―interlude―
何故だろう?こんなに悲しくなるのは。
どうしてなの?こんなにも苛立ちが募るなんて。
彼がわたしに何故あんなことを言ったのか。それは理解している。
分かっているからこそ、彼の言葉に従わないといけない。それが先輩の信頼に応えることだと思うから。
でも履き慣れたはずのローファーが重くて。
あの場所に残してきた気持ちに後ろ髪を引かれて。
どうしても、前に進むことが出来ない。
どんな顔をして、あの人を家で待っていればいいのか分からない。
でも、そのこと以上に彼女が、セイバーさんの存在がわたしをおかしくする。
あの人を見る度に、“それ”は大きなものになっていく。
あの人の声を聞く度に、その感情が明確になっていく。
以前、私はその気持ちを否定したはずだった。
ただ傍に居ることが出来ればいいと、少しでもわたしのことを考えてくれればいと、そう思ったのに。
「やっぱり……嫌だ」
でも、今は違う。
「傍にいるだけじゃ……」
どうしても、あの人が欲しい。
「一番じゃなきゃ……嫌だよ」
先輩の総てを、わたしのものにしたい。
先輩の隣にいるのがふさわしいのはわたし。
わたしは先輩がいないと、先輩の一番でないともうダメなんだ。
でもきっと、こんな我が儘なわたしを先輩は受け入れてくれない。
だからどうすればいいのか分からない。
この感情を、セイバーさんに対する嫉妬を、わたしはどうすることも出来ない。
気が付くと頬に涙が伝い、地面を濡らしていく。
ただ渇いたアスファルトに、零れ落ちては消えていく。
「少女よ、何を悩んでいるのかね?」
不意に少し前の方から声を投げかけられる。
濡れた頬をぬぐいながら、声の主に視線を移す。
そこには黒い、全てを飲み込む黒い瞳をした男性の姿。
遠くから見ても分かる。その姿はあまりに虚ろで、まるでおじい様のように禍々しいものを感じさせた。
その威圧感に気押されわたしは一歩、また一歩と後退る。
おかしいよ。なんでわたしばかりこんな目にあうの?ただ、先輩が欲しいだけなのに。
何で願望を持っただけで、こんなにも周囲はわたしを追い詰めるの?
そんなに、わたしのことが嫌いなの?
頭が混乱し、何も答えを出せない。
だからかもしれない。後ろから近づくその人に気が付かなかったのは。
「――我の服が汚れたではないか。何をしてくれる、小娘が!」
ドンと背中に衝撃が走る。どうやら、誰かにぶつかってしまったみたいだ。
ただ聞き覚えがあった。棘のある声。その声にわたしは怯えながらも振り返る。
でも、その傲慢な声の主を目にすることなく、わたしの世界は暗転した。
それは蟲倉の底でも見たことのない。
完全な黒。
―interlude out―
普段は気にならないはずの喧しい周囲の雑踏が、今はどうしても気になってしまう。
それはきっとこの空間に、この三人で向かい合ったこの状態に耐えられないから。警戒を露わにするセイバーに、そして無邪気にも残忍な瞳をチラつかせるイリヤに、どうにかなってしまいそうだった。
「――さて。貴女はサーヴァントよね?」
先に口を開いたのは銀の少女。その声からはハッキリとした挑発が感じられる。
しかし少女のそんな挑発にも眉根も動かすことなく、セイバーは鋭い視線を彼女に向けたまま何も応えようとしない。イリヤの名を聴いた時の困惑した表情は一体どこにいったのだろう、剣士としての表情に戻っていた。
「あら、淑女の質問に応えないなんて……あまりに無礼じゃなくて?」
言葉を返したイリヤの表情からは、先までの可愛らしい意地悪な表情は見て取れない。
妖しく光る紅の瞳からハッキリと殺気が感じられる。それは明らかに、『魔術師』のものへと変貌を遂げていた。
これ以上はダメだ。これでは要らぬ諍いを生むだけだ。
俺は二人の間に割って入り、視線をイリヤに向ける。
「イリヤ……それ以上はもう魔術師の領分だろう?」
これは警告。現状戦う術を持たないイリヤにとって、この場で戦闘になることは望むべくことではないはずだ。だからこそこう言ってしまえば、彼女は退かざるを負えない。
「あら、わたしはこの礼儀知らずに――」
「お前は、ここで戦いたいのか?」
彼女の返答に、俺は即座に斬って返す形で言葉を紡ぐ。
俺の言葉に、少し複雑そうな表情を見せた後、イリヤは顔を下に向け深く溜息をつく。
そして優雅に髪を揺らしながら、再度俺を見据えてこう返した。
「ん~お日さまの昇っているうちは戦わないって言ったでしょ?」
そう。これが待ち望んでいた……いや、そもそも彼女が最初から告げていた言葉だ。
このまま少女が帰路につけばそれでいい。そう遠くない未来、彼女とその従者と刃を交えることは避けようのない事実と分かっていることなのだから。
しかし帰路につこうとする彼女を見過ごすことの出来ない人物が歩を進め、その前に立ちふさがった。
「待ちなさい! 貴女も魔術師(メイガス)……いや、マスターだというのなら!」
棘のある声でイリヤに制止を促すセイバー。戦う術を持たない少女に、まさかこのような行動に出るとは、まさに想像もしなかった。
「見過ごすわけにはいかない、とでも言いたいの? 貴方のマスターは戦わないみたいだけど?」
目の前に立ちふさがったセイバーに冷ややかな視線を向ける。
「――しかし、この好機を逃すべくもない」
その視線に臆することなく、セイバーは正面から彼女の視線を受け、それに返す。それは騎士の誇りからか、それともどのような手を使ってでも聖杯を手に入れんとする彼女の決意がそうさせているのか、俺には分からない。
「……セイバー!」
だが、やはりこのままイリヤをこの場に引き留めておくことは出来ない。それだけは分かっていた。
俺はセイバーの腕を掴み、これ以上のイリヤに対する追求を止めるように告げる。だがその行動に、彼女はハッキリとした拒否を持って答えた。
「シロウは黙っていてください! この状況を見過ごすことは出来ない」
「そうね、シロウは少し待っていてくれるかしら?」
俺の言葉に耳を貸さず、イリヤの回答を待つセイバー。
イリヤ自身も、セイバーを納得させることが出来なければ、この場から立ち去ることはできないと悟ったのだろう。彼女は先と同様に強い意志を宿した瞳をみせる。そしてゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「今日は本当にただの挨拶よ。どうせ戦うことになるんだもの。……楽しみは後にとっておきたいわ」
それは彼女自身が既に覚悟していたことであった。
どのような事態になろうとも、戦うことを避けることはできない。ならば出来る限り邪魔のはいらない形で……というのは、きっと俺の勝手な想像かもしれない。
しかし彼女の、イリヤの言葉の端々からはそう感じ取ることが出来た。
「――それに、もう一度会ってみたかったの」
そして彼女は続ける。
これまで胸の奥に秘めていたものを全て吐き出すように。それが彼女の、唯一の望みであると言わんばかりに。
「わたしのバーサーカーが殺しちゃう相手を……いえ、嘘をつくのはやめにしましょう」
「嘘だと? まだ私を謀るつもりなのか!?」
語調を強め、セイバーは更に一歩イリヤへと近付く。
最早手を伸ばせば肩に触れることも出来る距離であろう。俺はセイバーを止めることの出来なかった自分自身に不甲斐なさを感じていた。そして俺の更に追い込もうとしているのだろうか、イリヤの口から俺の記憶のどこにもない初めてのセリフを口にした。
「父さまが……キリツグがわたしを裏切ってまで守ったモノを、この目で見たかった。ただそれだけよ。」
「……イリ……ヤ? お前……」
「――父? キリツグが父……だと?」
それは彼女が決して口にしなかった言葉だった。
これも俺が彼女と、イリヤと深くかかわってしまったことによる変化なのだろうか。俺、そしてセイバーはイリヤに返す言葉が見つからず、ただ彼女を見つめることしか出来ない。
そんな俺たちの様子に嘆息し、イリヤはスカートの裾をそっと上げ、可愛らしくお辞儀をした後、ゆっくりと人ごみに向かい歩き始めた。
「イリヤ!」
セイバーの脇を抜け、歩き始めるイリヤに声をかける。
「何? もうバーサーカーが起きちゃうの」
気だるそうにそう返すイリヤは二人で会話していた頃とも、セイバーと殺気をぶつけ合っていた頃とも全く違う悲しげな、今にも泣き出してしまいそうな表情を見せていた。
それを目にした時、俺は言うまいと心に誓っていた言葉を口にする。
これを言ってしまえば、非情に成りきれないと理解しながらも。
「親父、切嗣はずっとお前を心配していた! それだけは……信じてくれ」
「――じゃぁね、お兄ちゃん。次は……」
嗚咽を堪える声。必死に泣く事をこらえながら、彼女は呟く。
きっと、俺たちにはその言葉がふさわしいから。
「次は、殺しに来てあげるから」
そう言い残し、彼女は足早に去って行った。
決して彼女の後姿を追いかけることはしない。それは俺にとって、そしてイリヤにとっても辛いことになることは分かっていたから。
そしてまず、今は俺の傍でかつてないほどに苛立ちを隠そうとしない少女をどうにかしなければならない。
「シロウ……どういうことなのです!?」
俺に詰め寄りながら、先程まで放心していたはずのセイバーは俺を睨みつける。
昨晩と同様の、あまりに冷酷な瞳で。