「わたし……普通の女の子として生きたいんです」
マドンナリリーに連れ帰った春の乙女に望みを訊くと、彼女は儚げな微笑を溢した。
「素敵な恋をして、可愛いお洒落をして、たくさんのお友達を作りたい」
望みを聞いたのは、意思を持つ人間に対する最低限の礼儀だからだ。報酬もなしに便利使いするようでは、人が人と付き合うのに適切な関係を築ける道理はない。人に無償で奉仕する事に生き甲斐を感じるような狂人が相手でも、自らの都合の為に利用するなら対価を用意するのが筋というものだ。
「――家に帰りたい……! お父さんに会いたい、お母さんに会いたいよ!」
先に断っておくと、別に同情なんてしていない。寧ろ失望している。何せ乙女は心身に至る全てが、争いに向かない平凡で穏やかな女の子だったからだ。そんな凡人に期待できるものなどない。
「恐いのは嫌です。痛いのも嫌です。戦いたくない、武器を持ちたくない。どうしてわたしなんですか? なんでわたしが……恐い人たちに狙われなくちゃいけないんですか?」
体の性能が脆弱なのは仕方ない。だがその心まで平凡なようでは、戦を強要できはしない。
「お願いします、助けてください。助けて……」
大いなる力には、大いなる責任が伴う――だが、弁えているだろうか?
その力を持て余している者にまで、責任を果たさせようと迫るのは心得違いも甚だしい。
却って迫った側こそが無責任の咎を負うだろう。
いや、負わねばならない。
人面獣心の所業は恥じ、厳に戒めるべきだからだ。
「
背負い切れない過酷な運命に落涙する乙女に、ヨナタンは真摯に頷いた。
彼は自らのパーソナルスペースの外に関しては、最大多数の人民の味方だ。だがそれは、必ずしもマイノリティーを切り捨てる事を意味しない。必要に迫られでもしない限り、可能な範囲内で全てを救おうとする。どんなに困難に思えても、可能ならやるのだ。
何故か? 理由は明快。必要でないのなら、
――春の乙女……否、お伽噺の呼称に倣うなら春の女神と言うべきだろう。その能力の確認をした。結果、雷や強風を操る魔法の力である事が判明する。早速アルバイターとして同行してもらったレイヴンと乙女本人に話を聞くと、季節に纏わる天候操作に近しい力を行使できるようだ。
強風、天候の変化、雷撃、凍結。これらを分析するに、天候の変化は雷雲を瞬間的に招く為のもの。強風はそれに伴う副次的なもの。雷撃は春の女神の名に因んで言うなら、春雷――立春から立夏までの期間に発生する雷を操る物。気象用語『寒冷前線』の通過時に発生する界雷、及び雹が関係して雷の他に凍結……氷結能力があるのかもしれない。立春の訪れは春雷からだ。故に能力強度に序列を付けるなら、天候の変化、雷撃、強風、凍結の順になるだろう。
はっきり言ってしまうと――そんなものか、とヨナタンは思った。オーラに由来しない魔法の力、魔力は物珍しかったが、ヨナタンが思うに然程脅威にはならないと判断した。
春、夏、秋、冬の女神の力は元々オズピン――オズマの力を分けたものだという。であれば春夏秋冬の女神の力を一纏めにしたものなら脅威足り得ると断じるが、その四分の一程度の力では恐れるに値しない。ましてやその使い手の技量はヨナタンに遠く及ばないのだから尚更である。
よって、ヨナタンの興味は完全に失われた――わけではない。
「……つまり、女神は代替わりするけど、その力の相続は基本的にランダムで若い女性に宿る?」
「ええ。代替わりの条件は前任者の死……オーラ研究の進んでるアトラスの科学なら、人為的に女神の力を移せるかもしれないけど、その場合力の受け皿になる側の人格が変化しない保証はないわ」
ヨナタンの問いにレイヴンが答える。
所はマドンナリリーにあるヨナタンの館だ。
盗賊団捕縛の一報は警察に対する何者かの悪戯という事にして、レイヴンの一党には暫く大人しくしててもらい、時勢が落ち着けば彼らに戸籍と土地を与える事になっている。
一党の長レイヴンは、それまでの間ヨナタンが個人的に雇った秘書という事にしていた。
「他人の
「その通り。で、まさか本気で春の女神を家に帰してあげるつもり?」
人格の変化の原因を推測すると、レイヴンは腕を組んで肯定した。
そんな馬鹿な真似はしないだろうと思っているようだが……ヨナタンが何も言わない事でその意思を悟り、渋面を作る。
「……セイラムに女神の力を差し出すようなものよ」
彼女の目は、ヨナタンの寝室にあるベッドに腰掛ける乙女に向いていた。
乙女はレイヴンの一瞥に緊張している。彼女の事が恐いのだろう。レイヴンの指摘を受けたヨナタンは、しかし応じるでもなしに独語した。
「死が力の継承の条件、ね……」
「殺すつもり?」
「ん……ああ、そんな事はしないよ。君は僕をなんだと思ってるんだ? 安易に人命を奪う選択はしない。ただ気になった事があってね……レイヴン、君は人の死についてどう思ってる?」
「……は? 死、って……そんな哲学的な事を言われても知らないわ」
「哲学じゃなくて、生物学的な死だよ」
唐突な台詞に胡乱な表情をするレイヴンに、ヨナタンは苦笑する。彼はスクロールを操作して誰かに指示を出した。指示の内容は……塩や水、肉を50キログラムほど持ってくるように、というもの。
意図が分からずに困惑する乙女とレイヴンを尻目に、ヨナタンは人差し指を立てて考察を口にした。求められてるのは相槌かと判断したレイヴンは、自身の頭でも考えながら応じる。
「まず僕の事を話そうか。僕は深淵狩りだ、たくさんの知識と経験を持ち合わせている。これは知っているね?」
「そうらしいわね。で、それが何?」
「科学知識もそこそこ豊富だ。けど僕は世界で三本の指に入るほど精通している経験がある。僕や他二名以外は知りようのない、活かしようのない体験だ。それはなんだと思う?」
「……さあ? 分からないわ」
「だろうね。普通は想像も付かないだろう。だからレイヴンに分からなくても無理はない。稀有で貴重な経験の名は、死だ。僕は有史以来数多くの死を体験している。自分自身のね」
「――――」
「僕ほど死んだ事のある人間なんて早々いないだろう。だから具体的に知りたいし、定義したいんだ。『女神の力は死によって他者へ継承される』なら、その死とはどういうものなのかをね。例えば仮死状態でも死んだ扱いになって力は流れたりするのか、とか」
ヨナタンは乙女を見る。びくりと肩を揺らした彼女に、彼は柔らかく笑いかけた。
なんでもないように、とんでもない事を言い放つ。
「君、とりあえず死んでみない? 死から蘇生したら、生き返った時には女神の力が無くなってるかもしれない。そうなれば君は家に帰れるし、ならなくても君の家族をマドンナリリーに呼び寄せる事も出来る。普通の暮らしだってさせてあげよう。全力でね」
「わ、わたし……」
「僕を信じて、とは安易に言うべきじゃないんだろう。はじめて会ったばかりの他人を簡単には信じられないだろうし、そも『信じてくれ』っていうのは説得材料の無い愚か者の妄言だからね。けど敢えて言おうか……僕を信じて死んでくれ。蘇生はきっちりやるから」
「………」
怯える乙女に、ヨナタンはあくまで理知的に接する。
親しくもない他人に優しく諭されても納得はしない、と。意外と論理的な面があるように見えたので切り口を変えた。
「はっきり言おうか。僕にとって君の持つ女神の力は脅威であっても危険じゃない。しかも使い手である君の戦闘技能と性格は脆弱、僕にとっては赤子同然だ。抵抗は無意味で、その気になれば君を殺す事になっても手こずるとは思わない。こうして君の意志を尊重しようとしているのは、ひとえに君の選択が君の今後を決めるからでしかないんだ」
「わたしの……これから……?」
「そう。君は僕に助けてほしいと言った。僕はそれを受け入れた。話はここからで、今は『じゃあどうしようか』って相談をしているんだよ。僕が君に提示する道は2つ。1つは僕の実験に協力するか、もう1つが春の女神の力を持ったまま市井に紛れて暮らすか、だ。後者から説明すると、常に僕が君に張り付いているわけにはいかないし、マドンナリリーの警察だって万能じゃない。セイラムが巧妙に侵入して、君を攫う可能性は零じゃないね」
「…………」
「前者の場合……もし僕の実験が成功すれば、君は晴れて春の女神という呪縛から解放され、普通の女の子として生きられるようになる。失敗したら自動的に後者の選択肢に戻る。時間は有限だ、悪いけど今すぐに選ぶんだ。僕はどちらでもいい。誤解されたくないから明言しておくと、君の力を僕が欲してるだけなら、何も言わずに君を殺しているって事だけだね」
傍から聞いていたレイヴンが呆れてしまうほど、彼の物言いはあけすけもいいところだった。
だがヨナタンは本当にどうでもいいと思っているのだろう。さほど女神の力を重要視していない――いや、違う。レイヴンは雇い主の思惑を悟った。彼は女神をどうでもいいと思っているのではない。
ゾ、と背筋が凍る。
人の好さそうな顔をして。善意で話しているような口ぶりで。恐らく本心から親切を働いて。その上で、ヨナタンは自らの目的のために利用する一本道のレールに春の女神を導いていた。
今代の春の女神にとっては、現状望み得る最高の道筋で。ヨナタンにとってはどちらを選ばれても目的には適い。そして世界にとっても、春の女神は深淵狩りという保護者を得てセイラムの脅威に対抗できるから文句なし、だ。どうなっても全員が得をする。
凄まじいエゴなのに、それを阻むメリットがない。逆に阻めばデメリットばかりだ。レイヴンは理解した、これが深淵狩りという人間かと。敵対だけは絶対にしてはならないという思いを新たにした。
権謀術数とは相手を陥れるばかりが能ではないという事だ。蹴りたくても蹴れない交渉の席に座らされたが最後、ヨナタン・ナーハフォルガーの弁論から逃れられる者はいないだろう。
果たして、ただの小娘に過ぎない乙女は頷いた。
普通の女の子になれる可能性があるなら、そちらに賭けたいという想いが強かったのだ。
† † † † † † † †
えげつないと毒吐かれ、ヨナタンは心外とばかりにレイヴンを一瞥した。
「僕は僕に考えられる最善の道を提示しただけなんだけどね。それに、選んだのは彼女だ。選ばせてあげただけ親切だと思わないかい?」
目の前にはヨナタンのベッドがある。そこには、乙女が寝ていた。
ああ、いや、違う。寝ているのではない――
「物は言い様だって事が、アンタと話してるとよく分かるわ。その出鱈目さもね」
「酷いな。傷ついたよ」
「フン……」
レイヴンは鼻を鳴らし、乙女の遺体の傍らに立つ
それはこの館の使用人が持ってきた大量の塩と水、そして肉である。ヨナタンがそれを用いてブロンドの美しい少女を創り出し、その肉の器へ自らのオーラを注ぎ込むや自律稼働させたのだ。
つまり、その美少女はヨナタンである。レイヴンは知らないが、アッティラの亜種であるルキウスと同類の分身体だ。その分身体は無言で乙女の手を握ったまま沈黙している。
死の間際、ヨナタンは乙女に命じていた。その少女の顔を目に焼き付けて、想いながら眠るんだ、と。これも実験の一環なのだ。
「僕は人間だけど、過去にはファウナスだった事もある。女だった時もね。なら僕自身も女神の力を受け継げるんじゃないかな――って考えてみた」
「……ボス。アンタってもしかして、歴代の深淵狩りのセンブランスが全部使えたりする……?」
「よく気づいたね? その通りだけど他言は無用だよ。今のところそれを知ってるのは君を入れて三人だけだから」
「……了解、ボス」
隠しもせずに微笑んだヨナタンに、レイヴンは苦い顔をしてしまう。
なるほど、通りでセイラムも対決を避けるわけだ、と。センブランスの数やオーラの量で決定的な戦力になるとは言い難いが、それを扱うのが規格外の戦士なのである。しかも頭もキレると来た。
有り体に言って、敵ではなく味方として存在してもらわねば、とてもじゃないが安眠できないだろう。直接戦えば結果は分からないが、セルフ・ゾンビアタックなんかされようものなら、さしものセイラムも音を上げかねない。
――乙女は今、死んでいた。彼女はヨナタンの死霊術によって死者の想念に囚われ、魂を肉体から引き剥がされている。加えて乙女の死体に死者の魂が同化し、肉体の方も心臓を潰していた。
肉体的にも、魂的にも死んでいる。条件は満たしているはずだが、果たしてどうなるのか。興味深げに経過を見守るヨナタンの横でレイヴンは戦慄した。――乙女の遺体から、魔力が抜けるのを察知したのだ。オズピンから魔法の力を分け与えられている彼女だから気づいた。
それは名も無き美少女に流れていき、そして――
「初手から成功したみたいだね」
上手くいったと笑い、ヨナタンは女の自分の手を取ると腕を
乙女が咳き込む。息を吹き返した。その頃には、もう一人のヨナタンの肉体は
「ん……
男の身で女神の力を宿し、魔法の力を手に入れた『英雄』が、双眸から光を灯して笑う。
レイヴンも笑ってしまう。滅茶苦茶だ。だが、だからこそ確信する。
もうセイラムに怯えて、逃げる必要はないのだ、と。
ヨナタンは不意に悪戯げな笑みを浮かべ、レイヴンに振り返った。
「君の知ってることは全部聞いた。報酬は弾むよ。とりあえず今は仕事はないから、一度帰ってあげたらどうかな?」
「……帰る?」
「わからないフリはやめた方が良い。分かってるだろう?」
ヨナタンは、親切だ。
しかし裏があるんじゃないだろうかと勘ぐってしまいながらも、レイヴンは拒めない。
何故なら彼の提案は、レイヴンの中のしこりを的確に突いていたからだ。
「――
面白い、続きが気になると思っていただけたなら、感想評価よろしくお願いします。