ーinterludeー
「お疲れさまでした。褒めてあげます」
少女は笑顔を浮かべた。
しかしそれは目にして心地の良いモノではなく、身の毛も弥立つのほどの周囲に与えるほどに醜悪なものであった。
かつての少女であればそんな笑顔を浮かべることなど、決してありはしなかっただろう。しかし今の彼女の間桐桜の表情は悪意に満ち、瞳は憎悪の色を湛えていたのだ。
「お褒めに預かり光栄だ、我が主よ。しかしな……こんな瑣末ごとに私を駆り出すなど、時間の……いや魔力の無駄遣いとは思わなかったのかね」
彼女のそんな皮肉めいた言葉を受け、淡々と返答する褐色のサーヴァント。
アーチャーは自らのマスターからの命を果たし、その場所に戻ってきた。暗闇の支配するその場所、この戦いの大元となる本来の輝きを失ってしまったモノ場所だ。
「そんな出し惜しみ、今更意味ないでしょ?」
アーチャーに視線を向けることなく、桜はただそう返した。彼女にとってはそれこそ瑣末なことだったのだろう。間桐桜にとって、興味があるのは一つだけだった。
そのことにはアーチャー自身も気が付いていたのだろう。だからこそそれ以上の追求を彼はしなかった。そんなことをしても徒労に終わると実感があったのだ。
「無意味……そうか、無意味というか」
「どうでした? あの狗さんと戦った感想は」
「存外、何の感慨も浮かばんさ」
そう。その言葉に偽りなどなかった。
ただ弱き者が死に、強き者が生き長らえたというシンプルな答えのみがそこに横たわっていただけであった。だからこそ彼は何も感じることはない。それは生前から、彼にとっては当たり前のことであったからだ。
「……嘘」
「ランサーは既に死に体だった。私が手ずから止めを刺さずとも、彼は消えてなくなっていた」
「……それでも、貴方はあの人と戦いたかったんでしょう?」
「何をもって、そう決めつけるのか。生憎だが、私には英雄の誇りなど持ち合わせてはいない。寧ろそんなモノは最初から持ち合わせていはいなかったのだから」
「えぇ、貴方はそうでしょうね。そうやって斜に構えて言い訳してしまうんですもの……でもね、『あの人だった頃』の貴方は違うでしょう」
凛と、ただそう呟く桜。
一瞬、その表情に影を落としたアーチャーを、その瞳は見逃さなかった。
ただ虚空を見つめていたはずの彼女の瞳がアーチャーを見据え、彼がその心に揺らぎを覗かせたことを見逃すことはなかった。
「あの人は、衛宮先輩は違うんですよ」
その響きは酷く嬉しそうに、そして敢えて挑発するように発せられた。
アーチャーがどのような反応を見せるのか、今の彼女には充分に理解出来る。
そう。彼女は全てを見透かしているのだ。今の間桐桜にとって、それを理解することなど最早雑作もないことなのだ。
「あぁ確かに私とあの男は違うさ」
そう口にしながら、必死に冷静さを保とうとするアーチャー。
しかし発したその声には少なからず、澱みが聞いてとれる。その反応自体が桜を喜ばせることだと分かっていても、彼にとってそれを隠しきることが出来なかったのだ。それほどまでに間桐桜という人間、いや最早そうとは呼べない者が力を蓄え過ぎた。
その身の内に、闇を蓄え過ぎたのだ。
「あのような偽善者……いや、半端な男と私を比べないでくれるか」
「比べてなんていません。ただ、貴方と先輩は『同じ』だけど『違う』んです」
そう。彼女は言う。
『同じ』であるが『全く違う』モノだと。『今、この時を生き抜く』エミヤシロウと、『理想を為した末に、自らの生に疑問を持った』エミヤシロウとでは、あまりに違いすぎるのだと。
「先輩と比べてるのは貴方でしょ? 自分と先輩を比べて……貴方は彼の生き方が間違っているだなんて口にしながら、衛宮先輩が羨ましいんですよね?」
「……れ」
「迷っていても正直に生きようとしている先輩が羨ましいんですよね? 最期に自分のしてきたことが間違っていただなんて、思ってしまったんですよね。貴方が理想としてきた総てが、借り物の偽物ばかりだって思ってしまったんですよね? ホント、可哀想な人。そんなこと思ってしまったら、残るのは後悔だけなのに……」
「……」
「そんな後悔を重ねて、それでも足掻いてまた先輩の前に立つだなんて。そんな資格本当はないのにーー」
刹那、桜の横を鋭い風が走り抜けていく。
ただビュンと音を起て、それはアーチャーの苛立ちを孕んだまま、鈍い音をあげながら地に突き立つ。
少し視線を上にやれば在り在りとその存在を露にするのは、彼が創り出したのは目では捉えきれないほどの無数の剣戟。
そう。彼が桜に向けた殺意の総てがそこにあった。
これまでのアーチャーであれば、『間桐桜』自身に対し殺意は向けなかっただろう。
ただ彼女が霊長という全体を聞きに陥れる者であるという認識からの、義務のようなものであった。しかし今彼が抱いているモノは最早『抑止の守護者』と呼べるものではなくなっていたのだ。
「ーーれ……黙れッ!」
手に一対の剣を顕しながらアーチャーは自分に言い聞かせるように続ける。
しかしそんな危機的な状況であっても、彼女の表情は冷ややかなものであった。
「こんな棒切れで……本当に私を殺したいのなら、それこそ神様でも連れてきてください……勿論、そんな時間は与えませんけど」
「……ッ! いや、確かに今の私では君をどうすることも出来ないな……」
クスクスと笑みをこぼしながら、桜はクルリと身を翻し彼から視線を逸らした。
それは決して強がりなどではなく、一つの真実。
間桐桜は、そんな得物で殺せない。殺すことなど出来ようはずがない。
「ーーごめんなさい。少し意地悪し過ぎましたね」
最期の宣告が下されるかと思われた刹那彼女が口から聞かれたのは、そんな拍子抜けな一言であった。
「貴方は先輩の成れの果て……悲しい悲しい世界の操り人形」
そう語る彼女の表情は見て取ることが出来ない。しかしきっと彼女は笑っているのだろう。
悲劇を語るその口は、まるで喜劇を楽しむように爛々と弾んでいたのだ。
「だからついつい意地悪したくなっちゃうんです。しょうがないですよね、えぇ……しょうがないですよ」
「喰えない所もよく似ている。あぁ本当に君は凛とそっくりだ」
「褒め言葉として受け取っておきます……」
嫌みを口にし、アーチャーもようやく普段の自分を取り戻したのだろう。
皮肉っぽくニヤリと口元をつり上げ彼は踵を返し、元来た場所を戻ろうと足を動かし始めた。
「ーーねぇアーチャーさん……」
「何だね、我が主よ」
振り向きながら彼が言葉を返す。
確かに彼女を取り巻く魔は、黒く淀んでいた。確かに彼女の存在自体、『この世の総ての闇』と同化寸前であった。
しかし向けられたその表情だけは、かつてのように、どこかあどけない少女のそれに戻っていた。
「貴方がこの後どうしようと、私は止めることはしません。もう先輩には、私の所に来る以外どうしようもないんです。お願いを聞いてくれた貴方に、私からの最後のプレゼントです」
そして彼女は告げる。
ハッキリと、目の前の英霊が認めようとしていなかった事実を。
「貴方がエミヤシロウじゃなかったら、こんなお願い……絶対に聞きませんでしたよ?」
「あぁ感謝している」
「どっちが勝ってもわたしの所にやって来る……おとぎ話の王子様みたいに……」
クルクルと髪を靡かせながら踊る彼女は、年相応の少女の姿。
「でもね、きっと貴方は……」
「それ以上は口にする必要はない」
「せっかちですね……まぁわたしは静かに待ちます」
「あの男を殺す。そして君も……」
「でもきっと、あの人は殺されませんよ」
そして彼女のその言葉の受け手は、それ以上語らずにその場を去っていった。
その予言にも似た言葉を、素直に認めることが出来なかったのだろう。だからこそ彼は彼女の言葉に、沈黙という返答を述べたのだ。
彼の態度に笑みをこぼしながら、それでも彼女はクルクルと踊り続ける。
「ふふふ……早く来てください。待ってますから。桜はずっと、貴方を待ってますから……」
彼女は見上げる。
自らが肥え太らせた、『この世全ての悪』を見つめながら
ただ、その誕生を心待ちにしていた。
ーinterlude outー