コミュ障TS転生少女の千夜物語   作:テチス

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それぞれの思惑

 夜の化身というのは、やはりすごい存在なのだろう。

 

 月明りも無い曇天の夜。

 ヤトに背負われながら村へ駆ける道中、俺の視界は非常に良好だった。

 木陰で休んでいた子狐が俺等の行軍に驚いて逃げたのが見て取れた。

 

「……周囲に展開している夜人104人。配置もわかる」

 

 【夜】は俺の領域ということだろうか?

 一人ひとりの布陣だけでなく、何となく周囲の気配というのも感じ取れる。

 

 ちなみに100人部隊で洞窟を出たけど現在104人。はい、増えました。

 新人君も先達も、それぞれ見分けつかないんだけど……。なんとかならない?

 

「ヤト……見分ける方法」

 

 おんぶされているから一番近くにあったヤトの頭をポンポン叩く。諦めろと言わんばかりに首を振られた。

 ……おまえら外見の違い無いんか? 可愛い色リボン付けるぞおい。

 

「狼、熊、後あれは……なんだろ。でっかいの」

 

 この森は思ったよりも危険な場所だったらしい。あちこちに生命の気配を感じる。

 初日に何事も無く街に行けたのは運が良かったのか、それとも野生動物の勘が俺から何か感じ取っていたのか?

 

 そんな命溢れる森の中で異彩を放つ気配が右前方斜め方向に点在していた。

 身長3m程の人型。こっちの物音に気付いたのかゆっくり近寄ってくる。夜人に比べて遥かに鈍い動き。

 

「ヤト……あっち」

 

 熊じゃない。ゴリラじゃない。二足歩行でしっかり歩いてる。

 なんだろうと思って聞いてみると、ヤトは分かったと言う風に周囲に指示を飛ばし始めた。

 警戒にあたっていた遊撃班の夜人がその気配に向かって進んでいく。

 そして接敵――気になっていた気配が消えた。

 

「……?」

 

 ん? なに、なにしたの?

 

 ヤトがゆっくり速度を落として立ち止まった。

 遊撃班の夜人も戻ってきて手を振っている。こっち来いって感じ?

 

 俺も小さく手を振り返した後にヤトの背中から降りて近寄っていく。

 そして気付く。あれ、あいつらなんか真っ赤じゃね? なんか腕に抱えてね?

 

「待って待って」

 

 こいつら、なんか変な生き物の首抱えて帰って来やがったんだけど。

 赤色の肌。額から伸びる角。そして見開かれた瞳。

 そんな御首をどう?どう?って感じで俺に見せつけて夜人達。

 

「……それはおかしい」

 

 お前ら猫じゃねぇんだから獲物自慢すんなよ! 捨てて来いよ!

 って、アイツらそのまま近づいてきやがった! ほ、褒めて欲しいってかぁ!?

 

「うん……すごいよ」

 

 近距離で鬼?の首を見ても嬉しいとは思えない。けれど不思議と嫌悪感も思ったよりも少な……いや、血とか生首とかグロイからやっぱりやだよ。

 

 血まみれの夜人は触りたくないから撫でてあげない。言葉だけで褒める。

 それでも嬉しいのか夜人達が身じろぎした。血が飛んで来た。

 

「ひょあ」

 

 ひょぁあああ!!?

 ヤダー! お前等、それ捨ててこいー!

 

 慌てて俺は後ろに下がる。その瞬間、足がもつれた。

 

「あ……」

 

 素早く動こうとして運動機能が付いてこなかったようだ。少女がクソ雑魚ボディだったことを忘れていた。

 徐々に後ろに傾いていく体と近づいてくる地面。あと迫りくる夜人。

 

 ガシッっと。

 音を付けるならそんな感じ。

 転びかけた俺の体は、鬼の首を放り捨てた夜人が抱え上げていた。

 赤くベットリした温かい液体が首筋を伝う。

 

「にゃ」

 

 ニャ゛ぁあああああ!! 血まみれ止めろってーー!!

 

 

 

 

「ストップ。ここまで」

 

 色々あったが忘れてしまい、森を出る寸前で部隊を止める。

 数日振りに見る村はそれはもう厳重な警戒網を敷いていた。

 村全体を囲う木柵、かがり火。そして何人もの歩哨。

 

「この前まで歩哨はいなかったはず……やられた」

 

 あちゃー……。

 俺が襲撃したから警戒がきつくなったのだろう。

 ひっそり村へ忍び込んで一般家庭から周辺地図、お金、魔導書――あるのか知らないけど勉強用に欲しい――を頂く計画が破綻しそうだ。

 

 それを使って準備して遠くに逃げる作戦だったのに!

 初日の無計画行動が裏目に出ている。もっと慎重に動くべきだった。

 

「ヤトあれは困る。どうにかならないか?」

 

 違う。だからファイティングポーズをとるな。どうやって解決するつもりだお前。

 

 俺はこの村と敵対したくない。

 できる限り穏便に、可能なら友好関係を築く方法を取るようにしていきたい。

 潜入がダメならもう堂々と正面からお願いに行くべきだろうか? 村との交渉もいいかもしれない。

 

 それをしっかり伝えて、なにか他に妙案が無いかヤトに尋ねる。

 

「……? ヤト?」

 

 なんで視線をそらした?

 顔を覆うのはなに。え? なに、なにかした……?

 

 あ……もしかしてこれか、俺の服の惨状。

 

「誰のせいだと思ってる」

 

 ヤトは目をそらしている。

 

 現在の俺は「美少女ちゃん村娘スタイル」改め、美少女ちゃん血塗れスタイルだ。

 たしかにこれで行ったら、ちょっと大変かもしれない。

 どうしようと悩んでいたら誰かが肩を叩いてきた。

 

「ん? おー、替え服」

 

 なんだろと思ってたらワイシャツとスーツのズボンが差し出された。

 そうだ一人の夜人に預けてたんだ。すばらしい、替えよっと。

 

 俺は脱いだ村服で体に付いた血糊をふき取って、今度は血まみれの服を夜人に預ける。

 下着はちょっと血がついたままだけど……裸ワイシャツはしないよ。

 

 

 

 

「今朝は6家庭が姿を消していた。周囲には前日から恐怖を漏らしていたらしいし……まあ、十中八九、夜逃げだろうな」

 

 村に建てられた集会場の中に4人の男女が居た。

 イナル村近郊――この村のことだ――の領主かつ村長のプスオフさん、駐屯兵隊長のレイトさん、その部下で少女に初接触した門番オーエンさん、そしてエリシア聖教の代表として私。

 4人が円座に並んで座っていた。

 

「旅の食料にするつもりか、いくつかの畑からも作物が無くなっている。止めなくていいのですか? 村長」

「出ていくなら出て行かせればよい。だが着の身着のままで村をでて、どこへ行くというのか……。他の農村に行けば余所者でしかなく、よくて小作人扱い――奴隷のような扱いだ。たとえ無事に大都市に行っても仕事なんか有りはしないぞ」

「死ぬよりスラムで生きる事を選んだのでしょう」

「ですが、この三日で治安の悪化が出ています。うちの礼拝所にも窃盗被害の相談が……」

 

 私達は何度もあの襲撃に関する協議会を行っていた。

 ずっと少女の正体やバケモノの能力、存在を討論してきたが答えはでていない。

 そして今日はあの日から続く、村人の流出と治安の悪化についてから話が始まった。

 

「はぁ……混乱に乗じた窃盗かのぉ。これだけ夜間警備が増えたのに。軽犯罪は減る方が普通じゃろうて」

 

 村の中で被害届が出たのは3件の家族からだった。

 畑の野菜が盗まれたのはいい。だけど娘の衣類や靴が無くなっている、果てには下着まで。なんだろうかこれは?

 

「……性犯罪は勘弁してほしいな。この慌ただしい時に」

 

 隊長さんが嫌そうにつぶやいた。

 

「村長さん司祭さん、下着盗難被害の娘さんの年齢は? やっぱり若い子ですか。部位は? 色や数は?」

「……え、門番さん、まさか」

 

 真面目な表情でグイグイ質問する門番さん。

 私の視線が気になったのか、彼は慌てて手を振った。

 

「ち、違う! 俺の興味本位じゃないぞ!? たしかに言い方は悪かったかもだけど犯人を捜すにも特徴が必要で……ねえ!?」

 

 彼は助けを求める様に他の男性二人に視線を送る。

 

「門番のキミに、そんな趣味が有ったのか……まさか入村の検分でも若い子がいたら検めてるのか? 服とか」

「いつもお世話になってる兵団の君に言うのも失礼じゃが、村の評判に傷をつけるのはその……いやぁ、分かるけどのぉ、ははは」

「味方がいない!? ちょっとディアナさん!! どうするんですか、この空気!」

 

 まさか門番さんの性癖を本気で受け取っている人はいない。彼もそれは分かっているだろうし、乗っただけだろう。

 だけど門番さんが立ち上がってしまうほどの慌てっぷりに笑ってしまった。

 

「ごめんなさい。ちょっと門番さんの下着への食いつきっぷりが面白くて」

「まったく……人前では止めてくださいね」

「ええ。分かってますよ。外面は大切ですもんね?」

 

 門番さんは私を見るとダメだこりゃとつぶやいて腰を下した。

 私は悪戯っぽい笑みになっていないだろうか? ちょっとムニムニほっぺを触ってみる。

 隊長さんがゴホンと咳払い。

 

「しかしディアナさん、貴方も随分と長い事猫を被っていたようで」

「然り然り。儂も先日の戦闘風景を遠めに見させていただきましたが、まさかあんなに熱い方だったとは……。もっとはやく言ってくれればいいモノを」

「……え? そうでしょうか?」

 

 突然、矛先が私に向いた。

 隊長さんの言う猫がいまいち理解できず首をかしげる。

 

「俺もディアナさんの敬語抜けた口調、あの時はじめて聞いたな。村に来て半年、なんか堅苦しい司祭さんが来たというのが村中の評判だったよ」

「えぇ……? 堅苦しいって……敬語ぐらい業務上普通でしょう」

 

 ましてや私は聖職者。

 今では常に他人を尊重し、模範的な生活を送るように気を付けているのだ。それを堅苦しいと言うのは違う気がする。

 さっきの悪戯は……ちょっとした気の迷いだ。ここ数日一切笑ってなかったから、つい昔の癖が出た。よくないよくない。

 

「男は綺麗な女性に一線を引かれるとそれ以上立ち入り難い物なんだ。どうしても遠慮が出てきてしまう。高嶺の花というやつだな。あー、まあ一線を越えた奴は関係ないが……下着に興味津々の奴とか」

「隊長、もしかしてそれは俺ですか。ん? 喧嘩ですか? ん?」

 

 そういうものなのだろうか……?

 

「聖都から赴任してきた堅物司祭だと思ってた人が、あの戦闘中に兵士たちを想って敵に啖呵をきる。あの言葉に心惹かれた兵士も多い様だぞ。かくいう俺もその一人だがな」

「い、いや……」

 

 隊長さんに優しく笑みを向けられて、気恥ずかしさと相まって視線が下がる。

 たしかにあの日以来、兵士さん達と世間話をする時間が増えた気がする。そんなことを……。

 

「は、話を戻します! いいですか、ここは村の存亡をかけた協議の場ですよ! ふざけないでください!」

「一番ふざけてた人が何か言いだしたぞ……」

 

 門番さん黙って!

 

「では窃盗被害は作物と衣類ですね。目録を作成して警邏の者に回覧して頂きましょう。それ以外の情報はありますか村長さん」

「やはり、村の中で黒い塊を見たという者は少しずつ増えてきておる……。やはり夜の時間じゃな」

「それも3日前からか。無関係とは思えない、というか……アイツだろ」

 

 黒い塊と聞いてこの場にいる者は共通の存在を思い浮かべた。

 三日前に襲撃して来た少女とその仲間……なのだろう。いまいち情報が足りないので何とも言えないが、あの時交戦した存在をどうしても想像する。

 

「……少女が門に来たあの時、俺がもう少し穏便に対応できれば」

「死んでいた。状況を考えればその可能性が一番高い。何を言っている」

 

 門番さんは少女と初対面した時の事を後悔しているようだった。

 あまりに怪しい少女の出現から始まった戦闘開始までの経緯は報告されて全員が知っている。そして妥当な対応だったと結論は出ていた。

 

「今思い出しても手が震えるよ。あの子は俺を見ていなかった。ただ邪魔だから退けって言っていた。だけど、決して彼女から手は出さなかった。先に武器を取ったのは俺なんだ」

 

「お前は熊が間合いに入っても歓迎するのか? 少女だけが居て武器を向けたなら、一時間でも二時間でも叱責してやるが、バケモノ相手に門番が諸手を挙げて歓迎してみろ。俺はお前を殴る以外にどうすればいい?」

 

 もしも、あの戦闘で死者が出ていたなら門番さんの苦悩はなかっただろう。

 ああやっぱり敵だったで終わる話。

 

 だけど現実は大きな怪我は誰も負う事なく戦いは終わり、最後には少女が圧倒的優位に立ちながら帰って行った。

 村を襲う考えがあったなら、あまりに不自然な行動。

 

「だけど、隊長やディアナさんは気付きましたか? あの子、裸足だったんだ。長い距離を歩いたのか、足首は草で擦った出血の痕もあった。加えて服はダボダボで彼女の物じゃないのは丸分かり」

「……何が言いたい?」

「俺は彼女には彼女の事情があったんじゃないかと思ってる。例えば急いでどこかから逃げて来たとか、抜け出してきたとか。じゃなきゃどうして裸足なんだ?」

 

 門番さんは考え込むように腕を組んだ。

 

 その考察を聞いてなる程と頷いてしまった。

 私が現場に着いた時には戦闘が始まった後だったし、裸足にもぜんぜん気付かなかった。

 逃げてきた可能性か……でもどこから? そもそもアレだけ強力な仲間がいて逃げる理由なんてあるのだろうか?

 

「と、すみません。ただの想像です。バケモノの事はまるで分かりませんし、そうだったらいいなっていうか……」

「いいや、大丈夫だ。貴重な意見だ。そうだな、化け物が一番分からない」

 

 4人で色々と意見を言ってみるが、この仮説には答えが出なかった。結局情報が足りなすぎるし門番さんの想像でしかない可能も高いと保留になる。

 その後にいくつかの現状報告や周辺探索の結果を隊長さんが説明した後、村長が重苦しく口を開いた。

 

「それで隊長さんや……援軍の方は? あの化け物に関して王都への伝達はどうなったろうか」

「早馬は出したが、王都まで行こうと思ったら半月は掛かるでしょうな……イナル村が国境ギリギリの場所なのが災いした。あの化け物を想定するなら、大規模な増援が必要だがそうすると他国を刺激する。外交を通じて調整もしないとだろうし、援軍は来ても来月といったころでしょう」

「はぁ……こんな事なら、連絡魔具を用意しておくべきだったかの」

 

 つまり来月まで、現状の兵力で少なくとも5体のバケモノと対峙しなければならない。

 隊長は努めて淡々と報告したが私は村長の顔を見る事が出来なかった。ただ村長の苦しそうな呻き声が聞こえてくる。

 

「隊長さんや何とかならんか。厳しい事を言ってるのは分かってる。だけどこの村は儂の夢なのだ! 長年かけて築いた希望なんだ! なんとかイナル村を守って欲しい!」

「……私たちは全力で職務に当たります」

 

 村長は縋りつくように懇願するが、隊長は一言も守り切るとは言わず言葉を濁した。

 この三日間で幾たびも繰り返された光景だ。誰も救いの言葉をかけられない。

 

 ……無理なのだ。

 意地悪や資金不足で援軍が来ない訳では無い。ただ無理なのだ。南端に存在するイナル村は王都から距離的に遠すぎた。

 

 周辺に正義を貴ぶ騎士修道会が存在する大都市は無く、アルマロス王国軍は仲の悪い東方諸国に対抗するために待機中。

 村の存亡をかけた事件でも、誰も来てくれない。期待が出来ない。

 

 ――なら村を捨てるしかない。

 誰からともなく、そんな話が村中でにわかに持ち上がったのは仕方が無い事だろう。村長はそんな話を耳にしてしまってから、ずっとこの調子だ。

 

「ここは儂が作った開拓村なんだ。30年間をこの村に捧げてきた! 儂の全てをつぎ込んだ! なのに、なのに……最後は結局これか」

 

 一通り慟哭すると最後に村長は意気消沈して静かになった。

 

 齢80を超える老人が、更に老け込んだように見える。

 枯れ木のようになった腕は今にも折れそうで、しわの刻まれた顔がもっとクシャクシャになっていた。

 

「村長さん……」

 

 彼には悪いが、村を捨てる選択肢は十分ありだ。

 このまま村に残っても襲われれば死ぬしかない。ならば貧困層に身を落としても別の街を目指すべきなのだ。

 

 しかしその決断は村長や多くの村人にとって重すぎた。

 みんなで持てるものを持って近場の都市を目指すのも最悪ではない。最悪では無いが……その次に悪い。

 一回目の襲撃で少女が死者を出さなかったから。圧倒的優位でも少女は帰っていったから。色々と正当性を探して村に残っている人が多い。

 けどそれは危険な賭けであり、推奨していいものか判断が付かない。

 

(正解はどこにあるんだろう……)

 

 私は有りもしない道を探して悩んでいる。

 誰も不幸にならずに、誰も悲しまないそんな道。

 

 誰も喋らない集会場で沈黙だけが流れていく。

 

「と、ところでバケモノについてだけど!」

 

 そして数分経った頃だろうか、門番さんが話題を変えようと声を上げた。

 村長さんは魂が抜けたかのように床板を見つめたままだ。……今日も慰めに掛ける言葉が見つからない。

 

「村にある書物ではバケモノの正体は分かりませんでした。少なくとも周辺の魔物として扱われてはいないようだ」

 

「だろうな。そんな簡単に分かるなら俺が知っている。ぱっと見は精霊種に近かったが……宗教関係はどうだい?」

「聖都の大図書館なら分かりませんが、村の礼拝堂にそれらしい記載は無かったですね」

「そうか。ならばやはり精霊種と考えるのが妥当か? 本来は大規模霊地やダンジョン深部にしか居ないと言われるモノたちだが……」

 

 納得できないような表情で隊長さんが考え込んだ。

 

「……」

 

 私も再度あの姿を思い出す。

 兵士さん達を凌駕する長躯と剛腕。顔にはパーツ1つも無く、唯一ある特徴は指先が鋭利になっていること。

 生物的にあり得ない容貌で、人を殺すためだけに作られた存在にすら見える。

 しかも精霊種とは異なって明らかな敵意を感じた。能動的にこちらを殺してきそうな濃い殺意、人間を恨んでいるような気配だ。

 

 聖書の一文が私の頭をかすめる。

 

「……闇の眷属」

 

 永い永い神話の一節だ。

 世界の始まりで太陽の化身たるエリシア様と争った神様のお話。

 

 かつて世界は平らで一つだった。

 太陽はずっと輝きを失わず、一年を通して常に世界を祝福してくれていた。

 大地の中心から湧き出る巨大な滝と神様の光は植物を育んで、邪悪を払っていた。人間は働かずともよく、食べずとも死なず、栄華の絶頂を極めていた。

 

 だけど、それを嫌がった神がいた。

 小さな口論は激しさを増し、諍いとなり、殺し合いへと発展していく。

 神の全力を以って行われた戦いは百年とも千年ともいわれる果てに、エリシア様が勝者となった。

 

 だけど無傷とはいかなかった。

 世界は一度崩壊して宇宙と丸い星々に再構築された。

 エリシア様も多くの力を堕とし、太陽はずっと輝くことができなくなり、昼と夜という概念が生まれた。

 

 そんな世界の始まりのお話。

 

「……って、みなさんどうしました?」

 

 ぼそぼそと思い出しながら話していた私は周囲の空気を無視していた。

 なんだか重苦しい空気になっている。

 

「いや初めて聞く話だと思ってな。聖職者には有名な話なのか?」

「はい聖学校で習う基本的な歴史です。まあ、熱心な信者さん以外はここまで興味無いから知らない方は多いですけど」

 

 そんな話の中に出てくる、夜の神とそれに付き従う闇の眷属。

 

「詳しい記述は失われているので分かりません。ですが、なんとなく【闇の眷属】が実在したなら、あんな姿だったのかなって」

「それは……凄い話だな。つまり俺たちは主神に近しい存在と争ったと」

 

 はははと困ったように隊長さんは首をかいた。

 たしかに私の話を真に受けるならバケモノは闇の眷属であり、それを従える黒髪の少女は【夜の神】ということになる。

 

「ないんじゃないですかね……」

「ないですね」

 

 それはなかった。

 黒髪少女は人間だ。とても冷たい目をしていたけど、外見やその気迫、存在感はたしかに少女のものだったと思う。

 だからあの子は神様じゃない。なにか色々抱えた、ただの女の子なのだ。

 

 ……脆弱な人間でしかない私たちは、そう思い込みたかったのかもしれない。

 神と敵対など絶望的だし、なにより絶対にまた会うことになるだろう予感がする少女に神様であって欲しくない。

 

 そして、その予感はすぐに現実となった。

 慌ただしく集会場の扉が開かれ、哨戒に出ていた兵士が息を殺して駆け込んできた。

 

「隊長ッ! 村長さん、司祭さんも大変だ! む、村の入り口に! あの化け物が……! 女の子と一緒にまた!」

 

 四人が同時に息をのんだ。慌てて入り口に駆けていく。

 

 とりあえず今話したことは憶測中の憶測。とんでもない暴論にすぎない。

 現世に神様が顕現されるわけがない。ましてや世界を滅ぼす夜の神など……。

 

 だけど、彼女が本当の神様かもしれないという思いは私の頭の片隅に残り続けた。

 

 

 


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