終わりの続きに   作:桃kan

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たとえその先に広がるものが暗闇であっても

 

 

 少女を取り巻く影がその姿を刃へ変え、殺意を孕んで切っ先を突き立てんと突き進む。

 そんな言葉を切欠に、この戦いを語り始めたとしたら、どこか映画を見ているような……他人事のようにものに感じるかもしれない。

 

 それは確かに俺に迫っていた。

 逃れようのない現実として、確かに俺に突き刺さらんとしていた。

 

「ほら、避けてくださいよぉ! そうじゃないとすぐに串刺しになっちゃいますよ!」

 しかし俺はどうしても自分に迫り来る現実と認識する事が出来なかった。

 大声をあげながら嬉々した表情を見せる桜の姿に、覚えた違和感を払拭せずにはいられなかったのだ。

 

「……ッ!」

 

 しかしそんな状況にあっても、反射的に身体は動き始めていた。迫り来る黒の軌跡から逃れんと、無様に身体を逸らしていた。

 

 『触れてはならない』

 

 その確信があった。

 あれに触れてしまっては、きっと自らのカタチを維持することは叶わないと警鐘を鳴らし続けているのだ。

 

「ッ……!」

 息が詰まる。

 魔力を身体に通したわけではない。ただ身を翻すその行動すら、この身体にとっては負担になっていた。

 それを証明するように、吐息に代わって吐き出され続ける自らの赤々とした血液。それは自らが生きている証として流れるもの。

 それが自らの外部に表出するだけでこんなにも焦燥感にかられるのか。

避けなければ自分という存在は掻き消えてしまう。だが自分の身体は思ったように動くことが出来ないでいる。

 あぁ、これが本当の崖っぷちというものなのだろうか。諦めが心を過ぎり、自分の死が近しいものになっていることを理解させた。

 

 しかしそんな事、素直に受け入れる事は出来ない。

 

「ほら……ほらほらほらほら! セイバーさんはもっと速かった! 姉さんはもっとしぶとかったんですよ! ねぇ先輩!」

「グ……あ」

 

 そう。この声が、素直にさせない。

 

「……ク……ハハハハハ! アハハハハハハ! ほら、やっぱり! やっぱりわたし強くなったんだ。誰も止められない。誰だって……先輩だって、わたしをとめられない!」

「――何、言ってんだよ……」

 

 こんなに悲しそうな高らかな笑い声が、俺を素直に殺させてくれないのだ。

 

「まだだ。まだ早いって。勝手に、決め付けるなよ……桜」

 

 吐き出した強がりは今にも消えてしまいそうなほどに弱々しい。それでも無理やりに身体を起こして桜と一心に向かい合う。

 そう。俺は戦いに来たわけではない。

 ただ、自暴自棄になってしまっている、俺だけのお姫様を迎えに来たのだ。

 

「だから、何回でも立ってやるさ……」

 拭い去れない脱力感に苛まれる身体に鞭を打ち、既に迫っているであろう闇の触手に身構える。

 しかしどうしたというのだろう。先程までの猛攻が嘘であったかのように動きを止め、ウネウネと桜の周辺を漂っていた。

 まるで彼女自身の心の不安定さを表しているように。

 

「……何なんですか? 一体何が!」

「何って……」

「姉さんを守りたいからですか? セイバーさんを助けたいからなんですか?」

「そりゃな……俺が遅くなっちまったから、こんな風になったんだからよ。でも俺がここに来たのは……」

「そんなに傷だらけになっても向かってきて……なんで先輩はわたしの嫌な事ばかりするんですか! なんでわたしばっかり……!」

「桜、本当に分かってないのか?」

 いや、きっと彼女は信じられないだけだ。

 確かにセイバーや遠坂に対する負い目はあった。俺がアーチャーとの私闘を優先しなければ、彼女たちが傷つくことはなかったのだ。

 きっと桜は俺にとって大事なのはセイバーと遠坂の二人で、自分のことはきっと厄介者くらいにしか考えていないと思っているはずだ。

 

 あぁ、ホントに……何してんだろうな、俺って奴は。

 

「そんなに、わたしの事が邪魔なんですか?」

「……」

「わたしの事が邪魔だから、嫌がる事ばかりするんですよね? 好い気味だって、ホントはわたしを笑っているんですよね?」

「――桜……お前、何言って……ッ!」

 彼女の言葉を否定しようとした瞬間、思わず口を噤んでしまった。

 そうだ、ずっと桜は我慢し続けていた。今の状況を見れば彼女がそう考えてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。

 

「ねぇ、なんでわたしばっかりこんな風になるんですか? 十年前だって、遠坂の家から離れなければ辛い目にあうことはなかったはずなのに。この聖杯戦争だって……わたし一人がずっと除け者にされて……」

 しかしそれを、こんな負の感情に苛まれたままの彼女を許していいのか。

 殺されてもおかしくないこの状況で、俺の思いを伝えないままで終わってしまっていいのか。

 

 その考えが頭を過ぎった瞬間、覚束ない足取りで、俺は桜の側へと歩き始めていた。

 

「ど……どれだけ不安だったか分かりますか? どれだけ痛かったか分かりますか? 独りぼっちがどんなに辛いのか……先輩は分かりますか?」

 ビクリと身体を震わせる桜。しかし吐き出し始めた言葉は止まることはない。

「俺は……俺はただ……」

 ただ側に行かなければ、彼女を抱きしめなくてはと思っていたはずの俺の口を吐いたのは、再び今の自分を肯定するための言葉。

 

「――ほら、やっぱり! やっぱり、言い訳ばかりしてはぐらかそうとする! 大事な事は何も言ってくれない!」

 

 引きずり動かしていた両の足が止まってしまう。

 ぶつけられる桜の言葉が痛い。返す言葉がないというのは、まさにこのことなのだろう。

 

 事実、彼女が口にしたその言葉こそ、これまでの俺たちの関係を表していた。

 俺が、いかに桜を蔑ろにしていたかという事を思い知らされた。

 

「そんな先輩、嫌いなのに。殺したいのに! 今のわたしには簡単に出来るはずなのに……それでも何で! 何でなにも言ってくれないんですか?」

「俺は……」

 

 そうだ、こんなところで足を止めていいはずがない。あと数歩なのだ。あと少し足を動かせば彼女を抱きしめることが出来るのだ。

 しかしその前に俺は桜に言わなくてはいけないことが、聞かなくてはならない事があった。

 

「……言わなくても、いや……言葉にしなくても大丈夫だと思ってたんだよ」

 それは全て甘えから来るものだった。

 俺が繰り返しを始めてから、あの頃とは決して変わることなく側に居続けてくれた桜ならば、きっと何も言わなくても変わらないと思っていた。

 いや、思い込もうとしていた。

 しかし桜は俺が想像もしなかった状態になっている。その状態は俺が、そしてアイツが決して許してはいけない存在そのものだった。

 

「アイツから聞いてるんだろ? 俺の事を。俺がお前に……いや他の皆にずっと隠してた事全部さ」

 桜の軍門に下ったアイツならば、俺の状態について少なからず口にしているはずだ。

 自らの使命を放棄してまで俺の戦いに赴く為に桜を説得したその言葉を、俺は聞かなくてはならない。

そしてその言葉が彼女の耳に届く頃、ようやく俺は桜に触れることの出来る距離にまで近付くことが出来た。

 

 それでもまだ遠い。桜との距離は、心の距離はあまりにも遠い。

 それを表すように、桜はジロリとこちらに視線を向ける。

 

 しかし彼女の周りを漂う影は、目に見て取れるほどに落ち着いたものになっていた。

 

 そうだ。俺はここにやって来た本来の目的を果たすことが出来る。

 

「……えぇ。そう、ですね。でも……分からない事があります」

 

 ようやく桜と、正面から話すことが出来る。

 

「アーチャーさんから聞いていました。先輩に覚えた違和感について。まるで『何が目的で聖杯戦争を戦っているのか分からない』って言ってました」

「そっか……やっぱりアイツ、分かってなかったんだな俺は繰り返してる。この聖杯戦争を……でもな、アイツでもきっと分からなかったと思う。俺がもう一度聖杯戦争に参加している理由を……」

 

 無理もない。理解できないのも仕方がないことだ。

 今の俺の在り方と、アイツの在り方とでは全くと言っていいほどに食い違っている。

 

「そんなの、聖杯が欲しいからじゃ……」

「違うよ。俺は……もちろんかつてのオレだって、聖杯に託したい望みなんてなかった。自分で叶えなきゃ意味がないって確信していたんだ」

 そうだ。確信があった。

 正義の味方になることが出来たが故に、自分を取り巻く総てに絶望したオレ。

 その末に正義の味方であることを捨て、たった一人を守りたいと思い至った俺。

 

 総てのきっかけは確かに聖杯に、聖杯戦争にあったことは事実だ。

 

「……俺には聖杯が必要だったんじゃない。聖杯戦争に参加するって事実が必要だったんだ」

 

 そうだ。聖杯に託した願いなんて、何一つなかったはずだった。

 どんな時だって、借り物と切り捨てていたあの理想ですら、自分の手で叶えなくては意味がなかったのだから。

 

 ただ一度だけ、聖杯に願った望みがあるとすれば……

「俺はただ、もう一度セイバーに会いたかった」

 そう、この繰り返しを始めることとなった、その願い。

 

 本当は願ってはいけなかった、憎んでいたものに対する愚かな願いだった。

 そして俺は理解していた。

 

 その言葉は間違いなく目の前にいる、一番大事な女の子を傷つけるということも。

 

「……やっぱり!……やっぱりそうだったんだ。先輩は、セイバーさんの事!」

 

 言葉に反応するように、桜の周辺を漂う影が激しく蠢き始める。

 今まで感情を感じさせなかった表情は、あの夜の道場で見たものと同じ、悲しみに濡れたものに戻っていた。

 

「……ッ! さ、最初はそうだった。それ以外に目的がなかった。ただその為だけに聖杯戦争に……こんな馬鹿みたいに戦ってたんだ」

 

 それでも、桜を悲しませると分かっていても俺は言葉を止めることは出来ない。

「桜……正直俺はお前の事、何とも思ってなかった。ただ間桐の魔術師としか考えてなかったんだ」

「……せん、ぱい」

「戦いが始まれば……遠ざけるようにして! それで全部が終わるって、お前との関係は簡単に途切れるって、そう思っていたんだ!」

「だから、わたしのこと……」

 

 それはきっとケジメだ。

 今まで口を噤んだままでいた俺の贖罪と……そして……。

 

 だから分かっている。

 この後に来る彼女の感情の爆発が。

 

「やっぱり嫌いなんだ! あの時の優しそうな顔も、あの言葉も全部……全部嘘だったんだ!」

 

 刹那、彼女の周囲を蠢いていたはずの影が俺の左腕に纏わり付いていた。

 

「――――ぁ――」

 奪われる。

 頭の中にその言葉が、背筋に悪寒が走った瞬間、俺は纏わり付く影を乱暴に振りほどいていた。

 

「は! グ……はぁ、はぁ……」

 ある。腕は確か見て取れる。振りほどくのが早かったからだろうか、相変わらずの傷だらけの左腕は確かに俺の身体と繋がっている。

 しかし気付けなかった。気付くことが出来なかった。

 まるで当たり前だと、『自らの一部』だと思ってしまうほどに、自然に影は俺に纏わり付いていたのだ。

 

 しかしいざその影と離れてしまった瞬間、何かの喪失感に襲われてしまった。

 それに頭を混乱させられながら、俺は再び桜を見る。

 

「でもな……そう分かってるはずなのに遠ざける事が出来なかった。お前がライダーのマスターになるって知ってるのに! それが……出来なかったんだよ!」

 

 言葉を止めるな。

 目を反らすな。

 こんな悲しい表情を、一番大事な子にさせ続けていいわけがない。

 

「セイバーに……アイツに会えた。それで……それ、で俺の目的は達せられたはずなのに……」

「もう、いいです。もう、黙って……」

「セイバーを守って、この戦いを終える事が出来れば良いって、そう思っていたのに……」

「――黙れ!」

 

 再び、再度絞り千切るように影が左腕に纏わり付く。

 二度目。

 肉ではなく、存在を奪われるような感覚。

 

「……は、ははは……こりゃ、痛てぇや」

 

 あぁ、次はきっと……。

 

「もう、やめてください。そうじゃないと……わたし、本当に……」

 

 止めれるわけないだろ?

 いったい何度同じこと言わせる……いや考えさせんだよ。

 

「――ったんだよ……」

「……」

「俺の一番が……俺の一番が分かったんだよ。一番大事な人が誰なのか」

「聞きたく、ありません……」

「嫌だ……言ってやるさ」

「聞きたくないって……」

「――言ってるでしょ!」

 

 三度目。

 ついに血が噴き出す。

 それでも再び腕を振りほどき、後ろに下がっていた足を一歩前に進める。

 

「……っ!」

「言わせろよ……なぁ桜!」

 きっと俺の枯れた声はこのあまりにも広すぎる荒野に響いているだろう。もうあまりの深い闇に踏み入りすぎて、自分の声も遠くに聞こえてしまう。

 でもそれでいいと思えてしまうのだ。

 彼女が、桜がそばにいるから。

 

「甘えてたんだよ。お前なら、分かってくれるって……」

「分かるって……分かるって何をですか?」

「俺の気持ちをさ。お前が……俺の一番大事な人だって、そう思ってることをさ……」

「そんな……分かる訳ない! 都合が良すぎますよ、今更こんな事言うなんて!」

「――そうだ! こんなのは俺の自分勝手な傲慢だ! それでも、今言わなきゃ……口にしなきゃダメなんだ」

 

 ここまで通した自分勝手、貫き通さなけりゃもっとこいつに嫌われちまうさ。

 

「傲慢だって分かってる。でも、だから聞いてくれ」

 

 女々しくても良い。

 今はただ、こう口にしたい。

 

「……」

「足りない……」

 

 

「好きじゃ足りない」

 

 

「……愛している。俺は、エミヤシロウは間桐桜を愛してるんだ」

「う、そ……だ! 嘘だ! 嘘に決まってます!」

「そう、だよな。そう思っちまってもしょうがないな……でもな、何度だって言ってやるぞ」

 

 

「俺はお前を愛してるよ」

 あぁ、今までなぜ言ってやることが出来なかったんだろう。

 一言口にすれば、こんなにも素直になれるっていうのに。

 

「もっと、早く聞きたかったのに……遅いですよ、遅すぎますよ……」

 

「……ッ!」

「だって……」

 

 

「わたし、もう抑えられない……」

 

 

 抱かれる。

 彼女の抱いた闇に抱かれて、俺の視界は黒一色に染め上げられた。

 

 

 

—interlude—

 

「よぉ、兄弟。しばらくぶりじゃねぇか」

 

 響き渡った。

 ただ平坦な音の波が、俺の鼓膜を揺らした。

 あぁ、知っている。

 

 俺はこの声を知っている。

 

 

 それは“今の俺”が始まった瞬間に聞いた音。

 

 「なんだよ、あの時みたいな泣き顔見せてくれよ、なぁ!」

 

 

 そこには俺が……いや、オレたちの殻を被った『何か』がいた。

 

—interlude out—

 

 


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