“継承”のセンブランス   作:飴玉鉛

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悲しみを背負う男、ヨナタン。




開幕前夜

 

 

 

 

 

【氏名、ヨナタン・ナーハフォルガー。性別、男。十四歳。血液型A型。

 身長181センチメートル。体重82キログラム。

 癖のある薄いブロンド、青い眼が特徴。

 ヴェイル地区バトルトーナメント最上位記録(タイトルホルダー)保持。

 マドンナリリー在住、Nアカデミー特別講師、兼、ハンター。

 なんらかの役職を歴任している模様。詳細不明。

 恐らくいずれかの企業にてオブザーバーを務めているものと思われる。

 使用武器は自作の噴射機構内蔵型大剣『ガラティーン』

 公式に登録されているセンブランスは火と雷を生み操る『火の触媒』

 備考として、ナーハフォルガー家の人間が稀に有して生まれる痣を持ち、

 お伽噺の深淵狩りと同一視され、一族から神のように敬われている。

 戦闘記録からの戦力評価は下記の通り。要閲覧。

 ・近接格闘技能:不明。該当人物が公の場で格闘技能を披露した例、無し。

 ・近接白兵技能:特級。該当人物との戦闘記録で一合斬り結べた者、無し。

 ・中遠距離技能:特級。公の場で銃撃を外した試し、無し。

 ・センブランス:特級。操作性、火力、持続性、いずれも並外れている。

 ・オーラ量:不明。公の場でオーラ切れを起こした例、無し。

 ・総合評価:我々の中で該当人物と戦闘を成立させられる者、無し】

 

 ――それが標的のデータである。

 

 女は失笑した。

 

 何が深淵狩りだ。古い家柄の人間は時として現実と空想を混同してしまうらしいが、この一族はとびきりの阿呆だろう。現実に伝説上の英雄サマが存在するのなら、こんな世の中にはなっていまいに。

 まあいい。所詮は数いる標的の内の一つに過ぎない。これまで始末してきた旧時代の遺物のように、この輝かしい才能の持ち主にも消えてもらうだけのことだ。崇拝する首領に授けられた使命の為に。

 標的は現在ヴェイルからマドンナリリー行きの航空便に乗り込み、一時空の人となっていた。どれだけ優れた戦闘能力の持ち主も、飛行中の航空艇の中では檻に入れられた獣畜生と同じ。無力なものだ。

 あの航空艇には巧妙に偽装した時限爆弾が仕掛けてある。どんなグリムも跡形もなく吹き飛ばす威力の物だ。脆い人体を破壊するには過剰であり、例えどれほど膨大なオーラで守っていても意味はない。

 じき、あの航空艇は此の世から消え去る。幾人もの道連れと共に。標的もたくさんの乗客と共にあの世に逝くのだ、寂しくはないだろう。女は皮肉げに笑いながらその時を待ちわびた。そして――

 

「………?」

 

 ――航空艇は、爆散しなかった。

 設定していた時間は過ぎている。にも関わらず、航空艇には何事もない。

 これはどうした事か。まさか時限爆弾が動作不良を起こした? いや、そんな間抜けな話はない。なら……航空艇の床下に隠し、機体の一部のように偽装していた爆弾が発見され無力化されたとでも?

 だが発見していたなら騒ぎになっていたはずだ。通信も傍受していたが特に何事もない様子だった。だとすれば、なぜ起爆しない。女は舌打ちして結論づけるしかなかった。

 

 どうやらあの、空前絶後のジーニアス・ボーイが何かをした――らしい。その()()というのが見当も付かないのが問題だが、ともかくそうとしか考えられないし、考えるべきでもない。

 

(……気づかれた?)

 

 暗殺。これは一人につき、一度限りの奇襲でなければならない。

 女はプロフェッショナルだった。故に標的に気づかれた可能性に思い至ると撤退を選ぶ。プロフェッショナルではあるが、プロであるからこそ専門としている事柄以外には手を出さない。

 女は標的を爆殺するのが専門……というより爆発物全般を取り扱う専門技能者だ。である以上、女は内心の悔しさと屈辱はよそに潔く失敗を認めた。女の担当する仕事は、入念な調査と潜入技能、緻密な計画と厳密なる計算が必要なのだ。一朝一夕の準備で事は成らず、場当たり的に行動するのはナンセンス極まる。

 

 だが――仕事そのものを投げ出す気はない。

 女は自分の妹にスクロールで連絡する。失敗した、この一言で血を分けた妹は舌打ちした。

 

 姉がしくじるような手合いは、えてして凄まじいまでの危機察知能力と、危機を脱する能力に長けている。しかも航空艇が爆破されたというニュース速報も流れてこない事から、標的だけが航空艇から逃れたのではなく爆弾そのものを無力化したのだと悟った。

 姉の爆弾は、巧妙に偽装されている。その道のプロが見ても判別は困難なほどに。妹である若い女は標的の評価を更新した。爆発物を解除する知識と、プロですら発見するのが難しい隠された爆弾を見つけ出す観察力があり、なおかつ敢えて騒ぎにしていない事から自分を狙った犯行であるとも見抜いている。他人に無駄な不安を与えたくないのだろう、空港に着いたらすぐに人の居ない地点に逃れるつもりかもしれない。

 

 そうであるなら、暗殺の二の矢を放つ最適のタイミングは空港に着いた直後だ。

 

 人を巻き込みたくないなら、周囲に他人が多くいる時を狙う。一度防いだのだ、緊張や警戒はしていても、続け様に仕掛けてくると思わないはず。その思考の隙を突く。女はただちに移動を開始した。

 と言っても、最初から配置に着ける場所に待機していた。

 ポジショニングは完璧、隠れ潜む技術も一流、その道に適した透明化のセンブランスも持ち合わせている。姉からの連絡が入ってより数時間、女は息を殺してその時が来るのを待った。

 

 やがて待望の時が来る。航空艇が着陸し、ハッチが開いた。乗客が次々と降りていく。それを見ることなく素早く、しかし静かに動き出す。取り出したのは狙撃銃――静音性と貫通力が凄まじい、アトラス製の最新タイプだ。スコープを覗き込み標的を視認する。今、出てきたのが標的だ。

 壮麗なる少年だった。

 異様な“気”を宿した青い眼光は鋭く、癖のあるブロンドをウルフカットにしている。顔立ちは少年の身である事が信じられないほどに強壮で、その佇まいは傑出した戦士の風格を滲ませていた。

 纏った黒のライダースーツの下には、ワイヤーの如き強靭な筋肉が編み込まれ、見掛けよりも遥かに体重があるのが視覚情報からでも伝わってくる。ライダースーツの上には赤いトレンチコートを羽織り、ギターケースに似た重厚な荷物を背負っているが――あのケースの中に『ガラティーン』という大剣が納められているのだろう。油断なく辺りを見渡した後に歩き出した標的を見て、女は無意識の内に生唾を呑み込んだ。

 

(な……んだ、アレは……?)

 

 見ただけで、気圧される。

 はっきりと確信した。手を出せば死ぬ――と。

 カタカタと鳴っているのが己の歯である事に気づいた女は愕然とした。

 怯えている、恐怖している、ただ標的の姿を確認しただけで。

 

 だが――悲劇だ。女はプロだったのだ。

 

 己を襲うあらゆる感情と、指を切り離して動けてしまう狙撃の名人であり、崇拝するボスに託された仕事を投げ出さない生真面目な女でもあった。故に、その結末は必然だったのだろう。

 合理的かつ現実的な計算に基づき、回避・防御が不能なタイミングで始動。

 管制塔の頂上にうつ伏せになり、標的に定めた狙いをそのまま、必中の魔弾を発射する。

 あ、と漏らした声は、自らの体が無意識に仕事を為した事に対してのもの。やってしまったという後悔、なんとかなるという楽観を叱りつけ即座に離脱しようと動き出す体。狙撃銃を仕舞い透明化のセンブランスを発動したまま立ち上がって離脱しようとする。

 

 その間も、ずっと女の目は標的を見ていた。目が離せなかったのだ。だから――絶望した。

 

 必中のタイミングだった。

 標的は狙われている事も知らず、そのこめかみから侵入した魔弾に脳髄をかき回され、即死して脳漿をぶちまけるはずだった。だのに標的は――死角から飛来した弾丸を、見もせずに掴んだ。

 無造作に。片手を上げて。ひょいっ、という擬音が聞こえてきそうなほど、あっさりと。弾丸の有していた運動エネルギーによってか、微かに体が揺れたが……影響はそれだけだ。

 そして。

 

 標的が、女を見た。

 

「…………!!」

 

 声を上げなかったのは、己が透明であるからだ。声を上げれば居場所がバレてしまう。

 そう思った。だが、間違いだった。

 標的――ヨナタンは狙撃のタイミング、銃弾の口径、銃弾が飛来した方角を瞬時に把握するや、狙撃の威力から狙撃手との距離を導き出し、位置を正確に把握していたのである。そちらを見ても姿を確認できなかった時点で、ヨナタンの膨大な経験値が導き出した答えは『不可視の敵がいる』という正答。

 ガコンッ! とケースが重厚な音を立て開かれる。そしてそこから取り出されたのは噴射機構内蔵型大剣ガラティーンだ。薄い橙色の刀身は特殊金属製であり、両刃の刀身の中心に割れ目がある。柄はアクセル状になっており、ハンドガードのようなレバーも付いていた。

 冗談のような重量感。それを――ヨナタンはまたも無造作に投げ放つ。いや無造作なのではない……()()()()()()()()()なのだ。果たして我武者羅にその場から離脱しようと背を向けていた透明な女の背中、その中心からやや下の部分に大剣が突き刺さり、女の身体を管制塔に縫い止めた。

 

(ばか、な……!?)

 

 悲鳴すら押し殺しての、断末魔じみた現実逃避。

 ここからどれだけ距離が離れていると思っている……? 五百メートルだ。位置の高低差もある。これだけの重量物を投じていながら届かせるのも有り得ないが、それが殺傷力を保っていた事も有り得ない。

 横目に見えた大剣の軌跡は放物線を描かず、文字通り一直線に向かってきた――透明で見えない狙撃手に対して。

 ふざけている。なんだそれは。女は暴れた。とにかくこの剣を抜かねばならい、逃げねばならない、死にたくない――とっくに致命傷であるのは悟っていても、死の縁に立った生き物は生き足掻く。

 

 だが。

 

「やあ。今日だけで二回目だね」

「ぁ……?」

「サプライズのつもりなら、僕の神経を見事逆撫でにしている。一回目の爆弾の件で、僕はともかく無関係な市民を巻き込もうとしたのはよろしくない。そうは思わないかな」

 

 遠く離れた所にいたはずの、標的の物らしき声が()()()()()()()

 唖然とした。愕然とした。今、気づいた。――すぐ後ろに人の気配がする。

 自らを串刺しにし、管制塔に縫い付けている大剣の柄の上に立っている。

 

「どぅ……ゃって……?」

 

 透明化が切れる。オーラが尽きたのだ。

 

「うん? 『どうやって此処まで来た』って?」

 

 有り得ない。有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!

 化け物。この標的は、化け物だ。

 女は恐怖と絶望に震える。迫る死の瞬間に怯える。

 

「【引き寄せ(アポート)】だよ」

「………?」

「センブランスだ。面白い特性でね、マーキングした物品を引き寄せる事ができるんだけど、対象が固定されていると僕の方が引き寄せられてしまう。投擲したガラティーンにマーキングして、管制塔に突き刺し固定していたから僕が引き寄せられた。だから此処にいるわけだ。理解できたかい?」

 

 センブランス。……センブランスだって?

 なんだそれは。標的の特性は【火の触媒】だったはずだろう。公式映像にも残っている。なのにその言い様……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その反応……まるで今はじめて知った、みたいな感じだ。古い情報を掴まされていたみたいだね。僕が複数のセンブランスを使うことは、それなりに知られ始めた情報のはずなんだけど」

「………?」

「さては君、捨て駒か。アッティラも酷な真似をする……」

 

 捨て駒と言われた事よりも。女は、標的が敬愛するボスの名を口にした事に驚愕した。

 

「マドンナリリーに侵入できていたのに情報を集められていなかった事……透明化するセンブランスの持ち主である事……スパイとして定住していた訳ではなく、当日になってやって来た口か。それなら僕の事を知らない理由にも説明がつく。差し詰め君は……」

 

 アッティラからの合図かな? とは口には出さなかった。

 女が吐血して、苦鳴を漏らしたからだ。

 

「が……ぐ、ぅ……っ」

「もういい。下手に苦しめて悪かった。苦しまずに逝かせて上げるから、来世では善人として生まれて善人として生きると良い。きっと今よりは、正直者が馬鹿を見る場面は少なくなってるはずだからね」

 

 言ってヨナタンは大剣の柄から飛び降り、女の身体から大剣を引き抜いた。

 引き抜き様にアクセルを廻し、レバーを握り込んで内蔵していたダストを燃焼させる。噴射機構からバイクのエンジン音の如き轟音が鳴り、壁面の欠片と血飛沫が散った。

 女に苦痛はなかった。それを感じるよりも先に、大剣が帯びた超高熱で全身を発火され即死したからだ。瞬く間に灰となって飛び散った女の名残を払い、ヨナタンは嘆息する。心底、憂鬱そうに。吐き捨てた独り言はらしくなく苛立たしげだ。

 

「よりによって『女』を差し向けてくるなんてな。やってくれる……」

 

 愚痴はそれだけ。敵とはいえ人間を殺した事に罪悪感はない。

 彼女の反応を見る為に即死させなかった事以外では、寸毫たりとも悪いとは思っていなかった。

 ただただ腹の底から湧いてくる雄の獣性を押し殺し、ヨナタンは思考する。

 

(航空艇に仕掛けられた爆弾。空港について航空艇から降りた途端に受けた狙撃。二段構えの襲撃。襲撃者は二人以上のチーム、あるいはコンビ。こうして片割れを僕に始末させた意図は……僕が僕を襲うんだったら、最初は捨て駒をぶつけ、残った片割れにやる気を漲らせる布石にする。もしそうならアッティラは僕にチームをぶつけて来ないな。返り討ちにされるのが目に見えている所で、優秀な人員を無駄に削りたくはなかっただろうからね。暗殺者は二人組のコンビで、二人は血縁者か恋人同士、親密な友人関係にあったと見るべきだ。残ったのが爆弾を使った側だから、次からはもっと厄介な使い方をしてくるだろう)

 

 どうせなら狙撃手の方を残したかった。爆弾は、面倒である。仕掛けた人間を探し出すのはなかなか骨が折れる作業だからだ。しかも身内の仇ともなればやる気も段違いになっているだろう。

 楽しませてくれる、なんて馬鹿みたいな事は思わない。面倒な駆け引きは御免だ。相手が他人ならともかく、何が悲しくて自分の分身と知恵比べをしなくてはならない。そんな無駄な労力は――無駄?

 

(――アッティラに感情はない。なのに、無駄なことをしたのか?)

 

 ヨナタンの脳裏に、閃くものがある。センブランスではなく、純然たる知能が叩き出した答えだ。

 

(無駄が()()()()()()()()()……つまり、()()()()()()わけか)

 

 唐突に行動パターンを転換したという事は、なんらかの意図があったという事。

 思い返せば直前に殺めた女は不可解だった。女はプロだったにも関わらず、死に瀕していながら疑問をぶつけて来たのだ。暗殺のプロなら尋問されて情報を漏らすリスクを消す為に自害する筈なのに。

 あの遣り取りの真意がこちらの情報を得る為のものだったとしたら……? 跡形もなく灰燼に帰してしまったため証拠は無い。無いが、恐らくスクロールを通話状態で隠し持っていた。そしてあの遣り取りを聞かれていたとすれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ではその相手は誰か。こんな迂遠な遣り方をアッティラがした以上、答えは明白である。元々想定していたのだから。

 

(裏で名の知れた悪党には、必ず食い付いてくると踏んでいたけど……まさかこのタイミングで接触してくるとはね――()()()()

 

 ヨナタンは下を見下ろした。

 管制塔の窓から顔を出し、声を掛けてくる空港の職員に肩を竦めて見せる。そこからは死角だ、狙撃手が殺された現場は見えていまい。航空艇の乗客の目も、大剣の放った爆光で眩んでいただろう。

 まさか犯人が殺されているとは思っていない証拠として、乗客達は派手なアクションを見せたヨナタンに向けて歓声を上げている。ヨナタンは片手を上げて応えてやりながら空港の職員を見下ろして言った。

 航空艇を爆破しようとして、更には乗客の誰かを狙っていた狙撃手を現行犯逮捕した――そう放送するようにと。職員が従ったのを見て、ヨナタンはその場を後にする。ヨナタンが直々に犯人を連行した事にし、適当な身代わりを用意して、適当なタイミングで脱走されて行方知れずになった事にしよう。

 

(――軽率だった。意図の読めない襲撃だったから、反応を見る為に会話しながら探りを入れてみたけど……アッティラの名を出してしまったのは失言だった。けどまあ……誤魔化せる範囲か)

 

 アッティラの方で勝手に誤魔化すだろう。ヨナタンがオズピンに対して働いた欺瞞のように、既に交戦経験があるとでも言うかもしれない。いや、言うはずだ。ヨナタンと思考回路は同じなのだから。

 

 面倒な手続きが待っている。犯人役はニオに頼もうと思った。彼女なら変装も容易いからだ。ニオの姿を思い浮かべ露骨に溜息を吐く。近頃めっきり、異性に自分からは近づいていなかったからである。

 性欲を持て余すからだ。ヨナタンはひどく憂鬱であった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 ひりついた緊張感には、驚嘆と畏怖といった成分が含まれていた。

 映し出されていた映像は狙撃された少年――尤も『少年』と称するには余りに『戦士』然としていた――が、死角から迫った銃弾を見もせずに掴み、大剣をケースから取り出すや投擲して、凄まじい勢いで飛来した大剣が映像の送り主に突き刺さるところだった。

 手がブレた、そう思った一秒後に着弾したのである。

 当事者でないにも関わらず、その決定的瞬間を理解するのに更に三秒を要して、その頃には標的となった戦士が接近を終えていた。大剣の柄の上に立つ死神が、平素な語調で探りを入れてくるのも聞こえた。

 やがてスクロールごと燃やし尽くされた事で映像は途切れる。だが場に落ちた沈黙の重さは変わらず、やっとの事で口を開いた女の声は戦慄に震えているようだった。

 

「あれが――深淵狩り」

 

 自分ならどうなっていた?

 分かりきっている。正面からやり合えば、暗殺者など敵ではない。しかし、不意の所を狙撃されたら、何も出来ないまま死んでいただろう。もし奇跡的な偶然に命を救われたとしても、暗殺者を取り逃がしてその脅威を除けないまま日々を過ごす羽目になったはずだ。

 いやそもそも航空艇に潜まされていた時限爆弾で死んでいた。狙撃手の待ち構えている地点にも辿り着けない。黒髪の女は慄然としたままシミュレーションするが、死の一文字を前に唇を噛むしかない。

 

【そうだ。所詮は小僧と侮ったままならば、貴様も同じ轍を踏んでいたな】

 

 硬い印象のオフィス、遮光カーテンに囲まれた空間。

 漆黒の鉄人形の如き偉丈夫が、色のない冷徹な声音で言った。

 

 テュルク・アッティラだ。

 

 ヴァキュオ王国を形骸化させ、実質的に支配するに及んだ巨悪。王国の名を冠していながら王を戴かず、議会を設置している四王国の一つを手中に収め、実質的な王となった悪のカリスマこそが彼。

 その手腕は単純な武力のみには拠らず、悪も正義も従わせる統率力、知略を併せ持つ傑物だ。力を信奉する女、シンダー・フォールをして畏敬の念を懐いてしまう闇の英雄である。

 

 シンダーは自らの主人であるセイラムの使者としてアッティラに接触し、その類稀な武力と叡智を知った。故に彼の力を認めているのだ。アッティラはセイラムに服従していない。ただの協力者としてしか、恐るべき魔女を見ていない。それを赦されるだけの力が彼にはある。

 正確には赦さざるを得ないのだが。

 セイラムが直々に出向けばアッティラは敗れるだろう。だが慎重で狡猾なセイラムが本拠地から出張る事はない。そしてセイラムの部下にアッティラを掣肘できるだけの実力者もいなかった。故にこそ協力者として遇する他にない。セイラムに次ぐ圧倒的な力の持ち主であるアッティラに、力を信奉するが故にシンダーは敬意を懐いていた。そのアッティラが油断のならぬ怪物として名を挙げたのが深淵狩り。ヨナタン・ナーハフォルガーである。

 

 所詮小僧ではないかと侮るシンダーに、では彼奴の危険性を見せてやろうと言ったのが事の始まりだ。果たしてヨナタン・ナーハフォルガーの力の一端を見せつけられたシンダーは、しかし疑念を口にした。

 

「……奴は貴方の名を口にしていましたが、既に交戦経験がお有りに?」

【ああ。伝説上の英雄とやらが真実、伝説の通りの力を持つか試すためにな。看板だけは立派な雑魚であれば血祭りにあげ、オレの力を示す材料にしていたところだが――伝説に偽りはなかった】

「……勝ったのですか?」

【引き分けた】

 

 端的に言ったアッティラだが、シンダーの受けた衝撃は大きかった。

 使者としてカオスに来訪したシンダーは、当初アッティラの力を図りかねて腕試しを申し出た。

 形式としては胸を借りるだけのものだったが、故あれば倒してしまい、主人セイラムに自分の価値を示そうと考えていたのだ。なんとなればアッティラに対しても優位に立ってやろうとも。

 だがシンダーはアッティラに敗れた。

 赤子の手をひねるようにあしらわれ、以来シンダーはアッティラの力を認め心服している面があったのである。恐らくセイラムを除いた何者にもアッティラが敗れる事はない。魔法や四女神の力を伝聞とはいえ知っているが、その四女神ですらアッティラに敵う事はないとまで予感していた。

 そのアッティラが――引き分けた?

 深淵狩りの脅威を漸く実感として理解したシンダーは、顔を引き締める。

 

「今……セイラム様が脅威として見做す所以を理解しました。私ではとてもではありませんが太刀打ちできないでしょう。……アッティラ卿は勝てますか、深淵狩りに?」

【互いに全力では無かった。故に断言はできん。が、彼我の戦力にさしたる差は無いように感じた】

 

 そう言うアッティラに、シンダーは思う。

 げに恐るべきは、セイラムすら敬遠する伝説上の英雄と互角に戦えるというアッティラだ。

 伝説やお伽噺に由来しない英雄とは、このような男の事を言うのだとすら思い感銘を受ける。

 

【オレの方から仕掛けておきながら退いたのは、互いの力に差は無くとも、戦場となったのが奴のホームグラウンドだったからだ。奴は間違いなくオレの障害になる……無論セイラムにとってもな。これ以上奴の力が高まる前に手を打ち、除かねばならんだろう。そのための計画も立てた】

「計画? それに奴の力とは? まさか……更に奴は強くなると……?」

【戦闘能力の話ではない。深淵狩りの実力が伝承の通りなら、奴の力そのものは既に頭打ちだろう。オレが言っているのは、奴が世界に対して有する影響力の話だ】

 

 指先で遮光カーテンに隙間を作り、外の様子を眺めていたのだろう。背を向けて立ったまま佇んでいたアッティラが、漆黒のマントを翻してシンダーへと振り返る。

 その赤い眼光に見据えられた女は背筋を正した。

 彼の言う計画を拝聴する構えだ。シンダーは野心的な人物だが、現状で格上と認めた相手には心から敬意を抱ける性格だった。その上でいずれは超えてみせるという気概にも富んでいる。

 セイラムの元から離れて行動している今、彼女が最上の敬意を向けるのはこの巨悪だ。

 

「影響力ですか」

【オレは大義を掲げ、カオスを立ち上げた。故に世界の在り方を掴んでいる】

「ええ。私も、アッティラ卿の掲げる理想には共感しております」

【おべっかはいい】

「おべっかなど申しておりません」

【……ともあれ、世界を見詰めていると分かる事がある。今、世界は急激にその在り様を変えようとしているのだ。オレの手に拠らぬところでな】

 

 アッティラはそこまで言って、シンダーの理解を待つ。

 彼女が頷くと、巨悪は語った。

 

【深淵狩りによってだ。奴はマドンナリリーを作り、新たな秩序を生み出そうとしている。オレにとってそれは邪魔なものになるだろう。奴は人を制する仕組みを生み、やがてはオレとは違う形の王になりかねん】

「……深淵狩り当人の力に、集合知と勢力の武が加わる。それを避けなければ我々の目的は達成できないのですね?」

【如何にも。オレの目的と、セイラムの目的は別だろうが、邪魔になる事は間違いあるまい。故に奴には死んでもらわねばならん。その為にマドンナリリーを襲う。オレ抜きでな】

 

 シンダーは眉を顰めた。

 彼の言が正しければ、深淵狩りに対抗ないし打倒できる存在はアッティラを置いて他にない。なのにそのアッティラを抜きで攻めかかるのは、まるで負けに行くようなものではないか。

 そんな疑問に、闇の英傑は頷く。

 

【そうだ。負けていい。敢えて敗れ、オレの所在地を捕虜となった者に報させる。そしてオレの待ち構えるミストラルに奴を誘引し――奴をホームグラウンドであるマドンナリリーから引き離した上で、ミストラルを戦場にしてやる。その時は全力で戦おう。オレと奴が全力で戦えば、戦場には破壊が撒き散らされるだろう……そうなればミストラルも深刻な損害を被り、人心は乱れる。仮にその場で決着を付けられずとも、ミストラルにカオスをより深く浸透させる切っ掛けは掴める。それがオレの作戦だ】

「なる……ほど……」

 

 シンダーは驚嘆し、彼の策略の一端を聞けた事に高揚する。

 どう転んでもアッティラの計画は上手く行くだろう。アッティラさえ無事ならば。

 

【シンダー。貴様もマドンナリリー襲撃に加わるか?】

「それは……私に深淵狩りの力を直に見る機会を与えるという事ですか?」

【その通り。直接貴様が戦う必要はない。どれほどの敵か見ておいて損はないだろう。セイラムも深淵狩りの戦闘力を把握できると思えば拒みはしまい。どうだ、行ってみる気があるなら融通しよう】

「……分かりました。ご厚意に感謝しましょう、アッティラ卿。我が主の意向を確かめたく思いますので、今日の所はひとまず失礼させていただきます」

 

 頭を下げ、シンダーはアッティラのアジトを辞去する。

 まだ二十歳そこそこの若い女の背中を見送ったアッティラは、機械的に計画を修正した。

 ――己の本体が想定していた通り、セイラムが己に接触して来た。

 下手な動きは見せず、忠実ではなくとも協力的な存在として、セイラムに接近する……それこそがもう一つの使命だ。アッティラの血の通わぬ精緻な頭脳が状況を演算する。セイラムの居場所を掴む為に。

 

 それにしても……と、アッティラは不意に思った。

 

(オレの名を口走るとは……本体にしては迂闊だな。何かあったのか? この微妙なズレは好ましくない。今は何を置いても、このズレの正体をはっきりさせておかねばな……)

 

 アッティラは慎重だった。

 故に、些細な違和感にも気を払う。

 計算が狂う可能性のある要素は唾棄すべきだからだ。

 

 後日、本体から『性欲を持て余す』という愚痴を受け取ったアッティラは、感情がないはずなのに呆れ返る事になるのだが、それはまた別の話だろう。意識が散漫になっている事だけを彼は了解した。

 さっさと女の一人や二人、情婦として抱えればいいだろうに。本体はそれが出来る人間のはずだ。

 それをしない時点で――考えるだけ無駄な葛藤があるのだろう。

 

 アッティラはそれっきり、本体の事情に関心を失った。

 

 

 

 

 

 




感想いっぱい待ってるんだからね!

ヨナのパートナーは誰?選ばれなかった娘は…。

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