神殿前で行われた激闘がついに終局した。
30分に満たない戦闘なのに、なんだか長いバトル映画を見ていた気分だ。
思えば聖女さん達のガチ戦闘を見たのは初めてかもしれない。
シオンとの
だから今、改めて考えてみるとやっぱりこの世界の戦闘力ってどこかおかしい。
言っちゃなんだが、辺鄙な村に居る
現実改変能力ってなーにー? インフレバトル漫画じゃなきゃ早々見ないぞ、そんな能力。
「……はぁキツイ! 久しぶりだ、こんなギリギリの戦闘!」
「おやおや。前衛を担当した功労者が、そんなダラしない姿を見せていいのかね?」
「いいんだよ。働く時働く、休む時は休むんだ。俺はな」
止めを刺した後、勤勉が動かなくなるのを見届けた隊長さんは地べたに転がった。手足を投げ出した格好で横になる。
会話を聞く限り、ムッシュさんは余裕綽綽といった風を装っているが……安堵した途端気が抜けたのか、なんか彼の足がどんどん震えてきてる。
今ではもう局地的な地震かな? ってくらい揺れている。
「Nonsense。吾輩のこれは武者震いだよ。そう、新たなる敵を待っているのだ!」
そうなのかな? そうらしい。
隊長が笑いながらムッシュさんの背中を叩いた。バチンといい音が響く。
ところで、これで"演武"終わり? 勤勉を名乗ったおっさんは大丈夫? 思いっきり、隊長の剣が胸に突き刺さっているけど……。
命を張った協力してくれるとか、あなた勤勉過ぎない? だ、大丈夫?
「……ぅ」
「ひえ」
おっさんの眼球がギョロリと動いた。心臓を石畳に縫い留められた状態で俺をジッと見つめるおっさん。……大丈夫なのね。
怖いけど、あ、ありがとう……?
ちなみにおっさんが生きている事に皆は気付いていないようだ。死亡確認はやったみたいだけど、見逃しちゃったのかな。
「ん? ヤト、どうしたの?」
まだ西日が残っているせいで、森から出てこれないヤトが俺を呼んだ。銀鉤はまだ聖女さんに捕まっているから俺一人で近寄って話を聞く。
『前哨戦、終わり、次』
「……え?」
次……。
次ってなに? まだやるの?
「もう、いいよ?」
聖女さん頑張ったよ、隊長さん達も疲労困憊だよ?
俺のバックグラウンドも十分説得力を持っただろうし、聖女さんを騙し続けるのは罪悪感あるから、もうやりたくないんだけど……。
あ、ダメなのね。
佳宵がまるで満足していないと首を振りまくる。
うーん……うーん……。
でももう、そろそろ俺は帰りたい。村に帰って聖女さんとのんびりしたい。
「……」
あ、はい。ごめんなさい佳宵さん。謝るからそんな怒らないでください。
いや、何か言われた訳じゃないんだけど……気迫を感じる。ゴゴゴと彼女から怒気が放たれる。
「今の戦いはヤトの演出? 私の分はまだ、と……そう」
なるほど。
つまり、佳宵さんはこう言いたいわけか。
『銀鉤とヤトばっかり活躍してずるい! 私も
……と。
いやぁ、こうも慕われちゃぁ仕方ないね。
「ちょっとだけね」
そう伝えると佳宵はゆっくりと頷いた。
肉食獣の笑みが見えたのは気のせいかな?
―― 甘ちゃん…… ――
あと、なんか聞こえた。
呆れたような夜の神の声。
いいんだよ。俺は自分に甘く、人にも甘く生きていくんだから。決して佳宵の気迫に負けた訳じゃないぞ。違うぞ。
その時、俺と夜の神との繋がりから相手の感情が流れてきた。過去を思い出しながら、神は言っていた。
―― 夜人を自由にさせると、どうせ、また大変な事になる…… ――
え、なに? そうなの?
▼
日が沈み闇の帳が降りる刻。
人間の時代は終わりを告げて怪物の世界が訪れる。
平穏は夢と化し、安寧は幻想に立ち消えた。
ああ――夜が来る。
▼
最初それに気が付いたのはレイトだった。
勤勉との戦闘が終わって一息ついた後、一行はこれからどうするか協議していた。
太陽は既に大部分が沈んでおり夜が差し迫っている。夜は闇の魔素が濃くなる時間であり、森の魔種も騒がしくなる。森を抜けるには危険が伴うだろう。
いっそどこかで野宿をするべきか。いいや、こんな教団施設のすぐ傍で安全に過ごせるはずがない。多少無理をしてでも森を突破するべきだ。
そんな事を大急ぎで論議する中。聞こえてきた。
肉の繊維を無理やり引き千切ったような、ブチブチという不吉な怪音。発生源を見る。
「……おいおい、アレは何かの冗談か?」
そこでは心臓を貫かれて斃れ伏していた勤勉の体が膨らんでいくところだった。拘束衣を突き破り、風船のように丸く大きくなっていく。
頭髪は抜け落ち、膨隆した頬肉が眼窩をふさぐ。不自然に培養されたような肉の山。手足は異様に短く、醜い胎児を思わせる。
そんな異形が周囲の木々よりも太く大きくなっていく。背丈は10mを超えた。もはや人間ではない。
「化物だな。夢に出そうだ」
「……吾輩は今ここが悪夢の最中か悩んでおるよ」
あまり現実離れした光景。
レイトたちが引き攣った顔で軽口を言い合う。
「ところで、ムッシュ司教が待ち望んだ新たな敵だぞ。どうする?」
「ハハハ! 我はアレを敵とは認めぬな。敵とは打ち破れるものをいうのだ。故にあれは『怪物』という」
「い……言ってる場合ですか! 逃げますよ!」
ディアナはヨルンと銀鉤の手を取ると駆け出した。森に向かって一直線に走る。
「ヨルちゃんごめんね、抱えるよ! 銀鉤ちゃんは私の背中に捕まって!」
「は、え……? わっ」
取り返した聖具は汚染されて使えない上、ディアナの魔力も尽きている。太陽がついに姿を消した。もはや戦う事なんか出来るはずがない。
胎児がゆっくりと目を開けた。同時にレイトが叫びあげる。
『オォオオ…オァアアア!!』
「奴が起きたぞ逃げろッ! 全員、振り向かずに森へ行けェエ!!」
「案内はしませんよ! 私の足跡を踏み外さず、しっかり付いて来てくださいね!」
先導は仮面の男、純潔。
彼は迷いなく黒き森に飛び込んだ。ディアナを追い越して、こっちだと正しい道に誘導する。
「なんですかアレは! あれが勤勉の奥の手ですか!?」
「さぁて! それは私も知りませんねぇ! 少なくとも昨日の彼と、今の彼はまるで別物だ!」
「Jesus! 追ってきてる! 追って来とるよ赤ん坊が! 木をなぎ倒しておる……赤ん坊が!?」
『あぎゃぁアア!』
「やかましい! さっきまで大男だったのに、突然赤子にかわるんじゃない! 気色悪い!」
積み木を壊す様に森をかき分けて迫る脅威。
殿のレイトが石を拾い上げ、投擲するが意にも介さない。むしろ怒らせたらしい。火が付いたように泣きながら赤ん坊が加速する。その異様さ足るやヨルンを絶句させるほどだ。
「き、キモイ……なにあれ、なにあれ!」
ディアナに抱っこされた姿勢のせいで、赤ん坊を直視したままの逃亡。ヨルンは並走するヤトを見つけて文句を飛ばす。
「ヤト! あれは駄目……! 絶対ダメ! 止めて!」
あれはやっちゃダメな奴! あんな不気味な存在に追われるとか、ホラーじゃねぇんだぞ! そんな意志を籠めてヤトを叱責。
非難する目に気づいたのだろう、ヤトは頷いた。周囲に展開していた夜人達を呼び寄せると「勤勉」へと差し向ける。
『おぎゃぁああ、あぎゃぁあ!』
次々と纏わりついて来る夜人を踏み超えて、なおも走ろうとした勤勉が絶叫を上げた。見れば手足に穴が開いている。
「闇送り」だ。彼が夜人に触れた部分が消失したのだ。それにより不気味な赤ん坊が遅れ始め、ゆっくりと森の奥に消えていく。
「おお見たまえ! あの胎児を撒いたではないか! これで吾輩らの勝ち――」
「待って! それ以上は駄目です! ムッシュさん!」
「え? あ……もしかして、やってしまったかね吾輩?」
――――期待は不安の裏返し。
先の戦闘で勤勉が言っていた言葉だ。
木々に遮られ、見えなくなっていた勤勉が咆哮を上げる。木々の倒壊する音が増した。それはあっという間に近づいてくる。
「また来たぞ!? それに姿が変わっている!?」
「ああ、ダメです! 夜人達じゃもう『勝てなくなってる』! ムッシュさん!」
「申し訳ないぃ!」
再度現れた勤勉らしきモノは胎児ではなく、全身が毛むくじゃらの塊へと変貌していた。
隙間から覗く眼光が怪しく光る。手足は獣の様な逆関節となり、先ほどよりも速度が増していた。ディアナ達も大急ぎで森を駆けていく。
「ヤト……ねえ、ちょっとヤト」
ヨルンが文句を言いたそうにヤトを見る。ヤトは嬉しそうに親指を立てた。
……違う。赤ん坊姿だからダメだった訳じゃない。獣っぽい奴なら良いとは言ってない。この展開、全部が駄目だって言ってんだ!
ヨルンは叫びそうになったが、ディアナの手前なんとか言葉を飲み込む。
既に始まってしまった最終イベントだ。監督、演出、進行の全てを任された馬鹿は止まらない。佳宵が物陰で柏手を一つ。勤勉の体が大きく波打った。
『アァアア、ア゛ア゛ィイイ! グゥルウウ!』
贅肉に覆われていた手足が締まっていく。濁声だった咆吼は獣の
幾たびも体を変化させるという過程を見た純潔が納得したように呟いた。
「……なるほど『獣化症』でしたか」
「獣化症?」
「正式名称【突発性変貌症候群】。アレは、それが劇症化した姿の一つです。主に神代の遺跡を調査する者が発症する原理不明の病で、いや、シンドロームなので機序が一つの病を基とするのか否かでまだ議論が絶え無い訳ですが――」
逃げながら長い解説を始めた純潔を放置。ヨルンは獣を見る。
ぱっと見、イタチの様な風貌だ。
しなやかな手足と細長い首。尖った鼻先を持ち、丸い耳をつけている。だが眼球は8つ、口は大きく裂けている。
うん……俺たち皆纏めて一呑みにできそうだ。
ヨルンは抱えられたまま考える。あとでヤトと佳宵、本気で叱ると。
「病名だとか病態だとかそんな事はいい! 対処法は有るのか、無いのか!?」
「有りますが。あー、たぶん今無くなりましたね」
「……くそ! すまん! それなら逃げ切るしかないか!?」
本来であれば特効薬ともいうべき方法があったのだろう。しかし、それは勤勉の【
そして突如、純潔が立ち止まる。
「あ……。もう誰ですか? 誰か、私が正規ルート間違えないか心配しました?」
どうしたと声が上がるが、純潔は動かない――否、動けない。
「道が有りません。ルートはここで終わっています」
時刻は夜。恐怖は世界すら書き換える。絶望はすぐそこまで迫っていた。
▼
勤勉なおっさん、それは演技ですか? それとも本気ですか?
口からよだれが垂れてますよ。俺たちが美味しそうに見えるです?
……あぁあぁ、もう! ヤトと佳宵、後で叱る! 本気で叱る!
『やらせ』という事を知ってる俺ですらマジで怖いんだ。巨大な肉食獣に追われる経験って何だよ! 聖女さんなんか震えてるぞ!
「聖女さん、こっち……!」
「ヨルちゃん!?」
聖女さんの抱っこから抜け出して、彼女の手を引っ張る。
夜になると俺の体は使えない子から、ソコソコ使える子に変貌する。五感が鋭くなって世界の全てが俺に味方する……気分になれる。
実際は俺が魔法使えないから、それは気分だけ。
「黒い森は危ないから、私が先に行く……!」
少し前に銀鉤に聞いていた。
この森は生きている。
招いた生物をエサに生い茂る危険な森であり、実は巨大な地下茎でコロニーを形成する一つの生物。知能はそこそこ高くて人を見分ける事もできるという。
ならばならば、主たる俺が前に立てば森は道を開くだろう!
「おぉ! 素晴らしい! なるほど、思っていたより賢い森なのですね! ヨルンという仲間を認識している!?」
正規ルートの消失した森を俺が先導する。
シオンがキョロキョロと楽し気に着いてきた。一方、聖女さんや隊長さん、ムッシュさんは必死の顔だ。でもたぶん、銀鉤が一番必死な表情。
「死にたくない、死にたくない……。ボクは生きるんだ、ヨルと一緒に生きるんだ……!」
聖女さんに背負われたまま何か呟いてる。いや、なんでお前が一番怖がってる?
あー! しかし遅い! 俺の足が遅い!
獣のおっさん、もうちょっと俺たちに足並み揃えてくれませんかね!? じゃないと――
「あっ」
突然襲い来る浮遊感。
やっぱり転んだー! 俺の体は駄目な子!
「ヨルちゃん!」
「あ、ありがと……」
でもそれは聖女さんに受け止められた。俺の体が再び彼女の豊満な胸へと戻される。あ、ぁ、抱っこ嬉しい……あ、いや違う。ダメ!
それすると森が怒る。
俺を抱えた移動では、俺の先導扱いにならない!
「今度はなんだ、蔦!?」
隊長さんが襲い掛かってきた森の攻撃を打ち払った。
「正規ルートを通らず
次々と蔦が伸びる。鋭利な葉っぱが舞って襲い来る。
(あぁああ、俺の先導だと獣に追いつかれる、でも抱えられてると森が敵になる! どないせぇと!)
聖女さん達は森の攻撃を凌ぎながら逃走を続けた。しかし俺達を追う巨大な四足獣は離れない。森の木々が邪魔で何とか一定の距離を保てているが、それもいつまで続くことか。
分かってる。イベントを中止すればいい。でも一度始まったボス戦だ。
俺が「はい中止ー」と言った途端に獣がピタッと止まってみろ。その後で、もしも「お手」してきたら俺はどんな顔すればいい?
俺が主犯とバレてしまう!
しかし、逃げ続けるのは限界だ。ヤトを呼び付ける。聖女さんに聞こえないように指示。
「終わって」
「?」
もうイベント終了! なにこのクソイベ! はい終わり終わり!
聖女さん達にバレないように、あの獣おっさん下げて!
「終了」
「??」
なに首傾げとんねん。
え? ここからが本番? メインイベント? ……うるせえ!
「もういい。もう、いい加減終わらせて! 後始末はバレないようにやる……!」
そもそも俺はここまでやれとは言っていない!
まあ、佳宵の気迫に負けて了承してしまった部分はあるが。それでも常識の範疇を考えて!
ちょっと怒った振り――という訳でもなく、俺も少し怒っているのだが――でヤトに命令。彼は神妙な面持ちで下がって行った。
『後始末、しっかり、付けてくる』
そんな言葉を残して。
▼
どれくらい走っただろう。
どれだけ死線を潜ったろう。
後ろから飛び掛かってくる巨大獣を躱し、周囲から伸びてくる蔦を打ち払う。抵抗など出来るはずもない。ただただ逃げ惑う。
ヨルちゃんの指示で多数の夜人達が身を挺して守ってくれるが、それも焼け石に水だ。増え続ける猛攻に晒されて私達は注意力がどんどん散漫になっていた。
それが悪かったのだろう。伸びてきた蔦を屈んで避けた直後。銀鉤ちゃんが驚いたような声が上がった。
「――あ!」
まさか蔦を躱し損ねた!?
何事かと振り返れば、後方へ流されていく少量の髪束と青い髪飾りが見えた。銀鉤ちゃんが頭に着けていたリボン。攻撃で取れちゃったのだろう。
銀鉤ちゃんは茫然とした表情で、リボンを付けていた場所を抑えている。
……仕方ない。あれはただのリボンだ。それで済んだだけ僥倖だ。私は深く考えず再び逃走を再開。だけど銀鉤ちゃんにとって、それはただのリボンでは無かったようだ。
「……だめ!」
「銀鉤ちゃん!?」
「え、銀鉤……?」
彼女は落としたリボンを追いかけるように私の背中から飛び降りた。止める暇すらなく、彼女は一人逆走。ヨルちゃんと共に信じられないという顔で見つめる。
「馬鹿野郎! 死ぬ気か戻れ!!」
「何処へ行くというのかね! 銀鉤君!」
あちこちから罵声とも心配とも取れる悲鳴が上がる。だがそれでも銀鉤ちゃんは止まらない。周りなど見えていないように自ら死へと向かっていく。
もはや【勤勉】はすぐそこだ。
彼女はなんとか拾い上げた髪飾りをまるで宝物のように抱きしめる。
「これはボクの。初めてヨルがくれた、大切な――」
そして、勤勉によって圧し潰された。
銀鉤「……」
ヤト&佳宵「(* ´∀`)」
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