「ねえ、ちょっといいかしら」
「うん?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
眉間を縮める彼。
「昨日あったことについて聞きたい」
「……昨日あったこと?」
苦り切った顔。
そうなんだ。昨日のことが思い出せないんだ。
「平塚先生がおっしゃった勝負の話だよ」
「……は?」
「何だっけ、それぞれの正義を証明しろと」
「ああ、それか。 うん、勝負いいね。 ガンダムみたいなものでしょ?」
「先生と同じように理解できない比喩はさておき……。 あなたはその勝負を断ったじゃないか」
「……そうだったっけ?」
* * *
「じゃあ、こうしよう。 これから君たちのそばにさまよっている子羊たちを引き渡すよ。 彼らを君たちなりのやり方で救援してみなさい。 そして、各自の正義を存分に証明しなさい。 果たしてどちらが世の中にもっと大きな助けになるのだろうか! ガンダムファイト、レディゴー!!」
「嫌です」
「うっ、ロボットファイトって言えばよかったのに……」
「先生、年を考えてでも悪戯しないでください。 みっともないです」
「と、とにかく! ただ行動だけが自分の正義を証明するもの! 勝負しろといったらつまらないこと言わずに勝負しろ。 君たちに拒否権はない」
「全くの横暴だ……」
「死力を尽くして戦う気になるように、君たちにも褒賞を提示しよう。 勝った人が負けた人に何でも命令できるという条件を掲げてはどうか?」
「なんでも!?」
「あ、それでは私は降伏します」
「……え?」
「比企谷、君たちに拒否権はないって言ったんじゃない?」
「拒否するのではありません。 私の能力を考えて、勝負の結果を察し、敗北を認めたんです。 私が誰かを救えるというとんでもない妄想はしないんです」
「あ、うん」
「ああ、懐かしいですね。 奉仕部に入部し、勝負を通じて依頼人たちの幸せと私の成長を成し遂げたのが昨日のことのようだが……。 これまでありがとうございました」
「ちょっとお待ちなさい」
「ちぇっ」
「あなたが敗北を認めたのなら、私にはあなたに命令する権利があるじゃないかしら」
「まあ、そうだろう」
「じゃ、あなたに命令するよ。 奉仕部に残って他の人たちの依頼を解決してあげなさい」
「うん?よく聞こえないんだけど」
「聞こえないふりをしても無駄だよ」
「ちぇっ」
「うーん、結論的に比企谷は奉仕部で活動するのか。 いいね、いいね」
* * *
「ああ、そんなことがあったのか」
「もう一度言うが、思い出せないふりをしても無駄だよ。 平塚先生が証人だから」
「ちぇっ」
「……だから、きのうの話なんだけど。 あなたはどうして……」
言いそびれた私の言葉は、突然訪問客の小心なノックの音に遮られる。
「……お入りください」
「し、しつれいします」
がらりと戸が開き,すき間ができる。
少女がそこに身を沈めて教室に入ってくる。
肩くらいの長さに、ウエーブをかけた茶髪,
そして異常に、異常に大きい胸部。
彼女は比企谷くんと目を合わせ,小さな悲鳴を上げた。
「あれ、なんでヒッキーがここにいる!」
「……ヒッキーっていうのは、俺の事?」
「とりあえず座ったらどうかしら」
「あ、ありがとう……」
彼女と視線を見合わせる。
「由比ヶ浜結衣、だよね?」
「あ、あたし知っているんだな」
「よく覚えているね……。 もしかして全校生を知ってるんじゃない?」
「そうではないよ。 あなたなんか知らなかったんだから」
「あ、俺もお前みたいな女の子は知らなかったんだから、引き分けたなんだ」
「それはうぬぼれることじゃないと思うんだけど……。 彼よりあなたは覚えている人がいるの?」
「結構多いよ。ご両親と小町、それと……」
「……それと?」
「……あ、ちばくんかな」
「……とんでもない、それと最後のものは人じゃないでしょ」
「ほっといて」
……私も覚えていると言ってくれると思ったのに。
覚えていないのか、それとも話すのをためらうのか。
多分圧倒的に、前者だと思うけど。
覚えてると言っても、私の名前を言ってくれそうもない。
「何か…… 楽しそうな部活だね!」
「別に愉快ではないんだけれど……。 むしろその錯覚がひどく不快よ」
「あ、いや、何というかすごく楽そうだと思ったよ! ヒッキーも教室にいるときとは全然違うし。 ちゃんと話もできるんだなと思ってね」
「ちゃんと話せるなんて何だ……」とぶつぶつ言う彼はほったらかして考え込む。
由比ヶ浜結衣、2年F組。
入学式の日、その事故の被害者。
私が犯した罪悪の証拠であり、その責任を負わなければならない人。
「……言われてみればそうだね。 由比ヶ浜さんもF組だったよね?」
「へ?」
「期待はしていなかったけど、やっぱり知らなかったの?」
「……し、知っているよ」
「……じゃあ、どうして視線をそらすの?」
彼女は彼を怒った目でにらみつける。
「ヒッキーがそんな風だからクラスに友達がいないんじゃないの? しらばくれている姿もじろじろしているし」
一瞬大きく開いた彼の目は、
いつのまにか、いつもの腐った目に戻った。
「……まあ、そうかも知れない」
「えっ? そんなに簡単に肯定しちゃったら何かすまなくなるじゃん! ごめんねヒッキー……」
「……ヒッキーって呼ぶな」
「え?でもヒッキーはヒッキーし!」
「……雑談はここまでにして、ここに訪れた理由を話そう」
「ああ、うん。平塚先生から聞いたんだけど、ここが生徒の願いをかなえてくれるところなんだって?」
「少し違う。奉仕部はあくまでも助けてくれる所にすぎない。 願いの成就如何はあなた次第にするよ」
「どう違うの?」
「飢えた人に魚を与えるか、魚を取るかを教えるかの違いというか。 奉仕とは本来方法論を提供するものであって、結果物だけを提供するものではないよ。 あえて言うなら自立を促すという概念に一番近いかな」
「……な、何かスゴイ!」
「あなたの願いが必ず叶うという保証はないけど、できるだけ協力するよ」
ここに来た目的を思い出したのか、彼女は「わっ」と嘆声を上げた。
「あのね、クッキーを……」
「……ちょっと外に出て、マックカン買ってくる」
由比ヶ浜さんの言葉が終わらないうちに、席を立った比企谷くん。
彼女は比企谷くんをちらっと見たが、予想を超えた反応速度だ。
でも、これは言っておくべきだ。
「比企谷くん」
「はあ?」
「私は『野菜生活100 いちごヨーグルトミックス』でお願い」
* * *
「……おい、これを本当に食べろって? 完全にスーパーで売ってる、 バーベキュー用堅炭じゃん」
言葉では表さないが,彼の意見に心から同意する。
どうしてこんな結果が出たのかしら……。
「食べられない材料は入っていないので問題…… 問題ないよ、たぶん」
「お前も確信がないな」
「私も食べるから、安心しなさい」
「あら、お前、まさかいいやつだったのかい。 それとももしかして俺のことが好き?」
第一、耳を疑う。
第二、彼を見つめる。
第三、彼が視線を避ける。
最後に「悪かった」という彼の自白を引き取れば終わり。
「……すみません。 衝撃が大きすぎて変なことをしゃべってしまいました」
「……私はあなたに試食を頼んで処理を任せたわけじゃないよ。 それに由比ヶ浜さんの依頼を受け入れたのは私じゃないかしら? その程度の責任は負わなければならないと思うよ」
「責任、なのか……」
苦々しいように私が言ったことをつぶやく彼を見て、私はまた自問する。
雪ノ下雪乃は、その責任を完全に背負ったのか。
「……問題点を把握できなければ正しく対処できないし、答えを見つけるためなら、危険を冒すことぐらいは覚悟しないと」
「……お前はまっすぐだな、雪ノ下」
彼が何かをつぶやいたという事実よりも、重要な問題に心を奪われる。
由比ヶ浜さんが作った黒な未確認物体を、慎重に取り上げる。
「……死にはしないだろうかしら」
「俺もそれが心配なんだ」
「あ、あたしも食べるわ!」
由比ヶ浜さんのクッキーは思ったより……。
うん、思ったよりもっとひどいよ。
* * *
その無惨な何かを食べた後、もう一度彼女を指導してみたが……。
相変わらずクッキーというには中途半端な何かが作られてしまった。
うん、最初に比べると、長足の発展だね。
「さて、どうすれば状況が改善されるか考えてみよう」
「由比ヶ浜が二度と料理をしないこと」
「全面否定されたの!?」
「比企谷くん、それは最後の解決策よ。 魅力的な提案ではあるけど……」
「ええ? 雪ノ下さんまで……。 やっぱりあたしは料理は合わないみたい……。才能っていうか? そんなこともないし」
「お前--」
何か言おうとした彼は、手で顔を覆った。
「……ねえ、お前たち、どうしておいしいクッキーを作ろうと躍起になっているんだ?」
「はあ?」
「質問一つするよ。料理をする時、一番大事なのは何だろう?」
「……祕藏の武器?」
「まあ、それも答えになれるけど、一番大事なのは心だっていうんだ」
「あなたとずいぶん似合う言葉だね」
「ほうっておけ。とにかく、苦労して作った手作りクッキーじゃないか。 手作りという部分をアピールしなければ意味がない。 店で売っているクッキーと同じものを出しても嬉しくもないと。 むしろ味はちょっとイマイチなほうがいい」
「まずい方がいいってことなの?」
彼の話を聞くと、私が作ったクッキーが気になり始めた。
「そう、男たちは「中途半端だけど最善を尽くしました!」という点をアピールすると「私のために一生懸命作ったんだな……」と錯覚するよ。 かわいそうに単純な生き物だ。 声をかけても勘違いして、手作りクッキーという理由だけで喜ぶよね。 だから……」
彼が由比ヶ浜さんを見つめる。
「何か大きな特色があるわけでもないし、たまにがさがさと粒々するような、正直言ってあまりおいしくないクッキーでも十分、男たちは揺れるだろう」
「……ヒッキーも揺れるの?」
「まあ, 空虛-命題だから、そうだろう?」
「ほえ?空虚な……?」
「命題で、仮定が嘘なら、結論が本当に嘘かどうかに関係なく……」
「まあ、要約すると、誰かが俺にクッキーをくれることはないってこと」
「何だよ! ヒッキーはあほ! あほだよ!」
由比ヶ浜さんは、そう大声で叫び、ドアを開けて、そのまま帰ろうとしている。
「由比ヶ浜さん、依頼はどうするの?」
「それはもういい! 次はあたしのやり方でやってみる。 ありがとう、雪ノ下さん」
「そうなんだ。さようなら、由比ヶ浜さん」
「じゃ、また明日ね。バイバイ~」
エプロン、かけたまま行くんだよね…….
「……本当にこれでいいのかしら?」
「まあ、いいんじゃないか」
「……正直に言ってくれ。 由比ヶ浜さんも帰ったんだよ」
「……そうかな」
顔を揉む比企谷くん。
手を下ろして見せた彼の顔は
あまりにも疲れて見えた。
「雪ノ下、お前はこの依頼が成功できない理由は何だと思う?」
「たぶん、由比ヶ浜さんの努力不足かしら」
「それは副次的な問題だ。 もっと根本的な原因が確かにある」
「もしかしてあなたも才能がないと言うつもりなの?」
「いや、由比ヶ浜にないのは才能じゃない」
憂鬱な声が、彼の口から聞こえてくる。
「傾聴しようとする態度、由比ヶ浜が持てなかったのはそれだ」
「……そうだな、他のひとの話を聞かないような印象ではなかったのに。 むしろ……」
「……むしろ、他の人の顔色をうかがっていると言いたいの?」
「そうだね。部室に初めて来た時だけ見てもそうじゃないかしら?」
「まあ、俺が由比ヶ浜を見たのは今日が初めてだから。 100%確信することはできないよ。 お前の言う通り他の人の顔色をうかがう性格ではあるだろう」
「じゃ、あなたは何でそんなことを……」
「雪ノ下、由比ヶ浜がクッキーを作る時、お前がそばでサポートし続けたろ?」
「ええ、その通りよ」
「それじゃ、考えてごらん。 料理が上手なお前が付き添ってずっと教えてくれたのに、どうやってクッキーがそんな石炭になってしまったんだろう?」
「それは…… 由比ヶ浜さんの腕が未熟で……」
「いや、雪ノ下」
彼は首を横に振った。
「由比ヶ浜がお前の言うことを聞かなかったからだよ。 君の言うことを聞くふりでもしたなら、絶対にそんな結果は出ないよ」
「もちろん、そりゃそうだけど……」
「それに、俺を変なあだ名で呼ぶこともある。 俺が確かに嫌いだと言ったのに。 例えば由比ヶ浜がお前のことを「ユキちゃん」とか呼ぶとあんたも嫌いじゃないの?」
「うん、ずいぶん気分が悪いね。 とても悪い」
「うん、すまない」
頭を掻いた後、淡々と話す。
「一口にまとめると、由比ヶ浜は俺たちの助けを無視したんだ」
「……じゃ、さっきあなたが言ったことは全部飾り気だったの?」
「それも俺の本心だ。 ただ、言いたいことをすべて言ったわけではない。 真実を言わなかったからといって嘘ではないじゃないか。 詭弁だが」
「そうかしら」
比企谷八幡も、うそをつく。
そんな人じゃないと勝手に期待して、勝手にがっかりする。
そんな自分が、どこか滑稽だと感じる。
「とにかく、依頼はこれで終わりだね。 もう整理さえすれば家に帰れるんだよね?」
「比企谷くん」
「あ?」
「さっき、聞こうと思ったことがあるよ」
「……何だっけ?」
そうだろうと思ったが、また忘れたね。
「昨日の勝負でなぜ降伏したの?」
「それは確かだろう。 勝負を終えれば、ここから脱することができると思ったからだ。 まあ、またつかまってしまったんだけど」
「それが、違うじゃないか」
ぎごちなく笑う彼をまともに見つめる。
「比企谷くん、私が命令権で奉仕部に残るように言うのを予想してたんだろう?」
「まあ、お前の言う通りなら、俺があえて降伏を選択した理由がないのに。 推理を聞いてみようか」
「あなたは降伏の如何と関係なく、奉仕部で活動しなければならないということを知っていたの。それではあなたが降伏した理由は難なく推測できる」
「使えるね」と言わんばかりの彼の表情。
「いつか時間が流れて、勝負の勝者が私だと決まったとき、私が何を命令するか予測できないから。 それで私が命令権をあなたの残留に使うしかないようにすぐ降伏することで勝負を終わらせたのだ。 私の言うことが間違っているのかしら?」
「一つの質問。 勝負が正常に進んだ時、 俺が勝利した場合は?」
「それは推測ではなく妄想の領域だが……。あなたが言ったとおり、あなたが勝つ可能性はないと判断したか、あるいは……」
しばらく、深呼吸をする。
「……私に、命令したいことがないとか」
目を閉じた、開ける。
私がはじめて向き合った、比企谷八幡のほほえみ。
「なかなかだな。 しかし、満点ではない」
「そうなんだ。 じゃ、あなたが評価するには何点くらいなの?"
「……10点くらい?」
「ちなみに問うが、何点満点なの?」
「もちろん100点満点だ。 まだまだ足りない」
「納得できない。 減点の要因が何なのか教えてよ」
「どれどれ。推理に時間が長くかかったから-10点、そして毒舌が俺の心をほじくって-90点だ」
「とんでもない。 真剣に聞いてみた私があほらしい」
「……でも、表立った事実に安住せず、きちんと悩んで、自分なりの答えを出したから+10点。 歴代最高点だから喜んでもいいよ?」
「そもそも今度が初めてだろ……。まったく、あほらしい」
困ったように笑う彼の姿は、
なんとなく、気持ち悪い気がしない。
確かに比企谷くんと私はどこか似ている。
私らしくなくそんなことを考えてしまった。
彼との間違った初めての出会いは消すことができない事実で、
加害者と被害者であるということを変えられない立場は現実であり、
私が彼から、今はどんな感じなのかさえかすかな、
この瞬間が安らかだという考えが拭えないのは真実だ。
それなら、雪ノ下雪乃と比企谷八幡は。
「比企谷くん」
「あ?」
「じゃ、私と……」
「ごめん、それは無理だ」
「……まだ、終わりまで言っていないのに」
「……言おうとした事が何であれ、それは後に延ばしておこう」
再び微笑む彼を見て、
安らぎではなく、不安を感じたのはなぜだろうか。
「まあ、お前が100点の推理をやってのけたら、考えてみるよ」
「……私と少し離れてくれる? 気持ち悪いよ」
「ひどい」
ひどいのはあなただよ、比企谷くん。
全く……。
気持ち悪い人だ。