その狂気と歓喜は月明かりに照らされ、赤々と毒々しいまでに存在感を露にするその槍は総てを貫かんと切っ先を光らせていた。
赤き槍の担い手はただ、己の中に抱えたあまりに大きな感情に顔を歪めていた。
かつて……俺はその表情を見た事があった。夜の月に照らされた中、その表情が余りに印象深く残っている。
それはきっと、いつでも死に一番近い所で目にした表情だったからだ。
初めて殺された学校の廊下。
追い立てられて逃げ込んだ土蔵の中。
初めて堂々と正面から相対した校庭。
そして彼の真の実力を垣間みた、教会での戦い。
しかし総ての表情は今、俺に向けられたものではなかった。
「待ちわびた……本当に待ちわびたぜ」
その言葉すら、俺には全く関係のないものであった。
ただランサーはセイバーとの再戦を切望していただけだった。だからこそ俺の存在などを気にかけたような素振りは見せない。
ただ戦士として、どうしても果たしたい願望を叶えんが為に彼女は首輪をつけられながらもこの場にやって生きたのだ。
「ランサー、貴方が今この場に現れた理由は分からない」
「あぁそんなことは些細な事だ。そんな些末なこと、オレたちの戦いに持ち込む必要なんてないだろ」
戦う者は引かれ合う。
あまりにシンプルなその思考に笑みをこぼしながら、その言葉の受け手であるセイバーは黄金の剣の柄を握りしめた。
そう。相対した瞬間に、彼らの間に言葉は要らない。
あるモノは単純な、生命のやり取りだけ。互いの得物を掲げ、ぶつけ合わなければ伝え合えない冷ややかな、しかし熱の籠ったやり取りだ。
その光景を目にする俺ですら、思わず興奮に身を震わせてしまうほどなのだ。
きっとこの二人も、言うまでもなく……。
「確かに、だからこそ!」
「ーーッ! その通りだ!」
刹那、銀と赤が肉薄する。
同時に飛び散る火花。響く剣戟よりも速く、鮮烈に弾ける閃光は溜め息の音すらかき消すようにその場を支配した。
「ーーーーーー!」
ランサーの突き出した槍を上方に去なす。
上体のバランスは一切崩れていない。その返す腕と反動を利用し、彼の間合いへと一気にセイバーは侵入していく。
「ふーーーー」
しかし飛び込んだ間合いの先には、既に赤の槍が存在を露にしていた。
飛び込んだ剣士の一刀よりも速く、寄り戻された槍により激しい光が走る。猛り狂う魔力の奔流が、ランサーの槍を震わせているのだ。
しかし彼にとって、そんな事は児戯に過ぎないとばかりに、薄ら笑いを浮かべ、強引に剣を押しのけた。
「そんなもの、効くか!」
「ーーーーーーッ!」
あまりに易々と押し戻されるセイバーの剣。しかしランサーの槍の追撃は押し戻すのみに終わらない。
鉛色の巨人のような単なる暴力ではない、正確無比な槍の一突き一突きがまるで瀑布のように彼女に迫り、彼女を侵していく。それを必死に受け止めながら、槍の戻る一瞬の隙を捉えながら一刀を繰り出していくセイバーの姿に、俺は違和感を持たずにはいられなかったのだ。
「ダメだ、あのままじゃ……」
このままではいけない。それは剣戟の一音目を聞けば明らかだった。
「そうね。アレじゃ負けはしなくても、勝つ事も出来ない」
俺の隣に並び立った遠坂がそう口にする。それは彼女なりに冷静に戦いの状況を判断しての一言だったのだろう。確かに今のままならば一進一退の攻防に見える。
しかし遠坂の判断まだまだ甘過ぎる。
セイバーの消耗を遠坂は読み切れていない。それに加えてランサーの、あの槍の脅威を彼女は理解しきれていないのだ。
あの呪いの槍を、今の状態のセイバーが受けてしまっては絶命は必至だ。
しかもランサーの魔力は充実しているはず。幸運にも一度目の槍を退けたとしても、二撃目三撃目のゲイ・ボルクが控えているという事は言うまでもないだろう。
「……方法はある」
そう。この窮地を脱する方法がない訳ではない。
「方法って……まさかアンタがあの中に割り込んで、セイバーに加勢するとかじゃないでしょうね!?」
声を荒げながら、一番に切り捨てるであろう答えを口にする遠坂。
当たり前だ。俺は、俺では“サーヴァントに勝つ事が出来ない”という事は十二分に理解している。こんな俺ではセイバーの足手まといになる事は言うまでもない。
しかしもう一つの選択なら、危険を最小限に留め、セイバーを存分に戦わせてやる事が出来るはずだ。
遠坂の肩に手を置き、彼女がどうにか聞き取れるであろう位の声で俺は自分が考えた筋書きを彼女に告げる。
「ーー遠坂、出来るか?」
「そんな反則じみた事! アンタ正気なの?」
遠坂の常識ではこんな方法は思いつかないはずだ。だからこそ彼女は『反則』という言葉を使った。
かつてこの方法を使った時、彼女が俺に向けて見せたのは怒りなどよりも、驚きと落胆の色の方が濃かった。
しかし事実、この方法を使えばこの状況を打破する事は可能なのだ。驚き困惑した表情を浮かべる遠坂に、馴染みに一対の剣を顕しながら俺は告げる。
「……言っただろうあくまで聖杯戦争に関わる事なんて、手段に過ぎないんだよ」
「ーー手段? 何、もう聖杯戦争なんて興味がないって事?」
「違う……」
「聖杯の行方も、それで誰が傷付いても構わないってこと?」
俺の発した言葉に顔を顰める遠坂。詰め寄りながらそれ以上に踏み込んでこないのは、俺の言葉に何か感じる部分があるからなのだろうか。
「ただ俺の目的はもう一つだけなんだ。それにあの時、教室でも言っただろう?」
夕暮れの赤が染め上げる教室の中、俺は確かに遠坂に語った。
その時の彼女にとっては一番頭にくるはずの言葉。聖杯戦争に関わる全ての者が苛立ちを覚えるはずのその言葉を。
「覚えてる……確かに覚えてるわ」
セイバーと俺の会話を聞いていたのならば、簡単に理解出来るはずだ。
「聖杯は必要がない、でしょ?」
「そうだ、俺は聖杯なんかには興味がない。ただ……」
そう。かつて俺が聖杯戦争に関わる意味はセイバーに会う為だった。
だがその願いは変質し、一番の望みは全く違うモノになってしまった。しかしそれを正面から受け止める事が出来ず、はぐらかしながら俺はこう言葉にした。
ただそうしなくては何も進まないと、確信を持っていたから。
「俺は、桜の前に……何を犠牲にしても、桜の前に立たなきゃいけないんだ」