ーinterludeー
「……あ〜あ、最後の最後まで脇役なのね」
悔しそうに我が主は目の前で終わった戦いをそう締めくくった。
あまりに長く続いた戦いは、それを愉しむ者にとっては呆気ない幕切れだったかもしれない。
しかし我が朋友と、彼の愛する女性の姿を目にし、私は素直に感じたのだ。きっと、こんな結末も悪くはなかったのだと。
「遠坂……」
「本当、もう限界って顔してるわね。ま、私もなんだけど」
苦しげに声を掛け合う朋友と主。二人の間には私では理解できない信頼関係のような者が知らない内に作り上げられていたのだろうか。
忌憚なく言葉をかけるリンからは、それを感じ取ることが出来た。
「本当に……本当にすまなかった」
桜の身体を横たえながら、そう口にするシロウ。
あぁ、またこれだ。彼の悪い癖がまた出てきた。
「今更よ。本当に今更だわ」
そう。彼女の言う通り、本当に今更だ。
彼にはこの戦いの中で、幾度となくその優柔不断さと自分勝手さに振り回されてきた。
それに憤ったこともある。
失望をしてしまったこともあった。
「それにこんな時くらい……ちゃんとありがとうって言いなさいよ」
そう。シロウのそんな面も、私たちは理解することができるようになっていた。
あの夜、修練場での彼との対話がなければ決して受け入れることが出来なかったモノであった。
「あぁ……すまな……い」
また謝罪の言葉。ここまで来ると最早笑うことしか出来ないではないか。
「だから何回……もういい、疲れた! ほんと……救われないやつ。ねぇセイバー……あと、お願いね」
「えぇ、心得ました。その命令、しかと承りました」
「いい? 壊すなら徹底的によ? 生半可じゃ駄目……それこそ大元そのものをなかったことにするくらいに消しちゃいなさい」
「ーーなかなか過激なことを言いますね」
「アンタだから言うのよ。アンタじゃないと、誰にも出来ないんだか、ら……」
そう言葉にした瞬間、張り詰めていた糸が切れるように、リンが身体を地に伏した。
絶望の中に身を沈めるではなく、安心したように眠る表情に私は安堵を覚えた。
あぁ、本当に安心した。
「おやすみなさい、シロウ……リン」
熱い風が荒野を吹き抜けていく。
それはまるで、物語の終わりを告げる幕のように重々しく、身体に纏わり付きながら、後を引くように流れていった。
「ーーーー終わったのだ。終わってしまった」
あぁ、私も言葉にしてしまった。
この聖杯戦争の、否、私にとってはあまりに長すぎた贖罪の旅路の終わりを、自ら認めてしまったのだ。
我が主人に、リンの言葉を反芻しつつ、自らの血で汚れた身体を引きずりながら荒野の中心に歩を進めていく。
無様に見えるだろう、英雄譚に語られるアーサー王の最後のように、惨めに見えるかもしれない。だが私の心に残るのは、カムランの丘で感じていたような惨めなものではない。
一つ、大きな使命が私には残っていた。
「いや、まだだ。まだ終わっていない。まだ、蠢いている」
今私の心を占めているもの。それは今我が主と交わした約束だけであった。
目の前には未だ蠢き続けるこの世全ての悪(アンリ・マユ)の、この世に孵らんとしている姿。
「そうだ。役目が、残っているのだ。私には……」
それを阻止せずには、この戦いの本当の終わりにはならない。全く……リンは最後の最後に大仕事を残してくれたものだ。
しかし私でなければ、きっとこれをどうにかすることなど出来ないだろう。事実、私に最後に託された魔力は十全と私の中に満ち満ちていた。
目の前の醜悪を破壊することは出来る……しかしそれ以外のことはきっと出来ずに私は刹那の内にその身を光へと同化させてしまうだろう。
ならば彼らはどうなる。疲弊し身体を横たえる三人は誰が救うことができるのか。
「いつまでそこにいるつもりなのです。出てきなさい」
私はアンリ・マユから視線を外し、その存在に向けて言葉を投げかける。
再び熱い風が流れた。その不快感に顔を顰めた刹那、目の前に現れた影に私は安堵を覚えた。
言うまでもなく、彼も満身創痍。いつ消え去っておかしくないほどに、その姿は数多の傷を抱えていた。
「……」
無論、返ってくる言葉はない。
「……教えてくれませんか?」
しかしこの場に、そしてこの瞬間にここに姿を現したということは、その口が語らずとも目的は知れている。
だからこそ少しの時だけでいい、私は聞きたかったのだ。
朋友が、終には口にしてはくれなかった、『英雄に至った』彼の事実を。その内に秘めるモノを。
「貴方がこの戦いの末に得た答えは……何だったのですか?」
「……」
やはり返ってくる言葉はない。何を言っているのだ、関係ないではないか。
深く息を吐き出し、決意を固め、私はこれまで整理のつくことのなかった言葉を紡いでいく。
「貴方が為そうとしていた事……理解できなくはないのだ。私自身もそうだった。選定の時をやり直す事を望んだのだから」
そう。私たちは似た人間なのだ。
彼は語った。自らが信じていた道を『誤りであった』と断じていたことがあったと。
しかし繰り返される戦いの中、かつての自身の戦う姿を目の当たりにし、それが間違いではなかったと思い知らされたのだと。
「一度はそれを為さんと心に誓った。だがそれは私の背を追い続けてくれた者たちへの冒涜だと教えられた」
かつての聖杯戦争で、王と呼ぶべき二人の王たちから突きつけられた。
そしてこの戦いで、最初の主となった朋友の背から教えられた。
「貴方の……貴方たちのおかげで私は知る事が出来たのだ」
あぁ、言葉にするのはこんなにも簡単なのだ。
「だからこそ知りたい。貴方が見出した答えを」
しかしそれは決して今まで私が、アーサー王が人に委ねたことない答えの一つ。
「貴方の、この戦いの終わりの続くモノは一体何なのですか?」
静かに、また静かに風が流れた。
立ちすくむ私たちの間に、ただ頬を撫でていった。
どれほどの時であっただろう。
返される言葉もないままに私が彼の姿を見つめ続けていると、わずかではあるがその肩が震えていることに気が付いた。
「ーーハ、ハハハ! 笑わせないでくれよ、騎士王」
ようやく聞くことの出来た彼の声は、吐き出された言葉ほど嬉々としたモノではなかった。
姿と同様に、まさに満身創痍と言う四文字の言葉が似合いの、今にも消えてしまいそうなほどに擦り切れた響きであった。
「……」
私はその笑いに何も答えはしない。
「オレに終わりはないさ。君の有り様とは違って、オレは既に世界と共にある……」
そう。我が朋友が特殊なだけでありアーチャーは本来、守護者として既に世界と契約した身。
今を生きるエミヤシロウが辿るであろう結末が変化したとしても、彼自身はいつまでの守護者の輪から抜け出すことは決してないのだろう。
なんと悲しい、なんと健気な生だったのだろうか。
ただ人を救わんとしたがために、自らを檻の中に閉じ込めた彼に、私は不意に同情の念を抱いてしまった。
「それでも……ただ、顔を上げて歩いていくだけだ。これが間違いでないと、オレも思い出す事が出来たから」
しかし今の彼はどうだ。
消え入りそうな彼の姿からは、一欠片もそんな悲哀を感じ取ることはない。
「たとえ借り物の理想でも、偽善であっても……歩みを進めたオレが得たモノに、偽物はないと……オレは思い知らされたのだから」
そう。全てがこの言葉の中にあった。
あぁ、彼は救われている。そして私の心残りも、ようやく消え去った。
「……なるほど、そうか。それは、それは本当に……」
「オレらしいとでも言うのかね?」
「すいません、しかし本当にそう思うのです。貴方らしい……良い表情をしています」
「……」
不意に会話が途切れ、沈黙が私たちの間に横たわる。不思議と嫌なモノではない。ただあまりに優しく、素直に彼の表情を見ることができる。
しかしそんな停滞に身を委ねていてはいけない。
「さて、貴方からの言葉を聞く事が出来たのだ。私は早く役目を果たすとしよう」
「では……オレはそこに転がっている三人をどうにかしよう」
そう呟きながらまずはリンを抱きかかえ、桜とシロウの元へと歩を進めるアーチャー。
あの身体で気を失った三人を運び出せるのかは甚だ疑問ではあったが、それでも今はそれを彼に任せるしかない。
後ろ髪を引かれながらも佇まいを正し、私は彼に……アーチャーにこう投げかける。
「えぇ、貴方になら任せる事が出来る。我が主を……そして朋友たちを頼む」
「……さらばだ、セイバー。いや……アルトリア」
「えぇ。さようなら……シロウ」
それが本当に最後の言葉となった。
去りゆく刹那に垣間見た、彼の眩い笑顔を私はこれから先、何があっても忘れることはないだろう。
カムランの丘に還ろうとも、その末に息絶えようとも、私は……最後のその笑顔を決して忘れはしない。
「さぁ、待たせましたね。最早心残りはない。ただ……」
手にした剣が光を湛え、その時を今か今かと待ち構えている。この剣をここまで心強いと感じたことは未だかつてあっただろうか。
だからこそ、私は剣を掲げ、目の前にあるそれを斬り伏せるのみ。
「ただ、我が剣の放つ光が……彼らの明日を照らさんことを!」
我が聖剣が一層に眩い光を放つ。刹那、その光は荒野一帯を染め上げ、私の視界を奪い去った。
ーinterlude outー
真白が煩く視界を染める。
いつか見た……否、きっとまだ見ぬ終焉の日の光。
あぁ、終わりゆく時がこんなにも平穏であったなどとは思わなかった。あとは静かにこの瞳に映る真白から目を逸らし、彼の丘へと還るのみであった。
「なんだよ……お前も来ちまったのか。怖えんだよな、アンタ」
真白に落とされる影が一つ。
ぼんやりとではあるが目に映るそれは、ひどく可笑しそうに笑みを浮かべている。
「……貴方は」
誰なのか、という言葉が喉を痞える。否、とうの昔に私は知っているではないか。
「ご明察だよ、可愛い可愛い騎士王様」
その影も私が口にしようとした言葉を理解しようとしたのだろう。更に嬉しそうに口元を歪ませ彼は誇らしく、嫌らしくこう語った。
「オレがアヴェンジャー。ま、最弱最低のサーヴァントであのつまんねぇ男の墓守ってやつさ。まぁ最弱な訳なんで、オレなんて聖剣の光に晒されたら一たまりもねぇってぇの。ケケケ。ホント容赦ないよね、さすがは輝かしき英雄譚をお持ちの騎士の中の騎士様だ」
よくもこんなにも口が回るものだ。
しかしこんな瑣末ごとに付き合っていられるほどの時間は私にはない。
一言、苛立ちを隠しもせずに私はアヴェンジャーに対し、冷たくこう言い放つ。
「世辞はいらん。消えゆくはずの我らがなぜこうしている? 疾く消えるのが役目を終えたサーヴァントの務めのはず」
そう。彼の相手は私ではない。
アヴェンジャーの、この闇と相対すべきは我が朋友のみ。私がその間に割り込んでいい訳がないのだ。
「ちょっと位いいじゃねぇか。固いこと言いっこなしってな……ロスタイムくらい楽しめよ」
遊びがない奴だなと小言を呟きながら、彼は私の後ろにある、遠ざかりゆく何かを眺めながる。
視線の先にあるものを追求するのは無粋であろう。
この男も、私と同様に彼らのことを思っているのだ。
「それこそ、いるかどうかもわからんねぇ『本当の神様』からのギフトって思ってさ」
「神だと? フ……貴方の口から神という言葉が出るとは……些か可笑しな話ではありますね」
皮肉を込めた一言に大声をあげ、アヴェンジャーは笑う。
「ま、聞きたいのは一個だけさ。……なぁ騎士王さま、どうだったよあの馬鹿は」
「えぇ、最高の……最高の愚か者でしたよ、我が朋友は」
そりゃぁ良かった。
そう言ったのだろうか。私の耳にそれが届こうとした刹那、真白が私を染めていく。
「ーーあぁ、終わる……いや、ようやく始められるのだ」
「ようやく私は……」
「私は……『私』に戻ることが出来る」
聖杯は消えていく。
最初からなかったかのように、何もかもが掻き消えていく。
ただこの胸には宿った光があった。
ただ一つ、この戦いの中で得た確かな答えを胸に秘めながら。
私は……彼の丘へと戻っていった。