姿見の前でぴょんと跳ねてみる。
うむ小さい。俺ちいさい。
つま先立ちしてみても、鏡の中の俺の身長はあまり変わらない。
「……むぅ。もう伸びない?」
この世界に来てから、早数か月。俺の身長が変わった感じがしない。ちょっと上の方まで手が届くようになったとか、視界が広がったとかまるでない。
俺の体は、元の世界でいう小学校高学年から中学生ぐらいの小柄な体格の少女で固定されている。
体の生まれが特殊な所為だろう。この体、排泄とかしないし、怪我はいつの間にか消える。普通の人間では無いことは確かで、成長どころか「老化」があるのかすら怪しいものだった。
「……また差が広がる」
それでも身長が伸びないのはちょっと悔しかった。
考える事は聖女さんの事。
実はこの間、少し盗み聞きをしてしまったのだ。廊下で赤髪の神官とお話をしている聖女さんの会話を思い出す。
『はぁ!? アンタ、また大きくなったって!?』
『はい……実は、半年前より、ほんのちょっと……』
『はあ~、そりゃ凄いわ。羨ましい限りね。私もその無駄にデカいもの分けなさいよ。3cmでいいわよ』
『む!? む、無駄にデカいとか言わないでください! それにマーシャだって平均より大きいでしょう?』
『残念! 私は平均ギリギリ下だったわ……成長期も終わっちゃったし、もう私がアンタを超えるのは望み薄って訳』
そう言って聖女さんの頭をポンポン叩く、ほんのわずかに小柄な体格をした赤髪神官さん。
この会話から分かることは、聖女さんの「身長」がデカくなったという事だ。
まあ彼女19歳だからね。まだまだ成長だってするだろう。俺との身長差が広がったことになる。
「ん? なに。何で私の胸を指さす?」
なんか銀鉤が俺の薄い胸部装甲を指し示してきた件について。
「まさか、聖女さんの会話が、胸の大きさの事を言ってたと思ってる?」
「――。」
「ふっ……銀鉤は聖女さんへの理解が足りない」
彼女が白昼堂々、聖堂の廊下でそんな下品な会話をすると思うたか。失礼極まりない銀鉤を鼻で笑ってやる。彼はショックを受けたのか、意気消沈して俺の影に沈んでいった。
……ところで、なんで銀鉤は大聖堂の結界中で平然としてられるの? ヤトは頑張って結界耐久チャレンジに挑戦しては消し飛ばされているのに。
銀鉤の耐性かなにか? それとも魔法技術?
あ、技術らしい。なんでも大聖堂の破邪結界に干渉して、自分だけ例外的存在に設定しているとか。へぇ~。
「それ、ヤト達の分もやってあげないの?」
「……」
俺の影から上半身を出した夜人姿の銀鉤。彼は黙秘した後、再びゆっくりと影の中に沈んで行った。
ははぁん。できるな。コイツ。
結界を書き換えてヤト達も聖堂内で生存できる状態に出来るな。でもそれすると俺の専属護衛代理じゃなくなるからイヤだって事だな。
そういうとこやぞ。
佳宵とヤトからボコられるのは、お前のそういうとこが原因なんやぞ。なんだったら俺の事も例外設定してくれればよかったじゃねぇか。
「そうすれば、私もへんなの付けられずに済んだ……」
鏡の前で服を巻くって小さなお腹を出してみる。
うむ。下腹部に魔法陣が描かれてる。通称「淫紋」ってやつだ。
形はハートみたいな変な物ではなく、普通の円形だけど、もう場所が駄目だよね。股間直上とか、どこからどう見ても淫紋だよね。
感度が数百倍になっちゃう~的な? ……フクロウぶち殺すぞ。俺の大事な体に変なもの刻むんじゃない。
「はぁ……」
まあ、なんだ。魔法陣の効果は悪くない。
あれからお腹痛いの消えたし、痒みだって一過性のモノだった。
聖女さんとした恥ずかしいやり取りも、なんかいけない気分になってしまい、ちょっと楽しかったのは事実。いや違うけど。彼女を穢す訳にはいかないから、イケナイ事をするつもりは無い。そうじゃないのだ。俺が言いたいのはそう言う事ではなく。
―― ……。
違う。【夜の神】も信じて欲しい。
俺の精神は極めて正常で、女性同士でそういう事をしたいとは思わない。……いやまて俺は男だ。何を言っているんだ。そうじゃないのだ。
―― ……。
ああ、駄目だ。
夜の神から不機嫌な気配を感じる。なんだ、何が原因だ?
お前だって聖女さん好きじゃん? じゃあ、いいじゃん。……ダメ? ダメなんで? 分からない。分からない時は――
「話を打ち切るっ!」
無言の威圧は良くないと思います!
とりあえず元凶フクロウを殺す。以上!
逃げる様に鏡の前から立ち去って、部屋の扉を開け放つ。フクロウの馬鹿者はどこだぁ!!?
ガチャリと軽い扉を開けばそこには2人の衛兵が立っていた。
「……」
「……」
中位天使だったか。
金色の鎖を全身に巻きつけ、目を布で覆った天使と向き合った。これ、俺の護衛ね。
顔布のせいで視線は合っていないはずなのに凄い見られている気分。それにこの天使はスッゴイ無言だから、なんか責められてる気分になってしまう。
たぶん「なに部屋から勝手に出てんだお前」って言ってる感じ。いや……想像だけど。
「……」
「……」
一歩前へ。後ろから付いてくる。振り返れば黙って見つめられる。
はい。ごめんなさい。
無言の天使が怖くなって、ゆっくりと部屋に戻っていく俺。パタンと扉が締まる音が小さく部屋に溶けて消えた。
……なんだこれ? 監禁?
もしかして俺いま監禁されてる?
▼
「それで、アンタは何時まであの子を部屋に閉じ込めておくつもり?」
「……」
「ねえ。こんな状況が子供の教育にいいと、大司教様は本当に思ってるわけ?」
「……思いません」
司教室のソファーを楽しみながらマーシャ――本名はマーシア・ロートティスマン――は、無遠慮に問いかけた。
親友の言葉はいつも私の弱い所を突いてくる。その鋭さは2人の間に立ちはだかる「位階」を完全に無視したもので、彼女なりのアピールでもある。
たかが一司祭が大司教相手を責め立てる。
人に聞かれれば、不敬罪と言われてもしかたない事を彼女は気にしない。私にはそれが嬉しくて、つい笑いを漏らしてしまった。
「どこに面白い要素あったのよ。……いい!? あの年頃の子供なんてグレやすいんだから! 閉じ込めておけば絶対に反発するわ! 反抗期ってやつよ!」
「マーシャみたいに?」
「わ、私は反抗期じゃないわよ!!」
怒ったように飛び上がり、私の机へずかずかとやってきた。
バンッと机を一発。マーシャが吼える。
「私は反抗期じゃないわよ!!」
どうやら、大事なことだったらしい。
「そうですね。マーシャはいい子ですもんね」
「そ、そう言われるのも困るのよ! こら頭を撫でるな!」
怒ってみたり、照れてみたり。
頭を撫でたら振り払われたので、手を痛がってみれば、彼女は慌てて心配してくれた。うんうん。実に弄りがいがある友人で私は楽しい。
久しぶりのやり取りに懐かしさを感じる。私達が聖学校を卒業して早1年。時間の流れは早いものだ。ヨルちゃんと出会ってからは特に。
「……それで、本当にどうするの?」
からかわれた事に気付いたマーシャはブスっとした表情で聞いてくる。
ヨルちゃんの扱いか……。そこが今一番の懸念事項だ。
聖教会の上層部には、私の知る全てを報告した。ヨルンが護るべき対象であり、天使サナティオからの支持も得た事を伝えた。これで彼女の安全は少し増すはずだ。
しかし、敵は神出鬼没の黒燐教団。叙任式の時を考えれば、奴等は誰にも気付かれず私達の胸元に忍び込む。今だってどこに潜んでいるのか分かったものじゃない。
ヨルちゃんの安全は本当に確保できたのか? それが心配になって、どうしても手元に置いてしまう。
「あの年頃は、色んな物に興味が沸くものよ。ましてや世界を知らぬ『箱入り娘』でしょう? いつ爆発したっておかしくはないわ」
「マーシャみたいに?」
「……」
「マーシャみたいに?」
「……ああ、そうよ!! 私だって屋敷に閉じ籠もってないで遊びたいし、屋台の物だって食べたいわ! なんならエッチな事も大好きよ! 抑圧されれば余計に知りたくなる! だって女の子だもの!」
からかわれた事に開き直って対抗するマーシャ。でもその顔はちょっとだけ赤くなっていた。恥ずかしいなら言わなければいいのに。
わざとらしいニマニマとした表情でマーシャを見つめる。数秒ほど黙っていたらマーシャが吼えた。
「あぁもう! 何か言いなさいよ! これじゃあ私がエッチで変態みたいじゃない!」
「いいじゃないですか。私はそっち方向の知識を貴方から教えて貰ったんだし。貴方は十分エッチですよ」
「それはアンタが無垢過ぎて、心配だから教えてやったんじゃない!」
でも、そのおかげで私は赤っ恥だ。
かつて【純潔】との取引で「体を寄越せ」と言われて、悲壮な覚悟で身を差し出したら、ただ血液を取られるだけと誰が思うのか。
貴方の知識では、「体が欲しい」とは性交渉の言葉では無かったのか。彼の言葉で変な妄想をしてしまった私の事を考えてほしい。
しかもその後、勘違いに気づいて悶える私を見たヨルちゃんから「何かあった?」と無垢な顔で尋ねられた私の焦り。返答に窮して、私が如何に穢れた存在か気付かされたあの惨劇。
思い出しても布団に潜り込みたくなる羞恥心を貴方にだって味わってほしい。
「ね……友達だものね、私達」
「な、なによ……。なんでそんな辛そうな顔をしてるのよディアナ」
「ふふふ……」
「こ、怖いわね。大丈夫? 目が死んでない?」
幸いだったのは、ヨルちゃんも【純潔】も、私の勘違いに気付かなかった事か。もし慰められたり、馬鹿にされていたなら私はヨルちゃんの記憶を消して、【純潔】を殺さなければいけなかった。
ああ、そうだ。今の【純潔】とは一応、協力関係と呼べる状態になっている。
ヨルちゃんの安全が確保されるまで、彼は私達に敵対しないと言っていた。それどころか協力する意志を示された。
信用は……できるだろう。彼が居なければ、教団施設からヨルちゃんの救出は出来なかった。勤勉から逃げる事も不可能だった。
彼は彼なりの信念で動いている。それはヨルちゃんを信奉することであり、守る事。ならば一時的でも共同戦線は張れるはず。
目的のためとはいえ、犯罪者であり、人殺しである【純潔】と手を組む事は本来許されない。しかし、教団内の情報も手に入る実利を考えれば悪い事ではない。ただし、己の正義に目を瞑ることができるなら。
清濁併せ呑むような事が出来るようになってしまった自分に失望する。それでも、私は彼女を守りたい。
「……結果、ヨルちゃんを閉じ込めているような状態になっているのは申し訳ないですが」
天使が警戒し、サナティオ様が守護する大聖堂は今、世界で一番安全な場所となっている。
何度も聖堂から出ていきたいと言っていた体調不良のヨルちゃんに、無理を言って留まって貰ったのは申し訳ない。付きっ切りで看病できなかった事は謝っても謝り切れない。
貴方を守るためなんだ。
そう言うのは簡単だが、考えると南都に来てからヨルちゃんには無理を押し付け、私は我儘を言いっぱなしだった。マーシャが怒るのも当然の事。
「そう、ですね。少しヨルちゃんと話してきますね。あの子が今望んでいる事は何なのか、これからどうしたいか。聞いてきます」
「ええ、それがいいわ。喧嘩は些細な事で起きるものよ。ちなみに今、私は彼氏と喧嘩中ってね。この前なんかウンコみたいな料理だされたから、もう大喧嘩。なによアレ見た事ない」
「ふふ、下品ですよ、マーシャ」
明るい笑顔のマーシャにつられて私も笑う。
彼女の指摘で気付かさせてくれた。いつからか私がヨルちゃんの背景ばかりに気を取られて、彼女自身を見れていなかったこと。
早く彼女に会いたい。会って、話をしたい。そう思った。
だけど少しだけ遅かった。
『ちょっとフェレ君探しに行ってくる』
練習中のつたない字で残された書き置き。
私がヨルちゃんの部屋に辿り着いた時。彼女はたった一枚の紙を残して、誰の目に触れることなく姿を消していた。
ヨルン「まあ、ちょっとぐらい良いでしょ。天使嫌いだし」 ← 考えが緩い馬鹿
銀鉤「……」 ← 利己的過ぎる馬鹿
ヤト「」 ← 馬鹿