コミュ障TS転生少女の千夜物語   作:テチス

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集束する勘違い

「なんだ……なんなんだ、これは」

 

 イナル村駐屯兵団隊長のレイトは訳が分からないと頭を悩ませていた。

 太陽が真上に昇った穏やかな昼下がり、あと数時間もすればまた少女がやってくる頃だ。それを前に村の集会場でプスオフ村長、ディアナ司祭、レイトの三人が本日の協議をしていた。

 

 あの怪しい少女と契約を交わして早5日。意外な事にイナル村は平和そのものだった。

 

 少女が気まぐれに人を傷つける事は無いし、夜人――少女がそう呼んでいた――が暴れ回る事もない。

 彼女が求めたのは「一般常識」というどこにでもある物とディアナ司祭の魔法知識、そして僅かばかりの食料だけだった。

 前者二つは誰かに教えて無くなるものでは無いし、食料だってたった一人分のパンや野菜程度。村の財政は全く痛くない。しかもそのお礼にと少女が毎日森の恵みを置いていくおかげで、むしろ村の方が貰い過ぎている程だ。

 

 ディアナ司祭の話でも少女は非常に大人しいらしい。

 毎晩、日が暮れてから礼拝所で色々な知識を教えているそうだが、その授業態度は真面目の一言。

 護衛のヤトも礼拝所の表で静かに待機していて、頭に蝶々が止まっても気にしない。かつて軍人10人を相手に大立ち回りした暴力の体現者があそこまで長閑(のどか)な表情を見せるとは誰にも予想できなかった。

 

 晩に来る少女が帰るのは決まって日が変わる頃。

 ディアナ司祭は少女に泊って行かないかと聞いたこともあったそうだが村に迷惑だと遠慮したらしい。

 しかも、果てには行きかえりで周囲の危険生物を追い払っているそうだ。他でもなく、村の為に。

 

 彼女により村が危険に晒される?

 とんでもない。むしろ村はかつてより平和になっていた。

 

「なんだ、なんなんだ。これは一体なんなんだ……。普通に考えれば彼女は敵か? それとも味方か? 村長はどう考えますか」

「普通に考えられんから困っておるんだろう? はぁ~、全く嬉しいやら困るやら。とにかく、すぐにどうこうする気が無さそうなのが幸いだの」

 

 村存亡の危機を前にして死ぬんじゃないかと思うほど焦燥していた村長も以前の調子に戻っていた。長く生えたひげを撫でつけながら、安堵したような声を上げている。

 

「ディアナさんの方は進展有ったかい? こっちはなんやかんやと見た目可憐な少女に、気を許し始めている馬鹿が出ているな。門番とか、門番とか。まあ他にもいるが……」

「あはは……まあ、あんなに可愛い子が毎日、手を振って挨拶してくれるんですからね。無表情なのは表情が動かないせいだって言ってましたよ?」

 

 それに、意外と内心は情緒豊かなのですよとディアナは続ける。

 

「ここ数日、彼女も気を許してくれたのかスキンシップが多くなってきました。首筋や頭を撫でて欲しそうに近寄ってきたり、それに気付かない振りしたら彼女、私の手を取って自分の頭に乗せるんです!」

 

 その光景を思い出しつつ語るディアナ司祭の表情はゆるく崩れていた。

 にっこ、にっこ! そんな擬音が似合うとはこの事だろう。村の存亡に命を賭けると燃えていた彼女はもういない。

 

「なんでも、彼女はロザリオ…あ、えっと……私の持つ聖具が好きなんですけど、その光を浴びながら私と触れあうのがもっと好きみたいです。よく分からないけど、その方が『効果的』って言っていましたね」

「効果的……何かされてるのか?」

「いいえ? 私も最初は心配したんですけど異常は何もなし。彼女は暖かくなるって言ってました」

 

 暖かい? エリシア聖教は太陽を讃えるものだし、その司祭さんに触れると暖かいのだろうかと隊長は疑問を抱いた。

 なんとなく彼女のやわらかそうな手へと目が向かう。

 その視線に気づいたのか、ディアナは口角を僅かに上げた。にまにましている。

 

「……違う。卑しい意味は無い。その悪戯っぽい顔を止めてくれ。俺はディアナさんと触れあわんぞ」

「あはは、私はいいですよ。隊長さんが気になるなら握手くらいならやってみます? 彼女曰く、私は暖かいらしいですからね」

「やらん」

「……なら儂がしようかな」

 

 目の前で行われる司祭と村長による突然の握手。

 

「ほぉお暖かいのぉ。それにすべすべだのお~。若い子の手だ」

「あはは。ありがとうございます」

 

 何やってる、このエロジジイが……!

 こめかみに血液が集まるのを自覚しながら隊長は口に出かかった罵倒を呑み込んだ。

 

「村長は黙っててください。会議が止まった……!」

 

 話を戻すために一回咳ばらい。

 ディアナにもからかうのは程々にしてくださいと皮肉を籠めて睨みつける。

 

「それで、ディアナ司祭。他には?」

「はい。えっと……昨日は一生懸命覚えた文字で手紙をくれたんですよ。最初の時はごめんなさいって、脅しちゃってごめんなさい。でも、ああするしか手は無かったって」

「そうか……ごめんなさい、か」

 

 ならばやはり、あの門番(バカ)の言うように何かしらの事情が有って、やむに已まれず村を襲ったということか。

 信じられないような話だが、レイトにはそれ以外に考え付く理由が無かった。

 

(あれか? 俺たちは彼女に篭絡されているのか?)

 

 最初は暴力でもって支配してから、優しく接することで村人の感情をかき乱す。

 誘拐事件や監禁事件などの被害者は犯人と仲良くなってしまうという現象を提唱した学者がいた事をレイトは思い浮かべた。

 それの応用で村全体を彼女に好意を抱くように誘導して……? そこまで考えて馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。

 

(いやいや、なんの意味があるんだ。村長には悪いがイナル村は大したことない村だ。ここは【深淵の森】の魔種抑制、その先にある帝国の監視ぐらいしか意味がない)

 

 森を挟んで国境を接する帝国と王国の仲は現在の所そう悪いものではない。だが戦争はふとした拍子に起こるもの。

 実は少女は帝国の尖兵であり、村を篭絡することで戦争の緒戦を有利に進めようと……レイトはまた頭を振った。

 もし仮にそうならば、その作戦を提唱した軍師様は天下のバカに違いない。

 あの数の夜人を従える少女は軍に匹敵する大戦力だ。なんなら一つの戦線を彼女だけで突破できる程の戦略級の存在。こんなお遊びをさせる意味がわからない。

 

「ディアナさんは彼女の事情をどこまで聞けた? 夜人の存在とか、彼女の出生とか本質的な所だ」

「ほとんど何も。まだ黒髪ちゃんは名前すら教えてくれないんですよ。時間が足りません、私が彼女に信頼されるには、もっともっと時間が必要です」

 

 この5日。ディアナは勉強を教える傍ら、何度も黒髪の少女に名前を聞いていたらしい。

 だがその度にはぐらかされたり首を振って教えてくれなかったようだ。そのせいでいまだに黒髪ちゃん呼びとなっていた。

 

「……これは相当根が深そうだ」

 

 異常なまで一切変わらない表情。喋るのが苦手という対人コミュニケーション能力の低さ。そして抜け落ちた社会常識。

 彼女の抱える問題がドンドン浮彫になるにつれて、最初の人を寄せ付けない雰囲気が一つの事情を想起させた。

 

「人間不信か……? 生まれながら普通じゃない環境にいた。だから他人を信用できず、常識も欠如している」

 

 生まれたてで警戒心の強い猫なんて生易しいものではない。

 人間の手で虐待され続けたペットが抱くような、人間に対する恐怖と敵意に満ちた感情を彼女から感じ取ってしまう。

 

 いまでこそディアナに懐き始めたようだが、それでも深い所への立ち入りを一切許さず、自分の名前すら明かさない徹底ぶり。

 加えてディアナが貰ったという呪われた指輪。あの猛烈な効果と夜人という闇の組み合わせが、考えたくもない結社(そんざい)の名をレイトの脳裏にちらつかせた。

 

 違法薬物や人体実験、邪神召喚。

 人として超えてはならない一線を容易く踏み越えるクズ共の集まり。だが遥か昔に滅んだはずのモノ。

 

(……可能性はゼロじゃない。まさか奴等復活していたのか? 誰にも気づかれず?)

 

 王都の高官が聞けばきっと卒倒する情報だ。もしくは恐怖のあまり信じたくないと耳をふさいで聞く気を持たないだろう。

 だが、それを裏付ける証拠が森から出てきた。

 警戒に出ていた兵士が森で大きな穴を発見したのだ。その中にはいくつもの死体と日用雑貨、そして闇の魔具がゴミのように放り投げられていた。

 隊長は重苦しい表情でその情報を二人に共有する。

 

「石の腕輪に【三ツ目印】が付いていた……?」

 

 二人はまるで時が止まったように静かになった。絶句。その言葉がよく似合う。

 隊長の言葉を何度もかみ砕き消化して再び動き出す。

 

「ほ……本当に森に廃棄されていた魔具に三つ目が刻まれていたんですか!? 悪戯とかでは無く!?」

「悪戯で死体を用意する奴がいるものか。スラムの住民らしき死体だった。おそらく……」

「被験体かの。忌々しい邪法の犠牲者たち。昔からあそこはそういう奴等の集まりじゃった」

 

 村長が言葉を繋ぐ。

 まるで実際に見てきたかのような、嫌悪の含まれた言葉だ。

 

「ディアナさん。例の指輪は?」

「……礼拝所の倉庫の奥底に置いています。三重結界で包んでみましたが、それでもまだ微かに闇の魔力が漏れ出ています」

「それは凄い一品だな。はぁ……ここまで状況が揃っちまうとはな。やはりこの一連の事件には、あそこが関わっているのか」

 

 あそこ――。

 かつて存在し世界を恐怖に陥れた、あまりに有名で最悪な非人道的組織【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】。

 レイトがその名前を上げようとした直前、集会所の扉が開け放たれた。ドタドタと数人の村人が駆け込んできて歓喜の声をあげた。

 

「村長! 嬉しい知らせだ! アイツ等が戻って来たぞ。夜逃げした連中だ! みんな生きていた!」

 

 

 

 

「――つまり、魔力とは人間が神様より授かった力であり、人のために使うものと教会は説明しています」

「ふーん……すごい非科学的。うさんくさい」

「こら」

 

 村に作られたエリシア聖教の教会はこじんまりとしたものだ。

 二階建てとなっているが、二階は住み込みで働く聖職者用の生活スペースで、一階が公共の礼拝堂となっている。

 両開きの扉を開ければ、中央に通路が通り左右に分かれていくつもの長椅子が設置される。その通路の先は放射状に丸く広がった祭室となっていて、床の一段高くなっている所が祭壇だ。

 祭壇の壁には黄色く描かれた太陽の掛け軸が垂れ下がっている。

 私達はその掛け軸の下に机を置いて勉強していた。

 

「魔力の総量は15歳まで増加していき、それ以降は止まると言われているのが通説です。だから15歳が成人と考えられるわけですね」

「……私は成人?」

「うーん……パッと見た限り、まだまだ子供ですね」

「そう」

 

 ちょっとショックだったのだろうか? 黒髪ちゃんはガクリと首を落としてしまった。

 実年齢は幾つなんですかと聞くと無言で前髪を弄り始めた。常に隠れている片目をチラッと出してみたり、手を放して戻したり。

 これは彼女の癖だ。困った事態になると、すぐにこうやって誤魔化す。

 

「ふふ……」

「なに?」

「いいえ、なんでもないですよ」

 

 黒髪ちゃんは不思議そうな顔で首を傾げたけど教えてあげない。

 気付いていないのだろうか? こんな分かりやすいのに。

 

 髪弄りに飽きたのか、彼女は自分で作ったメモを片手にパラパラ教科書をめくり始めた。

 それをぼうっと眺めながら昼頃に行われた一連の出来事を思い返す。

 

 兵士さんが森で血濡れの死体を見つけたという話と、街から戻ってきた村人の話。

 その話を聞いて今日、私はこれまで立ち入れなかった領域に踏み込む覚悟を決めていた。

 

「……黒髪ちゃん。ちょっと大事なお話しようか」

 

 教科書を弄る手を止めさせるために私は彼女の前髪を耳の方へ掻きあげた。

 その際に手が頬に触れて、黒髪ちゃんは気持ちよさそうに目を細める。

 

「今日、村人が帰ってきました。黒髪ちゃんがこの村に襲撃をかけた事で怖くなって村を出た人たちの内の数人。元気に戻ってきた。傷一つない」

 

 夜逃げしたのは8世帯25人。全員が戻って来たわけではないけど、その人たちから話を聞いて全員の安否と所在が確認できた。できてしまった。

 黒髪ちゃんが現れる前と後で村人の総数に差異が無い。思っていたような行方不明者なんて、どこにも存在しなかった。

 それは運がいいとか無事で良かったでは済まされないことだ。

 だって私達は少なくとも一人、黒髪ちゃんが村人を殺したと思っていたから。

 

「……教えてください。貴方が持っていた血濡れの服はどこで手に入れたんですか? 貴方は一体どこから来たんですか?」

 

 戻ってきた村人の何人かはこう言った。

 ――危ない時に黒い化け物が現れて命を助けてくれた。

 人買に襲われた時、猛獣に出くわした時、化け物が何処からともなく現れて救ってくれたのだと。

 

 彼等は黒い化け物から逃げるために村を出た。

 しかしまるで化け物も一緒に付いてきたかのような状況と、なぜか守ってくれたことが怖くなった。

 同じように夜逃げした仲間と確認しても、街の守護兵に相談しても解決しないから村に戻ってきてしまったのだという。

 

「約束する。私は貴方を傷つけないし、事情があるなら力になる。だから、どうか教えて欲しい……貴方の事を」

 

 露になった黒髪ちゃんの両目を見つめる。

 ずっと踏み込みたかったけど強く立ち入れなかった領域。彼女が逃げるから、私も無理に聞き出して嫌われたくなかった。だけど、もうそんな事は言っていられない。

 昼に隊長さんの話を聞いてから嫌な予感が止まらない。

 

「闇魔法を使うのは決まって悪い人というのが常識だった。村を襲ったから、罪なき村人を殺めたから、私は貴方を悪だと断じた。でも違う……貴方に関わるたびに、私はそれが信じられなくなっていった」

 

 貴方は一体どこの誰なんだ。

 どうして村を襲ったの? なのにどうして私達を守ってくれるの? どうして貴方はそんなに寂しそうなの?

 もう私にはわからない。これ以上、優しい貴方を疑いたくない。

 

「だから、どうか教えて欲しい。貴方の名前を」

「うぅ……」

 

 一分、二分と無言の時間が流れていく。何時もなら私が先に折れるが、今回はじっと待つ。

 そして長い沈黙の後、ついに黒髪ちゃんは私と向き合ってくれた。ゆっくりと不安そうな声色で尋ねてくる。

 

「……笑わない? 怒らない?」

「当然」

 

 人の名前に笑うも何も無い。

 全ての名前は両親が子供の為に付けてくれたものであり、大切な物だ。どんな名前だって私は気にしない。

 

「…………重吾」

 

 彼女は消え入るような声でつぶやいた。

 

「じゅうご?」

 

 黒髪ちゃん――いや、ジュウゴちゃんが、明かした本名はあまり聞いたことない名前だった。

 このあたりの人ではなかったのだろうか?

 珍しいとは思うが、笑う要素が無かった事に安堵する。

 

「うん。いい名前だと思うよ」

「……ほんと?」

 

 私の反応をなんども伺って、ジュウゴちゃんはホっとしたように息を吐いた。

 なにか不安になる要素でもあったのだろうか……? 分からない。

 

「あんまり聞いたことない名前なので分からないけど、どんな意味があるの?」

「……さあ。私も生まれた時から重吾だから……知らない」

 

 ジュウゴちゃんはまた長い前髪をかき分けた。

 嘘だ。彼女は名前の意味を誤魔化した。

 

 でもそんなの気にならないほど、私は彼女の名前を教えて貰えた事に浮かれていた。

 名前の由来を深く考えずに良い名前だの、似合ってるだの、そんな事を言い放ってしまった。だが色々な質問を重ねるにつれて私はその名前が真に意味する所を知ることとなる。

 

「それで、ジュウゴちゃんは今までどこにいたの?」

「知らない。気付いた時には森にいて、この体になってた」

「……この体?」

「変な力を付けられた。無意識に夜人を産んじゃう力。夜は寝れないし、血まみれにされる」

 

 彼女は堪えていた弱音を吐き出すように言葉をとめどなく溢れさせた。

 

「私もどうすればいいか分かんなくて、でも誰とも仲良くできなくて……誰も助けてくれなくて! それに……!」

 

 徐々に語句が強まり、口調が早くなる。

 名前を明かしたことが切っ掛けで、独り孤独に耐えていた最後の線が切れたのかもしれない。ジュウゴちゃんが助けを求める様に手を伸ばしてくれたから握りかえす。

 

 だけど、その言葉の中にいくつもの聞き捨てならない情報があった。私はあわてて彼女の言葉を押しとどめて聞き返した。

 

「ッまって! まって! 血まみれにされる!? まさか、あの服って、ジュウゴちゃんが着てたの!?」

「うん」

「うそ……だって前は森で拾ったって!」

「ごめん。それは誤魔化しただけ。ほんとは拾ってない。あれは、私が血まみれにされた時に着てた服」

 

 彼女はしっかりと見つめ返してきた。そこには一つの嘘も無い。

 私は信じたくない現実を突き付けられて、気付かぬうちに浅くなった呼吸を繰り返す。

 

「そんな……!」

 

 ――夜は寝れず、血まみれにされる。

 ――気付いたら夜人を生み出す変な力を与えられていた。

 

 なんだ、なんだそれは!

 それではまるで、忌まわしき人体実験が彼女に行われたかのような話ではないか!

 

「そんな……。じゃ、じゃあ服の血の正体は……! でも、あんな量普通は死んじゃう!」

 

 いや死ねなかったから、彼女はここにいるのだ。普通じゃないことがあったのだ。

 本当に『アレ』が事件に関わっていて、人体実験されていたならジュウゴちゃんは死ぬことすら許されず、体中を弄り回されたことになる。

 いつも冷静なジュウゴちゃんが、ここにいない誰かを憎らし気に睨みつけた。

 

「あれは嫌だった。来ないでって叫んだのに、無理やりされた」

 

 私の予想をはるかに上回る証言の連続に考えが纏まらなくなる。

 彼女は村にとって襲撃者だったはずだ。可愛いながらも私にとって倒すべき存在だったはずだ。

 なのにジュウゴちゃんこそ被害者だった? これまでの想定が一変した。

 

(いや、違う。予兆は初めからあったんだ。私達がそれをしっかり見ていなかっただけ。彼女の声なき叫びを聞き逃していただけ……!)

 

 門番さんが言ったような「着の身着のまま逃げてきた」という説や、私が感じた「夜の神」という説。そして隊長さんが言ったような「生まれながら普通じゃない場所にいた」説。

 いくつもの独立した点と点でしかなかった情報が徐々に真実味を帯びて繋がり始める。点は線となって少女の全貌を描き出していく。

 そんな訳がないと思いたかった最後の説がにわかに顔を上げた。

 

「――ッ! 違う!」

 

 私は焦りから机の上の教科書を払い落して、代わりに白紙を広げた。

 震える指先でなんとか描いたものは円の中に三個の黒い瞳が描かれた【三ツ目印】。

 夜の神を崇拝し悪逆非道の研究を押し進めたために50年前に滅ぼされた、深淵の森を本拠地としていた黒燐教団の刻印だ。

 

「ジュウゴちゃん! こ、これ知らないよね! 」

 

 隊長が森で見つけたという魔具は無関係だ。

 きっと50年前に捨てられていたものが、何かの拍子で今になって現れた。ただそれだけの事。

 

 だからこの子は無関係。

 そのはず。頼むからそうであってほしい――そんな私の甘い考えは切って捨てられた。

 

「知ってる。それ、石の腕輪についてた」

「っ! そ、そう……知ってるんだ」

 

 常識すら持っていなかった少女が教団の刻印だけ知っている。

 

 ここまでくれば、もう誰でもわかる。

 黒燐教団は滅んでいなかった。そしてジュウゴちゃんの名前の由来。

 

 ジュウゴ――その名が真に意味する所は数字の【15】。被験体15番。

 

 彼女は生まれながらにして教団の被害者であり、夜の神を顕現させるための実験台だった。あるいは力を宿す兵器として作られた。

 だから常識を知らないし、他人を信用するはずがない。表情は辛い事に耐え兼ねていつの間にか失ってしまったのかもしれない。そんな推測が立ってしまった。

 

(ふざけ、ないで……ふざけないで! 教団はこの子の命を何だと思ってる!!)

 

 教科書に載っていた闇の歴史がいま再誕の産声を上げていた。

 自分で描いた紋章が途端に醜悪なものに感じられて、たまらず紙をグシャグシャに丸めて捨てた。気分は晴れない。

 

「聖女さん?」

「……ぁ。ち、違うの。これは……!」

 

 ジュウゴちゃんは怒りと恐怖の入り混じった感情に打ち震える私を不思議そうに見ていた。

 責めるでもなく、ただ無表情な目に射抜かれて私の激情は急激に冷めていく。

 想い起されるのは互いにとって最悪な出会い。

 

(教団から一人逃げてきた彼女に私は何をした? ……何も、してない。それどころか村から追いだした)

 

 たった一人、村に逃げてきた女の子相手に大人数十掛かりだ。私達は彼女の事情すら聞かず、恐怖に駆られて武器で以って打ち払った。

 世間はきっと仕方ないと言って私達を非難しない。

 でも彼女からすればその言葉には何の意味もない。最悪な教団から逃げた先は最低な村だった。ただそれだけの事。

 

「ごめん。私、そんなつもりじゃなかった。だけど、ううん。ごめん……ごめんなさい」

 

 まともに彼女の顔を見れず机へ視線を落とした。

 彼女の境遇を思うと切なくて、気付いてあげられなかった事が申し訳なくて勝手に視界が霞んでいく。

 

「ジュウゴちゃん……ううん、黒髪ちゃんも、名前教えたくないはずだよね。似合わないよね、そんな名前」

「突然の手のひら返し?」

 

 ただの番号の何が良いものか。どこが似合っているものか。

 嫌がる彼女に無理やり名前を聞きだして浮かれていた自分は何様か。

 

(私なにしてるんだろう……)

 

 村を守るんだと勝手に盛り上がって、その実やっていた事は被害者を犯人に仕立てあげること。

 聖職者としての教義だとか義務だとかそんな曖昧な物に囚われて、簡単な事実を優先し真実を見失っていた。

 

 ――私のやっていたことは全部、身勝手な正義に浸ることだった。

 

 それは未熟な私には重すぎる間違いだった。

 これまでの培ってきた信念や信条、誓いまでも全てが偽りの物に思えて「私」というアイデンティティが崩れ去っていく。

 光の視えない暗闇に何処までも堕ちていく。

 

 きっと、このまま一人だったら私は立ち直れなかった。

 でも――

 

「……だいじょうぶ」

 

 うつむいたまま纏まらない思考に嵌る私を小さな手が支えてくれた。

 私の横に立って、頭をゆっくり撫でてくれる存在。黒髪ちゃんは何でもないと(かぶり)を振って答えた。

 

「分かってる」

 

 凪いだ泉のように穏やかな顔と声。

 

「大丈夫、分かってる。私も重吾は似合わないと思ってる。……少しだけ、男っぽい」

「……ふ、ふふ。そうなの?」

 

 15番を男っぽいと言い切る黒髪ちゃんの無表情のはずの顔が、ほんのわずかに笑顔に見えたのは私の錯覚だろうか。

 

 彼女は一切怒っていなかった。彼女は私たちの事を許してくれていた。

 ……後悔するのは止めよう。

 私も立ち上がって黒髪ちゃんを抱きしめた。

 

「わぷ」

 

 ありがとう。

 私はもう、間違えない。

 

「急いで準備しないとね。きっと忙しくなっちゃうから」

 

 実験台――腹立たしいが彼等にとってはそうだろう――を失った黒燐教団がどう出るかなんて、考えるまでもない。

 奪還だ。黒髪ちゃんを取り戻すために、奴等は必ずこの村にやってくる。

 

「急いで隊長さんに連絡して、聖教会にも教団の残党について知らせて、それから……そうだ。一緒に新しい名前考えようね、男っぽいジュウゴじゃない、もっと女の子らしい名前。ね?」

「ぬぐぐ、着やせか。思ってたよりすごい……え? おー」

 

 ぐいっと腕の中の黒髪ちゃんが身じろぎした。

 

 腕の中に感じる確かな温もりと小さな鼓動。ぱちぱちと瞬く瞳。

 ……生きている。そうだ彼女は今を生きている。

 表情こそ変わらないが、それは感情が無いという訳じゃない。この子は決して好き勝手に(もてあそ)んでいい子じゃない。

 

 ならば、どうするか。

 この子は私達が守るのだ。絶対に!

 

 私の覚悟はいま方向を変えて、この子を護り抜く事だけに向いていた。

 

 




黒燐教団「ちょっと待って知らない。そんなの知らない」



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