並び立つ剣戟が告げる。
決してこの風景から、この世界から逃れる事が出来ないのだという事を。
焼け焦げた大地が示している。
歩き続けたこの先には、苦難しか待ち受けていないのだと。
そして空が……暮れ泥む緋色の空が俺に語りかけているのだ。
『エミヤシロウ』の戦いは、この場でこそ終焉を迎えるべきなのだと。
「ーーーーーー!」
剣が奔る。
迫り来る黒白の衝撃は重々しく、受けるこの腕に鈍く響いていく。
「チ!ーーハッ!」
ジャリと地に何か重苦しい音が響く。飛び散る火花の為に完全には視認する事は難しかったが、アーチャーは黒白の双剣を破棄し、地から別の得物を引き抜いていた。
「ぐーーーー」
それは心臓を貫かんとする螺旋の一撃。
突然の剣筋の変化に得物の切っ先が煌めいた瞬間、無理矢理に脚部に強化をかけ右側方へと回避を図る。
刹那、脇腹を捻れるような一閃が、そして激しい痛みが駆け抜けていく。思わず横に飛び続けながら視線をそちらに移す。映ったのは破れて漂う服の一片と、毒々しい赤。
最早その刃を見るまでもなく、それが何であるかは理解出来る。
「カラド、ボルグ……ッ!」
螺旋剣、それは俺たちがここぞという場面で必ずと言って良いほど繰り出していた一振り。
そして昨夜、ランサーを貫き殺した矢の正体。
その捻れを伝い、俺の血がアーチャーの手にまで到達する。
あまりに夥しい量の血だった。少し脇腹を傷付けたに過ぎないと感じていたのは、俺の気のせいだったのだろう。事実アーチャーの数多の剣を止め続けたこの腕は、気だるさすら感じないほどに麻痺しているのだ。
この身体が痛みに対して麻痺していたとしても、仕方がない事なのかもしれない。
俺の傷を目にし、好機と見たのだろう。早々に螺旋に捻れる剣を破棄したアーチャーは、脇に突き立つ無銘の剣を手にしそれを上段から振り下ろしていた。
刹那の華が再び飛び散り、暮れ泥む世界に一瞬の光を放つ。
掲げた干将に防がれたアーチャーの無銘の剣は、音を起てながら崩れ去った。それはアーチャーの世界に内包された剣にしては、あまりに脆いモノであった。
しかし目の前で弾けた剣の行く末など全く気にも止めず、アーチャーは再度その手に名だたる名剣を投影し振り回し続けた。
「クッ……!」
思わず声が漏れてしまう。
ただそれは痛みに耐える呻き声ではなく、苦しさに紛らわす為の喘ぎ声でもない。それだけは認めない。
ズズと砂埃を上げながら一歩、また一歩と足が下がり始める。
それほどまでにアーチャーの一撃一撃が激しいのだ。そしてこれまで相対してきたどんな敵より、激情を秘めたものであった。
しかし同時に、繰り出すそれらに流麗さが感じられなかった。
ただ叩き付けるだけのような剣筋だと思えてしまった。
駄駄を捏ねる子供のような、そんな印象を感じざるを得なかったのだ。
アーチャーの浮かべるその必死な様を目にし、窮地に追いやられているにも関わらず口元が歪んでしまう。
同じだ。
いや、同じ『だった』。
目の前で剣を振るうこの男は、やはり俺そのものであった。
分かりきった……当たり前の事なのに、それをこんなにまざまざと確認させられただけで、こんなにも笑みが止まらなくなってしまうなんて。
そう。俺自身もこうだった。
俺自身もかつての自分に、こんな風に力任せに剣を振るった事がある。
「その、激情も……」
俺は経験してきた。それは『英霊エミヤだけ』が抱えていたモノだ。
コイツだけが抱えることを許された、コイツだけの大切な思いだ。
「その……憤りも」
だからこの『やり直し』を始めた俺は、自らが『英霊エミヤ』だったという事を封印した。
幼い身体に戻ってしまったように、自らの考えすらもそれに沿うように意識し続けてきた。
わざとそうしていると遠坂辺りに知られれば、頭がおかしいのではないかと嘲笑うかもしれない。魔術師としても、そして人としても、自ら退化の道を選ぶなんて合理的ではないと考えるに違いない。
それでも少なくとも『思考』だけは、『英霊エミヤ』ではなく『エミヤシロウ』として、この身の丈にあったモノでなくてはいけない。
このルールだけは、自分の中で守り続けたつもりだ。
だからこそ俺は『英霊エミヤ』ではなく、『エミヤシロウ』だと胸を張り続けて、この戦場に立つ事が出来るのだ。
だからアーチャーの気持ちは十分に理解出来る。
しかしそれを受け入れてはやらない。受け入れてやれないのだ。
「ーーグッ!ーーーー」
何度アーチャーの剣を受け続けただろう。
何度不本意なまま、後退しただろう。
砂埃を上げる乾いた地面に、赤々と雫が零れていく。
腕から、肩から、そして身体から血が吹き出している。
柄を握り続ける手に力が入らない事を考えると、指の骨も折れてしまったのかもしれない。
ーーーー満身創痍
その言葉が、なんて似合いの状態なのだろうか。
「貴様では、私には勝てない……ッ!」
投げつけられるのは、避けようのない現実。この状態を見て、俺が優勢であるとは誰も思わない。 アーチャーの声が耳に届く度、心の中に鬱積が募っていく。
言いたいように言われているから。
されるがままに、斬撃を受け続けているから。
否、それだけではない。
もうこの斬撃を受ける必要がないと、負けを認めてしまえとこの身体が叫んでいた。
もう耐える事が出来ないのだと考えてしまう、そんな自分の弱い部分が表出していた。
幾度となく否定し続けたモノを、こんな場面になってまで……この身体に戻ってからのこの悪癖だけはどうにもならない。
「…………はぁ…グッーーーー!」
ギリリと奥歯を噛み締める。
手に力を籠め、柄をきつく握り込む。
自分の中に現れた弱音を打ち消せ!
アーチャーのその言葉を認めてやるな!
ありはしない……そうだ。ありはしないのだ。
既に俺は、いや……オレはそれを目の当たりにしたではないか。
「その勝手な、決め付けだって……!」
俺が、オレに勝てないなどーーーー
「俺は……全部、全部飲込んできてんだ……ッ!」
ーーーー決して、ありはしないのだ!
ジリリと、身体の中を駆け巡っていく。
魔力の猛り。
感情の高ぶり。
それらがまるで、形を得たように、身体の中を暴れ回る。
あぁ、あの時の衛宮士郎もこんな感覚を得ていたのだろうか。
刀身に歪みを見せ始めていた干将が、そして莫耶が本来の形を取り戻していく。
「ーーーーッ!」
自らの得物に伝わる感触に、それを察したのだろう。
ふと怪訝な表情を見せた刹那、振り下ろされる黒白の光はこれまでのどの剣戟よりも鋭く、勢いのあるものであった。
しかしその一閃を繰り出す瞬間。
剣を引き戻すわずかな時間があれば、それだけで十分だ。
「……だから、俺は!」
本来の姿を取り戻した双剣に、ありったけの魔力を籠め、強く押し出す。
「ぬっーーーーーー!」
押し出す両の手に呼応するように、手にしていた干将、そして莫耶はまるで中から爆ぜるようにその刀身を巨大なものにしていく。
黒白の翼を広げ、その切っ先はアーチャーの眼前まで迫る。
しかしその一歩では、この踏み込みでは足りない。
ならばこの足に籠める力を更に強く、一歩、大きく踏み込む。
「ーー俺はなーーーー!」
「ぐーーーー」
鍔迫り合う剣と剣のギチギチと鳴る音を隠れるように、短い呻き声がアーチャーの口から零れる。
足りない。まだこれでは足りない。
ならば手にした得物を、より強靭に、より多くの魔力を籠める。
「負けて……負けてやれねえんだよおおおおお!」
キィンと甲高い音を起て、手にした莫耶がアーチャーのそれを弾き返す。
「ーーーーな!」
突然の怒号に気を奪われたのか、このまま勝敗が決するのだと高を括っていたのかは分からない。
ただ確かにアーチャーは放心しているとしか言えなかった。その表情を捉えながら、肥大化した黒の剣を打ち捨て、両の手で莫耶の柄を握り込む。
白の長剣を振り上げ、ただ振り下ろす。
力任せの出鱈目な一撃。
しかしこれまでのどの一撃よりも、自らの内にある激情を籠める。
かつて剣を交えた、あの時の俺のように、ただアーチャーの想像を超える速度で振り抜くだけだ。
「……くッ!」
繰り出す剣に気圧されたのか、剣戟の衝撃に堪え兼ねたのか、アーチャーは後ろに飛び退き、大きく間合いを広げる。
その表情には放心ではなく、確かな焦りが見え隠れしていた。
分かる。俺もこんな表情を浮かべたから。
かつての俺がそうであったように、アーチャーとしての英霊エミヤは、目の前で剣を振り上げる衛宮士郎という存在に目を奪われてしまう。
それは確かな隙となり、次への動きを鈍らせる。
それどころか、周囲の状態の変化にすら、反応出来ないようになってしまうのだ。
いや、むしろ戦いを始めてた瞬間から、俺もそしてアーチャーも冷静さを失っていたのかもしれない。
「ただの、力押しなど……ッ!」
短く悪態をついた後、一瞬見て取れるほどにアーチャーの顔が強ばる。
一閃。更に大きくアーチャーを引き剥がし、怒号を上げる。
「ーーーーだよ、こんなの……ただの『魔力の無駄遣い』だ!」
これは気付かれていれば完全に魔力の無駄遣いと呼べる行為だった。
乱暴に投げ出された俺の声に呼応するように数多の剣戟が顕われ、その存在感を示した。
それはまるで俺たちの戦いの軌跡をなぞるように、アーチャーの周囲を取り囲んでいたのだ。
そう。アーチャーがこの固有結界を展開し始めた時から、俺が準備し続けた隠し球がこれだった。
自らの投影したモノを撃ち出す。
俺とアーチャーにとっては、何も特別な事のない、ありふれた戦術の一つ。
だからこそ俺たちの戦いの中では決して必殺の術にはなり得ず、使えば使うほどに魔力を消費してしまうだけになる。
しかし、それが『そこにある』と認識出来ていなければどうなる。
「ーー凍結、解除(フリーズ・アウト)」
そうだ。認識が出来ていなければ避ける事は、出来はしない!
「貴様、まさか……!」
俺の声に、何をしようとしているのかを察知したのだろうか。身をのけぞらせながら、焦りの声を上げる。
だがもう遅い。俺の投影は既に実体を持ち、総ての切っ先をアーチャーに向けている。
あとは、俺がその言葉を口にするだけだ。
「全投影(ソード、バレル)……」
撃ち出すこの詞を……
「ーーーーっ! ちい!」
「連続、層写(フルオープン)!!!」
それを口にするだけで良い。
音が響く。
焼けた空気を切り裂く、無数の風切りの音。
赤々とした鈍い光を受けながら、銀の軌跡は一気にアーチャーへと突きたたんと速度を上げる。
刹那、終点へと突き立つ剣戟が起こした砂埃によって、アーチャーの姿は視認する事は出来なくなった。一瞬、飛び散る火花が視界に入ったが、それを目にしておきながら俺は手にする莫耶を地に突き立て、膝をついてしまった。次の行動に移れずに、へたり込んでしまったのだ。
そう。俺の身体は既に限界を通り越していた。
造り上げた投影を総て撃ち出した事によって、魔術回路は完全にオーバーヒートしていた。
「はーーはぁ……はぁ、はあ、はーーーーッ!」
呼吸すらままならない。
指の骨は折れ、支える脚は挫き、身体中には斬り付けられた無数の傷。
少しの休息でどうにかなる訳ではない。しかしそれでも身体は酸素を求め、大きく肩を動かし続けていた。
苦痛に喘ぐこの身体に鞭を打ちながら、顔だけは下げず、未だに砂埃の立ち込めるその場所を睨み続ける。
「これで決まらなけりゃ……いや、そんな訳ない」
確信があった。
アイツは俺だから。
アイツ自身も、こんな幕切れを望むはずがないのだと。
「アーチャーが……アイツがこれだけで終わる訳がない」
「ーー投影、開始(トレース・オン)」
自分の発するその言葉よりも、より低い響きが静まり返っていた剣の丘に響き渡る。
「ーーーークッ!」
刹那、未だに晴れぬ砂埃の中心から、飛来する数本の殺意。それは確かに俺の急所を射抜かんとしていた。
熱暴走を起こしている魔術回路に火を入れ、撃ち出された得物を複製する。
疲弊した身体を無理に動かそうとしたのだ。どれだけ複製された得物の出来が良かったとしても、担い手が紙屑ほどの強度しかなければそれも意味がない。
俺の振るった得物は、アイツの撃ち出した殺意の総てを撃ち落とす事が出来ず、更に大きな傷を子の身体に負わせてしまった。
「ーーーーーー!」
負わされた傷の痛みに声を発しそうになるも、どうにかのど元でそれを食い止め、前へと視線を伸ばす。向かう先は、変わらず砂埃の向こう。
やはりアイツは、アーチャーは倒れてなどいなかったのだ。
「……」
ようやく砂埃が晴れ、褐色の素肌が見て取れた。
そしてその前にはその身を守るように突き立てられた、人の身体が完全に隠す事が出来る幅の広い剣。その作りは一目見るだけで強固だと実感する事ができ、自分の考えが甘かったのだと思い知らされた。
アーチャーの浮かべた表情は、未だに焦りの色のままであった。
彼の腹部、その脚には、俺が放った得物が突き刺さっていた。
しかしその全てが急所を外れ、致命傷には至っていない。
「やっぱり、かよ……」
分かっていた事だ。
いくら無数の剣戟を撃ち出したとしても、アーチャーはそれでは絶対に倒れる事はない。今まで数えきれないほどに頭の中でこの戦いを描き続けて来たのだ。
これくらいの事、既に分かっていた。
こちらの様子を見ながら、アーチャーは滑稽そうにニヤリと笑みを浮かべた。
俺が止めを刺しきれなかった事を悔いているとでも思っているのだろうか、身体に突き立った剣を引き抜きながら、こう続ける。
「まさか、ここまで私が傷を負う事になろうとは……しかし貴様は本当にあれで終わるとでも思っていたのか? そうであるならば貴様は本当におめでたい男だ」
己に突き刺さった、最後の剣を引き抜きながら、アーチャーはこちらを睨みつけた。
否定しようのない彼の言葉に、乱れる息を抑えながら、正面からその視線に相対する。
「……言ってろよ」
「しかし……我らの因縁も、次で終わる」
そう口にするアーチャーの表情には、最早どこにも驕りも油断もありはしなかった。
実際に油断した結果、何本もの剣をその身に受けてしまったのだ。かつての俺のように、動揺などしようはずがないのだ。
しかしどういった訳だろうか。
枯れた大地が石段の敷き詰められた境内へと姿を変えた。アーチャーは自らの展開していた固有結界を解き、嘆息しながらこう呟いた。
「その様子では、貴様が投影出来るのは、あと数回が限度と言った所か?」
「……」
それは事実だ。
俺自身、あと何度投影出来るかは想像出来ない。それほどまでに疲弊し、生も根も尽き果てようとしている。
それに対して目の前のアーチャーはどうだ。桜からの魔力供給を得て、十分に力を行使出来る状態にある。だと言うのに固有結界を解いた。
それが俺にとってはあまりに不可解だった。
だがその疑問も、次の言葉で簡単に理解出来た。
「しかしな、最早そのチャンスなど与えん……!」
「ーーあぁ、そうかよ」
「私の、いやオレの知り得る『最強の幻想』で、貴様を葬ってやる」
「何だよ……おまえだって、壊れるの承知ってことか」
それは悲しく、物音一つない境内に響き渡った。
「ーー投影、開始(トレース・オン)……”I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)」
「ーーーー投影、重装(トレース・フラクタル)」
アーチャーの掌に、それが形を成していく。
それは俺たちが夢見続けた幻想。
決して届かないと理解しながらも、その光をいつまでも俺は……俺たちは求め続けてきた。
「……ッ……ク!」
アーチャーの口から夥しい血が零れる。
無理もない。それは本来であれば、限りなく真に近づける事は出来たとしても、その身体が持つはずがないのだ。
それを承知で、この男はそれを造り出そうというのだ。
「この光は、我らが届かぬと思い知らされた彼方の光! 彼の王の剣……貴様に受けきれるか!」
数多の光を束ねるそれを目にし、脳裏に浮かぶのは、ただ純粋な『死』のイメージ。
「ーー無理に決まってるじゃないか」
そう。受けきれる訳がない。
いくら贋作だと言っても、真に近づいたそれを生半可なモノで打倒出来るはずがない。
「でもな、決めたんだ……」
そう。俺は決めているのだ。
「負けてやらないってなーーーーだから、見せてやる」
ここは通過点に過ぎない。
俺が成さなくてはならない事と助けたい人……それは目の前にいる、かつての俺などではない。
だからこそ決別の為に、俺自身が決してこの男にならないのだとはっきりさせる為に、俺は造り出すしかないのだ。
そうでなくては俺は、エミヤシロウは前に進む事が出来ないから。
「俺が出来て、おまえに出来ないもの……今、見せてやるよ」