辿るは女神の足跡(そくせき)   作:なんじょ

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 ブレシリアンの森に夜の帳が降りる。

 松明の暖かな光に囲まれ、静かな夕餉を過ごした一行は、勧められるままに一泊する事にした。

 人間が大半を占める集団を部族のうちに招くなど、デイルズにはあまりない事ではあったが、今回は少々事情が異なる。

 ブライトへの助力を求めて集落へやってきたグレイ・ウォーデンは、ウェアウルフの呪いに苦しめられるエルフ達を救い、永久にその恐怖を取り去ったのである。

 デイルズ達は彼らに深い感謝の意を示し、闇の軍勢との戦いに加わることを快諾した。そしてちょうど日も暮れてきた事もあって、彼らを引き留め、改めて部族を上げて歓迎したのであった。

 

(ふう……腹が減ったな)

 夜も更け、静寂に包まれる頃。アラベルの中でふと目を覚ましたアリスターは、しばらく転々と寝返りを繰り返した後、諦めて起きあがった。

 並んで寝ているスタンやゼブランを起こさないように、そっとアラベルを抜け出し、そぞろに歩き出す。その腹がきゅうう、と情けない音を立てたので、やれやれとため息をついた。

(肉も多少あったが、足りなかったな。さすがエルフ、優雅な食卓だった)

 思い返すのは晩餐の時。

 救い主を称え、エルフ達が腕によりをかけて作った料理の数々は、確かにうまかった。

 しかしそのメニューの大半は木の実や草、キノコなど森の恵みによるものばかりで、アリスターのような大柄な男にはいささか歯ごたえがなかった。いっそ自分で熊でも穫ってくれば良かったかと思うくらい、空腹でならない。

(はぁ……とりあえず水でも飲んで、足しにするか)

 何もないよりはましだろうと、水辺の方へと足を向ける。

 デイルズの集落はひっそりと静かなものだった。未だウェアウルフを警戒してか、森を見張る夜番を見つけて目礼を交わす以外は誰もいない。その静謐はどこか教会を思い出させる厳粛さがあって、アリスターは肩をすくめた。

(やっぱりどこか居心地悪いな。シャーリィンやゼブラン以外には風当たりがやや強かったしな)

 一行のリーダーがエルフと知ったデイルズ達は皆態度を軟化させたが、それでも人間にぴりぴりする者達がいるのは仕方がない。明日早くに発つのが双方にとってもいいだろう。

 そんな事を考えながら湖へ下る丘を歩いていたら、前方の岸辺に人影を見つけた。誰か先客がいるらしいと目を細めたアリスターは、それがシャーリィンと気づいて、どきりとした。

(シャーリィン、なんだってこんな夜更けに?)

 疑問が浮かんだが、浮かぶ端から消えていき、思わず見入ってしまう。

 白に染め抜かれたような容姿のシャーリィンは普段、人目に付く事を嫌ってフードをかぶり、顔を隠す事が多い。

 しかし今日はエルフの集落にいるためか、マントを草地に敷いて、楽な姿勢で腰を下ろしていた。

 あえかな月明かりが湖に反射し、それがまたぼんやりとした輝きとなって、シャーリィンを淡く照らし出す。

 長いまつげを伏せて水面を見つめるその横顔は陶器人形のように繊細で、見ているこちらが息を殺してしまうほどにたおやかだ。

(全く……美しいバラには刺があるってのを実感するな)

 一行の中で一番小柄で細身の上にあの美貌だというのに、戦いになればシャーリィンは誰よりも苛烈に戦う。見かけではそんな事は微塵も分からないのだから、女は怖いものだ。ぼーっと見とれながらそんな事を思っていると、

「……アリスター? そんなところで何をしてる」

 視線を感じたのか、シャーリィンがこちらを見て声を上げたので、アリスターはハッと我に返った。

「ああ、いや……ちょっと眠れなくてな」

「……腹でも減ったのか」

「な、何で分かるんだ!?」

 腹の虫が鳴いたわけでもないのに! もしや、一目でわかるくらい飢えた顔をしてるのか!? いや、あるいは、

「もしかしてシャーリィンも腹を空かして「違う。お前と一緒にするな」

 バシッと切り捨てるような素っ気なさで否定されてしまう。だが続けて、

「だが、まぁ、……気持ちは分かる。エルフの食卓では腹持ちしないからな」

 こんな浅ましい事など言いたくない、という嫌悪感露わな表情でため息をついた。そしてこっちに来い、と人差し指を振る。

 自ら招くとは珍しいとそばに近寄ったアリスターに、シャーリィンは握り拳を差し出した。受け取れ、という仕草のようなのでその下で掌を広げると、何か茶色い塊がころころっと三粒落ちてきた。

「何だ? これ」

「デイルズの糧食だ。さっき分けてもらった。普通なら一粒で一食分、それだけ食べれば一日半は保つ」

 言いながら、マントの上に転がる塊を自ら口に運ぶ。細い顎が動き、こりこりと固そうな音が聞こえてくる。

「私たちグレイ・ウォーデンなら、一粒じゃとても足りないが……とりあえずの腹ごなしにはなる。それを食べて、朝まで我慢しろ」

「ふぅん……エルフの糧食ねぇ」

 見た目では正体がしれない。くんくんと匂いをかいでみると、薬草のような香りがほんのり漂った。まぁシャーリィンも食べてるしと、アリスターは三粒いっぺんに口へ放り込んだ。がり、と歯でかみ砕き、

「……~~~~~~~~!!!!」

 思いっきり後悔して、その場にしゃがみ込んでしまった。割れた途端、中から舌がしびれるほど強い苦みがあふれ出し、口一杯に広がって鼻まで突き抜けていったのだ。あまりにも強烈な味に目が潤み、吐き出しそうになったが、

「吐くな! 貴重な栄養源だぞ、全部きちんと飲み込め!」

 キッとシャーリィンに睨みつけられ、アリスターは涙目になりながら湖に駆け寄った。ざばっと顔を突っ込み、大口を開けてごくごくと飲み下す。

「うっ……ぐう……」

 しばらく喉を鳴らした後、水面から顔をあげたが、アリスターはそのまま力無く頭を垂れた。腹に水がたまったのも分かるほど飲み干したというのに、いまだ口が曲がりそうな苦みが舌に残っている。

「おま……シャーリィ……これ、よく平気な、顔で……に、苦すぎる……」

 顔を拭いながら息も絶え絶えに呟くと、シャーリィンは首を傾げる。

「そうか? 私の部族でもよく食べていたぞ。何日も狩りに出る時には重宝した」

「……お前、実は味覚おかしいんじゃないか……?」

「あんな泥のようなシチューを作る奴に、そんな事を言われる筋合いはない」

 つんとそっぽを向くシャーリィンの言に、それについては反論出来ない、とアリスターは力なく笑った。

「あぁ、まぁ……凄まじい味だが、確かに空腹感は紛れたよ。ありがとう、シャーリィン」

 礼を言うと、彼女はちらりと視線を向け、そうか、とだけ言った。

(……可愛いところもあるにはある、んだよなぁ)

 素っ気ない言葉だが、これはシャーリィンが照れている時の反応だ、とアリスターも理解できるようになっている。彼女はどうも真っ向から感謝を示されるのが苦手らしい。どうせならもっと素直になればつきあいやすいのに。そんな事を思いながら、

「じゃあ、俺は行くよ。邪魔して悪かったな」

 すっと腰を上げかけたのだが、

「待て、アリスター」

 シャーリィンが手を伸ばして引き留める仕草をした。えっ、と顔を向けると、彼女は何か難しい表情で一瞬口を引き結び、

「……考え事をしていた。お前の、意見を聞きたい」

 渋々、といった風でもあったが、ぼそりと言いはなった。アリスターはもう一度えっ、とつぶやき、目を丸くしてしまった。

「お前が? 俺に意見を聞きたいって? 一体どういう風の吹き回しだ、シャーリィン。普段はこっちが何言おうと、聞く耳もたないのに」

「…………嫌ならいい」

「あー、嫌ってわけじゃなくて、珍しいから驚いただけだ。……うん、分かった。俺でいいなら話してみろよ」

 この頑ななエルフと打ち解ける良い機会だと、アリスターはあらためて、彼女の隣に座った。シャーリィンは眉間にしわを寄せて、彼から湖へ視線を移す。それからしばらく黙り込んだ後、

「……ウィサーファングとザスリアンの件で……本当にあれで正しかったのかと、考えていた」

 静寂の中にそっと音を乗せるように、囁いた。

「確かに呪いは解けて狩人達は助かったし、部族はもはやウェアウルフの脅威に怯える事も無くなった。それは喜ばしい事だろう。だが……一方で永遠に、伝承者ザスリアンを失ってしまった。彼の死は、あまりにも大きい」

「あぁ、それはそうなんだろうな」

 アリスターはエルフの習慣に馴染みがない。なのでそう詳しくはないが、伝承者とはデイルズの部族を率いるリーダーだという事は理解していた。

 今回ブレシリアンの森にいたデイルズ達の伝承者は、名をザスリアンと言った。

 途方もなく長い時を生き続けてきたというエルフの長老は、王侯貴族を思わせる優美さと威厳を兼ね備えていた。そして魔道士のウィンも一目をおくほど、強大な力を持っていたらしい。

 当然部族のもの達からの信頼は絶大で、彼の前に出るものは皆、一様に尊敬と畏怖を露わにするほどだった。

 しかしそのザスリアンこそが、部族の者達を襲った呪いの元凶と知れた時。

 ウェアウルフとデイルズの調停者役を引き受ける事になったシャーリィンは、どちらか一方に味方するか否かの選択を迫られる事になった。

(そういえばあの時、ずいぶん悩んでいたな)

 その場面を思い出せば彼女は、サークルの問題に対した時はほぼ即決で答えを選んだのに、今回は言葉を無くして迷うそぶりを見せていた。

 そして、いつまでも森の女王に立ち向かおうとしない一行にしびれを切らしたザスリアンが牙をむいた事で、シャーリィンはようやく決断を下した。ザスリアンに呪いを解く事を命じ、ウィサーファングと長老が共に命を失う結果になったのである。

「まぁ……何が一番正しいかなんて、俺にも分からないが」

 その時の情景を思い出しながら、アリスターは考え考え言葉を綴る。

「確かにザスリアンを失ったのは、この部族にとっては痛手なんだろう。けど、俺はこれで良かったんじゃないかと思うよ」

「……ウェアウルフが呪いから解き放たれて、人間に戻れたからか?」

 シャーリィンの声が不意に鋭さを帯び、苛立ちの眼差しがキッと向けられる。だがアリスターの方がその言葉にカチンと来た。それではまるで、人間が無事であれば他はどうでもいいみたいじゃないか。むっと顔をしかめ、

「そうじゃない。いやそれもあるが、呪いから解放されたザスリアンは、ひどく穏やかな表情だった。

 大切な人を亡くした悲しみは俺にも分かる。けれど、もう気が遠くなるような時間ずっと、人間を憎み続けてきたんだ。彼だってもう楽になっていい頃だろう?」

「…………」

 虚をつかれた表情で黙り込むシャーリィンへ、更に強い口調で言い募る。

「シャーリィン。この際だから言っておくがな、グレイ・ウォーデンになった以上、種族がどうこうで物事を判断するのはやめろ。

 俺たちは一致団結して、ブライトに立ち向かわなきゃいけないんだ。種族の壁を乗り越えて皆が協力し合うように働きかける事、それがグレイ・ウォーデンの仕事だからな」

「私は望んでなったわけじゃない、……っ」

 ぽろ、とこぼれた言葉に自分でハッとして、シャーリィンは口を手でふさいだ。アリスターこそ、志願してグレイ・ウォーデンになった事を思い出したのかも知れない。ううむ、とアリスターは唸った。

「お前が穢れに冒されて、やむにやまれずグレイ・ウォーデンになったのは知ってるさ。

 だが、ダンカンはただシャーリィンの命を救うためだけに、デイルズの集落から連れ出した訳じゃない。お前にはブライトに立ち向かうだけの素質があると、見抜いたからに違いないんだ」

 実際これまでそばで見てきて、彼女のたぐいまれな強さは分かってはいる。だからこそ、

「シャーリィン、そろそろグレイ・ウォーデンとして果たすべき務めを理解して、腹を決めてくれ。お前は自覚を持つべきだ。私情に流されて互いに争ってちゃ、フェレルデンはあっと言う間にダークスポーンに飲み込まれてしまう。

 そんな風に狭い視野で世界を捉えていては、いずれ皆死ぬ。人間も、クナリも、ドワーフも――もちろんエルフも。

 ……分かるか? 今この国でブライトを止められるのは、俺とお前だけなんだぞ」

 それで話を締めくくり、相手の反応を窺う。

 シャーリィンは大きく目を瞠り、体を強ばらせてアリスターを凝視していた。何か言おうとして微かに唇を動かし、だが何も音にならないまま沈黙が落ちる。

(少し強く言い過ぎただろうか)

 そう思ってしまうほど、アリスターの目には呆然とする彼女が弱々しく映った。しかし以前から気になっていた事なので、撤回する気はない。

(人間だから、エルフだからとこだわり続けるのは、シャーリィンに良い結果をもたらさないだろう)

 デイルズの中でだけ生きていくのならともかく、彼女は世界を背負って立たなければならない。望むとも望まないとも限らず、自身が担った役目は果たさなければならないのだから。

 しばし無言で見つめ合った後。

 シャーリィンはふいと視線を避け、湖へと顔を戻した。その横顔はひどく物思わしげで、憂いを帯びた故になおさら美しい。

「……そうだな。長い時を生きた聡明な伝承者でさえ、己の憎しみに囚われて、部族の者達をも危険に晒してしまった……」

 緩やかに吹き抜ける風にも紛れそうな程の小声で言う。

「アリスター。お前の言うことは、……よく考えてみる。確かに私は、甘えすぎていたのかもしれない」

「あぁ、そうしてくれ。お前なら、きっと分かってくれると思ってたよ」

 ほっとして、アリスターは胸をなで下ろした。頼りない先輩ではあるが、シャーリィンにこう説けるのは、自分しかいない。折を見て話をしようと考えていたので、良い機会だった。

「じゃあ俺は本当にもう寝るよ、シャーリィン。お陰で腹も減らなくなったし」

 どうやらあの苦い塊は、胃袋をしっかり騙してくれたらしい。これなら朝までぐっすり眠れる事だろう。立ち上がると、シャーリィンはアリスターを見上げた。今度は引き留めず、

「あぁ。……お休み、アリスター」

 少しぎこちないが、和らいだ声音で囁く。ほんの些細な親しみに嬉しくなって、

「お休み、シャーリィン。また明日な」

 アリスターはにっこり笑ってその場を立ち去った。

 ――少し話したからといって、そう簡単に考えを変える事などできまい。

 シャーリィンはこれからも多くの壁に当たり、苦しみ悩むだろう。だが少なくとも今夜、その壁を乗り越える為の準備を始められるようになった。しかも自分の言葉で。

(これからもシャーリィンを支えてやらなきゃな。しっかりしてるようで、どうも危なっかしいからな、あいつは)

 そう思うと、心が弾む。

 アリスターは上機嫌でアラベルへの道を戻っていった。その途中でふと振り返ると、白いエルフは未だ湖のそばに腰を下ろしたまま、深く考え込んでいるようだった。

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