時間は少し戻り、ヨルンが広場に村人を集めている頃――
村の危機に今すぐ助けに行きたかったが、私達は動くに動けずにいた。
拘束衣を纏った【勤勉】を名乗る教団幹部。これが厄介。以前に対峙した【純潔】に勝るとも劣らない濁り切った死の気配を放っている。
対するこちらは最悪の条件下。私達二人で戦っても勝算は低いだろう。
「……けど、こうやっていても仕方ありませんか。レイトさん」
「ああどっちみち、俺たちでやるしかない。ならさっさと終わらせて次は外の敵だ」
逃げる事はできない。逃がす事もできない。
こうして時間を浪費している今も、村は災禍の真っ只中にある。覚悟など疾うに決まっているのだから、後は為すべきことを為すのみ。
「分かってるじゃねぇか。そうだ、仕事はさっさと終わらせるに……限る!!」
轟――! と。敵が腕を振るだけで周囲の小さな備品が舞い上がった。
大男の剛腕と正面から打ち合えば隊長さんの細腕など容易くへし折れる。それは剣も同様だ。鉄だろうと簡単に歪んでしまう。
故に隊長さんは【勤勉】の腕を受け流した。左右へ上下へ、腕の側面に鋼を押し当て、斬るのではなく逸らす。
なんで火花が出るのか不思議だ。拘束衣が鉄製なのだろうか?
「ふぅん。やはり、やる方かお前」
人間はもとより、この世界での弱者。多くの魔種には体格で劣り、魔力も少ない。でも滅ばずにここまでやって来た。それはひとえに技術の力。
10秒、20秒と続く殺し合い。先に動いたのは【勤勉】だ。接近戦ではキリがないと考えたのか、距離を取った。
「フンッ、ほ、ハァ!」
大男が椅子を投げる。テーブルを掴んで振り回す。子供の癇癪のように、手当たり次第に目につく物を利用してくる。隊長さんはそれを辛うじて避け続けた。
「おいおい、あんまり荒らすなよ。後で掃除が大変だな、こりゃ!」
隊長さんはまだ余裕そうだった。よくそんな軽口が言えるなぁと思いながら補助魔法を唱え続ける。要所要所で相手の気を逸らし、あわよくば攻撃にも回る。
徐々に剣戟の激しさが増していく。重く鋭く、より疾く。
私も短い詠唱で数多く。威力は低いが、相手の視界を遮ったりバランスを崩したり。
その隙を突いてレイトさんが動いた。打ち払った家具の破片を目隠しに踏み込み一閃。大男の首筋に小さな傷が刻まれる。
「あーめんどくせぇ。さっさとを俺に仕事をさせやがれ!」
「右腕に魔力が集中! レイトさん、何か来ます。引いてください!」
爆発的に膨れ上がった敵の魔力。恐らく一撃をさらに重くしたもの。掠るだけで肉がこそげ落ち、周囲諸共吹き飛ばすだろう。
私は慌てて防御魔法の展開を始める。だが、それは無意味となった。
「な!? こいつ……ッ!?」
大男が驚くと同様に私も息をのんだ。引けと言っているのに、隊長さんが身を晒す様に相手の懐に飛び込んだせいだ。
「おぉおおお!!」
しかし虚を突いていた。ほんの僅か、一秒に満たない寸刻だが敵が戸惑った。
その時間があれば十分すぎた。隊長さんが剣を振るう。
凝縮された筋の壁を乗り越えて、相手の骨を断つ――
「ッ、だめか!」
――には固すぎた。
剣は僅かに腕へと食い込んだ所で止まっていた。それどころか大男に剣を掴まれる。
「やっと、捕まえたぜ。ここからは俺のッ――ぐおぉお!!」
隊長さんを抑え込み、甚振ってやろうといい気になっていた男の顔に魔法を打ち込んでみる。効果は今一つ。でも逃げるだけの隙は出来た。
緊張で早まった鼓動を感じながら、隊長さんを責めるように睨め付ける。
「危ないです! レイトさんは無理しないで動いてください!」
「ああ、悪いな! じゃあ安全に、しっかりしたサポート頼むぞ!」
次々と聖魔法を飛ばすが、同士討ちする恐怖は無い。隊長さんの腕は【純潔】との戦いでよく理解できていた。彼もそれを理解しているのか動きに迷いがない。
でもたまに「ここで援護しろ」と言わんばかりに、防御を捨てた攻撃をするのは止めて欲しい。信頼されているのだろうが、失敗すれば死へ一直線だ。
「こいつらぁ……ッ!」
次々と【勤勉】の体に傷が刻まれていく。
噴き出る鮮血を撒き散らしながら、顔を憤怒に染めて大きく手足を振り乱す。出血は無理やり筋を膨隆させて止血しているらしい。
――弱い。
それが私が抱いた率直な感想だった。
腕力は脅威そのもの。耐久力も人外染みている。巨体の割に俊敏に動くし、体力も無尽蔵のように思える。
だが……精々が一流止まり。
上層には入れるだろうが、最強には届かない。
世界の天蓋に君臨するような、人智を凌駕する絶対者にあるべき威がない。
(いや、なにか見落としているはず。ムッシュ司教のこともある。……必ず、なにか)
ムッシュさんの死体は変わらずそこにあった。
無念と絶望に濡れた死に顔。自分が敵の技を見抜けていたら、何か変わっただろうか。
(……どうしてあの時の技を使わないの? いや、もしかして"もう使ってる"?)
相手ばかりに傷が増えるのに、どうして敵はあんなにも余裕そうなのか。このまま戦えば後5分もせずに私達が勝つ。だが、作戦が上手くいってると言わんばかりに嗤った表情はバレバレだ。
もしかしたら、全てが相手の策略?
相手が手を抜いている様子はない。けど、傷を負う事で発動する魔法も少なくない。
簡単なものでいえば、ダメージを負う程に力を増すもの。飛び散った血を媒介に召喚術を行うもの。あるいは罠として使う魔法。
「っ隊長さん!」
そんな事を考えていたら、隊長さんの足元にあった血溜まりから真っ赤な槍が飛び出した。ギリギリで防御魔法を挟み込んで対応。
「助かる!」
そう言いながら、隊長さんは一切周囲を警戒しない。
……だから警戒を捨てるのは止めて欲しい。さっきから私が防御担当になっている。
「おぉっと、バレてしまったかぁ。無念無念」
「それなら少しは残念そうな顔をしたらどうだ!」
奇襲を皮切りに、次々と槍が部屋中に出現するが必要なモノだけ防いでいく。
おそらくこれは見せ札の一つに過ぎない。この程度で、教団幹部になれるはずがない。
傷と言えば【純潔】も血を媒介とした病を使っていたが……それは純潔の切り札だったから、使えないだろう。
あと有って欲しくないモノはやはり、負った傷を敵に押し付ける【転嫁】とかいう禁呪だろう。昔、教団の幹部が使っていたという情報が――
ゾワリと肌が泡立った。
大男が、こちらをみて口を歪めている。
「レイトさん! 少し待ってください、いま強力な防御魔法を展開するので、一度引いて!」
沸き上がった嫌な予感に慌てて隊長さんを制止する。一度、冷静に立ち返るべき……だが、全ては遅かった。
隊長さんが距離を取ると同時に勤勉が大きく手を打った。
「反転、因果応報、斯く在れかし!」
……柏手の音だけで、何も発動しない。魔力の流れも、魔法の発動も感じない。
なのに言葉と共に勤勉の傷が消えて、私達の全身から血が噴出した。
(っまた、何も見えなかった!?)
何事かと傷口に手を這わせる。
まるで斬られたかのように皮膚が裂けていた。それは隊長さんが敵に刻んだ傷と全く同一の場所。
首や顔、特に腕が悲惨だ。一部は骨に達して太い血管も切れている。
とめどなく溢れ出す血に眩暈が生じ、無意識に膝をついてしまう。
隊長さんはもっと最悪だ。
いきなり生じた傷に動きが阻害され勤勉に殴り飛ばされていた。嫌な音を立てて壁に激突する。
「ふーむ、二人に分割で返ったか。まだまだ精度が荒いな」
慌てて立ち上がろうとしたが、私も同じように蹴り飛ばされた。痛む体に意識が軽く飛ぶ。
「発動条件が面倒だ。相手次第というのも気に食わんぞ。馬鹿が相手ならどうすればいいやら。夜しか使えない点も改善が必要か? ふぅむ……いまいち」
自分の魔法効果を検めるように大男が見下ろしてくる。まるで実験対象を見るような視線で、それがとても不快だった。
「場合により無駄な会話が必要なのも減点。……もう少し実験が必要だ。まあ丁度、村人が大勢いるだろう」
その言葉に頭が真っ白になる。
いつの間にか拳を握り込んで爪を立てていた。
「……なんで」
なんで、教団の人間はどいつもこいつも、人を人と思わないのか。どうして簡単に命を蔑み、禁忌を厭わず土足で他者を踏みにじれるのか。
それは倫理観や道徳の範疇ですらない。もっと人間として、同種たる仲間に行ってはいけないという本能的な部分が欠落した行為。
こういう人間の類がヨルちゃんを生み出したのだ。
「なら、負けられない……」
彼女は未だ囚われている。
自由とは程遠く、這い寄る影におびえて夜も眠れない。理由を聞けば、心配なのだと一言零して、慌てて誤魔化していた。
彼女は誰にも相談できない。自分を狙っている者がいる事も、助けて欲しいという願いすら、彼女は私に言ってくれない。
ああ――そうだろうとも。
容易く死病を撒き散らす純潔や、自分の傷を敵に押し付ける勤勉。こんなバケモノ共が相手では、頼るという事は死んでくれということだ。
優しい彼女が言ってくれるはずがない。
「なら私は、もう、負けられない……」
押し付けられた傷は、治癒魔法を受け付けなかった。
同じ大きさの傷でも受けた人間によってその深刻さは変わる。大男にとって浅くとも、私に移れば深い切り口となる。
地面は既に血だまりだ。腕は神経が切れたのか動かない。でも魔力は残っている。ならば傷など放っておけ。
とめどなく溢れる血液はそのままに立ち上がる。
頼れる人になりたい。
あの子が無邪気に遊んで暮らせる世界が欲しい。
「ここで勝たなきゃ、あの子が安心して眠れない……!」
そのためならここで一擲する。覚悟を持って顔を上げる。
少しだけ、世界が違って見えた。
今まで気にならなかった夜の空気が紛い物に感じてくる。
あんなにも恐ろしかった敵すら霞んで見えた。
ああ、なるほど。この空間が恐らく――
――ぽすん、と背後から頭を撫でられた。
「ええ。貴方には彼女の隣が良く似合う。だけど、一人で頑張り過ぎるのが悪い癖ですね」
気配は感じなかった。だが、この声を私は知っている。
かつて戦った仮面の教団幹部。倒すべき敵であり、ヨルちゃんが倒したはずの敵。
「負けたっていいんです。生きて乗り越えろ、それが貴方の糧となる」
「純潔ッ!!?」
予想外の挟み撃ちに初動が遅れる。
慌てて振り返るが、遅い。純潔は既に攻撃を終えている。
ギィィイン――と。
気付けば純潔は私の横を通り過ぎ、勤勉とせめぎ合っていた。
「……なんのつもりだ純潔」
「さて、それはこちらのセリフですねぇ。どうして、ここにいるのですか勤勉。ここを襲撃する役は私が立候補したはず」
純潔はこちらを無視して、勤勉に襲い掛かる。
一振りの大きい勤勉に対してより俊敏な純潔。
翻弄するように室内を縦横無尽に利用する。天井を蹴り、壁を伝い、懐に入り込んだと思ったら股下を抜けて背に回る。
そのまま純潔は自分の腕を刃物に変形させると、心臓に突き刺した。
「がふっ!?」
「ふむ。あなた、人間を止めてませんね。
引き抜いた刃に指を添わせながら、付着した血を確かめる。そしてつまらなそうに振り払った。
「だから弱いのですよ。半端者」
「……い、言ってくれるじゃねぇか、異常者が」
心臓を潰した程度で人は即死しない。
所詮、心臓は代替の利く臓器の一つでしかないからだ。体内で魔力を自在に循環できる腕を持つ魔法使いならば、同等の要領で血液循環すら再現する。
しかし放置すれば致命傷である事には変わりなく、勤勉は脂汗を垂らして呻き声をあげた。
突然の乱入と同士討ちに私は見ているしかなかったが、事態は止まらず動き続ける。
勤勉が再び大きく手を叩いた。
先ほど、私達に傷を押し付けたあの技だ。まるで時間の逆再生のように心臓の傷がふさがり、代わりに純潔の胸元が黒く塗れる。
「く、くははは。どうだ、俺の技『
「ふむ、元より私に心臓は無いのですが……」
自信満々に告げる勤勉と、それに大したことないように答える純潔。なんとも理解しがたい会話だった。
「ですが貴方、ウソつきですねぇ」
純潔は自分の胸を見て、横で警戒を続ける私達を見た。そしてつまらなそうに外の景色に目を移す。
「全てがウソ。勤勉というから期待したのですが……所詮その仕事は欺瞞に過ぎず、積み上げたモノのは虚栄の山」
パチンと、指を叩く。
それだけで世界が割れた。
(……なるほど)
まるで今までの出来事が無かったかのように、体から痛みが消えている。服も出血痕すら残っていない。
それは隊長さんも同様だった。そして部屋すらも荒らされる前に戻っている。
「夜に発生する魔素を利用した仮想世界でしょう。なるほど、夜を恐れ、真なる闇を知らない者ほど気付きにくい仕組み」
「キサマ……まさかもう!?」
「発動条件がいまいち不明。基本的には幻覚を用いた魔法のようですが、自由自在とはいかない様子。さて、治ったようですね」
「全部ウソ……?」
希望を抱いてムッシュ司教を見る。そこには元気な姿で立つ紳士姿の男が……いなかった。だが死体も無い。最初から存在していなかったかのように彼の痕跡一つない。
(え……? ムッシュさん?)
なんとなく、勤勉の技は理解できた。
あれは空間ごと自分の仮想世界に相手を閉じ込める技だ。
主な作用は幻覚であり、それが解けた今、ムッシュさんの死も幻だったという事になるのだが……なんで彼は居ないのだろう?
「まあいい。それで、なんのつもりだ純潔……! なぜ、その聖職者共を助ける?」
「おやそれを聞きますか、無粋ですねぇ。無論――――愛ゆえに!」
寒気がしたので二人の会話に集中する。
ムッシュさんの事は気になるが、後回しにせざるを得ない。
「……何ですか。文句あるんですか?」
どうやらこの男、仲間からも嫌われているらしい。
皆が同じ目で純潔を見る。なんだコイツという目。
「……まさか惚れたか? そういえばお前、一度コイツに負けてから愛だのなんだのと言うようになったな……そういう事か?」
「恋慕、
全然結構じゃない。
なにがどうなれば、そうなるのだ。切実に止めて。
寒気と嫌悪に身を震わせていたら、何かが服を引っ張った。
(……ヤトさん?)
周囲の目から隠れるように私の影に潜む黒いモヤ。こちらの視線に気づいたのか、影から出た手は親指を立てた。
どうやら助けに来てくれたようだ。
ヤトさんを通じてヨルちゃんの存在を感じて嬉しくなる。
冷静に状況を分析しよう。
勤勉の技は、悔しいが仮面男の言葉で理解できた。もう引っかかることは無い。
だが、それは彼の技の一つでしかない。先ほどから拘束衣のベルトが嫌な音を立てて、軋みを上げているし、おそらく彼の本番はここからだ。
さらに純潔も何故か、助けてくれたが……助けてくれたのだろうか? よく分からないから、第三勢力と思っておく。
つまりここからは三つ巴の戦いとなる。
この場にこれ以上残っても、意義は薄い。……それならば!
「うお! なんだ!?」
「行きますよ、レイトさん!」
隊長を掴んで、反対の手でヤトさんの手を握る。そのまま影の中へ。
「しまった! 馬鹿野郎! お前が来たから、奴等が逃げたじゃねぇか! てかなんでアイツ等が闇魔法を使ってる!?」
「仕事のミスを責任転嫁。無能な勤勉とは嫌ですねぇ。貴方、良い上司になりませんよ」
最後に、そんな二人の言い争いが聞こえた。
前回の場面の続きまで書けず……申し訳ない。
ちょと諸事情により次回も更新遅れます。