―― ……! ……ろ!
声が聞こえる。
―― ……きろ!
俺を呼ぶ誰かの声が聞こえる。
「……んぅ?」
深い底に落ちていた意識がゆっくりと浮上した。
気付けば俺は何処までも続く闇の世界に居た。上も下も分からず、水面に浮かぶように漂っている。
てか夢の世界でも俺は少女ボディなのか……。
「なに、ここ?」
目覚めても、いや起きていないんだろうけど……とにかく今もやっぱり、すごく眠くて半覚醒で心地よさに包まれていた。
そのままフヨフヨ身を任せていると、目の前に黒い玉が現れた。そこだけポッカリ穴が開いたような陰り一つない黒。
―― ……起きろ。無能。
黒い玉にいきなり罵倒された。
えぇ……悲しい。寝るか。
―― 寝てもいいよ。死ぬけど。
不吉な言葉だった。
誰が死ぬっていうんだろう?
―― みんな。聖女も兵士も、仮面野郎も。村人もみんなみんな死ぬ。
え!? やばいじゃん……! 起きなきゃじゃん!
ていうか、なんで全員死ぬん? ……なんかの災害?
聖女さん達には夜人の護衛付けた気がするんだけど……あ、昼だしなぁ。いや、そういえば聖女さん仮面の人と戦い始めてたっけ?
……んん? そういえばなんで仮面の人と聖女さん戦ってるの?
―― うるさい。
纏まらない思考を続けていたら、黒い玉が頭に突っ込んできた。
ドガっと衝突。うわ、夢なのに痛い……。
―― 疑問だらけで要領を得ない。無能を晒すな。質問は一つずつしろ。
あ、はい。ごめんなさい。
でも、まだ微妙に夢心地で頭働かないんですけど……。
ぼやいたらまた頭を叩かれた。はい、ごめんなさい。
じゃあ、まずなんで仮面の人と聖女さんは戦っているんですか?
―― そんなの私が知るはず無い。人間の機微なんか興味無い。どうして体の主導権を持つお前が把握してない事を私が承知すると考えた。
そりゃそうだ……。
まあ俺を迎えに来た人、見るからに怪しい風貌だったもんね。
聖女さんも勘違いで襲っちゃうのも仕方ない、のかな……? とりあえず、早く起きて勘違いを正さないとだ。
んじゃ死人が出る理由は戦いの結果か。……勘違いで殺し合いとかホント止めて欲しい、なんでそうなった。
聖女さんが悪いはず無いから、仮面の人が原因だろう。
きっと職務質問しようとしたら抵抗されて戦闘になったんだろう。うん……俺と一緒やね!
……かなしい。ちょっとだけ仮面の人にも同情。でも聖女さん傷つけたら絶対許さない。
―― 長考が過ぎる。何故簡潔にできない?
あ、はい。ごめんなさい。
じゃあ次の質問。
夜人に聖女さんも守ってって言った気がするけど……やっぱり夜人護衛は昼間だからダメですか?
―― ……。
黒い玉さん、黙る。
―― まさか自分の命令すら把握できない馬鹿だった。お前の命令は矛盾している
溜息が聞こえた気がするが、黒い玉はそう言って教えてくれた。
現在夜人に下されている命令は3つ。
一つ、俺を含む自分たちの命を大切に
一つ、村人全員の命を大切に
一つ、できるだけ人間を脅かさないように
―― 現在時刻は昼。村人の護衛は可能だが、夜人が護衛に動けば自分の命を捨てることになる。よって昼の夜人は二つの命令に挟まれて動けない。……もう、森で兵士一人死んでる馬鹿。
どうやら、やろうと思えば自分の命を捨てて夜人護衛は発動できるらしかった。
だけど、それをすれば俺の命令違反になる。
……なるほど。それなら確かに俺が悪かった。なんとかしないと。
あと森の兵士とは一体……?
―― 分かったらさっさと起きろ。救え。
黒い玉がビュンビュンと飛び回り、また俺の頭を叩いてきた。
ゴンゴン叩かれながら俺は顔をにやけさせる。
「夜の化身……やさしい」
ぴたりと黒い玉が動きを止めた。でも少しずつプルプル震え始める。
何となく俺はこの黒い玉の正体がわかっていた。
こいつが【夜の化身】だ。
そしてこいつは聖女さん達を心配して、俺のことを起こそうとしているのだ。
―― 違う。私は人間の生死なんか興味無い。聖女もどうでもいい。
……え~? ほんとでござるかぁ?
じゃあ何で俺を起こしてくれるんですかぁ?
―― ……うるさい! はやく起きろ!
ゴンゴンから、ドガンドガンになった。
痛い。痛い!
「でも、事実じゃん! 事実じゃん!」
―― いいから起きろ! 起きろ起きろ!
なんとか黒い玉から逃げ回ってる内に、意識がドンドンはっきりして来た。
覚醒という事だろう。周囲の景色が明るくなっていく。
―― あ……そういえば、なんか嫌な奴の気配がする。それは私が潰しておく
そんな声を最後に俺は目が覚めた。
▼
起きると同時に、無意識に光を握りつぶしていた。
手がジュッって言ったからニギニギしてみる。痛みは無かった。
「……戦いはだめ」
俺が気付いた時には、なにが有ったか分からないが周囲は悲惨な状態だった。
地面なんてどろどろに溶けてるし、その中に何人もの兵士さんが倒れている。聖女さんも凄い顔色が悪い。
「だ、大丈夫?」
「う、うん……なんとか、ごほっ……だいじょう、ぶ」
声を掛けると聖女さんは咳込んだ。そして血を吐く。
「……ぇ」
どこに大丈夫の要素あるの!?
な、何か分かんないけど大変な様子。
兵士さんも地面でげほげほしてるし、思ってたよりみんな死にそう! やばいって!
あの世界のような夢心地だった時とは違い、俺をマジの焦りが包み込む。
こんな緊急事態、俺にはどうすればいいか分からない。
「や……ヤト! ヤト!」
なんでもいいから助けて欲しいとヤトを呼ぶ。声を聞いたヤトは俺の影から姿を現した。
しかし昼間だ。全身から蒸気をふき出してあっという間に浄化されていく。
もって10秒。それが昼の夜人の限界。
「ヤト助けて! な、なんか……大変!」
白い祭服を汚す聖女さんの鮮血、地に伏す兵士たち。
彼は辺りを見回してこりゃダメだと首を振った。
「……え?」
なにがダメ?
「だめ……」
……もう……だめなの?
聖女さんが死んでしまうという最悪が頭をよぎる。
おなかの奥底がきゅっと締め上げられた感覚がこみ上げてくる。それは喉までせり上がり、吐き気へと変わった。
「でも……! でもヤト!」
ヤトに縋るように抱き着いて見上げる。……頭を撫でられた。
俺に向かって、まあ待てとジェスチャー。
彼がトントンと俺の影を踏んで誰かに合図を送ると、時間切れでヤトは消え去った。
入れ替わるようにヤトではない夜人の一人が現れる。
特徴もなく、外見は他の夜人と一切変わらない本当に普通の夜人。
なぜヤトがこの夜人を呼んだのか分からない。けど、助けてもらえるなら何でもいい。
「あの……っん!」
事情を説明するのに声を上げたら、また頭を撫でられた。
心配するな分かっているという事だろうか?
そして時間がないと夜人は俺から離れると、手早く両手を叩いた。
パンッ――かしわ手の音色が風に乗って村中に鳴り渡る。
仮面の男が叫びをあげた。
「なッ!? 私の秘奥がこんなにも簡単に!? あぁ……ウィルスが次々に自壊して……?」
夜人が仮面の男に向かって一本指を差し出しす。そしてゆっくりと左右に振った。
――お前のそれは、まだまだ甘いな。
消えていく夜人のそんな言葉が聞こえた気がした。
仮面の男は衝撃を受けたように膝をつく。そして歓喜の声を上げた。
「お、おぉお……なんと鮮やかな手腕、見た事ない闇の奇跡! ま、まさか貴方が黒死疫【
「たす……かった?」
俺もなんとか危機を乗り越えたかと安堵に崩れ落ち……寸前で聖女さんが抱えてくれた。
「黒髪ちゃん!」
「……聖女さん」
聖女さんはもう咳をしていなかった。
周囲一帯に治療魔法を施しながら、不思議そうな顔で喉を触っている。
「ソイツを捕らえろ! だが絶対傷つけるなよ! また変な毒を撒かれたらたまらん!」
兵士たちも体を触りながら立ち上がった。
ドタドタと慌ただしく兵士が動くが、シオンは一切抵抗をしなくなっていた。力いっぱい地面に引き倒され、抑え込まれている。
その光景をみて聖女さんは、ほっと息を吐いた。
「……疲れちゃったね。ありがとう黒髪ちゃん」
「ん!」
怖かった。
聖女さんが血を吐いた時、ほんとに死が見えたようで頭が真っ白になった。
「……ぐす」
落ち着いた途端に涙が込み上げてくる。
漏れ出る嗚咽を堪えて聖女さんのお腹に顔を埋める。
服をぎゅっと握り込んで俺は後悔を吐き出した。
「怖かった……! 私のせいで、みんなが死んじゃうと思って、だから! だから!」
「うん……うん、大丈夫。大丈夫だよ。貴方はここに居てもいい。いや……私がそうして欲しいの」
子供あやす様に聖女さんが俺の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
まるで泣き出した子供をあやす様な扱いだが、外聞なんてどうでもいい。恥なんて放り捨てる。俺はただ、彼女達が生きていてくれたことが嬉しくて涙した。
黒い玉が言っていた。
このまま寝ていると、全員死ぬぞと。
つまり本当に間一髪だったのだ。
(この世界は危ないダークファンタジー世界って知ってたはずなのに……! 俺はもっと気を付けるべきだったのに!)
これは考え無しの俺が招いた事故だ。
もっと夜人へのお願いを綿密にしておくべきだった。そうすれば聖女さんは傷つかなかった。
仮面の人は大丈夫、敵じゃないと言い切っておくべきだった。それなら戦いは起こらなかった。
ここは"小さな勘違い"一つという、些細な出来事で村を滅ぼす世界なんだ。
俺は自戒の念を噛み締めた。
▼
「……仮面の人」
随分と長い時間、聖女さんの胸を堪能した気がするが、ようやく俺の混乱も落ち着いた。
ゆっくりと聖女さんから離れて、しなくてはいけない事をする。
今回の事件の原因は俺と、そしてもう一人の男だ。
彼はどうして戦ったのだ。なんで人を殺そうとしたのだ。俺は仮面の人をにらみつけた。
「なんで?」
「……」
仮面の人は溶けて固まり始めた地面にうつ伏せで抑え込まれていた。
彼は俺の言葉足らずの問いに悩んだ末、小さく声を絞り出す。
「……私は、ただ光に囚われた貴方を救い出したかったのです。なにせ闇と光が相容れる筈がない。そう思っていた……ですが」
仮面の男は後悔するように顔を伏せてそう言葉をつづける。
「色眼鏡で見ていました。前提条件が間違っていました。どうやら私は酷い勘違いをしていたようです」
懺悔を始めた男の言葉を黙って聞く。
「貴方とエクリプス司祭は敵対していたのではない。この光景を見ただけで、それはもう仲良き姉妹に感じられた。つまり私の認識は初めから間違っていたのです」
「……ふざけたことを。それは命乞いか?」
隊長が聞く価値もないと嫌そうに眉をひそめる。
兵士に指示して力尽くで黙らせようとしたが、俺がそれに待ったをかけた。
「ちょっと待って、私は知りたい。もう少しだけ聞きたい……いや、聞かなきゃいけない。この人の真実を」
「……貴方がそう言うなら」
聖女さん兵士さん達も嫌そうな顔だ。
危険人物と思われている彼を早く遠ざけたかったのだろう。
でも、これは俺の責任でもある。逃げる事は許されない。
「仮面の人は、私を助けたかったの?」
「ええ。闇の歴史に心惹かれた者にとって、憎き光は打ち倒すものと考えていました」
確固たる意志でお願いしたら、聖女さんは俺の横で一緒に聞いてくれるようだった。俺は彼の一言も聞き逃すまいと集中する。
「だが……実験体15番。この村は良い場所か? その聖女が好きか?」
「うん。……うん?」
「そうか――ならば私は、繰り返す過ちに魅入られていたことになる」
ちょっと待って。
15番ってなに……実験体とは一体? お前なんの話してんの?
「長い歴史に埋もれた神話の秘密……。ヤト様が私に示してくれた【夜】の真実。彼女はずっと迫害されていた。一人きりの孤独に苛まれ、ずっと誰かと仲良くなりたがっていた」
なんか仮面の男が喋ってるけど何も頭に入ってこない。
「だが彼女は夜の神。暖かい光には決して立ち入れず、誰も闇を受け入れない。陽だまりは凍える夜にとって憧れで、しかし決して手の届かない場所だった」
15番……15番……なんだろう。俺は重吾。
似てるけど人違いでは……?
「寒くて凍えて震えていても誰も暖めてくれない。寂しくて寂しくて堪らないのに、光に近づき誰かを求める度に敵意に晒される。そして、いつしか彼女は諦めてしまった」
ましてや実験体? ん~~?
「打ち砕かれた小さな心は零れ堕ちて夜人へと姿を変えた。積み重なった愛憎は裏返り、光への憎悪で溢れかえった」
聖女さんを見ても、兵士さんをみても訳が分からないと言った顔だ。
まあそうだよね。意味不明だよね。
よかった俺だけなんか置いてけぼりくらってたのかと思った……。
「しかしこの村では今、神話から続く原初の祈りが花を咲かせようとしている! 光と闇が互いを求め合っている!」
(ねえねえ、この人何なの? なんか変なこと言ってるけど……?)
なんかもうよく分からないので、事情を知っていそうな夜人に聞く。
この仮面の人大丈夫? なんかおかしくない?
一人の夜人が影の中で自分の頭を指さしてクルクル、パーっとしてみせた。
……あ、狂人なの? あ~~……なるほど。納得。
「ならば――やはり私が守るべきものはここにあったのだ! いま世界の理が変わるのだ!」
なんか頭のおかしい人が騒ぎ始めてる。
「光は敵ではない! 闇が味方とは限らない! 敵はこの美しき光景を邪魔するものであり、闇も光も分け隔てなく味方足りえるのだ! そうだったのですね神よ! 貴方はそれを私に、そして世に知らしめたくてこの戦いを演出した! そうですね!?」
突然、仮面の男は声量を上げて発狂した。
兵士が更に強く抑え込こもうとするが、それでも立ち上がらんとばかりに手足に力をいれている。
「――――愛だ! 男とか女とか、光が正義で闇が悪だなんてどうでもいいッ! 貴方達二人の白く咲き誇った花こそが、原初の愛にして護るべき
あの……そろそろ結構です。
なんか怖いので兵士さん、この人連れてって。
「神よ! 待っていてください! 私は必ずや……! 必ずや貴方様とエクリプス司祭様の愛を護りましょう! そして我等がこの世にあまねく愛を
ズリズリとうつ伏せのまま引っ張って行かれる仮面の男。
たぶん、もう二度と会う事は有るまい……。というか会いたくない。
隊長さんも聖女さんも、気の抜けたようにポカンとした表情を浮かべている。
「黒髪ちゃん、とりあえず……帰ろっか」
「……うん」
聖女さんと手を繋いで礼拝所に帰る。
なんだかとても疲れた。
また、今日はゆっくり眠るとしよう。彼女と共に。
……おや!? 仮面の男の ようすが……!
仮面の男「この
おめでとう! 仮面の男は 百合好きに しんかした!