“継承”のセンブランス   作:飴玉鉛

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お待たせしました。


矢のように過ぎ去る時の中

 

 

 走らされた。午後から、延々と。正確な時間なんて覚えてないけれど、ひたすら腕を振って、脚と体を前に前にと運び続けて。余裕や気品など保てず、あらん限りの力を振り絞り走った。

 

 昼食は、予想に反して美味しかった。

 軍隊食のような味気ない物ではなく、栄養と味に気を遣われたきちんとした()()だったのだ。

 ――だからこそ一口だけしか食べずにいたのである。

 食べたら、吐く。午後の耐久マラソンで絶対に吐く。

 その様なはしたない無様さを、シュニー家の者として晒す訳にはいかないのだ。同期の子達と違って、物心が付いた頃から英才教育を施されてきたワイスだからこそ食を絞る選択ができた。

 過酷な教育を経ていたから、教官達の意図が汲み取れたのである。

 結果としてワイスを除く全員が、午後の耐久マラソンで胃の中の物を根こそぎ吐瀉してしまった。

 グラウンドを囲んでマラソンを監視する教官達は、まともに息も出来ないほど疲弊した子に関しては立ち止まって休むのを許した。叱りつけはせず、しかし息が整えばすぐにマラソンを再開させた。

 彼らが鬼の形相で叱責するのは、もう走れないと愚図る子達だけだ。尻を蹴りつけて無理にでも、どんなに走るのが遅くとも時間が来るまで走り続けさせた。

 

 午後は走るだけ。何をするにも足腰の強さと体力は重要であると説き、マラソンが終わった後には浴場での入浴と、食事を徹底させた。食欲がなくなるほど疲弊しても、食べる事も訓練である、と。

 教官は生徒が二十余名しかいないのを良い事に総出で指導を行なっている。ワイスをはじめとする生徒達が吐きそうになれば、吐くなと怒鳴りつけ。無理矢理に夕食を完食させた。

 

 初日はそこまでだ。だが明日以降も午前は座学を行ない、()()()慣れるまで午後のマラソンを続けると言う。初日の時点で恐らくほぼ全員が帰りたい、こんな所にいたくないと思ったはずだ。

 だが帰れない。そんな自由はここにはない。

 十年間、卒業までみっちりと教育は続けられる。そういう契約であり、納得して入学したのは自分達とその親なのだ。いまさら契約を白紙に戻せないし、仮に逃げ出しても連れ戻されるだけだろう。

 

 まるで囚人の収容所だ。

 

 入浴と食事の()()の終わりと共に整列させられ、解散を告げられると、ワイスは寮の割り振られた個室に向かった。一度も口を開かず、誰とも話さず、よたよたとした足取りで。

 部屋に向かったのはワイスだけではない。他の生徒達もだ。大多数がワイスよりも酷い有様であり、その場で崩れ落ちて動けなくなる生徒もいた。情けないとは誰も言わないし、言えない。

 辛いとか。苦しいとか。そんなものを感じられるだけの精神的余裕もなく、彼らの中にあるのは休みたいという一念だけだった。こんなに厳しいとは思いもしなかった子達ばかりだろう。

 まだまだ遊びたい盛りであり、甘えたい盛りなのに、どうしてこんな所にいるのか早くも分からなくなっているはずだ。彼らを気遣い、配慮して、優しく手を差し伸べてやるのがワイスの理想とする姿である。しかしその理想は余りに遠い事を実感した。

 

「やあ。お邪魔してるよ、ワイス」

 

 ワイスの部屋には、先客が居た。

 木の椅子に脚を組んで座り、自前の水筒に口をつけていたヨナタンである。

 何故ここに? と驚かされたが、自室に自分以外の人がいる事に不快さを覚えはしなかった。ここが自分の部屋であるという意識が無いからというのもあるが、兄と二人きりで会えて嬉しかったのだ。

 しかし今のワイスにはあらゆる意味で余裕がない。咄嗟に応じる言葉が見つからず、ポカンとした顔で立ち尽くしてしまった。そんな彼女の様子にヨナタンは苦笑を浮かべて立ち上がると、ワイスの手を引いて自分の座っていた椅子に彼女を案内する。

 

「座りなよ。疲れてるだろう?」

「……お兄様?」

「ああ、お兄様だ。本当はご飯を用意しておくつもりだったんだけど、訓練後に食堂で食事は済ませる事になっていたのを思い出してね。特にやる事がなかったからのんびり待たせて貰ったよ」

「………」

 

 兄がいる。それにえも言えぬ多幸感を覚え胸が一杯になる。色々と言いたい事、吐き出したい事が沢山あったのに、いざヨナタンを前にすると言葉が見つからない。ポロポロと涙が溢れるばかりだ。

 そもそも体力の限界を迎えてもいる。気が抜けた瞬間に何も言えなくなり、何かをしようとも思えなくなる。疲弊した肉体が休息を欲し、幼い故に彼女を襲う睡魔は強力な勢力となっていた。

 縋りつくようにヨナタンの手を握ったワイスに、とうのヨナタンは優しく微笑んだ。

 

「なんだかワイスは、僕の前だと泣いてばかりだね」

「……そんなこと、ありませんわ」

「そうかな? ならそういう事にしておこうか。今日は疲れただろう、明日に引きずらない為にも休むといい」

「ん……」

 

 嫌々をするように首を左右に振るワイスだが、体力は底を突いている。瞼が重くて仕方がなくて、意味もなく懸命に眠気を堪えていた。

 ワイスが限界に抗う様は微笑ましいが、ヨナタンは彼女に意味のない無理はさせたくない。彼女の髪を束ねているリボン――ヨナタンが贈った物――を解いて綺麗なプラチナブロンドを下ろしてやる。

 髪を指先で梳くと、気持ち良さそうに目を細める様は、血統書付きのネコが寛いでいる様子を彷彿とさせる。目一杯甘々に甘やかしてやりたくて、リラックスするように囁きかけた。

 

「分かった。じゃあこうしよう。オーラでケアしてあげるから目を閉じて。疲れが取れたら話をしようか」

「はい……」

「良い子だ。ああ、これは別に言い訳じゃないけど、今の僕は勤務時間外だ。兄貴として妹のケアをするのは依怙贔屓にならないから、他の子達より楽をしてしまったって気に病む必要はないよ」

 

 意識が明晰なら、目を閉じてしまえば眠ってしまうと気づいていたはずだ。いや、今も気づいてはいる。しかし有り余る疲労がヨナタンの誘惑に屈してもいい理由になった。

 もし自分が寝ても起こしてくれるだろう、という甘えがある。普段肉親にも見せられない弱い自分を、ありのまま受け入れてくれる兄になら、縋っても怒られないし、呆れられないと甘えているのだ。

 ワイスに刷り込まれているのは、一般的なそれとは掛け離れた環境で育った故の依存だ。彼女という雛鳥はヨナタンを、兄というよりも父親のように感じていたのである。彼だけが無条件に自分を愛し、庇護してくれる唯一無二の家族なのだと認識していた。

 

「さあ、目を閉じたね。息をゆっくり吸って……ゆっくり吐いて。吸って、吐いて。自分のオーラと、僕のオーラにだけ意識を向けて。僕を信じて身を委ねるんだ。そう……その調子だ」

 

 ワイスの頭を手を置いたヨナタンは、自らのオーラを伝播させるとワイスのオーラに波長を合わせる。そして彼個人にはなんら使い道のない特性を発動した。小規模な疲労回復のセンブランスだ。

 回復系のオーラの波動は暖かく、ワイスは体が軽くなっていくのを感じる。だがそれ以上に迫りくる睡魔の波に彼女の意識は段々遠のいていった。

 やがて穏やかな寝息を立て始めた妹に、優しく微笑んだ兄はワイスをそっと抱き上げ、寝台に運んで丁重に横たわらせた。

 

「お休み、ワイス……良い夢を見るんだよ」

 

 前髪を掻き分けて額に口づけを落とし、その寝顔が安らかなものになるのを見届けたヨナタンは部屋を出る。彼女の心身の成長が、健やかなものになる事を心の底から願いながら――

 悩んだり悔やんだりする余裕もなく、訓練に打ち込んでいけば、やがて時間の経過と共に辛い思い出も風化していくはずだ。忘れる事が良い事とは言わないが、彼女には幸せに生きて欲しい。その道を作れるのは、ワイス自身だけなのだ。ヨナタンには幸せになる手伝いしかできない。

 

 どうか、最愛の家族が世界で一番幸福でありますように。

 重力の井戸の如き想いを胸に、往く。

 夜勤の時間だ。

 これから十年間、ヨナタンは睡眠を挟まない。不休とはいかないが、不眠のまま活動を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

 光陰矢の如し。

 ワイスが新しい生活へ慣れるのに要した時間は、実に365日である。

 1年もの歳月を経て、漸く慣れる事ができたのだ。

 

 恐らく他の生徒達もだろう。一朝一夕で体力や足腰の強靭さは身に着くものではない。少しでも訓練に慣れそうになれば教官達の扱きも苛烈さを増したのだから、中々体力的な余裕を持てなかったのだ。

 また耐久マラソンでの体力配分を覚えた段階で、スコップで穴を掘り、すぐに埋める作業を繰り返させる事で忍耐力を養うカリキュラムも追加された。それは無意味な作業で虚無感を覚えさせ、虚無に心を蝕ませないようにする心の強化訓練であり、マラソンよりもよっぽど厳し(キツ)いと涙する生徒もいたほどだ。それほどまでに壮絶なカリキュラムを積んだ生徒達は、今や技と知識を除けば一端の兵士に匹敵する精神力を身に着け、教官の指示に疑問を懐く事なく従えるようにまでなった。

 

「全ての基本は体力だ。戦闘の基本は走る事にある。スタミナ切れを起こして戦えなくなりました、なんて泣き言を敵が聞いてくれる訳がないからね。とにかく走って体力を養いなさい」

 

 臨時講師として週に一度顔を出すヨナタンもそう言った。

 歳上とはいえ歳の近い少年に扱かれるのに、反感を懐きそうな生徒もいそうなものだったが、誰もヨナタンが講師をする事に反発しなかった。というのも彼だけは耐久マラソンを強いてくる一方で、オーラを使った体のケアを施してくれるからだ。そのお蔭で大いに気と体を安らげられた生徒達は、ヨナタンを教官陣の中で最も慕った。

 ――飴と鞭である。他の教官が鞭であり、ヨナタンが飴なのだ。露骨な人気稼ぎだが、極限の疲弊地獄の中にいる者に気づける余地はない。仮に気づいても関係ないだろう。助けてくれるなら誰でも良く、自分のオーラを使って人を癒せるような人は、彼を除いてどこにもいなかったのだから。

 

 しかし訓練密度で言えば焼け石に水でしかない。彼らには娯楽施設を利用する暇はなく、マドンナリリーが見る見る内に発展する様になんらかの感動を覚える時もなく。故にこそ、一年が経過し後輩となる第二期生が入学しても、ワイスや同期達は先輩風を吹かせようとはしなかった。

 

 何せ一年間寝食を共にした、ある意味で戦友と言える彼らの事も殆ど知らなかったからだ。正確には知る必要も、知ろうと思える精神的余裕もなかったのだが、そんな事は関係ない。

 組まされた班員に劣等生が出れば連帯責任になる為、協力して勉学に当たっていくにつれて仲間としての信頼は強まっていたが、座学や体のケアに時間を宛ててばかりだった彼らは、ある程度余裕を持てるようになった今になって親睦を深めるようになっていたのである。

 ハッキリ言って、後輩に時間を割いてやる気にもならない。そんな暇があるなら同じ班員の彼ないし彼女は何が好きで、何が嫌いなのかを知ろうと思っていた。好物の食物は? 逆に嫌いな物は? 雑談に花を咲かせ、娯楽施設へ遊びに繰り出し、一年間の空白を埋めるかのように仲を深めた。と言っても彼らはこの一年で遊びというものを忘れてしまっていたので、ぎこちなく、手探りで年相応の遊びを模索する事になったのだが――そんな中でワイスが最も親しくなったのは、ノーラ・ヴァルキリーという少女であった。

 

 地味で、物静かで、どこか臆病そうなノーラ。

 

 同じA班に配属された彼女は最初、文字が読めなかった。当然座学の成績は最下位であり、もう一人のA班の班員であるライ・レンと二人掛かりで面倒を見なければならなかった。

 読み書きを教え、それができるようになると学問を教え込む。それは教官の仕事ではないか? と不満に思う事はない。彼らは彼らで多忙なのもあるが、仲間の不足を補えば成績に反映されるのだ。

 ワイスもライも、ノーラの成績が芳しくない状態であった為、A班としての平均成績を上げる為に労を惜しめる状況ではなかったのである。成績を上げる為なら仲間の世話をするぐらいなんて事はない。

 

 ……意味のない穴掘りを延々と繰り返す、拷問さながらの苦行に従事するのは御免だった。

 

 普通であれば手間を掛けさせ、負担になるノーラに対して隔意を持ち、到底仲良くなる事などなかっただろう。寧ろ足手まといだと見下して、最悪イジメにまで発展する可能性もあった。

 だがA班に限って言うならそんな心配は要らない。

 ライは生粋のお人好しで、同郷の少女であるノーラに悪意を持つ事はなく甲斐甲斐しく世話をしている。ワイスに至っては何をかいわんや――彼女は本質的に頼られる事へ喜びを見い出す気質であり、そして忙しければ忙しいほどに親友を亡くした悲しさを紛らわせられたのだ。成績にも関わるとなれば、寧ろ積極的にノーラの指導を買って出た。これはA班の問題だから、という大義名分を振りかざして。

 

 果たして同性であり、嫌な顔一つせず接してくれるワイスに、ノーラが心を開くのに長い時間は掛からなかった。

 臆病で自己主張の少なかったノーラだったが、それは本来の性格ではなかったのだろう。恐らくこれまで置かれていた環境で抑圧され、孤立していたから暗くなっていただけで、元々は明るく奔放な気質だったのではないか――と、ノーラの変化を見てきたライはそう分析した。

 

「あっ! 見て見て、レン! あっちあっち!」

 

 たったの一年で、立派な街並みが築き上げられているマドンナリリー。

 休日に出掛けた面子は、ワイスとライとノーラの三人だ。ノーラは快活な笑顔を弾けさせ、片手にクレープを持ち、はしゃぎ回りながら街にできた新しい店を見て回っていた。ライとワイスはそんなノーラに引っ張られるようにして歩いていて、ノーラの変化に微笑ましい気持ちになっている。

 あの地獄の訓練で自己の人格を抑制され、良くも悪くも年不相応に落ち着いた同期達の中で、彼女だけは逆に明るくなったのだ。体力面では随一の成績を持ち、自信が身に付いたからなのだろうが、根暗で陰気臭かった頃のノーラを知っていると今のノーラに対して頬を緩めてしまう。

 

「はいはい、そんなに騒がなくてもちゃんと見ますよ……、……っ!」

 

 中性的というより、少女的な容姿のライ少年が丁寧な語調で応じる。

 第二次性徴を迎え男性的な成長をする以前のライは、控えめに言って下手な女の子よりよほど可愛らしい。三人ともが屈指の美少女に見えるのが、栄えある第一期生のA班だ。

 私服として緑色の旗袍を着込んでいるライは、ピンクのスカートと茶色いパーカーを着たショートヘアーの少女――ノーラが指差した方向に目を向けて……硬直する。その反応にワイスは目を瞬き、釣られて同じ方向を見て目を見開いた。

 

「ねえねえ、あの人って()()()のハンターだよね!? わたし、ちょっとお礼言ってくるね! あの時は何も言えなかったし!」

 

 笑顔で言うノーラが指差していたのは――身長190cmほどの、特徴的な仮面を着けた男性狩人である。

 銃槍と盾を背負い戦闘服に身を包んだ彼は、かつてライとノーラを保護したハンター『アビスウォーカー』だ。ノーラが興奮して駆け寄っていくのに、ライもまた緊張を露わにして駆け寄っていった。

 彼らがいつどこであの狩人と知り合ったのか定かではないし、その物語を知らないが、ワイスはあの狩人を一目見た瞬間に奇妙な感覚を覚えた。まるでひどく慣れ親しんだ人物であるかのような……。

 いやまさか。自分の知るどの人とも、あの人の姿形は一致しない。気のせいだろうと思い、とりあえずライとノーラに遅れて付いていくことにする。何か失礼があってはならないと思ったのだ。

 

「あのー! すみませーん!」

「………?」

 

 ノーラが元気よく声を掛けると、シュニー社の支社であるダスト・ショップで、ダストを購入した所らしい狩人が振り返る。そして溌剌とした挨拶をしてくるノーラを見て訝しげに応じた。

 

「ハロー! えっと……そう! あなたはここがクロユリって呼ばれていた頃に、グリムが襲撃してきたのを撃退してくれたハンターだよね!?」

「ハロー、お嬢さん。その通りだが……君とどこかで会った事があるのか? すまないが全く思い出せないな」

「オゥ……なんて事だ、覚えられてなかった! レンぅ……わたしすっごく悲しい! この人に憧れて女狩人(ハントレス)になろうと思ったのに……」

()()?」

 

 あからさまに衝撃を受けた顔をするノーラが、半泣きになってライを振り返る。するとそちらに視線を向けたアビスウォーカーと目が合ったライは、ぎくしゃくとした所作で会釈をした。

 

「ど、どうも……私はライ・レンといいます。こちらはノーラ・ヴァルキリーと、それからワイス・シュニーです」

「ワイス・シュニー……」

 

 ライもまた他の同期と同じで、Nアカデミーでの日々で丁寧な物腰が染み付いてしまった口だ。慇懃な物腰でA班を紹介する彼を尻目に、アビスウォーカーはワイスを見つけて微かに驚いたようだ。

 またか、と思う。歳の離れた姉を除き、シュニー家になんら価値を見いだせなくなっていたワイスは、自分がシュニーの姓を持つ事に嫌な想いを抱えていた。シュニーの名は、ワイスを一人の少女ではなく、単なる令嬢に押し込めようとする呪いの名であるように感じ始めていたからである。シュニーの姓に対する反応にはほとほとうんざりする事件も()()()()あったばかりというのもある。

 それでもスカートの裾を掴んで恭しく一礼するワイスに、アビスウォーカーは目を細める。仮面越しの表情は、得体の知れない重力を秘めているような気がした。

 

「はじめまして。わたくしはNアカデミー二回生のワイス。この二人を入れたチームのリーダーですわ」

「……ああ、はじめまして。そこのライ・レンを見て思い出した。あの時オレが助けた子供達だったのか。あの時の印象と大分変わっていたからな、パッと見では気づけなかったよ」

 

 温厚な物腰と佇まいでアビスウォーカーがノーラに言う。すると嬉しそうにノーラが反応した。()()()()()()()()というのは、ライからの褒め言葉として最も喜ぶワードだったのだ。

 

「フフーン、なら仕方ないね! このわたし、ノーラ・ヴァルキリーは昔とは違うのだ!」

「ノーラ。嬉しいのは分かりますが、その前に言うべき事があるでしょう?」

「あ、そうだ! えーっと……」

「名乗っていなかったな。オレはルキウス・カストゥスだ。あの時はアビスウォーカーというコードネームを使っていた」

 

 アビスウォーカー改めルキウス・カストゥスの名乗りに、少年と少女は頭を下げる。

 その傍らでワイスはふとよく知る気配を感じて視線を明後日の方へ向けた。

 道路の向こう側から、ドコドコ、という独特なエンジン音を発する、一台のクルーザータイプのオンロードバイクが走ってきている。大幅な改造を加えられているらしく、車体には武器が格納できるようになっているのが遠目からでもはっきりと見て取れた。

 そのバイクに乗っている人物に、ワイスは明確に驚いてしまう。運転手が彼女の兄、ヨナタン・ナーハフォルガーだったのだ。

 

「ルキウスさん、あの時は助けてくれてありがとうございました。ずっとこうしてお礼を言いたかったので、ここでお会いできた事を嬉しく思います」

「ありがとう! ルキウスさん! わたしもいつかルキウスさんみたいに強くなるから!」

「そうか。わざわざ礼を言いに来るなんて律儀な奴らだな。だが悪い気はしない。お前たちが一人前になって、肩を並べて戦える日が来るのを楽しみにしておく――」

「――ルキウス。こんな所で道草を食っているなんて良い御身分じゃないか。グリムの団体様がお越しだよ。彼らに通行許可は降りていない、さっさとお引き取り願わないといけないから早く来るんだッ」

「おっと――」

 

 ヨナタンがブレーキを掛けて減速するも、停止はせずに追い抜いていく。すれ違いざまに声を掛けられたのはルキウスだ。またたく間に遠ざかっていく少年の姿に彼は肩を竦め、ノーラとライに言う。

 

「すまんが時間がない。ハンターとしての後追いに、何か手向けでもくれてやりたかったが……それはまたの機会にしておこう。それではな、ニュービー。また会おう」

「はい」

「まったねー! グリムなんかけちょんけちょんにぶっ飛ばして! わたしも頑張るから!」

「………」

 

 オーラを纏って走り出したルキウスは健脚で、バイク顔負けの速度で走り去っていく。

 そんな彼に手を振るノーラとライを尻目に、ワイスは何も言わずヨナタンの消えた先を見詰め続けていた。

 

「さっきのってヨナ先生だったよね? あの人も大変みたいだねー」

「そうですね。ジャックハート先生が言っていましたが、ヨナタン先生は誰よりも勤勉に働いているようです。彼の実力は、教官方全員を集めたよりも上だとか……ワイス?」

「んん? どったの、ワイス?」

「……いえ、なんでもありませんわ」

 

 ずっと同じ所を見続けるワイスに気づいた二人が怪訝そうにしていたが、ワイスは適当に誤魔化した。

 ルキウスに声を掛けて加速したヨナタンは、ちらりとワイスを一瞥したが何も言わなかった。毎日毎日、いつもワイスが寝る前に会いに来てくれる兄は、仕事の時間中は声も掛けてくれない。

 グリムが攻めてきているという。なのにマドンナリリーの静謐は守られていた。それは、多くのハンターが平和を守るために尽力しているからだ。ヨナタンもその一人であり、何も言ってくれなかったのはワイスがまだまだ守られる側であるからだろう。

 

(早く、お兄様の隣に立ちたいですわ……)

 

 強くそう思う。

 焦っても仕方がないという事は分かっていた。

 だが分かっていても求めてしまう。もっと頑張らなくては、と。

 

 開いた彼我の距離が、そのまま目標までの道のりを表している気がした。まだ遠い、まだまだ足りない。兄の隣に立って恥にならないハントレスになる日を迎えるには、もっともっと努力しないと。

 待っていて、とは言わない。

 日を追う毎に偉大さを増す兄の背中を、ワイスはずっと追い続けるだけだ――

 

 

 

 

 

 

 

 




英雄の友役のファウナス(偽)のエントリーだ!

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