コミュ障TS転生少女の千夜物語   作:テチス

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ヨルンの家出

『ちょっとフェレ君探しに行ってくる』

 

 アルマージュ大聖堂の一室。ヨルンに貸し与えられた部屋で書き置きを読んだディアナは呆然と立ち竦んだ。

 崩れていて読みにくい文体は努力の跡が見て取れる。幾度となく共に勉強したからこそ、ヨルンの筆跡に違いない事がすぐに分かった。

 しかし内容まで理解が及ばない。消えたヨルンを探すようにディアナは室内を見回した。

 

 ヨルンの部屋はスッキリとした素朴な造りとなっている。

 彼女は私物を殆ど持たない。部屋にあるものと言えばベッドや机、そしてディアナが持っていたヌイグルミと勉強道具ぐらいのもの。

 それも綺麗に整理されており、荒らされた様子はない。誰かが侵入した形跡も見つからない。つまり無言での脱走はヨルンの意志となる。

 

「ヨルちゃん!?」

 

 ようやく事態に理解が及んだディアナは跳ねる様に窓際に飛びついた。

 

 窓から見える範囲にヨルンの姿は無い。

 鍵は内側から施錠されており、ここから抜けだした可能性は低い。しかし部屋の入口には【目睹する盲目天使(アナーリング・アイズ)】――金色の鎖を全身に巻き付け、顔布を纏った中位天使の一種――が警護に当たっており、ヨルンが外出したとは聞いていない。

 

 一体どこから、どうやって? ……いや、それはさして重要な事じゃない。

 ヨルンが一人で聖堂を抜け出した。それが最重要。

 

「うそ……」

 

 目の前が真っ暗になるような錯覚、心が抜け落ちてディアナは床にへたり込んだ。

 南都はまだまだ危険が一杯だ。何処に誰が潜んでいるか分からず、治安も回復途中。決して一人で外出なんてさせられない。

 

 遊びに行くにしても、どうして相談一つしてくれなかったのか。なにかがヨルンの気に障ったのか。

 手紙だけ残して出て行くなんて、これでは、まるで――。

 

「いいえ、大丈夫。大丈夫だから……。ヨルちゃんは単に遊びに出かけただけで……フェレ君を探しに行っただけで……」

 

 ――本当に?

 安心したい自分に、悲観的な自分が問いかける。

 

 書置きを残して出かけるなんて行動がこれまでに有ったか? ディアナの目から隠れるように抜け出す必要が有ったのか?

 考える。南都に来てから彼女を傷つける事は無かったか。

 考える。不満を抱かせることが何も無かったと言えるのか。

 

『アンタは何時まであの子を部屋に閉じ込めておくつもり?』

『あの年頃は色んな物に興味が沸くものよ。いつ爆発したっておかしくはないわ』

 

 ……有った。

 マーシャの言葉が反芻される。一度そうと思えばディアナはもう、それとしか思えなかった。

 

「なんで……ヨルちゃん。どうして『家出』なんか……」

 

 ――分かってる。全ては自分の傲慢だ。

 

 ヨルンが精神的にも肉体的にも子供なのは知っていたのに、仕事にかまけて大事なものを見失っていた。

 「2個目はまた次に買おうね」と約束したお菓子屋さんには行けていない。楽しみにしていた南都観光は何も出来ていない。

 

 ディアナの懇願でヨルンは天敵たる天使に囲まれながら部屋に籠ってきた。

 しかし気を許せるディアナは構ってくれない。遊び相手だったフェレットはもういない。仲の良かった友達も、お菓子をくれる兵士達も、ここには誰も居ない。

 

 無い無い尽くしのつまらぬ軟禁生活。

 教団で生まれ、悪意に育まれた彼女は我慢が得意だったけれど、それに頼りきった結果がこの始末。教団という枷を壊そうとしたディアナが、いつしか彼女の新しい枷になっていた。

 ヨルンが紙切れを通してディアナに否を突き付けた、これこそ彼女の意思表示。

 

 ――なんて。

 そんな事を真剣に考えたディアナは、震える手で紙を抱きしめると涙を浮かべた。

 

「ごめん……ごめんね、ヨルちゃん」

 

 ヨルンはどれほど怒っているだろう? 危ない目に遭っていないだろうか? 後悔と心配が渦巻き、ディアナの心を責め立てる。

 

 【純潔】や【勤勉】の時とは事情が違う。今回の家出は彼女の意志によるものだ。

 

 本当に連れ戻すのが正解なのか? 

 ……それは間違ってないはずだ。彼女を狙っている者だっているのだから、このまま一人で南都を彷徨わせるわけにはいかない。

 あまりお金を持ってないはずだし、数日すれば寝る場所にだって困るはず。ヨルンを探さない理由は何も無い。

 

 でも連れ戻して、その後は?

 またこの部屋に閉じ込めるのか。それでは彼女の意志を捻じ曲げ続けた黒燐教団と変わらない。

 ディアナは考えを纏めきれず、頭を抱えて壁にもたれ掛った。

 

「……!?」

「!!?」

 

 何時まで経っても部屋から出てこないディアナの様子を気にして、やってきた中位天使達が護衛対象(ヨルン)の不在に気が付いた。

 ヨルンのベッドに置かれていた紙製の人型――形代――を手に取って、オロオロと慌てている。

 

 あの紙から僅かにヨルンの気配が感じ取れた。

 なるほど、それで【目睹する盲目天使(アナーリング・アイズ)】の監視をすり抜けたという事か。……だから何だというのだ。

 ヨルンに嫌われたかもしれないという最悪を想像して塞ぎ込みたくなる。

 

「ディアナ、どう? ヨルンといい感じで話はできた……って、何してんのアンタ?」

 

 頭上から軽快な声が聞こえた。

 顔を上げると、真紅の髪と丁寧に手入れされた司祭服が目に映る。

 

「ぁ……マーシャ」

 

 どうやら彼女はディアナを心配して様子を見に来てくれたようだ。しかし床にへたり込んでいる友人の姿を見つけて訝し気な表情を浮かべている。

 ディアナは震える手で置手紙を差し出した。

 

「なによこれ」

「ヨルちゃん、家出しちゃった……」

「はぁ?」

 

 マーシャは訳が分からないと言いたげな目で手紙を受け取ると、鼻で笑った。

 

「家出って馬鹿じゃない? ただの遊びでしょ。まあ一人で外に行ったのは、確かに危ないけどさ――」

「違う! それは違います! マーシャは何もわかってない!」

「はぁ!?」

 

「ヨルちゃんは幼いけど頭がいいんです! 文字を覚えるのも早いし、社会常識にだって柔軟に対応できる! だから、こんな心配を掛けるような事はしないんです!」

 

「そうなの……? 子供が覚えたての文字を使いたかったとか、アンタに自慢したかったとかじゃないの?」

 

「でもヨルちゃんは何をするにしても『聖女さん、聖女さん』って、雛みたいに私の後ろを付いて回ってたんですよ!? 遊びに行くにしてもいつも一言声をかけてくれてました!」

 

 村での様子を思い出しつつ、ディアナは思いのたけをぶつける。

 

「お菓子を貰ったら、名残惜しそうにしながら分けてくれました! 最初は恥ずかしがってた添い寝やお風呂だって、今では素直にしてくれます! そんな可愛いヨルちゃんが、こんな――!」

 

「ちょっと待って、お風呂ってなに。今それ関係ある?」

 

「…………無いかもしれない」

「でしょうね。というかアンタ、ヨルンと一緒に入ってるんだ。ふーん?」

 

 どうやら混乱していたようだ。

 誰にも言えない秘密を教えてしまった羞恥でディアナの顔が真っ赤になっていく。なんとか話題を戻そうと、少しどもりながら声を荒らげた。

 

「で、でもでも! ほら書き置きですよ!? マーシャだって、それ残して家出したんでしょ!?」

「私?」

 

 マーシャ事「マーシア・ロートティスマン」。

 名前にファミリーネームがついている事から分かるように、彼女は良家の出身だ。

 花よ蝶よと育てられ、それが嫌で家を出た。その際にヨルンのように書き置きを残してきた事を、ディアナは本人から武勇伝のように聞いていた。

 

「マーシャが残してきた内容を言ってみてくださいよ! ヨルちゃんのとそう変わんないでしょ!?」

「そうねぇ……私の場合はたしか『ちょっと遊びに行ってくる』だったかしら?」

「ほらぁ! なんですか『ちょっと』って! ちょっとで何年遊ぶつもりですか! 一体いつ家に帰るんですかぁ!」

 

 このままではヨルンも家に帰ってこないかもしれない。

 いや、それどころかマーシャの様にエッチでいけない事に傾倒した、遊び人になってしまうかもしれない。そう思うとディアナは無性に悲しくなってきた。

 

「あぁ! ヨルちゃんがマーシャみたいになったらどうしよう!!」

「……どういう意味?」

 

「うわあぁ、そんなの取り返しがつかないよぉ!」

「だからどういう意味よッ!! ……ああもう、話が進まない! ほら行くわよ!」

 

「行くってどこに――うわっ! ちょっと、止めてください! せめて立たせてください! 引きずらないで!」

「そりゃ逃げたと思うなら、急いで探しなさいよ! 早く!」

 

 マーシャに首根っこを掴まれて、座ったまま後ろに引きずられる事数分。

 廊下を抜けて辿り着いた部屋はサナティオが滞在している特別客室だった。マーシャは礼儀を忘れて扉を開け放つと、勢いよく頭を下げた。

 

「失礼します! サナティオ様に緊急でお願いしたい事があって来ました!」

「な、なんだ!?」

 

 部屋の中でサナティオは机に向かっていた。

 色紙と筆を前にして悩んでいたようだが、突然のマーシャ来訪に驚きの声をあげる。

 

「サナティオ様! お絵描きしている場合じゃないですよ!」

「お、お絵描きだと!? ちがっ! これはお前らがどうしてもと言うから書いてたやつで……!」

 

 マーシャに引っ掻き回された事とサナティオの御前という事もあり、なんとか自分を取り戻したディアナは立ち上がる。

 「お絵描き」と言われた色紙を見て、以前お願いしたサナティオの"サイン"だろうと思い至った。

 

 急遽決行される事となった南都拡大計画の工費は莫大だ。いくら世界的宗教でお布施も豊富に集まるエリシア聖教と言えども、簡単に出せる額ではない。

 

 そのために立案されたものが、聖書刷新案とサナティオのサイン抽選案だった。調和派の人間から提案された内容は、神への不敬極まりないものだが、意外にもサナティオは消極的賛成という立場を取った。

 

『人間たちは少しばかり、私達の誇大表現が過ぎる。その割に敵陣営は過小評価だしな。聖書も間違っている部分が多いから一度作り直す方がいいだろう』

 

 そんな考えもあったようで聖書刷新についてサナティオは概ね賛成。

 一方サインについては大反対だったが、3日ほどおだてながら説得したら折れてくれた。というか3日目にはちょっと嬉しそうになっていた。

 

 サナティオ監修の下で刷新された聖書は、直筆サインが抽選で当たるという射幸心も相まって、短期間で信じられない量の予約を受注。南都を複数回作り直すことができる程の売り上げを記録した。

 

 ディアナは不躾なお願いを聞いてくれたサナティオに礼を送る。

 

「ありがとうございます。これがサナティオ様の署名……なん、ですね?」

 

 確認しようとすれば、なんだか光ってよく見えない色紙が沢山あった。他にも、筆圧が弱くて目を凝らさないとサインが見えないものが数枚。

 そして文字がぐちゃぐちゃになっていて、前衛的な絵画にしか見えないモノが複数枚、机の上に乗っている。これを見てお絵描きと言ったのだろう。

 マーシャは一枚の色紙を手に取ると、勢いよく手を挙げた。

 

「猫!」

「サインだッ!」

 

 どうやら、古代神字で「サナティオ・アウローラ」という神名を記すという事自体が神業に匹敵する奇跡らしい。

 ましてや書くのは本人だ。普通に書くだけでサインが聖物となってしまう。なんとか回避しようとした努力がこの猫(仮称)ということか。

 

「え? 猫……」

「……サインだ。私の名前……」

 

 信仰する神の自筆サインを読めなかった神官と、己の名前を動物扱いされた神。

 へこたれて気まずそうにしている二人を横目にディアナは話を切り出した。このままだと誰も特をしない。

 

「じ、実は、ヨルちゃんが居なくなってしまって……」

「ふむ?」

 

 サナティオも真剣な内容と察したようで気を取り直した。簡単な説明を聞き、事態を理解すると一度瞑目。すぐニヤリと挑発的な笑みを浮かべると開眼。言い放った。

 

「家出娘か……ふふん、見つけたぞ。ヨルンならここから北東に約1300m、屋内だな。とりあえず危険は無さそうだ」

「おお!? さっすがサナティオ様! それが千里眼って奴ですか!?」

 

「あぁ、千里眼ではあるが……だから、聖書にあったように未来過去は視れんと言っているだろう。赤髪の、あー……マーシアか。信仰心を持ってくれるのは嬉しいが、そんな便利なものじゃない。ただ遠くを見れるだけだ。太陽の出ている時限定だしな」

 

「おー! 今度は私の思考を読みました!? それが信者と交わせる『精神感応』って奴ですか!?」

「マーシャ、ちょっと……ちょっと」

 

 伝説の天使にして神たるサナティの御業を体験することは、聖職者にとって栄誉この上ないこと。マーシャが興奮気味になるのも分かるが、言葉遣いが不敬に過ぎる。

 サナティオが思いのほかフランクな神だったとはいえ聖職者と奉る神との間に一線は必要だろう。

 ディアナが静まるようにマーシャを制するが、当事者たるサナティオから許可が出る。

 

「構わない」

 

 信じられない言葉を聞いて2人は目を瞬かせた。

 

「正しい心を持ち、好意を寄せてくれる人物を無下にするほど狭量になり下がるつもりはない。時と場合を考えてくれるならば、私は構わない」

 

「おぉ……」

 

 なんと慈悲深い神か。思わず信仰を高めるディアナとマーシャ。

 サナティオはそれを感じ取ると、気恥ずかし気に顔をそむけた。

 

「それより、家出したヨルンの事だろう? そうだな……見やすくするか」

 

 サナティオは立ち上がると軽く手を振った。それだけで机と大量の色紙は消え去り、大きなソファーが現れる。

 

「ゆっくりしていけ。お前たちも気になるだろう」

 

 神から座る様に勧められ、おずおずと腰かける2人。断るのは失礼だし、受け入れるのも不敬。もうどうにでもなれと言う心境だ。

 続いて、3人の目前に巨大な水面が浮かび上がった。

 鏡の様に反射している水面が波打って、異なる映像を映し出す。サナティオの魔法だ。

 

「あ……ヨルちゃん」

「遠見の魔法と思え。これが今現在のヨルンの様子だな」

 

 魔法の窓から見えてきた光景は、ぼんやりと立ち竦むヨルンの姿だった。

 どうやらペットショップに居るらしい。様々な動物の鳴き声が聞こえてくる中、彼女は子犬のケージの前でじっと見つめていた。

 

「あ、あの……これ大丈夫な奴ですか?」

 

 ヨルンの居場所は知りたかったが、いくらなんでも覗きは良くないんじゃないか?

 そう思って目線を逸らしたディアナだが、隣から上がる下馬評のような会話につられて徐々に顔が上がっていく。

 

「むっ、ジッと見ていたから触りたいと思われたか? 店員から子犬を受け取ったな」

「いやー可愛いわ。やっぱり小動物って良いわね、癒されるわぁ」

 

「あ、え……見て大丈夫なんですか? いいんですか? あのー……ぁ……かわいい」

 

 無表情で子犬を持つヨルンの姿はどこか満足そうに見えた。

 ゆっくりと撫でる手つきは子犬を壊さないような怯えが混じりつつも、小さな生命の暖かさを堪能する優しいもの。恐る恐るだった手つきは徐々に遠慮が消えて、ついには子犬を抱きしめる。

 

「なんだ? アイツは犬が好きなのか?」

「あれ? ディアナー、ヨルンのペットってフェレットじゃなかった?」

「……はい、そうなのですが」

 

 犬もあの子と関り深い存在だ。

 もしかしたら、教団施設で亡くした友達「銀鉤」を思い出しているのかもしれない。

 

 そう思っていたら、銀鉤を連想させるような青いリボンを付けた夜人がヨルンに寄り添った。夜人と一緒に犬を見つめたヨルンがぽつり呟く。

 

『銀鉤に、似てるね』

 

「うっ……」

 

 どれほどの哀愁が籠められた一撃か。

 たった一言でディアナの心が軋みを上げた。

 

「……そうか『銀鉤』か。悪趣味な事だ」

 

 ディアナの辛そうな顔にサナティオが反応。腕を組むとソファーに寄りかかった。

 

「サナティオ様?」

「いや、何でもない」

 

 不機嫌そうになったサナティオはそれきり黙り込む。

 理由が気になったディアナであるが、映し出されているヨルンの様子も気になる。彼女は満足したのか犬を優しくケージに戻すと、その場を立ち去った。

 何かを探す様に店を歩き回り、しかし見つからなかったようで店員を呼び止めた。

 

『白いフェレット、知らない?』

『はい。フェレットのコーナーですね。こちらになります』

 

 どうやらフェレットはあまり人気の無い動物らしい。犬や猫と違って、専用の場所は無く、その他小動物コーナーで一括りになっているようだ。

 ヨルンは案内されて、白いフェレットを見つけると立ち止まる。

 

「ペットショップに来たってことは、やっぱり新しいフェレットが欲しいのかしら?」

「それは……思い切りがいいと言うか、切り替えが早いと言うかだな」

 

「……違います。ヨルちゃんは悲しんでます。ほら、見てください眉が下がってしまいました」

 

 失礼な推測を言う2人に、ディアナはちょっとムッとして説明する。

 ヨルンの顔を指さして「ここ、ここですよ」と彼女の表情を解説。だが2人には普段の顔と何ら変わりない無表情に見えたようだ。困ったように首をひねって唸り上げる。

 

「うーむ、これが悲しみの顔か。……マーシア、分かるか?」

「分かんないです!」

 

「どうしてですか。子犬の時はワクワクしてて、フェレットを見て落ち込んだでしょう? たぶんフェレ君が捕獲されたか心配になってお店を見に来たんでしょうね」

 

 ディアナの推測は当たっていたようだ。

 映像の中のヨルンは、売り場に居た白いフェレット達の顔を確認して小さく首を振ると、何も買わずに店を後にした。どうやらこの店にフェレ君は居なかったらしい。

 

「おぉ! 正解とは凄いわねディアナ。じゃあ次の行動は分かる?」

 

「え……つ、次ですか? うーん、フェレ君捜索を続けるか、お昼から時間も経ってますから、そろそろお腹が空く頃だと思います。お金が有るなら甘いもの買うかなぁ」

 

「家出したなら、別の街に行くんじゃないか? 駅馬車を探すだろう」

 

 最初の心配はどこへやら。

 ただの野次馬と化した三人は各々の予想を言い合いながら、ヨルンの行動を監視する。

 

 店を出たヨルンはそのままチョロチョロと路地を動き回っていた。たまに通行人に「白いフェレット、見なかった?」と聞いては空振りして、広い南都を動き回る。

 

 東に行っては路地裏をさ迷い、西に行っては市場を見て回る。途中で警邏の兵士に迷子扱いされて不満そうにしていた。

 

『む……!』

 

 成果が得られぬままの時間ばかりが過ぎていき、いつか見た菓子屋に辿り着いた。

 ヨルンが意図的に来たわけではなさそうだ。

 彼女はお店の存在に気付くと、驚いたように体を振るわせてそのまま硬直。全てのポケットを叩いてお金がない事を知ると、大げさなまでに落ち込んだ。

 

「あ! これは私にも分かったわ! 悲しんでるわね!」

「よ、ヨルちゃん……まさか1シエルも持ってないの!? 最低限お金ぐらい持って家出してよぉ……!」

 

 いざという時の為に、ヨルンには纏まったお金を預けている。一般的な宿屋であれば数日は宿泊できる位あったはず。決して少ない額じゃない。

 でもヨルンにとってお金は縁がない物だったようで、家出する際にもお金の存在を忘れていたようだ。お菓子屋に辿り着いて初めて無一文を認識したらしい。

 

 美味しそうなお菓子を買えず、遠目から眺めるヨルンは酷く哀愁漂って見えた。

 

 そんな調子で、どうやって生きていくつもりなのか。

 過保護に育て過ぎたか、いやこれも閉じ込め過ぎた弊害か。ディアナの自己嫌悪がドンドンと深まっていく。

 

「む、いま影から何か出たな。……5千シエル硬貨だ」

 

 だけど過保護なのは夜人も同様らしい。

 彼等はショックを受けた主を慰める様に、影から軍資金を差し出した。ヨルンが手に取って喜んでいる。

 

「夜人ってお金持ってるの? ディアナがあげた?」

「さあ、どうなんでしょう? 少なくとも私は5千硬貨なんて預けてませんけど」

「……まさか犯罪じゃないだろうな?」

 

 夜人が取り出した金銭は、一体どこから手に入れたものなのか。

 

 まさか窃盗か……?

 三人の間で不穏な空気が流れるが、答えを知る者は夜人以外にいるはずもない。とりあえず見なかった事にして、後でヨルンを通して夜人に注意しておくことで一致した。

 

「それでケーキを山ほど買ったな。まさかあれ全部一人で食べるつもりか?」

「両手でも抱えきれないわよ。店員が困ってるし、ヨルンも困ってるわ。あの子、先見の明が無いのかしら?」

「……ヨルちゃん」

 

 店先のテーブルに次々と積み上げられるケーキの箱。ヨルンは最初こそ、山の様なケーキを嬉しそうに見ていたが、自分で持てない量と気付くと徐々に困惑に変わっていった。

 せっかく買ったケーキを前にどうすることもできない。欲に溺れた者の末路を見た気がした。

 

「……」

 

 無言で顔を覆う三人。

 だけどそこは【夜の神】の器たるもの。ヨルンは閃いたように手を打つと、闇魔法を活用して自分の影にケーキを収納することで万事解決。

 華麗にして無駄すぎる闇の極致を見た気がした。

 

「はぁ!?」

 

 隣から驚きの声があがった。

 

「おい、それは闇魔法だぞ!? 世界の半分を汚染して、絶望を刻んだ狂気の法なんだぞ! 分かってるのかお前! 間違ってもケーキ入れじゃないんだ……っ!」

 

 なんかサナティオがショックを受けている。

 小声で「なんでだ……私が何度も殺されかけた、あの魔法が……」とか、「そんなん有りか……」とか嘆いているがそっとしておく。

 それよりも、そろそろ時間だ。日が落ちる。

 

「ディアナ、そろそろ決心ついた?」

「……」

 

 ここまで黙ってヨルンの様子を見てきたのは、彼女の安全を確保するためであるが、それ以上にディアナの踏ん切りが付かなかったことも有った。

 

 会って何を話そうか。ヨルンにどう謝るべきか。もしかしたら、嫌われてしまったかもしれない。迎えに行ったら、逃げられるかもしれない。

 考えれば考える程、ディアナは足がすくんでヨルンを迎えに行くことが出来なかった。

 

 間違っていたのは自分で、彼女に我慢させ続けたのは私の弱さ。

 

 子犬を抱えて心躍る少女の微笑み。ケーキ前の困難に泣き、乗り越えてみせた彼女のしてやったりという得意顔。その全てがディアナにより抑えつけられていた感情だ。ヨルンに合わせる顔がない。

 

「分かっています……。分かっては、いるんです」

 

 このまま時間が止まればいいのに。

 ヨルンの小さな冒険をハラハラと見守って、可愛らしい仕草に心を癒して。そんな時間が永遠に続いてくれれば、これから訪れる怖い思いをしなくて済むのに。

 

「でも、そんな事はできませんから」

 

 時間を操る事は太陽神エリシアでも終ぞなし得なかったこと。人間でしかないディアナでは、どれだけ間違えて後悔しても前に進むより道はない。

 大きく深呼吸をすると意を決してディアナは立ち上がった。

 

「……行ってきます。行って、ヨルちゃんと話をしてきます。それで、帰ってきてとお願いしてみます」

「そうね。じゃあ私達も悪趣味な覗きはここまで。ディアナ頑張って――ああ! ちょっと待って!」

「うぇ!?」

 

 ヨルンの下へ急いで向かおうとしたディアナに待ったが掛る。というより、また後ろ首を引っ張られて物理的に止められる。

 何事と振り返れば、水面の中のヨルンが大聖堂の入口に戻っている事に気が付いた。

 

「むっ。見ろ、ヨルンの奴が帰って――」

「迎えに行ってきます!!」

 

 サナティオがほっとしたような声で教えてくれたが、ディアナは最後まで聞かずに部屋を飛び出した。

 

 長い階段を一足飛びに駆け下りて走る。走る。早くヨルンに会いたいと、無我夢中で風を切る。

 ヨルンが帰ってきてくれた。そう思うと、これまでの逡巡なんか幻のように消え去った。後悔なんかよりも嬉しさが勝る。

 

 警護の天使と衝突しそうになった。頭を下げる時間すら惜しいと走りながら謝罪を飛ばす。

 誰かの呼び止める声がした。今は仕事なんかに関わりたくないと、親し気な顔で道をふさぐ司祭を押しのけた。

 

 そして辿り着いた。

 夕日差し込む聖堂でヨルンと鉢合わせる。

 

「あ、聖女さん」

 

 彼女は自然体だった。

 いつのも口調。いつもの雰囲気。むしろ、ちょっと嬉しそう。

 

 ……あれ? 何かがおかしい?

 

 ディアナが不思議に思っている内に、ヨルンは小さな荷物――買ったばかりのケーキ――を差し出すとこう言った。

 

「今日も仕事おつかれさま。お土産買ってきたから、一緒に食べよう?」

 




ヨルン「ケーキおいしいね」 ←この後、怒られる予定
ディアナ「あぅぅう……美味しいよぉ……」←勘違いの羞恥心も堪能中


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