本当は語りたくないのかも知れません。しかし、異世界人に語ったのはもしかすると現状を変えてくれるかも知れない希望を持っていたのでしょう。全てを選択出来ない世の中に、不満を抱きながらも生きるしか無いのですから。
「何故」
「何故って、生活が苦しく、いつも飢餓状態だったからだよ」
苦笑する。『ああ、この男は本当の貧困を知らないんだ』とも思う。
母さんは頑張ってくれたけど、毎日、ほんの少しの食事。姉妹で雑魚寝の毎日。路地でぼーっと空を眺めて『何か食べたいな』と空腹を抱える日々。
「そんな時、あたしは養女の話を耳にした」
士族のスタウト家の物であった。農家で村を経営してい名主だった。
待遇は普通だが、少なくとも明日の食事には困らず、住まいと寝床もある。しかし、募集人員は僅かに一人。元々、決まっていた人間が何かで欠員が出た臨時募集だった。
「その話があった時、あたしは誰よりも先にその地位を確保しようと売り込んだ。姉妹達に取られる前に助かりたかったからだ」
毎年子供は何人も亡くなる。特に冬は一度に複数人が死ぬ。
大半が栄養失調だ。姉妹が寝床に入ったら、翌朝、事切れていたのも珍しくない。
「身勝手だと思うだろ。
でもな、温かい食事とフカフカの寝床。それが手に入るのなら、姉妹を出し抜くのも厭わなかった。あたしより幼い妹も多いのにさ」
ギネスは自嘲した、姉妹達は可愛い。妹などは護ってやるべき存在であったが、食事の時にはライバルになる。おかずの取り合いなんかは日常茶飯事で、喧嘩になる事も珍しくない。
だから、家の人減らしも兼ねるだろうその案に乗るのに躊躇は無く、むしろ、好条件の養女枠を他の誰かに取られるのをギネスは恐れた。
「無事に大人まで生きる為だ。そう決心して、家を捨てたあたしは養女に名乗りを上げた」
「なれたの」
「今の名がギネス・スタウトってんだから、察しろよ」
だが、誤算はあった。てっきり郊外の誰も知らぬ農地で働くと思っていたが、配置された場所は領都の中であったのだ。そこの寮に住む事になった。
スタウト家は工場も所有していたのである。ヤシ農園から獲れたアブラヤシをバーム油に加工する製油工場だった。しかも、自家の近く。
「姉妹からは冷たい視線を浴びたな」
時々、嫌がおうでも姉妹と出会う。姉達に裏切り者として
「そんなあたしから見たら、妹の面倒見てるラム・ラムは凄いと思う」
「ああ、今日も……」
小声で呟くと後ろを歩くラム・ラムにちらりと渡船を移す。
ユウは頷いて、『これから妹に会いに行くんだからな』と思う。塩田の作業員と言う職業は良く判らないが、もしかしたら海水を砂漠へ撒く仕事なのかも知れない。
「本当は全ての姉妹を助けたかったよ。でも、出来なかった。あの時、家族を捨てなかったら、あたしはこの世の者では無かったかも知れない。
最善の方法を探って選択した結果がこれだったからだ」
権利は姉妹の誰かに取られ、ギネスは凍死していたかも知れない。
「人は全てを助けられない」
再び彼女はそれを繰り返した。大勢を助けられればそれに越した事は無い。だが、そんな余裕が無い場合、何を優先し、何を斬り捨てるのかを決断しなければならない。共倒れになるのを防ぐ為、時には大の虫を生かして小の虫を殺す決断が必要な時もあるからだ。
◆ ◆ ◆
市壁に沿って南下すると、うっすらと海岸線が見えて来た。
既に市壁とスラム地区は途切れている。
「湿っぽい話になったな」
「そんな……」
「身の上話なんか、する物じゃ無いな。
異世界人を試そうとする意地悪な質問だった。すまん」
しかし、ユウには自分と異なる異界の人間の考えから、軍曹の考え以上の解を答えてくれる可能性を知りたい様にも見えた。
もしかしたら、全てを叶えてくれる様な夢の解決法もあるのかも知れないと期待してだ。無論、凡人の自分には答えられなかったが。
「さて、どっちだ。上等兵」
軍曹は話題を変えた。右手にはポワン河が緩やかに流れている。河口はまだ先だが、ここは海水と真水が混ざった汽水域なのだろう、潮の匂いが鼻に付く。
「軍曹、塩田は東になります」
「了解した」
ラム・ラムの声に従って方向を変える。砂漠の真ん中にある砂と違い、ここらの砂は海からの水分を吸って重いのだろう。固まっている様な感じで、名入りのの砂と違って風でサラサラとは流れない。
「あ、見えて来ました」
「ん、あれか。初めて見る」
始めは陽炎の揺らぎで良く見えてなかったが、近づくにつれて異様な構造物が目に入って来た。箒みたいな枝を束ね、それを立てかけた様に見える棚である。
「こいつは……」
「
何でも普通に砂の上に海水を撒いたり、蒸発させた濃い塩水を煮詰めるのに比べ。手間が掛からず効率の良い方法なのだそうだ。明治以後の日本も同様な方法で製塩していたが、昭和の中頃にイオン交換法に取って代わられた製法であるのだが、当然、ユウは知らない。
塩田と言えば、砂の上に海水を撒くイメージしか無い。それはこれが普及前ののひと昔前の製法だ。ちなみに欧州でも同様な、グラディアヴェルクなる製塩法がある。
「向こうに見える池が濃縮池ね。あそこで海水を蒸発させて濃い塩水を造るのよ。おーい」
説明途中で誰かを見付けたのか、ラム・ラムは手を振った。
池の近くで塩水を掻き回していたネコ耳族のおばさんが、作業を止めてこちらへ振り返る。
「あんれ、ラムちゃんでねぇか」
「おばさん、あたしを知ってるの」
見知らぬおばさんが掛けた言葉に驚愕する。
ほっかむりを被った農夫スタイルで。勿論、初見である筈だった。顔の小皺が目立つ老女だ。
「顔立ちが、ララそっくりじゃからの」
破顔して「自慢の姉さんじゃろ」と指摘されると、本人は「うーん」と苦笑する。ララは同僚に姉の事を自慢していたのだろうか。
「ラムさんじゃろ。私はニャコ。この塩田で働いてるニャ」
「ララを尋ねて来ました。ラム・ラムです」
近付いてくる老女に彼女は挨拶する。バケツと攪拌棒を持ったまま、尻から尻尾がゆらゆら揺れている。典型的な作業員のおばさんと言った風情だ。
「海軍さんかね。ご苦労様」
「いえ、非番で。あの、妹は?」
「残念だねぇ」
徽章を認めたらしい老女に非番で訪れたのを説明すると、おばさんは「ララちゃんは気分が悪いらしくて、帰ったよ」と伝えてくれた。ラム・ラムはお礼を言うとユウの方に開き直った。
「どうするんだ」
「自宅かな。でもどうしたんだろ」
元来た道を振り返る。昔から病弱だったが、休む程に具合が悪くなったのだろうか。
「最近、何だか具合が悪そうだよ。独り言も多くなったし」
「独り言ですか?」
礼を言うと、一行は塩田を後にしようとした。
するとおばさんは「飲みなさるかね」と水痘を手渡して来た。暑くなって来から助かるが、何やら会話をしたい様子だ。
「何か?」
ラム・ラムの代わりに上司が尋ねる。老女は「軍曹さん」と徽章を確認しながら口を開く。
「これは言うべきか迷ってたんだけど、ララちゃんの様子がおかしくてねぇ。あ、こいつ」
唐突に近付く羊を追い払う。めえめえと悲鳴を上げて逃げる羊。
遊牧民がすかさず寄って来て群れに回収する。どうやら、枝条架に付着した塩を舐めに来らしいが、塩は大切な収入源だから、只で舐めさせる訳には行かない。
塩田の職員が、時々、見回りをしているのはその為である。ララ・ララもそんな警備員だったとの事。
「全く、池に溜まってる塩水を舐めればいいのに」
老女がため息を付く。池とは濃縮池の事で海水を蒸発させて煮詰める施設だ。砂漠のあちこちに点在し、下には半結晶の赤い塩が溜まっている。
昔は池に入れた海水だけで塩を造っていたが、今は池の濃い塩水を枝条架に流して、風と太陽の力で効率的に製塩する。水分の飛んだ塩は枝に結晶となって絡むので、こいつをプランター状の容器に搔き落とすのである。
「そうそう、ララの事だったね。変になりだしたのは半年前だったかな。
突然、友達が出来たとか言ってね」
「ララ・ララは人見知りで、いつも引っ込み思案だったけど、就職してから仲間でも出来たのかな?」
コミュ障気味だった筈なので、不思議そうにラムは呟く。
しかし、おばさんは首を振った。職場では友人らしき人物を見た事がないらしい。大体、余り他人との会話を好まない様子なのだと言う。
「だけど、その頃からどんどん具合が悪くなってねぇ」
「今日も早退みたいですね」
ラム・ラムは受け取った竹筒を返す。中身は冷水で、まだ涼しいがこれから上昇する砂漠の環境では有り難い物である。
「最近は出勤してきてもそうだね。ぶつぶつ、いつも独り言を言ってる」
出勤しない日も増えているそうだ。彼女はまだ見習いなので、余り休むと職業的に不利になるのをおばさんは心配してる様だ。
◆ ◆ ◆
一行は市壁付近まで引き返していた。ユウが尋ねる。
「妹はスラムに住んでるのか」
「市民権はあるけどね。生活費の問題よ」
市民権は市税を払う他に、領都に三年連続で職を持った状態で無いと交付されない。元々、領都の生まれなら優遇措置はあるが、それでも成人になったら半年以内に職を得る必要がある。
何故か? 無職の者は領都が養えないからである。
ララ・ララは領都の生まれだから優遇措置で特別市民権は持っているし、成人になっても塩田で働いているから、普通市民権は所持している。
「でも失業したら大変だわ」
「失効するのか、市民権」
「ええ。ま、失業しても半年は市民権は失効しないけど」
その半年の間に、新しい職に就けと言う話だ。だが、妹の性格だとなかなか職に就けなさそうな気がして、姉は心配なのだ。
今のままなら、絶対に解雇される。
「今の職もあたしが見付けてきた物だし」
「そこまで世話してるんだ」
ラム・ラムは「放って置いたら、無職のままだから」と呟く、かなり重度なコミュ障みたいである。空想癖が強く、自分から動く事が苦手で、姉妹の中でも育ってるのが不思議だったそうだ。
「ニートか」
「何、ニートって?」
「地球の単語」
詳しい説明は避け、ユウは「今の妹さんの状態」とだけ説明する。ラム・ラムは嘆息して「でも独り言を喋る娘じゃなかったんだけど」と空を見上げる。
雲一つ無い快晴。それが心に影を落とす。
「着いたな」
軍曹の言葉にはっとなる。防砂林を越えてスラムの入口に到着したのだ。
一応、露店が粗末な店舗を構えている。市壁の外なら税が掛からないので、市外にこの手の露店が広がっているのは珍しくない。
内容も食料から贅沢品まで様々だ。しかし、偽物の割合が増え、商品の質は怪しくなる。
「ほぉ、賑やかだな。旅芸人か」
見ると派手な天幕とその前に踊り娘的な女性が舞っている。ピエロの様な道化師もお手玉の様に、何本もの長い帽をジャグリングしていた。
「本番では、棒に火を点けるそうだよ」
「踊り娘が異形なのがねえ」
それぞれが感想を述べるのを見てギネスはふっと笑う。派手な格好をした踊り娘は
隣の道化師は
「ああ言う輩も、スラムではしばしば訪れる」
むしろ、税が掛かる市壁内より公演は多いのかも知れない。まぁ、公演主が金を支払う先が役所なのか、ここらを縄張りにする地回りなのかってだけの違いなのかも獲れないが。
「それと異形って言うなよ。どんな職にだって亜人は就いてる」
「でも、俺の目からしたら……」
「ヤシクネーの
ユウは絶句する。六本脚ででっかい鋏脚を振り回す踊り娘。想像も付かない。
「住所は判るのか」
「移動していなければ、
それを差し置いて、賑わっているその場を離れ、土の山と化している地域へと近づく。
幾つもの土饅頭の中から、ラム・ラムは記憶を辿りながら幾つかの巣を見て回る。互いの巣は単に穴なので似てるから間違えない様にである。
「確か扉が……あった」
ファンシーなピンク色の、ラムやララの髪色と同色の扉が目の前にあった。
周囲と見分けを付ける為に設置した物であるらしい。これを塗る為に、ラムが《マイムーナ》から塗料をちょろまかしたのは秘密である。
「ララ・ララ、居る?」
扉に近づいて、ラム・ラムは自分の鋏脚で軽く扉を叩く。洒落た家ならばノッカーみたいな装飾品でも就いているのだろうが、これは単なる板塀だ。返事はないが、『確か、鍵は付けたわよね』と扉の南京錠を確認する。
「ララ・ララっ!」
「留守じゃ無いのか」
ギネスの言葉に彼女は首を振る。「中から閂が掛かっています」と告げ、「外出してるなら南京錠が外にぶら下がっている筈ですけど、見当たりません」と報告する。
「中に篭もってるのか」
「はい」
「天岩戸(あまのいわと)だな」
日本神話のそれを例えたが、無論、エルダの二人には理解出来ない。
どうもこうも八方塞がりで、遂に扉をぶち破ろうかとラムが決意した時、か細い声がして、かたりと閂が外れる音がした。
「はい」
消え入りそうな声だ。声質はラム・ラムに酷似してたが、彼女の元気さは全く見当たらない。
「ララ、あたしよ」
「……あ、お姉ちゃん?」
扉の一部がスライドして、のぞき穴みたいな形に開いた。緑じみた目がこちらを見る。
目元だけの印象だが、どことなくおどおどしている。
「ララ、開けなさい」
「いやっ」
姉の命令を拒否して、彼女はスライド式ののぞき穴をばたりと閉めてしまう。同時に一度外したと思われる閂が、再び掛けられたみたいで扉全体体が軽く振動する。
「どうしたのよ。仕事にも行かないで」
「放って置いて、あたしお姉ちゃんみたいに働き者じゃない」
何度も扉越しに呼びかける姉。
しかし、最初の頃は返事があったが、今はただ沈黙があるだけだ。
「鋏が痛くなっちゃったわよ」
叩き疲れて鋏を下ろす。「顔色悪かったな」と呟き、殴打していた鋏脚を持ち上げて、自分の両手ですりすりと撫で回した。ふぅふう息も吹きかけている。
「痛いの?」
「そりゃね。殻に包まれても痛いわよ」
甲殻類のヤシクネーの感覚は判らないが、神経は通ってる様だ。外殻を外から擦ってる所から触覚もあるのだろう。ユウは同類のアラクネー(蜘蛛女)の感覚はどうなのだろうかと考えてしまう。
「何か呟いているな」
「独り言ですか」
扉に耳を付けていた軍曹が、耳を外してラム・ラムに言う。ラムは驚いて慌てて耳を扉に押しつけた。付いてユウも同じ様にすると、成る程、か細い声が響いてくる。
「どうしよう。ツリちゃん……」
聞いた事の無い名である。そんな人物が居たか、ラム・ラムは素早く考えを巡らせるが、思い当たる人物はヒットしない。少なくとも実家で一緒に住んだ頃の者では無さそうだ。
「うん。このまま閉じ篭もろうね。知られたら……駄目だよ、まだ一緒に居て!」
「ララっ」
大声を上げる。何故なら、その場に〝ツリちゃん〟なる人物が一緒に居る様な気がしたからだ。巣の大きさから、それは明らかに一人用である筈なのだが、得体の知れぬ何かを、姉は感じ取ってしまったのか知れない。
「お姉ちゃん。御免ね。ツリちゃん、やって!」
ラムの大声にこのままでは駄目だと覚悟を決めたのか、ララの鋭い声が上がった。
途端に「リンゴーン」と鐘の鳴る様な音、いや、音と言うよりテレパシーに近い脳に直接響く圧力が三人を襲った。
「うっ」
〔帰って、あたしらを邪魔しないで!〕
そんな思惟が三人を襲う。ギネスとラム・ラムはへなへなとその場に崩れ落ちる。
「どうしたんだ。軍曹」
だが、ユウにはさほどの衝撃は感じられない。思念派は〔え〕と驚愕したみたいに絶句した。そして「リンゴーン」「リンゴーン」と立て続けに鐘の音を鳴らす。
軍曹がフラフラと立ち上がり、ユウに襲い掛かろうとする。鋏脚を使わず、上半身の腕だけを用いていたから、本気で襲いかかるつもりはなかったのだろう。
「軍曹」
上半身の脇腹にパンチ。鳩尾に決まったらしく、ぐらりと傾いて気絶する。
相変わらず、鐘の音は鳴り響いている。次に立ち上がったのはラム・ラムだ。頭を振って何かに耐えている。ぎゅっと口端を噛み、血が流れるのも構わずに扉の方を向く。
赤い血が『甲殻類なのに銅系じゃ無いのか』と、ユウに変な感想を抱かせる。
「念波だ。強い」
言いつつも、扉を壊す勢いで鋏脚を突き立てた。扉はあんまり頑丈ではなかったのだろう。ラム・ラムの攻撃で見事に貫通してしまった。
続いて腰から
「塗るのに手間が掛かったんだけどなぁ」
入口の前で怯えている妹を前に、彼女は自分が造り、そして破壊した扉に向けてごちた。ばらばらに砕けたピンクの破片が散乱している。
「お、お姉ちゃん」
ラム・ラムそっくりだが、一回り小さな姿が絶句していた。だが、その姿にラムは異常を見付けたのだった。
「その姿は……ララ、あんた寄生虫を」
ララ・ララの腹部が異様に膨らみ、もぞもぞと脈打っている。そして尻尾みたいに寄生虫の一部が外に都び出してしていた、
「ツリガネムシ」
彼女の呟きの通り、その末端には鐘状の器官が複数認められた。さっきから鳴っている鐘の音は、ここから発せられていたのかも知れない。
〈続く〉
塩田。太陽熱を利用して海水を蒸発させます。温帯ならこの後、塩水を煮詰めて乾かす作業が必要ですが、砂漠だから全て自然で製塩可能です。まだ、にがりとかを取り除く工程が必要で、製品になるまで掛かりますけど、かなり燃料費を節約出来ます。
塩の量産が元になって、エロエロンナでは石鹸やアイスの生産に結び付くのですが、それは別のお話になります。