マドンナリリーの代表と学長を兼任する事になった、ナーハフォルガー本家の当主が開校を宣言し、入学式を執り行なったのだ。これより生徒達には過酷極まる訓練と座学が課せられる。
優等である事が義務とされて、彼らの中から劣等生が出ようものなら、該当生徒には教職員によるマンツーマン・ブートキャンプが開催される。是が非でも他の生徒に遅れを取らないように、親身になって教鞭を執る先生方には頭が上がらなくなること請け合いだ。
とはいえヨナタン自身は気楽なものである。生徒の教育は教官の仕事でありヨナタンは専ら警邏に当たる事になっているのだ。建設業者や労働者同士の諍いを仲裁したり、グリムが襲来すれば撃滅するのが主な仕事で、臨時講師として週に一度は教鞭を執るが、他の教職員に比べればそこまで責任は重くない。そもそも臨時講師として働く事自体が完全に私情だ、ワイスの為に時間を割いているだけである。
入学式が終わると早速校舎に移って、今後の授業内容をあらかじめ知らせておく為の
Nアカデミーのカリキュラムは、七歳の子供には厳し過ぎるだろうが、彼らやその両親は全て納得づくで入学したはずなので泣き言は聞かない。それに今この瞬間も生徒達には給与が発生しているのだ、金をもらっている以上、子供であっても指導を受けるのは仕事である。なおさら文句を垂れる資格はない。
厳しいカリキュラムで性格が歪む生徒も出てくるだろう。こんな所に来るんじゃなかったと後悔もするかもしれない。だが、頑張れ。ヨナタンにはそう言うしかなかった。契約条項にも明記されてあるように、途中下車は認められていないのだから。
見るからに張り詰めた空気は、生徒達の緊張の表れである。教壇に立っている教官の一人、ジャックハートが過密なスケジュールを説明し、早速午後から体作りの為の訓練を始めると通告するのを見届けたヨナタンはNアカデミーを離れた。今週末に臨時講師として彼らの前に顔を出すが、それまでは通常の業務に従事する事になっているのだ。
(ワイスに関して技能と学力面での心配はしなくていい。問題は体力と――自分より劣っている同期に合わせるチームワークだね。どこまで鍛えているかによっては、今夜ゆっくり話せるだけの余力は残ってないだろう。夕方に今日のカリキュラムは終わるから、ご飯ぐらい用意してあげようかな?)
一期生である彼らに限って、寮は一人一部屋の個室を与えられる。来期以降の入学希望者も見越して、寮は大きめに造られているのだ。現状では部屋が余りすぎているので、教官達も同じ寮に住む。
ワイスの部屋にご飯を作って置いておこう。疲れ切っていても食べられて、冷めても味が余り落ちないものを。疲労困憊しているようならケアしてやるのも、再会を祝してのサービスという事にしておく。――ヨナタンはナチュラルに甘やかし度を全開にしつつ警邏に繰り出した。
警邏と言ってもあちらこちらを歩き回りはしない。マドンナリリーの中心部と、三km間隔で東西南北に設置してある塔の頂上に移動を繰り返すだけだ。というのも見晴らしの良い高所に居れば、周囲を見渡すだけで細かい所を除いて警戒できるからである。ヨナタンの超視力はスコープを必要としない。
各種ダストとダスト弾の入ったパッケージを担ぎ、愛剣と狙撃銃を装備して都市中央の塔に向かった。自前の特性である死霊術の副次作用で空を飛び、塔の内部に入る事なく頂上に降り立つ。
空を飛んだのは、炎や風を用いた物理現象に拠るものではない。死霊術だ。ヨナタンは誰にも話したことはないが、彼の身の回りには常に誰かがいる。名前も知らない誰かはヨナタンの命令に忠実で、しかもヨナタンに触れる事ができるのだ。そのお蔭で重力や物理現象に縛られない彼らに運んでもらえば、空を飛ぶ事もできるのである。単純な速度で言えば普通に走った方が速いが、やはり飛行能力は便利ではあった。
現在ヨナタンの近くにいる死霊の数は十。彼らが何者なのか聞いてみた事はあるが、彼らは黙して語らず忠義を示してくる。ヨナタンも無理に聞き出そうとは思わないので放っているのが現状だ。
「………」
あくせく働く人々を見下ろす。周辺の警邏を真面目に行なうハンターやアトラス軍の部隊を見渡した。ここから見渡せる範囲内にグリムの姿はない。
三kmがヨナタンの最大射程だが、それはあくまで武器性能の限界でしかない。肉眼の視力は十二であり、六km先の幅十五cmの切れ目まで識別できる。オーラで強化すれば更にその倍だ。幻術も無効化する透視能力を併せて駆使すれば、視認可能な範囲は最大で十二km四方である。そんなヨナタンが見渡す限りでは、今のところ敵影は確認できない。転移系の能力者や、ヨナタンの動体視力を超える超スピードの持ち主以外は、ヨナタンの目から逃れられないだろう。
それからヨナタンは、北、東、南、西の順で塔から塔へ飛んで移動し、その間に一度だけ狙撃した。二km先をアーサ型グリムの群れが徘徊しており、その内の一頭の脳天を撃ち抜いたのだ。
突然頭部が破裂し灰となった仲間に驚いて、逃散する群れを敢えて見逃してヨナタンは思う。
(グリムは畜生ながら経験に学ぶ。何度も狙撃しておけば、いずれここらへ不用意に近づかなくなるだろう。ま、所詮は畜生……危険地帯を覚えるのに何年掛かるやら……)
† † † † † † † †
なに――と。驚嘆に値する一報を耳にした女が目を見開く。
腰掛けていた椅子の肘置きに凭れ掛かり、形の良い顎に手を添えて思案する女は美しかった。
稀代の名画を生んだ筆を走らせたかの如き眉。
彫刻家が渾身の出来栄えと誇るに足る鼻梁。
冷酷な光を宿した双眸は硬質な美貌に気品を孕ませ、豊潤な大地の恵みのようでありながら、均整の取れた肢体は女という性の権化と言えよう。
冷厳な佇まいは彼女に女王の威厳を齎している。だが、女は異形であった。
腕、脚、指、目、鼻、口。全てが人間の姿を象っている。しかし致命的に彼女は異形だ。
姿が、というのもある。比喩でなく蝋の如く白い肌、赤い瞳と黒い眼球の色彩は人間、ましてやファウナスの有し得る特徴ではない。しかしそれらの外的要素よりも――その魂が。内面から伝わる波動、在り方こそが人間の形質から絶望的に外れていた。
高慢な王女。しかして愛深き女の末路である。
積年の憎悪、悠久の時、暗黒への変質が嘗て人間だった女を化生へと変貌させた。
女の名はセイラム。
グリムを生み、従わせ、復讐の悲願を追い求める者。
絶え間なく精神を苛む破壊衝動を律し、求め続ける者。
さながら童話の魔女の如き――救いようのない、救いを求めぬ者。
セイラムは熟考の末に一つの解を導き出した。それは、己にとって非常に好ましくない解だ。
「……フン。
数奇な運命だったが、遂にだ。セイラムにとって恐れていた事態でもある。
深淵狩り、オズピン。双方共に己の悲願を妨げ続けている障害にして宿敵。彼らは永き時を跨いで、一度として交われずにいたが、セイラムの策謀が動き出そうとしている現在になって邂逅した。
そうなるだろうとは思っていた。これまで彼らが巡り会えなかったの偶然ではない。セイラムが彼らの邂逅を密かに妨害し続けていたのだ。深淵狩りは何よりもグリムの駆逐を優先するという行動原理を把握し、オズピンが彼と接触しようとする度にグリムの大群を嗾けて引き離していたのである。
だが人類は発展した。強くなった。いずれはグリムを嗾けても、深淵狩りが動くまでもなく打ち倒され、時間的空隙が生じてオズピンから深淵狩りにコンタクトを取ると確信していた。
しかし、今。
計画が大きく動き出そうとしている今でなくともいいだろう、と忌々しさを覚える。セイラムの宿敵達は一代限りの突然変異などではない、どれだけの時を経ても永遠に立ち塞がり続ける者達だ。安易に取り除きに動いても無意味である。構うだけ時間と労力の無駄でもあった。
「あのぉ……セイラム様?」
「……なんだ?」
情報を持ち帰ってきた下僕が呼び掛けるのに、不機嫌さを隠しもせずセイラムは応じる。
するとあからさまに恐縮した様子の男が、不思議そうに訊ねてきた。
「今の報告が、なんで奴らの話に繋がるんです……?」
普段なら煩わしく思い剣呑に突き放す所だが、考えを纏める為にも簡単に説明してやる気になった。
「ミストラルとアトラスが新しい都市を築くのだろう? そこにあのナーハフォルガーめらが噛み、アカデミーからの後押しもあったとなればそこにオズピンがいない訳もない。深淵狩りに関しては勘だ」
「勘、ですか……?」
「人類の歴史の転換期、あるいは大きな動きがある裏に、奴らは高い頻度で潜んでいた。人類をより強く、より固く結びつけ、より効率的にグリムを討ち滅ぼす為にな。故に此度の一件にも噛んでいる」
断定だった。確信があるのだ、絶対に
「そして私の妨げがなくば、オズピンが深淵狩りに接触するのは必然だ」
根拠はない。物証もない。しかしセイラムは確信している。
こんなにも簡単な推理だが、改めて口に出した事でセイラムの思考は整理された。
どうするか、と指し手に悩む。
オズピンの嗜好は知り抜いている。恐らく誰よりも知悉していた。故に何をどうするかについて然程悩む事はない。だが深淵狩りに関しては、グリムの殲滅という指針を掴んでいる点しか分かっていない。
深淵狩りはこれまでセイラムの存在を知らなかった。だからセイラムを探し出し始末しようと動かなかったが、オズピンと結びついたのなら確実にセイラムの存在を知る事になる。となるとアレが今後どのように動き出すのか、叡智を誇るセイラムをして予想し難かった。
どうする? と、セイラムは思い悩む。自分は不老不死だからと侮りはしない。油断も、慢心もなかった。万が一直接戦闘を強いられた場合、深淵狩りに勝つ自信はある。初戦であれば九割九分勝てる。
だが駄目なのだ。奴と戦ってはならない。何故なら奴は死ぬ度に学習する。一度捕捉されてしまったが最後、奴は必ず何度でもセイラムに挑み、そしていずれ敗れるのは自分だと分析していた。
そもそも初戦の段階でもそう上手くいく保証もない。深淵狩りはオズピンとは違い秘密主義者ではなく、倒すべき敵と見定めた相手に少数精鋭で仕掛けはしないだろう。必ず大軍を引き連れてくる。腕利きのハンターと訓練された兵隊を用意し、確実に勝てる状況と条件を揃える堅実さがあった。
恐らく深淵狩りとセイラムの初戦は、奴の揃えた大軍を如何にして削り、深淵狩り本人を如何に早く討つかに掛かっている。奴は冷徹だ、未知の敵の能力を分析するために大軍を敢えて捨て石にし、ある程度の情報を暴けば精鋭のハンターをぶつけ、如かる後に自らも打って出るという戦術を取る。何人もの人間が犠牲になっても気にも留めないだろう。セイラムを倒せば戦いが終わるとなれば。
セイラムは不死だ。故に深淵狩りはセイラムを封じ込めようとする。身動きを封じ、死ねない時の中を牢獄として縛り続けるはずだ。そうなれば――詰みである。最悪の展開はそれであり、一度でも戦ってしまえばバッドエンドへのカウントダウンが始まってしまう。
どうする? とセイラムは知恵を絞る。どうするべきだ?
計画を前倒しにする……論外だ。時期が早い。逸ってしまえば綻びが生じ、その綻びが取っ掛かりとなって狡猾な宿敵に察知されてしまうだろう。では計画を変更する……これも論ずるに値しない。
深淵狩りは、セイラムの存在を知ったはずなのだ。もはや一刻の猶予もないと言っていい。
彼女は自らの置かれた立場を理解していた。自分は人間世界の隙間に存在する闇、光に照らされれば追いやられるだけなのだと。故に持てる限りの知恵をあらんかぎりに絞り抜き――
「あのぉ、セイラム様。セイラム様は、深淵狩り? でしたっけ? ソイツが気になるんですよね?」
「……そうだが、それがどうした?」
「いやね。セイラム様が思い患うのは、ソイツの事をよく知らないからでしょう? なら一度話してみると理解できるんじゃありませんかね?」
「っ……痴れ言を吐くな、戯け――!」
「ヒッ……!?」
あまりにも知恵のない発言に、セイラムは瞬間的に激昂した。
殺してやろうか、と。身を焦がす破壊衝動に身を任せようとしてしまう。
凄まじい殺気と怒気を受けた下僕が腰を抜かす。それを捻り潰してやろうと魔力を発して――
はた、と手を止めた。
「ひ、ひ、ひぃ……!」
「………」
セイラムの脳裏に予感、閃きに類する思考が奔ったのだ。それは彼女のあらゆる激情をせき止めるものであり、故にこそ彼女は怒りに任せて立ち上がったまま沈黙した。
考える。思考する。思索する。そして、不意に魔女は笑った。
「――面白い。なるほど、確かにそうだ……奴はオズピンではない……であれば、
惚れ惚れするような笑みだった。腰砕けになるほど邪悪で、甘美なる微笑であった。
深淵狩りは、グリムの絶滅を希求する。対してセイラムは、人間の絶滅を企てている――わけではない。そんな事を考えるぐらいなら、遥か昔に今の人類を導く神になろうとはしなかった。世界を征服しようとしている訳でもない。いまさらセイラムが導き、支配するまでもなく発展しているのだ。以後の繁栄に介入する意義を見い出せない。
セイラムの目的は常に一つだ。
その為にグリムを利用し、他者を操り、策謀を巡らせていたに過ぎない。もし目的を達成できるなら、セイラムはグリムが生まれる端から世界の隅に移らせ、人々を襲わないように命じてもいい。
それは――深淵狩りにとっても、悲願に近い状態ではないだろうか?
「なるほど……なるほどな。盲点だった……そうだ、そうだとも。奴はオズピンではないと私が言ったのではないか。ならば……必ずしも敵対する必要はないわけだ」
失神してしまっている下僕になど目もくれず、セイラムは一人愉快そうに笑い声を上げていた。
やがてそれは哄笑となり、彼女は動き出す。
無論閃きの一つに拘泥するつもりはなく、並行して計画を動かすが、セイラムにとって愉快な想像が描けて否が応にも期待を懐いてしまう。
その想像とは憎きオズピンが求めた信の置ける存在を、横から奪って自分の側に置く光景である。もしそれが達成できたなら、愉快過ぎて達してしまうかもしれなかった。
久しく感じなかった愉悦の中、セイラムは深淵狩りにコンタクトを取る方法について考えを巡らせるのだった。
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