辿るは女神の足跡(そくせき)   作:なんじょ

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 ふと目を覚ました時、視界に映った天井が梁のわたった石造りのものだったので、一瞬混乱した。

(ここは……)

 夢うつつのままぼんやりと見上げ、手を額に当てる。

(あぁ、そうか。デネリムの、レッドクリフ伯邸か)

 少しずつ現状を思い出すと、それに伴い、夢が遠ざかっていく。

 眠気の覚めぬままシャーリィンはごろりと寝返りを打ち、枕に顔半分を埋めて目を閉じた。その闇の中に浮かぶのは、デイルズの部族での生活だ。

(久しぶりにタムレンの事を話したせいかな……)

 昨日の夜、レリアナ、モリガンに話して聞かせたからだろうか。

 夢の中でシャーリィンは子供に戻っていて、タムレンと一緒に居た。アラベルの隅に引っ込み、膝を抱えて泣くシャーリィンをタムレンが懸命に慰める、遠い日の情景――

(……ずいぶん昔の夢だ)

 思い返すと、苦い笑いが唇に上る。

 その頃、シャーリィンの母は、父を亡くしたショックで精神を病み、ある日ふらりと姿を消してしまっていた。そして母の居ないアラベルに取り残されたシャーリィンはその事で酷く心を痛めてしまった。

 周りのものがどれだけ慰めの言葉を尽くそうが、彼女が母に捨てられたというのは、代えようのない事実だからだ。

(今なら少し、母様の気持ちも分かる気はするけれど)

 しかし子供にとって、特に父親の居ないシャーリィンにとって、母は世界にも等しい、大きな存在だった。

 その世界が突然無くなってしまえば、深く傷つき、自分の殻に閉じこもってしまうのも致し方ない事だろう。

 悲しみの内に沈み、頑なに人を寄せ付けようとしない子供に、一人、また一人と根負けして立ち去り、やがて父の跡を継いだ伝承者も彼女から離れてしまった――唯一、タムレンだけを残して。

『泣かないで、シャーリィン。僕が一緒にいるから。ずっと一緒にいるから』

 自分も泣き出しそうな顔で一生懸命に語りかけてくるタムレン。

 自分とそう年の変わらない相手だったからなのか、あるいはタムレンが決して諦めず、彼女を慰め続けた為なのか。シャーリィンはやがて少年に心を開き、彼と一緒の時には、笑って過ごせるようになっていった。

(……懐かしいな)

 遊び疲れ、アラベルの中で並んで眠りについた、幼い頃の思い出。それを思い返すと、甘やかな、そして少し悲しい気持ちに胸が締め付けられる。

(でも、苦しくはなくなった)

 そっと胸元に手を当て、シャーリィンは小さく息をついた。

 ガントレットにいたるまで、眠りにつくと決まって、タムレンの夢を見た。

 懐かしく輝かしい子供時代、長じて共に森を馳せた心躍る狩人の日々、しかしやがて夢の中で二人はあの洞窟にたどり着き――いくら止めようとしてもタムレンは鏡の中に吸い込まれ、やがて穢れに冒されたあの姿で、殺してくれと懇願してきた。

 それに対してシャーリィンは泣きながら拒み、必死で彼を説得しようとしたが、いつも背後から飛んできた短剣が全てを終わらせ、絶望の闇に塗りつぶしてしまった。

(だからあの時は眠れなかったし、ゼブランを憎いとさえ思っていたが)

 ぎゅっと手を握り、目を開く。

(もう、大丈夫だ)

 身を切り刻まれるようなあの息苦しさは、もう無い。タムレンと共に過ごした日々を思い返しても、暖かい愛しさと感謝が胸に満ちるばかりだ。

(タムレン……ありがとう)

 もはや伝える事の出来ない思い。それをそっと呟いた後、シャーリィンはもう一度寝返りを打って眠ろうとした。

 しかし思いを巡らせているうちに、睡魔はどこかへ去ってしまったらしい。瞼を閉じてもいっこうに眠気は訪れず、さらに転々としたが、どうにも寝付けそうにない。

(えぇい、もう起きてしまえ)

 いっそのこと、とばかりにベッドを下りて着替えると、シャーリィンは部屋の外へ出る。森の中で暮らす部族の生活を夢に見たせいか、無性に外の空気が恋しくなった。

 

* * *

 

 時刻はまだ、夜が明けてまもなくほどだろうか。館の中はしんと静まりかえり、もちろん仲間たちの姿は見ない。

 幾人かの使用人たちはすでに忙しく立ち働いているのか、シャーリィンに出くわすと、慎ましく道を開けて頭を垂れる。

(……いつまで経っても慣れないな、こういう扱いは)

 静かに廊下を歩きながら、シャーリィンはため息を漏らした。

 グレイ・ウォーデンになってからというもの、多くの人々に敬意を表され、まるで賓客のように扱われるので落ち着かない。

 自身に視線が妙に集まるのは昔からだが、最近はそれに加えてこの状態なのだから、肩が凝って仕方がなかった。

(とはいえ、この戦いにグレイ・ウォーデンの名声が一役買っているのは事実だ。せいぜい評判を損ねないよう、努めるしかないな)

 ロゲインに対抗し、ブライトへの軍をまとめるには、相応の理由がいるのだ。その一端を自身が担っているのなら、多少居心地の悪い思いをしても、我慢しよう――とは思うのだが、

(やはり、息苦しい)

 レッドクリフ城の時よりもさらに強くそう思い、シャーリィンは足を早めた。

 この両肩にかかる責任の重さもあるが、やはりデイルズの身で石の中に閉じこもっているのは気が滅入る。

 早く、早く外に出たいと足早に急ぎ、シャーリィンはとうとう前庭に出る扉にたどり着いた。それを開こうとして、ふと、

(……水音?)

 その向こうから聞こえてきたそれに、耳を動かす。

 こんな朝早くに、井戸を使っているものがいるのだろうか。あぁ、もう朝食の準備を始めた使用人か何かか? 出来れば一人で外気を浴びたかったんだが――そんな事を思いながら、扉を押したシャーリィンは、

(えっ)

 その隙間から見えた光景に、どきっとして凍り付いてしまった。

 まだ外は薄暗く、扉を開けた先からひゅう、と冷たい風が吹き付けてくる。

 日の光よりも松明の方がまだ明るく周囲を照らし、風が鳴るたびに揺れて、その下で影が生き物のように蠢く中――井戸のそばに立っていたのは、ゼブランだった。

(な……んで、ゼブランが)

 まずい。今顔を合わせたら、まともに話せない。すぐに回れ右して部屋に戻らなければ。そう思うのに、シャーリィンはゼブランから目が離せなかった。

 ゼブランは上着を脱いで、上半身を外気に晒していた。井戸から汲み上げた桶を傾けて頭から水をかぶり、あぁ、と呻いて顔を拭う。その色黒の肌が光を弾いて輝き、薄闇の中で浮かび上がってみえた。そのすらりとした立ち姿は男でありながら美しささえ感じさせて、視線を奪ってしまう。

 ……シャーリィンはもちろん、男の裸など見た経験が少ない。

 せいぜいタムレンと水遊びをした時くらいが関の山で、後はドラコン砦でアリスターを見てしまったくらいか。

 タムレンは狩人で、しかも裸に近い姿を目にしたのは子供の頃だったので、細身でそれほど筋肉はついていなかった。

 一方アリスターはといえば、そうじっくり観察した訳ではないが、タムレンとは正反対のがっしりした分厚い体つきで、さすがあれだけの重甲冑を着こなすだけの事はある、と納得させられる頑健さだった。

 そしてゼブランはどうかといえば、ちょうど両者の中間といったところだろうか。

 タムレンよりは無論しっかりした体だが、アリスターよりは細い。以前アリスターが評したように、純粋に戦闘能力だけを問えば、彼は最高の戦士とは言えないだろう。

 だが、その体はやはりシャーリィンのそれとは違い、がっちりと隙なく綿密に鍛え上げられていて、間違いなく『男』の肉体だった。細くとも筋肉の詰まった肩は動くたびに滑らかに動き、広い胸の上を、炎の灯りがうねるように滑っていく。

(私は……あの胸に抱きしめられたのか)

 それを見た途端、砦から生還した時、ゼブランに力強く抱擁された事――さらにはあのしなやかな腕に捕らえられ、ベッドの上でのし掛かられた事まで思い出してしまい、

「~~~~!」

 火が出そうな勢いで顔が熱くなってしまった。慌てて目をそらし、開きかけた扉から遠ざかろうとしたが、

「……シャーリィン? そこにいるのは君か?」

 それより早くゼブランに気づかれてしまった。うっ、とシャーリィンは硬直する。一瞬激しく葛藤したが、この状態で逃げ出すのはいくらなんでも心象に悪かろうと覚悟を決めて、

「……あ、あぁ。私だ。お、はよう、ゼブラン」

 ぎくしゃくしながら外に出ると、思い切り顔をそらしながらぎこちなく挨拶をした。それにおはようと返してきたゼブランは苦笑し、

「シャーリィン、どうしてそんなによそを向いてるんだい? 僕の顔は見たくない、ってところかな」

 そんな事を言ってきたので、「ち、違う、そうじゃなくて」シャーリィンは首を振って否定する。

「その……ふ、服を着てくれないか、ゼブラン。目のやり場に困る」

 小さな声で嘆願した。ゼブランは一瞬間を置き、ハハハ! と笑い声を上げる。

「何だ、これじゃいつかの逆だな。シャーリィン、どうせなら好きなだけ見てくれて構わないよ。なんなら――、」

 いつものようにからかう口調で言葉を連ね、しかしふと切った。「いや、済まない」と突然殊勝に謝り、

「……今着るから、ちょっと待ってくれ」

 しゅるしゅると衣擦れの音を立てて身支度し、もう大丈夫、と声をかけてきた。

「そ、うか」

 今、不意に空気が変わったような気がする。おそるおそる目を向けると、きちんと服を纏ったゼブランが苦笑いを浮かべていた。視線が合うとまた微妙にずらし、

「普段よりずいぶん早いな。昨日はよく眠れたかい?」

 まだ濡れている髪をかきあげながら言う。

「あぁ……なんだか、目が覚めてしまってな」

(……また前に戻ってしまった気がする)

 それに答えながら、シャーリィンは胸に痛みを覚えてしまった。

 ゼブランの態度はまた、以前のよそよそしいものに戻っているようだ。

 昨日のように、こちらが困惑するほど心配され、片時も離したくないとそばに付いてこられるのも困るが、他人のように振る舞われるのは苦痛だ。しかし、ことさらをそれをとがめ立てするのもおかしい気がして、口に出せない。

 シャーリィンは自分の腕を握り、俯いて話の接ぎ穂を足す。

「お前は……何をしていたんだ? まだ寒いのに、外で水浴びなんて」

「僕は身を清めていたのさ。今日、君に裁きを下してもらうためにね」

「え?」

 返答はいつものごとく軽い調子だったが、内容が重々しい。聞き違いかと視線を上向かせると、ゼブランは静かに歩み寄ってきて、シャーリィンの前に立った。

 彼が近づいてきた事にどきりとしてシャーリィンは一瞬身構えたが、その距離は、話すには支障ないが、手を伸ばしても届かないほど。少し離れた場所で彼女を見つめ、ゼブランは静かに微笑む。

「ちょうどいい。今、僕の懺悔を聞いてくれるかい、シャーリィン」

「懺悔?」

 一体何のことかと目を瞬かせるシャーリィンに、ゼブランは目を伏せて言う。

「分かってるだろう? ――先日僕は、君にとてもひどい事をした。君を傷つけた。それを後悔している」

 そしてその場に膝をつくと、自身の長剣を差し出す。

「だから、僕の罪を裁いて欲しい。これ以上君を傷つける前に――この身の要不要を、君が決めてくれ」

「……な」

 ずい、と剣の柄を突きつけられ、シャーリィンは絶句してしまった。

 いつもの冗談かと一瞬思ったが、ゼブランは掛け値なく本気だ。まるで物を残すか捨てるかを決めるように、自身の命をシャーリィンに選別させようとしている。

「ば……馬鹿な!」

 シャーリィンはカッとなって、思わず叫んだ。ほとんど反射的に剣を押しのけると、ゼブランの前に腰を下ろし、馬鹿を言うな、ともう一度怒声を発する。

「そんな事するわけないだろう! 何を考えてるんだ、お前はっ」

「――なぜ?」

 対してゼブランは困惑し、眉根を寄せる。

「シャーリィン、君は僕の主人だ。下僕(しもべ)の身柄をどうしようと君の自由だし、僕のした事は決して許されるものではなかった、そうだろう?」

「それは、……いや、違う」

 確かに襲われた事はとても怖かったし、それについてはゼブランに罪を問うてもいいのかもしれない。だが、シャーリィンはそんな事を望んではいなかった。首を振り、

「ゼブラン、私はお前の仲間であり、主人ではない。お前の命を無闇に奪うような事は出来ない」

「でも、僕は――」

「ゼブラン、いいから私の話を聞け」

 これ以上話をさせたら、何を言い出すか分かったものではない。シャーリィンは強引に遮り、きっと目を鋭くして続けた。

「そんな風に自分の命を軽く扱うな、ゼブラン。お前はもう黒カラスじゃないのだから、自身の生き死にを他人に委ねるんじゃない。

 大体、そもそも過ちを犯したというのなら、まず生きて償う方法を考えるべきじゃないのか? 死に急ぐのは逃避に過ぎないと言う事は、お前こそ一番よく分かってるはずだ」

 ガントレットで死にたいと自棄になったシャーリィンを諭したのは、誰であろう、ゼブランだ。その彼が自身を貶めるような真似をするのが、苛立たしくて、悲しい。強く言い募ると、ゼブランは目を伏せ、

「……だが」

 小さく呟き、

「だが、過ちは一度では済まない。これから先、僕は同じ事をしないとは誓えない」

 そしてシャーリィンを見た。その瞳に苦悩と、悩ましいほどの欲望をたたえて。

「僕は君が好きだ、シャーリィン。君を見ているだけで満足だと、いくら自分に言い聞かせようと、もう誤魔化しきれない。

 君が欲しい……君を愛したい。どこにも行かないように閉じこめて、僕だけのものにしたい」

 声が熱を帯び、抑えきれない感情に揺れる。ゼブランは思わず、といった様子で手を持ち上げて、シャーリィンの頬に触れようとした。だがそれは間近で硬直し、力なく落ちる。

「だが、君は僕のものじゃない。強く美しく、誰よりも気高いデイルズエルフたる君は、そんな自分勝手な欲望の犠牲になっていい訳がないんだ。

 だから――君は僕を殺すべきだ、シャーリィン」

 一方の手に握る長剣をもう一度差しだし、地面を見つめてゼブランは静かに告げた。

「僕には立ち去る勇気がなく、君を諦める事も、自分で死ぬ事も出来ない。

 ……シャーリィン、お願いだ。もうこれ以上、君への気持ちで苦しみたくない。

 仲間としてでいい、少しでも僕に哀れみを持っているのなら、どうか情けをかけてくれ。君が僕を断罪するというのなら、それを甘んじて受け入れるから」

 切々とした呼びかけはそこで途切れた。

 しん、と沈黙が落ち、風が吹き抜ける音だけがむなしく響く。その音を聞きながら、シャーリィンはぐっと唇を噛んだ。

 俯く彼にはこちらの様子など目に入っていない。きっとその胸には死の決意を抱いているのだろう、剣を持つ手は揺るぎもせず、まるで粛々と裁きを待つ罪人のようだ。

「ゼブラン」

 やがてシャーリィンは手を伸ばし、剣に触れた。しかし柄を通り過ぎ、鞘を掴んでゼブランの手中から引き抜くと、そのまま地面に置く。そしてそれを見つめ、

「……馬鹿を言うな」

 震える声で囁いた。ぴくっとゼブランが動くのを視界に映しながら、静かに続ける。

「あの一件については、私にも落ち度があった。気づかなかった事とは言え、お前の気持ちを考えもせず、自分の好き勝手に振る舞ってしまった。

 もしあの事が罪だと言うのなら、私も責めを負わなければならない」

「何を言ってるんだ、シャーリ……ィン?」

 ばっと顔をあげたゼブランが、しかし訝しげに疑問の声を漏らす。おそらくは見てしまったからに違いない――耳まで赤くなったシャーリィンのおかしな様子を。

「そ、それに」

 一気にぶわ、と汗が噴き出したような気がして、シャーリィンはますます頑なに地面に視線を固定した。今ゼブランの顔を見てしまったら、言葉が出てこなくなってしまう。

「仲間としてというなら、なおさら斬れる訳がないだろう。ここまで共に、数多くの苦難を乗り越えてきたお前は、間違いなく大切な仲間だし」

 いつの間にか乾いた喉にごくり、と唾を飲み込み、

「私にとっては――それ以上の存在だとも、思っているのだから」

 決死の思いでその言葉を口にした。

(……つ、伝わるか? これで伝わるのか!?)

 しかし言った端から足りない気がして、なお付け足そうと思うのだが、声が出ない。告白なんて初めてしたし、今もって自身の気持ちを把握しきれていないので、これで正しいのかどうかも分からない。しかも頭に血が上ってうまく動かず、めまいさえしてくる。

(ああ、視界がぐるぐるしてきた……!)

 いっそこのまま倒れた方が楽かも知れない、そんな事まで考えた時、ゼブランが動いた。

「!」

 剣に置いた手に、大きな手が重なり、ぎゅっと握りしめられる。その温もりにどきっとした時、ゼブランは腰を上げながら、シャーリィンの手を取って、立ち上がるのを手伝った。

 再び向き合って立つ二人。

 しかしその距離は先よりも近く、シャーリィンは自分の鼓動が聞こえてしまうのではと心配になるほどだ。しかもゼブランはまだ手を握ったままなので、乱れる脈拍や熱が上がっている事も気づいているかもしれない。

「ぜ、ゼブラン。手を」

 離してくれ、とか細い声で頼もうとしたが、しかしもう一方の手がシャーリィンの顎に添えられ、

「シャーリィン。顔を見せて」

 柔らかな、優しい声と共に、つと持ち上げられてしまう。自分を見下ろすゼブランの目に、動揺して今にも泣きそうになっている自分の顔が映るのを見て、シャーリィンは消え入りたい気持ちだった。

(や、やっぱり言うんじゃなかった! みっともないにも程がある!!)

 レリアナに励まされて、ここだとばかりに思い切って告白してみたが、こんなに恥ずかしいものだとは思わなかった。

 頭の片隅では、今言って良かったのだと、そうしなければ永遠にゼブランを失う事になっていただろうと理性的に考えはするのだが、わき起こる羞恥心はいかんともしがたい。

 しかし、じっとシャーリィンを見つめるゼブランの表情は、何とも複雑だった。

 彼はあの足りない言葉で確かにシャーリィンの気持ちを読みとり、その眼差しにはまた、狂おしいほどの情熱が見え隠れしている。だが、

「シャーリィン……今のは、本当に君の気持ちかい? 君は僕を想っていると、本気で言っているのか?」

 言葉を紡ぐうちに疑心暗鬼が広がり、探るように目を細めてしまった。

 その物言いに、シャーリィンはカチンとする。こんな恥ずかしい思いをしてやっと言ったのに、疑われるなんて冗談ではない。

「ほ、本気に決まっている。私が嘘は嫌いなのは、お前だって良く知っているだろう」

 若干の怒りと羞恥心の混じった口調で言い返すと、ゼブランはでも、と一瞬口ごもった。迷う視線を左右させた後、思い切った様子で続ける。

「……君はまだ、タムレンを愛しているんだろう? 彼は、もちろんすでに死んでしまったけれど、君はいつまでも愛していると、ガントレットで誓いを立てたはずだ。その誓約を忘れてしまったはずがない」

「……………」

 そこでシャーリィンはぽかん、とした。刹那硬直してしまった後、またもくらりとめまいに襲われる。

 しかし今度は恥ずかしさ故ではなく、呆れて気が抜けたせいだ。レリアナといい、モリガンといい、このゼブランまで、

「ど……どうしてお前たちはそういう……」

 妙な勘違いをしているのだ。思わずぐったり肩を落としてしまったが、しかし考えてみれば、シャーリィンはこれまでタムレンの事を詳細に説明した事はなかった。

 自分にとっては当たり前の存在だったし、彼の事を改まって仲間に話す機会など、ほとんど無かったのだから。

「……いや、多分、きちんと話さなかった私が悪いんだな、うん……」

「シャーリィン?」

「あのな、ゼブラン」

 咳払いをして、シャーリィンは訝しげなゼブランを見上げて、きっぱり告げる。

「言っておくが、タムレンは私の兄のようなもので、家族としての愛情は持っているが、それ以外に思うところは何もない。

 家族を愛するのは当然だ。お前だって、今も母君を大事に思っているだろう? それと同じ事だ」

「…………」

 するとゼブランは顔色を変えた。目を見開いてしばし硬直した後、掠れた声で呻く。

「……兄だって? 本当に?」

「あぁ、そうだ。間違いない」

 シャーリィンがそれに頷いてみせると、

「……まさか……、そんな、本当に、本当なのか? シャーリィン、君はつまり……、タムレンじゃなく、僕を………あぁ、主よ! アンドラステの名にかけて、信じられない!」

 ゼブランはいきなりどっと全身で息を吐き出して、天を仰いだ。あぁ信じられない、ともう一度叫び、急に高らかに笑い出すと、再び顔を戻してシャーリィンに真っ直ぐな眼差しを向けてきた。

 その表情は憑き物が落ちたかのように明るく、喜びに満ちあふれて、まるでこの世で最も幸せな男のようにさえ思われた。

「ああおかしい、僕はとんだ間抜けだな。笑ってくれて構わないよ、シャーリィン。君を失いたくないあまり、この僕が、アンティヴァいち恐れ知らずの暗殺者と歌われた僕が、真実を確かめる事さえ出来なかった。答えはもう、目の前にあったというのに」

「じゃ、じゃあ、もう死ぬだの殺せだの、言わないな?」

 満ち足りた笑顔にどぎまぎしながら確認すると、ゼブランはハハハともう一度笑って、首を振った。

「あぁ、いわないとも。僕は君のものだ、シャーリィン。君がこの身を望んでくれるのなら、たとえ死んでも生き返ってみせる」

「馬鹿、その前に死ぬな……っ」

 まだ戯言を言うのかと荒げかけた声が途中で止まったのは、ゼブランが不意にシャーリィンの手を持ち上げ、その甲に口づけをしたからだった。

「なっ……!?」

 不意打ちで柔らかな温もりが押しつけられ、心臓が跳ね上がる。カーッと体が熱くなってまたも汗が出てきて、

(うわ、手が震える、汗ばむっ……!)

 慌てて振り払おうとしたが、出来ない。指先をそっと包み込むゼブランの手は力を込めている訳でもないのに、何故か無下に出来なかった。どころか……その暖かさをいつまでも感じていたいと、ずっと感じていたいと、そう思う自分を発見してしまい、シャーリィンは狼狽えずにはいられなかった。

 やがて、ちゅっと音を立てて唇が離れたかと思うと、ゼブランはさらに手を引き寄せた。シャーリィンの手に自分の指を絡めて繋ぎ止め、一方の手でこちらの頬を優しく、円を描いて撫でる。

「……シャーリィン」

 名を呼ぶゼブランの声音が甘く優しくて、シャーリィンは息が出来なくなった。

(ぜ、ゼブラン……)

 今や破裂しそうなほど鼓動する心臓のおかげで、何も聞こえない。シャーリィンは引かれるままゼブランの胸に寄りかかった。

 震えながら顔をあげて、自分だけを映し出すその瞳を見つめ返し、それが少しずつ近づいてきて――

 がちゃっ。

 しかし突然割って入った音で、我に返った。

「!!?!」

 ばっと勢いよく手を頭上にあげて飛びすさって音の方へ顔を向けると、ちょうど台所から出てきたらしい女が、目を丸くして二人を見比べていた。

「あ……えぇと、し、失礼しました」

 何かただならぬ気配を感じ取ったのか、慌てて引っ込んで扉を勢いよく閉める。しかしそれで元の雰囲気に戻れるはずもなく、

「その、あの、ぜ、ゼブラン……ま、またな!」

 我に返ったシャーリィンは意味もなく手を振って、あたふたとその場から逃げ出してしまった。出てきた扉へ飛び込み、全速力で自室に向かって駆け出す。

「シャーリィン!」

 ゼブランの声が後を追いかけてきたような気がするが、今は恥ずかしすぎて顔を合わせられない。

(わ、わ、私はあんなところで、な、何をしようとしてたんだ!!)

 ゼブランは確かにシャーリィンを好きだといった。

 シャーリィンも、タムレンに関する誤解をといて、自分の思いを伝える事が出来た。

 今はもうそれだけで精一杯なのに、この上、人目もありそうな場所で以前のような口づけをされたら、もはや事態はシャーリィンの許容範囲を超えてしまう。

(あああ、何でこんなに恥ずかしいんだ、もうだめだっ)

 恥ずかしさのあまり叫びだしたい心境でぎゅっと目を閉じた時、

 どしんっ!

「うわっ?」

 壁のようなものに思い切りぶつかった上に、弾かれてしまった。

「わっ……」

「っと、危ない!」

 そのまま後ろに転びそうになったが、すんでのところで腕を掴まれる。シャーリィンの手首を一回りしてなお余るその大きな手は、

「あ、アリスター?」

 もう一人のグレイ・ウォーデン、アリスターのものだった。まだ起きたばかりなのか、ぼさぼさの頭をした彼は目を丸くしている。

「すまん、前を見てなかった。大丈夫か?」

「あ、いや、こっちこそ……」

 ぐいと引き戻されて真っ直ぐ立ち直し、シャーリィンは息を吐く。ここまで全力疾走してきたおかげで、呼吸が荒い。アリスターが不思議そうに首を傾げた。

「こんな朝早くに走り回るなんて、どうしたんだ? シャーリィン。何か緊急事態でも?」

 確かに緊急事態だ、それは間違いない。しかしまさか喋るわけにもいかないので、

「い、いや、そういう訳じゃない。アリスターこそどうしたんだ。朝食はまだだと思うぞ」

 息を整えながら尋ねると、彼はふと眉根を寄せ、

「少し一人で考えようと思ってたんだが……お前に出会ったのなら、今話せという事なんだろうな。……シャーリィン、実はお前に相談したい事があるんだ」

 神妙な顔で、そう切り出してきた。それが常になく真剣な様子なので、シャーリィンもまた表情を引き締め、

「……何だ? アリスター。私でよかったら、何でも聞くぞ」

 ひとまずは浮かれ気分を封じて、真面目に応えたのだった。

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