コミュ障TS転生少女の千夜物語   作:テチス

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一章の終わりから、いつ出すか悩んでいた聖教上層部の状況です。
主人公不在で無駄に長い。ごめんね

新しい登場人物ばかりですが、ぶっちゃけあんまり覚えなくても……どうせまたしばらくでないし。


閑話 一方その頃

 

 エリシア聖教国。

 アルマロス王国より西方に存在する国家にして、エリシア聖教の総本山たる伝統の国。

 絹織物を中心とする軽工業と観光業を主産業とする小国であるが、信徒からの寄付が国庫の数倍の収入となる宗教指導国家でもある。

 

 隣国である王国や帝国が周辺国家の併合と解体を繰り返して列強へ成長したのに対して、エリシア聖教国の国土面積はさほど大きくない。

 馬車を使えば数日で横断できてしまう程度の広さしかなく、建国から数千年経つ今も当時の国境とさほど変わっていないという。理由は人間同士の争いを利敵行為と忌み嫌っており、不可侵、永世中立を宣言しているから。

 

 各国が軍拡競争を繰り広げる中でもエリシア聖教国は一切の軍隊を持たなかった。

 常に多国間の仲介を任され、和平交渉の纏め役となることも多い。故に聖教国こそが世界で唯一の平和国家であり、正当な人類の指導者である……という事になっている。

 しかしその裏で「エリシア聖教会」が世界中に根を張っており、支援者、戦力共に他国の軍隊を凌駕するときたものだ。聖教国こそ世界に多大な影響力を持つ最大国家というのが実態。

 

 そんな聖教国の首都、聖都エリサモルの中心に聳え立つ絢爛豪華な大聖堂。天に程近い最上階の一室で5人の枢機卿達が会合を開いていた。

 

 

「それでは先日あった日蝕については結局、詳細不明と?」

 

 天窓から光が明るく差し込む部屋で一番上座に位置する男が苦々しく眉をひそめる。

 

「後手に回り続けておるな。懸念事項が多すぎて、もはや何から手を付けてよい物か……」

 

 男の名はガリレオ・ガブリズモ。

 司教枢機卿という、教皇を除く教会最高位に就く老年男性だ。

 

 普段は優し気な表情を浮かべている男だったが、この日ばかりはため息を堪える様に眉間をほぐす姿がよく見られた。綺麗に剃り上げた――決して禿げている訳では無い――頭の輝きがいつもより少ない。

 

「各都市の司教から報告が上がっておりますが、怪しい報告は多くありません。日蝕からこれという事件が起きた場所もさほど。ただ気になるのは、各国どの都市からも【皆既日蝕】が見られた事」

 

「はぁ……ありえん話だ」

 

 日蝕とは太陽を隠す様に月の軌道が合わさることで生じる現象の一種――無論、太陽の破邪が薄れて魔物の増殖は生じるが――でしかない。

 丸い星と衛星の関係上、世界の一部で皆既日食が起きれば、それより広い範囲で部分日食が見えるはずなのだ。しかし実際に起きたのは、世界一律の皆既日食。これが物理現象で起きた筈がない。

 

「……最悪を想定するべきでしょう」

 

 会議に参加した一員。

 メガネの似合う男、ホルテル・ヤリヤ枢機卿が重々しく述べる。

 

「最悪とは?」

「黒燐教団の狼煙といったところでしょう。世界に対する宣戦布告。まさか【夜の神】や"闇の三使徒"の顕現とは言いませんがね」

「光の使徒様は降臨なされたが……闇の使徒の出現は無いと言えるかね?」

「はい。その可能性は低いでしょう。なにせ、それであれば被害が無さ過ぎる」

 

 初魄を筆頭に銀鉤、佳宵と続く【夜の神】に組する神々は有名だ。

 悪逆にして、暴虐であり、大逆。彼等が関わった事件だけで、聖書に載る悲劇の9割を語れるだろう。それが全て【夜の神】の意志だというのだから、邪神の悍ましさには恐れ入る。

 

 三柱の存在は有名だ。それは間違いないが、神名まで知っている者は限られた。

 

 悪神の存在は、名を知るだけで禁忌に触れる。

 長き歴史により神名の載った全てが焚書され、今では彼等は「闇の三使徒」あるいは使徒としか呼ばれない。彼等の名前は現教皇と補佐役であるガリレオだけが知っている。

 ガリレオはそれが恐ろしく、ホルテルの口から闇の使徒の話題が出ただけで身を震わせた。

 

(ああ……思い出すだけで背筋が凍る。先代から闇の使徒の名を教えられた時のこと……その結末)

 

 若かった頃の自分が教会のトップに昇りつめたと浮かれていた日の事。先代の補佐役に神妙な表情で呼び出され、2人きりの空間で告げられた。

 目を瞑れば蘇る。

 忌むべき神名を知った瞬間に感じた、闇が覆いかぶさって来るような悪寒。誰かに覗き込まれているかのような気配。いや――あの時、ガリレオは確かに視られていた。

 

 神名という(しるべ)(くさび)に、神は名前を呼んだ者に眼を向けた。

 

 悪神達はガリレオに対して何をする訳でもなかったが、いつでも握りつぶせる生物(ガリレオ)を手のひらの上に乗せるように観察していた。

 呼吸するのも難渋する、眠ることもできない時間。生きた心地がしない状態は三日三晩続き、ある時を境にパタンと途切れて終わった。

 

 直接的な被害は無かった。だがガリレオには確信が有る。

 自分が次に禁忌の名を呼んだ時。必ずや何かが起きるだろう。そう……己に初魄の名を教えてくれた先代が怪死したのと同様に。

 

(名を呼ぶだけでアレだ……もしも顕現して居れば、そこは地獄になっているか)

 

 なるほど闇の使徒の神名を焚書した先人は間違っていない。【夜の神】の名前を全ての記録から消し去ったのも正しい判断だ。

 禁忌とは、災いを齎すから禁じられるのだ。

 

 考えれば考える程、闇の使徒等が顕現していないという推測には納得するしかなかった。ホルテルの説を支持するが異論はあるかと周囲に確認する。特に反論は無く受け入れられた。

 

「じゃあ宣戦布告? ふーん、それは困ったね。なんか【夜の神】の依代も作ったらしいし……? 降臨しかけたらしいし?」

 

 困ったという言葉とは裏腹に、まるで感情を感じさせない声で答えたのはインセット枢機卿だ。

 

 まだ十代と言っても通用するような顔つきと低い身長は少年と見間違うほど。

 明るい緑色の頭髪は、手入れされていない寝ぐせだらけの乱れ髪。最高階級を表す緋色の枢機卿服まで皺や折り目だらけだった。

 身なりだけで「自分は日常生活能力が有りません」と自己紹介しているような姿に一人の枢機卿が嘆息する。

 

「困ったのは貴方ですインセット卿。寝ぐせは整えなさい。服はしっかり綺麗にしていなさい。ほら、下着まで見えてますよ」

 

 子供を叱る様に声を上げたのは、ヘレシィ・エスカ・エクリプス枢機卿。

 目尻の下がった表情が優し気な中年女性という雰囲気を感じさせる。編み込んで束ねた茶髪を肩から前に流している、会議室唯一の女性聖職者だった。

 彼女は不満そうにきゅっと眉間を結んで、インセットの服を正す様に引っ張った。彼は嫌そうに振り払う。

 

「母さんみたいなのは止めてよ」

「私は貴方のお母さんじゃありません」

「そんなの知ってるよ」

 

 親子のようなやり取りをみて議長たるガリレオが大きくため息を吐いた。

 

「よい。エクリプス卿、よいのだ。儂はもうあきらめた……インセットは自由にするが良い」

「ほらみなよ。僕は認められているんだ!」

「なんで勝ち誇ってるんです? 貴方がだらしないのは変わりませんよ?」

 

 ガヤガヤと規律の乱れ始めた会議室でパンと大きな破裂音が一回響いた。

 

「……よろしいか?」

 

 静かになって注目を浴びたのは会議に参加している最後の一人、シュラハト・アサシネイション枢機卿だった。彼は騒がしい会議に我慢できず大きく手を鳴らしていた。

 

「今日はふざけに来たのか? それとも子供の教育か? それならば私は帰らせていただく」

 

 髪を後ろに撫で付けるオールバックで固めた金髪。彫の深い顔つき、鋭い眼光で部屋を見廻すと空気を一気に張り詰めさせた。

 

「すまんなぁ、シュラハト卿。儂がもう少し威厳あれば良いのだが、助かったよ」

「……いえ」

「ちょっと、さらっと僕の事を子ども扱いしないでよ」

 

 好好爺然としたガリレオを静かに見つめた後、シュラハトは瞼を閉じた。腕を組んで再び聞き役に戻る。その姿を見て、インセットがぼそぼそと隣のホルテルに呟やいた。

 

「……相変わらず協調性の無い人だね。雰囲気が悪くなって困るよ」

「私はインセット卿が悪いと思いますよ?」

「全くです。全くです」

 

 枢機卿。それは聖都から各国に派遣され、その国におけるエリシア聖教の指導者となる者である。なお、ガリレオは教皇の補佐役なので、その役割は担わない。

 

 つまりガリレオを除く4人の枢機卿が列強――周辺国家に多大な影響を及ぼす大国――すなわちアルマロス王国、オールター帝国、東方オラクル連邦、そしてグレートランド浮遊国の信徒を纏め上げる聖教きっての指導者となる。

 当然、その実力は折り紙付きで優秀なんて言葉では収まらないほどに秀でた人材であった。

 

(……いやインセット卿。儂は卿だけいまだに信用できんよ、貴卿は本当に優秀なのか?)

 

 頭痛を抑える様にガリレオが頭を抱えた。

 視線の先は、つまらなそうに顎肘をつく子供の姿。何故か服が更にはだけていた。部屋が熱いのか、服の襟を引っ張ってぱたぱたと扇いでいるせいに違いない。

 

「なんだい? 僕の顔になにか?」

「いや……別に」

「そっ。ところで何かつまむの無いの? 口さみしいんだけど」

 

 子供だ。この中に一人、子供がいる。

 常々思っている悩みの種にガリレオ枢機卿は再び眉間をほぐした。

 

 誰だコイツを枢機卿に推薦した馬鹿は。ああ……先代の教皇猊下だ。ガリレオは頭を抱えた。

 話が進まない会議にシュラハトがまた嫌そうに尋ねる。

 

「……帰っていいか?」

 

「いや済まないな。話を戻す。それでは日蝕が起きた以外に異常事態は何処にも無いと? ああ、聖女様および使徒様周辺の件は後程、議題に上げるので今はよいとする」

 

「アルマロス王国ないですね」

「オールター帝国異常なしかな」

「グレートランド浮遊国ありません」

 

「東方オラクル連邦、同様に問題無し。強いていえば王国に対する戦争機運が高まっているが……私は俗事に関与せん」

 

 オラクル連邦を担当するシュラハトの発言に、王国担当のエクリプス枢機卿が「またか」と困ったように溜息をついた。

 

「今度はどんな開戦事由ですか? まさか、東方諸国さんはあの日蝕を王国が起こしたものと言うつもりですか?」

 

「確信は無いが……先日、貴様の娘が大活躍したそうじゃないか。その件で東方諸国は、王国が闇に関わる重大な何かを手にしたと見ている。しかし開示請求には梨の礫。そこで、王国が教団を庇っているのではないかと疑心を抱いている」

 

「……黒燐教団ですか。結局【純潔】には逃げられたし、【勤勉】も消息不明。そこに聖女と使徒様が現れたと言われたって何が何やら。事態が急すぎて、王国側だって何も分からずに混乱中。言いがかりですよ」

 

 エクリプス枢機卿の娘が大活躍と言われて、ガリレオは少し前に王国の小さな村で連続した事件を思い出す。

 

 始まりは【純潔】と名乗る自称教団幹部がイナル村を襲撃、それをエクリプス枢機卿の養女――ディアナ司祭が捕縛した事。

 当初、ディアナ司祭からの事件報告書では【純潔】の()()()()()()()()()()()()という。

 さらに容疑者の男も聖都までの移送中にまんまと逃げおおせたと言うのだから、結局何もわからない事件となった。

 

「ディアナ司祭を担ぎ上げるために作られた事件……だと思ったんですがね」

 

 メガネを押し上げながらホルテルは疑わし気にエクリプス枢機卿を見つめた。それをエクリプス枢機卿は優し気な笑みで受け入れる。

 

 滅んだはずの黒燐教団が関わったという、この小さな事件。被害は皆無で容疑者逃走、動機不明ということで事件の証拠が一切見つからなかった。そもそも本当に起きた事件なのかすら不明瞭。

 

 なぜ前兆も無く教団が現れる? 騎士団がむざむざ容疑者を取り逃がすことなどありえるのか? エクリプス枢機卿が娘の功績作りのために、騎士団と協力してでっち上げた架空の事件なんじゃないか? 

 最初はそんな声が各国や聖教内部に根強くあった。

 

 なにせ、ディアナ司祭は「怪しい闇の人物を見た」と王国軍と聖教会に援軍要請しておきながら、結局援軍を待たず一人で事件を解決してしまっている。

 後から見れば、援軍要請の手続きも不自然に遅延されている場所が有った。

 いくら王国軍が東方諸国と係争中だと言っても教団の名を出して援軍無しはあり得ない。疑って見れば、誰かが援軍を送らせないように工作したかのような……。

 

 そうしてまごついている内にディアナ司祭が単独で事件を解決。

 結果的に不甲斐ない援軍と頼りになるディアナ司祭という対比構造が演出された。エクリプス家にとって美味しすぎる展開。

 周囲の目は黒燐教団の復活よりも【純潔】事件の信憑性を疑うものが大きかった。かくいうガリレオ枢機卿も、娘のための功績作りがあからさま過ぎないかとエクリプス枢機卿を疑った一人であった。

 

 しかし疑惑は、周期を無視した日蝕という大事件を前に立ち消えた。むしろ事態はそこから急展開を迎える。

 

 南都でのスラム扇動、【勤勉】によるイナル村再襲撃、教団支部の発見、黒き森の顕現。そして今回の使徒降臨ときたものだ。

 もはや一連の事件がディアナ司祭を持ち上げるための工作と疑う者は居ない。

 まるでディアナを渦中として事件が巻き起こっているようにすら見えてくるが、それも第一蒼天からの【聖女】発言で納得できる。

 

 彼女こそ世界の運命を握る人物だったのだ。闇か光か。変わりゆく時代の節目に現れた真なる聖女。教団から狙われるのは必然だ。

 問題は聖教会すら把握していなかった【聖女】の存在を、何故教団が知っていたのかなのだが……。

 

「エクリプス卿はディアナ司教……失礼、大司教であったか。彼女から教団について個人的に何か聞いてはおらぬか?

 サナティオ様の事については? あと【被験体3番】および【被験体15番】という報告も上がっておるが」

 

「いえ……娘とは数か月に一度文通をする程度の交流ですから。まだその件については何も聞いておりませんよ」

「数か月? 凄いね、冷え込んだ母娘関係。それだと娘から嫌われない?」

 

「……嫌われてるのは今更ですよ。あと貴方は喋らないように。話がズレます」

「ふーん」

 

 喋るなと言われたインセットが拗ねるように果実水に口を付けた。ストローからぶくぶくと空気を送り込んで遊んでいる様子はまさにクソガキ。

 ガリレオは「もう突っ込まんぞ」と目を逸らして、ディアナと交流が深かったもう一人の人物に目を向ける。

 

「ホルテル卿は何か知っているかね?」

 

 ホルテル枢機卿。

 彼は司祭時代に勤めていた孤児院で幼少期のディアナと深く関わっていた。ディアナを聖職者の道へ導いた恩師でもあるとも聞いている。

 

「いえいえ。私も随分前にアルマロス王国から出ましたし、彼女とは縁が薄くなった身。エクリプス枢機卿と同様に稀な文通程度ですね」

「……はぁ~。何もわからんか。もう儂自ら南都アルマージュへ出向きたいくらいだの」

 

 何も得られぬ情報に、ガリレオは困った困ったと腕を組んだ。

 

 この世界では一般的に馬車が主要交通であり情報流通が遅い。高位魔法を用いた転移技法もあるが、それを使える人間は限られる。

 南都で転移を可能とする人員は僅か数人。魔力回復と転移距離を考えれば、聖都まで届いている生の情報は少なすぎるのが現状だ。

 

 聖教会の情報部を動員する手も候補として挙げられたが、それは早計に過ぎる。

 【第一蒼天】の降臨されし南都アルマージュは今現在、世界で一番安全な場所となった。かの神の為す事にも疑いはなく、南都は南都に任せておけば間違い無い。

 それなのに「早く情報が欲しい」と悪戯に戦力比を動かせば、他にしわ寄せが生まれてしまう。

 

 情報の空白地は急所となり得る要所と化す。神出鬼没な教団との戦線はこの世界全土だ。攻めるは容易く、守るは渋難。

 黒燐教団を軽視できないからこそ、聖教会は迂闊に動けない状況にあった。

 

(どうするか……判断を下せるだけの情報が少なすぎる。これならいっそ、事件がただのエクリプス卿による娘の功績作りで有ればどれだけ良かったか)

 

 エクリプス枢機卿はディアナと義理とはいえ母娘関係だから何か情報を掴んでいても不思議ではない。しかし彼女は終始ニコニコと穏やかな笑顔を浮かべるばかりで要領を得ない。

 ホルテル卿もディアナとは関りが薄くなっていて情報を期待できない。インセットとシュラハトはそもそも関りが無い。

 

 ガリレオは机を指で叩き、悩んだ末に結論を出した。

 

「やはり、南都アルマージュに誰かが直接出向いて調べるしかあるまい。サナティオ様のご意志も確認せねばならぬ。歓待も必要だ。場合によっては教皇猊下が出向く必要もあろう。順当に考えれば、まず王国担当のエクリプス卿に対応を任せ――」

 

 決断を下す直前。

 言葉を遮るように、ホルテル枢機卿が口を挟んだ。

 

「いえ、【聖女】様と近しいエクリプス卿が歓迎に出向いては客観性が疑われましょう。この一大事、可能な限り隙は作らぬように、まずは別の者に任せる方が良いかと」

 

「ホルテル卿。それは私が自分に有利となるように、恣意的な対応をするということですか? 私が聖教を……いえ、我が神に背くと言いたいのですか!?」

 

 責める声にホルテルは首を振って応える。

 

「そうは言っていません。ですが疑って足を引っ張る者が出る可能性も有りましょう。残念ですが今の聖教内部には、金と権力に固執する背信者がいるのもまた事実。彼等は裏で悪事に手を染め、隠れ潜んでいる。貴方も知っているでしょう? エクリプス枢機卿」

 

「……虚偽、隠蔽、誤魔化しどれも悪事です。聖職者は常に神に背を向けぬように生きている。故に私達は神のために動くのです。そこに貴方が心配するような事は何もありません」

 

「そうであれば良いのでしょうがね」

 

 エクリプス枢機卿は非常に清廉な人物であるとガリレオは思っている。

 その心意気はこの場の誰もが認めるところだし、いまの言葉だって聖職者として正しすぎるもの。だが、それだけで回るほど(まつりごと)は優しくない。

 

 シュラハトが誰に聞かせる訳でもなく、独り言をつぶやいた。

 

「救世派のトップは大変そうだな。部下たちが純真すぎて、仲間を疑う事すら許されんか」

「でも調和派よりいいんじゃない? ホルテルの方なんて部下が真っ黒すぎるよ。なんでまだ聖職者やってられるのかって話」

 

 賄賂だ、祈祷料だ、挙句の果てには免罪符。そんな話題が出るのはいつだって調和派から。聖教会を金儲けの組織とでも思っているのか欲に目がくらんだ人間が増えすぎてしまった。

 俗物共を暴走しないように「調和派」として纏め上げてくれているのがホルテル卿なのだが、最近は心労の所為か彼まで口が悪くなってしまった。今の様に疑心暗鬼に近い状態は見ていて可哀想になってくる。

 

 どうしたものかとガリレオも苦慮していると扉が強めにノックされた。

 入室許可を出すと、護衛神官が申し訳なさそうな顔でやってくる。ガリレオは嫌な予感を覚えた。

 

「何かね。今は会議中だ」

「はい。申し訳ありません、しかし聖女様より緊急のお話と」

 

「……どちらだね。どちらの聖女が話があると?」

「その、聖女ラクシュミの方です」

 

「…………そうか」

 

 聖女ラクシュミ。枢機卿団と共に教皇を支える「聖女」の役職に就いた若き女性。

 聖魔法の技術は十分、家柄だって悪くない。性格が少しばかり困ったものであるものの、性悪と言える程ではない。だがなによりも魔力量が最高峰。

 

 まだまだ立場に対する熟慮が足りないが、それは後からついてくる。15歳まで成長を続ける魔力量を鑑みれば、彼女は稀有な人材であり将来に期待大。

 自分の能力に自覚と責任を持ってもらうため、早目に「聖女」に就いて貰ったのだが……。

 

 新たに登場した【聖女】が気になるのだろう。それも自分と違って第一蒼天から直々に祝福された、役職ではない本当の聖女。

 ラクシュミは自分の今後が不安なのだ。その気持ちは分かる。緊急事態が落ち着けば、聖女交代論が湧きあがるのも容易に想像がつく。

 

 だけど、今はこれ以上問題を持ってこないでくれ。

 

 ガリレオは痛くなってきた胃を抑えながら、机へと突っ伏した。

 会議は踊るばかりでまだまだ決まりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 淀んだ黒き海。光も射さぬ異空間に浮かぶ月宮殿の中で【慈善】は困ったように腕を組んでいた。ジッと誰も座らぬ水晶の玉座を見つめていたが、待ち望んだ人物が現れた事に気付いて振り返る。

 

「来たかい【純潔】。すまないね忙しい所」

「ええ、ええ。全くですよ。アナタもしかして私を便利屋か何かだと思っていらっしゃる? 困りますねぇ、丁度熱中していたところだったのに」

 

「便利屋だとは思ってないけど、君は大切な同士だと思っているよ。心から【夜の神】を信奉する数少ない同士だ。ちなみに、何の研究に熱中していたか聞いてもいいかい? お詫びと言う訳では無いが、手伝えることは協力しよう」

 

 【純潔】が熱中する内容は多い。歴史解読、呪詛研究、薬学探求、疫病解析。そのどれもが他の追随を許さぬ程に造詣が深い。

 しかし彼は自分の研究を自分だけのものと考える偏屈染みた研究者肌も持ち合わせているため、無料ではその恩恵を教団に享受させてくれない。

 交換条件。あるいは技術交流という過程を経て、ようやく彼は手の内を明かすのだ。

 

 【慈善】は興味半分、打算半分で熱中している内容を尋ねてみた。これで明かしてくれれば幸運だが、さほど期待はしていなかった。

 

「ほぉ、聞いてしまいますか。この【純潔】の奉公を尋ねてしまいますか! いいでしょう、私も少しばかり誰かと語り合いたかった所だったのですよ!!」

 

「う、うん」

 

 そしたら純潔がすごい勢いで寄ってきた。興奮気味に語り出すさまは、いっそ気持ち悪い。

 いや、そういえば最近の純潔は気持ち悪かったっけ。なんか愛がどうとか叫んでいる姿をよく見たと事を思い出す。

 

「いま神饌(しんせん)として奉る彫像をつくっておりまして……原型は殆ど完成したのですが、どうにも威光が足りない。何か助言を頂ければ嬉しいのですが」

 

「彫像かい? ……え、彫像」

 

 なんで彫像?

 疑問を抱いていると、純潔がどこから巨大な物体を取り出した。ズドンと地面に置いて「ご覧あれ」と促してくる。その姿を見て慈善は目を瞬かせる。

 

「サナティオじゃん」

 

 何かと思えば、魔法も呪詛もなにも掛かっていない、ただの等身大の粘土人形だった。

 モデルは天使と聖女、あと何故か顔の無い女性形の人型。聖女が顔無しの女性を抱きしめて、天使が優しく見守る構図になっている。

 

「なんだこれ」

 

 なんだこれ。

 慈善は全く理解できなかった。

 

 【純潔】が突然彫像を作り始めたたのがまず意味不明だし、なんか妙に神々しいのが嫌だ。お前黒燐教団の評議員のはずだろ。なんで天使を信奉し始めた?

 指摘すると純潔に鼻で笑われた。

 

「分かっていない。貴方は分かっていない。まだその段階にいるのですか【慈善】。いいですか? 闇とは光あってのもの。光は闇あってのもの。どちらか一方だけなど存在し得ないのですよ」

 

「光闇二元論の提唱かい? まあ……いいけど。それより、どうしてこの子には顔が無いんだい?」

 

「そこなのですッ!」

 

 聖女らしき存在に抱き留められている女性。

 表情の無い頭部を指さして聞いてみると、何故か純潔が嘆き始めた。号哭するような泣き様に慈善が驚いてビクリと体を震わせる。

 

「そこが、どうしても駄目なのです!! 私では彼女の神性を表現しきれないッ! どうすればいいですか慈善! どうか助言を頂きたい! ああ、神よ! 愚かな信徒である私に救いを頂きたい!」

 

 知らねぇよ……。

 地べたにうずくまって神へと懺悔する仮面を見下ろしながら、慈善は突っ込みたくなった。仕方ないなと適当に言葉を送ってみる。

 

「ほら、偶像崇拝って良くないって言うでしょ。ならこれでいいんじゃない? 顔無しだって一つの正解なんだ」

「……偶像崇拝が良くない、ですか? はて、そのような宗派が有りましたか?」

 

「無かったかな?」

 

「ありませんよ。まあ【夜の神】の存在をほのめかす物は"大崩壊"と、その後の宗教改革ですべて破壊されましたが……それは聖教の規律。私ら教団には関係ないですね」

 

「ああ、そうだった。まあそれはそれとして、そろそろ君を呼んだ本題に入っていいかい?」

「助言はくれないのですね……私は悲しいです」

 

 うるせぇよ。

 天使を崇める彫像に助言とか出来るはずがない。慈善は光闇二元論を否定する程では無いが、賛同は出来なかった。

 顔の無い女性がスーツ姿である事には多分に引っかかりを覚えたが、突っ込むとまた話が脱線する可能性が高い。純潔に彫像を片付けさせて話を戻す。

 

「被験体番号3番……および15番。僕はいま、彼女達の正体を探っている」

 

 ぴたりと純潔の動きが止まった。

 彫像を仕舞おうと動かしていた手を止めて、嘗める様に慈善の体に目を向けた。

 先ほどまでのふざけているような気配はない。そこには確かに、慈善の知っている評議員としての【純潔】が戻ってきていた。

 

「これは評議員全員に聞いている。嘘は許さない。君は彼女らの正体について何を知っている?」

「……それなら私が知りたい位ですね。彼女等を生み出した人物は誰なのか。どうやって、何を対価に神を降ろした? 興味は尽きませんね」

 

「製作者は君では無いのかい? 一番可能性があると期待していたんだけどね」

 

「違いますよ。製作者なら【勤勉】の奴が何かを知っていたようです。製作者ではないでしょうが、その護衛でもしていたのでしょう。イナル村襲撃と合わせて、15の奪還に動いていたようです」

 

 先日から行方不明となった幹部の名。

 イナル村に派遣する人選を間違ったと慈善は、自分の失策を悟った。

 

「……では、製作者は教団にいる。そう考えていいのかな?」

「それはどうでしょう。彼は死ぬ前に、闇に冒された【聖具ミトラス】を聖女に返すと言っていました。もしかしたら、聖教内部に何か繋がりが有ったのかも知れませんねぇ」

 

「ミトラス? ホルテル枢機卿の聖具か。裏でディアナ司祭に貸し与えていたようだが……分からないね。じゃあ怪しいのは聖女ラクシュミ周辺かな?」

 

「さてさて、それはどうでしょう。ですが製作者はそんなにも重要ですか? 私は神を宿せし被験体の方が重要と思いますが。彼女達こそ我等が教祖……いや神その者であると考えますがね」

 

「それもそうだ。優先すべきは囚われた15番の保護か。じゃあ申し訳ないんだけど、純潔にも幾つか協力してもらいたい事が有るから頼むよ。今回の事は教団が一丸となって当たるべき事変だ。なに、対価は用意したから安心して欲しい」

 

「内容次第では協力しましょう」

 

 節制、忍耐、感謝、謙虚。そして純潔。

 失踪した勤勉を除く評議員全員の同意を取り付け、ついに教団は動き出す。

 

 第一蒼天が降臨した事実は、個の集団でしかなった教団を一つの生き物へと変貌させた。光を祓い闇を求める小さな狂人。50年前の黒燐教団をついに取り戻したと慈善は、包帯の下で顔を歪めて嗤う。

 

 神の望みを叶えるのだ。自分に救いをくれた夜の神へ向けて、全霊を籠めて祈りを捧げる。

 

「ああ……最後に一つ。君は【日ノ本会】って集まりを知っているかな?」

 

 常々、出自の怪しかった純潔の核心を突く。

 名前だけ聞けば太陽信仰を主とする聖教会派の一つと思うだろう。だが、その実態は全く違う。純潔が慈善の思う者であるならばこの単語に反応しないはずがない。

 

 純潔は、意味深に小首をかしげると笑って見せた。

 





皆でヨルンを守り隊
――参加者名簿

 ディアナ
 純潔
 サナティオ← New
 聖教会← New
 黒燐教団← New

※ただし"守る"の基準は別とする

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