辿るは女神の足跡(そくせき)   作:なんじょ

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 白い。目に映るもの何もかもが、白くてまばゆい。日差しが降り注ぎ、鳥の歌声が聞こえる。

 どこだろう、と考えて、すぐに気づく。ここは森だ。枝葉を伸ばした木々が風に揺れる音が耳に届き、素足の裏に土と緑の柔らかさを感じる。それなのに、その全てが白一色で、木の幹に触れたところで、少しも温もりを感じなかった。

(ここは……私は……?)

 目当ても何もないまま、ただぼんやりと歩を進める。

 暖かみのない森の光景にうっすらと違和感を覚えるが、しかし穏やかな平穏に満ちたこの空間はすぐに心をもなだらかにする。色の温みはない、だがここは確かに自身が生まれ育った森であり、全てを受け入れてくれる安息の地だった。

(こんなに穏やかな気持ちになるのは、久しぶりだ)

 重なる枝の合間から陽光が差し込み、白の森を更に輝かせる。一点の穢れもない森は、隅々まで美しく完成された世界だ。

 その中をさまよいながら、その完璧さに酔いしれ、やがて穏やかなまどろみに誘われる。

 ひねこびた巨木にうろを見つけ、吸い込まれるようにその中へ身を落ち着けると、すぐさま眠気が忍び寄ってきた。

(あぁ……このまま……寝てしまいたい……)

 甘く濃密な眠りの中に、意識がずるずると引きずり込まれていく。

 それにあらがいもせず、重たい瞼を下ろし、木の抱擁に寄りかかって今にも眠りに落ちそうになった時、

『シャール……シャール』

 不意に懐かしい声が彼女を呼んだ。うとうと眠りかけていたシャーリィンは、その呼びかけにぼんやりと目を開き、

「……タムレン……?」

 木の前に立つ義兄の姿を見上げた。タムレンはすっと手を差しだし、

『シャール、おいで。そんなところで眠っては駄目だ』

 穏やかに命じてくる。

「……うん……」

 また、風邪を引いてしまうと怒られるかもしれない。体は今すぐ眠りたいと、頭痛を訴えるほどに要求してきていたが、タムレンの小言を聞かされるのはごめんだ。

 シャーリィンはおとなしくタムレンの手を借り、うろの中から身を起こす。途端、ずっ……と音を立てて世界が揺れ、突然全てが暗転した。

「っ!?」

 はっと覚醒したシャーリィンは、何が起きたのかと周囲を忙しなく見渡す。

 これまでの静かな森の光景は一瞬にして無くなり、辺りは闇に染め抜かれていた。足下には確かに感触があるのに、地も天も全てが黒々と沈み、目が見えなくなったのかと錯覚するほど一片の光も見えはしない。

「タムレン、これは……」

 よすがとなるのは、彼女の手を握るタムレンだけだ。暗闇の中にあって唯一、白々とした光をまとったデイルズエルフは、シャーリィンの両手を取り、微笑む。

『シャール。君はまだ、ここに来てはいけない』

 反響して響く不思議な声で諭され、シャーリィンは目を瞬いた。

「来てはいけないって……タムレン、ここはどこなんだ? 私はどうなったんだ?」

 この場所が何なのか、そもそもどうやってここに来たのかも覚えていない。不安に襲われてすがると、タムレンは静かに応える。

『忘れてしまったというのなら、思い出して。君には置いてきてしまったものがあるはずだ。決して置き去りにしてはいけない、大切なものが』

「大切な、もの?」

 それは何だ。私は何を置いてきた? タムレンの投げかけた問いの答えを求めて、自身に問いかけた時、

 ――今この国でブライトを止められるのは、俺とお前だけなんだぞ――

 ――僕がいつもこうして君に触れたいと、気が狂いそうなくらい思い詰めてるなんて――

 ――……ずっと……愛していた……すま、ない……シャール……――

 ――……シャーリィン。それは言ってはいけない事よ。彼に謝りなさい――

 ――君は僕の罪を許し、受け入れてくれた。かつて僕が出来なかった事をしてくれたんだ――

 ――感謝するよ、シャーリィン。あんたは俺達を救ってくれた――

 ――ケイラン王やダンカンや、ここで死んだ皆に、勝利を報告しなきゃな――

 ――ああ……君が無事で、良かった――

 ――その気持ちをきちんと伝えて、幸せになって欲しいわ――

 声が溢れる。声に満たされる。次々と聞こえてくる声が、空っぽになっていたシャーリィンの心を埋め尽くしていく。

(あ……あぁ……)

 その声の一つ一つが懐かしく愛しく、ただひたすらに、恋しい。不意に胸が苦しくなり、目から涙がこぼれ落ちる。シャーリィンは泣きながら、タムレンの手をぎゅっと握り返した。

「タムレン……お前は、もう死んでしまったんだな」

『そうだ、シャール。そしていつも君と共にある』

 光が形を成したような、柔らかく頼りない手の感触。そのかすかな温もりを惜しみながら、タムレンを見上げ、泣き笑いを見せる。

「ありがとう、タムレン。お前はいつも、私を正しい道へと導いてくれた。お前がいたから、ここまでやってこれたんだ」

『あぁ。でも、その役目はもういらないだろう? 君は自分で自分の道を選べるのだから』

 タムレンもまた寂しげに微笑みながら、そっと手を離した。そしてシャーリィンをくるりと方向転換させ、背中に手を添える。

『君にはまだなすべき事がある。さぁ、早く戻ると良い。君を待っている人達がたくさんいる』

 回れ右した正面は、やはり漆黒の闇だった。しかしシャーリィンは目を細める。遠く、狩人の目をもってしても微かにしか見えないほどの遠くに、針で穴を開けたような光の粒がある。

「あれが、出口なのか?」

『そう。ここから抜け出す、現実と夢の唯一の境目だ。もうあれほど小さくなってしまった。早く行かなければ、帰れなくなる』

 そういってタムレンがとん、とシャーリィンの背中を押した。

 一歩二歩前に出た彼女が振り返ると、タムレンはその輪郭を光の中で崩していきながら、手を振る。

『さようなら、シャール。君の幸せを、いつまでも祈っているよ』

 その優しい声音は、昔から少しも変わらない。シャーリィンは涙の粒を頬に滑らせながら、あぁ、と笑いかけた。

「ありがとう、タムレン。ありがとう……!」

 ありったけの感謝を込めて手を振り、そして駆け出す。

 天地も分からなくなりそうな闇の中を、振り返りもせず、光だけを目指して駆ける。

 しかしそれは途方もなく、たどり着けそうに思えないほど遠くにあった。全速力で駆け、息が切れるほど走っても、周囲は闇のまま、光は少しも大きくならない。

(あの場所へ行き着けるのだろうか)

 いくら走っても届かない焦燥に、つい弱気になる。今や完全に自身の事を思い出し、心は彼の地を思って逸るのに、いっこうに近づけないので不安に襲われてしまう。

(早く、早くいかなければ)

 そうしなければ、全部終わってしまう。長く苦しく、それでいて喜びも楽しみもあった、あの輝かしい旅の日々が、暗闇の中で消えてしまう。

(もう一度会いたい)

 強く思うと、仲間の面影が脳裏をよぎる。アリスター、レリアナ、モリガン、ウィン、スタン、オグレン、シェイル、マバリ犬、そして――

『シャーリィン……君を僕のものにしてもいいかい?』

 そういって彼女を抱きしめたゼブランに、会いたい。

 共に過ごした夢のような一夜に、共に夜明けを見たあの瞬間に戻りたい。

 足がずきりと痛み、あえぐ。闇雲に走り続けたせいで、全身がバラバラになりそうだ。体はもはや限界を迎えようとしている。それでもシャーリィンは駆けた。心に溢れる感情に突き動かされるように、決して諦めるものかと走り続け、

 ――ゼブランっ!

 思いの丈を込めてその名を叫んだ時……不意に光が闇を圧倒し、あまりの眩しさに、何もかも見えなくなった。

 

* * *

 

 ちゅん、ちゅん、と鳥の鳴き声が聞こえる。

 それに誘われるように、他の音も聞こえてくる――開いた窓から滑り込んでくる風、それに揺れるカーテン、窓の外にあるらしい、木々の枝葉のざわめき。そして――悲しみと絶望を含んだ、深いため息。

(……あ……)

 ぼんやりと目を開いたシャーリィンは、頭を動かすのも難儀なほど、体を重く感じた。

 どこもかしこも包帯だらけで、まるで鉛のように重く、びくともしない。視界も少しぼやけていて、まるで紗をかけたような光景は、現実のものとは思えなかった。

(私、は……)

 意識がはっきりしない。何がどうなっているのか。

 かろうじて目だけ動かしたシャーリィンは、ふと気づいた。ベッドに横たわっているらしい自分の傍らに、人がいる。寝台に肘をついて固く両手を組み、祈る姿勢で俯いている、金髪のエルフの男性。

(……あぁ……そうか……)

 その姿を見た途端、安堵が押し寄せてきて、同時に眠気が訪れる。シャーリィンはとろとろと落ちてくる瞼にあらがいながら、

「……ゼブ……ラン……」

 微かに唇を動かして、彼の人の名前を囁く。それを耳にしたゼブランがハッと顔を上げ、

「シャーリィン……シャーリィン、目が覚めたのか……?」

 怯えた子供のような表情でこちらを見つめているのを認め、シャーリィンは淡く微笑んだ。

(大丈夫……もう大丈夫だから……そんな顔、しないで)

 今すぐ抱きしめてあげられたらいいのに。シャーリィン、と必死で呼びかけるゼブランの声を嬉しく聞きながら、睡魔の底へとゆっくり落ちる。再び訪れた夢の闇は、しかし今度は優しく彼女を包み込んでいくのだった。

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