「ーーアーチャーだった? 何度も聖杯戦争を経験している? そんなバカみたいな話、信じられる訳じゃない……認められる訳ないじゃない」
道場から聞こえてくるその声に納得する事が出来ず、小さく舌打ちする。おおよそ優雅とは言う事の出来ない所作。きっとお父様が今の私を目にしたら、酷く不愉快な表情を見せる事は必死だ。
セイバーと衛宮君。二人の神妙な雰囲気に、さすがに桜の話を続ける事が出来ないと判断した私は一人中庭に出て月を眺めていた。
冷え渡る空気が私を包む。そして冴える月明かりが私を、この大地を余す事なく照らし続けている。柔らかな光を振りまきながら短い時間ではあるが、この大地を照らすその様は正に夜の支配者と言っても過言ないのではないのだろうか。
きっとそんな妄言もきっと疲れているせいだと頭をコツンと叩き、弱い考えを忘却する。
ただ一つだけ、この遠坂凛が自信をもって言う事が出来るのは、この季節の月の輝きを私は心から愛しているという事くらいだろう。月の見頃は秋だと人は言う。この国の過去の文学者も、秋に見る月こそ面白いと記している。
でも私はこの季節の、冴え過ぎた空気の中にあるこの月明かりが好きなのだ。
魔術師故の、夜との親和性の為だろうか。道場の中から聞こえてきた声に混乱していたはずの頭は既に整然とし、その声を素直に納得する事が出来た。
「そうね……納得出来る場面はたくさんあった。それにアイツのおかしな態度も……そう判断するには充分過ぎる材料が揃ってたじゃない」
そう。初めてサーヴァントを用いて衛宮君と対峙した時から自分のサーヴァントがおかしな態度を取っている事には気が付いてた。
ただ気に入らないだけだろうと見過ごしていたが、今になってみれば彼の行動は憎悪に塗れたものであったように思う。
しかしそれならば何故桜と対峙した際に私たちを逃がすような真似をしたのだろうか。自らは消滅してしまう事も必至の場面で、まるで態と衛宮君を逃がすような素振りをアーチャーは見せた。
それだけが、どうしても私には分からなかった。
「折角のサーヴァントだったのに、アイツの事……何も理解してなかったのね」
既に私の右手から失われてしまった紋様の在ったであろう場所に目を向ける。
私がマスターであった証明が無きものになったことをそれはありありと示していた。そんな自分を嘲笑いながらもう幾度目になるだろう、天に君臨する月を見上げる。
私の繰り広げる喜劇を楽しんでいるのだろうか、更にその輝きを更に強いものにしていく。
「ホント、皮肉ったらしいったらないわね……」
そんな言葉を吐き出したとき、視界の隅に人影が映った。ハッとしながらその人影を正面から捉えようと、私は視線をそれに向ける。
数日前、彼女と初めて会った時もそれを感じた。
まるでそれは絵本の中から飛び出してきた妖精のようで。神秘的で、幼いながらもどこか優雅な雰囲気。あんな出会い方でなければ愛でる対象になる事は必至なのだが、今はその気持ちをグッと押し止めよう。
私は……遠坂凛は魔術師なのだ。そして聖杯を奪取せんとしていた者の一人。
そして彼女は私と同じく……聖杯戦争を始めた御三家の一つから送り込まれた者。
「ーーイリヤスフィール・フォン……アインツベルン」
辿々しい足取りで縁側からこちらに歩を進める少女はキョロキョロと周囲を見渡しながら何かを探すような素振りを見せる。
おかしい。声をかけた私と、イリヤスフィールとの距離はそこまで離れたものではない。一瞥くれるだけですぐに見つける事が出来るはずなのに、彼女にはそれが出来ないようであった。
「ちょっと、無視するつもりなの?」
思わずこちらに振り向かせようと、態と刺のある声を発してしまう。
その声にようやく私の居場所を見つけたのだろうか、私の方を見ながら歩くその姿はやはり覚束無い。何より私の事を見ているはずのその瞳は、私に合っていないようにすら感じられたのだ。
まさか本当に私の事が見えていないのだろうか。
「ねぇ、そこに……そこにシロウはいる?」
どうにか私の傍に息を切らしながら辿り着き、吐き出すようにそう口にするイリヤスフィール。フラフラと私に寄りかかりながら発したその声を耳にし、ようやく確信を得た。
「アンタ……見えてないの?」
「……えぇ。もうぼんやりと、しか見えないわ」
言葉の通り、彼女の瞳はどこを捉えるでもなく虚空を彷徨っている。私の身に付けた赤を手がかりにようやく私の傍まで来たのだろうと考えながら、彼女から視線を外す。
言葉にならない。その弱々しい声があまりに惨めで。
あまりに痛々しい。光を奪われながら、必死に衛宮君を探そうとするその姿が。
それが私が今のイリヤスフィールの姿を目にした素直な感想だった。
「ーーシロウ、シロウがいないの……あの時は一緒にいたのに……ねぇリン。シロウはどこにいるの?」
あの時、きっとバーサーカーが桜に消し飛ばされた時の事を言っているのだろう。確かにあの時まではイリヤスフィールは意識を保っていた。
バーサーカーが消滅してしまった今だからこそ彼女の支えとなるもの、彼女が欲しているものは衛宮君だけなのだろう。だからこそ身体を震わせながらも、彼を手探りででも探しているのだ。
「衛宮君なら今セイバーと話しているわ。もう少しだけ待ちなさい。今だけは二人で話をさせないと」
「何で! イリヤはシロウの傍に居たいの! そうじゃないと……」
衛宮君の声が耳に入ったのだろうか、道場の方へと顔を向けながら安堵に満ちた表情を浮かべたイリヤスフィールが私の言葉に声を荒げる。
しかし不思議と彼女から感じる殺気を、私は怖いとは思わなかった。
いや、思えなかったという方が正しいのかもしれない。確かに彼女は危険な魔術師なのかもしれない。事実、数日前に公園で会った際に私はイリヤスフィールに対して少なからず恐怖心を抱いた。
しかし今の彼女はどうだ。
その表情は私に対する苛立ちに満ちているというのに、私の腕に必死に掴み掛かっているというのに、こんなにもイリヤスフィールを弱々しく感じてしまう。それが自分のように思えてしまった。
そしてきっとこんな私たちのやり取りを知らないからだろう。道場の中から聞こえるその声は、無慈悲に私の腕の中で暴れるイリヤスフィールを追いつめる。
懺悔に似たその響きは、ただ淡々と口籠もったまま私たちの耳に入る。
“俺は知ってた……この聖杯戦争がどうなるかも。イリヤが……あの子が聖杯の器になるってことも”
「なんで? なんでそんな事も知ってるの? なんで、そんな事まで……」
衛宮君のその声を聞いた途端、イリヤスフィールの震えが止む。その違和感に思わず彼女の顔を覗き込んだ瞬間、私は絶句してしまった。
最初の出会いから今まで彼女の様々な表情を目にした。
喜び、狂気、怒り、嘆き、悲しみ。
だが今の彼女には何の色も無い。ただ鼓膜を揺らしたその音が、彼女の予想もしなかったものだったという事だけは彼女を抱く私にはハッキリ分かった。
刹那、彼女の身体から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「ちょ、ちょっと! イリヤスフィール!」
彼女を支える腕に力を籠め、倒れ込むその身体を受け止める。
力なく倒れた人間の身体は存外に重量があると耳にした事があったのだが、彼女の身体は月並みではあるが羽のように軽い。
その一言に衝撃を受けたのだろう。私の呼びかけに彼女は答えず、薄らと閉じられた目から一筋の涙が零れ、頬を伝っていった。
「シロウ……シロ、ウ」
そしてうわ言のように吐き出したその言葉は、心から衛宮君を求めたものなのだろう。気付いてはいたのだ。殺すと口にしながら、どこまでもこの子は衛宮君に依存していたのだろう。
「ーー辛いわよね、こんな事しかしてあげられないけど……」
「お父様……お母様……」
「今は、少しだけでも寝ておきなさい」
「 バーサー、カー……まで、わたしを置いていく……」
その言葉を最後に彼女は声を発さなくなった。
静かに寝息をたてながら自らの意識を停止させてしまった彼女に、最早私にはかけられる言葉が見つからなかった。
ここまで自分自身に負担をかけながらこの戦いに臨んでいた彼女に同情しながらも、仕方がないと溜め息をつきながら、私はイリヤスフィールを抱きかかえ、縁側へと向かい歩き始めた。
ふとゆったりと風が流れ、私の髪を揺らす。
この風が流れていくように、時は刻一刻と過ぎていく。もう足踏みをしている事は出来ない。だからこそ今頭上に輝く月が顔を隠した時には、私は動き出さなければならないのだ。
「ホント、訳分かんない……でも、私がやらないといけない事だけは、ハッキリ分かるわ」
そうだ。目の前にここまで自らを犠牲にする女の子がいるのだ。
私だって、この戦いに参加する権利を失ってしまったからといって、何もしない事など出来ない。
「アーチャーがいなくても私は……マスターだとか冬木の管理者(セカンドオーナー)だとか、そんなの関係ない」
そう。それは……私が私であるとい事を示す為に。
「私が、遠坂凛だからこそ桜を……自分の妹を止めないといけないのよ」
この世に一人だけの、大切な妹にあんな残酷な事を続けさせる訳にはいかないのだ。
ーinterlude outー