聖女さんに俺の名前と過去を明かした数時間後、俺はまだ礼拝所にいた。
ただし説法する部屋ではなく2階にある聖女さん個人の部屋だ。
ベッドとクローゼット、そして小さな勉強机が置かれたこじんまりとした場所。
無駄なモノは殆ど無くなんというか清廉な聖職者の部屋を想起させる。生活感が希薄で現実味の薄い部屋だが、やっぱりここは彼女の部屋らしい。ベッドの上に小さなぬいぐるみが数個だけ置いてあった。
いっそ絵画に出てくる修道女のように高潔な彼女の素顔。いつも祭服に包まれて凛としている聖女さんのラフな私服姿を見てしまったような謎のドキドキが俺を襲った。
「お、女の子の部屋……」
ここで深呼吸したら変態かな?
変態だな。止めておこう
「ベッド使ったら変態かな?」
変態だな。止めておこう。
「なら、椅子に腰かけよう」
いや待て。女の子の椅子を借りるなんて変態だ。
止めて…止め……じゃあ何すればいいのさ!
俺は諦めて床にちょこんと正座した。
今日の勉強は途中で打ち切りとなった。
聖女さんはこれから大事な話をするとかで、急いで隊長さんの所に行ってしまった。
そして、今日から暫く村に泊まっていきなさいと強い意志で説得された。迷惑だし、住んでる洞窟に帰ると言ったらもっと強弁された。
「……朝になるのは困る」
聖女さんは信頼している。
彼女は俺を受け入れてくれたし、護ると言ってくれた。だから俺はもう何が有っても彼女を疑わない。
だけど村の人はまだ怖い。
門番さんや、数人の兵士さんとは少しずつ仲良くなれているのではないかと思っているが、絶対ではない。
もしも昼間に襲われたら、夜人の護衛無しの俺なんて一切抵抗できない。一発逮捕だ。
でも、これからは聖女さんが守ってくれるから大丈夫なのだろうか?
中世時代の教会勢力ってやばい権力の塊だし、意外と俺は聖女さん――延いては教会の庇護下に入ったのかもしれない。村で暮らせるのかもしれない。
「……ヤト、どうおもう?」
部屋の窓を挟んで外にいるヤトに相談する。
コンコンと窓を叩いて「入れてくれ」ってアピールされた。
やめて。窓越しで黒い化け物にそんな事されると怖いよ。というかここ2階だよ……ホラーか。
それで、どっかを指さすヤト。
……?
「……なに?」
あっち、あっちとアピールが続く。
俺の索敵範囲には村人以外の気配がない。もっと遠くなのだろうか?
「わかんない」
ヤトはしょぼんとした。
いままで彼がこんなに何かを主張することはあんまりなかった。そう思うと無視していいものではない気がする。
「……ヤト、一人でやれる? 全て任せる」
言いたい事が分からないし、俺は聖女さんに「ここで待ってて」と言われたから動けない。ならヤトに任せる。
それは彼らも信じているからだ。
彼なら俺を絶対に裏切らない。可能な限り不利益とならないように行動してくれる。それだけ俺は彼らも信頼している。
ヤトは俺の言葉を受けて数秒間ポカンと呆けた後、何度も強く頷いた。
どうやら彼のやる気メーターが爆上がりしたらしい。数人の夜人を連れ立って突撃していった。
「じゃあ行ってらしゃ――くしゅん!」
ポンと夜人誕生。
ただし教会内だったからか、同時にしゅわーって蒸発していく。教会パワーつよい。
生まれた瞬間これは可哀そう。でもその内復活するし、また明日ね。
しかし久しぶりにクシャミした気がする。
「聖女さんの隣は暖かいから、くしゃみも出ない」
最初はそんな事なかった。
勉強中でもたまにくしゃみは出たし、その度にびっくりする聖女さんの顔は面白かった。
でもそれも日を追うごとに減ってきて今日はついに一回も出なかった。
「もしかして貴方も聖女さんに惚れ、っしゅん! ……怒られた」
【夜の化身】はひねくれものだと思う。
寂しがり屋のくせに人嫌いだし、こうやって図星を指摘されるとすぐ怒る。
クシャミケーションではなく、そろそろ普通のコミュニケーションとってくれてもいいのでは?
たまに脳内に声が聞こえるとき有るし会話もできるはずだ。もしかして俺と会話するのも怖いのだろうか? 一心同体なのに?
「へたれ――っくしゅん!!くしゅん! ……怒られた」
シュワシュワシュワ~~って夜人達が消えてく。
お前、夜人の命を大切にしなさいよ。
まあ彼らも彼らで、またねと手を振ってるから問題無いんだろうけど。
そうやって夜の化身とじゃれ合っている内に聖女さんは帰って来た。
ガチャリと扉を開けて、一仕事終えたような顔で聖女さんが戻ってくる。でも正座してる俺を見て何とも言えない表情に変わった。
「ただいま。寂しくなかったですか?」
「大丈夫。一人は慣れてる」
だてに長年社畜やってなかったからね。
家に帰るのは夜遅くで、だれも居ない部屋へ戻るのだ。
俺の友はビールとつまみです。そういえば、最近飲んでない。
「そうやって貴方は強がって……。大丈夫、もう甘えてもいいんですよ」
「???」
なんか聖女さんが正座してる俺を抱きしめた。今日の聖女さんはすぐ泣くし、どこか情緒不安定。
でも抱きしめられて気持ちいいから文句はない。ぎゅっと抱きしめ返す。
そうしていて、俺はハッと気付いた。
そういえばこのワイシャツしばらく洗濯してない!
いい加減よれよれだし土埃だらけ。水洗いは何度かしたけど、土は存外くさいのだ。
「く、黒髪ちゃん?」
ぐいぃっと聖女さんを押しのけて、拘束から抜け出す。
「汚れる。貴方も汚れちゃう」
「……そんな事ない。貴方はずっと綺麗なままですよ。でも、それが信じられないなら……私も一緒に汚れたい。貴方と同じ場所まで堕ちれたら、きっと、もっと仲良くなれるから」
まじで!?
―― まじで!? ――
聖女さん……汚されたいって一体どんな性癖してるんです?
エロゲーとダークファンタジーの聖女とか、もはや穢されるだけの存在みたいなところあるから止めてよ。変な事が起こらないように俺が守らなきゃだよ。
あと、しっかり聞こえてたからな【夜の化身】。
お前なんで嬉しそうな声だしてんの?
▼
あれから二人で月を見て喋ったり、一緒のお風呂に入ったり色々な事が有った。
汚いワイシャツとズボンは聖女さんがお風呂に入る時に水魔法で洗浄してくれた。乾燥中。
そういえば、お風呂であちこち肌を見られたのはなんだろう?
傷跡とか無いか聞かれたけど、この体凄いんですよ。怪我はするけど夜になると消えるの。不思議ぱわー。
自慢げにそう言ったら、聖女さんにまた抱きしめられた。いや、あの……なんで?
そろそろ俺は聖女さんに抱き着き癖が有るのではないかと疑っている。
湯上り現在、俺は聖女さんの予備のパジャマを身にまとっていた。体格差もあるし、やっぱり萌え袖は卒業できない。
腕を持ち上げてプラプラしている袖を眺める。
もしこれ着てる今、匂い嗅いだら変態かな……? やっぱり変態だな。止めておこう。
ただでさえ俺は彼女の服と布団に包まれて、あちこちから聖女さんの匂いを感じているのにこれ以上はヤバイ。
そう。
いま、俺は、聖女さんと同じベッドに入って、添い寝していた。
横を見ればまだ起きていた聖女さんと至近距離で目が合った。ニコリと微笑まれる。
(あ゛あ゛ぁぁあ~~~! ごめんなさい、変態でゴメンナサイ! 浄化されるぅ!)
向かい合う姿勢はよろしくない!
ごろりと寝返って壁とベッドの隙間に挟まり込む。
近くに置いてあったぬいぐるみに手を伸ばして二つほど抱きかかえて悶えた。
「それは、ぬいぐるみって言うんですよ」
知っとるわ!
そうじゃない、俺が気にしてるのはそうじゃない。
「クマと犬です。あ、クマって言うのは森にいて、穴を掘ってて、えっと……毛皮がもふもふしてるんです。可愛いんですよ」
なんか聖女さんの動物解説はじまった。でも説明はふわふわしてる。
たぶんこの世界においてクマは猛獣に分類されないんじゃないだろうか。だって魔物もいるし、犬と同列のレベルのペット扱いなのだろう。
俺はこの五日間で色々な事を勉強したから知ってるのだ。
人間の基本性能もあっちの世界と比べてかなり高く、皆トップアスリート並みで……ってそうじゃない。
どうやら俺はこの状況に混乱しているらしい。思考があっちこっちに飛んでいく。
聖女さんは俺と添い寝っておかしいと思わないのだろうか?
女の子同士だし、若い者同士だしいいってことか? それは聖女として貞操観念ゆるゆるだろ。
彼女は悶々しないのだろうかと思ってちらりと聖女さんを伺う。
「それで犬っていうのはもふもふしてて、舌だしてて、可愛くて――」
動物解説まだ続いてた。
……好きなの?
▼
深淵の森、浅層部。
ヤトは木々の隙間を縫うように猛進していた。3人の夜人を付き従えて、林道ではなく生い茂った森の中を最短距離で突き進む。
たまに避け損ねて木に衝突するが、闇の体を霧散させてすぐに結合。木の幹を文字通り擦り抜けて急ぐ。
後ろへと流れていく景色は徐々に深緑を増していき、そして突然黒色へと変化する。木々が生気を失い枯死変色して瘴気を放っているのだ。
母はこの景色を見て「なんか怖い」と褒めてくれた。この風景を頑張って作った甲斐が有るというもの。
母の絶賛を思い出して浮かれたヤトは、次は【領域支配】に手を出そうと思案する。
かつての姿に戻らず夜人のままではできる事も限られる。だが、事象変革もギリギリ可能な――今はそれどころでは無い。ヤトはすぐ思考を打ち切った。
森の浅層から中層を経て、深層部にたどり着く。
――見えた。母の神殿だ。
同時に入口で立ちすくむ男が一人視界に映り込む。人間だ。
神殿内部には500を超す同胞が待機していた。
しかし彼等はみな一様に新しい命令を受けていたから、人間に気づかれないように息をひそめて隠れている。
『可能なら人を怖がらせちゃダメ。問題はできるだけ起こさないように、穏便に』
我等は人間など意にも介さない。
邪魔なら殺すし、目障りなら消し去る。母の神殿を穢すものなど絶対に生かして帰さない。だけど愛すべき母がそう言ったならばそれが正解。
ゆえに今回、神殿に待機していた夜人から応援要請がきたのだ。
何やら不審人物が神殿に出現。対応苦慮。母の意見求む、と。その結果ヤトが母から全権委任を受けてやってきた。
「これは神秘の結晶だ! 神話の再現、いや、この神殿が神話そのものだ!」
ヤトが神殿の入口にたどり着いた時、男は両手を広げて壁画に抱き着いていた。
「第三晴天カルド・ソラーレと黒死疫【
なんか騒いでいた。
「形式は原始美術に近いが、王国のゴシック様式も一部に使われている。いや待て、逆だ。流行したタッデオ期はたしか神話研究が盛んな時代だったはず。ならばゴシック様式こそ神代の模倣品だったのか!」
やかましい。
壁画に仮面を擦り付けるのをやめろ。
「おおお、これは龍!? まさかッ神よ! 私が死ぬ前に氷崩龍ハボクックの完全な姿を見せて頂けるとはッ! おォオおお……神よ! 夜の神よ!!」
男は感動にむせび泣き、地面へと突っ伏した。
「……」
一人勝手に泣いてないで、そろそろこっちに気づいて欲しい。
神殿汚れるしもう殺していいかな? ヤトは腕を組んで考え始めた。