もっとくれてもいいのよ?(乞食) くれ(強盗)
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もっと寄越せバルバトス…!
薄く繊細な硝子細工が割れ、しかし現れたのは変わらぬ景色である。唯一の違いは、離れた位置に小柄な少女がいる事だけ――魔女が去る際に、薄氷の如き幻の壁が砕けたのだ。
これはニオ・ポリタンのセンブランスだ。幻を生むオーラによって殻を造り出し、それを対象に被せる事で対象物を偽装できる力――それによりニオは全くの別人に変装する事も、小型船舶を軍艦に見せかける事もできる。今回は周囲からの完全な人払など不可能と考え、『深淵狩りと魔女が居ない元の風景』を周囲に被せる事で人目につく事を避けたのだ。
ヨナタンは、幻が砕かれた音で我に返る。
突然の事に僅かな混乱に襲われたが、直後に飛来した情報で現状を悟った。
脳裡に落ちてきたのは、あたかもレポートに纏められたかのような、魔女と
歯噛みしたくなるも、ヨナタンは諦観に支配された。
(――まるで抗えなかった)
自分の身体を奪われたくない一心で、堕ちて来た意識を押し返そうとした。だが一つの惑星が微生物を押し潰すかの如く、ヨナタンの抵抗などなかったかのように蹴破られてしまった。
分かっていたつもりではあった。ヨナタンが己の自我を有しているのは、始まりの戦士を模し、歴代の活動経験を統合して変異した【継承】のセンブランスが認可していたからに過ぎないのだと。
所詮はヨナタンも連綿と連なる流れの一部に過ぎない。その事を痛感させられる。どれだけ己だけの己を渇望し、確固たる自分を希求しようとも、意思の力なんて曖昧なものではどうにもならない。
(僕は人形なのか……? 僕が創り出したルキウスやアッティラと同じ、原点の力から零れ落ちた欠片に過ぎない……?)
悲嘆に陥りそうになるも、ヨナタンは軟弱な精神の持ち主ではない。並の人間なら自分のレゾンデートルに思い悩み、苦悩してしまうのだろうが、そんな惰弱さとはヨナタンは無縁であった。
(まあいいか。僕が使っている力の代償がそれなら仕方ない。幸い、早々何度も
抗えないのはよく分かった。ならば希望的観測で前向きに捉える他にない。
レリックの在り処、力、使用方法さえ分かったなら問題なかった。
どうやら深淵狩りサマはヨナタンにレリックを集めさせたいようであるし、深淵狩りサマの意図に沿っていれば自我を凍結される恐れはない……という願望を胸に、ヨナタンは嘆息して頭を振った。
そこで、はたと気づく。
ニオが棒立ちになってこちらの様子を伺っているのだ。殺風景な爆心地に、薄い闇の膜に囲われたまま立つ少女の目には怯えがある。ヨナタンはそれに気づくと我知らず焦燥に駆られ彼女に駆け寄った。
「ニオ……」
「っ……」
びくりと肩を揺らして、後退る少女。そんな反応にこそヨナタンは強い衝撃を受ける。
堪らず彼女の両肩に手を置くと、華奢な少女の顔を覗き込んだ。
どうしても、ニオの怯えた顔は見てられない。原因が自分にあるとなれば尚更に。
「怯えないで。僕だ」
「………」
もっと気の利いた言葉はないのか。要らない時ばかり回るくせに、大事な時に限って働かない舌に虚しくなる。何が彼女を怖がらせたのかなんて深く考えるまでもなかった。自分だ、自分が元凶なのである。
あれは別の自分だなんて言いたくはない。どんな来歴があろうと身から出た錆だ。ヨナタンは懸命に訴えようと智慧を絞るも、思い至るのは至極どうでも良い事ばかり――そういえば過去の
まともな恋愛など一つもした事はない。役に立つ経験がない。
だからニオに接するのは、剥き出しのヨナタン自身だけ。
こんなところで能無しを露呈させるようでは、ヨナタンは自らを軽蔑するしかないだろう。
故に、ヨナタンは必死になるよりも、真摯に述べる。
「僕は――」
だが、ニオは少年の言葉を止めた。
彼女が彼の顔を両手で挟んで、雄弁な瞳で見詰める。
その
言葉は不要、ニオはそう言っているようだ。
「ニオ……」
「………」
積み上げた信頼と、時間がある。最早あらゆる言葉は互いの理解には必須とされない。
ニオはもう、ヨナタンがどういう存在なのかを知悉していた。
普通の人間ではないと受け入れていた。
その上で、彼のパートナーになる道を望んだのである。今更謝罪も、後悔も不要。
たとえ彼が世界に犠牲を強いる悪党であろうとも、自分と敬愛するボスだけは全てを知っている。知った上で共に同じ道を進んでいる。ならばパートナー以上に共犯者であり、至上の家族だろう。
不覚があるとすれば
ニオの瞳と、ヨナタンの瞳。交わされた視線が、以心伝心の下で結ばれる。
「………」
「………」
二人は頷いて、何も言わずに帰路についた。
ひとまずアトラスでの仕事を済ませ早くMLに帰ろう。さらなる仕事と、逢瀬の時が待っている。
† † † † † † † †
けだもの――思惟に弾けた声なき声。
荒げ、絶え絶えな吐息。抑圧からの解放と、絶えない圧制を打破した革命の悦びは正に法悦。
汗を拭う所作で、歪む口角を隠す。愉悦ではなく、自嘲で歪んだから。
ああ、弁えているとも。
この力、未だ到らず。目指す頂きは遥か彼方。幾ら磨けど、怨敵の影すら斬れぬ鈍らの剣。
牡牛の獣人、アダム・トーラスは今宵もまた人間を斬った。断末魔の罵倒は意にも介さず、袖で額の汗を拭った腕は固く得物を握り締めたまま。弟子として連れ、片時も離れず傍に置いたままの少女、ブレイク・ベラドンナは悲痛な顔をしているが、アダムは彼女を気遣う余裕を持たない。
「――無事だな?」
だが。それでも。無理を押して、アダムはブレイクを気遣う。
最早そうした部分でしか、己はヒトらしさを示せないと自覚するが故に。
同胞を護り、愛する者を守護する為には、ヒトとしての最後の
だが、同時に魂はこうも叫ぶ。――足りない。こんなものでは。もっとだ、もっと力を、と。
「……ええ。ありがとう、アダム……それと、ごめんなさい……」
己を呼ばう少女の声だけが、剣鬼に堕ちんとするアダムを押し留める最後の一線だった。
数多くの仲間の屍を踏み越え、憎むべき仇に侍る屈辱を噛み締めながら復讐の刃を研ぐ。アダムは強くなっていた。任務のない時は形振り構わず鍛錬に明け暮れ、一秒でも早く怨敵の首に刃を届かせられるようにと
今はまだダメだ。ブレイクは幼さもあるが弱い。彼女は心を鬼にして自らを鍛える青年に対して隔意を持たず、懸命に耐えて修行に打ち込んでくれているが、今の実力ではカオスから脱走させられない。
逃げたが最後、粛清される結末しかなく、アダムが共に逃げる選択肢は最初から無い。今のホワイト・ファングの残党は、アダムがリーダーとして率いているが故に辛うじて生き残っているのが現状なのである。アダムが逃げれば、カオス内部のファウナスは、ただでさえ擂り潰されるようにして絶えているのに、更に酷使されて全滅してしまうだろう。
だが、ブレイクが力を付けているのは不幸も招いた。目聡くアッティラはブレイクの成長を見破り、アダムに命じたのだ。ブレイクも連れて、任務に出ろと。訓練期間を終え実戦を体験させろ、と。
怒りで腸が煮えくり返った。それは、アダムとブレイクにだけ出動を命じたアッティラへの憤怒。今や世界の敵にまで成り上がったテュルク・アッティラは、彼らにMLに物資を運ぶ貨物列車――シュニー・ダスト・カンパニーへの襲撃を命じたのである。
それだけなら、アダムはアッティラに命令されたという部分に反発し憎悪を燃やすだけだっただろう。シュニー家のファウナスへの仕打ちは非道の一言であり、奴らを害する事を躊躇うアダムではない。
問題は別にあった。アダムは数年もの間アッティラに仕えて任務に従事してきたのだ。知らぬ筈がない。――MLへ向かう貨物列車の全てに、アトラス軍やSOCの警備部門が武装して同行しているのである。間違ってもたったの二人で襲撃を仕掛けていい相手ではなかった。
だがアッティラへの抗議は通らない。反抗や意見をしようものなら粛清される。故に従うしかなく、アダムはブレイクを連れて貨物列車を待ち伏せ、高所からレールを走る列車の上に飛び乗り襲撃した。
任務は、襲撃。目的は物資の強奪だが、その際に敵は皆殺しにしろとも命じられていた。
ブレイクは優しすぎる。彼女に人を殺せるとは思えず、だからアダムが代わりに己の手を汚した。結果としてアダムは満身創痍となりながらも、向かってきた全てのSOCの人間を斬り捨てた。
肩で息をする、全身傷だらけの青年。個々の練度も高い警備員だった。武装も充実しており、アダムは苦戦を強いられあわや討ち死にする危険のある場面もあった。敵は人間だけではなく、戦闘用アンドロイドであるアトラシアン・ナイト130の一個分隊もいたのだ。苦戦は必至である。
アッティラなら。
アッティラなら掠り傷一つ負わず、いとも容易くこんな雑魚など殲滅する。そう確信できるだけに、アダムは歯を食いしばる。やはり足りない、力をもっと付けねば。もっと、もっと、もっと力を――!
「アダムっ!」
「………!」
血が出るほど唇を噛み締め、無力感に打ちひしがれるアダムだったが、ブレイクの悲鳴じみた声で意識を現実に回帰させる。12歳になったブレイクは、戦闘員として最低限の力しか持たない。無力でか弱い庇護すべき同胞であり、アダムが才能を認め直々に鍛える唯一の弟子だ。
そんな彼女に対してアダムは愛おしさを覚えている。異性愛ではなく庇護する対象に向ける親愛だ。
――もしカオスが存在せずホワイト・ファングが独立独歩で在れたなら、牡牛の獣人である彼は歪んだ思想の下、彼女に執着していく事になっただろう。しかしカオスの支配下にあるアダムは純粋に仲間達の為だけに刀を振るい、仲間達の敵を討つ事を至上として鍛錬と忍従の日々を過ごす内に純化していた。
未だ四半世紀も生きていない若輩でありながら、アダム・トーラスはカオス内のファウナスにとって無二の英雄となっていたのだ。強い意思と、武勇に拠るカリスマ性を持ち、絶対的な恐怖の対象であるアッティラとの矢面に立ってファウナス達を守ってくれる、頼れるリーダーなのである。
恐らく単純な強さなら、カオス内でもアッティラに次ぐだろう。そんな英雄的な獣人を、弟子であるブレイクもまた素直に尊敬し、幼い思慕の念を懐いていた。そして常に傍に置かれ、守られ続けていたブレイクだからこそ、アダムの精神が限界を迎えつつある事を悟れた。
このままだと、アダムが壊れる――剣の鬼に堕ちる。
ブレイクをこんな所にいさせられないと、逃してやろうとする優しい師が、ただ摩耗し壊れていく様は見ていられない。ブレイクはカオスという悪逆無道なる組織から抜け出したがっているが、一人で逃げたいと思っていなかった。逃げるなら、アダムと。他の皆と逃げたい。
今はアダムがアッティラへの復讐を捨てる事を願っている。だって――
――だってあんな化け物に、勝てるわけがないのだから。
幼いブレイクの心は、折れていた。アッティラの残虐な所業、圧倒的な力、悪魔のような智慧、それらの一端を見てきたから。そしてアッティラが製造した悪魔の兵器が齎した惨劇が、回り回ってカオスに属する者達に災禍を招くだろう事も予感していた。
「アダム、やめて。もう……死んでるわ」
アダムが無意識に、刀の切っ先で人間を突き刺し続けていたのを止める。
残酷だ。列車の中に血の臭いが充満し、噎せてしまいそうだ。首が飛び、腕が飛び、脚が飛んでいる無数の死体が屍山血河となっている地獄の有様に、ブレイクは吐き気と罪悪感を覚える。
だが何より愚かで弱く、残酷なのは自分であるとブレイクは思った。人を殺す勇気がない自分の分までアダムが人を殺したのである。――自分の罪をも大切な師に背負わせてしまったのだ。
なんたる無知蒙昧。後少しで、アダムが死んでしまうという危機的状況下でも、ブレイクは竦んで動けなかった。足手まといでしかなく、アダムの重荷にしかなれなかった己が情けなくって仕方ない。
「……ねえ、もうやめよう? これ以上は……無理よ」
「……フン。無理かどうかは、オレが決める事だ。それより、そろそろ時間だろう。スクロールを出せ、奴に報告する」
にべもなくブレイクの弱音を切って捨て、アダムは催促する。
彼が翻意することはない。彼の背骨になっているのは仲間だ。元々仲間想いなファウナス達の中で、アダムもまた例外ではなく仲間意識が強い。ブレイクは密かに決意した。ボロボロのアダムを見て、やっと。
彼ではなく、周りの仲間達を説得しよう。そして皆で説得すれば、アダムも頷いてくれるはずだ。
そう思いながら、ブレイクはスクロールを取り出す。嫌々ながら、指定された相手をコールした。
『――俺だ。任務はどうした?』
虚空に出力される立体映像。
実物ではないのに、あらゆる物を吸い込む暗黒の穴のような存在感は、心胆を凍らせるに足る。
即座に跪いたアダムが、映像越しに震えるブレイクを見もせずに応じた。
スクロールを構えているブレイクの姿は、漆黒の魔人アッティラからは見えない。
「は、恙無く完了致しました。手筈通りシュニー社の物資を運んでいた列車は走行を継続させておりますが、内部にいた人間、戦闘用アンドロイドの全ては沈黙させてあります」
『……見たところ五体満足なようだ。フン、意外と言えば意外だな。お前の事だ……どうせ同伴させた弟子を庇い、死ぬか腕の一本でも失くすと思っていたぞ』
「っ……お戯れを、アッティラ卿。オレは弟子を庇ってはいません。彼女は未熟なりに立派に戦いました」
『嘘だな。あの小娘にそんな気概はない。想定より腕を上げている事を褒めてやろう、アダム・トーラス。大儀だった、その場を離脱しろ。物資の回収は他の連中の仕事だ』
見透かされている。
ブレイクの臆病さも、アダムの力も。炯々と光る赤い眼光に晒されながら、伏せた顔を上げないままアダムは呪詛を秘めた。こんな所でオレは死なん、貴様を殺すその時までは、と。
だが、そんな殺意も知られている。そして知られている事を、アダムも知っていた。
その上で、アッティラは告げるのだ。
『
「……何を仰る。オレの忠誠は、アッティラ卿一人に向いていると証明し続けているつもりですが」
『ああ、それでいい。
映像が消える。
アダムがこうまで諂うのは、相手の油断を誘うためではない。殺意を知られているのに忠実に振る舞うのは、アッティラの面子に傷を付けないためだ。もし傷を付けてしまえば、自分ごと仲間達が粛清される。どれほど屈辱的であろうと耐えるしかない。
無言で立ち上がったアダムが、刀を一閃して列車に穴を開ける。そして憎しみと怒りで淀んだ目でブレイクを促した。
「……行くぞ」
「………」
頷き、走り続ける列車から飛び降りる。
地面を転がって受け身を取り、何事もなかったように立ち上がったアダムが助け起こしてくれるのに、ブレイクは願わずにはいられなかった。
誰か――と。
(ファウナスの英雄……)
昨今、名を上げたMLのファウナスのハンター。ルキウス・カストゥス。
もしかすると彼なら協力してくれるかもしれないと、猫の獣人の少女は思った。
MLという、人とファウナスの垣根のない、公正で平等な施策の行われている都市。
今のブレイクにとって、そこは夢物語のような理想郷だった。
深淵狩りの齎すもの
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狂い哭け、お前の末路は『英雄』だ
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真に愛するなら壊せ!
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新世界の開闢に散る華となれ!
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お前は、要らない
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泣き叫べ劣等――今宵、ここに神はいない