現れた影の男――ミストバーンの一声が、今にも振り下ろされんとしていたマキシマムの剛腕を止める。
しかし、実際に抑止力を発揮していたのはその言葉ではなく、それよりも雄弁に物を語る強く輝く双眸だといえよう。
「むぅっ、ミストバーンか……今更何をしに来たというのだ、侵入者は我輩が――」
「黙れ……この女は侵入者ではない。お前如きには知らされていない情報だがな」
「なにぃ!? 我輩が知らぬ情報だとぉ!? そんなものがあるわけなかろう、さてはお前は偽者で、そこの小娘とグルだな?」
その言葉を受け、影の衣の中の双眸が一層輝きを増す。軽く殺気すら感じるほどの重圧がマキシマムに襲い掛かり、思わず彼は一瞬身を竦めた。
そしてその重圧は、強者にしか出せぬもの。図らずもそれはミストバーンが偽者ではないということを暗に証明していた。
「――くどい!これはバーン様直々の勅令……!! 忘れたか? 大魔王様のお言葉は――」
「ぅぐっ…………すべてに優先する……」
それを言われるとぐうの音も出ないと、マキシマムが悔しげに呟く。
軽く見ているのを隠そうともせずに、ミストバーンがしっしと手を振った。
「……そういうことだ……ここはお前の居るべき場所ではない……さっさと失せろ、掃除屋風情が……!」
「ぐぬぅ……! 覚えておれよ、ミストバーン……!!」
捨て台詞を吐き捨てて、廊下の向こうに去っていくマキシマム。
スピカからすれば何がなんだか分からないが、この影の男――ミストバーンが味方だというのは、今の会話でなんとなく察していた。
それならば言うべきことは一つ。
「父さんを助けて……!!」
些か説明不足な台詞だが、シャドーを通してアトリアを見ていたミストバーンにとっては、その一言で十分に伝わる。
もとよりそのつもりだと、影の男は鷹揚に頷いた。
「……承知した。だが……生きているという保障はあるのか?」
突然にシャドーとの通信が断たれた為、直前の状況は把握していなかったが、何が起きたかは大まかには分かっている。
何せ黒の核晶の直撃に巻き込まれたのだ。生きていると考える方がおかしい。
「……私の持っている……剣。もし片割れが消えたなら……この宝玉も輝きを失うはず」
それはつまり、何らかの方法でアトリアの持っている片方が砕けずに、現在もそこにあるということ。
その情報はアトリアの生存可能性を示唆するに十分な根拠を持っていた。
「分かった……お前は――」
休んでいろ、と言おうとしたところで。
「私も行く……! この目で見届けないと安心できないわ……!」
血まみれで、臓物が零れ出そうな傷を負いながらも、その覚悟は揺るがず。
思わずミストバーンも瞠目したような様子を見せた。
「足手纏いだ……と言いたい所だが……その覚悟、気に入った。気休め程度だが応急処置をしてやる――闘魔傀儡掌!」
暗黒の糸が飛ぶ。それは骸や敵対者を縛る人形の繰り糸だが、今回の使用用途は少し変わったものだ。
スピカの傷口の両端へと二本の糸は向かい、それを結び合わせるように交差していく。
そう、傷口を縫合するための手段としての使用方法。普段の、対象が壊れることも厭わない使い方とは反対の。
誰よりも暗黒闘気に卓越しているミストバーンにしかできない、世にも珍しい優しい暗黒闘気の利用法だった。
「少し楽になったわ……あんた、優しいのね」
恐らく、ミストバーンに優しいなどという評価を下すものは魔界を探してもそうはいないだろう。
終ぞかけられることが無いような言葉をかけられ、少しばかり気恥ずかしいような様子。
「私は強靭な肉体と精神を持つ者を尊敬する。お前がそうであっただけのことだ――お前らのことはずっと見ていたからな」
「えっ……それはちょっとキモいかも……」
「……………………行くぞ」
瞬間移動呪文で飛ぶ。幾千の時を過ごしてきたミストバーンにとって、魔界で踏んだことのない地はほとんどない。それがたとえ、ヴェルザー領下だろうとも。
だが、辿り着いたそこは余りにも凄惨で。
「こっ……これは……っ!!?」
大陸が、無い。
そこには何も無く。ただ溶岩の海が広がるのみ。空はいつも以上に荒れ、雷鳴が時折鳴り響く。
気流も乱れ、滅茶苦茶な暴風が所構わず吹き荒れる。世界の終わりのような光景が、今眼前に広がっていた。
さしものミストバーンといえども、この惨状に動揺を隠せない。
ましてや父親がこんな光景を作り出した元凶をもろに喰らったと分かっているスピカからすれば、殊更に不安が増すばかり。
それでも自分が動揺すれば、悪い方向にしか物事は進まない。それを自分に言い聞かせ、スピカは辛うじて平静を保っていた。
「この剣は二刀一対の双子の剣。互いに引き合う性質を持っている……この導きに従えば、父さんに近づけるはずよ」
作り手が魂を込めて打った伝説の武具には、意志のようなものが宿ると言う。例えば真魔剛竜剣は使い手を守り、担い手たる竜の騎士の下へ呼び寄せられる。
これも同じだ。双子の片割れと引き合い、二対揃えば主の所まで導いてくれる。片割れを担い手が持っていれば、そちらのほうへと。
剣が震え、動き出そうとする。抑えながらもその方角を認知し、そちらへと向かえばやがて振動は小さくなってゆく。
それが完全に収まった。つまり、この地点の真下にアトリアが居るということ。
だが、眼下に広がるのは相も変わらず溶岩のみ。が、それを掻き分ける術は、今の二人には無い。
「どうすれば……!」
「……一つだけ、方法がある」
「それは!?」
一も二も無く飛びつくスピカ。その方法とは。
「……だが、それはお前に見られてはいけない方法だ。お前が私の暗黒闘気に身を委ね、絶対に何も出来ない状態であるという保障が出来るならば、その手段を使えるだろうが……」
「なんだ、そんなことなの」
「何……? 生殺与奪の権利を他人に握らせるのだぞ? そう易々と……」
迷いも何も無い。覚悟を決める必要もなく、そんなことは当たり前のことだという顔で、スピカが言ってのけた。
「父さんを助けられるなら、私の命なんて軽いもんよ。……それに、あんたが私に何かするとも思えないしね! なんたって――仲間、でしょ?」
仲間。魔界ではそう聞くことの無い言葉に、思わず影が目を見開くような仕草を見せた。
その少し後、愉快そうな笑い声が響く。
「……フッ……フフフ……フハハハハ! 仲間か! まるで正義の使徒の金看板のような言葉を……だが、面白い! やはり私はお前を尊敬するぞ……! アトリアのことは私に任せておけ……!」
父のためなら命すらも躊躇無く危険に晒せるというその心持ち。自分もそうだ。バーン様のためなら何だって出来るだろう。
似たような心境を抱く者同士として、影の男はどこかにスピカへの共感を感じていた。
それに、自分に信頼を寄せるその無垢さ。その生涯で殆ど信用と言うものを受けてこなかったミストにとって、それは稀有で得がたいものだった。
「ええ……後は、任せたわ」
それを最後に、暗黒の糸がスピカへと向かう。瞼を閉ざされ、耳を塞がれ、身体が糸で巻かれてゆく。
優しく、緩やかに、スピカの感覚が閉ざされていく。全身が暗黒の糸で包まれ、その様はまるで黒い繭。
深い、深い闇へと落ちていく感覚のみがある。やがて五感の全てが感じられなくなり、スピカの意識は現実と想像の狭間をただ彷徨っていた。
「さて……」
――アトリア……お前の戦いぶり、その生き様。この400年間、しかとこの目に焼き付けた。
ミストバーンが、己の纏う衣に手を掛ける。
――初めはお前のことを軽蔑していた。人形のようで、自分の意志が感じられない奴だと。
その衣の中からは、今まで闇に覆い隠され見えなかった人影が。
――だが、その評価は段々と覆されていった。雷竜の息子、魔界の剣豪、英雄の名を継ぐ者……決死の戦いの中、確固たる意志の力で、お前は生を掴み取ってきた。
やがて凄まじい鳴動と、影の中から光が湧き出てくる。それは影に隠された衣の中身から湧き出てくる力の波動の一端だった。
それが今、取り払われようとしている。
――バーン様……よろしいですね……!
思念を用いて、己が主に問いかける。
これは予定調和。元より決まっていたこと。故にその回答も決まりきっていたことで。
――許す……! ミストバーン……!
影の衣を繋ぎとめていた首掛けが、真っ二つに割れる。
溢れ出る光が最高潮に達し。
「見直したぞ……! アトリア……!!」
今――衣の中身が露となった。
露になったのは、額に黒い靄のような何かが憑いていて、光を受け眩く輝く残雪のような銀の長髪をそなえた魔族の美丈夫。しかしそこから感じられる力は常軌を逸していた。
あわや冥竜王にも届き、凌駕しかねないほどの。それほどの力が、その細面の青年には備わっていた。
そしてその出で立ちには、見るものが見れば分かる既視感がある。最も、今この姿を見ているものは誰もいないが。
「この姿を長きに渡って晒すほど罪深いことは無い……手早く終わらせよう」
――今なら、アトリア……お前のことも尊敬できる。その強靭な身体、命に代えてでも娘を守り抜く強き信念……賞賛に値する。
一面に広がるマグマを前にして、ミストバーンは右手を翳すのみ。
そしてその手を振り上げ、ただ、振った。
しかしその動きはあまりにも早く、力強く――そして、美しかった。
「フェニックスウイング!」
不死鳥の羽ばたきが、魔界の海を割る。
全力で腕を振る。ただそれだけで生じた風圧が、溶岩を押しのけ、その海底を晒させる。
早すぎるその掌撃は、空気との摩擦で炎を纏う。一種の優雅さすらもって振るわれるそれは、不死鳥の如し。
世界の終わりに舞い降りる不死鳥の羽ばたきは、新たなる魔界の神話の一節を想起させるような美しさを誇っていた。
「ここか……!」
――今のお前ならば、諸手を挙げて歓迎しよう。だから……!
そして海底に鎮座していたのは、アトリアの形をした鋼の像。それには大小様々な亀裂が走り、ともすれば砕けてしまいそうな様子。
それをそっと持ち上げ、右肩に担ぐ。相当な重量を誇るはずであるが、ミストバーンにとっては羽根を持ち上げるのと変わらないようだった。
押しのけられていた溶岩が戻ってくる。手早く事を終えたミストバーンは空中へと戻り、暗黒の繭に包まれたスピカを左肩へと担ぐ。
――生きろ、アトリア。その強き意志で、今回も生を掴み取れ。
「戻ったか……ご苦労だったな、ミストバーン」
「…………」
第一魔宮、玉座の間。死神を脇に従え、葡萄酒を嗜んでいた大魔王の前に、二人を担いだミストバーンの姿が空間から滲み出るように現れた。
大魔王がミストバーンの割れた首飾りに指を指し、魔力を放つ。そうすれば時間が戻る様にその首飾りは繋がり、その下の素顔も衣の下へと隠された。
「あらら、男前だったのにもったいないなぁ」
「あれはむやみに晒しておくものではない……。当分の間はしまっておけ」
「……仰せの通りです」
ミストバーンが暗黒闘気の供給を切ると、スピカを纏っていた黒い繭が消える。
いきなり戻った五感に少し困惑しながらも、周りの様子を見て事が終わったことを察したようだ。
「何度か映像で見たけど、実物を見れば中々のかわい子ちゃんじゃないか。彼女が後輩クンの娘かぁ」
「父さんは……?」
「…………」
寡黙を貫く影に戻ったミストバーンが、無言でその横を指差す。
そこには、
その惨状を見たスピカが、目を見開く。
「……ッ!」
大小と刻まれていた亀裂や傷は、生身に戻った時にそのまま裂傷となる。血も流れ尽くしたのか最早大して流れず、その目は未だ生気を取り戻さない。
瀕死というよりかは、もう半分死んでいる状態。人間や魔族なら既に死んでいるのが普通の状態だ。
未だ死んでいないのは、頭部が原形を保っている故。だがそれでも、アトリアの現状は非常に厳しいものだといえる。
「ふむ……生還する確立は三割といった所かな」
「うーん……折角娘を助けたのに、自分が死んだら形無しだなぁ。ピロロもそう思うでしょ?」
「そうそう! 馬鹿だよねー!」
「あんたねぇ……!」
その言葉を聞き、スピカがキルバーンを睨む。視線を向けられた当の本人は怖い怖いとおどけた様子を見せ、大げさに手を振って見せた。
スピカの苛立ちが更に募る。が、それを見かねた大魔王が仲裁の言葉を飛ばした。
「そういきり立つな……キルバーン、お前も下らん挑発は程々にしておけ」
「はぁ~い……」
場を収めた大魔王が、改めて切り出す。
「さて、竜の娘よ……前に一度会ったが、余の下で働いてくれる意志は変わらぬと見てよいかな……?」
「……ええ。父さんがそこにいる限りは、私もここで働きますよ」
「ふむ、今はそれでよかろう……冥竜王と竜の騎士の決着を見届けたのち、我等は地上の
「……了解しました、大魔王様」
忠誠を誓っている様子はないが、別に構わんかと大魔王は許容する。
元より父も忠誠を誓ってはいないのだ、ある意味親子で似たもの同士といったところだろうかと、そんな取りとめもないことが思考の端をよぎった。
「次はそなたらの戦いを労う番だな……今までの間、アトリアを通してそなたらの動向は監視させて貰っていた。まずは実に見事な戦いぶりだったと褒めておこう」
その賞賛は、心底からのものだった。節目ごとに訪れる、格上との戦い……その全てから生還したアトリアたちの実力を、邪心なしに評価してのもの。
またそれをスピカも感じ取ったのか、素直に受け取る。
「……光栄ですわ」
「その力と功を讃え、正式にそなたらを大魔王軍に登用しよう。アトリアは余直属の幹部として、そなたはその部下としてだ」
「ありがとうございます」
大魔王がゆっくりと立ち上がり、両手を広げる。一々全ての動作に自然と優雅さが伴うバーンであったが、これは歓迎の意を示す仕草だ。
「ようこそ――大魔王軍へ。余はそなたらを歓迎しよう」
これが後に大魔王軍の三羽烏と語り継がれる三人の最後の一人――アトリアが、正式に大魔王軍へと加わった瞬間であった。
次は冥竜王とバランの二度目の決戦を書いて、過去編をまた少し挿入します。
その次にちょっと断章と幕間を挟んで原作入りの予定です。