けど、やっぱり普通にはいかないようで……。
二時間目が始まり、教室には教科書を読んでいる真耶の声だけが聞こえていた。
「……というわけで、ISを運用する為には基本的に各国家群の認証が必要不可欠であり、もしも枠外を逸脱するような形でISを運用した場合、刑法によって厳しく罰せられ、最低でも……」
授業自体は何事も無く進んでいる。
生徒達は教科書とノートを何度も交互に見て、一心不乱にペンを動かしていた。
約一名を除いて……だが。
(ま…全く訳が分からん…! いや、専門用語さえ出なければ辛うじて理解は出来るんだけど、少しでもそれっぽい言葉が出たら、その時点でKOだ……)
目を丸くしながら歪んだ笑いを浮かべ、顔には冷や汗をびっしりと掻いている。
誰が見ても、一夏が非常に焦っている事は一目瞭然だ。
このままでは流石に拙いと感じた一夏は、目だけを動かして後ろの席に座っている咲耶の方を盗み見てみる。
「ん? 今は授業中だぞ。ちゃんと前を見た方が良いんじゃないか?」
「お…おう……」
咲耶はちゃんと授業に付いていけているようで、ノートには一夏には全く理解出来ない単語の羅列が書かれてあって、一気に自分の大切な親友が別世界の住人のように感じてしまう。
(そういや…昔から咲耶って努力家だったっけ……)
咲耶は幼い頃から様々な面で優秀な人間だったが、それらは全て努力で勝ち取ったものであり、本人はその事を少しも自慢したりはしない。
まるで白鳥のように、水面下で頑張り続けるのが咲耶という人間なのだ。
「織斑君? どうしました? どこか分からない所でもあるんですか?」
「え? あ…いやその……」
少しだけ余所見をしていた隙に、真耶がいきなり話しかけてきた。
本人からすれば純粋な親切心のつもりだったのだが、一夏の方はかなりドギマギしてしまう。
「山田先生。多分、一夏の奴は何一つとして分かってないんじゃないんですか?」
「えっ!? そ…そうなんですか?」
「いやいやいや! 幾らなんでも全部って訳じゃないですよ? 一応、超ギリギリで辛うじて分かりそうな部分は有りましたし……」
「って事は、他の部分は全く分からないって事か?」
「……専門用語が出ると、即座にアウトです」
「成る程。今までの織斑君の境遇を考えると無理はないかもですね」
後ろから咲耶に言われ、なんとか『何も分からないバカ』の称号だけは回避できたが、それでも切羽詰まっている状況な事には変わりなかった。
せめてもの救いは、真耶が一夏のことをちゃんと理解してくれた事だ。
「まさかとは思うが織斑。お前、入学前の参考書はちゃんと読んだのか?」
「あ…あれは……」
「どこかの誰かさんが電話帳と間違えて捨てそうになっていたので、(ホテルに軟禁される前の)オレが寸前で取り上げて、なんとか情報の流出だけは回避できました~」
「おまっ!?」
教室の端で授業を見ていた千冬が、見るに見かねて一夏の元までやって来て尋ねる。
すぐにヤバいと思った一夏が慌てて誤魔化そうとするが、後ろにいた美少女の姿をした親友が目の前で情報をリークした。
その瞬間、千冬の顔が一気に濃くなり、手に持っていた出席簿を縦に振り出した。
「ちょっとぉっ!? 幾らなんでも縦に全力で振り下ろされたら、真っ二つになるんですけどぉっ!?」
「大丈夫だ。第一部のディオも真っ二つになった状態で平気そうにしていた」
「あの人は吸血鬼! 俺は人間ですから!!」
「んじゃ、一夏も石仮面を被ればいいじゃん。『俺は人間を止めるぞ千冬姉ー!』って」
「流石は私の愛する咲耶だな。それがいい。よし、今すぐにでも石仮面を被れ。その瞬間に私が真っ二つにしてやる」
「二人揃って無茶言うなっ!」
授業中なのに、生徒と教師の間で繰り広げられる謎のコント。
この事で、増々もって千冬の威厳が無くなっていく。
「冗談はここまでにして。参考書は持ってはいるが、全く読んでいないんだな?」
「そ…そうなる…かな……」
「ちゃんと『必読!!』と書いてあっただろうが。あれだけ時間があったというのに、何をしていた」
「え? 必読なんて書いてあったっけ?」
「ここにあるぞ」
咲耶が自分の参考書の裏表紙を見せつけると、そこには丸々全体を使ってデカデカと大きなゴシック体で『必読!!!』と表記してあった。
「でかっ!? つーか、マジで気が付かなかった……」
「このバカが…! 今から一週間以内に読んで、全て覚えろ。いいな?」
「一週間っ!? それはちょっと無茶なんじゃ……」
「大丈夫だ一夏。信念さえあれば人間に不可能は無い」
「俺は別に波紋戦士じゃないから不可能な事なんて山ほどあるわ」
「なら、今すぐにでも波紋をマスターしろ。ほれ、ヒッヒッフー」
「それはラマーズ法なんじゃ……」
ここでまさかの真耶からのツッコミ。
空気になりつつあったのが耐えられなかったのだろうか。
「まぁ、いざとなったらオレが勉強を見るよ。さっきもそう約束しただろ?」
「咲耶……お前って奴は……」
なんだかんだ言って、最後には自分の事を手助けしてくれる。
だからこそ、自分は彼に本気で惚れてしまったのかもしれない。
「咲耶と勉強会だと…! なんて羨ましい……!!」
「「怖――――――――――――――――――っ!?」」
そんな二人の横で、血の涙を流す千冬。
一体、彼女は初日でどこまで自分の株を下げるのだろうか。
完全に授業をするような空気ではなくなり、そのまま二時間目が終了した。
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
「はぁ~……」
またもや机に突っ伏す一夏。
どうやら、彼は一回授業をするごとに自分の机とキスをしなければ気が済まないようだ。
「ま~たやってるよ。だいじょ~ぶか~」
「だいじょばな~い……」
「だってさ。どうする箒」
「なんとも情けない姿だな。そんなお前には、外で拾ったお子様ランチについている旗をプレゼントしてやろう。その脳天にな」
ポケットから取り出した、小さい旗を一夏の頭にぶっ刺す箒。
何気に彼女も場の空気に当てられてきたのかもしれない。
「いいなそれ。それじゃ、オレはコイツの顔に落書きでもしてやるか。ほれ、顔を上げろ」
「や~め~れ~」
適当な抵抗も虚しく、一夏は無理矢理に顔を上げられてから咲耶に顔面落書きをされてしまう。
頬に黒い丸を書かれ、唇は暑くなり、トドメに額に『肉』の文字。
即席のキン肉星の王子様の完成である。
「少しよろしいかしら?」
「「「ん?」」」
そんな楽しい空間に、突如として誰かがやって来た。
金髪縦ロールの、いかにもなお嬢様。
一夏はまた面倒くさそうな顔をして、箒と咲耶は少しだけ振り向いてから、また一夏への悪戯を再開する。
「って、なんなんですのっ!? その顔はっ!?」
「生まれた時から、ずっとこの顔だよ」
間違った事は言ってない。
「早く、その顔を拭いてくださいな! 話が出来ないじゃありませんの!」
「いや、別に話は出来るだろ。そっちが気にしなければ」
「するから言ってるのよ!!」
「だってよ。何を書いたのかは知らねぇけど、とにかく何か拭くものをくれ」
「別にいいけど、それって油性だぞ?」
「嘘だろ承太郎っ!?」
「あぁ…嘘だぜ。本当は水性だ。けど、マヌケは見つかったらしいな」
「はっ!?」
「……何をやってるんですの?」
「「え?」」
まさかの不発。
これには一夏と咲耶もびっくり。
因みに、箒はちゃんと理解していた。
「はぁ…しゃーない。ほれ一夏、ウェットティッシュ」
「ありがとな。マジで咲耶って女子力高いよな」
「うっせ。ととっと拭け。じゃないと、インクが乾いて拭き取りにくくなるぞ」
「おっと。それだけはマジで困る」
急いで顔をフキフキ。
何枚か使って、ようやく一夏の顔に書かれた落書きは消えた…かに思えるが、少しだけ跡が付いていた。
しかも、まだ箒が刺した旗は頭に残ったままになっている。
「これでいいか?」
「ま…まぁ…いいでしょう。コホン」
ワザとらしく咳をする少女。
それだけで、彼女が高飛車系の女の子であるのが分かる。
「で、お宅は誰なのかしらん?」
「よくぞ聞いてくれました。私こそは、栄誉あるイギリスの代表候補生である『セシリア・オルコット』ですわ!」
「ふ~ん……なぁ咲耶」
「なんだ?」
「この子が言った『だいひょーこーほせー』って何?」
「そっか。今までISとは無縁の人生だったもんな。お前が知らないのも無理はないか。仕方がない。この『まいっちんぐ咲耶先生』が教えてしんぜよう。感謝しろよ、一夏太くん」
「無理矢理、俺の名前にのび太の名前をくっつけるな」
鞄の中から小道具である伊達眼鏡を取り出してから装着し準備完了。
しれっと箒が鼻を押さえているが、気にしてはいけない。
「まず、お前のお姉さんである千冬さんが元国家代表だったのは知ってるだろ?」
「そりゃな」
「代表候補生ってのは文字通り、将来的にその代表になるかもしれない連中の事を指すんだよ」
「そっか。つまり、候補生ってのは国家代表の卵みたいなもんか」
「今はその認識でいいんじゃないかな。それでも、かなりのエリートであることには違いないけど。なんせ、物凄く狭い門を潜り抜けて今の地位にいる訳だしな」
「成る程……咲耶の説明は分かりやすいな」
「本当は、もっと色々な事を説明しないといけないんだけど、それをしたらお前の頭が絶対にパンクするから止めとくわ」
「そうしてくれ。仮に言われても、覚えきれる自信が無い」
「そんな事で自信を持つな」
最後に箒から旗を刺しながらのツッコミ。
一夏の頭には複数の旗が付いていて、旗にはそれぞれ『一』『夏』『祭』と書かれてあって。何故か両耳の穴からは万国旗が生えていた。
「貴女……何者ですの?」
「見ての通りの人間だけど? オルコット家のお嬢様」
「私の事を知って……!」
「名前と軽いプロフィールぐらいだけね。少し前に超絶暇してた時にネット上を徘徊してて、その時に偶然にもイギリスの代表候補生の事を書いていたサイトに入って、そこで見たんだ」
「そう…なんですのね」
さっきまでは、ずっと一夏の方ばかりを見ていたが、急に咲耶の方に注目し始めるセシリア。
見自知らずの女の子にじっと見られて、ちょっとだけ恥ずかしくなって頬を赤く染める咲耶ちゃん。
「お名前はなんていいますの?」
「飛世咲耶」
「サクヤさん…ですわね。その名前、確かに覚えましたわ」
なにやら嫌な予感。
けど、今はその現実から目を逸らした。
「お前は何をしに来たんだ……」
「別に。ただ、噂の男子がどんな人物なのか拝見をしに来ただけですわ。けど、期待したほどではありませんでしたわね」
「勝手に期待されても困るんだけど」
「確かにその通りね。だから、もう結構ですわ」
「え?」
咲耶が伊達眼鏡を外してレンズを拭いていると、いきなりセシリアから頬に手を添えられて、その綺麗な親指で唇をなぞられる。
「今は貴女の事が気になりますわ。咲耶さん」
「は…はいぃ?」
「無知な者へ、あそこまで分かりやすく的確な教え方なんて、そうそう出来るものではありませんわ」
「いや…それは単純に、一夏とは付き合いが長いから、どう教えればいいのかを知っていただけで……」
咲耶の言葉が全く耳に入っていないようで、うっとりとした表情で見つめてくる。
それを見て、背骨に氷柱を突っ込まれたかのような悪寒が背筋を走った。
「ちょ…ちょっと……?」
「ウフフ……♡」
攻める時は強気でも、攻められると途端に弱くなる。
頭がグルグルし始めた咲耶は、ふと昔の事を思い出す。
(あ~…そういや、昔に千冬さんと束さんに『食べられた』時も、こんな感じだったな~……)
忘れたくても忘れられない思い出。
あの時からだろうか。
あの二人の事を本気で意識し始めたのは。
「あら?」
ここでチャイムが鳴って、皆が席に着き始める。
勿論、セシリアも同じように着席する為にこの場から離れるが、その時に咲耶に向かってウィンクを飛ばしてきた。
「では、また後で。咲耶さん」
「「「……………」」」
色んな意味で衝撃的だった少女『セシリア・オルコット』。
咲耶は久し振りに身の危険を感じていた。
「なんだったんだ一体……」
「こっちが聞きたいっつーの」
「私もあれぐらい、積極的に攻めるべきなのか……?」
「「え?」」
幼馴染のふとした一言に、思わず呆けた声を出す二人だった。
セシリア登場…ですけど、まさかの咲耶をロックオン。
お蔭で彼女から一夏へのアンチは少なめになりましたが、それ以上の波乱が待っている予感?
次回は例の代表決めの話です。