遠くから聞こえる鳥のさえずり。後ろを振り返れば見える青い海と、そこに浮かぶ船。
……思った以上の田舎だ。空気は美味しい気がするが、特筆することもないただの島。
ここはゴンの故郷であるらしい、くじら島。私としても多分来たのは初めてだ。一回来てるはずなら、島の名前くらい覚えているはずだから。
ゴンについて行きながら、道を行き交う人々の顔を盗み見る。
何分か歩いていると、こじんまりとした家が見える。多分そこがゴンの家だろう。家の前に女性がいる。ここからじゃ遠くて顔は分からないけど、ゴンの家族か保護者だろう。
「二人もお客さん連れて帰ってくるなら連絡してよ!何にも準備してないのに!」
「いえ、お構いなく……」
と言っても聞かないだろうな。もう既に慌ただしく走り回っているし。椅子に座って落ち着いているお婆さんとの対比が著しい。一般家庭の様子に慣れていないキルアが目を丸くしている。かくいう私も、どうしたらいいか分からなくて動けないのだけれど。
「とりあえず手洗いしてから洗濯物出しといて!女の子の方「リゼです。」リゼちゃんは先にお風呂入ってて!あ、着替えは大丈夫?私の貸そうか?」
「自分のあるので大丈夫です。」
「いつもこんなんか?」
「うん……」
バタバタと駆け回りながら、こちらに指示する声が飛ぶ。言われた通り、私は大人しく風呂に入って来よう。ところで、洗濯物は私も出すのか?三人分も洗濯するのは大変だろう。頭に疑問符を浮かべながらも、一応指示には従っておいた。
慣れない入浴剤の香りを感じながら首までお湯に浸かると、丁度いい温度で体が芯から温まる。他人の家の浴室ということで慣れないが、こういうのを極楽と言うのだろう。
そういえば、こんな風に風呂に入るのは久しぶりだ……勿論毎日シャワーで体の汚れは洗い流していたが。ゆっくり湯に浸かることが少なかっただけで。
自分の体を見下ろすと、大小様々な傷跡が目に入る。そこまで多くはないが、服で隠しておいた方が良いか。この傷跡を嫌っている訳ではないが、こういうときは面倒だ。あとは変装するときとか、見た目は良い方だと思うので余計に。
さすがに何十分と長居する訳にはいかないので、充分に温まった後浴室から出た。髪を乾かすのは面倒なので、ある程度拭いていつものように放置しようと思っていたら、食事の準備をあらかた終えたゴンの保護者──ゴン曰くミトさん、らしい──が近づいてきた。
「あ、ドライヤーはこっち。好きに使って良いからね。」
「いえ、別に髪には気を使わないので……」
「そんなに綺麗なのに勿体ない……じゃあ、もし良かったら私に髪を乾かせてくれないかな?」
なされるがまま、と言うべきか。楽しそうに輝く目を前に、私は断る理由も方法も持ち合わせてはいなかった。
ドライヤーから送られる温風は思ったより心地良かった。顔は見えないけど、ミトさん──何日かお邪魔させて頂くので、一応さん付けで呼ぼう──も楽しそうで何よりだ。
「私、小さい頃は妹が欲しかったんだ。こんな狭い島じゃ遊び相手も少ないし。リゼちゃんは兄弟欲しいとか思ったことある?」
「よく覚えてないですけど、なかったと思います。」
よく覚えてないというのは方便で、実際は能力で忘れただけだ。幼少期の私の細かい心情など覚えていても役にたたないからだ。
にしても、兄弟か……色々と面倒そうだから一人で良い気がする。
「リゼちゃんは、どこら辺の出身なの?あ、嫌だったら答えなくても良いよ。」
「……北西の方にある小さくて寒さが厳しい雪国でした。その代わり漁業は盛んで、この島みたいに船が多かったです。観光客は少なくてつまらない所でしたけど、いい所でした。」
真っ赤な嘘だ。私の出身なんて全く覚えてない。捨てられた場所も人には言い難いし、言ったら気を使われるのは目に見えている。口下手じゃなくて良かった。
それからも他愛ない話、特にゴンが迷惑をかけていないか聞かれた。本音を言うのは遠慮して軽く否定をしておいた。心配そうに聞かれると、ゴンの単細胞なところに困ってるなんて言えない。
「よし、出来た!勝手に結んじゃったけど良かったかな?」
「ありがとうございます。こちらこそ、忙しいのに良かったんですか?」
「大丈夫よ。ここには女の子も殆どいなくて、自分以外の髪の手入れをするのは久しぶりで楽しかったの。」
後頭部をゆっくり撫でていると、ミトさんが鏡を差し出してくれた。ハーフアップだっけ?これ。よく見てみると細かく編み込まれている部分もあって、私には全く分からない髪型となっていた。知識として女性向け雑誌も読んでおくべきか。
私の母親が、私に似ていたら──
──こんな見た目だったんだろうか?ふと過ぎった考えを確かめてみたくなった。母親のことは一ミリ足りとも覚えてないが、
そう思って本を具現化させた途端、ミトさんの私を呼ぶ声が聞こえて来た。どうやらゴンとキルアの二人が風呂から上がったらしい。まあ、急ぐことではないし、今しなくても良いだろう。
♦ ♦ ♦ ♦
食事を美味しく食べて、二人は近くの森に行くらしいが、私は港の方に行って来よう。そう思っていたら、出かけるならと、ミトさんの服──サイズを間違って買ったらしいもの──を着せられた。私は地味なTシャツやパーカーが落ち着くので全力で拒否したが、結局その願いは聞き届けてもらえなかった。
行く前からとても疲れたが、まだ島の住民全員の顔は見れてないので、気を取り直して進むことにする。
それに、母親のことも思い出したかったし。暫く進んで周りに誰もいないことを確認すると、落し物の探し方を発動した。
地味な表紙──別に何も書かれてない──をめくると、すぐに母親と父親らしき人について書かれたページが見える。書かれたと言っても内容はページを破らないと理解出来ない。思い出したいものが明確に定まっていると、こんなふうに最初に出てくる。
忘れた分だけページがあるので、一々探していたらキリがないのだ。
そう思いつつ港に行く途中の木陰に座り込み、ページを数枚勢いよく破った──
───
『エリーゼ。良い子にしていてね。』
『うん!おかあさん行ってらっしゃい!』
おかあさんは夜、家にいない。お仕事に出かけちゃうから。帰って来るのは私が眠った後。でもね、それは私のために働いてるんだって。私のおとうさんはまだいないけど、きっといつか私とおかあさんを迎えに来てくれるの。
私の髪はおかあさんとお揃いで、街の皆からとっても可愛いって褒められるよ。私の目だけはおとうさんと同じで黄色なんだって。でもおかあさんの青い目もキレイだから、私はそっちの方が良かったな。
おかあさんのお仕事は、キラキラした服を着て男の人とお話すること。やってみたいけど、お酒を飲むから大人になるまでダメって言われた。
一回だけおかあさんのお仕事を見たことがあるの。お化粧してて、お姫様みたいだったよ。それでみんなにエリーゼって呼ばれてた。おかあさんは私じゃないのにどうして?って聞いたら、エリーゼの名前は可愛いから借りたんだって言ってた。
『ねぇ、おかあさん。どこに行くの?お仕事?』
『ちょっとだけここで待っててね。すぐに戻るから……』
『うん、分かった……行ってらっしゃい。』
ねぇ私、良い子にして待ってるから……早く帰って来てね。ぜったい私を見捨てないでね。
寒いな。遅いな。
まだかな。
おかあさんはどこにいるの?
どこ?
私の母親は風俗嬢で、街の人の話を信じるならば、父親は私たちを残して蒸発。それが真実。私が産まれる前から働いている仕事の源氏名を、母親は娘である私につけた。何故そんなことをしたのか、今となっては分からないが、私はエリーゼという名前が嫌いだ。
叩きつけるような雨が鬱陶しかった日。私を置いて母親はどこかへ行った。仕事場に行くなら、私を流星街に置いて行ったりしないはずだから、きっと元から私は捨てられる予定だったんだろう。捨てるのだったら、最初から育てなければ良かったのに。そうすればちゃんと嫌えたのに。
母親は私を捨てた。
そのことが頭では分かってる癖に、無意識に母親を忘れたくないと望んで、
捨てられた日から何年経っても、母親がどこにいるかを知りたかった。母親は私を捨てたのではなく、私を迎えに来れなかった事情がある……なんて考えを持って。
自分でも馬鹿な考えだって分かってる。そしてそれが可能性の低い話であることも。でも、何をしていたって頭の隅にはずっと母親のことがあるんだ。そう、それが鬱陶しくて仕方ないから。
だから
最初から人探し屋をするつもりはあったから。母親がどこにいるか調べるのは、能力を試すためだから。誰に聞かれている訳でもないのに、気づいたら必死に言い訳をした。
緊張と僅かな期待で震える手を見ないようにして、対象を設定した。それで、ついに探し人を発動した。
『え……』
頭の中に情報が流れ込んでくることを覚悟したのに、それが起こることはなかった。要するに、探せなかった。その理由には心当たりしかなかった。自分で制約をつけたのだから当たり前だが、そのときだけは気づきたくなかった。
そう。死人のことは探せない。そういう制約だった。死んでしまっていたら、何もできない。
だから何故私を捨てたのかも分からずじまい。その理由だけでも知れれば良かったのに。昔みたいな生活が出来るとは思ってなかった。期待してなかったと言えば嘘になるが、一回会って話すくらいは許されると思っていたのに。
現実は私に優しくなかった。流星街にいたときから理解していたはずの事実が、私の心にのしかかった。
死んでいるのなら、こんな記憶も覚えていたって意味が無い。ただ虚しいだけだ。
だから私は落し物の探し方に忘れられる能力を付け足した。
───
後味悪いというか、煮え切らないと言うべきか、母親の記憶は予想以上に嫌なものだ。どこか他人事のようにそう考える自分がいた。
こんなものなら思い出さない方が良かった。母親の見た目なんて気にしない方が良かった。
リゼという名前で呼ばせるのも、自分の名前が嫌いだったからで。偽名に使った『エラ』だって母親の名前じゃないか。記憶がなくても、無意識に癖となっていた。
母親のために能力をつくって。いつまでも過去に引きづられて。とても自分が馬鹿なことに気づいた。悲しくはないけど、無性に泣きたくなった。泣いたって何も変わらないのに。
過去の私の判断は正しかった。記憶に引きづられて鬱々とした気分になる。きっと今は酷い顔をしている。いっそ母親に瓜二つなこの顔も無くなってしまえば良い。そしたら少なくとも人攫いに狙われることはなくなるな。
「ああ……どうせならミトさんみたいな人が良かった。」
あんな人が保護者なゴンが羨ましい。もし、私もそこに産まれていたなら、戦いとは無縁の生活を送れていただろうか。そう、私が望んでいる生活を。
土台無理な話だと、くだらない妄想を自嘲して具現化した本を抱える。もう二度と思い出さないように。
私と似た女性を忘れながら、深くため息をついた。
♦ ♦ ♦ ♦
プッツリと、突然始まったビデオのよう。直前のことを忘れると、いつもこんな感覚に陥る。まあ、あながち間違ってないんだけど。
思い出そうとしていた母親の記憶は、とても不愉快だった……ということだけ覚えていて、肝心の内容は全く覚えてない。私がそう判断したなら、私もそれに従おう。ややこしいな。この言い方だと私が二重人格っぽくなる。能力を使って性格を変えれるのだから、二重人格と言っても過言ではないんだが、ちょっと違和感がある。
木陰から出て明るい空を見上げると、予想以上に日が昇っていた。落し物の探し方は思い出すのは一瞬だが、私自身が記憶を理解するのに時間がかかる。
太陽だけでは時間は正確には分からないが、出発してから大分時間が経ってしまったことは分かる。港に行くついでに、とミトさんから買い物を頼まれているのだから、あまりに遅いと心配されるだろう。
腕時計でもつけていれば良かったな。手首に何かついているのは嫌なので、そう思っても行動には移さないのだけれど。
それから港について、市場を歩き回っていたら数時間が経過していた。市場自体は何の変哲もなかったのだけれど、わざわざわ来たのだし数十分で戻るのは惜しかったからだ。
途中で頼まれていた魚を買っていたら、おまけを差し出されることがよくあった。まあ、見た目だけなら綺麗だろうし、タダなので有難く受け取った。
戻る最中でふと後ろを振り返ると、夕日が水平線に沈むのがよく見えた。帰り道に夕日……ああ、何だか穏やかな気持ちになる。まるで私が普通になったように錯覚するような。
今だけは暫くこんな気分に浸っていても良いだろうか。