間もなく三回生に進級する。しかし最近はアカデミーに出席する事は殆どなかった。
優等生を気取る為には真面目な授業態度を見せるべきなのだが、そうも言っていられないほど忙しかったのだ。
新都市の建設が開始されるのは春からだが、それまでにナーハフォルガー本家やジャック、アイアンウッドやオズピンと打ち合わせる事が多々あり、ローマンの会社を移転する手続きを手伝わねばならなかった。
下準備は入念に行ない、新設されるニワシロ・アカデミーの特別講師の枠にヨナタンを食い込ませる為の働き掛けもしていた事もあり、ヴェイルにいる時間はめっきり無くなってしまっていたのである。
そんなわけでヨナタンは今、ミストラル王国の都市アーガスにいた。やっている事は至って簡単な事。新都市マドンナリリーへの入植者を募集している。街頭でビラを配りながら、質問者がいれば懇切丁寧に魅力を説くのが仕事だ。こんな事はヨナタンの仕事として相応しくないように思えるが、顔を売るのも立派な戦略である。ヨナタンの名声は今のところヴェイル国内に留まっているレベルなのだ、世界的なスターに成るための下積みというわけだ。
「………」
せっせと愛想とビラを配っているヨナタンであるが、流石に飽きが来ていた事もあり、彼はもう如何にサボるかの口実を考え始めていた。もっとド派手かつ効率的に顔を売ったんでも良いじゃないかと。
朝方から夕暮れ間近まで頑張ったんだから充分じゃないか? オープンカーに乗って街頭演説でもぶち上げた方がまだ人の印象に残る気もする。こんな馬鹿真面目にビラを配るのはうんざりだ。
なんならビックリ手品ショーでもやってやろうか――そんな益体もない雑念をどう処理するか、どう現実に
「………」
「ん……なにかな?」
荷台に積んだビラの山が半分になった頃、健康的に日焼けした肌の、坊主頭の少年がやって来たのだ。固い表情で近づいてくるなり、物問いたげに見上げてくる。歳は7つになるかどうかだろう。
少なくとも九歳になったヨナタンよりは年下だ。ヨナタンに限って言えば年齢など有って無いようなものだが――さておくとして反応を示すと、少年はおずおずと問いを投げ掛けてくる。
「……
歳の割にはきはきと喋り、しっかりした意志を感じさせる声と、目だ。
ヨナタンは事情持ちかなと思いながら応じる。
「ああ、いいとも。なんでも聞いて」
優しい年長者のように振る舞うと、少年は一瞬躊躇した素振りを見せる。
しかしすぐに意を決したのか、まっすぐにヨナタンの目を見て口を開いた。
「その、新しい開拓地ってところに、にゅうしょく? する人間を探してるんだよな」
「そうだね。名前はマドンナリリーだ」
口の利き方が目上に対するそれではないが、ヨナタンにそれを指摘する資格はあるまい。多くの大人に対して対等な目線――ともすると上から目線とも取れる態度を取っているのだ。自分がされたからと怒りを露わにするようでは、それこそヨナタンの程度が知れるというものだろう。
それに本心として、生意気なガキめ、なんて思ってもいない。子供ならこんなものだろうと思うだけだ。これが子供のスタンダードなのだから、一々目くじらを立てる方が大人気ない。
「噂で聞いたんだけどさ、その……そこで、アカデミーが作られるってほんとうなのか?」
「本当だとも」
「! な、なら……」
「ああ――」
少年の聞きたいことを察する。
貧農だろうか? 両手の爪の隙間に土が詰まっている。
粗悪な身なりで、幼さの割に落ち着いた物腰。ニオとは別種の大人びた佇まい……子供が子供で居られる時間を失くしているのだろう。家庭環境が貧しく家計の心配をしているようだ。
「安心していい、学費は無料だ。他にも生活費や教材費もね。おまけに手当として、毎月25日に賃金が支払われる。基本賃金は最低額だけど、成績や生活態度によっては加算される事もあるね。将来の進学先の斡旋も抜かりはない、在学中の危険手当や各種保険も完備してる。詳細はこの
先んじて答えてやると、少年の目の色が変わった。
いらない、と少年は言う。悩む余地など無い、最高の条件だと判断したらしい。なかなかどうして、所詮子供と馬鹿にできない早熟な意志の強さがある。思わぬ掘り出し物になるかと期待を懐いた。
「俺は父さんや母さんを楽にしてやりたいんだ。アカデミーに入れてくれ」
「結構。だがそいつは勇み足だ。君がどれだけ気高い決意を固めても、親御さんに相談もしないで決めさせる訳にはいかないね。この紙切れを持って帰るんだ、裏面に契約条項と詳細な条件が書いてある。納得できたらサインをしてもらって、そこに書いてある宛先に送ってもらわないといけない。だからきちんと親御さんと相談するんだ。いいね?」
「――分かった。だが……ここに定員制って書いてあるぞ」
「当たり前だろう? 金が湯水のように湧いて出るなら定員なんて設けない。慈善事業じゃあないんだ、無制限に生徒を募集していると思っていたなら大間違いだよ。だけどまあ……」
懐から取り出したメモ帳に、サラサラサラーと名前を書く。ヨナタン・ナーハフォルガー、と。綺麗に千切り取った頁を少年に押し付けると、にっこりと微笑みかけて優しいお兄さん光線を照射してやった。
「入学申し込みをするなら、ソイツを同封すると良い。抽選漏れしなくなる」
「……ありがとう! 良い奴だな、あんた!」
少年はヨナタンのサインがどういう意味を持つかだけを理解して、ニッと破顔して走り去っていく。そんな真似ができるヨナタンの立場については考えが及んでいないようだがそこは仕方ない。まだ子供なのだ。
あからさまな依怙贔屓だが、責められる謂れはないと思う。どうせなら退路のない、やる気のある子供に目を掛けてやって何が悪いというのか。貧しいだろうに文字を読めるという所から、親が愛情を持って教育してきたという背景も見える。早々下手な事にはなるまい。
――ニワシロ・アカデミーは、初等訓練校だ。飛び級制度はなし、卒業までの十年間様々な教育を施す。教育内容として文字の読み書きや各国の歴史、地理、数学に文学などもある。
だが主要科目は戦闘訓練だ。規律も厳しく、甘えは許さない。軍学校よろしく厳格に育てる。その代わりに、よその初等アカデミーとは違って、賃金や保険を約束するのである。それはつまり子供であっても一人前として扱うという事であり、全てを隠し立てせず詳細に記した説明文も載せてある。
来たくなければ、来なければ良いのだ。自分の子供を預けられないと思うのなら、応募しなければ良い。だがここを卒業した暁には、希望者はアトラスやミストラルの軍学校へ確実に入学できるし、ヴェイルのビーコン・アカデミーを初めとする、各国の高等アカデミーへの入学試験にも圧倒的優位に立てる。
そしてマドンナリリーが発展すれば、ニワシロ・アカデミーにも高等部を作り、ビーコン・ヘイブン・アトラスの三校に匹敵するアカデミーにする。仕上げに就職先の選択肢の一つにローマンの
警察兼軍隊兼ハンター、最初はそこから。勿論ヨナタンがいの一番に入社して先駆けになる。ヨナタンが有名になっていればなっているほど、やり甲斐と魅力のある会社に見えるようになっている事だろう。
そんな事を考えながら、ヨナタンは辺りを見渡す。
黄昏時だからか人通りも少なくなってきた、そろそろ河岸を変えよう。
† † † † † † † †
“愛想とビラ”撒きを終え、視察を名目に足を運んだのは、ミストラルに間借りしている大講堂だ。都市部の一角にある講堂の一室で、新設アカデミー第一期生の採用試験が行なわれているのである。
一期生の定員は二十名。アトラスとミストラルの他、ヴェイルとヴァキュオの二国からも応募者がいた。総数は意外にも約百人である。利に敏く耳が早い大人はどこにでもいるという事だろう。
書類選考の段階で明らかに不適格な者は弾き、残りは面接で人格面を評価して絞り込む事になっているが、不適格と判じる基準は完全に大人の事情――金と政争絡みのドロドロとした案件――でしかない。
まず無条件で失格対象になるのは、各国で高い社会的地位を有する者の子息子女である。議会の評議員の令息令嬢でも例外にはしない。保護者という名目で学び舎の運営に口を挟まれせたくないからだ。
利に敏い者はどこにでもいるが、喧しい者もどこにでもいる。一度でも口を挟むのを許すと煩くなる一方で、百害を齎しておきながら一利も寄越さないのだから、徹底して防疫せねばならない。
口ばかりよく回る評議会の雀ばりに、好き勝手に囀るのは結構だが、それをさも当然の権利を行使しているかのように、得意面をするような愚昧な輩に構う暇はないのである。
――次にダスト製造業を初めとした、よそに既得権益を築いている企業連に属する者の子供も失格対象になる。生徒の親類のマドンナリリーへの入植は優先的に認可されるため、企業の進出拡大の足掛かりにされかねないからだ。それはヨナタンとローマンが目論む、マドンナリリーでの利権独占の障害に成りかねない。故に問答無用で選考から漏らしてもらっている。
それだけで半数が消えた。応募者の半数がそうした手合いだった事には流石に笑った。
残りは面接試験を行ない、ハンターとしての資質を有するか、人格面を評価して合否を決定する。
面接官はナーハフォルガー本家の元ハンターが二人。彼らはそのまま教職員としてアカデミーに勤める予定で、そんな彼らの前には面接中の三人の入学希望者がパイプ椅子に座っていた。ヨナタンは面接室に張られているマジックミラー越しに、隣室で面接の様子を見学している。
書類選考をクリアした者のみを対象にした面接。記念すべき第一期生の選抜には慎重を期す一方、定員である二十名を確保する必要もある。選考を突破した子供は四十八人。数は充分だが、二十八人をここで
ヨナタンは見込みの有りそうな者に見当は付けていた。選出基準は主に家庭環境、両親の犯罪歴や家計事情の他に志願理由も見ている。質疑応答は飾りと言っても過言ではない。
今日面接試験を見学しに来たのは、面接を受けている面子がヨナタンの注目株だからだ。クロユリで救出したライ、ノーラ、ビラを配っている最中に良さげな意志の強さを見せた坊主頭の少年である。
坊主頭の少年の名はセージ・アヤナというらしい。三人同時に面接している彼らには言っていないが、既に合格させる方向で話は纏めていた。セージに関してはヨナタンの贔屓だが、ライとノーラはマドンナリリーに名を改める前のクロユリ、オニユリの合併地に開拓民として居た為、彼らの両親が再び入植を希望していた事もあって優遇しているのだ。
ノーラは浮浪児で素性は知れないが、身寄りがないのは当校の試験では有利な要素にしかならない。誰の紐付きでもない点が素晴らしく、退路もないので教育が厳しくとも逃げ出す心配がないからだ。
「マイ・アンセスター、こちらを」
「ん……」
緊張した面持ちで面接官と質疑応答する少年少女を眺めていると、入室してきた男が資料を渡してくる。ヨナタンはそれを受け取ってちらりと視線を向けると、口元が緩むのを自覚した。
資料の内容は志願書である。丁寧にジャックの私信も添付されていた。
ワイス・シュニーが入学志願している。受付期間は既に終わっているが、ヨナタンの強権でどうとでも捻じ込める。資料を男に返しながら、その顔を見て名前を思い出した。
「ジャックハートか。久しいな」
「! 名前を……覚えていていただけたのですか……」
ヨナタンの護衛として一時期張り付いていた男だ。ハッキリ言っていてもいなくても問題のなかった男だが、優秀ではある。本家が無能な男を深淵狩りの傍に置くはずもない。
対本家用のペルソナを被りながら呼ばうと、それだけで感激したような表情をされる。若干ウザいが慣れたもので、綺麗に流して命じた。
「ジャックハート、定員の枠を一つ増やせ」
「……よろしいので?」
「既に合格が決まっている子供を除いては憐れだろう」
自分で言っておきながら白々しい言い分だなと思ったが、関係ない。
「以後も目ぼしい子供を見掛けたら引き抜いて来る。お前もそうしろ。予め三十名まで受け入れられるようにしているのは
「畏まりました」
一礼して退室していく男から視線を切り、再びマジックミラーの向こう側を見る。
しかしヨナタンの思考は余所事に割かれていた。
ワイスの為の訓練メニューや、彼女が実家から離れたせいで受けられなくなる英才教育の代替教育のプランを考える。その傍らでマドンナリリーに纏わる計画の全てを改めて思い返した。
マドンナリリーに初期から噛む勢力はアトラス、ミストラル、シュニー社。
それから下手に高尚な歴史を持っているせいでアトラスからも持て余され、マドンナリリーを体の良い放逐先にされたナーハフォルガー本家。ついでに歯牙にも掛けられていないローマンの財団。
マドンナリリーの建設が始まるのは春。同時にニワシロ・アカデミーも始動するが、新都市建設中にも宿泊できるように宿泊・訓練・娯楽の校舎と施設をミストラルで建造し、浮力を発生させるダストを利用して
都市の建設中はグリムの襲撃を警戒してアトラス軍の一部隊と、ナーハフォルガーの私設兵団、ハンター達で警戒にあたり、ヨナタン自身もそこに加わる事になっていた。
これから数年間は忙しくなるが、同時に語るべきものもない平坦な時間が過ぎ去っていく事だろう。
二年後にはアッティラがミストラルに進出してくるはずだ。
その頃には彼の悪名も世界に轟いているだろうし、ローマンの策の通りに踊る舞台も整えられている。勧善懲悪をテーマとした活躍を、可能な限り長引かせるのもヨナタンの役割であった。
(ファウナスの
本当はヨナタン一人でアッティラを食い止める役を演じるところだが、ファウナスへの差別と偏見を和らげ、彼らの尊厳を勝ち取る為には、もう一人の自分を作らねばなるまい。
人間とファウナスが協力し合う姿を世界中に見せつけるのだ。
一人三役とは中々気合の入った演出だと言えよう。人間のヨナタンがファウナスの英雄を友にし、稀代の巨悪を倒すのは演目の内容としても面白そうだ。後の世にファウナスが対等な隣人として扱われるようになった契機として伝わるようにすれば、さぞかし創作の題材として人気を博すと思われた。
いや、むしろ自分達でその手の創作を広めるのも事業の一環としよう。
(ホワイト・ファングには
自らの置かれた境遇に不満を持つファウナス達も、ヨナタンとローマンの企図する国際連盟――国連に参加して、世界的な要職に就ければ文句は言わないだろう。人間のファウナスを見る目も徐々に変わっていく。
無駄に行動力と殺意がある有害な差別主義者は、アッティラに合流するであろうし、その時は合法的に
(んー……エンリルでいっか、ファウナスの僕の名前は)
姿形は違えど、自分である。格好良く作ってやろう。
肉体を伴っているため物を食べ、喋り、血も流す上に死体は残るが、影分身の術と言っても過言ではない。というか過言も何も、アッティラもヨナタンであるのだから当然の事だ。
(
その頃にはほぼ確実に――セイラムが、アッティラに接触しているだろう。アッティラの存在意義には、敵の勢力の動向を正確に把握して利用する事も含まれているのだ。
(個人的なエゴに世界を巻き込むからには、最大多数にハッピーエンドを迎えさせて、割を食う少数の方に悪者を割り振る。――忙しくなるぞ、頑張って働こう。あなた達の息子が世界を多少は綺麗にした男なんだって、父さんと母さんに誇らせてあげたいからね。お兄様は凄いんだって自慢されたいってものあるし……)
ヨナタンの動機は、あくまで情を懐いた人間に端を発するし、帰結する。
深淵狩りは、人間なのだ。
人間を突き詰め極限化させた存在である以上――エゴの完遂に躊躇はない。
故にヨナタンの末路は英雄でしかない。
彼は、