも、あの箱は…………」

「あの箱に再度命を刈り取られるか、又はそれすら飲み込んで復活するか。ふふ、どちらでも結果オーライ。蘇った後は、私が仕込んだ『毒』が回り始めるでしょうから。」

「毒?」

「私へ魅了され、言語能力を失い、やがては五感を失う。本家本元の令呪を使用した、特注のものよ?そうね、名付けるならば『焔毒』とでも言うべきかしら。」

 

災害のアサシンは心底楽しそうに笑っていた。

沼御前は彼女との会話を経て、悟る。

自身の召喚者、マスターたる人物はこの『災害のアサシン』と呼ばれる女であると。

同じ災害の名を冠する仲間を殺す、或いは傀儡にするために、沼御前を召喚したのだ。

 

「ごめんね、マクベル。騒がしかったわよね。せっかくの貴方の庭だというのに。」

「…………っ」

 

アサシンもまた木の上に飛び乗り、マクベルへ接触する。

妖艶な瞳で少年の心を虜にし、その顎に指先を這わせた。

 

「いえ…………僕は…………」

「誇り高きインヴェルディアの管理人さん。このことは誰にも内緒にしていてくれるかしら?ほら、貴方も箱庭にこれ以上の騒動を持ち込まれたくはないでしょう?」

「は、はい。もちろん。一切他言するつもりはありません!誓って!」

「いい子ね。」

 

アサシンは我が子のように少年の頭を撫で回した。

先の悪魔のような所業から一転、母性溢れる一面に沼御前は言葉を失う。

彼女がマスターであるならば、沼御前の運命は━━━━

ごくりと唾を飲み込んだ。不思議と沼御前の口元は笑っている。

 

「災害のアサシン、貴方がわらわのマスターね。」

「あら、分かるのね。そうよ。私が貴方の召喚者。」

 

マスターは同じサーヴァント。

それも性質は英雄というより悪魔。

全てを魅了し破壊し尽くすファムファタールが自らの従者に求めるもの。

沼御前はそれが知りたかった。

汚物塗れる怪物に、何を欲する?

その答えを前に、彼女は息を荒げる。

だがアサシンは、彼女の望む答えを持ち合わせてはいない。

 

「わらわに、何を望む?」

「いえ。貴方の仕事は終わったわ。死んでいいわよ、ランサー。」

 

アサシンは淡々とそう言い放った。

『第七禁止区域(ザ・ガーデン)』で生み出した命は、災害にパンドラボックスを埋め込むためだけに使われるもの。

沼御前でなくともいい。災害に一矢報いる力があれば、誰でも構わない。

そして彼女はその仕事を無事全うした。

故に第二の生、生きる意味はここで潰える。

 

「自由に生きてもいいし、死ぬのが怖いなら令呪で『死ね』と命じてあげる。」

「は?」

「この桃源郷のシステム上、私が召喚者であっても、直接的な契約はない。たとえ貴方の身体が魔術師の肉体を媒介にしていると言ってもね。」

 

生きる意味はない。

生きる意味は、ここで終わった。

沼御前はそう告げられる。

彼女の中で渦巻く感情。それは悲しみでも、怒りでもない。

 

「それとも私が目指す『世界を滅ぼす恋』の成就を祈ってくれる?」

「世界を滅ぼす…………?」

 

反応したのはマクベルだった。

聞き捨てならないワードである。

インヴェルディアの使命はこのオアシスの守護。

そしてそれを命じたのは他ならぬ災害のサーヴァント。

 

「ええ。他の災害を全員殺害し、その上で私が『彼』と、そして二人の愛の結晶と共に理想郷を創生する。開発都市オアシスの名を捨て、真のエデンになるの。」

「そ、それは、流石に…………」

 

マクベルは動揺を隠せない。

『偉大なる祖(インヴェルディア・・オリジン)』の考えや想いを継承する彼が、凡そ許容できる言葉では無かった。

いつか来る厄災の津波から、ノアの方舟となるオアシスは守られる。生き残るために、救われるために、己の仕事を全うしてきたのだ。

よくわからない恋愛のために、理想が潰えることはあってはならない。

 

「沼御前、貴方はこれからどうしたい?生きたい?それとも、死にたい?」

 

災害のアサシンは問うた。

マクベルは沼御前の方へ振り向く。

マスターに死ねと言われ、サーヴァントが黙っている筈もない。

果てのない憎悪に駆られていると、彼は認識した。

だが、それはマクベルが正常な思考であるが故の判断。

人ならば、怒るだろうと、そう誤認した。

そう、人ならば。

 

「そうね。せっかくだし生きてみようかしら。貴方の理想を叶えるために。」

 

少年はゾッとする。

先ほどまでの沼御前とは打って変わり、その笑顔は醜く歪んでいた。

凡そ人間がする表情ではない。

吐き気を催すほど、邪悪な笑み。

ブリュンヒルデと相対した際の恐怖が蘇り、総毛立つ。

 

「ねぇ、災害を殺せばいいの?あと何人殺せばいい?」

「あと四騎もいるけれど?」

「ふふふ、上等。マスターがくれたこの身体、マスターがくれたこの縫合魔術(ちから)、全部恩返しのために使ってあげるわ!ええ、そう、わらわは受けた恩は決して忘れないもの!もっと強くなって、キチンと世界を滅ぼしましょう?」

 

沼御前は興奮を隠さない。

生の価値もなく、死の価値もない一匹の妖怪。

それでいい!

妖怪とはまさに『そういうもの』だ。

ただそこに存在し、生も死も謳歌する。

自由こそが、最大の褒賞。

このオアシスは最高のオモチャだ。何の期待もないならば、あらゆる全ての期待に応えよう。

傾国美女(ファムファタール)の為す、世界を巻き込む恋愛シミレーションゲーム。

これほどにくだらなく、面白い遊びも無いだろう!

 

「じゃ、手始めに。」

 

沼御前は手に持つ槍で、傍にいたマクベルの胸を串刺しにする。

 

「な…………」

 

マクベルは訳も分からぬままに、呼吸を失った。

つい先程、助けてくれた筈だ。守ってくれた筈だ。

だからこそ、少年には沼御前への警戒心が無かった。

「どうして」と瞳で訴えかけるも、その思いは届かない。

木の上で心臓を穿たれた遺体をそのまま縦に引き裂くと、沼御前は内臓へと手を差し込んだ。

ぐちゃぐちゃと音を立て弄るも、お目当てのものは見つからない。

 

「何のつもり?沼御前。」

「この人間、この箱庭の管理者だって言うから。管理権?的なものが体内に刻まれているかと思って。」

「インヴェルディアの役割というだけよ。死んだら、別の一族がその役割を引き継ぐわ。」

「なんだ、じゃあ殺し損じゃない。」

 

沼御前は小腸を引き抜いたところで、大木の上から遺体を投棄した。

そして取り出した内臓の数々も、辺りに捨て置く。

彼女にとってマクベルは保護対象でも何でもない。

特に理由なく守り、深く考えず殺す。

情を抱いた彼の自業自得である。

 

「取り敢えず、わらわはマスターに付き従うわ。楽園創生まで、死力を尽くしてあげる。甲斐甲斐しいサーヴァントでしょう?」

「そうね。せいぜい期待しているわね。私のサーヴァント。」

 

 

沼御前は久々に、過去を思い出していた。

センチメンタルなお年頃、では無い。

アヘル教団、開発都市第五区に訪れる変革の時。

自身の存在意義を改め、どのように動くべきかを思考する。

適正者と非適正者の溝は深まるばかり。

これも全て『あの女』の責任だ。

 

「さて、どうしようかしらねぇ。」

 

沼御前はぶらりと教祖の眼前へと躍り出た。

災害のアサシン『ナナ』は今日も今日とて、自身の子どもたちと戯れている。

政に興味を示さないのも、好き勝手な女の性質だろう。

従者としてファムファタールを導くのも、彼女にとっては立派な仕事だ。

世界を滅ぼすためには、区内の小競り合いをどうにかせねばならない。

余りにも小さいことで、彼女の野望が打ち砕かれてはならないのだ。

 

「ムブニルが、子ども部屋に来たわ。」

「へぇ、そう。殺したの?」

「ううん。驚きはしたけど、受け入れていた様子だったから。私には彼女を殺す理由が無いし。」

「殺す理由があればいいのね?」

 

ベッドに座るナナは、沼御前を見上げた。

今の第五区を、アヘルを変えるための一手が、思いついた様子である。

 

「代わりはいるの?」

「ええ。とびきりのが一人。」

「貴方がそう言うなんて、余程ね。それは誰?」

「ふふ、非適正者と言ったら、驚くかしら。」

 

沼御前の口角が上がる。

大妖怪が見出した、最高峰の逸材。

アヘルを大きく変えてしまうかもしれない、ある女がいる。

恐らく誰もが、その才能に気付いていないだろう。

そう、それは災害のアサシンでさえも。

 

「非適正者かぁ。まぁ、良いけど。」

「不服?」

「いや、別に。私の恋を応援してくれるなら、誰だっていいよ。」

 

ナナは興味を失い、目線を子ども達に戻した。

対する沼御前は、災害の許可を得たことで、喜びを露わにする。

ここから、アヘルは変わる。

大きく変わる。

それが彼女には楽しみでしか無い。

災害を殺し得る、史上最強の戦闘集団が誕生するかもしれないのだ。

 

「わらわも、貴方の恋は応援しているわよ。そう彼との。…………何て名前だったかしら?」

「間桐━━━━━」

 

サハラで出会い、恋に落ちた青年。

砂漠で命が尽きた彼を拾い、千年あまり。

 

彼の縫合魔術を紐解き、虚行虫を量産する施設『アンヘル研究所』を立ち上げ、多くを犠牲にしながら、ヴェノムシステムを生み出した。

 

そして自らの肢体を最大限活用し、生殖機能を手にいれ、彼の子どもたちを生み出した。

 

最初は彼の苗字『間桐』を冠する子として育成し、やがて成長した個体に新たなるナンバリングを施し、第五区に放流した。

 

ナナ自身と人間の生殖により成長する虚行虫、そしてそれらが人間と配合することにより生み出される人間たち、彼らを『適正者』と呼び、アヘル教団へと導いた。

 

第五区は今や、ヒトと虫が共に暮らす世界。

 

千年かけて、彼が孤独にならないための理想郷を作り上げたのだ。

 

あとは彼を蘇生するのみ。

 

ナナが世界を滅ぼす恋をした、彼の名は━━━━

 

 

「間桐………………何だっけ?」

 

 

 

【信奏編⑦『沼御前』 おわり】

 

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