「――馬鹿な。あの男に叛くだと?」
アダム・トーラスは信じられない思いで、ホワイト・ファングの現リーダーであるシエナ・カーンを見詰めた。同組織の創設者、ギーラ・ベラドンナとの派閥争いに勝利してリーダーの座を奪った女傑は、決意を秘めた瞳で若きファウナスを見詰め返し、そして力強く肯定の言葉を紡ぐ。
「そうだ」
「馬鹿な」
それに、アダムは吐き捨てるように繰り返した。
アダムとてアッティラ卿に忠誠を誓ったわけではない。力で斬り従えられた身で、忠誠心など懐けるわけがない。寧ろいずれはこの手で殺してやると思っている。誇り高きファウナスとして、人間如きの風下に立たされる屈辱を、いつまでも味わっているつもりはない。
だがアダムは戦士である。戦士として冷静に分析して勝算はないと考え、今は力を蓄えるべきだと考えていた。叛逆するにはまだ早い。遺憾ながらも認めている。アッティラ卿は強い……強すぎる。それこそホワイト・ファングの全精鋭が束になって掛かっても、殺せると思えないほどに。
故にアダムは断じるのだ。シエナの叛逆は無謀であると。そんなこと、シエナだって分かっているはずだ。なのに何故今なのだ? もっと強くなって、武器を集め、信頼を勝ち取り、その上で不意に裏切って殺すのが最善にして確実な手である。アダムはその事を説こうと言葉を探した。言われるまで無い事を言わせるシエナに苛立ちながら。だが、シエナは言った。
「限界なんだ」
「限界? 限界だと?」
「そうだ」
少なくとも今現在は、アダムは彼女に敬意を懐いている。
シエナは武力行使を以てファウナスの尊厳を勝ち取ろうとしていた。人間よりもファウナスの方が優れていると信仰しているアダムは、故に人間如きに虐げられる世の中に過激な反感を持っていた。だからこそ、軟弱な平和主義者の前首領よりも、シエナを支持して首領に仰いだのだ。
そんなシエナが限界だと言う。失望するよりも何故だという疑問がアダムの中に渦を巻いた。
「お前は強い。だから分からないのだろう」
「……何を言っている?」
真剣に、意味がわからない。アダムが強いのは分かりきっている事だ。そうでなければ若き身の上で他者から尊敬される立場になど立てていない。シエナの言わんとする事が飲み込めず、ひたすら困惑した。
そんな青年に、シエナは自嘲を込めて告げる。
「五十七。この数が何を意味するか、分からないお前ではないだろう」
「………」
「カオスはヴァキュオの裏社会を支配し、牛耳るところまで来た。だがその過程で我らの同胞は次々と倒れている。何故か? アッティラを除くカオスの戦闘員は、我らよりも弱いからだ。故にアッティラは私達を重宝し、率先的に戦闘に駆り出した。無傷で終えられる戦いはなく、必然として同胞は何人も死んだ。――限界だと言ったのはそういう事だ。私ではなく、ホワイト・ファングの同胞たちが、もう堪えられないと激発しそうなんだよ」
「……人身御供になるつもりか」
「その通り」
口の中が乾き、アダムは喘ぐように呟く。
笑みを浮かべて答えた女傑は、青年の肩にそっと手を置いた。
「勝算があろうとなかろうと、立たざるを得ないんだよ。私は――奴らを見捨てられない。だから激発しそうな連中を集め、決起する。今日はお前に、叛逆に加わるなと言いに来た」
「………ッ!」
「アッティラは冷酷だ。だが奴自身にはファウナスを差別する気配はない。一部が叛逆したからと、すぐさまお前達を始末しようとはしないはずだ。――忠誠を、示しさえすればな」
「俺に……! この俺に、仲間を売れと言うのか……!?」
「いいや。私達が成功したならそれでよしだが、失敗してしまった後の事も考えねばならない。アダム、お前は私が失敗したら、アッティラの片腕に上り詰めろ。働きで忠誠を示せ。それが残った同胞を守る事になる」
血を吐くように怒鳴るも、シエナは否定し、憎き怨敵に媚を売れと言う。
絶句するアダムに、彼女は申し訳なさそうに眉尻を落とした。
「誰にでも出来る事じゃない。お前にしか出来ない。だから頼む――」
そう言って、シエナはアダムの目を見詰めた。
「これからはお前がリーダーだ。後は任せたぞ」
――ジ、ジ、ジ、ジ、ジ。
電気の弾ける音。皮膚と肉、衣服の焦げる臭い。
円柱状のプラズマ刃が、生物の心臓を灼き貫いていた。
胸の中心に空洞のできた死体を前に、赤髪の青年は歯を食い縛る。
【裏切り者は粛清する。逃亡者は断罪する。カオスに属する者は皆同胞だが、そうでなくなった者を生かしておくほど俺は甘くない。我らが遵守すべきは国の法ではなく、俺の定めた掟だと知れ】
二メートルを超える、黒尽くめの偉丈夫。ヴァキュオの闇を糾合し、頂点に君臨した彼の名はテュルク・アッティラ。今や国家上層部の議会も彼の存在を認知し、大々的に指名手配しているものの、多くのハンターや警察、軍隊までもが撃退されていた。
彼は片手で持ち上げていたファウナスの死体を地面に投げ捨てると、黒メットと仮面に付着していたファウナスの血反吐を拭う。死してただの肉袋となった死体を踏みつけ、アッティラ卿が冷酷に告げた。
場は水を打ったように静まり返って畏怖の念に支配されている。
含有しているのは、憎悪、怯え、怒り、そしてそれらを凌駕する恐怖だ。
粛清されたのはファウナスである。ファウナスだから殺されたのではない。裏切ったから――叛乱を企てたから殺された。叛逆者はホワイト・ファングのメンバーであり、そうであるからこそアッティラ卿は彼らの同胞であるファウナス達を粛清の現場に連れてきたのだ。
踏みつけられたファウナスの死体はシエナだ。彼女と共に決起した三十名余りのファウナスが、アッティラ卿ただ一人に鏖殺された。殺された精鋭とシエナの実力を知るからこそ、ファウナス達は動揺し恐れている。
アダムはシエナの死に顔が、自分に語り掛けているように感じ、必死にアッティラへの殺意を押し隠した。
「アダム……」
「………」
震える拳に手を添える、黒髪の少女。アダムの弟子である、ブレイク・ベラドンナだ。恐怖に震えながらも、師父であるアダムを気遣える彼女の優しさに触れ、なんとか冷静さを保ったアダムは拳を解いた。
「後のことは、俺に任せろ。この時より裏切り者のシエナではなく、俺がお前たちのリーダーになる」
アダムがそう言って、ホワイト・ファングの仲間達を見渡す。
自らの背中にアッティラの視線が突き刺さっているのを感じて鳥肌が立つ。怒りと、憎しみと、戦慄で。気が狂いそうなほどの激情を、ブレイクの手を握り返す事で懸命に抑え込んだ。
有無を言わせぬアダムの宣言に、ファウナス達は頷く。人間なんかに、という反骨心は今はない。殺されたくないという恐怖が、若輩のアダムが頭目の座を継ぐ事を容認させた。
【アダム・トーラス】
「ッ……は、なんでしょうか」
声が震える。だが、上辺だけとはいえ取り繕い、丁寧な物腰で応じた。
アダムは激情家だ。しかし仲間の為の献身を求められれば、それを拒む男でもない。今は忍従の時なのだ、力を蓄えて機を掴むまで、憎き人間に媚び諂う事も是として飲み込めた。今は忠実な下僕を演じよう。愛しさを覚えている少女が傍にいる。彼女を守る事を考えれば、身を焦がす屈辱にも堪えられる。
アッティラのくぐもった声。それに激怒しながらも表面上は忠実にうなずけたのは、傍らのブレイクが手を握ってくれていたからだ。
【薄汚い裏切り者共の死体を始末しろ。そしてシエナ・カーンの死体に鞭を打て。それをヴァキュオの広間に磔にすれば、お前たちの潔白を信じよう】
「そ……そんな!?」
「……ッ、ッ、……ッ!! ……黙れ、ブレイク。命令に従うぞ」
「アダム……!?」
「アッティラ卿、ご下命承った。言われた通りにしましょう」
ブレイクの悲痛な声に、アダムが叱責を被せて封殺する。
信じられない思いで師父を見る少女だったが、彼の内心はすぐに伝わった。痛いほど強く握られる手、微かに震える肩、それらがブレイクを沈黙させる。
弟子の手を振り払い、虎のファウナスである女の死体に歩み寄ると、アダムは鞘に収めたままの刀を振りかぶった。それを振り下ろす。死体を何度も、何度も、何度も打ち据える。
一度打つ度に怒りが増幅される。仲間の死体を打つ毎に憎しみが倍加する。誇り高きリーダーの姿を思い返す度、混沌とした悲しみがアダムの脳髄を焼いた。ファウナス達はその激情を感じる。彼は、新しきリーダーは、自分達の為に泥を被ってくれているのだと。
憤怒する赤毛の青年は、やがて狂ったように笑い始めた。
「ハハ、ハハハハハ――!」
「………っ」
「アッティラ卿に叛くとは馬鹿な女だ! あの日、我らがメナジェリーで打ちのめされ、力の差を理解したのではなかったのか! 愚か者め、こんな女が俺達のリーダーであったなど、愚か過ぎて笑うしかない!」
悪鬼の形相だ。今、アダム・トーラスは復讐の鬼へと覚醒した。
その事を悟りはせずとも、不穏な変貌を目にしたブレイクは心が軋む音を聞く。
恐ろしかった。アッティラが。
憎かった。仲間を殺したアッティラが。
だが今は、尊敬している師父が、狂ってしまったように見えるのが――ひたすらに、悲しかった。
「アダム……アダムっ! もう、もうやめて!」
「ハハハハハ! ハハハハハハハハ! やめろ? やめろだと!? 馬鹿を言うなブレイク! アッティラ卿が見て――」
「彼は去ったわ! あの男は、あなたを認めて、ここから去った! だからもういいの、もうシエナを打たないであげて……」
「――――、…………そう、か。あの男は、いないのか」
いつの間に消えたのか、ブレイクも察知できなかった。我を忘れていたアダムも感じ取れていない。もしかすると、シエナの死体を打つように命じた直後には、ここから去っていたのかもしれなかった。
見るまでもない、と。アダムの内心を見透かしたかのように。
電源が落ちたように狂った哄笑を止めたアダムは、静かに辺りを見渡す。その目は――ゾッとするほど冷たく、しかし熱かった。純化した殺意が、彼の中に結実したのだ。
「……彼らの死体を、丁重に故郷へ送り返す」
アダムは淡々と言った。
「アッティラ卿は、始末せよと仰ったが、どう始末するかまでは言われなかった。だから好きにしよう。だが、シエナは晒す。裏切り者の末路を、忘れないようにな」
ホワイト・ファングのファウナス達は、うなずいた。
彼らは狂信的にアダムを仰ぐ。彼の胸の内に共感している。あの男だけは赦せない。必ず殺してやると、言葉もなく誓い合っていたのだ。
そんな彼らに、ブレイクは怖くなった。
過激なテロを行なうようになった仲間達。巨悪に呑まれ、今、復讐鬼と化した仲間達。どうしてこうなったのだろう、どうしてこうまで変わってしまうのだろう。怖くて、恐くて、ブレイクは震えた。
そんな彼女の肩を、強引にアダムが抱き寄せる。ぁ……と声を漏らしたブレイクの耳に、アダムが小さく囁いた。
「今は逃げるな」
「……え?」
「俺は奴の下を離れん。いつか奴の命を奪うまではな」
それが、アダムの本心。
決死の覚悟を固めたからこそ、彼は慈しんでいる少女の身を案じている。
「一人でも逃げられるまでに、お前を鍛え上げる。それまでは堪えろ。その後になら、逃げていい。どこまでも逃げるんだ。遠くへ――奴の手の届かない所にまで」
「ぁ……だむ、は……アダムは……?」
嘗て無い恐怖が、ブレイクを貫く。
アダムが、最後の優しさを見せている気がした。
一緒に逃げよう、と言えない。
声を震えさせて訊ねる少女に、青年は灼熱の籠もった声で応じる。
「言っただろう。奴を殺すのは、俺だ。今は下僕に甘んじよう、媚を売りもしよう。だが、ファウナスとして、男として、このままでいられるものか……! 俺の魂が叫んでいる……もっと力を、と……!」
「………っ」
――ブレイクは、この時の自分の愚鈍さを、臆病さを、一生許せなかった。
掛けてやるべき言葉が見つけられない。逃してもらえるという約束に安堵してしまった。なんて、なんて弱い。変貌したアダムの怨嗟に怯んで、口を開けなくなるなんて。
強く、なりたい。
力を欲したのではなく、心を強く持ちたい。
ブレイクは、心の底からそう渇望した。
【次に
『おっと、私の名は出さないでもらいたいな、アッティラ卿。それから、ヴァキュオでの仕事が纏まったのなら――次はミストラルに来てもらおうか』
【いいだろう】
冷たい声はくぐもっていて、やはり機械的だった。