コミュ障TS転生少女の千夜物語   作:テチス

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初魄と佳宵

 時は少しだけ遡り――ヤト達がヨルン人形を廃棄した直後。ヤトは影を背負いながら帰途についていた。

 

 意気消沈。かつてここまで私を追い詰めた者が居ただろうか。敵に半身を吹き飛ばされた時ですら折れなかった心が折れそうだ。

 

 そんな事を考えながら黒き森の正規ルートに従い歩く。三人の間に会話は無い。

 佳宵はぶすっとした表情で腕を組んでいるし、銀鉤は何か考えごとか思案気に俯いている。だが暫くして、銀鉤は何かを決めたようで顔を上げた。

 

「ヤト、この人形の廃棄なんとか回避できるかも」

「なに?」

「みんなの分、作った全部を保全するのは厳しいけど……たぶん限られた数なら確保できる」

 

 だから協力してほしいと銀鉤は提案して来た。

 

 この人形が今後も使える。それは願ってもない事だ。ヤトは、ほうと感嘆の声を上げた。

 だが、ヤト以上に佳宵が瞬時に反応する。佳宵は不機嫌そうだった顔を破顔させて、銀鉤の小さな体へとのしかかる様に肩を組んだ。

 

「へえ、さすが腹黒犬。やるじゃねぇか! で、どんな作戦なんだ?」

「うぇっ重い……」

「あぁ!? 失礼だなお前!」

 

 わちゃわちゃと。森の中でじゃれ合う二人。

 

 そんなに嬉しいだろうか? いや、私もそうなれば喜ばしいが、その浮かれようは主の命令を蔑ろにしているのではないか?

 ヤトはそう考えて二人に注意する。

 

「貴様等は命令を覚えているか? 主は全て処分せよと仰った。なれば我等はそれに従うのが道理ではないか」

「でもヨルだって以前、ボク達が嫌な事はしなくてもいいって言ってたよ? 命令無視じゃない。ボクはヨルに認めてもらった上で保護するつもり」

「おー、そうだそうだ! 初魄はお固いんだよ。銀鉤なら上手くやんだろ!」

 

 佳宵は指で銀鉤の頬をぐりぐりと押しながら上機嫌に言う。銀鉤はイヤそうな顔だ。

 

 たしかに、主は以前そんな事を言っていた。

 彼女が下す言葉は命令ではなく、お願いという形態が多い。その上、夜人達の意志を尊重するような発言も見られている。

 我々に配慮してくださっているのか、ある程度の自由裁量まで任されている。不満をため込むなと、嫌な事は拒否していいと言っている。

 

 あり得ない事だ。

 かつての主であれば我々のことをまず認知しない。話しかけても、お道化てみてもその視界に映らない。

 

 興味無いのだ。夜の神()はヤト達の事を「駒」とすら見てくれない。ずっと存在を無いものと無視されてきた。

 ヤトが主から言葉を頂いた事は数える程度しかない。怒られることは無かった。だけど、決して褒められる事も無かった。

 

 それを考えれば、今の主は変わった。いい方向へと。重吾と混ざり合った事で凍っていた人格は再び動き出した。

 その切っ掛けとなったのが自分で無かったのがヤトは少し寂しかったが、不甲斐なさも感じている。だからこそ変わった主へと一層の忠義を尽くすのだ。

 

 そしてもう一つ。大事な事。

 

「佳宵、間違っているぞ。今の私は初魄(しょはく)ではない。ヤトと呼べ」

 

 何度言えば覚えるんだ、この小娘。

 そんな怒りを乗せて佳宵を睨む。

 

「あー、うっせうっせ。私は絶対その名前で呼ばねぇから。諦めろや」

「これは主から直々に頂いた大切な名だ。それを無視するとは貴様……なんだ、まさか妬んでいるのか?」

 

 佳宵の表情が固まった。

 

「…………あーそうだよ! 悪りぃかよボケ! 死ね!」

 

 殴られた。思いっきり蹴られた。

 だけど怒りは湧いてこない。むしろ優越感が勝る。

 

「……ふ」

「んだよ、その目は! ウッゼェなあ!」

 

 攻撃されながらヤトは改めて同僚の事を考える。

 

 佳宵の奴は短慮であり、手が早い。さらに性格もガサツで礼儀を知らぬから、たとえ主が相手だろうと敬語を使わない。当然、先達であるヤトにも敬意を払わない。

 

 それと比べて銀鉤のなんと優秀なことか。主に敬語を使わないのは佳宵と同じだが、それよりまだ分をわきまえている。今だって、唯一名前を貰ったヤトを無表情で見上げるに留まり文句を言わないのだから。

 身の程を知った犬は可愛いものだ。頭を撫でてやる。無言で見上げていた瞳孔が縦に割れた。

 

「む?」

 

 見間違いかともう一度銀鉤の瞳を覗き込む。目を逸らされた。どうやら気のせいだったかとヤトは気にしないことにする。

 その間もずっと攻撃を続けていた佳宵にアドバイス。

 

「佳宵はそんなに名前が欲しいなら、自分で頼んだらどうだ? 主ならきっと名前を下さるぞ」

「――あぁ!?」

 

 佳宵が一際大きな声を上げた。歩みを止めて俯くと、頭部に着けていた狐面を顔まで下げた。

 

「ん、んなこと言える訳ねぇだろ……恥ずかしい」

「そうか。なら諦めろ」

「ざっけんな! お前もうちょっと協力する姿勢くらい見せろや!?」 

 

 獣の様に喚く佳宵を押しとどめ、銀鉤に尋ねる。これでは話が進まない。

 

「それで、お前の作戦はどうすればいい? 私達の人形も護る気があるなら、命令違反にならない範囲で手伝おう」

「おい無視すんじゃねぇぞ、おい! 私に協力しろや!」

「うん。それじゃあね――」

 

 

 

 

 【死招く黒き森】は全周数キロにもなる巨大な防衛霊地である。だがヤトと佳宵は現在その領域から抜け出していた。

 

 ここは深淵の森、中層。

 数多の魔種が蔓延る人間には厳しい生存環境の森だ。しかしそんな事、歴戦の猛者である二人には関係ない。神代の化物達と渡り合っていた者――というよりも化物側の上層部――が現世の少し凶暴程度な動物に負けるはずがない。

 

「虫が多いから嫌なんだけどな、この辺り……なに食えばそこまでデカくなるんだよテメェ」

 

 佳宵が蜘蛛型の魔種を蹴り飛ばす。

 型も何も無い、適当な蹴りだ。しかし蜘蛛は避けること叶わず体で受け止めた。轟音。巨体が浮き上がる。

 

「私を見下ろすとか舐めてんのか。這い蹲って死に晒せ」

 

 吹き飛ばされた蜘蛛は大木をなぎ倒しながら転がった。キィキィと小さな金切声を上げて、足を丸めていく。そして永遠の眠りについた。

 

「殺生は控えろ佳宵。それも防衛戦力として有用だ」

「はぁ? こんな雑魚が何に使えるんだか。まあ、気を付けるわ。……うぇ、体液ついた。気持ち悪」

 

 銀鉤と別れて1時間程。そろそろ銀鉤が指示したポイントに着いたはずだとヤトは周囲を見回す。

 そして見つけた。洞の影に打ち捨てられた肉の塊。黒い襤褸を纏ったそれは、もはや人間の形を保っていない遺体だった。

 

 亡骸の手足は半ばから切断されており、腹部は魔種に貪られたのかミンチ状になっている。頭部は更に酷く顔貌は崩れ、頭蓋が切り開かれ中身が零れていた。

 

「あれか……?」

 

 本当にコレが"目的の物体"なのか半信半疑で近づいていく。その際、蜘蛛の体液を振り払うためか足を振って遊んでいた佳宵を引っ張って連れて行く。

 

「あ、馬鹿お前! 引っ張んな、転ぶだろ!? つーか手触んなセクハラ野郎!」

「私は無性だ。少なくとも野郎ではない」

 

「関係ねえ! 主の着替え覗こうとした奴なんて、男だろうと女だろうと気持ち悪いんだよ!」

「……? っの、覗いてない! あれは護衛の一環だ!」

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかったが思い出す。たしかに以前そんな事もあった気がする。

 

 主が村に滞在する中、危険な目に合わないかヤトはずっと影から見守っていた。その途中で生着替えが始まってしまったのだが……佳宵はその時の事を言っているのだろう。

 しかしそれは護衛のためで他意はない。慌てて弁明するが信じていない様子だ。佳宵が侮蔑の目を向ける。

 

「お前、まさか自分の事を格好いいとか思ってないだろうな? 口調は作ったものだし、行動はストーカーだし……触んな変態」

 

 佳宵は手を振り払うと、まるで汚い物に触られたように体を掃う。ヤトは傷ついた。

 

「……か」

 

 それはもう、悲しみに暮れた。

 

「関係ないだろばか! それは今、言う必要ないだろばかー!」

「口調乱れすぎだろ。誰お前?」

「素の私ぐらい知ってるだろ! だってお前が口調作って格好つけるなっていうから……!」

「喋んなって事だっつの。それぐらい気付けよ、正気か?」

「あ、う……」

 

 もうなに言っても佳宵が責めてくる。

 ヤトは数回、咳払いすると話題を変えた。

 

「ふむ、この遺体が銀鉤の言っていた昨日の【襲撃犯】という事になるのか」

「逃げが露骨過ぎんだろ。それに口調戻しちまうのか? いいじゃねぇか『ばかー』。私は嫌いじゃねぇぞ、お前の情けない悲鳴。ばかー、って……くっ、くく」

「ちょっと黙れ。頼むから」

 

 嫌らしい笑みを浮かべている佳宵は実に楽し気だ。

 二人きりで来たのは間違いだった。佳宵の玩具扱いは不本意だが、下手に構うとつけあがる。もう放置する方向でヤトは話を進める事にした。

 

 銀鉤が求めた手伝い。それは主への【点数稼ぎ】だ。

 

 人形の破棄命令の可否は主の一存で決まる。銀鉤が交渉に入るから、それまでに主の機嫌がよくなりそうな事をして欲しいとの事を言われていた。

 

 これはその一環で"襲撃者"の確保だ。

 昨夜行われた襲撃事件はヨルンが主体となってしまったが、その陰で実際に襲撃犯が居た。ディアナと戦い、そしてシオンと殺し合った【勤勉】を名乗る教団幹部。

 

 昨夜の戦いの結果、勤勉が既に死亡していたことは知っていた。だが主は聖女を襲った敵に怒り心頭だったし、きっと遺体を見せればお喜びになるはずだ。

 そう思い、銀鉤が把握していたポイントまで遺体の回収に来たのだが……。

 

「おい初魄、これキチンと死んでるか? ちょっと生きてねぇか?」

「……微妙な所だな。生命活動は停止している」

 

 ヤト達が見つけた肉塊は僅かに蠢いていた。

 

 拾った枝で突っついて確認。ぶよぶよとした肉の感触の下に魔力の渦巻が残っている。

 発動している魔法は闇のそれ。勤勉が再現しようとした術は銀鉤が好んで使うしちめんどくさいタイプだ。

 さて、どうするか。悩んでいたら佳宵が手を差し出してきた。

 

「ん、あれ寄越せ」

「……あれ?」

 

「アレだよ、アレ。お前の剣」

 

 私の剣を一体何に使うと言うのか。

 非常に嫌な予感がしたヤトは断ろうとする、が無駄だった。

 

「あー、口が滑るかもしんね。主に初魄の本性を言っちまうかも……恰好つけた言葉遣いだけど、本人も意味をあんま理解しないで使ってるとか。実は素の口調は情けな――」

 

「おっとこんな所に剣が有った。佳宵、使うか?」

「悪りぃね。借りるわ」

 

 夜人たる己の体、黒い(もや)をより固めて作り上げた一振りの剣。銘を【玄帝(げんてい)】。それこそ狂い幽天と呼ばれた初魄の代名詞たる神剣だ。

 

 両刃の黒き鋼はヤトの魔力を通すことで、冬の空に似た蒼を生む。人智を超えた幽玄の果ての果て。かつて幾柱もの神を斬った神殺しの神剣だ。

 斬る事に特化した剣は物理領域に留まらず、精神だろうと概念だろうと切り裂いた。時には100里離れた命を砕き、時には敵によって閉じられた未来すら切り拓いた。

 

 そんな神話最高峰と名高い神剣が今、ただの死体解剖に使われていた。

 

「固いなコイツ。骨が邪魔だ。ん、おい! これ斬れ味悪ぃぞ初魄! なまくらか!?」

「あぁああああ!! ノコギリじゃないんだぞ、そんな擦るな!」

「じゃあどう斬るんだよ。鉈みたいに力任せでいいか?」

「違う、止めろ!」

 

 剣の扱いが雑だ! そもそも魔力を通せ! ……ああ、ダメだ! 佳宵と玄帝の相性が悪すぎる!

 ヤトは両手をさ迷わせた。止めようにも佳宵は止まらない。

 

「あー使えねえな! イラネ!」

「あぁ゛あ゛あ゛あ!?」

 

 ぽいっと投げ捨てられた剣が臓物の海に落ちた。

 なまぐさい血肉が剣に(まみ)れる。消化器官の内容物――端的に言えば糞尿――まで混じった液体だ。柄にも付いた。

 

「うわぁあ! やった、佳宵がやった! やだー!」

「よし。とりあえず、これでキッチリ死んだろ。つーか初魄うるせぇ」

 

 人間の戦士も「剣は武士の魂」と言うが、ヤトにとってその言葉は比喩では済まない。この剣はヤトが己の体を削って作り出した、いわばもう一人の自分だ。

 その剣が人間如きのクソ(まみ)れ。なんという悲劇。

 

「お、お前! やっていい事と悪い事ぐらい分かるだろう!?」

「んー? ……あ、わり。それはごめん」

「謝るな! お前をぶち殺せなくなる!」

「ははは」

「だからって笑うな!」

 

 どうやら事故だったらしい。佳宵は半笑いになりながらも、きちんと謝罪をしてくる。

 無論それだけならばヤトは復讐で殺しに掛かっただろうが、剣は佳宵の魔法で浄化された。

 剣に顔を近づけてみたが臭いは無い。ヤトの技巧では真似できない高度な洗浄だ。ヤトは内心、複雑な想いを抱いたが、怒りを呑み込み同僚のよしみで赦す事にする。

 

「……で、これまだ生きてるのか? そろそろ死んだか?」

「微妙な所だ。生命活動は停止している」

 

 神剣で切ったにも関わらず、肉の塊はまだ生きていた。

 相性最悪な佳宵が握ったために神剣が効能を発揮しなかったとはいえ、首を切断して、体を縦に別けたのだ。これで死なないなら人間ではない。そして、【勤勉】はどうやら人間ではないらしい。

 

 銀鉤の邪法を一部再現した勤勉の体は生と死の狭間を彷徨う魍魎と化している。つまり死と生が同居した異形であり、一種の不死と呼べる状態となっていた。

 

「なんか初魄の剣で斬った部分から体が再生し始めてんだけど。お前の剣って命を弄ぶ魔剣か何かだっけ?」

「佳宵の下種い魔力に充てられたのではないか? 人間から怪物になり果てたに違いない」

 

「別にどっちでもいいけどな。さて、どうやって殺すか」

「下種い自覚が有ったのか?」

「うるせぇな」

 

 殺すだけなら簡単だ。

 肉体という器がいくら再生しても、魂の損傷は容易ではない。ましてや不完全な邪法。ヤトが本気で剣を振るえばこんな魂など百単位で滅する事が出来る。

 対する佳宵も魂を腐らせる病原菌を体内で飼っていた。その病を感染させれば抗体を持たぬ現代の脆弱な生物など国ごと死に絶える。

 

 だが問題が一点。

 

「じゃあ初魄やれ。私は疲れるから嫌だ」

「よし、佳宵やれ。私は主の護衛に戻る」

 

「あ?」

「ん?」

 

 二人が見つめ合う。互いに無言となった。

 

 実はヤト達が使っている人形。途轍もなく"性能が低い"。

 なにせモデルとなったヨルンの肉体は重吾が望んだこともあり、この世界の一般人から見ても非常にスペックが低いものだ。

 筋力は無い、魔力も無い。その操作は覚束ない。唯一、突出して高いのが闇との親和性だが、それは夜の神が宿っているため。

 

 つまり「夜の神」なき人形は、ただ可愛いだけの貧弱小娘の体なのだ。

 当然それと合体しているヤト達も相応の力の制限を受け、「魂」という高度次元体に干渉する事が難しくなっていた。

 

「よく考えろって。聖女と戦った……らしい勤勉を殺せるんだぞ。栄誉じゃねぇか」

「私は佳宵に譲ってやると言っているんだ。主に褒められれば、名を賜る機会に繋がると思わんか?」

 

「……」

「……」

 

 再度の無言。ヤトも佳宵も決して自分では動かない。

 

 言いたくない。今の合体状態では勤勉を殺しきれないとは言いたくない。だけど合体を解きたくない。

 もしかしたらヨルン人形を使えるのが、これで最後になるかもしれないのだ。なら少しでも長い時間、全身で主を感じていたい。そんな無言のせめぎ合い。

 だが、その時間は唐突に終りを告げた。

 

「待て、連絡が来た」

「あぁ? ……ああ【化楽】か」

 

 木漏れ日を避けるように木陰から這い出てくる一人の夜人。佳宵が化楽(けらく)と呼んだあれは銀鉤の部下だ。

 かつて銀鉤の下で色々な工作活動に従事していた化楽の姿を思いだす。しかし、今は変化の再獲得に至らない一夜人でしかない存在。

 

「なにか緊急か? 身を焼かれているぞ」

 

 日中に屋外へ出るのは夜人にとって自殺行為。たとえ日陰に隠れても太陽の破邪で浄化されていく。これが屋内や洞窟内、あるいは「黒き森」のような霊地ならば例外だが、ここは中層であり闇の加護は薄い。

 現れたメッセンジャーは消え去るまでの僅かな時間で、上司(銀鉤)の言葉を伝えるべく地面に文字を書き起こした。

 

『ごめん、交渉失敗。人形は諦めて』

 

 たったそれだけの一文を書いて化楽は浄化されていく。無念そうに首を振った姿は銀鉤の模倣だろう。

 静かになった森の中。地面の文字を何度も読み返す二人は大きな吐息を漏らした。

 

「はぁあ……あの犬っころ。何が策があるだよ、あーもう駄目だぁ」

「致し方あるまい。主の決意は固かったという事だろう」

「でもせめて経緯ぐらい報告しろよ。どこで失敗したんだ、もうちょっと粘れなかったのかよ……仕方ねぇ、あとで聞き出すか」

 

 口頭や記述を用いた物理手段による意思疎通は実に不便な情報伝達システムだ。

 

 もしもヤト達が人形と合体しておらず夜人のままだったなら、すぐに銀鉤の交渉過程の詳細を把握する事が出来ただろう。

 夜人という群体が備える【共有感覚】を活用することで、彼等は別個体の夜人が見聞きしたモノをリアルタイムで知ることができる。

 だがそれも夜人という群体から逸脱した今の二人では共有感覚にアクセスできず知り得ない。

 

 主との交渉過程は気になるが焦って知るべきことじゃないかと二人は考える。

 人形の処分は元々決まっていた事だし、それが覆らなかったのは残念だが仕方ない。ヤト達はそう考えて今や不要な物体と化した【勤勉】をどうするか協議する。

 

「この男の処遇……どうするか。いまや点数稼ぎは無意味となったが、持っていくべきか? だが独断行動は主の不興を買う可能性もある」

「つか勤勉(コイツ)の再生終わってんな。うわ目が合った。どうしよう初魄、キモいんだけど」

 

 点数稼ぎは人形確保のための賭けだった。破棄が覆らなかった以上、下手な事はしない方がいいだろうかという事にヤトが頭を悩ませる。そんな中、勤勉が呟いた。

 

「……何年たった。森に大きな変化はないか。服も残骸が残っている。俺が死んでから時間はそう経っていない? ……何故だ。まだ不完全な"アレ"では再誕まで1年以上かかるはずだ」

 

 眼前にいるヤト達には目もくれず周囲を見回す勤勉。

 彼は辛うじて役目をなしていた襤褸の拘束衣を剥ぎ取って裸になると立ち上がった。股間に巨大な何かがぶら下がっている。

 

「ふっざけんな!! 汚ねぇもん見せんじゃねぇよカス!!」

 

 そして消し飛んだ。

 

「やべぇ、やべぇよ初魄! アイツ変態だったわ。み、見ちまったよぉ……!」

「おい抱き着くな。震えるな。お前がそんなタマか。どうせ見慣れたモノだろう?」

「お前は私を何だと思ってんだ!?」

 

 佳宵の魔法により何も残らず消滅した場所をみる。勤勉の肉体はおろか、周辺の木々まで一部犠牲となって荒れ地と化している。

 

「……暴力女」

「これは正当防衛なんだが!? 視界の暴力を喰らったのは私なんだが!?」

 

 佳宵は恥ずかしいのか狐面を下して素顔を隠してしまう。

 その効果か落ち着いた佳宵はヤトに抱き着いていた事に気が付いた。ハッとしたようにヤトから離れると体を震わせて殴り掛る。

 

「なんで私がお前に抱き着いてんだよ! ふざけんな!」

「そんな事私が知るか。震えるくらい怒るなら、拳は私では無くアイツに向けろ」

「うるせぇ! 私は、お前を、殴りたい!」

 

 ドゴンッ、ガゴンッと。人を殴ったとは思えないような鈍い音が連続する。別に痛くないので好きなようにさせた。ヤトは頑丈さなら三人の内でも随一だ。

 

 佳宵の拳は放っておいて、勤勉の様子をみる。彼の再生は既に始まっていた。

 再生速度は先ほどよりも更に早い。攻撃魔法で肉片一つ残らなかったのに、荒れ地の中央にぽつんと胎児のような肉塊が落ちている。

 あの様子を見る限り、佳宵が殴り飽きるまでに元のサイズに戻りそうだ。

 

 人間にしておくには惜しい人材か? あれ程、闇と親和性がある男ならば、使えるかもしれない。

 

(……いや、その結果シオンのような変態が増えても困る)

 

 それに勤勉は聖女を襲った暴漢だ。それ自体をヤトはさほど気にしないが、主が一体どう思うか。

 ……やはり無しだ。こいつも闇の陣営に迎えるには叶わない。ヤトはうんうんと頷いた。

 なぜか佳宵の殴りが強くなる。

 

「はぁ、はぁ。お前の体どうなってんだよ。硬すぎる……もういいや」

「満足したか?」

「……別に」

 

 なにか不味い対応をしてしまったのか、今度は拗ねている。全く理解できない精神性を持つ女だとヤトは呆れるしかない。

 せめて素顔を晒してくれれば、佳宵の求める答えを表情から読み取れるのに。

 ヤトが狐面を外そうと手を伸ばす。逃げられた。

 

「触んな」

 

 近寄れば逃げる、放っておけば構えと寄ってくる。

 もう放っておこう。ヤトは面倒くささを覚えて佳宵の相手をしないことにする。

 

 そうこうしている内に、再びメッセンジャーの夜人が現れた。

 

「む?」

 

 また銀鉤の方で動きが有ったのかと思ったが違う。今度来た夜人はヤトの部下であり、主の護衛を任せていた一人だった。名を叨利(とうり)

 主の許を離れて彼が来るとはかなり重要な要件に間違いない。ヤトは身なりを正す。彼の言葉は主の言葉。とは言え、彼もまた地面に文字を書くのだが。

 

『主の言葉を伝える。人形を今すぐ処分せよ』

 

 使者が地面に文字を書く様子を覗き込んでいた二人は主の意思を汲み取った。

 

「そうか。いよいよだな」

 

 主は何時まで経っても未練がましく人形を捨てられないヤト達に決断させるため命令を下したのだ。恐らくここに居ない銀鉤にも同様の命令が下されたはずだ。

 再三の指示。事ここに至りヤト達に拒否する選択肢は消え去った。

 

「やるぞ佳宵」

「……しょうがねぇ。一撃で決めろ」

 

 二人は真っすぐ向き合うと、互いにその体を攻撃する。

 自分で自分の大切なモノを壊せるはずがない。遠慮しなくていいように、間違いなく処分できるようにしたのだ。

 

 ヤトの振るった玄帝は一太刀で佳宵の体を粉微塵に切り刻む。同時に佳宵の魔法が発動。ヤトの体が急速に崩壊し始めた。指先から腐り落ちるようにボロボロと風化していく。

 

 そんな神話の再現を、再生した勤勉だけが驚愕の表情で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 人形が朽ちた事で合体は解除された。

 夜人たる闇の体が表に現れ、太陽の破邪に己が消えていく。その間際。ヤトはふと気になった。

 

 主の身辺に異常はないか。神殿に侵入者はいないだろうか。

 

 浄化されれば次に目覚めるのは夜になる。ならば消える前に主の安全を知っておきたいというヤトの心配性が招いた、ちょっとした切っ掛けだ。だがそれが銀鉤の策に罅を入れた。

 

「……?」

 

 ヤトの自我が深層に繋がり意識の海を揺蕩う。そこは数多の夜人が生まれ、そして還る母の許。そして、主のために夜人同士が情報交換する場所でもある。

 夜人達の共有感覚。そこにアクセスしたヤトへと一つの情報が齎された。

 

『銀鉤ちゃんは好きな料理とかあるんですか? 村に帰ったら歓迎会しましょうね』

『ボク? うーん、と。お肉が好きだよ。種族は……いや、なんでもいいや』

『肉の種族って何?』

 

 銀鉤が聖女を挟んで主と三人楽し気に話している。人形を処分する素振りも見せず、体を保持したまま堂々と歩いている。

 

「……?」

 

 歩いている場所は神殿内部。聖女の手を握り、主に笑みを向ける。この後に行われるという歓迎会を楽し気に語る、銀鉤のなんと晴れ晴れしい面持ちか。

 これは全て、今現在の光景だ。

 

「??」

 

 なんで? どうして?

 私は命令通り人形を処分したのに、銀鉤は許された? そんな筈ない。主の命令は今すぐ処分しろというものだ。

 銀鉤は最悪な性格をしている奴とはいえ、命令を無視するような存在ではない。ならば何故? どうして銀鉤だけ人形の保持を赦された?

 

 訳が分からない。混乱に呑まれつつも消え行く意識。それを一つの怒声が繋ぎ止めた。

 

「ざっけんじゃねぇぞ! 銀鉤ォおおオオ!!」

 

 闇の体を変化させて実態と化した佳宵が叫ぶ。人形と合体していた時とは似て非なる神の降臨。太陽の破邪を打ち払い、森の一画に地獄が顕現する。

 

「裏切ったな犬畜生ッ! 私等の人形なんか最初から守る気なかったな! 一人生き残りやがったな、クズ野郎がァッ!!」

 

 主への点数稼ぎをしろと言って二人を遠ざけた。そのくせ、勤勉の確保を待たず交渉に入った。結果は失敗。人形は諦めろなんて報告だけ腹心たる化楽に寄越させ、自分はあの調子。

 

 銀鉤の言動の真意が見えてきた。ああ、なるほど確かに"限られた数"は確保したのだろう。ヤト達を生贄に自分の人形たった一つの戦果を手に入れた。

 

 思えば、最初から罠だったに違いない。

 あの犬は昔からそうだ。自分以外の全てを踏み台に事を為してきた。時には自分の容姿すら利用して生きてきた。

 今もそうだ。実態は()()()()()()()のくせに、性格も見た目も欺いて聖女に取り入った。振られる尻尾は媚びの証。

 

「……そうか、では『今すぐ処分して』とは、そういう意味か主よ」

 

 だが、主までは騙せなかった。

 ヨルンは銀鉤の人形保持に困っている様子が見受けられたことから、恐らく銀鉤の独断専行は主の本意では無い。しかし許さざるを得ない状況に持ち込まれた。だからこそ、ヤトと佳宵へ"処分命令"が下されたのだ。

 

「ならば、このまま消える訳にはいかぬ。私にはやらねばならぬ事が今できた」

 

 半ばまで消えかかっていた体を再構築。魔力を纏い、鎧へと書き換える。赤黒く、仄暗い光が体を迸る。

 無骨な籠手で握りしめた【玄帝】は久方ぶりの戦闘に喜び震えていた。

 

 ヤトと佳宵の闇が現実を侵食して世界が悲鳴を上げる。勤勉の体が喰われ始めた。

 

「主の意思を裏切る愚か者。敵は現在、神殿第二層。制限時間は1分。……厳しいか」

 

 移動と抹殺にかかる時間は大した問題ではない。30秒もあれば事足りる。だが、銀鉤の周囲に展開しているレイトとシオン、そして聖女が盾となって邪魔をする。傷つける訳にもいかず、無理は出来ない。

 

 ヤト達の変化は長時間続かない。だが今、銀鉤を殺さねば村に合流される。かといって無策で突撃したら聖女たちに変な勘繰りを受け、主の計略に影響しかねない。

 どうしたものかと悩んでいたら佳宵が何かを引きずってきた。

 

「コレ使うぞ。初魄も手伝え」

「……なるほど。役に立つ男だな、勤勉」

 

 それは真なる闇に魂まで侵食された男の成れの果てだった。

 

 

 




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