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瓦礫の山と、焼け野原。嘗て人が住んでいたとは思えない灼け爛れた空気。自然環境の崩壊したヴァキュオの砂漠がマシに見えるほど、生けとし生きるものが死に絶えている。
見れば地面のそこかしこには人の影だけが残っている。肉体は蒸発したのに影だけが残る様は煉獄を地上に描いたかのようで、死霊術を己が力の根幹とするヨナタンは眉を顰めた。
マントルは亡霊の街と化している。怨念は、無い。
それが寧ろ悲劇だった。地上に犇めく亡霊は、ほぼ全てが己が死んだ事にすら気づいていないのだ。地面に横たわる亡霊は就寝したまま焼かれ、街を歩いていた亡霊は夜勤を終えて帰路についていたのだと思う。逢瀬を楽しんでいた者、同僚と酒盛りしていた者達――数え切れない日常の残影がそこにあった。
必要な犠牲だったと割り切れてしまう自分の精神にこそ、ヨナタンは静かな衝撃を受ける。
自らの行動の結果、広げられた地獄絵図。罪悪感に押し潰されて然るべきなのに、些少な罪の意識があるだけで全く堪えていない。自覚はしていたつもりだが、ヨナタンはこの時こそ真に痛感した。
どれほど人間ぶっても、己は所詮、非人間なのだ。
深淵狩りだから。精神強度が高いから。そんなものはなんの言い訳にもならない。根本的に赤の他人への共感性が欠如している。身内にだって執着心はあるが、果たしてそれはまともなものなのか。
と、そんな具合に悩むふりをする己の滑稽さに、ささやかな失望を覚えるぐらいで――ヨナタンは無駄な思考の一切を切り捨てる事にした。こんなふうに悩む素振りを見せて死んだ人が蘇るわけでも、慰めになるわけでもない。自分に酔う気色の悪さを見せたくもない。ヨナタンの精神はマントル市民の犠牲をやむを得ないものとして計上した。
「――久し振りだな、ヨナタン君。大きくなった……いや。
アトラス軍の飛空艇に厳重な警護を受け、エアシップがドックに誘導されて着桟し、船から降りたヨナタンを出迎えたのはアトラスの将軍ジェームズ・アイアンウッドだった。
言われてみれば確かに久し振りだ。幼少期に会って以来だから、十年近く彼を見ていなかった。彼が握手を求めてくるのに対し、背丈が同程度にまで育ったヨナタンは微笑を湛えて応じる。
「ええ、久し振りですね。閣下も些か窶れましたか。腐敗した議会の俗物と付き合うのはストレスなようだ」
「ハハハハ! これは痛い所を突かれた。……君の方が私よりも歳上で、偉大な英雄だろう。そうまで腰を低くしないで接してもらいたいものだ」
「そんなわけにはいかないでしょう。私が何者であれ、私は市井に住まう一市民に過ぎず、閣下は将軍としての職責を負っている身です。立場が違うのに対等な口を利くものではありませんよ」
幾つかのエアシップがドックで整備を受けている。整備員や船員が行き交って、喧騒に包まれているのを背景にそう言うと、アイアンウッドはバツが悪そうに苦笑した。
ヨナタンの議会批判とも取れる……否、罵倒そのものな皮肉は聞き流したようだ。アイアンウッドにも思う所はあるらしい。本来ヨナタンの皮肉は失言以外の何物でもないが、それは聞き手によって受け取られ方が違う物言いでもある。アイアンウッドが受けた印象は、恐らくヨナタンに対する期待だろう。もしも
聞き流すだろうと思っていた。そして、聞き流したなら判断のつくものがある。ヨナタンはこの瞬間にもアイアンウッドを分析し、解析している最中だ。彼という人物像を把握し直す。
「……耳に痛いな。であれば私も倣うとしよう。私は軍人だが市民に居丈高に接するのが正しいと信じている訳ではない。招いた客人に対して礼を尽くさないのではアトラス軍人の名折れだ」
言って、背筋を伸ばして敬礼をしたアイアンウッドに微笑を深める。
ヨナタンの背後には、MLで実際にヨナタンが指示して放射能などの副次作用を取り除いた対策チームの面々だ。傍らにはニオがいて、ヨナタンの秘書という立場に就いている。
ニオを除いた対策チームは将軍からの最敬礼に虚を突かれ、恐縮したようであった。
「――よく来てくださいましたな、MLの方々。我が国に落とされた原子爆弾なる非人道的な兵器、その置土産を排除する為の手段、技術の全てを学ばせていただく。相応の対価は支払いましょう」
「よろしくお願いします。では私の連れてきた対策チームをそちらに貸し出しましょう」
「助かります。それにしても――」
ヨナタンが手振りで対策チームの班長に、アトラス軍人の先導に従うよう指示すると、彼らは粛々とヨナタンの傍から離れていく。それを横目にして、その場に残ったヨナタン達に言うでもなく、アイアンウッドは心底忌々しげに顔をしかめた。
「――原子爆弾。あれは悪魔の兵器だ。存在してはならない」
早くも丁寧な口ぶりをかなぐり捨てたのは、公人としての対応は不要という意思表示である。それに倣ってヨナタンも肩から力を抜く。アイアンウッドはいっそ憎しみすら募らせているようだった。
「そしてあんなものを我が国に撃ち込んだテュルク・アッティラ……奴だけはなんとしても始末しなければならん。奴は世界の敵だ……ッ! アッティラやカオスを野放しにすれば、いつ原子爆弾が降ってくるか市民は不安に駆られ、安心して日々の営みを送れはしないだろう……!」
咆哮に近い怒声――建前に本音を混ぜるのが上手いなと思った。
将軍はこう言っているが、彼はもし原子爆弾の製造法を知れば躊躇なく作り出すだろう。兵器としての評価と私情を混同するような男ではないのだ。アイアンウッドは喉から手が出るほどアレを欲している。
その事を察していても指摘はしない。ヨナタンはアレを世間に広めさせる気はなかった。代わりに開示するのは極秘情報だ。無表情で佇むニオを一瞥し、それから周りの耳を気にする素振りをする。
「ここでは人の耳目が多い。閣下、ひとまず場所を変えましょう」
「――分かった」
ドックから離れる。アイアンウッドも何事かを察して先導を始める。
道すがら雑談のつもりなのか、彼はふと呟くように言った。
「……ヨナタン君のご両親はご健勝かな?」
「お蔭様ですこぶる健康ですよ。二年前に弟が生まれたと聞いた時は耳を疑いました」
そう、ヨナタンには弟が生まれていた。12歳年下の弟である。両親の仲睦まじさを思えば、今まで生まれてこなかった事の方が驚きであったが、ヨナタンにとっても可愛い弟だ。
頻繁に会えるわけではないし、この数年は忙しかったこともあり直接は会えていないから、幼い弟は己に兄がいるとは思っていまい。残念だが仲良くなる機会が訪れる事はないかもしれなかった。
「そうか……家庭の円満は尊いものだ。我々はそれを守らねばならない」
「閣下もそろそろ身を固めても良いのでは?」
「私にその気はない。私のような男に家庭を持つ資格はないだろう」
「資格云々は関係ないでしょう。甲斐性の有無と愛情の深度の問題です」
言いながら見たのは彼の副官らしき女性――ワイスの姉であるウィンター・シュニーだ。ヨナタンとアイアンウッドが並んで歩き、その後ろをそれぞれニオとウィンターが付いてきている。
ウィンターはヨナタンの目に気づいていないふりをして、ポーカーフェイスのままだ。アイアンウッドはそもそも気づきもしていない。――ウィンターとヨナタンの関係は複雑だ。ヨナタンは微塵も気にしていないが、彼女は妹のワイスに姉らしい事を何もしてやれていないのに、血縁のないヨナタンが実の兄のように慕われている事を知っているのである。その事でウィンターは密かな苦手意識をヨナタンに懐いているようだ。
「――ところでヨナタン君は聞いているかな」
「何をでしょう」
「アトラスが誇る最高の頭脳、ピエトロ・ポレンディーナ博士が亡くなった」
「……それはまた、惜しい人を亡くしましたね」
ピエトロ・ポレンディーナ。オーラ研究の第一人者であり、機械にオーラ、つまり魂を宿らせる試みを行なっていた者。ヨナタンは彼の訃報を聞いて素直に惜しむ。一つの才能が失われたのだ。
しかしアイアンウッドは淡々とした語調で言った。
「ああ。彼はマントルにいた」
「……アッティラに殺られた訳ですか」
「そうだ。彼は天才だった……アトラスは、惜しい人物を奪われたわけだ」
ヨナタンには面識もない相手である。悲しさはない。アイアンウッドも悲しんではいないようだ。純粋にピエトロ・ポレンディーナの才覚を惜しんでいるだけだろう。では、何が言いたい?
「彼の研究成果はまだ出ていなかったが……彼の遺していたデータは驚嘆に値した」
マントルに居たのにデータが残っていたのか?
邪推しそうになるが、単にアトラスにも研究所を構えていたのかもしれないと思い直す。
「或る物の設計図は完成し、後は組み立てるだけといった所だったようなのだが……どうにも最後のピースだけは設計図にも書かれていなかったようでね。このままでは彼の遺した物が無駄になってしまう」
「残念です。しかしそれを私に言う意味は? 彼の研究していた分野を考えれば、何が足りないのかもおおよそ察しはつきますが」
「恐らく君の考えている通りだ。――彼は無機物にオーラを宿す技術を完成させていたが、その肝心要のオーラを宿す術が分からない。ポレンディーナ博士の頭の中にだけあったのだろう。そこで彼に次ぐ、あるいは並ぶ工学知識と、オーラについての造詣が深いであろう君に研究を継いでほしい」
「………」
アイアンウッドの言いたいことを察してヨナタンは嘆息した。隠そうともせずに。
彼はポレンディーナ博士の研究を口実に、ヨナタンとアトラスの結びつきを正式に強化したいらしい。アトラスの研究を持たせられれば、それだけ関係は深くなるのは避けられない。
正確にはアトラスとMLのパイプの強化をしようとしている。それ自体は一向に構わないし、寧ろ大歓迎なのだが、そこにヨナタンが噛ませられるのは避けたいところであった。
「私以外に適任はいないのですか?」
「残念だがいない。いるならとっくに打珍しているとも」
それもそうだ。アイアンウッドの気質からして最初からヨナタンを目当てにしてはいなかっただろう。この話だって本心から誰かにポレンディーナ博士の研究を継いでほしいだけで、ヨナタンが受けてくれたら儲けもの程度に考えているはずだ。彼は不器用に誠実で、国益を第一とする軍人の鑑なのだから。
断る。――つもりだったが。いや、断りはするが、話の向きを変えよう。
「公人としての私はお受けする訳にはいきません。しかしアトラスを祖国とする一市民としてなら考えてみましょう」
「――本当か?」
「ええ。ただし、あくまで個人的にです。それでもよろしいですか?」
「もちろん。我々が最も避けたいのが博士の研究が無為となることだ。その結末を避けられるだけでも重畳だとも」
すんなり頷かれたのは、アイアンウッドはあらかじめ妥協案も考えていたからだろう。
ヨナタンが公人として付き合うなら良し。だが私人としてならアイアンウッドが個人的に繋がりを持てる。なぜなら今、ポレンディーナ博士の研究は彼が預かっているだろうからだ。であればアイアンウッドからヨナタンに引き継がれるという形になる。
アイアンウッドに対してヨナタンは良い印象を持っていなかったが、それは改めた方が良さそうだ。もともと能力面は高く評価していたが、人格面で信頼を置けないと考えていたにしろ、接し方を間違えなければ都合の良い方向に進んでくれそうである。
(オズピン、悪く思わないでくれ。アイアンウッドは君よりも僕の方を取るだろう。彼は間違いなく友情より国益を欲する。公人としての面が強い彼を味方にしておけないのなら、それは君自身の怠慢だ)
心の中でそうこぼし、ヨナタンはアイアンウッドと約束する。ポレンディーナ博士の研究を引き継ぎ、完成させると。
というか、無機物に魂を宿らせる工程は経験済みだ。アッティラがそれである。あれは写し身しかできない特異点の能力だが、ポレンディーナ博士の研究資料があれば一週間とせず完成させられるだろう。
一から研究し直すなら非常に困難だが、原理の分かっている技術の発展型を掴めばいいだけならお安い御用であると言える。故に、本題はここからだ。移動を終えて個室に移った四人だが、アイアンウッドはウィンターを退出させ、彼女を見張りとして部屋の外に待機させた。彼が副官を出した以上、自分もそうせねばなるまい。ニオに視線を向けると彼女は頷いた。
ニオが出て行くのを待って、ヨナタンは口火を切る。
「――貴方に伝えようと思っている事は二つです。比較的良いニュースと、非常に良いニュース、どちらから聞きますか?」
すると、アイアンウッドは顔を綻ばせた。意外と顔に出ている――これならいける。
確信を胸に、ささやかな悪戯を仕掛けた。
当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。
「この状況下で良いニュースしかないのか。実に喜ばしい。では……あまり宜しくない方のニュースから聞こう」
「ではお望みの通りに。ご存知の事でしょうが過日、当方MLがカオスの襲撃を受けました。その折にカオスの幹部らしき男を捕虜とし、重大な情報を吐かせる事に成功したのですが……現在アッティラはミストラルに潜伏しているようなのです」
「ほう……」
それを聞いたアイアンウッドは軍人らしい、重要な作戦目標を立てたような顔になった。
「確かに朗報だ。――ヨナタン君、無論君も動くのだろう?」
「ええ。段取りとして希望するのは、我々が奴らを炙り出し、アトラス軍はミストラル近辺を包囲。逃れようとするならこれを捕縛、ないし殲滅する構えで待ち伏せる事ですね」
「――ミストラルにアトラスが軍を動かす事を承認させるのも私の仕事か。いいだろう、ではそのように取り計らう。ヨナタン君、君はハンターだがまさかアッティラを逮捕しようとは思っていないだろう」
「はい。殺害を前提にしています」
「……そうか」
アイアンウッドは満足げだ。ここで変に綺麗事や甘っちょろい事を言わない事に好感を覚えてくれたらしい。鉄のような男だなと内心苦笑してしまいたくなる。えてして『鉄』とは、存外脆いものだ。
空気が微かに弛緩する。ここだな、とヨナタンは思った。仕掛けるなら今しかない。軽いジャブ、些細な悪戯。茶目っ気たっぷりのユーモアだ。笑って流してくれていい。
「ではもう一つのニュースを」
「拝聴しよう。だがその前にヨナタン君……いい加減そう堅苦しくしなくてもいい。聞けばオズピンの友なのだろう? それなら私にも遠慮はいらない。私もオズピンを信じた友なのだ」
「……なら甘えさせてもらおうかな? だけど僕にも面子と立場がある。公の場だと他人行儀に接するけど悪く思わないでほしいな」
「もちろんだ」
「気を取り直して、話を戻させてもらうよ」
ああ、と頷くアイアンウッドは笑みを浮かべている。
彼は巧みな駆け引きができる男ではない。強固な志を胸に突き進む重戦車の如き男だ。正面から立ち向かう限りは強烈な一手を打てるが、側面からの攻撃には弱い。無論、並の将よりは上であろうが。
ヨナタンはアイアンウッドを不意打つ。あくまでも自然に。含意のない流れとして口にしたかの如く。
「ヴァキュオ、ミストラル、ヴェイル、そしてアトラス。この四カ国にそれぞれレリックがあり女神がいるのは知っているかな?」
「――いや、初耳だ」
(――嘘が下手だね、将軍)
些細な顔色の変化は、無表情を作った。ポーカーフェイスのつもりなのだろうが、変に取り繕った時点で意味はない。更に返答までに空いた間が、人が虚偽を働いた時のパターンに符合する。
知っている。アイアンウッドは女神とレリックの在り処を。後者はどうでもいいが、前者については恐らく……アイアンウッドの気質から見るに、保護と銘打って拘束、もしくは軟禁しているだろう。
自身の手駒に女神の力を受け継がせようともしている。候補は……ワイスの姉ウィンターか。となるとアトラス軍の基地内に四季の女神のどれかがいる。アトラスに相応しいのは冬の女神だろう。
アイアンウッドが知っているなら手間が省ける――という程度の探りだったがビンゴだったらしい。ヨナタンは声のトーン、視線の向き、話の運びを『深く受け止めていない人』のパターンに沿わせる。聞き手がそう判断するように仕向けて、アイアンウッドの注意が無意識に逸れるように。
「そうなのかい? まあそれはいいんだ。朗報というのは、僕が春の女神を発見、保護したということだよ」
「なんだと? それは――まさかヨナタン君が連れてきていたあの少女か?」
「オフコース。彼女が春の女神だ」
さらっとニオを女神だと詐称するが、もちろんあらかじめ話は通してある。
アイアンウッドに伝えれば、オズピンにも伝わるだろう。ニオがヨナタンと常に居ても不自然ではなく、むしろ自然な事だと感じるようになるはずだ。時間が経てば経つほど、思い込みは深まる。
そうする理由は、単に彼らが――特にオズピンがヨナタンの力を理解しているからだ。アイアンウッドは現実的な物の見方や尺度に囚われがちだから、ヨナタンが個人で守るよりも、強力な軍隊の下で守っていた方がいいと考える。いずれ軍で保護したいと思うようになるだろう。しかしオズピンはそれを否定しヨナタンの傍に起きたがるはずだ。そうした見解の相違が軋轢の元になる。
離間の計とは小さな布石をコツコツと積み重ねて行なうものだ。彼らは広義の意味合いに於いては同胞だが、やり方や足並みが揃っていない……それならいっその事、ヨナタンがコントロールして一致団結させた方が良い。そのためなら一時的な決裂もやむを得ないと判断した。それだけの事だ。
「今のニオは僕が傍に居ないと安心できなくてね。過酷な幼少期を送ったせいで、声も出ない。僕が保護しておくから閣下も……あー、失礼。名前で呼んでもいいかい?」
「……ああ、構わない。私は既にファーストネームで呼んでいるのだから」
「ではジェームズと。ジェームズ、彼女は僕が責任を持って保護する。安心してくれていい。それから……僕の考え方を伝えておこうか。
「………。………そう、だな。私もその方が守りやすいと思う」
どうやらジェームズは、とりあえずオズピンの方針通りに情報は可能な限り秘匿しておくつもりらしい。だが迷いが見て取れる。ヨナタンの意見に惹かれるものがあるからだろう。
自分や軍に自信があるからこそ、尚更だ。
彼はどちらかと言えば、オズピンよりもヨナタンの方に考え方が近い。であれば――そう遠くない将来に、こちら側へと心が寄ってくるのは想像がつく。ヨナタンは微笑して彼に告げた。
「……そろそろ僕も、爆心地に向かわせて貰うよ。連れてきた部下達ばかりに仕事をさせていたんじゃあ、上司として面目が立たないからね」
† † † † † † † †
そうして、爆心地のマントルに降り立った。
ヨナタンはニオを連れて二人で歩く。生身で徘徊するのは極めて危険だが、ヨナタンの周囲には薄黒い膜が張られ、外気を完全に遮断しているため問題はない。酸素ボンベを持ち歩いていればいいだけだ。
ヨナタンとニオを囲っているのは【深淵】だ。空間遮断という事にしてあるセンブランスであり、ヨナタンが行使できる特性の中で最強の力だが、その本質は空間遮断などではなかった。
これは文字通りの深淵なのだ。黒い膜は位相の異なる空間に繋がっており、触れたものを異相へと堕としてしまう。底のない穴へ堕ちていくのだ。ヨナタンはそれを形を問わずに展開できる。
例えば、伸縮自在の鞭の様に。例えば、広大な範囲を覆うドームの様に。
線の細い形態であれば、『触れたものを異相に送り落下させ続ける』という性質上、禦ぐ術のない絶対斬撃として機能する。幅のある形態であれば如何なる干渉も通さない盾になる。
故に【深淵】はヨナタンの保有する最強の力なのだ。
無闇矢鱈と使わないのは、余り知られたい力ではないから。切り札は隠しておきたい性分なのである。とはいえMLに撃たれた原子爆弾のせいで世に広く知られてしまったわけだが……。
――本来ヨナタンを含めた深淵狩りのセンブランスは、そこまで強力なものではない。
それがこうまで非常識な効力を発揮するのは、深淵狩りが【継承のセンブランス】から供給される、歴代を経て蓄積されてきたオーラがあるからだ。その総量はヨナタンをして認識できない域にあり、人智を超えて膨大極まるオーラの出力で無理矢理に効果を引き上げているからに他ならない。
【天啓】もまた、その一つだ。
未来予知そのものとも言えるセンブランス【天啓】は、ヨナタンをローマンと出会わせた。基本的にどうでもいい事に反応してばかりだが、これまで一度も外れた事のない予知である。
もしヨナタンが常人として【天啓】を有していたなら、精々が嫌な予感を感じる、虫の報せとしか感じられなかっただろう。それが深淵狩りとしての能力強度を得たからこそ、未来予知の域に達しているのだ。
故に、ヨナタンは不意に懐疑した。
(――あれ? なんで僕は……爆心地に来ているんだ?)
正当な理由、正当な仕事としてやって来た……というのは建前にしかならない。ヨナタンは数瞬、自らの行動で我を見失い、次いで脳裏に閃く稲光に貫かれる感覚を覚えた。
これは――そう。【天啓】が齎された感覚だ。ヨナタンは悟る。いつもより深度があり克明に形を感じられたのである。それこそローマン・トーチウィックと邂逅した時よりも遥かに。
(僕自身が来る必要はなかった。対策チームに全部任せて、僕がやるべきなのは他にあった。なのにこうして、無意識に足を運んでしまったのは――)
あぁ、と。
吐息を溢して虚空を見上げた。
そこには何もない。何もないが、
ヨナタンの自我を塗り潰して余りある、強大にして巨大な意識。
“継承”が、降ってきた。
「………?」
ニオが訝しげにヨナタンの様子をうかがう。一瞬、びくりと肩を震えさせていたからだ。
ややあってヨナタンがニオを一瞥する。
そこにある温度のない目に、ニオは固まった。誰……? と。そう思ってしまったからだ。
だがヨナタンはニオの怯えた眼差しに頓着せず、前へ前へと足を運ぶ。
背負っていたケースから噴射機構内蔵型大剣ガラティーンを引き出し、ケースを捨て、ガラティーンに視認すら叶うほどの莫大なオーラを纏わせながら歩み、唐突にその姿がニオの視界から掻き消える。
「――ようこそ、待っていたぞ。深淵狩ッ――」
地面に丸まって這いつくばっているアーサ型グリムに腰掛け、悍しいほど魔力の奔流を滲ませながら呼ばわったのは白髪白肌の女。たおやかな女主人、古き王族とも取れる威厳と気品に満ちた者だ。
その首が、口上の途上で空を舞う。
宙に飛んだ頭部が縦に割られ、横に割られ、粉微塵に切り裂かれ、胴体も間を置かずに蹴り飛ばされた。――かと思えばアクセル状の柄を廻し、レバーが引かれた大剣の刀身が縦に割れ、太陽の如き輝きを噴出させる。刃が噴射するのは太陽の表面温度に匹敵する光の柱だ。天をも衝かんばかりの長大な剣である。ガラティーンが日輪となって、女の肉体を跡形もなく消し去った――
突然の凶行だった。ニオでは反応もできなかった。ヨナタンに殺気はまるでない。あたかも挨拶代わりのハグをしたかのような佇まいで虚空を見上げ、別人のような風格を醸し出しながら鼻を鳴らした。
「――フン。なるほど、確かに不死だ」
虚空には、影も形も残らず消え去ったはずの魔女が浮いていた。
不快げにヨナタンを見下ろし、しかし魔女のそれは愉快さに転じる。
「そう来ると思っていた。我らは未だ不倶戴天、斯様な無礼も一度限り水に流してやろう。それで――
ニオはその魔女を視認した瞬間、その身を凝固させていた。
恐怖だ。恐怖しか感じない。堪らずヨナタンの影に隠れるも、彼はニオを庇う素振りすら見せなかった。そうして、悟る。今、ヨナタンは――ヨナタンではない。ニオは立ち竦んで事の成り行きを見守るしかなくなったが、一つの確信が彼女を襲った。
もしもこの二人が戦闘を始めれば――ニオは余波だけで死ぬ。どこまで逃げても今からでは間に合わない。親からはぐれた迷子のような心細さに、ニオは震えて自分の身体を抱き締めた。
ヨナタン――否、深淵狩りは舌打ちする。彼の持つ全知と全能を振り絞り、新たに得た魔力を運用して敵戦力を測定した故に、結論を出さざるを得なかったのだ。
「……今はまだ、奴をどうこうする事はできん、か。今代の器をこんな所で台無しにするのも惜しい。……気に食わんが、敵と交わす言の葉も、嗜好を探る意味があるなら無駄にはならん」
呟きには、桁外れの威が籠もっている。
存在し、そこに立っているだけで、重力が強まったかのような重さがある。
ヨナタンという、深淵狩りとしては未熟な自我では扱い切れていなかった性能を、完全に引き出して十全に振るえるモノ――深淵狩りの遺志。それは大剣を手にしたまま、淡々と魔女の誘いに応じる。
「いいだろう。
「――フフフ。存外、話が通じるようで助かるな。では……精々持て成されるといい」
魔女――セイラムは嗤う。
セイラムは人払いなどしていない。誰に目撃されても構わないからだ。
そしてそれは深淵狩りも同様ではある。あるが、しかし。
「――小娘」
「………!?」
ニオをはじめて見た、
彼は億劫そうに、彼女に命じる。
「俺はどうなろうとも構わんが、今代の俺にとって他者へ知られれば不都合な会談となるのは確かだ。俺とて今代に嫌われたくはない。【
「………っ!!」
ニオは、堪らず駆け出していた。
逆らえない。反感も抱けない。こわい、こわい、こわい――!!
ニオは漠然と理解した。あれは、あれが……! 深淵狩りという存在の、根源――ヨナタンを依り代に現界する亡霊の王――
半ば逃げるように立ち去ったニオに関心を失ったのか、深淵狩りはセイラムに向き直る。
するとセイラムは微笑み、くい、と人差し指を動かすと、深淵狩りの足元から一体のグリムを召喚した。生み出したのではない、地面に潜めていた個体である。深淵狩りは最初から気づいていたかのように大剣でそれを突き刺し、グリムを地面に縫い止めると、その背中に傲然と腰を落とした。
「流石に豪胆だ。それでこそ、深淵狩りだな」
「戯れるな、セイラム。――
「ふ……」
今までの深淵狩りは、セイラムを知らなかった。
だから存在を暴き、探し出そうともしていなかった。
しかし今オズピンとの邂逅を経て既知とした以上、深淵狩りは永遠にセイラムを追い続けるだろう。
関与した
「なに――そう急くこともあるまい。まずはゆるりと私の
そう言って、魔女は嗤った。
――魔王、二柱。地獄絵図の中心での邂逅。
相対する両者の間には、不気味な静けさと穏やかな空気が漂っていた。
※久し振りに主人公がログインしました。