Fate/relation   作:パープルハット

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ぜひ観測者編からご一読ください。


幻視急行編4

【幻視急行編④】

 

第二区某所にて、路上に駐車されたオープンカーから女の癇声が周囲に響き渡る。

クレープ片手にゆったり歩行していた若者も、仕事に疲れアスファルトを見つめるサラリーマンも、皆がその高級車に視線を集めた。

女はその地区では余りにも有名人である。だが、野次馬がカメラを向けることは無い。それは触れてはいけない類であるからだ。腫れ物に触れる対応こそが、この場では望まれていた。

女の従者たるサーヴァントは、居心地の悪さを覚えつつも、女を必死に宥めている。彼女が怒りに震えているのは、目の前に立つ警察官の対応が融通の効かないものであったからだ。

 

「だから、この場所は駐車禁止なんだよ…免許証を確認したいんだけど…」

「切符切るつもりでしょう、嫌よ。さっさと消えればいいんでしょう?」

 

警官もまた、女の顔には見覚えがあった。彼女は第二区でも有数の巨大企業「マキリコーポレーション」CEO、マキリ・エラルドヴォールである。その淡い緑髪や美貌、誰もが羨むモデル体型は、見間違いようもない。だが、テレビで見るクールビューティーさとは異なり、気性が激しく、偉ぶっている。彼女は自分の経歴に少しでも傷がつくことを認めない。正義感の人一倍強い彼は、たとえ大企業のトップと言えど、見逃すつもりは無かった。

彼は激情的なエラルを横目に、彼女のサーヴァントである青年に話を振る。白髪の幸薄そうな青年はエラルとは対照的に、穏やかな性格をしている。気苦労が絶えなさそうな様子だが、専属従者ならばそれも致し方無し。だが警官は何故か、自らの家庭のおける空気のような扱いを思い出し、不思議と同情心が芽生えていた。

 

「申し訳ございません。運転手は僕です。エラル様は同乗者でして、僕の全面的な過失です。」

「専属従者が何らかの罰則を受ける場合、そのマスターたる人物にも過失が認められるというのは無論、知っているだろう?」

「はい、そうですね。」

「バーサーカー、貴方は悪くない。ねぇ、一時間かそこらしか停めてなかったんだから、ちょっとぐらい見逃しなさいよ。」

 

エラルは全く悪びれるつもりもない。車から降りてきて、謝罪を続ける自らの従者「ロイプケ」を後ろから抱きしめ、膨れ顔を浮かべている。ロイプケは白昼堂々と胸を押し付けるエラルに戸惑いを覚えつつも、まるで恋人であるかのような多幸感に包まれていた。今、彼の顔は緩みきっている。バカップルのそれを見せつけられ、警官の額に怒りのマークが付いた。

 

「とにかく、特例は認められない。これは俺の感情どうこうの話では無いのだ。第二区のルール、法律、アンダスタン?」

「ノットアンダスタン。行くわよ、バーサーカー。」

 

エラルが警官を無視しようと決めた時、彼女は車道に隣接した高架鉄道を見つめた。特に観察する理由があった訳では無い。ただ、何となく、走り去る列車を目で追っていた。

彼女は普段鉄道というものを一切利用しない。だからこそ、そこに特段の興味が生まれる訳もない、筈であった。

四時二十分。彼女の前を走り抜けた何の変哲もない列車。だが彼女の目はその一瞬をコマ撮りで捉える。彼女だけが持つ魔眼が、これから起こる大きな「波」を詳らかにした。

一般人も、この警官も、ロイプケであろうと気付くことは無い。今、目の前を走り抜けた鉄の塊に、覆い被さるように取り憑いた悪意は、彼女の好奇心を刺激する。

 

「ちょっと君、いいから免許証を…」

 

警官がエラルの顔を改めて確認したとき、そこにはそれまでの彼女は存在しなかった。

どこか高慢的な人間味溢れるエラルはそこにはいない。彼女の光り輝く片目と、微笑する口元は、同じ人間とは思いたくないものであった。警官がかつて事件の捜査で出会った殺人狂の笑顔に酷似している。彼は二度とエラルと関わりたくないと本能的に感じてしまった。

 

「エラル様?」

「バーサーカー、この後の予定はキャンセル。あの列車を今から追いかける。」

「え、今から、ですか?これから会社に戻っての仕事が山ほど…」

 

言い掛けて、ロイプケは押し黙る。エラルの顔は、以前コラプスエゴを発見した際に浮かべていたものだ。彼女の持つ「波蝕の魔眼」は、事の起こりを見極める力を持つ。彼女の高揚した心は、間違いなく、通り過ぎ去った列車に向けられていた。ロイプケはデバイスからスケジュール変更の通達を本社勤めの幹部たちへ一斉送信した。幸い、エラルに残された仕事は、ロイプケが努力すれば一晩で担えるようなものばかりだ。

「エラル様、では助手席にお戻りください。追い付くために、飛ばしますから。警察のお兄さんも、次は気を付けますので。それでは。」

唖然とする警官を尻目に、ロイプケはハンドルを握った。列車は急行と言えど、この辺りは各駅に停車する。今から飛ばせば、十分にその影を捉えることが可能だ。ロイプケに騎乗スキルは無いが、オアシスで培われた抜群の運転技術がある。今度ばかりはルールに抵触しないよう、法定速度ギリギリで、松坂行急行列車を追いかけたのだった。

 

 

「松坂行急行列車が到着します。黄色点字ブロックの内側まで下がってお持ちください」

 

時計の針は丁度、四の数字を刻む。仕事終わりの大人や、学校帰りの学生に囲まれた駅構内で、派手なファッションの少女は人知れず目を尖らせていた。

 

「美頼。来るぞ。」

「うん、突き止めよう、私達で。」

 

美頼が仕事終わりに必ず乗車するこの列車は、多くのオアシス市民を乗せて今日も出向する。

だがここにいる人間たちは誰も気づかない。奇々怪々な事象が、この狭い世界で発現していようとは。

美頼は戦いの予見と共に、呪われた列車に乗り込んだ。

彼女達はいま六両編成の列車における、一番端の一両目にいる。普段とは異なり、客数も疎らである為、車両間の移動に困らない。人々が座席に腰かけたり、ドア近くで佇んだり、各々のポジションで落ち着く中、美頼は行動を開始する。

まず、携帯に送信したデータを改めて確認。年間通して第四区内で自殺した人間は十数人、そしてこの十六時発松坂行急行を利用後、または乗車中に死亡した数が五人。明らかに何かあるとしか思えない比率である。加えて、その内の三人が第二区歓楽街の関係者(風俗客を含める)で、一人は美頼が通った小学校の後輩にあたる人物で、最後の一人は美頼の高校時代の親友であった。

彼女はソープランドで働いているが、常連客を除き、接客した相手のことを毎度覚えている訳では無い。もしかするとこの事件の被害者と面識があった可能性はある。そして、彼女が博物館を出る前に、探偵を名乗るキャスターから聞かされた言葉を思い出す。

 

「君がかつて手にかけた、和平松彦、彼が産業スパイで潰してまわったオートマタ系企業の社長は、悉く自殺している。偶然だと思うか?」

 

和平の件は全く別物だと彼女は考えたが、美頼の周りの人間に危害が及んでいると仮定できる以上、無視しては通れない話である。

列車で何かを視た、乗客。

 

「和平の召喚したアサシンのサーヴァント、真名は『マールト』。」

 

自殺した乗客が見たものが、悪夢であったとしたら、マールトにより生気を奪われて、そのまま…。

 

「でも、マールトはコーイチローが首を落として倒したはず。」

 

美頼が和平に手をかけたその時、聖遺物奪取に努めていた巧一朗の話は、後に彼の口から聞かされた。そしてあの始まりの任務以来、マールトの触媒は博物館によって厳重に保管されている。オリシアのすり替えられた偽物は、未だに売れ残り続けているようで、今なお一度もオリシアから、アインツベルンから怪しまれた様子は無い。それは和平オートマタから手にした情報である。

 

「ねぇ、バーサーカー。あのマールトが今なお生きているなんてことはあるのかな?」

「奈々良に取り憑いていた幻霊のようなものであれば、有り得ぬという事は無い。」

「幻霊って、何なの?」

 

ロウヒは美頼の質問に淡々と答えた。幻霊とは英霊の器にすら至れなかった下層存在であり、オートマタにすらその魂を宿すことの出来ない、文字通り人間が見る幻のようなものである、と。当然、通常の英霊に比べ能力値は最低レベルまでランクダウンしており、巧一朗の従えているキャスターですら容易に仕留めることが可能であるようだ。

 

「だが、それだけに厄介な存在でもある。」

「奈々良のときみたいに、弱った人間に取り憑くかもしれないから?」

「そうだ。さながら生き血を啜る吸血鬼のように、ヒトの魂を啜り、生き永らえようとする。オアシス式召喚の利点は、英霊であっても、オートマタという肉体に縛られることだ。捕縛された精神に対し、アインツベルンなどの企業は絶対管理権を有する。だが幻霊はそうはいかない。命令すれば、スイッチを落とせば、殺すことが出来る訳ではないからな。弱小存在とはいえ、質の悪さは一級だ。」

「奈々良の時も、バーサーカーの宝具が無ければ…」

 

彼女は幻霊に取り憑かれたまま、命を落としていた。

 

「じゃあ、奈々良は怨霊に取り憑かれて、更にこの列車で何かを視たって言うの?」

「かもな。踏んだり蹴ったりとはこのことか。」

 

美頼とロウヒは、列車間の移動を開始する。

客席の市民たちを注意深く観察しながら、怪しい影がいないか見て回る。だが自らが不審人物と捉えかねられないので、あくまで素早く、目視でのチェックだ。

 

「でも、マールトに何となく結び付けたけど、恨みを買うことは沢山してきたし、誰が怨霊になっていても不思議ではない気がする。」

 

美頼は和平をその手で殺めた、それは確かな事実である。だが、そのサーヴァントであるマールトに復讐される謂れはない、筈だ。実際にマールトを殺害したのは巧一朗で、加えて彼女は和平に性奴隷として買われていたとさえ報告を受けている。美頼は確かに始まりの任務で関わったものの、直接的な関連性は皆無だった。

父が無理心中を図ったこと、同じくオートマタ系企業の経営者たちが自殺に追い込まれたこと、只の偶然では無いにせよ、それを奈々良が亡くなった件に被せるのは、どこか引っ掛かりを覚える。同じ自殺という手口でも、彼女の両親の死から既に何年も経過している為、同一犯であるかも怪しい。美頼は足を止め、一度ドア付近にもたれかかり、脳内を整理した。

何故、美頼の関係者が次々と命を落としているのか。

何故、松坂行急行列車なのか。

何故、手口が自ら死を選ばせることにあるのか。

 

「この列車は、私がコーイチローに出会った場所…」

 

そのことに別段意味など存在しないはずなのに。

彼女の脳内に、その事実がひたすらに渦巻いていた。

そして列車は、次なる駅に停車する。

美頼はドア付近にいると邪魔になると思い、座席の方へ移動した。

彼女は俯き、ただ何度も繰り返し思考していた。自らの内に孕んだ違和感が拭い去れぬままに、答えの無い問いを与えられ続けているように。

それはまるで、彼女が好むあの質問、何故人を殺してはいけないか、に直結するように。

 

「美頼。」

 

列車はまた動き出した。ロウヒに呼ばれ、美頼は顔を上げる。

そして、信じがたい現象を目の当たりにした。

先程までいた筈の乗客、その全てが消えていなくなっていた。

 

「え…っ」

「降りたぞ、客が全員。」

「降りた…って、さっきの停車駅で?そんな馬鹿な…」

「今この列車にいるのは、運転手と我らのみだ。」

 

美頼はガランとした列車内を茫然と眺めていた。連結通路より先の先まで、誰もここにはいない。吊革がぶらりと右へ左へ揺れるのみである。

本当に、全ての客が下車してしまった。彼女は思考するのを一度止め、目の前に差し迫る得体の知れない何かへ臨戦態勢で挑む。

茜色の空から、赤い光が差し込んだ。それは鮮やかな血の色に似ていて、美頼の身体に悪寒が走った。万華鏡のようにくるくると移り変わる景色が、全てオレンジと赤で塗り潰されていく。

 

「これは、幻覚、なの?」

「さてな。我もまた同じものを共有している以上、判断に乏しい。現実か、それとも幻なるか。」

 

走行音だけが響き渡る車内で、彼女らは取り残される。否、誘い込まれた、と表現するべきか。夢と現、その境界線があやふやになり、自己の存在の確立にすら、認知の時間を要する。激しく指を食い込ませて握りこぶしを作ったり、顔を引っぱたいたり、そうでもしなければ、自らが霊のようにフワフワと空へ消えて行ってしまう、そのような感覚。ロウヒは至って冷静であるが、美頼の方は次第に呼吸が荒くなっていく。全てが二色で塗られていく。白も黒も無い世界へ溶け始めるように。

 

「美頼。」

 

ロウヒは彼女の名を呼ぶ。が、彼女にはその声が届かない。

蹲り、苦しみ喘ぐ。何かがごっそりと抜け落ちるような、そんな痛みが全身を突き抜けた。

 

―嗚呼、何故、何故、何故、何故、何故

 

思考が何かに乗っ取られる。そして、美頼の背から、何かが芽吹いた。

 

「バーサーカー、どうして人を殺しちゃいけないの?」

 

美頼は自らの背から分離しつつある、何かをその目で捉えた。彼女の永遠の問いかけは、彼女の口から発せられたものでは無かったのかもしれない。

あの時、和平松彦に刃を突き立てたのは、本当に美頼であったのか?

 

「美頼。生きているか?」

 

彼女の背から現れ、へその緒のように繋がっている裸体の少女は無視して、ロウヒは本人に問いかける。

 

「今、どういう状況…?」

「貴様に取り憑いていた幻霊が、今、形を持とうとしている。」

「あぁ、あはは、そっか、そうだったんだ。どうして私の関係者が自殺しているのか、今やっと分かった気がする。」

 

力なく笑う美頼から、裸の少女が羽化した。和平の事件の時に、美頼へ取り憑いた存在がいたのだ。

巧一朗が殺した筈の魂、アサシンのサーヴァント、その真名はマールト。彼女が和平を殺害しようとする美頼へ取り憑き、生き永らえた。

美頼は確信する。何故松阪行急行列車で幻霊の呪いが発現したのか。それは巧一朗への恋心が生まれた場所であるからだ。

ヒトの情欲を貪る夢魔は、美頼の恋を食料源としていた。消滅を間近にして、ここまで回復するに至ったのだ。

ロウヒは蹲り、今にも嘔吐しそうな美頼を座席の方へ運ぶと、転がり落ちたマールトと対峙する。彼女は表情一つ変えず、ただマールトを殺すための準備を整えた。その行動に感情は宿らない。対象を抹殺する意思の元、マールトを魔術で編み出した鎖で拘束する。

 

「分離したならば簡単な話だ。貴様を殺すのに一秒もかかるまい。」

 

ロウヒが右手を突き出すと、そこからマールトを屠る毒液が零れ出る。正確には生物の毒では無く、病原菌のようなものだ。英霊であれば服毒して一分足らず、幻霊であれば即死は免れない、そんな疫病を彼女は生み出すことが出来る。その手がマールトの顔を押さえつけたが最後、この幻霊の魂は跡形もなく崩れ落ちるだろう。

だが彼女の右手が届く前に、マールトは掠れた声を発した。

 

「彼女の幸せは、どこにあるのでしょうか。」

 

マールトの言う彼女は、美頼の事を指している。

 

「何が言いたい。」

「彼女の恋は決して叶わない。ならば彼女の生きる意味はどこに、どこにありましょうや。人魚姫の恋を美しいと感じることは、当事者では無い者たちの特権です。本人は、ただ海の泡となり消えただけ。そこに意味は宿らないのです。」

「何も、恋焦がれることだけが人生の全てでは無かろう。」

 

ロウヒはマールトの戯言に耳を貸すつもりは無い。夢魔はいつだって、人を惑わせる存在なのだ。

だがロウヒは予想だにしない敵襲を受ける。運転手以外が消え失せた車内に、突如謎の影が現れた。

彼女がマールトの顔面を押さえつけたと思われたその瞬間、その行動は彼女の意図とは関係なく置換される。彼女が掴んだのはマールトでは無く、捉えていた鎖である。彼女の手から漏れ出た毒が鎖を腐らせ断ち切った。これによりマールトは解放され、逃げるように後退する。

ロウヒは自らの身に起きた事象に不可解さを覚えた。確かに、マールトの皮膚に触れたはずである。柔らかな頬の感触をその手で感じたままに、その行動自体が「無かった」ことにされた。

 

「因果干渉…か。」

 

英霊に対する絶対命令権である令呪を使用される感覚に似ているが、その行動を本人が把握できないという点で、より精度の高いものであることは間違えようも無い。美頼は座席で眠るように倒れ込んでいる為、命令を下しようも無い。そもそもメリットが無い。

となれば必然的に、外部からの攻撃である。先の車両から隠れて監視している者の仕業に違いない。

ロウヒは隠れ潜む者へのアプローチに、逃げ出したマールトを利用する。再び地面より這い出た鎖で彼女の足を捕まえると、巻き取るように、彼女を引きずり込む。足を掴まれ引っ張られたマールトは、裸のままであった為か、地面に乳首や腹が擦り付けられ、摩擦で流血した。

再びロウヒはマールトを殺すために、今度は短刀を取り出し、背中から心臓へ直接突き刺した。擦り傷とは比べ物にならない、血液のシャワーが車両に吹き上がる。

 

「(さぁ、どう来る。)」

 

ロウヒの冷酷無慈悲な殺戮を監視していたのは、オープンカーに乗って現れたエラルと、その従者ロイプケである。乗客が一斉に下車した途中駅で、彼女らは潜入することに成功していた。そして幻霊マールトが羽化する一部始終を、隠れ潜みつつも観察していたのだった。

 

「エラル様、あのバーサーカー、我々ではとてもでは無いが、太刀打ちできないでしょう。災害に匹敵するやもしれない恐ろしいポテンシャルの持ち主です。」

「えぇ、じゃあちゃんと挨拶しないとね。」

 

戦闘に参加しないロイプケを隠し、エラルは単身、ロウヒの前に現れ出る。彼女の右目『波蝕の魔眼』が青く光り輝き、それがロウヒとマールトの戦闘に干渉した。

エラルがその目で見た波の起こりは、ロウヒが短刀を取り出す瞬間。そしてその波が引く所で、彼女の眼は別の結末を用意する。その眼で見ることの出来る未来は多岐に渡って存在する。それは本来、可能性世界であり、人間はそれを故意に選び取ることが出来ない。

だが彼女の作り上げた垓令呪システムが起動し、その不可能を可能に変える。一つ一つは微々たる魔力源なれど、百や千と束ねれば、それは未来を切り開く剣となる。彼女は無数の未来を魔力の刃で切り落とし、波の満ち引きを捻じ曲げた。当然その中には、ロウヒがマールトの心臓を貫く未来も含まれる。

八百近くの令呪が弾丸のように放出され、彼女が突入した可能性世界は一つの結論に集約される。そして彼女は現実世界に引き戻された。

ロウヒはその魔眼に興味を持ち、その能力の一部始終をじっと見つめていた。結果、マールトが背から流した血は存在しなくなり、彼女が握り締めていた短刀は、溶け落ちた鎖の一部に置き換えられる。エラルはマールトを匿うように仁王立ちした。

 

「成程、魔眼使いか。これはまた面妖な。」

 

ロウヒの口元が緩む。久々に骨のある対戦相手に遭遇した喜びによるものだ。それも、只の人間が、サーヴァントに果敢にも挑もうとしている。だが彼女はそれを無謀と切り捨てることはしなかった。エラルの目には確かに、勝利への渇望が宿っていたからだ。

互いに数秒間見つめ合い、先に動いたのはエラルであった。彼女は基礎的な身体強化の魔術でロウヒに接近すると、指先から生み出した氷柱でロウヒの腹部を突き刺した。微弱な魔力ではロウヒの外殻すら傷を与えることは不可能。当然、互いにそれは弁えている。

エラルの氷柱は垓令呪からのバックアップを受ける。彼女の腕に無数の令呪が浮かんでは消費されるを繰り返し、ある種、無限のステータス上昇の恩恵が加えられた。氷柱は聖剣の如く成り代わり、遂にはロウヒの肉を裂くことに成功する。

そしてエラルは油断することなく、次なる一手に臨む。波蝕の魔眼を改めて起動し、一連の行動の因果を捻じ曲げる。突き刺さった氷柱は、ドア付近に設置された手すりと入れ替わり、鉄パイプがロウヒの腹部を大きく抉り取った。そして彼女は更に、その鉄パイプに強化の魔力を付与する。より濃密な魔力の渦がパイプを英雄の槍の位に押し上げ、黒髪の魔女に致命傷を負わせた。今の攻撃にかけた令呪の総数は占めて三千にも及ぶ。エラルはロウヒから一時飛び退くと、次の一手を脳内で用意した。

一方のロウヒは、口元から血を流しつつも、余裕綽々の表情を見せる。彼女にとって、霊核への直接的なダメージ以外は全て掠り傷。その痛みに悶えることも無い。彼女が自らの手で腹の傷を覆うと、忽ち、その穴は塞がり、元の状態へ戻る。

 

「今の一瞬で、治癒したというの…?」

「治癒、そうか、そう見えるか。」

 

ロウヒは蛇の如き鋭い目でエラルを捉えると、地面から新たに生み出した四本の鎖で彼女を拘束する。身動きの取れなくなった少女めがけて

どこからともなく取り出した剣を投擲した。狙撃手が得物を正確に射抜く様に、銀の刃はエラルの心臓目がけて、真っ直ぐに射出される。

エラルの額に汗が伝う。それは自らの命を奪い取る切っ先に対しての焦りでは無く、先程の流れで、自らの弱点を悟られてしまったことへの焦燥感。上手く誤魔化したつもりが、あっさりとロウヒには波蝕の魔眼の欠点を見抜かれてしまった。

エラルの眼は事の因果を詳らかにし、異なる結果を選ぶことの出来る力。つまり、事の起こりが存在しなければ、現象を捻じ曲げることは出来ない。もし剣が正確に心臓を穿ったならば、即死したならば、死んだ後に眼を使用することは当然不可能だ。そして彼女の眼のデメリットは更に存在する。それは因果を捻じ曲げたとしても、行動の一部始終を変換できる訳では無いという事だ。

彼女の能力はあくまで波の大きさを変える、波の当たる対象を変える、というもの。自らが負った傷の対象を相手に移し替えることが可能であり、弱い攻撃も致命傷に変えることが出来る。(無論、垓令呪システムの賜物ではあるが。)

先程、マールトの背に突き刺した刃は、鋭利ではないただの鉄鎖に置き換えられた。だが、その拳を振り下ろした事実までは無かったことに出来ない。ロウヒの持ち物を変えただけで、その行動までは捻じ曲げられなかったのだ。

現在、自らの命を刈り取る剣が襲い来る以上、波蝕の魔眼を発動する外ない。刺さって即死してしまえば、そもそも魔眼の力を引き出すことが出来なくなるからだ。彼女が投擲した事実を変えられないならば、剣の刺さる対象を変える他ない。すると二人の立ち位置は逆となり、エラルが死ぬという事実は消失する。

が、当然、ロウヒはそれを見越して射出している筈だ。

ただの人間であるエラルを貫く程度で、ロウヒ自身には傷一つ付けることの出来ないくらいの、そんな魔力の刃を、彼女は狙って投げたのだ。もし対象の因果を逆転させれば、立ち位置が入れ替わる。つまり、エラルの後ろにいるマールトに、何の抵抗も無い状態で急激な接近が可能となる。そうなれば、波蝕の魔眼を再度起動させたとしても、マールトが殺される瞬間に間に合わない可能性が高い。効果発動に時間を要する訳では無いが、連続で使用するには若干のラグが生まれてしまうのだ。彼女自身も、そして周りにもそうだが、命を既に落とした者には因果干渉が通用しない。

ならば、取れる手段は二通り。

剣そのものを捻じ曲げ、何か、当たったとしても柔らかいものに置き換える。

もしくは、エラル自身を、座席で眠るロウヒのマスターである美頼に置き換える。

エラルの好戦的な性格から、彼女は後者を選び取った。少しでも有利性を保つことが今は最善であるだろうと。当然、ロウヒはそのことを見越している筈ではあるが。

エラルの波蝕の魔眼が光を灯したその時、可能性世界にダイブした彼女は、信じがたい現実を目の当たりにした。

彼女は起こり得る結論を選び取ることが出来る、筈であった。今も無数の可能性が目の前に広がっている。

だがその中に、座席で倒れているマスターらしき金髪の少女と入れ替わる結果は、存在していなかった。

 

「何で…」

 

彼女は何本も伸びた線から、理想の解を探し当てようとする。もし、彼女がいち早く切り替え、別の結果を用意できていれば、この後のことは起こらなかったのかもしれない。だが、エラルは焦っていた。彼女だけが波蝕の魔眼を誰よりも深く追究していると、そう信じていたから。

そして無駄に令呪の魔力だけが消費されていき、彼女の眼から輝きが失われてしまう。目の前には人を殺める為に投擲された刃が迫る。

 

「エラル様…っ」

 

エラルの違和感にいち早く気付いたのは、彼女のサーヴァントであるロイプケであった。彼は波蝕の魔眼の起動を、誰よりも傍で見てきたからこそ、この異変に対応できた。彼は剣の射出からエラルを庇うために、咄嗟に前に躍り出ようとする。ロイプケはただの音楽家、そのスキルも、宝具も、この場においては何の役にも立たない。だが、それはエラルを助けない理由にはならない。彼は愛する者の為に、いつ如何なる時でも死ぬ覚悟は出来ていた。

そして、そんなロイプケを押さえつけて、立ち上がった者がいた。

鈍い音が響き、赤い波がエラルの身体に降りかかる。

それはエラルの血でも、ロイプケの血でも無い。彼女の前に立ったのは、何を隠そう、マールトであったのだ。

 

「え……」

 

目を丸くするエラルの前で、静かに崩れ落ちた幻霊。彼女が再びその眼を使おうとする時には、マールトは肉体が光の粒子となり、空へ消え去っていく途中だった。

 

「貴女、どうして…?」

「貴方達たちの幸せはどこに在りますか?」

「え?」

「恋を止めないで、下さい。そして、恋を知る貴方達が、恋叶わぬ誰かを、助けてあげてください。」

 

マールトは血塗られた肉体を引きずりながら、座席の方へ向かう。そして、目を閉じた美頼の顎を上げると、そのままそっと口づけをした。

 

「すみません、美頼。貴女を傷つけてしまった。私は正しき存在ではありませんが、それでも、貴女を見守っています。ずっと。」

 

唖然とした表情のエラルとロイプケを残し、マールトは消滅した。列車のアナウンスで、じきに終点の松坂へ到着することが知らされる。

 

「つまらない幕引きだな。」

 

ロウヒは呆れ顔で、美頼を抱きかかえると、エラルたちに背を向けた。これ以上戦闘行為に及ぶ理由は無い。エラルはなおも戦いの意思を失っていなかったが、ロイプケに静止させられる。エラルが想定した、波蝕の魔眼を以てしても叶わぬ相手、災害だけかと感じていたが、他にもいようとは。彼女は悔しさから唇を噛んだ。

 

 

美頼が後に知った結末は、シンプルなものであった。

まず、彼女の両親や、その他オートマタ系企業の社長たちを死に追いやったのは、和平の意思のままに行動していたマールトであった。

夢魔という性質とアサシンの気配遮断を用いて寝室へ忍び寄り、生きる為の気力を奪い去った。和平はこの時、アインツベルンと協力関係にあり、依頼を受けて、他のライバルとなり得る会社を潰して回っていたらしい。

そして数年が過ぎ、博物館の手で和平は殺害された。そのとき同時に殺した筈の魂は、和平を殺したいと切に願う美頼に同調し、怨霊のように乗り移った。マールトは既に消滅間近であった為、美頼の中で眠り続けていた。

そんな夢魔の意思は、美頼の恋愛感情と共に呼び起こされる。巧一朗と出会った列車に乗り込むたびに、美頼は恋焦がれる乙女になる為、この松坂行急行列車が、マールトの目覚めの瞬間になっていたらしい。列車に乗っている間のみ、マールトは自在に幻霊として動き回り、他の人間を弱らせては、その生気を啜っていた。美頼と何らかの関わりを持つ者のみが狙われた理由は、美頼を不幸に陥れたいという思いなどでは無く、美頼の中で生活する中で、ヒトに対する認識が弱わり果て、彼女の関係者のみを人間であると歪んで解釈してしまった為である。

そしてマールトはついに覚醒した。

美頼は奈々良の墓の前で、夢魔のことを考えていた。奈々良の命を奪ったことは許せないし、マールトを認めることは決してしない。

だが、彼女は羽化する瞬間、全ての乗客を下車させた。

何故そうしたのか、その理由は迷宮入りの謎である。

だがもし乗客がいる中で羽化すれば、様々な人間を巻き込んだ、大量虐殺にもなり得ていた。そちらの方が、マールトにとっては食料が増えるのと同じことで、有益な筈であるのに。

美頼が好んでする質問、どうして人を殺してはならないのか。

それはマールトの疑問でもあったのかもしれない。彼女は、生きる為に、人を殺していたのだから。

人を殺さなきゃ、彼女は死んでいた。だからこれは、彼女が問いかける永遠の問いなのだ。

 

「マールトが命を落とす瞬間、美頼、貴様の身を案じていた。最悪な厄介者だが、貴様の恋を応援していたぞ。」

 

ロウヒの言葉が、美頼の胸に突き刺さっている。

和平に召喚されたマールトの気持ちなど、一生かかっても理解できない。だが、そこで思考放棄するのは、何か違う気がした。

美頼は奈々良の墓に花を添え、手を合わせる。

 

「ごめんね、奈々良。貴方が自分から死のうって思ったのは、きっと私の所為なんだ。」

 

美頼は己の中にくすぶっていた、一つの疑問に答えを出した。

 

どうして、人を殺してはいけないのか。

 

マールトは、夢魔は、生きる為に人を殺めた。でも、ヒトである美頼は違う。生きる為に、人を殺さなくても、彼女の人生は続いていく。

和平を殺して、人生が始まったと、そう思い込んでいた。でもそれは彼女の想定に反し、殺せば終わりという話では無かった。

結局、ヒトの人生が始まるのは、生まれた瞬間であり、ヒトが生涯を終えるのは、死ぬ時でしかない。罪の問われなかったとしても、その呪いは、その悪夢は、ヒトが絆を紡ぐのと同じように、脈々と繋がれていくのだ。ヒトは決して希望だけを残すのではない。同じだけの絶望を残して逝く。もし、美頼の人生が始まったのだとしたら、それは和平を殺してからでは無く、巧一朗と出会ったから。和平に与えられた絶望と同じだけ、巧一朗から希望を貰っていた。

ようは簡単な話だ。人間とは非常に都合の良い生物だ。他の動物たちと異なり、言葉を話すし、思考する。それが人間にのみ与えられた特権である。

わざわざ、希望と絶望のバランスを毎度取る必要は無い。与えられる希望のみを糧とし、生きていくという方法もある。美頼にとってそれは都合の良い手品のような話だが、でも、自らが誰かを深い絶望の淵に落とすよりは遥かにマシな生き方である。ヒトを殺せば、自分も殺されるかもしれない、そんな当たり前の「相互観」こそ、この質問の答えである。

生きる為に、人を殺すというのは、美頼にとって、それ程にまで滑稽に思えたのだ。

 

まだ水の入った桶と柄杓を持って、奈々良の墓を後にする。

 

「これで、良かったんだよね。」

 

美頼の新たな問いは空を舞い消えていく。それに答える者は、この場には誰もいなかった。

 

                                【幻視急行編④ 終わり】

 

 

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