◆ ◆ ◆
朝日が水面に反射して輝いている。
機関長のギネス軍曹は欠伸を押し殺しながら、まだ夜が明けたばかりの艦外へ出た。
「機関長、おはようございます」
「おはよう、烹水科は朝が早いな」
市場へ出かける準備を整える部下達と会話を重ねる。
威嚇用の長槍を立てた当直に敬礼し、階段を昇って露天艦橋へと上がると艦長と副長が既に到着していた。
「おはようございます」
「やぁ、早いな機関長」
艦長の表情には疲労の色が浮かんでいた。
あの〝勇者〟の事で困っているのだろうかと考えを巡らす。副長も此処に居るのは、その対策に関して話し合っていたのかも知れない。
「で、どうなりますか。勇者」
思わず口にする。ギネス自身もその後の処置が聞きたいのである。
あれから勇者の少年とヤノ大尉は余人を医務室から閉め出して、様々な事を話し合っていたらしいが、ギネスはその内容を知らないのだ。
「この《マイムーナ》で処理出来る問題ではないと判断したが、今朝、朝一で海軍司令部に報告する予定だ。もっとも返答が来るまではこちら預かりだろうがな」
「はぁ。捕虜と言う扱いですか」
独房は空いているが、大人しくぶち込まれてはくれないだろう。
「艦内の自由は保障した。捕虜監視にはやたら人員は割けんし、まだ言動の怪しい民間人だからな」
「寛容ですね」
「無論、行き先は制限したぞ。守らねば罰則付きでな」
ヤノ大尉は大口を開けて欠伸して、片手を口に当てたまま、腕を上げて背を伸ばす
「済まん。昨日から一睡もしてないんだ。領都に報告書を書く為にな。
監視には当直の当番兵を当てているが、今後の方針を副長とも相談していた所だ」
「しかし、世迷い言を聞いている気分であったの」
ここで副長のエトナ中尉が口を開く。
艦長とは情報を交換して多少の事情を耳にしたそうだが、少年の言っている事が浮き世離れし過ぎていて、にわかに信じがたい話ばかりなのだそうだ。
「勇者と言うのも胡散臭い。まぁ、テラ・アキツシマの前例はあれど、あれは伝説の類いじゃ」
年寄りじみた「なのじゃ」口調は副長の癖である。
艦長は苦笑して「私も同意見だが、どう処理するか」と続ける。
「異世界から来たと言う話までは聞いてますが……」
「うむ、機関長はどう思う?」
「しかも、二度の異世界転移です。にわかに信じられませんが」
二大美人、しかも東方と西方のオリエンタル漂う雰囲気だ。チビで未成熟な自分が艦橋にいて同じ空気を吸ってて構わないのだろうかと、気後れするもののギネスは意見を述べる。
彼女が指摘したのが、別世界〝地球〟の産物だと述べていたブレスレットだ。
明らかに高度な技術を駆使したアーティファクトである。この世界の物とは思えない。加工精度から言っても、エルダの技術力とは隔絶しており、大体、動力源が分からない。
「魔力反応もありませんでした」
「と言う事は、錬金術とは違うな。純粋に物理学だけで成り立っているのか?」
このエルダ世界の主流技術は錬金術だ。
機械式の時計。魔法灯みたいな魔導。これら物理と魔導を融合した技術だ。
遥か昔から存在するが、盛んになったのはこのエロエロンナ地方が成立してからである。領主であるエロコ提督が一般的に広め、爆発的に広く使われる様になったのがほんの一世紀前。
「機械時計だとしても部品の形成に魔導が使われる筈ですから、何等かの形で魔力反応は残る筈なのですが」
「むう、詳しく調査がしたい物じゃのう」
「だが、素直にこちらに渡してはくれまい」
少年の態度は未だに懐疑的だった。それをヤノ大尉が指摘しつつ、「エトナ中尉は領都へ報告書の伝言を頼みたい。この町は通信線がないからな」と伝える。
領都から通信線が通じているのは東西方面だけだ。腕木通信は情報を送る時間は早いが、視覚通信ゆえに16Kmごとに中継基地が必要で、保守点検が大変な上、駐在員のコストも掛かるから、北部方面のこの田舎町には設置されていないのだ。
「そうか、田舎町だからのぉ」
となると代わりに
しかし、そもそもセイレーンは世間では少数派である。《マイムーナ》みたい小艦艇に乗り組んでいる方が珍しいのだが、幸い、この船には副長が乗り組んでいた。
「本艦でセイレーンはエトナだけだからな」
「行って帰って来るだけなら、日帰りなんじゃがのう。
だが、返事を貰うのに時間が掛かると思うぞよ」
報告書を渡して「はい、任務完了」とは行くまいとの考えだ。
それに向こうからの返事も同時に持って帰らねば、こちらとしても対応が固まらない。
「やむを得まい。数日はこの港に寄港する事にする」
「辛い所じゃの」
数日滞在は任務から行けば、かなり痛いロスである。
増水時の測量任務が水量の減少によって、駄目になる可能性もあるからである。
普段は航行不能のの水路もこの増水なら乗り入れられるが、水が減ってしまって小川になってしまったら、この図体では無理になる。
「魔法学園の方にも領主館にも話が回りますね。返答は1週間はかかりそうですね」
「その前に帰還命令が出ると助かるな」
甲板から買い出し部隊が出発するのを横目にギネスが述べると、艦長は通信筒を取り出して文書を丸めて封入する所だった。
銅製の筒は雨や霧などの湿気から文書を保護すると同時に、蝋封でシールされて密書となり、厳重に到着時まで管理される。印璽を押してスタンプを付ける艦長。
「では領都へ行ってくるのじゃ」
通信塔を渡された中尉は目を閉じて精神集中する。広げた副長の腕が一面の羽毛を覆われる
鮮やかなグリーンの羽が一面を覆い、腕の筋肉が太く数倍のボリュームに増量する。セイレーンの生体魔法による飛行体型への変身だ。
ぐっと鳥脚に力を込め、腰を落とすと一機に大地を蹴る。羽ばたきの音が激しく何度かすると、エトナ中尉の姿は既にその場には居らず、空にあった。
「さて、少年の事だが、機関長に頼めないか」
「あの勇者をですか?」
副長が艦外へ去るのを見届けた艦長は、唐突にそう言い放った。
散々、ギネスの事を魔物呼ばわりするカスガの相手が出来るのか、彼女は疑問であったので、正直にそれを告げる。
「カスガはこのエルダの常識が無いらしい」
「はぁ」
「だから、軍曹がそいつを教育してくれると助かる。無論、他の下士官にも頼むつもりだが」
穏やかに語りかけてくるが、ここは娑婆では無く軍。そしてヤノ大尉は上官だ。
懇願と言うより、これは命令であるとギネス軍曹は理解する。自分に剣を向けて殺す気満々だった相手に関わりたくは無いのだが、まだ自分が退役するのは早すぎる。
予備役になり、年金が貰える歳までは海軍の軍人でいたいのだ。
「了解しました」
「助かる」
折角勝ち取った下士官の地位を捨てる訳にもいかぬ。
そう答えるしかないではないか。
◆ ◆ ◆
勇者カスガは混乱していた。
「ここは今、勝手に使って良い……か」
医務室と言う名の粗末な部屋を一瞥し、寝台に身体を横たえる。
若干の薬品が棚に有り、カルテらしき書類が作り付けの机に放置してあるだけで、この寝台の他は先程まで艦長を名乗っていた女が座っていた丸椅子があるだけの小部屋だ。
「窓もねーのかよ」
身を起こして周囲を探る。
人工の照明は壁に掛けてあるランプらしき物が光っているが、その光は水銀灯の様に青白い物で油を使用した炎では無く、仄かに熱を持つだけの代物であった。
「
カスガは転移前の異世界の名を出した。
正確にはカスガはそのパンドーラ界の出身では無い。パンドーラ界に召喚された勇者であるが、彼が生まれ育ったのは地球と言う世界である。
魔法の代わりに科学が発展し、パンドーラ界とは比較にならぬ便利な世の中であり、その中で彼は平凡な高校生であった。
「よおっ、起きているか」
扉がノックされると同時に、昨日の魔物女の声がした。
確か〝ヤシクネー族〟とか名乗っていた
「食事だ。お前の口に合うのか知らないが」
「親切だな」
「食堂で、お前の存在を全乗組員の前に晒す事もあるまい」
部屋に入って来たのは大きな鋏脚を持った異様な魔族だった。金属製のトレイに食事らしき物が載っている。
「何だ。口に合いそうもないか」
「いや、食器も金属製なんだな。しかも、これは米か」
アルミ製みたいな軽い金属食器に驚くが、それ以上にショックを受けたのがこんもり盛り上がった握り飯の存在だ。漬け物に焼き魚、しかも粗末だが箸まで付いている。
「こいつは皇国料理だ。米が陸稲なのは勘弁な。西方では水稲は普及しとらんのだ」
「箸があるのか」
「東方では一般的だろ。艦長も使っている」
答えずに箸を口へと運ぶ勇者。それを見て、ギネスは散々世迷い言を述べていたこの少年が、東方の皇国人である可能性を増々強くする。
こんな二本の棒を上手く使いこなせる者は、ヤノ大尉みたいな東方の関係者では無い限り、西方一般では見る事が出来ないからだ。もっとも、東方の皇国もルーツは〝墜ちて来た者〟テラの文花の末裔なのだが。
「さっさと食べてくれ。あたしは機関長としての仕事があるんだ」
「変だ」
「何か言ったか?」
ザケの塩焼きを咥えたままのカスガが、ゆっくりと顔を上げた。
顔に困惑の色が浮かんでいるとギネスは感じ、今回は帯剣している刀の柄にそっと指を掛ける。何をしでかすのか判らないから独房に放り込むべきだとの彼女の主張は、艦長の一言で却下されたが、ここで飛びかかられては堪らない。
「魔物が社会に出ているのはおかしいぞ」
「魔物じゃ無いって、魔族だぞ」
「モンスターは倒されるべき存在なんだ!」
少なくともパンドーラではそうだった。
人間に危害を加え、社会を破壊して混沌に染める存在。魔王の手先で残虐、無慈悲。勇者はこれら魔物を容赦なく滅する存在であった。
斬り捨て、叩き潰し、そうすると経験値と宝石を出すクリーチャーであった。勇者自体も何十、何百の魔物を倒して来た。
「魔物と言うのはこのエルダにも存在するけど、それは魔族の中でも反社会的な連中の蔑称だよ。仕事にも就いてない。
いや、窃盗や掠奪をやってるのは
そこで彼女は思い出した様に「あ、戸籍を持ってない奴が魔物かもな」と付け加える。
益々、カスガは混乱する。
そう言えば、魔物は機械的に反応するNPCみたいな連中で、こんな風に会話が成立しなかったのをカスガは思い出した、
「大体、あたしらは人間だぞ。モンスターとは失礼な!」
「人間?」
「大雑把にヒト族、妖精、亜人、獣人、魔族に分かれているけど、人間として生きているんだ」
このエルダで社会的な生活をしている種族は、獣人だろうが魔族だろうが人間に分類されるらしい。聞けば、ヤシクネー族はその中でもかなり多い。
「そんな恐ろしい武器持ってるのかが」
「え、この鋏脚の事かい」
「人間を挟んで切断できそうだぞ」
言われてギネスは自分の鋏脚をしげしげと見る。
ヤシガニ同様の巨大な鋏脚は確かに武器にはなる。実際、魔王軍所属のヤシクネーはこれを武器として、古代王国民と戦っていたそうだ。
「あのさぁ、これは作業肢だよ」
「なに……」
重量物を引っ張ったり、木登りする時に使う方が多いのを説明する。
確かに戦闘にも使えるが、前述した通り、鋼製の武器と打ち合えば簡単に破損してしまうので、鋏がぽろっと取れてしまう危険は犯せない。
この前の非常時の自衛とかでもないと、積極的に振るう事は無いのだ。
「えーと、お前……」
「春日 勇だ」
「勇が名か、やっぱり東方人みたいだな。私はギネス・スタウトだ」
自己紹介を終えると、機関長は手を参考例にかみ砕きながら説明する。
「勇にも手があるだろう」
「それが?」
「それを使えば、例えばあたしの首をへし折る事も出来るし、首を絞めて殺す事だって出来る」
ヒトはそんな恐ろしい武器を持ち、歩き回っているのだ。
だが、それが可能だとしても「殺人をやれる」のと、「殺人をやる」のは違う。獣人の持つ恐ろしい顎や爪も、
「この鋏脚も同じ。滅多に武器はしないよ」
「そんなモンか」
「もし取れちまったら、生え替わるまで時間が掛かるし、生えても鋏が貧弱になる」
再生したての鋏は小さい。数度、脱皮を重ねなければ元のサイズに戻れない。
「脱皮するのかよ」
「領都で
昔話でしか知らぬ、姉の例を出す。
同じ領都に住んでいても、互いに休みが合わないと面会もなかなか難しいし、今の姉は昇進してお偉いさんになっていて、何となく会い辛い。
「食べたぞ。で、これからどうするんだ?」
「勝手に出歩かないなら、自由にしてて構わないとヤノ大尉は仰ってた」
「ここに閉じこもれと」
「誰かの監視があれば、艦内なら出歩けるぞ。武器庫とか、立ち入り禁止区域はあるがな」
一瞬、考えるそぶりを見せるカスガ。
「じゃ、監視よろしく、だな」
「え」
「監視役と言っても、俺の前にはお前しか居ないだろう。魔物」
〈続く〉