“継承”のセンブランス   作:飴玉鉛

5 / 36
井の中の蛙、実は龍

 

 

 

 

 

 悪戦苦闘、試行錯誤、妥協と改善、あるいは改悪。それに伴う停滞と苦悩が約束された立志の瞬間より二年――七歳となり幼年学校への留学を目前に控えたヨナタンは、繰り返し同じことばかりを考え続けていた。

 

(何事にも順序がある。既得権益に繋がるあらゆる組織の紐付きになるのは好ましくないから、やっぱり零からの出発になるだろう。となると最初に必要となるのは僕個人の実績と、僕の目標に賛同してくれる仲間だね)

 

 ――これまでもなんらかのアクションを起こした方が良いだろうかと考えたことはある。しかしヨナタンは一度たりとも行動を起こすことはなかった。

 

 なんせこの身は幼児だったのだ。中身と能力が不釣り合いであり、【痣】の持ち主であるとは言っても世間的には子供である事実に変わりはない。よって如何なる事情があってもヨナタンの考えに賛同してくれる大人なんて存在し得ないし、仮にいたとしてもヨナタンはその大人を信頼しないだろう。

 安いコミックではないのだ。幾ら驚異的な実力を有する子供がいて、その中身が大人だったとしても、体が子供なら大人の人間には相手にされない。相手にしようとしてくれる人間がいたとすれば、逆に怪しむべきだ。

 会話を交わして説得し、素晴らしいプレゼンをした結果、相手の大人が賛同してくれたとして。その大人が都合よく動いてくれる保証はないし、何よりもナーハフォルガーの本家やシュニー社、軍の目があるところで活動されて勘付かれたら目も当てられない。唯一人格的にも能力的にも信頼できる両親も、アトラスに生活基盤があるので無茶振りは出来かねた。よってヨナタンは最初の活動は必ずアトラス王国外であるべきだと考えているため、行動に移せる状況が来るまで大人しくしておくべきだと結論している。

 

 故にヨナタンは思案を重ねる事しか出来ていない。そして思うのだ、誰にも否定できない実績と、信用と信頼の置ける仲間が欲しい、と。

 

 しかし残念ながら、前者を手に入れるのは非常に難しい。

 ヨナタンの求める実績を積むには、ハンター養成学校を卒業後、正式に軍に入隊するかハンターとして活動するしかないからである。それ以前では何を成し遂げても認められない恐れがあった。

 人間とは汚いもので、少しでも自身に不利益を齎しそうだと判断したら、とことんまで邪魔立てしてくるものだ。既得権益に執着するのである。そのせいで挙げた実績・功績を握り潰されて無かった事にされては堪らない。

 そして実績がなければ多数の人間は付いて来ず、評価しない。評価がされなければ評判は生まれず、評判で外部からの印象は決まるため人も集まり難い。人が集まらなければ金も集まらず、金がなければ仲間を多く集めても離散を余儀なくされるだろう。理想はハンター達による社団法人の設立まで、その動きをどの勢力にも察知されない事だが、今は絵に描いた餅でしかなかった。

 

 故に優先するのは後者である。

 

 多数の人間を仲間に引き入れるのは、曇りなき信頼を置ける仲間を集め、それらの人員を中核に置いた団体を結成した後が望ましい。

 軍に入って派閥を作り独立するにしろ、ハンターとして活動し名声を高めるにしろ、信任できる仲間を募る事は今からでもできる。

 才能のある同年代の少年少女にターゲットを絞り、相手の信頼を勝ち取ってヨナタンの目標――新たなハンターの在り方――に同調させればいいのだ。幼い今の内から長い時間を掛けて意志を統一し、時を共有して過ごせば裏切りのリスクが限りなく低い仲間にできるだろう。

 では如何にして才能ある少年少女を探すのか。これに関しては考えがある。人間の才能は概ね遺伝するもので、名のある軍人やハンターの家系を総ざらいにして調べれば、一人や二人は早期に確保できるかもしれなかった。

 

 才能は環境によって培われるものである。しかし、才能という畑が小さければ、幾ら努力や環境という水をやっても大成しない。

 

 よく努力は才能を凌駕すると言うが、才能ある者が努力をすれば余程の奇跡が起きない限り実力差は崩せないものである。よってヨナタンは現実的に考えて、才能がないと感じた者は自分の手元に引き入れない事を決めていた。

 

 ――その姿勢は傲慢だろう。だが悪ではない。ヨナタンは人に関して、有能無能の差異はあれど等価の存在だと見做している。単に人には適材適所があって、人が無能となるのは適所を得ていないせいだと思っているのだ。

 人に貴賤はなく、職にもない。才能とは適所によって芽吹き磨かれるものだと、【痣】の先人の見識に共感していたヨナタンは、自らの仲間にハンターや軍人としての能力的素質を求めているに過ぎなかった。それ以外の資質に関して無駄とも、上下があるとも思っていない。ただヨナタンにとって魅力的かどうかが問題になっているだけである。

 

 そしてヨナタンの求める才能を持つ人間の家系。この点で真っ先に思い浮かんだのは、自らと血の繋がりがあるナーハフォルガーだ。ハンター・軍人として多大な功績を残した家系で、才気のある人間はそれなりにいるだろう。

 また、ヨナタンは【痣】持ちだ。それを英雄視する人間ばかりで、同年代の少年少女ならヨナタンの太鼓持ちにする事は容易であるように思われた。ついでに血縁関係があるため、裏切りの心配もほとんど無い。

 

(――ナーハフォルガーは駄目だ)

 

 しかしヨナタンは自身の血筋に連なる者を選択肢から除外した。

 手駒という意味では最適の人選であろうと、ナーハフォルガーの血縁を利用すれば、すなわち本家の人間の紐付きになる事を意味する。

 そうなれば自覚があろうとなかろうと、本家へヨナタンの動きを報せる監視要員になる可能性があった。

 本家がヨナタンに英雄らしい振る舞いを求めていても、そんな期待の押しつけに付き合うつもりが毛頭ないヨナタンからしてみると、仮に期待通りになるにしても本家の人間の目に晒されるのは御免だった。

 そういう意味では、ナーハフォルガーの影響が根強く、軍も同様の条件を備えているアトラス王国で部下、あるいは仲間を探すのは不適切である。となるとアトラスへの愛国心、シュニー社への愛社精神を持たない仲間を募る為、ヨナタンが目指すべき所はアトラス王国のあるソリタス大陸の外になるだろう。

 

 じきにヨナタンはハンター養成学校の初等訓練校に入学する。

 名前の通り幼年学校のようなものであり、父パトリオットのおかげでアトラス王国外へ留学することができるので、ヨナタンはレムナント最大の大陸、サナス大陸にある【シグナル・アカデミー】に入学するつもりだった。

 そこを選んだ理由は一つ。サナス大陸にあるヴェイル王国は、アトラス王国に比べ科学技術の発展が遅れているものの、サナス大陸の広さは伊達ではなく人口が最も多いのである。

 人の数だけ思想があるように、ヨナタンの考えに賛同してくれる人もきっと出てきてくれるだろうと期待しているのだ。もちろんヨナタンの粗い目標を否定し、あるいは訂正案を叩きつけてくるのも歓迎するつもりだった。

 それは曖昧で具体的ではない草案を突き詰め、より現実に則したものにしてくれる。一番嫌なのは、見向きもされず無視されることだが……そうされないように努力するまでのことだ。

 

 ――とはいえ、シグナル・アカデミーがあるのは、サナス大陸を有するヴェイル王国の西に位置する小さな島だ。人口の多さを期待してサナス大陸に向かうのに、小さな島に有るアカデミーに留学するのには勿論理由がある。

 

 【痣】から組織作りのノウハウや、人心掌握術を読み込みたいのに、どうしてか【痣】の方に拒まれてしまっているのだ。他の知識や経験、能力やオーラの読み込みは受け入れられるのに、そこだけは弾かれてしまう。

 何故なのかは不明だが、そのせいでヨナタンの対人交渉力は初心者同然であり、失敗しても傷が小さく済みそうな小島で経験を積み、自力で人心掌握術を磨く必要があると判断した。

 取り返しの付かない致命的な失敗をしてしまったり、ある程度のノウハウを構築できたら、本命の人口の多い都会へ転校するつもりなのである。

 

 そして、それとは別の懸念事項もあった。

 

 というのもヨナタンの父はシュニー社の技術部長であり、外部から見ると明確にシュニー社の幹部の一人である。しかもちょっと調べれば分かるぐらいに社長に重宝され、客観的な評価として社長の右腕――専務となるのも時間の問題と見られているぐらいだ。あからさまにシュニー社の重鎮である。

 つまりシュニー社を目の敵にしているのではないかと思えるぐらい、頻繁に物資を略奪する為に襲撃を仕掛け、あるいはシュニー社の社員やその関係者を襲う過激派テロ集団【ホワイト・ファング】のターゲットにされる危険性があるのだ。そしてそのターゲットに、パトリオットの息子であるヨナタンも含まれる可能性がある。

 

 【ホワイト・ファング】とはファウナスによるテロ組織だ。【ファウナス権利革命】の後、人間とファウナスを結ぶ平和の象徴として結成されたのだが、人間によるファウナスへの差別が止まぬことで抗議活動は次第に過激化し、近年遂に反社会勢力の極みとも言えるテロ集団へと変貌してしまっていた。

 彼らの組織の創設には、歴史の動きにはほとんど関わってきた【深淵狩り】も携わっており、そういう意味でナーハフォルガー家や【深淵狩り】には敬意を持っていそうなものなのだが――テロ組織にそうした見境を求めるのはナンセンスだと言わざるを得ない。【深淵狩り】の中にはファウナスもいた事があるが、そんな事を考慮してくれるような手合いではないだろう。

 よってヨナタンが他国へ留学するに際し、その航空便に襲撃を仕掛けて来るなんて有り得ない等と、根拠もなしに断定は出来ない。ヨナタンは自衛のためにも、ある程度の武力を身に着けておく必要があると認識していた。

 

 そこでヨナタンは武器の自作を開始した。武器がなくても戦えるが、無いよりも有った方がいいのは自明だろう。

 

 既製品を買えば良いような話にも思えるし、なんとなれば護衛を雇った方が良いようにも思えるが、既製品は大衆向けに均質化された量産品ばかりだ。将来を見据えるならオーダーメイドの特注品を使った方が良く、それに留学予定のシグナル・アカデミーでは武器の自作が義務付けられている。

 必要な知識は【痣】から読み込み済みで、パトリオットという超一流の技術者がアドバイザーとしていて、武器制作の設備が揃っているのだ。予習として最高の環境がありながら、今回だけ自分で作らないでいる理由はなかった。

 

 歴代深淵狩りの経験値として、剣・刀・槍・盾・銃・弓などの基礎的な武器に精通し、特殊な武装の扱いも熟知しているが、ヨナタンの気質に合う武器は基本に忠実なオーソドックスな物だ。

 ハンターの多くは様々な状況に対応するために、自らの武装へ多機能を求める。そのため発展してきた武器の多くが変形機構や合体機構を有し、ヨナタンもまた先人に倣って、基本に忠実な兵装を考案した。

 基本形態として採用したのは短剣である。これはヨナタン自身の肉体が子供のそれであり、本格的な武器を持っても到底使いこなせないと判断した為で、肉体が一定水準まで成長すれば武装を更新するつもりだ。

 

 現時点で使用する短剣は、機構を埋め込むため強度を重視したマンゴーシュである。これは主に利き手の反対で持ち、盾代わりに扱う短剣であり、鍔や護拳を大型化し形状を工夫した造形をしている。

 この大型化した鍔から頑強な両刃の刀身に掛けて銃身を内蔵し、ダスト弾を装填・発砲するのに必要な機構を取り付けていた。言うなれば短剣と六連装大口径リボルバーを合体させているのだ。

 バレルは縦に二つ並設し、数十分の一秒の誤差で種類の異なる二発の弾丸を発射できる。先に発射された一発目で敵の体表を大きく傷つけ、同じ箇所に間髪入れず着弾した貫通力の高い二発目が敵体内に直接ダメージを与えるという設計思想に基づいている為、殺傷力はこの短剣だけで充分なものがあった。

 

 リボルバーと短剣を合体させた武器の名は【クラウ・ソラス】である。最終調整を兼ねて一度分解点検修理(オーバーホール)し、今のところ問題点がないのを確認し終えたため組み立て直しているところだった。

 部品を固定し、打撃力に秀でた【アース・ダスト】の弾丸、貫通力に長けた【グラビティ・ダスト】の弾丸を装填する。

 大幅な改造を加えたので、元にしたマンゴーシュは原型を失っていた。マンゴーシュは本来盾として使うものだが、ヨナタンは改造したクラウ・ソラスを超攻撃的に使用するつもりでいる。

 

「お兄様っ!」

 

 その時だった。完成したクラウ・ソラスを掲げて蛍光の照明で照らし、実用一辺倒の武器の握り心地を確かめていると――ヨナタンの部屋に血相を変えたワイスが飛び込んで来たではないか。

 

「ワイス。どうしたんだい、そんなに慌てて」

 

 工作机の上にクラウ・ソラスを置き、腰掛けていた椅子を回して体の正面を部屋の入り口に向けると、二年前からそこそこ成長したワイス・シュニーが愛らしい顔立ちを朱に染めて、双眸に涙を浮かべながら立っていた。

 幼い故に涙腺が緩いのだろう。感情が高まると自分でも制御できない激情に支配され、どうしようもなく目が潤んでしまうのだ。ワイスはずかずかとヨナタンへ詰め寄って来るなり、癇癪を起こしているようにも見える様子で捲し立ててくる。

 

「“どうした”ではありませんわっ! お兄様が遠くに行ってしまうと聞いて、わたくし、いてもたってもいられなくて! 嘘ですわよね? お兄様がわたくしを置いて遠くへ行ってしまうだなんて嘘ですわよね!?」

 

 ――この二年、ワイスはパトリオット宅に預けられていた。というのも彼女の実家はシュニー家で、父は多忙で家にほぼおらず、アカデミーの寮に泊まっている姉も同様で、母は生まれたばかりの末子の世話に忙殺されている。

 後はよそよそしい使用人しかいない。ジャックはワイスと末子ウィットリーを引き離しているため、肉親と触れ合える環境に置かれていなかった。

 そのくせ厳しい英才教育を受けているため精神的に疲弊してしまっている。空いた時間で度々パトリオット宅を訪ねてきてヨナタンの傍にいるのを見かねたパトリオットが、ジャックに直談判しワイスを我が家に迎え入れたのだ。それが、ワイスがヨナタンの家にいる理由である。

 

 三歳から五歳になった幼女のワイスにとって、もはやパトリオット一家はもう一つの家族に等しい。血の繋がりというものの重さを感じていても、ともするとシュニー家よりパトリオット家の方に愛着を感じているかもしれない。

 そんな環境で育ったワイスにとってヨナタンは実の兄のようなものだ。二年前から慕っていた兄が家からいなくなると聞きつけ、いてもたってもいられずこうして突撃してきたのだろう。

 

 彼女に対して微かな憐れみを懐きながらも、慈しみを込めてワイスの両肩に手を置いた。

 

「落ち着いて。そんなに取り乱していたら僕も話しづらい」

 

 両目を見詰めて、噛んで含めるように言い聞かせると、素直にワイスは口を噤む。しかし昂ぶった激情を持て余しているのは明らかだ。

 こういうのは大人が言い聞かせるものだろうに――と、都合の良い時だけ子供面をするヨナタンは卑怯である。が、えぇかっこしぃでもあるので、そうした内心をおくびにも出さず努めて優しげに口火を切った。

 

「その様子だと、僕が外国へ留学する話を聞いたみたいだね。誰から聞いたんだい? 父さんかな、それとも母さん?」

「……おじ様ですわ」

「父さんか」

 

 大方、事情を説明している途中で、ワイスはパトリオットの制止も聞かずにこちらへ走って来たのだろう。そこまで考えて思考を打ち切り、言葉を選んでワイスに厳しい決定を告げた。

 

「ワイス、よくお聞き。僕が外国に留学するのは、ずっと昔から決まっていた事なんだ」

「……どうしてですの?」

「理由は色々とあるけどね。そこはそんなに重要じゃない。僕が外国に留学するのと時期を同じくして、ワイスは元の家に帰ることになってるんだ」

「っ……!? な、なんで……? わたくしが邪魔に、要らなくなってしまったんですの……?」

 

 ワイスは驚きの余り、反駁の言葉をつっかえさせながら目を見開く。それは我が家から追い出され、途方に暮れた幼子のような反応だ。彼女がパトリオット家を自分の家のように大事に思ってくれていた証明でもある。

 彼女の脳裏には今、漠然とした思い出――広い実家の、冷たい空気が過ぎっているのだろう。途方もなく寂しそうな瞳をしていた。

 

 ヨナタンは彼女の疑問をはっきりと否定する。

 

「そんな事はない。ワイスは僕の大事な妹だ。捨てるなんて事はありえないし邪魔に思う事もない」

「だったら! だったら……どうして……」

「君のお父さん、ジャックさんのお仕事が一段落したみたいでね。自分の子供である君と、同じ家で生活するためだろう。元々ワイスのことは、僕の父さんが無理を言って引き取ってたんだ。その理由がなくなったなら、この家に留め置くことはできない」

「嫌! わたくしは嫌ですわ!」

「ワイス……」

「わたくしもお兄様と行きます! 会えなくなってしまうのは嫌ぁ……!」

「………」

 

 溜め込んでいた激情を決壊させ、とうとう泣き出してしまったワイスの手を握る。そうしながらヨナタンは掛けてやれる言葉を探した。

 

 ワイスはジャックによって、ヨナタンという【深淵狩り】とシュニー社を繋ぎ、社に利益を齎すために多くを許容されヨナタンの傍に置かれていたに過ぎない。そのヨナタンがソリタス大陸を離れ、サナス大陸へ留学する時期が来たのなら、ワイスをパトリオット家に預けておく理由はなくなる。

 ジャックとて人の親だ、ワイスに対する愛情はあるだろう。理由がないなら手元に置いておきたいはずだ。しかしジャックは厳格である。家に帰れば、ワイスに待っているのは今まで以上に息苦しい英才教育だろう。

 何せ彼女の姉が相続権を放棄している以上、シュニー社の跡継ぎはワイスになる。そんな彼女を甘やかして育てはしない。きっと、辛くて涙する。色々と我慢しなくてはならなくなる。だから今のワイスに必要なのは、希望だ。心の拠り所と言い換えてもいい。

 

「会えなくなったりはしないよ。毎年一度は必ず帰って来て、絶対にワイスに会いに行くから」

「……本当ですの……?」

「約束する。後――これから話すのは君の今後に関することだ」

「え……?」

「きっとワイスは、帰った先で過酷な教育を施されるだろう。けど勘違いしてはいけない。ジャックさんは君を愛している。厳しくするのはそれだけワイスに立派になってほしいからだ」

「………」

「それでも……何もかもが嫌になってしまうかもしれない。何もかもを決められた、雁字搦めの生活に息苦しくなってしまうかもしれない。だけどその時は思い出して欲しい。君には、僕がいる」

「お兄様が……?」

「ああ。君の人生は決められた事ばかりだけど、少なくとも僕だけは君の味方として、君が選べる選択肢を作ってあげられる。すぐにとはいかないけど、いつか必ず形にしてあげられるよ。……今のワイスには難しい話だったかな」

 

 理解の及んでいない表情のワイスに苦笑する。でも、それでいい。きっとこの約束はワイスの心を軽くする。今は空手形でも、ワイスは信じてくれる。

 口に出して本人に伝えたのだ、もう後戻りは出来ない。するつもりもない。ヨナタンはそっとワイスを抱擁し、その背中を撫でてやりながら嗚咽に震えるワイスを宥めた。

 

「僕を信じて。君は、自由だ。ジャックさんの期待に応えるのも、僕の作る選択肢を待つのも、重荷を放り捨てて飛び出すのも。何をしても、僕は君の味方をする。だから泣かないでおくれよ、ワイス。きっと大丈夫だから」

「……わかり、ましたわ……」

「ああ、良い子だ。それじゃあ父さん達の所に行こうか。実は秘密にしておいたけど、今夜はワイスと僕のためにパーティーの準備がされてるんだ。せっかくだし、二人でダンスでもしてみないか? 母さんなら絶対喜んでくれる」

「お兄様とダンス……」

 

 震えが止まったのを確かめて抱擁を解くと、ワイスは微かに頬を染めながら小さく頷いた。

 ヨナタンは微笑み、ワイスの手を取って部屋を出る。

 パトリオット宅もそこそこの広さの館である。小さな体と小さな歩幅だと、三階にあるマイルームから一階のリビングに向かうのにも少しだけ時間が掛かる。エレベーターを使ってもいいけど、今は歩いて行きたい気分だった。

 階段を降りる時は小さなお嬢様のエスコートをして、ワイスとヨナタンが来るのを待っていたパトリオットとトリシャの下に辿り着く。ワイスが飛び出していった事で、ヨナタンも一緒に来ると分かっていたのだろう。パトリオットは苦笑いをしながら――トリシャはほんのりと微笑みながら、雇われの家政婦たちを背に従えつつ優しく声を掛けてきた。

 

「すまないな、ヨナ」

「しっかりワイスちゃんをエスコートしてきたのね。偉いわ。さあ二人とも、今夜はパーティーよ。内々の小さなものだけど、うんと楽しみましょうね」

 

 説明を息子にさせてしまった事を謝るパトリオットに肩を竦め、ヨナタンの特異な内面を知っているのに包み込んでくれるトリシャに苦笑を浮かべる。偉大な二人だ、少なくとも自身の前身達よりもずっと。

 この人達の息子で良かったと、密かに思うものの。それを表に出すのは気恥ずかしく、ヨナタンは鼻頭を掻いて背を向けたパトリオット達の後に続く。外国に留学に行っても、ヨナタンはパトリオット達の事を片時も忘れないだろう――と、漠然とした安堵と多幸感を懐いた。今夜の事も、きっと忘れない。

 

 その日のパーティーは楽しかった。ワイスにとってもそうだろう。はにかみながら楽しみ、近く別れる事になるのを思い出して悲しそうに泣いて。しゃくり上げるワイスをトリシャが抱き締め、パトリオットが優しく声を掛ける。

 辛くなったらいつでもおいで、と。君は私達にとってもう一人の子供のようなものなのだから――と。声を上げて大泣きするワイスと、彼女を宥める二人を見ながら、ヨナタンは改めて決意を固めていた。

 

(やっぱり……何もかも放り捨てて行くには、父さん達も、ワイスも、重過ぎる……)

 

 自分を取り巻く環境やしがらみに嫌気が差したら、逃げ出す事も簡単だ。しかしそれは出来ない。何故ならヨナタンは両親の事を世界一愛していたし、ワイスの事を世界一大事な妹だと思っていたから。

 小さな子供の、小さな世界だ。だが今のヨナタンにとって、その小さな世界こそが全てである。自分の何もかもが詰まった世界を捨てる選択肢は最初から有り得ないものだ。

 

(僕は英雄になる。でもそれは、多くの人にとってではなくて――)

 

 この小さな世界の英雄になれたらそれでいい。だから、

 

(やろう)

 

 そして、成し遂げる。

 

 ヨナタン・ナーハフォルガー、決意の夜。極寒の王国、アトラスの一角にある邸宅での一幕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。