辿るは女神の足跡(そくせき)   作:なんじょ

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 心臓が早鐘のように鼓動を打っている。鎧の上から押さえて深呼吸するも、容易に治まりそうにない。

(ああ、参ったな……あれはまずかった)

 キャンプへ戻る道を早足に辿っていたゼブランは、湖からある程度離れたところで歩を止めた。

 もう一度大きく息を吐き出し、何とか平静を取り戻そうと努める。しかし目を閉じれば、つい先ほど見た光景――シャーリィンの水浴び姿が鮮明に思い出されて、少しも落ち着けなかった。

(あれは実に、言葉に出来ないほど美しかった)

 忘れようとしても無理な事は分かっている。仕方なく忘却を諦めて、ゼブランはしみじみ思い返す事にした。

 一糸纏わぬ姿で、透き通った清浄な湖に佇むシャーリィンは、さながら湖の精のごとくだった。

 完璧に整った艶めかしい曲線の肢体は、一幅の絵画を思わせる美麗さ。白い肌が水滴を纏って常にもまして輝き、彼女自身が光を放っているようだった。

 空を彷徨うエメラルドの眼差しは夢見がちに潤み、月を見上げるその横顔は、触れれば壊れてしまいそうなほど儚い。もしやそのまま、ふ、とかき消えてしまうのでは、と危惧するほどに。

(あまりにも綺麗だったから、つい、声をかけそびれてしまった)

 シャーリィンに言ったように、ゼブランは初めから好き心を持って覗きにいったわけではない。

 いや、全くなかったかといえば、それは嘘だが……旅の一行に加わってからというもの、ゼブランはレリアナと共に、こっそりシャーリィンの護衛をしているのだ。

 皆を率いるリーダーでありながら、シャーリィンは単独行動を好み、馴染もうとしない。

 時を重ねるごとにその態度も、少しずつ軟化してきているのだが、今回のようにダークスポーンと戦闘になった時、彼女は全てを拒絶して一人になりたがった。

 公然と嫌悪の情を示す人間に対する時よりもなお激しく、切り刻む勢いでダークスポーンを殺すのは、何か彼女なりの理由があるのだろう。

 そこは皆と同様にゼブランも早々に理解したが、いくら彼女の腕が立つといっても、一人きりでは危ない。

 しかし、すぐそばにいてもシャーリィンに追い払われてしまうので、気配を断てるローグの二人が周囲の警戒を行っているのだった。

(レリアナが手を離せないから僕が来たが、全く、失敗だった)

 本来なら服だけ置いて、後は影に潜んでいればよかったというのに。

 好奇心にあらがえず、少しだけと目を向けた湖から視線をはずせなくなり、挙げ句、馬鹿みたいにふらふらと引き寄せられて姿を晒してしまった。

(ああしかし、シャーリィンのあんな顔が見られたのは、思いがけない収穫だったかもな)

 普段はほとんど表情を変えないシャーリィンが、白い頬に血の気を上らせ、慌てふためいて体を隠そうとしていたのは見物だった――何よりも、可愛らしかった。

 しかし。それを好ましいと思えば思うほど、ゼブランは自虐的に笑って首を振った。

(それで、僕はどうするつもりなんだ? 手練手管で彼女を口説いて、首尾良くベッドまで誘うのか?)

 常ならば自問などせず、とっくにそうしているだろう。

 今でもゼブランは彼女への好意を隠す事無く、いつも戯れ言を投げかけている。

 だがそれはあくまでもじゃれかかっているだけで、ゲームのように、掛け合いを楽しんでいるだけだった。

 けれど、もし。先ほど、美しい裸身を晒すシャーリィンを前にした時のように荒ぶる欲望を、むき出しにして迫ったら、一体どうなるか。

(きっと彼女は、本気で拒むだろうな)

 湖の方へ振り返り、シャーリィンの気配を感じ取ろうと目を細めながら、確信する。

 彼女は自分とは違う。

 世俗にまみれ、堕落に身を染めたシティエルフと、種族の誇りを今なお抱き、高潔にあり続けるデイルズエルフとでは、わかりあえないだろう――そう、シャーリィンにはきっと理解できまい。先のことなど考えず、ひとときの情事に溺れる愉しさなど、とても。

(それを一から教えてやりたい気もするが……その前に射殺(いころ)されるのがオチかな)

 激怒したシャーリィンに殺される場面が容易に思い描けて、ゼブランはつい、くっくっと笑ってしまった。

 そのときもきっと、彼女は燃えるように美しく、神々しい事だろう。その手にかかって死ぬというのも、悪くない。

(だが、ひとまずブライトをやり過ごすまで、彼女の為に戦うと誓ったからな。せいぜい指をくわえて我慢するさ)

 燃え上がる恋心など、どうせいずれ火種が尽きて消えてしまう。下手に手を出して関係を壊すくらいなら、今のようにからかって遊ぶくらいがちょうどいいだろう。

「さてゼブラン、ビジネスライクにならなきゃな」

 ひとまずは、シャーリィンがキャンプに戻るまで、務めは果たさなければならない。ゼブランは道をはずれて気配を消すと、いつものように危険な存在がないかを探索し始めたのだった。

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