ははーん……これさては夢じゃないな?
「こまった」
俺は今、洞窟の中にいた。
一切光源が無い入り組んだ洞窟。
それなのに視界はクリアなのが不思議な夢のようだが、足の裏から感じる地面の冷たさが意識を刺激する。
先ほどまでアルコールでふわふわしていた頭が覚醒してくる。
右見て左見て何も無い。岩肌ばかり。
ええぇ……。俺の安い部屋は? 開けたばっかのビールは!?
てか、この洞窟すごいゴツゴツしてる、歩きにくいんですけどー!
「どー」
そしてすごい口が回らないですけどー!?
自分の体を見れば、仕事終わりで着ていたワイシャツとスーツのズボン姿だった。
手足が縮んだのかワイシャツは萌え袖みたいな状態。そして僅かに膨らんでいる胸部。室内に居たせいで素足。
長くなった前髪がウザったい。
手でどかしてみるがサラサラで戻ってきてしまう。片目が髪でふさがった。
「……はぁ」
ここまでくると察しの悪い俺でも理解した。
あのキャラメイクは自分を作っていたのだ。
こんなことなら説明書をじっくり読み込んで、よく考えるべきだった。
こんな常識外れのこと、理解したくないがそうであるとしか思えない。
胸の奥がスッと冷えていき背中に嫌な汗が流れる。だがこの年にもなると、泣き叫んだところで現実は変わらない事を理解してしまっている。
メイク画面は殆ど読み流したが、筋力とか魔力とかそういうステータスもあった気がする。つまり魔法があるという事だろう。
この洞窟が、地球上のどこかなのか、それともファンタジー世界に来ているのかは知らない。
「……はぁ」
一度大きく深呼吸。
不思議な事に、それだけで気持ちの整理ができた。
まずは安全の確保と自分の能力確認、それと今後の衣食住の確保だろう。
「ごはん……ん?」
まずは安全の確保、そう言ったつもりなのに口からは全然言葉が出てこなかった。
何度か咳払いしてもう一度。
「まずはごはんだ」
んーー? なにかおかしいぞぉ?
口から出てきた言葉はまさかの「ごはん」
「???」
もう一度冷静に考える。
俺の現状――黒髪美少女になって萌え袖やってる。かわいい
俺の場所――光の射しこまない洞窟。くらい
そして妙に頭は冷静だった。怒りや混乱は驚くほど少なく、まずやるべきことが浮かんでくる。
つまりこれからすべきことは自分の能力確認、それと今後の衣食住の確保だ。
「ごはんだ」
お前なー! お前なー!
ごはんなんて一言もいってないでしょうがー!
「がー」
……あらーまあ。
ちょっとこの子、ダメ過ぎない?
口の回らなさがコミュ障ってレベルに収まらんよコレ。呪いの域よコレ。
まずは自分の確認だと色々してみた。
分かった事が二つ。
まず俺は弱い! びっくりするほど弱い!
そこらに落ちている小ぶりな石を拾い上げて砕こうと力を入れるが、できることは腕をプルプルふるわせるだけ。
体力検査気分で洞窟内を走ってみれば、一瞬で息が上がる。というか転ぶ。道が悪いだけじゃなく、バランス能力も悪い。擦りむいた膝が痛い。
肉体がダメなら魔法に期待だと考えても、まずどうやって使うのやら。
力んでみても、思いついた詠唱してみてもうんともすんとも何も無い。
ステータスオープン! 鑑定!
小さい声が洞窟に溶けていく。
はいはい終わり終わり。
ステータス配分ミスってますねこれ。
異世界転生チートなんて所詮は夢なんだよ!くそ死ね!
「これは早くもゲーム終了ですね」
そんな事は言ってない!
……もう一つ分かった事はこれだ。
この体は無口なのか、考えた通りの言葉が口から出ないのだ。
言葉が省略されるのは当たり前、なんなら全く違うセリフになることも多い。あと口調に抑揚がほぼ無い。
まあこれは命にかかわらないから別にいいけども……。
恐らく先ほどメイクした【凍った人格】のせいだろう。だが、そのおかげか冷静で頭が回るのもこれのおかげと予想が付いた。
あと夜を閉じ込めた黒というのはどういう効果なのか気になるが、まださっぱりわからなかった。
「とりあえず、ごはん」
違いますー。
安全の確保と衣食住の用意ですー。腹ペコ少女か貴様。
のっそのっそと洞窟内を歩いていく。
長ったるいワイシャツの袖とズボンの裾を切り落としたいけど、そんな道具は無い。
ベルトを一番きつく締めて、捲れるだけまくってなんとかしているが煩わしくてしょうがない。
「邪魔くさい」
懸念事項は4つ。
周囲に人間の街はあるのだろうか? 言葉は通じるのだろうか?
この体になった原因は? もとの世界に戻れるのだろうか?
いろいろ思う事は有るけどやっぱり心はどこか冷静だった。
なんとなく焦心が沸いてこない。なんだか現状をどこか他人事のように感じていたのかもしれない。
例えるなら、夏休み初日に宿題しなきゃなー、んー後でいっかーって感覚に近い。
違う? 違うか。俺も分からん。
「んー……森」
洞窟は思ったよりも短かった。
しかし外には深い森が広がっており、遠くは見通せない。
人里はどっちかなー?
とても困った気がしたが、まあいっかーてなる。うーむ困った。
神は見捨ててなかった!
森をあっちへこっちへ迷っていた俺は運よく道らしき場所へ出た。
土むき出しで雑草もちょっと生えてるけど、車が通ることもできそうなわだちのある道だ。それほど長い間放置されているとは思えない。
そんな道を辿って数時間くらいだろうか。村が見えたのだー!
入っても大丈夫なのかな?
周囲を見れば、村を囲むように柵がある。どうやら門を通らずには村には入れないらしい。
門の前には槍を地面について周囲に目を凝らす門番さん。
でも既に日も沈みかけている。もうすぐ夜だし、森で野宿はちょっとできそうにない。
人生初ってくらい歩いて疲労感もあるしもう寝たいのが本音だ。当然お腹も減った。
……なんとかなるさー!
村の入り口に向かってゆっくり堂々と歩いて行く。
こんなちっせー村どっしり構えて行けば門も素通りできる物ヨ!
「止まりなさい。君は旅人か?」
ひぇええ。なんで話しかけるのぉ……。
こんな小さな村にも門番いるんだし、やっぱり入っちゃダメなの?
しょうがない。作戦Bだ!
――すみませんここはどこですか? おれ起きたら洞窟にいて、それでやっとここまで歩いてきたんですよ。旅人なんかじゃないんです、遭難者なんですよ!
作戦B、そう全力ヘルプ作戦だ!
俺の可哀想な境遇を5割増ぐらいで説明する!
無口少女フィルター作動!
「……違う。旅人じゃない」
「む、そうなのか。行商にしては荷物も無いしシーカーにしては年若い……」
作戦Bなんてなかった!!
無口おめー! なんで俺の長文がそこまで圧縮されるんだ! くらぁ!
「すまないが、身分を証明するものは無いか? なんでもいいぞ納税書でも、あー…もしあるならシーカー登録書でもいい」
これは思いっきり疑われているやつー?
門番さんは俺の足先から頭のてっぺんまで、遠慮することなくジロジロと見てくる。
ダボダボのズボンとワイシャツを着た美少女ちゃん!
夕暮れ時に森から歩いてきた荷物も無い少女ちゃん!
なお無口無表情な様子。
ごめんさい、見紛う事なき不審者でした。
「なにもない。街には入れない?」
「……難しいな」
なんでー! どうしてー!
「なぜ?」
「基本的に村への出入りは自由だ。だがそれは安全が確認されている人物モノに限る。君は申し訳ないが……あー」
俺に村の外で野宿しろとぉ!?
怪しくてもいいじゃん、美少女ちゃんだぞー! 黒髪サラサラ美少女ちゃんだぞー! 中身俺のまがい物だけども!
「野宿は困る。あと……日が暮れる」
ほら見てよぉ……。
門番さんがグダグダしてるから、もう太陽が地平線に隠れたじゃないかー。
夜だよー、どうすんだよー。俺の寝る時間が短くなるでしょー!
▼
アルマロス王国の最南端【深淵の森】の入り口、森の外縁から僅かに距離を置いた平原にこの村はあった。
この村は比較的新しい開拓村であり、また森からあふれる魔物を監視する駐屯地としての役割を担ったものだ。
村人の数は1000にも満たず吹けば飛ぶような寒村地帯だが王国の防衛上なくてはならない地点であり、熟練の常備兵が待機している場所でもある。
そこで門番の担当についている男はイヤな予感が抑えられなかった。
「野宿は困る。あと……日が暮れる」
深淵の森方向から歩いてきた少女。名前も知らない少女の話は要領を得ないものだった。
普通の旅人であれば背負っている荷物は無く、行商のように馬車を持つでもない。
身軽な旅をするのはシーカーと呼ばれる特殊職業に就く者ぐらいだが、彼らは身分証明の道具を持ち歩いているはず。
誰何しても返答は無く、無言でこちらを窺うばかり。
門番は職業柄、人を見る目が養われる。
この男が見る限り少女は何者にも興味が無さそうな目をしていた。先ほどまで話をしていた男すら路傍の存在のように見ている。
死んでもいても生きていても少女には関係ない。なんなら邪魔するなら殺すといっているようで、それが男には怖かった。
そしてなにより――
(沈む太陽を見る目まで冷たいな……)
この周辺諸国は太陽信仰を主とした一神教が主教となっている。ゆえに人間を守り慈しむ太陽は敬う存在であり、あんな目で見ていいモノではない。
無論、それ以外の宗教も数多く存在してるのは門番の知識にも存在する。それでも太陽を敵視する宗教など男は寡聞にして知るものでは無かった。
「君はここまで旅をしてきたんだろう? ならば、入村に関して上司と協議するから、申し訳ないがもう一晩、街の外で野宿を――」
門番の言葉は最後まで続かなかった。
少女が手のひらを向けて止めたのだ。
「待った……ちょっと待った」
「ど、どうした!? 具合でも悪いのか!?」
少女は表情を変えぬまま、もう片手で自分の胸を押さえていた。
そして一回身震いすると何でもないように門番に向き直る。その背後に黒い巨漢を伴って。
「……っ!?」
「日が暮れた。もう夜が来た」
少女が何かを言っているが、門番の耳には届かない。
夢幻の如く。察する事すらできなかった異形の存在がいつの間にか数メートルの間合いに現れていた。
(なんだこの化け物は……! いつからいた!? なんで少女の後ろに!?)
槍を持つ手が僅かに震える。
無口な少女の背後には、2mを超す巨大な何かがいた。
目も口も無く、まるで全身を墨で塗りたくったかのような風貌。モヤモヤ輪郭が曖昧で風に吹かれている様に揺れて向こう側の景色が見える事すらある。
存在感が限りなく薄い。まるで周囲に溶け込んでいるかのような、目を離すと消えてしまいそうな存在。
それでいて指先は鋭利な槍先のように伸びており、獣のように太い腕周りと相まって人を容易く殺傷することができそうだ。
門番はバケモノを視界に入れた途端、脳裏に小さな嗤い声が聞こえた気がした。
「村に入れてもらいたい。大丈夫。あやしくない」
怪しさ一杯だぞ!!?
少女の命令に門番は叫びたかったが、体は震えるばかりで声にならない。
ゆっくりと近づこうとする少女に思わず槍を向けてしまう。止まれと。
「――」
瞬間、闇が蠢いた。
少女の背後にいたはずの黒い塊が目前に居た。
闇は手をかざして槍の先端に手のひらを当てると、そのまま門番に歩み寄ってきた。
手に突き刺さる筈の刃は闇の中に溶ける様に消えていった。
「な……な!?」
闇は少女に武器を向けた事の真意を問い、戒めるように門番の目をのぞき込んでくる
人とバケモノ。顔同士の距離わずか数センチ。
相手の冷たい息遣いすら感じるようで、門番は逃げる様に後ずさった。
手に持つ軽くなった槍が敵の出現を教えてくれた。
「て――」
少女が不思議そうに首を傾げた。
「――敵襲だぁあああ!!!」