辿るは女神の足跡(そくせき)   作:なんじょ

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 私はこの日を忘れはしないだろう。

 闇に覆い尽くされようとする国を救う為、全ての者が一致団結し、立ち向かったこの日のことを。

 

* * *

 

『今日、デネリムを救う! 今日、我が亡き兄弟ケイラン王の仇を取る! 何よりも今日、今は亡きグレイ・ウォーデン達に、その犠牲に敬意を表すのだ!』

 武器を携えた男たちの前で、アリスターが高らかに声を上げ、皆が剣を掲げてそれに応える。その胸に揺るぎない勝利への誓いを刻み、最後の戦場へと足を踏み入れた。

『これからもずっと、あなたを大切に思い続ける。良き人生を、友よ。輝かしい人生を』

 避けられない決別を宣言しながら、離れがたいと言いたげな眼差しで、モリガンが彼女を見つめる。

『別れの言葉なんて言わないよ。僕はどこまでも、君と一緒だ』

 満ち足りた表情で微笑み、ゼブランは彼女の手を握りしめる。

 仲間たちの言葉。共に戦場に立つ者たちからの激励。

 それらが彼女の背中を押し、前へ、前へと走らせる。

 熱く高鳴る血潮と自らを鼓舞する雄叫びをあげて、敵を切り捨て、屍を乗り越え、高みを目指して駆ける。もはや迷いも怯えもない。あるのはただ――ここで全てを終わらせるという決意のみ。

 

* * *

 

 はぁ、はぁ、と荒く呼吸する、その動作すらも、全身に痛みが走って辛い。

 シャーリィンは最後の矢を放った弓を投げ捨て、背に負ったダンカンの剣を抜いた。その眼前にあるのは影――見上げるほどの巨体を有したアーチデーモンの姿だった。

(足を……やられた)

 ここに来るまでの戦闘で、シャーリィンはすでに浅からぬ傷を負っている。

 白い肌のあちこちが切り裂かれて血に濡れ、デイルズの鎧はほとんど用をなさなくなるほど壊れかけている。

 しかも、先ほどアーチデーモンの尾になぎ払われて壁にたたきつけられた時、左足に激痛が走った。何とか立ち上がりはしたが、地面に足をつく事が出来ず、よろよろと壁にもたれかかってしまう。おそらく、骨が折れているのだろう。

(皆、は……)

 時折ぼやける視界に映るのは、倒れ伏す人影。

 援軍も仲間達も、すでにそのほとんどが傷つき、身動き叶わない状態になっていた。呻きながら起きあがろうとしているところを見ると、まだ息はあるようだが、このままでは遅かれ早かれ全滅してしまうだろう。

「は……はぁっ……!」

 シャーリィンはあえいで壁から離れ、足をひきずりながらアーチデーモンの前へと向かう。

 全身はぼろぼろだ。手にした剣も重く、今にも落としてしまいそうだ。この状態で竜に立ち向かうなど、自殺行為に他ならないだろう。

(だが……後、少しなんだ)

 キシャァァァァッ!!

 轟、と風が吹き付け、耳をつんざく竜の咆吼が響きわたる。

 歯を食いしばってきっと見上げた先で、アーチデーモンは長い首をもたげ、その体に何本も突き刺さったバリスタの槍を抜こうと悶えている。その巨大な翼の片方は皮膜が縦に引き裂かれ、もはや自由に飛ぶことも出来ず、ここに至るまで、命を省みず飛びかかっていった戦士達によって、その体のあちこちからどす黒い血を吹き出していた。

(アーチデーモンも、弱っている……後は、とどめを、私が……)

 ずる、ずると引きずる音を聞きつけたのか、瓦礫に体を挟まれたアリスターがよせ、と切れ切れに叫ぶ。

「シャーリィンっ……一人で、行くな、今、俺も……!」

 いいや、それでは間に合わない。シャーリィンは痛みと血が抜けていく冷たさに襲われながら、地を蹴った。

(とどめを……刺す!)

 これが最後の攻撃と覚悟を決め、全身の力を振り絞って剣を振りかざす。だがその刃がアーチデーモンの体に届く前に、宿敵の接近を察知し、竜の首がぐわんと回ったかと思うと、

「ぐっ……あっ!!」

 突然横殴りの衝撃を受け、視界がめまぐるしく入れ替わった。デネリムが一望出来るほどの高みまで急激な速さで持ち上げられたシャーリィンは、次の瞬間腰から下がちぎれるかと思うような激痛に襲われ、

「アァアアアア――っ!!!」

 喉から絶叫をほとばしらせた。アーチデーモンがシャーリィンをその口にくわえ、ぞろりと並んだ鋭い牙を、万力のような力で容赦なく突き立ててきたのだ。

 バキバキバキッ!!

 肉が裂け、血が飛び散る中、乾いた木が何本も砕けるような音を立てて、足の骨が粉々になっていく。その衝撃にシャーリィンは叫び声さえあげる力も無くし、喉からこみ上げてきた血をごふっと吐きだした。

(だめ、なのか。ここで、しぬのか)

 あまりにも傷つきすぎて、もはや痛みさえわからなくなってくる。遠ざかっては戻る意識を必死に保とうとしながら、シャーリィンは絶望した。ようやくここまで来たのに。ようやく、全てを終わらせられるのだと信じていたのに。

(ここで……おわりに……)

 アーチデーモンが味わうように咀嚼する下半身は何の感覚もなく、血を失いすぎて力が抜け、剣を持つ手がだらりと下がる。目前に迫る死をもはや無視する事も出来ず、シャーリィンの視界が暗くなっていく。しかしその全てが暗転する直前、

 ドスッ!

 不意に何かの衝撃が伝わり、

 グォァアァァァァッ!!

 途端、アーチデーモンが苦痛の叫びをあげた。

「!」

 その一瞬に覚醒したシャーリィンは、牙から解放されて空中に投げ出されるところを、咄嗟にアーチデーモンの鼻先にしがみついた。

「ぐうっ……!!」

 竜がそれを振り払おうとするのに何とか抗し、必死でしがみつきながら、シャーリィンは見た。

 アーチデーモンの左目に深々と突き刺さった短剣……その、黒カラスの印を。

 

――ゼブラン!!――

 

 火花が飛び散るようにその名が、その姿が、薄れかけた意識の中で閃き、新たな、そして最後の力を彼女に与える。

「あ、あぁ、あああああっ…………!!」

 掠れた声を絞り出し、シャーリィンは剣を持ち上げ――そして渾身の力を込めて、その赤い切っ先をアーチデーモンの眉間に突き立てた。

 

* * *

 

 その時、デネリムで戦う者は皆、それを目にし、耳にした。

 逃げ損ねた民が死に、仲間達が次々と倒れ、死体だけが増えていく絶望的な戦いの最中、ドラコン砦から天に向かって放たれた、光の柱を。

 そして、地を揺るがすような、おぞましい怨嗟に満ちた竜の断末魔の叫びを。

 それはアーチデーモンの最期。ブライトの終結を意味する、勝利の証。

 だがその時、人々はまだ知らなかった。

 この戦いを終わらせた英雄の一人が、その光の柱の元で意識を手放し、息さえ止めてしまった事を。

 アーチデーモンの魂の放出にはじき飛ばされたその細い体を仲間に助け起こされ、いくら呼びかけられても、彼女が応えなかった事を――邪竜の死に勇気づけられ、目の前の敵へ猛攻を始めた人々は、まだ何も知らなかったのである。

 

 

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