コミュ障TS転生少女の千夜物語   作:テチス

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完結と言ったな、あれは嘘だ


閑話 ヤトの一日

 深夜2時。

 

 ヤトの朝は早い。

 

 かつて世界を相手に暴れ回っていた時から睡眠時間は非常に少なかったが、主たる母が幼い人間の姿になってから更に減っていた。

 

「……」

 

 ヤトは無念そうに礼拝堂のガラスに手を付けた。

 

 ガラスを挟んだ視線の先にある寝台では小さな母が聖女と呼ぶ雌個体に抱かれている。穏やかで安心しきった表情だ。

 かつての時代では決して見る事が出来なかったもの。

 

 その横にいるのが自分で無いのが腹立たしいが、母の穏やかな顔を見ると自然と頬が緩んでいく――まあ表情は無いのだが――のを自覚した。

 

「ォオ……!」

 

 このままずっと見ていても飽きないなと5分、10分と見続けていたら足元から声が聞こえた。

 

 ヤトの下では足場代わりに夜人が積み重なっていた。

 その全員が恨めしそうな声を上げている。

 

 母が寝ているのは村の礼拝堂の二階だ。

 

 その窓からヤトは見ているのだが、残念ながらヤトは空を飛ぶことができない。

 なら、どうやって就寝中の母の安全を確認――決して覗き見ではない――しているのか。

 

 簡単だ。

 夜人が集まって四つん這いになり、タワーを作ればいい。

 そうやって築かれたタワーの頂点にヤトが仁王立ちすることにより、二階の寝室をのぞき込んでいた。

 

 何度も言うが、これは決して覗き見ではない。

 ヤトが見守ることで母の安全は守られているのだ。

 

「オォオ!」

  

 しかし足場たちはそれが不満らしい。

 抗議の声は大きくなった。

 

「……!」

「…!?」

 

 ヤトは母が起きるから声を上げるなと足場を叱責する。

 

 足場たちは静かな猛抗議で反発した。

 片手を振り上げて、その場所を代われと一斉に主張。四つん這いタワーが右へ左へ大きく揺れた。

 

「……!!」

 

 ヤトが動くな止めろと制止するが足場は言う事を聞かない。

 夜人達は器用にバランスをとって全身で不満を表す。そうしている内に声が掛かった。

 

「な、なんだこれ!? おい! そこ何やってる!?」

 

 松明の明かりが照らされた。

 どうやら揺れているうちに人間に見つかったようだ。

 

 仮面男の襲撃から見回りが厳しくなったことだし、彼は村の巡回中の兵士だろう。

 兵士は顔を引きつらせながら、夜人タワーに近寄ってきた。

 

「――!」

 

 ヤバイ。変な場面を見られた!

 もしかしたら覗きと勘違いされたかもしれない。不名誉だ!

 

 ヤトは慌てて足場の土台役の夜人に命令を下す。このまま逃げろ。

 

「うわ、気持ち悪! ……っあ、崩れ!?」

 

 駄目だった。

 数歩進んだが四つん這いタワーはあっという間に崩壊、上から夜人達が一斉に落下する。

 

 夜人達は落ちていく視界の中で一瞬の判断を下した。

 

 このまま行けば地面に激突して騒音が出る。

 しかし母が起きる可能性が有るため、落下音を出すわけにはいかない。

 

 合図したわけでもないのに一様に、夜人達は着地の瞬間、松明によって生まれた自分の影に沈み込んでいった。

 ポチャン、ポチャン――そんな擬音が聞こえてきそうな異様な光景。黒い巨体が次々と地中に飛び込んでいく。

 

 瞬く間に夜人達は消え去えった。

 

 一人残された兵士は静まり返った空間にぽつんと立ち尽くす。

 

「え、え? 報告するのか? 今のをか?」

 

 なんだったんだ今のと言わんばかりの兵士の表情。 

 化物達の意味不明な行動を隊長にどう報告するべきか、兵士は頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 朝8時。

 母は聖女によっていじめられていた。

 

「ほら、黒髪ちゃん。野菜も食べてください」

「……うぅ」

 

 常に無表情の顔をほんのわずかに歪ませて、差し出された異物を見つめている。

 

 緑で歪んだ楕円形の切り口。苦味と青臭さに溢れた草の一種。ピーマンだ。

 母は、そんな雑草を無理やり食わされていた。

 

「はい、よくできました」

「うぇえ……にがぃ」

 

 ヤトはこの歯痒い光景に飛び出したい気持ちを懸命に抑える。

 

 二人は礼拝堂の寝室で食事中。

 礼拝堂内に入り込めば聖なる神気に闇の体が持たない。いや、朝ではそもそも日光に耐えられない。

 ヤトは窓越しに部屋の内部が見える位置の影に潜んでいた。隣家の屋根にできた小さな影だ。そこから二人の食事風景を眺める。

 

「じゃあ次はこれですね。はい、あーんして」

「……なぜこの村は野菜が豊富なのか」

 

 また草かッッ!

 

 この村はどうやら、まともな食べ物が無いほど貧乏なようだ。

 母に出される朝食はその辺に生えているだろう雑草ばかり。

 

 もし母にだけそうならば嫌がらせかと思うが、聖女までそれをもしゃもしゃ食べているのだから、怒りを通り越して悲しくなってくる。

 

 ヤトは村に対して行われている日々の下賜品――森で取れた動物の肉や、森の果物――を少しだけ増やしてやるかと憐れみを抱いた。

 

 

 朝食が終われば、次は着替えだ。

 

 母はいま聖女の予備のパジャマを着ている。

 綿を平編みにした薄手の長袖で、落ち着いた藍色のパジャマだ。

 それを脱いで露になる母の薄肌色の――

 

「!!」

 

 ヤトの視界を何かが遮った。

 まるで大きな物体が自分の前を陣取った様な感覚。

 

 影から窓まで邪魔な物体は何も無いのは感覚で分かる。なのに見えない。

 つまり影の中に己以外の何かが居る。

 

 影に潜んだ存在に関与できる手段は限られる。

 この村の兵士ではまず間違いなく不可能だ。昼間の母でも恐らく難しい。

 唯一聖女ならば可能だろうが、今は母の着替えの手伝いでこちらに気づいていた様子はない。

 

 ならば、これはなんだ。

 ヤトは影の中で眼前に陣取った存在を手で触れる。

 

「…………」

「…………」

 

 それは仲間の夜人だった。

 しかも、かなり長い付き合いの奴。

 

 どけ、と押してみる。

 触るな、と手を払い落された。

 

「…………」

「…………」

 

 彼女――たしかこの夜人の変化後は有性個体で、雌だったはずとヤトは思い出す――は、母の着替えに背を向けてヤトをじっと見つめている。

 

 まるで此方を責めるような視線にヤトはため息をついて頭を振った。

 

 勘違いされては困る。これは覗きではない。

 私は母を護っているのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 退いてくれなかった。

 むしろより蔑んだ気配を感じる。

 

 何故だとヤトは憤慨した。

 

 

 

 

 

 

 午前9時。

 母、勉強中。礼拝堂一階で観測不可能。

 

 

 午前10時。

 母、勉強中。気配は有れど姿を確認できず。

 

 そろそろ不安になってきた。

 

 礼拝堂の周囲の影を渡りまわる。

 なんとか内部に入り込めないか模索。やはり教会の聖気が邪魔になる。

 

 コイツが邪魔なのだとヤトは少しだけ結界に闇の邪気を送ってみた。

 ……なんかいい感じかもしれない。礼拝堂の結界が弱まったのを感じた。

 

 

 午前11時。

 母、勉強中。異常無し。……いや、無しなのだろうか?

 この目で確認しなければ安心できない。

 

 礼拝堂の結界は依然として健在。

 

 壊そうと思えばできるが、夜人の姿のままでは厳しい。時間がかかる。

 ヤトは下手な偽装工作を行いつつ、徐々に徐々に礼拝堂の結界を邪気で冒していく。

 

 結界破り――。

 こういう搦め手が得意なのは、神殿の拡張・維持管理班の班長を任せた彼だ。あるいはさっきヤトの邪魔をした彼女も苦手ではない。

 

 恐らくヤトが個体名を持つ夜人の中で一番、こういう補助能力が低いだろう。

 

 でもがんばる。

 母を護るために、早く結界壊れろとヤトはがんばるのだ。

 

 

 

 

 午後0時。お昼

 

 ようやく母が礼拝堂から出てきた。今日のお勉強会は終わりだそうだ。

 

 みんなで村の食堂に向かう。

 建物の中は直射日光が当たらないから、気を付ければ影から出る事が可能だった。

 

「ヤト、ヤト。あげる」

 

 母に草を貰った。うれしい。

 どうやら食べ物らしい。貰った草をもしゃもしゃ()む。

 

「おいしい?」

 

 不味い。でもうれしい。

 首を振って、直後に頷く。

 

「……どっち?」

 

 草不味い。でも母からのプレゼントは欲しい。

 もう一度首を振って、やっぱり頷く。

 

「普通って事じゃないでしょうか?」

「おー、なるほど」

「ふふん! 聖職者たるもの、喋れない人の意志ぐらい察することは簡単なんですよ!」

「おー!」

 

 ドヤと胸を張る聖女にぱちぱちと母が賞賛を送るが……違うぞ聖女。全然違うぞ。

 でも母に恥をかかせる訳にも行かない。

 

 ヤトも拍手を送る。そして草一杯貰った。

 

 

 

 午後2時。

 

 村の広場で日向ぼっこ。

 聖女は仕事という事で、母だけが木にもたれ掛ってのんびりとしている。

 

「……さびしいね」

 

 ヤトは母の影に潜んでいた。

 洞窟や屋内の食堂と比べて屋外は太陽の破邪が強い。

 影の内部にいれば大丈夫だが、屋外の日陰程度では存在が削られる。

 

「あんなずっと一緒にいても、離れてる時間は変わらず寂しい」

 

 母の世界は夜人達と聖女、そして僅かな兵士で構成されている。

 

 母にするべき仕事や義務は何も無い。

 仲の良い人達以外に拠り所は無く、目的ない人生はつまらない。

 

 人のぬくもりを知ったばかりに一人の時間が余計に辛くなる。

 寂しそうにしている母を慰めたくてヤトは影から上半身を出して母の頭を抱きしめた。

 

「……ふふ、ありがと」

 

 たった10秒の抱擁でも想いは伝わるものだ。

 ヤトは消滅していく中で護衛の交代を夜人の【共有感覚】に依頼する。

 

 元々、夜人は母の心から零れ落ちた同一の存在だ。

 【変化】するほど個性を得た夜人以外、多少個人差は有れどその本質は群体と言って差し支えない。

 故に夜人同士は遠く離れていても無言で意思疎通が出来たりする。

 

 ヤトはその共有感覚に護衛を要請したのだが……。

 

「……?」

 

 なぜか神殿拡張・維持管理班の班長がいの一番に反応した。

 彼は簡単に言えば、神殿の守護を担っている奴だ。なのに村に来るという。

 

 お前仕事放棄して来る気か……?

 そう伝えたら、ここ数日、母に会えていないから我慢の限界だったそうだ。

 

 それでいいのかと文句を言いたかったが、その前にヤトは消滅した。

 

 

 

 

 

 

 午後7時。

 

「くしゅん」

 

 母のくしゃみと同時に、ヤトの意識が再浮上した。

 

 場所は村の広場。既に日が落ちている。

 母はあのまま寝入ってしまったのだろうか? そしてどうやら、寝たままヤトを再召喚したらしい。

 

 周囲を見れば村人がポツポツと歩いている。

 

 だが日が落ちても誰も母を起こしてくれていなかった。

 幼い子供が一人、薄暗くなった広場で寝こけていても村人は僅かに目線を寄越すだけで、すぐに逸らす。

 

「……」

 

 人間の感情なんてわかりやすい。

 

 忌避されていた。母はあからさまに村人から畏れられていた。

 

 昔からそうだ。

 人間が自分たちに向ける感情なんて畏れか恐怖か嫌悪。

 

 ヤトは今更人間に抱く感慨や失望なんてないが、文句の一つくらいは言いたい。

 無言で村人を見つめたら、どもった謝罪を口にしながら早足に遠ざかって行った。

 

「ぅん……夜? ヤト?」

 

 このまま広場に居ても仕方ない。

 ヤトは母を抱き上げると帰路に就いた。バレないように足を神殿へ向ける。

 

「あ、そっちじゃない。礼拝堂」

 

 駄目だった。

 目覚めた母の指摘と同時に、バチンと後頭部を叩かれる。

 

 振り返れば午前中にヤトの護衛を邪魔してきた夜人が居た。

 恐らく、真面目にやれっていう事だろう。

 

「!?」

 

 ヤトは彼女の姿を確認して驚愕した。

 震える指で同僚の首元を指さす。

 

「ん? うん。目印。彼が仮面男との戦いで助けてくれた夜人だから」

 

 母がなにか言っていたがヤトの頭では処理しきれなかった。

 

 目の前にいる夜人が自慢げに首元を見せてくる。いや……首にしっかり巻かれた赤いリボンを見せつけている。

 

「聖女さんにリボン貰った。私も付けられた……」

 

 よく見れば母も、かき分けるように長い前髪が白いリボンで止められていた。

 母の両目が恥ずかしそうに伏せる。

 

 どうやらヤトが消滅している間に何かがあったようだ。

 

「~♪」

 

 雌個体の夜人が機嫌良さそうに鼻歌を口ずさんでいる。

 しかしヤトに自慢するのは忘れないようだ。

 数歩進んだら止まって首元ちらり。また歩いて、ちらり。

 

 ヤトは静かに激怒した。

 母に向かって、自分の分もせがむ。

 

「これは目印。ヤトは要らないよ」

「!?」

 

 まさか断られるとは思わんかったヤトはショックを受けた。

 

 その時、母の足元から一人の夜人が頭を覗かせる。

 顎から頭頂部までを大きく巻かれた青いリボン。……どうやらコイツも見せつけに来たらしい。

 

「彼は神殿の管理班長らしい。目印付けた」

「お♪ お♪」

 

「!?!!?」

 

 ヤトは崩れ落ちる。

 その瞬間、赤リボンの夜人がヤトから母を奪い取った。

 

「うん。これで分かりやすい。三人見分けつく」

「――!!」

 

 ヤトの慟哭は声にならず、誰にも気付かれなかった。

 

 

 

 

 深夜1時。ヤトの夜は遅い。

 

 ヤトは集めた夜人を四つん這いにさせて重ねて、その頂点に立っていた。夜人タワーである。

 足元からの不満が凄いが努めて無視する。

 

 手を当てた窓ガラスの先には眠りにつく愛しい母の姿。

 

 今日は色々な事が有った。

 赤夜人――赤いリボンを付けた雌個体の夜人――は、事あるごとに首元を見せてくるし、青夜人は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら神殿へ帰って行った。

 

 思い出すだけで羨ましくて歯噛みする。

 その悔しさをバネにまた礼拝堂を汚染する。

 

「……!」

 

 ――この結界が邪魔なのだ! 母と私の間に壁を作るとは何事だ!

 ヤトは沸きあがる怒りを結界にぶつけた。

 

「おやおや? これはヤト様、奇遇ですね」

 

 その時、夜人タワーの頂点に立つヤトの横に変態が現れた。

 

「ようやく一息ついて村に戻ってこれましたよ。仲間にはグチグチと責められるから、誤魔化すのは大変だ。いやぁ、しかしいい……癒される」

 

 ヤトの隣で宙に浮かぶのはシオンだった。

 闇陣営への入団テストで無事に不合格となった、ただの変態だ。

 

 彼もまたガラス越しに母と聖女の寝顔を堪能していた。

 夜風に吹かれてなびくロングコートが煩わしい。

 

「ああ……この光景を見るだけで荒んだ心が癒されるようです。貴方もそうなのでしょう? ええ、分かりますとも。しかし邪魔するのは許されない。だから私達はこうやって覗きに留めるのです」

「……」

 

 なんだこいつ……覗きとか言ってる。

 やっぱり変態か。

 

 ヤトは気持ち悪くて寒気がした。

 同時に不合格を出した自分を褒め称える。こんな奴の同僚は可哀想だ。

 

「それでヤト様は先ほど何をされていたのですか? 結界に邪気を流していたようですが……壊れますよ?」

 

 壊したいんだよ。

 ヤトは変態に関わるのも嫌だったから、適当に結界を指さしてアピールする。

 特に意図はない。無視しても付き纏われそうだったから、適当に行動しただけだ。

 

「ふむ……なるほど、それもまた光と闇の融和……そういうことですか。協力いたしましょう。いえ、ぜひ協力させてください!」

 

 なんか、察したらしい。

 

「光と闇のハーモニー、新たな研究課題だ! ああ……興奮しますねぇ!」

 

 なんか、気持ち悪い。

 

「成功すれば、闇を受け入れる光の結界の完成だ!」

「!!」

 

 がしっと握手した。

 こいつは使える男だ。

 

 しかし光の結界とは闇を祓う事に意味がある。

 その役割を放棄した結界を作って何の意味が有るのかヤトには分からないが……。どうもシオンはただ単に光と闇が融合することに興奮しているらしかった。

 

「光闇が融け合い混ざり、一つになっていく。まさにジュウゴ様と聖女様のように……愛なのですよ」

「……?」

 

 ちょっと意味分かんないですね。

 

 ヤトは変態の思考を推察するのを放棄した。

 今はただ母の穏やかな睡眠を護るのだ。ヤトは決意を燃やす。

 

 こうしてヤトの一日は更けていく。

 

 




第二章はただいま準備中です。
もうしばらくお待ちください。

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